・Scene 53-1・
『それでは、剣士さんはお目覚めになられたんですね!』
大画面のモニター越しに映る喜色満面の笑みに、凛音も心持ち満足げな表情で頷く。
「うん、何とかね。―――しかし悪いね、そっちの仕事押し付けちゃって。ラピスさんも、本当ならこっちに着たかっただろうに」
『いえ、お構いなく。私がこちらに残らないと、リチア様がそちらへ行けませんでしたから』
ニコリと笑顔で言い切ってくれるラピスに、凛音は大げさな仕草で肩を竦めた。
「さすが、従者の鏡だね」
『私を褒めてくださる暇がおありでしたら、凛音様は是非リチア様のためにお時間をお使いくださいましね?』
「……さすが、従者の鏡、だね。―――そんなに蔑ろにしているように見えるかなぁ」」
降参とばかりに手を振った後で、天井を見上げる。
上層部の宮殿区画では、今頃剣士の快気祝いのパーティーでもやっているはずだから、件の少女もそこに居る筈だった。
『ご自覚、おありだったんですね……』
呆れる様な嗜めるような、そんな口調で年下の少女に言われてしまった。
「自分、不器用なんでね、生憎」
『直ぐにそういう返しが出来る方を、不器用と評する世の中は存在しないと思いますけど』
「―――まぁ、僕のことは、良いじゃないか」
硬い笑みで視線を逸らした凛音を、ラピスは悪戯っこい笑みで追いかける。
『私としては、このまま一時間でも二時間でもお説教して差し上げたいのですが。―――ワウアンリーさんにも頼まれていますし』
「―――何処で誰に何を頼んでいるんだ、あいつは」
意外なところで繋がっていた従者ネットワークに、凛音は驚愕を覚えるのだった。
「それで、そっちの様子はどんな感じ? ウチの母―――じゃないな、もう。フローラ様辺りが無茶したり、してない?」
一頻り説教染みたものをいなし切った後で、凛音は疲れた顔で実務的なことを尋ねた。因みに、本当に精神的に疲れている。年下の少女に正論で説き伏せられるというのは、中々心が痛むものなのだ。
男に対してひたすらに自分を上に置いて言いたい事を言い続けるという、ある意味女性としての究極の満足を存分に味わったラピスは、気分良さそうに凛音の言葉に頷く。
『フローラ様との連絡は、こちらにお借し頂いている凛音様の下の方々に行っていますから、私は特に。―――その、たまに酷く、皆様が疲れた顔をしてらっしゃるのを見かけますが』
「……家令長に後で、残業手当だすからって伝えておいて」
僕、個人資産持って無いけどと続けながら、凛音はかつての主を相手に気苦労を強いられているのであろう老人たちの冥福を祈った。
「まぁ、フローラ様がはっちゃけてるって事は、ようするにハヴォニワ西部での逆襲は上手く言ってるって事で良いのかな」
『そう、ですね……。その、応援に来ている連合軍に活躍の場が無く、若干不満が溜まっているのが気がかりですけど』
「何なら、文句言ってきてる連中は、モルガ殿の所に押し付けちゃうのもありかもよ」
三人寄ればと言う体で、相応の思惑が絡み合う国際連合軍の内情に眉根を寄せたラピスに、凛音は気楽な風に言う。
『モルガ様、ですか?』
瞬きをするラピスに、凛音は頷く。
「うん。もう纏めてシトレイユの国内に投げ入れちゃうのもアリだよ。明らかに過剰な戦力が国内に流れ込んでくれば、流石に穴熊決め込んでいたシトレイユ貴族の連中も道を過ってくれるかもしれないし。そうすれば、モルガ殿的には好みだろうさ」
『―――土地に住まう人々には、まるで喜ばれないと思いますが』
「ゲリラでも生まれてくれれば、後々そこを統治する連中は大変だろうね」
人道的な懸念を表明するラピスに対して、凛音はそれこそが狙いだとでも言いたそうな態度だった。
「あんまり意識して無いかもしれないけどさ、形式上コレ、”国家シトレイユ”から仕掛けてきた侵略戦争だから。向こうの首魁は宰相閣下だし、実験を奪われた”女王陛下”も”シトレイユは世界の敵となった。最早滅びる他無し”って、章印入りの文書発行しちゃっているからね。―――この期に及んで逃げていないなら、そりゃそいつ等の責任だよ」
『―――凛音様は、少し割り切りが過ぎると思うのですが』
「正直、顔の見えない会った事も無い人間なんて、興味沸かないから」
咎めてくる言葉にも、凛音はまるで揺るがない。
一つの国家が滅び、そして滅んだ国の民が、滅んだ国を懐かしんで侵略者たちに反旗を翻す。
結構なことだ。
強大な国力を有する大国など、世界にとっては百害あって一利なし。
適当に中で乱れていてくれれば―――ついでに、その泥沼に足を突っ込んだ諸々の欲張りな人々が、苦労を強いられてくれれば、世間はそれなりに平穏が保たれるだろう。
勿論、その中に親しい人間でも居たのならば、多少の扱いの変更も考える必要があったのだが―――生憎と、そう言う事も無い。
顔の見えない、数字でしか現れない人々が、どれほどの苦難を背負おうと―――他に優先したい事があるのだ。一々背負っていられなかった。
「まぁ、そういう嫌な面が見え過ぎる仕事を押し付けちゃった僕が言うことでもないと思うけど、そんなに気に病む必要も無いと思うよ? 何だったら、仕事押し付けた僕を恨んで気を晴らしてもいい」
未だ広いネットワークを有する教会の代表として、各国の派遣軍の調整業務を主に代わって遂行しているラピスに、凛音は殊更気楽な声で言った。
『―――何だか、そうやって納得ばかりしていると、自分が嫌な大人になって行きそうで』
「ああ、それなら平気。ラピスさんが嫌な大人になる頃には、きっとキミの周りの人たちも、嫌な大人になってるだろうから」
暗に、自分だけが特別じゃないから気にする必要も無いと慰めているのが伝わったのだろう、ラピスは困った風に微笑んだ。
『不器用、ですね』
「先に言ったろ?」
そうでした、とラピスはふんわりと笑う。
凛音はこっそりと安堵の息を漏らした。何処からとも無く今の会話がリチアに伝わったら碌でもない事になるなと思ったからだ。
ラピスを苛めた(?)事に激怒されるであろう事は元より、リチアは今モニター越しに会話をしているラピス以上に潔癖な部分が大きい。もしリチアに連合軍の面倒な内情が伝わってしまえば、抱え込んでしまう彼女の事だ、余計な心労をかけてしまうだろう。
だからこそ、まだ少し世慣れしたラピスが、リチアに変わりこう言った裏側のドロドロとした部分を引き受けている訳だし。
こういった夢や希望ではどうにもなら無い領域に関して頼れる人が、多少なりとも周りに居てくれたのは幸いだった。
それが年頃の娘さんたちばかりなのは―――それも、世情を理解しながらも、夢や希望を無くさないような娘さんたちばかりだったりするのは、本当に困りものだったが。
「ま、どうなった所で、最終的には僕に責任が押し付けられるのは確実だし、それなら特に、僕は気にしないから、良いさ」
『ですからご存知の通り、そうなった場合はリチア様が大変お心を痛めるであろう事が、問題なのですが』
優秀な従者殿は、相変わらず主第一の真面目な態度だったので、凛音も少し真面目な顔を作ってみる。
「―――じゃあ、心を痛める暇が無いくらい、全力で愛して見せようとか言ってみるのは、どうかな?」
『似合わないと思います』
「ですよねー」
モニター越しに突き刺さる冷めた視線が、非常に心に痛かった。
「ま、近いうちに顔を合わせる事になると思うから、問題がありそうな事とかはその時までにリストアップしておいてくれよ」
『承りました―――ああ、そうだ。近頃報告を受けたのですが、北部連合軍のダグマイア・メスト様が、何でも随分おやつれのようだとか……』
「いいよ、アレには粗食を食わしとけば。我侭に育った子供は、力づくで押さえつけられる事もあるんだって学ぶ必要があるのさ」
僕のように―――とは、流石に付け加えなかったが。
ラピスは苦笑いを浮かべながら解りましたと頷いて、話題を変える。
『合流は、結界工房で用を済ませた後、ですか?』
「うん、このまま全速で結界工房へ向かって―――まぁ、明後日には付くでしょ。そこで荷物を受け取って、そっちへ合流した後は、いよいよ聖地への進軍だ」
長かったねぇと、ラピスの言葉に肩を回しながら頷く。
『位置的に考えて、合流までに一日以上と考えると、―――ギリギリ、ですね』
「そ、ギリギリ”間に合わない”」
表情を曇らせたラピスに、凛音も遊びの無い表情で頷いた。その後で、でも、と続ける。
「だからこそ結界工房だ。今向こうに行ってるワウに準備させている”アレ”さえ回収できれば、ガイアなんて今更恐れる必要も無い。復活した瞬間、ドカンといけるさ」
「―――との、事です」
薄暗い地下遺跡の、殊更暗闇めいた空間。
「なるほどな」
その部屋の主は、闇すらも震えだすような、底冷えするような声で頷いた。
本人はきっと、笑みを浮かべているのかもしれないが、それを理解できる人間は居ないだろう。
―――そもそも、その室内に、純然たる意味での人間は存在していなかった。
「ユライト、貴様はどう見る?」
豪奢な椅子に腰掛けたババルン・メストが問いかけると、機械的な姿勢で直立していたユライト・メストは一つ頷いて口を開いた。
「事の正否は図りかねますが、あのアマギリ・ナナダンがわざわざ立ち寄ろうというのですから、彼にとって必要な何かが、結界工房に存在しているのは間違いないでしょう」
「フム……」
「結界工房は現在、最奥部を中心に隔絶結界を展開して外部からの介入を完全に遮断しています。それ故に我が軍も手出しできずに観測のみに留めていた訳ですが―――スワンで向かうとなれば、工房も結界を解除して迎え入れなければならないでしょうから、これはこちらとしても好機と考えられます」
ユライトは淀みない―――機械的な口調で、兄に言葉を返していく。その瞳に迷いは無い―――そもそも、何の色も見えなかった。
「好機、な」
「覚えておいででしょうが、先日喫水外高高度から行われた航空爆撃。あの折に使われた汚染兵器―――無論、エナの中和作用によって放射線は中和されている訳ですが―――アレの一撃によって、再び我が方の艦隊は大打撃を受けました。ガイアさえ復活すれば艦隊の一つ二つ滅んだ所で瑣末な事、と言えるかもしれませんが、今後激しくなる一方であろう敵軍の進撃に際して、防衛のための戦力が不足する可能性があることは、流石に見過ごせません。汚染兵器ともなれば、それなりの施設と知識がなければ作れないのは当然ですが―――」
「―――その可能性があるのが、結界工房か」
「はい、他にも諸々、あそこには先史文明期の遺産が残っている事もありますが、ともかく、汚染兵器などこれ以上量産されたら厄介極まりありません」
ユライトは即刻対処すべきと断言した。
「汚染兵器、か……」
ババルン・メストは重たい口調で呟いた。
教会の薫陶を受け続けているジェミナーの人間であれば、決して持ち出さないような大量破壊兵器。
それを何の―――エナによる中和作用がある事も、無論理解しているのだろう―――躊躇いもなく撃ち放ってくるというのだから、やはり、あの異世界人は侮れない。
いっそ、このガイアたるババルン・メスト自身よりも、よほど破壊の権化のようにすら思えてくる。
艦隊を一撃で―――どころか、聖地の固い岩盤を焼け崩れた岩山へと変貌させてしまうというのだから、それをババルンが実践しようと思えば、ガイア本体が自ら出張らねば不可能と言えよう。
無論、その程度の汚染兵器ではガイアは傷一つ付かない事は確信できる。
そもそもガイアは純粋なエナの粒子の集合体。熱エネルギーだけで傷つける事など不可能なのだ。
それ故に、このまま穴熊を決め込んで、復活まで時間を稼いでいても何も問題は無い。
アマギリ・ナナダンがあの精神崩壊を起こした柾木剣士を完全に復活させた事には驚いたが、しかし今更異世界人が一人増えたところで、ガイアの戦力的優位に変わりは無い。
こちらにはドール、完璧な先史文明の人造人間と、そして完全に修復された聖機神、なにより、ガイア自身があるのだから。
完全に復活さえ出来れば、何に負けることもありえない。
―――しかし。
何処か、このままアマギリ・ナナダンを放置しておく事を由としない思いがある事に、ババルンは気付いた。
何故。
何処まで行っても、ただの異世界人であるあの少年如きに、これほど頭を悩ますのか。
女神の翼―――不可視の防御力場のせいか?
しかし、確かにあの防御力は忌々しい限りだが、防ぐ度にアマギリ・ナナダンは消耗していく事は確実だったので、力押しでも何の問題も無く屠る事が出来るだろう。最終的な脅威には当たらない筈だ。
では、何故。
「―――汚染兵器か」
白く染める、破壊の色。世界を塗りつぶす―――本来なら、ガイアにのみ許される、凄絶なる破壊。
それを、汚染兵器は用意に”横取り”してしまうのだ。
それが我慢ならぬと―――己が思考に、ガイアはたまらないおかしみを覚えた。
嫉妬しているのだ。あの破壊の光景に。未だ思うままに身体を動かせぬ自身と比して、まるで自由に天空を翔けて、思うままに破壊を繰り返すあの兵器に。
「よかろう。結界工房攻撃を許可する。―――いや、ユライト。貴様が自ら赴くが良い」
「私が、ですか?」
「ウム。―――ヤツも、己が手足を縛られる苦痛を、存分に味わうのが良い」
「―――? ……了解しました」
疑問を示す動作すら、機械的なものだった。ユライト・メストは、兄の言葉に頷いた。
ババルンは言うがままに従う弟を満足そうに哂い―――そして、一つ悪戯めいた事を思いついた。
手元の端末を操作して、遺跡内の格納庫の様子を映す。
巨大な聖機人整備用のベッドの上に鎮座した、それは―――。
「丁度いい。アレを使用しろ。異世界の龍が頼りにする大量破壊兵器―――それに比する威力を発揮するであろう。どう対処するのか、見ものではないか」
※ キャラが多すぎて割と収拾が付かないことになってきてます。
もう締めの展開なので、全員集合的な流れになりますから削るに削れないし。
……まぁ、ようするに。ラピスさんの存在をすっかりと忘れていた訳なんですがね、ええ。