・Scene 52-1・
「神……ねぇ?」
「何か、この話すると皆微妙な顔するよね」
細い渓谷を抜けるスワンの客間の一角で、曖昧な顔で呟かれたリチアの声に、凛音は苦笑した。
「と言うか、現実政治に染まりきっている感のあるお兄様からそういった言葉が出てくる時点で、眉唾物と思えるのですが」
やれやれとため息を吐いて、兄の隣に腰掛けていたマリアが言う。
何か近いなと、無駄に豪華で大きな二人掛けのソファの真ん中辺りばかりを占領している事実に、対面に一人で座っているリチアに後ろめたい気分を覚えつつ、凛音は肩を竦めた。
「これでも結構夢ばかり見て生きてきてるんだけどね。―――と言うか、リチアさんの場合、一応聖職者なんだから、神の実在に不信を抱いたら拙いんじゃないの?」
「聖職者って……まぁ、一概には否定できないんだけど」
リチアは、喋りながら扇を広げるかのように微妙に体勢を外へとずらしていく男の態度を鼻で笑いながら続ける。特に怒りなどは覚えないが、せめて堂々としていると言いたい気分はあるらしい。
「私たちの教会は、確かに信仰対象としての神は要るけど、その実体は殆ど貴方の理解の通りと言ってもいいわ。―――つまり、先史文明期の技術を管理運営し、現代ジェミナー全体の技術文明に対する適切な発展の抑制を行う……って、アンタがそう言うの嫌いってのは解ってるから、つまらなそうな顔しないの」
苦笑交じりにリチアが言うと、凛音は憮然と応じた。
「別に、今更つまらないとは思いませんよ。―――ようするに役人のやり方みたいなもんでしょ? 曖昧な権威を振りかざして、何となく人の上に立ってルールを押し付ける、みたいな」
「それ、役人と言うより教師みたいな物じゃないですか。―――文字通り」
口を挟んできたマリアに、リチアも頷く。
「そうねぇ。教会は文字通り”教える”会だし、アマギリみたいな悪ガキにしてみれば、そういう存在は面白くないって事かしら」
「―――酷い言い分だな、キミ等」
余り間違っていないけど、とは本人も思っていたりする。
学問の徒は常に権威に抗うものなのだと、そういえば昔から思っていたような事を思い出していた。
「でも、今回の戦争で教会はその権威を幾らか失墜し、そして在り方を大きく変革せざるを得ない状況に追い込まれる―――と言うかもう、追い込まれてたわね」
この間の会議の時から。
否、それ以前に甘木凛音がジェミナーに現れてからか。
さて、と視線を外を流れる岩の壁に送るだけの凛音の姿に苦笑しながら、リチアは続ける。
「会議と言うか、アレは何と言うか、一風変わった観劇のような物でしたわね」
「ウチの外務卿、胃痛と頭痛で寝込んでるんだけど……。私も会議の結果報告を受けた枢機卿会議から散々に言われちゃったし―――しばらく、向こうには顔を出したくないわ」
日頃の篤実さも威厳もブン投げて、声を荒げてモニター越しに叱責の言葉を放ってきた老人たちの姿を思い浮かべて、リチアは深々と息を吐いた。
「ああ、だからリチアさんこっちに居てくれるんだ」
「居てくれ……いや、そうだけど」
「いけませんよリチア様、そこで喜んでいてわ。―――せめてそこは”こっちに”ではなく、”僕の傍に”とでも言わせないと」
頬を赤らめて口を尖らせるリチアに、マリアがすまし顔で言う。
凛音は微妙な顔で視線を逸らすのみだ。色々な意味で、早く天地岩に到着しないかなと思っていた。
国際会議が終わり、その後の瑣末ごとも勢いで片付けること一日足らず、ハヴォニワ軍の国土奪還作戦に同調する形で、スワンも天地岩へと向けて進行していた。
ハヴォニワとシトレイユ侵攻軍の決戦は、フローラの先代の頃に整備された東西を繋ぐ広大な横幅を持つ新航路で行われる形となったから、スワンは結局、余りにも狭く曲がりくねって実用性にかけていた旧航路を抜けて天地岩のある西部辺境、山間のユキネの故郷へと向かうこととなった。
新航路―――主街道に比べれば到着まで時間が掛かるが、接敵の可能性が殆ど無いのがありがたい。
申し訳程度に置かれていた、主街道の道幅に対してはまるで役に立たなくなった、高高度質量弾―――岩塊とも言う―――投下要塞、通称メテオフォール基地が稼動していたことも、シトレイユの旧街道占拠に対する意欲の減退を促す要素に繋がった。
正方形の要塞本体の四つの角から長い―――喫水からせり出すほどの長さの足を伸ばし、その先端に結界炉と重力制御リングを設置して浮上させる。
後は要塞本体下部のハッチから、横の岩盤から削り出した岩を、眼下に見える狭い航路をヨタヨタと進む敵船に投下するだけ、と言う原始的極まりない要塞だった。
平原―――どころか直線距離が確保できる航路にでも設置すれば、あっさりと艦砲射撃で撃破されること請け合いだが、船舶がすれ違うことすら不可能な程狭く、そして前方の視界すら危ういほどにうねっている旧航路という立地に置いてみれば、割り合い鉄壁の要塞と化するのだから、中々侮れないといえる。
―――尤も、思ったよりも鉄壁過ぎたお陰で、敵中で孤立、と言うか放置されるという結末に繋がったのだが。
何せ、要塞本体は喫水外に浮いているのだから、侵入占拠することすら難しかった。
「今頃向こうじゃ、楽しくドンパチしてるんだろうねぇ」
「両軍、あの広い主街道を埋め尽くすように船と聖機人を並べて、正面からのぶつかり合い、ですか。―――勢い余って、お母様が突出なさらなければ宜しいんですけど」
「そういえば、新しい戦闘衣の発注があったって家令長から連絡があったな」
「―――いい歳をして、何をしているのですか、お母様……」
ハヴォニワ女王フローラは、かつては聖地で行われた武道会で優勝するほどの猛者だったから、戦場で血が滾ってしまえば見境無く聖機人で暴れ出してしまいそうな現実も、在りえないとはいえなかった。
母の凶行を思い浮かべて乾いた笑いを浮かべる兄妹に、リチアが苦笑を浮かべる。
戦場ではフローラ様に頑張っていただくとして、ねぇ、アマギリ。―――戦後はどするつもりなの?」
「―――どう、と言うと?」
「さっきも言ったけど、この戦争が終われば教会の主導による世界も終わる、と言っても良いでしょう。主導者を失った新たな世界を―――アマギリ、貴方はどうするつもりなの?」
首を捻って尋ねる凛音に、リチアは躊躇いがちに言った。
壊す、と言うことは理解した。昔から壊したいなと思っていたことはリチアとて知っていたし、機会があればそうなるように動くだろう事も予想していた。
そして現実、それが出来るようになって―――そして、世界は彼の望みどおりに一つの変革を迎えている。
―――だが、変革した後でどうするつもりなのかと言えば、その具体的な話は聞いた事が無かったのだ。
「別に、どうも?」
「は?」
あっさりし過ぎた言葉に、リチアは目を丸くした。
聞き間違えだろうかと眉根を寄せていると、凛音は皮肉気な笑顔で肩を竦める。
「いやだって、戦争が終わればこの連合軍も解散、僕も指揮権を返上して無位無官の身になるのは確実だし、その後の国際政治に口出しをすることなんて、出来る筈が無いじゃない」
「―――それは、無責任に放置すると言うことになりませんか?」
額に手をやりながら妹が言うのだが、しかし凛音は呑気な態度を崩さなかった。
「と言うか、これまでジェミナーの全ての国々が、余りにも無責任過ぎたのさ。何事も、最終決定権は教会に任せきりってのは、健全じゃないよ」
戦後の領土確定すら、当事者国家同士で決着できずに教会による裁定が入るというのだから、流石に目に余ると凛音は言う。
「まぁ、どの国家も発端からして、その起源を先史文明崩壊後の復興時期に、教会によって区分けされた地方自治組織を成り立ちとしているんだから、中央政府としての教会を上に仰ぐのは仕方ないといえば仕方ないんだけど」
「―――それでも、今は国家としてひとり立ちしているという建前なのですから、協会に依存しすぎる姿は良くない、と言うことですか?」
「まぁ、そうだね」
敏い妹の言葉に、凛音は満足そうに頷いた。
「でもそれでは、暫く世間は荒れ模様となりそうですわね」
「これまで目をつぶってきた部分を、自分で見つめなおさなきゃいけなくなるからなぁ。―――でも、これまで散々”親の脛”を齧って楽をしてきたんだから、文字通り社会の荒波にでも揉まれて、大人になってもらわないと」
「想像すると気が重くなるわね。―――それ、これまで培ってきた暗黙のルールが通用しなくなるって事でしょう?」
兄妹の会話の、テンポの良さに反する重苦しさに、リチアは深々とため息を吐く。
その言葉に、マリアは気付くことがあった。
「つまり、その”暗黙のルール”とやらを改めて明文化して遵守を誓い合う必要がある、とお兄様はお考えなのですか?」
それも、教会からの始動による物ではなく、各国に取っ組み合いの喧嘩をさせながらでも、自分達の意思でルールを形作れと。
妹の想像に、凛音は一つ頷いた。
「そんな感じ。―――とは言え、僕はそんなに、悲観的にはなってないんだけどね」
むしろ、楽観視していると続けると、リチアは首を捻った。
「と言うと?」
「先史文明が崩壊してからこっち、ちょっと信じられないくらいの歳月を延々と積み重ねて築き上げたジェミナーで暮らす人間のメンタリティは、ちょっとやそっとの混乱程度じゃ、壊れたりはしないんじゃないかって事」
凛音はつまらなそうに肩を竦めるのだが、マリアには何処か響く物があったらしい。
「―――積み重ねた歴史の重み、ですか」
「うん。老いも若きも貧しきも、でもそれなりに言葉が通じるだけの教養が、話し合いを出来る程度の土壌があるからね。いきなり殴り合いを始めたりは、流石にしないさ。―――まぁ、多分、今回の連合軍をたたき台にして、各国の利益調整の場となる国際連合でも結成するんじゃないの?」
なるほどと兄の言葉にマリアは頷くが、リチアはもう一つ聞きたい事があった。
「―――そのとき、教会は?」
凛音の好みはさて置き、これまで世界を牽引してきたのは教会であることは間違いない。
多少息苦しくかんじる人も居ただろうが、それでも、それなりに緩やかな形で世の中を平定してきた訳だが―――その立場が、失われるとなるとその後はどうするのか。
特に、この戦争が終われば教会のもう一つの存在価値である、”打倒ガイア”と言うお題目すら失われてしまうのだから、教会に属する人間としてリチアが不安を覚えるのも無理ないだろう。
しかし、凛音の態度は気楽な物だった。
「抱えた技術を盾にして、少し小さくなったなりに、それでも”老いた強大な勢力”みたいな生き方をするんじゃない? 別にホラ、一番上に立てなくなるとは言え、これまで培ってきた技術の蓄積と世界に対する影響力、各国との繋がりがいきなり無になる訳じゃないし。―――まぁ、確実に以前よりは動きづらくはなるだろうけど。なにしろ、これまでは”YES”以外の言葉を言われた事が無かったのに、これからは相手が不利益だと感じたらあっさりと”NO”を突きつけられる可能性だってあるんだから」
「そうならないためにも、襟を正して節度を持って動け、と言う事かしら」
「そうだね」
口元に手を当てて伺うリチアに、凛音も頷く。
「―――これまでの関係に胡坐をかかずに?」
「? ―――うん、まぁ、正にそう」
繰り返し確認する妹を不思議と思いながらも、凛音は改めて頷いた。
―――なるほど、とマリアは頷いた。
「だ、そうですわよ、リチア様」
「へ?」
何の事かと目を丸くするリチアに、マリアはふんわりと笑って続ける。
「いえ、ですから。例え形が少し変わったところで、”これまでの積み重ねがゼロになる訳ではない”と」
―――ねぇ、と。
その流し目が、実に彼女の母親に似ている物だったから、凛音は言い知れぬプレッシャーを感じた。
ああ、と声を漏らすリチアを放って、マリアは更に言葉を続けていた。
「そして未来に関しましては、それを土台として、今後の行いこそが大切―――でしょう、お兄様?」
「何の事やら。―――大体、僕は何度見捨てられても仕方の無い真似を積み重ねてきた事やら」
言葉尻が嫌に早口になっているなとは、自分でも気付いていた。
「あら、自覚がおありでいらしたの?」
「後悔って言う言葉は、”後で悔いる”って書くらしいよ」
「そう思うんなら、普段からもうちょっと考えて動きなさいよ」
硬い笑いを浮かべる凛音に、リチアが半眼で言った。凛音は視線を逸らした。生憎と、出口はリチアの奥にあるのだが。
「そんな事が出来るなら、ホラ。今日の如き混乱は、最初から生まれなかったんじゃないかな」
「上手いこと言って逃げ切るつもりなんでしょうけど、生憎、これまでのように逃げ切れると思っていたら大間違いだと思いますよ?」
「そうよねぇ、散々人に心配させてると思ったら、あっちでこっちで、フラフラと良くもまぁ……」
女二人が何かに納得して、深々とうなずき合う姿は、有体に言って恐ろい。
そして、顔を見合わせて頷く頃には、凛音は無理をしてでも逃げ出しておくべきだったと後悔していた。
無論、後悔は先に立つものではなかったが。
「私、アンタに聞きたいことがあったの忘れてたわ」
リチアが、綺麗な笑顔で口火を切った。マリアもそれに続く。
「アウラ様のこととか」
「ラピスとも、随分と仲良くなったみたいね」
「かと思えば、ラシャラ・アースとは湿っぽい空気を作っておりますし」
「モルガ先輩に私的な手紙を認めるなんて、―――いえ、そもそも何時あの方の事を知ったのよ」
次々と重ねられる言葉。それ以上に、言葉の度に詰め寄られる事こそが、凛音には恐怖に感じられる。
「―――黙秘、したいな……とか」
圧し掛かられんばかりにまで顔を近づけられて、それでも、視線を遠くへ逸らしてそんな風にのたまう男に、二人の少女は顔を見合わせて一つ頷いた後で、口をそろえた。
「会議の結果、その意見は否決されました」
※ これ、最終回として使っても良いネタだったかなぁと書いた後に気が付きました。もう遅いですが。
それはさておき、まぁ何ていうか、サブタイトルからしてアレでソレな感じがビンビンしてますが、概ねそんな感じです。