・Scene 51-3・
よりにもよって、と言う気分すら最早超越していた。
ダグマイアはこれまで一度もした事が無かった、明確な白旗を揚げるかの如く、モルガとの雑談に興じる凛音に頭を下げていた。
「相変わらずこらえ性が無いのね、ダグ坊やは」
「いや、これで彼も、漸く物の道理を弁えてきてはいるのですが」
やれやれと首を振るモルガに、流石にダグマイアが哀れと思ったのか、凛音が口を挟んだ。尤も、ダグマイアが正常な時に聞いていたなら、確実に激昂していた様な物言いだったが。
「こちら、トリブル近衛騎士団に所属してらっしゃるモルガ殿―――って、まぁ、ダグマイア君のほうが良く知ってると思うけど。元聖地学院生徒会長閣下でいらっしゃる」
まずは前置きとばかりに、苦笑を浮かべながら凛音は口を開いた。それに頷きながら、モルガも姿勢を正す。
ダグマイアは何度か口を開いたり閉じたりした後で、矢張り堪えきれずに尋ねる。
「そんな事は知っている。それで結局、何で、この―――いや、モルガ……先輩、が此処に居るのだと」
いい加減はっきりしてくれと、半ば懇願になりかかっていた。
そろそろ泣き出す領域に足を踏み込みそうに見えたし―――ついでに、俯いたままのエメラから立ち上る気配が尋常でないものになりつつあったから、凛音は笑って頷いて先を続ける事にした。
「で、このモルガ殿なんだけど。さっきダグマイア君に説明した、北方方面軍、シトレイユ侵攻部隊の指揮官となって貰うことを予定している―――と言うか、こちらにお越しいただけたということは、ご了承と受け取っても宜しいんですよね?」
最後だけ、確認するようにモルガに視線を送ると、彼女は勿論と頷いた。
「雑多で脆弱とは言え軍は軍。それを率いての大国への侵攻行為など、武人としてこれほど心躍る機会はありませんわ。初めはガイアとの対決の機会を与えてくださらないのかと不満にも思いましたけど、そちらの方は、凛音様本人で当たりなさるご様子ですし」
梅雨払い役だけを回されるくらいなら、自分が最前線に立てる方がマシだと、モルガは言い切った。
「まぁ、頑張れば勝てる、位の戦力は用意しますので、シュリフォンとハヴォニワに侵攻中の連中の背中を、上手い具合に引っ掻き回してくれれば幸いです」
「勿論、私の判断で」
”No”なんて言葉は認めないと言う目を向けてくるモルガに、凛音は勿論と頷いた。
「無論、モルガ殿のご意思のままに」
「―――あら、素敵。凛音様は女心と言うものを良くご理解なすってますのね」
「美人は好きですから。―――年上で、自立した女性ならば尚更」
「口説くための労力なら、厭うつもりはないって事かしら? ―――残念ね、リチアが居なければ是非お傍に置いて欲しいと言っていた所だわ」
色っぽい流し目を送ってくるモルガに、凛音はそれは何よりと頷いた。
女心と言うか、実家に今尚現存しているだろう、脳も筋肉の一種と思っている人たちの気持ちを理解しているだけです、とはとても言えなかった。
流石に命は惜しい。
「指揮官、だと……?」
しかし、意思の疎通に成功した二人の男女の横で、一人納得できないと間男が口を挟んだ。
「おや、ダグマイア君。若くして近衛騎士に推挙されるモルガ殿が指揮官では不満かい?」
言いたい事は確実に理解しているに違いないのに、凛音は抜けぬけと言い切ってみせた。
「そんな事を聞いているんじゃない! 指揮官とはどういう事だ! それは、私の―――っ!」
椅子を蹴飛ばし立ち上がって、ダグマイアは怒鳴る。
当然だろう。
久方ぶりに訪れた、規模は小さいなれども自らが主役になれる舞台―――その筈だったのだから。
「いやいや、ダグマイア君? 何か勘違いしているみたいだね」
しかし、凛音は素気無く首を横に振った。
「……何?」
憚らない物言いに、ダグマイアは眉根を寄せた。
「どう言う事だ。貴様が私に依頼したことだろう。―――シトレイユに侵攻しろと」
「うん、言った」
凛音は唸るようなダグマイアの声に頷いた後で、”でも”と続ける。
「でもさ、一体何時僕が、”ダグマイア君をその指揮官に据える”なんて言ったんだ?」
「―――矢張り、口実として担ぐだけのつもりか」
凛音の言葉に絶句するダグマイアの横から、エメラが忌々しげに吐き捨てた。
憎悪と怨嗟の混じった、空恐ろしい響きに、しかし凛音は肩を竦めるだけでいなす。
「いや、まさか。神輿に乗るだけの無駄飯ぐらいになんかさせる積もりは無いよ。―――役割は、そうだな。主席の参謀か……まぁ、違っても間違いなく司令部には入ってもらう。勿論、前線に出させるつもりは無いけど」
「前線で戦うのは、私の仕事ですもの、ね」
口を挟むモルガに、凛音は勿論と頷く。
「ダグマイア君を前面に出すと、周囲への気配りが疎かになって、自滅するだけだからね。前に出て暴れまわってくれる人を別に用意して、ダグマイア君は、ホラ。後ろ側で諜略でも仕掛けてくれればいいよ」
人集めは得意だろと、軽い口調で言う凛音に、ダグマイアは歯軋りを浮かべた。
「貴様、最初からそのつもりで……っ!」
「と言うか、僕がキミに活躍の場なんてわざわざ用意してやる訳が無いだろう。―――単純にホラ、元は同類だったキミが侵攻軍の中に居ればシトレイユでババルン側に付いた連中も、幾らか降伏し易くなるだろ? 連中、こんな大それた反乱なんてしちゃったもんだから、今更自首した所で確実に死刑だろうから、いっそ全滅するまで反抗してやるぜとか思ってそうだし」
「―――最初から降伏なんてされたら、つまらないのだけど」
「ああ、平気ですよ。向こうもガイアが滅びるまでは強気で押してくるでしょうから、確実に一会戦はぶつかる事になりますし。上手く侵攻路を選定して、全力対決でも演出させるようにして下さい―――”司令部の参謀”に命じて」
司令部の参謀。
それが、誰を指しているかは明白だった。
「おい待て、アマギリ! 貴様、私にこの女の御守をさせるつもりか!?」
ふざけるなと、ダグマイアは叫ぶ。
「ダグマイア様、駄目!?」
迂闊な言葉に、エメラが目の色を変えて取り乱すが―――如何にも、遅い。
「”この女”。―――”御守”?」
凍りつく空気と、重い言葉。
「あの泣き虫坊やが、随分言うようになったじゃない?」
ゆらりと、言葉と共に立ち上がる女性の、その恐ろしさと言ったら。
「―――さて、と。それじゃあ後は、現場の人間同士で打ち合わせとして貰おうかな」
「なっ!? 待て貴様、この女を置いて逃げるつもりか!?」
わざとらしく咳払いして席を立つ凛音に、ダグマイアが取り乱して叫ぶ。
「また”この女”呼ばわりするつもりね、坊や」
「あ、いや、違、違う―――っ!!」
テーブル越しに手を伸ばして襟首を掴んでくるモルガに、ダグマイアは慌てて首を横に振った。
凛音は引き攣った笑みを浮かべて、それでも取り繕った余裕を見せて言う。
「じゃあ、モルガ殿。後はお任せして宜しいですか?」
「ええ、勿論。凛音様の戦争計画を決して遅らせないように、万全を期して理解を深め合うとしますわ」
美しい笑顔が、何故か獲物を前に舌なめずりしている野生の獣にしか見えなかったのは、多分凛音の気のせいではなかっただろう。
明らかに助けを求める視線を送ってくるダグマイアを、しかし凛音は礼儀正しく無視したまま東屋を後にした。
そのまま、しばらくは異世界式庭園をあても無く進む。
そして、東屋が木陰に隠れる程度には歩みを進めた後で、凛音はおもむろに立ち止まって口を開いた。
「―――そんな訳で、キミの主様の後始末はああいう形になった訳だけど」
何か不満がある?
そんな言葉と共に、背後に振り返る。
そこには、木々の陰に隠れた位置に立つ、一人の少女の難しそうな顔があった。
「ダグマイア様が、ご自身で納得なさったのなら、私が言う事は何も無い―――無い、けど」
あの状況を指して、ダグマイアの意思と表しても良いものか。
ダグマイアのただ一人の従者であるエメラとしては、言葉を濁すより無かった。
凛音は眉根を寄せる少女に、苦笑交じりに肩を竦める。
「でもねぇ、実際あの条件辺りで手打ちにしてくれないと、戦後は本当に縛り首一直線な訳よ。―――しかも彼の場合、いざその時になるまで、自分がその道を選んでしまったという事実にも気付かないまま」
そんなの嫌でしょうと哂う凛音に、エメラは視線を逸らす。
「―――それは」
「勿論、僕はそれでも良い。―――と言うか、元々そうするべきだなって思って彼を今日まで放置しておいた訳だし」
生贄羊は要らない余り物で充分。
だからこそ、聖地襲撃の折に殺し損ねたダグマイアを、もう一度殺そうとしなかったのだ。
解っていた事だろうと、冷たい視線をエメラに送った後で、凛音はやれやれとため息を吐いた。
「でも、ねぇ」
顔を上げるエメラを全く視界に要れずに、視線を上に向けて凛音は言葉を吐き出した。
「あんなでも、死ぬとキャイアさんがまた沈むだろうし、キャイアさんが沈むと今度はラシャラちゃんが、ね。それでラシャラちゃんまで沈み出すと、ウチの妹に、他の姫様たちにと、どんどんそれが伝播していく訳で―――」
そればっかりは、認められない。
「―――結局、貴方は貴方の事情でダグマイア様を利用するんですね」
「そういう正しい理解の仕方をしてくれる辺り、エメラさんは本当に優秀だよ」
向けられる冷たい言葉に、凛音は表情一つ変えずに頷く。
味方になってくれれば良かったけどと、詮無い事を脳裏の端で思いながら。
「―――戻ります」
暫しの間の後で発せられたエメラの言葉に、凛音は何も返さなかった。
その合間に、どんな思いがエメラの中にあったのかだけ、少し、本当に少しだけ興味はあったが、最早それは、詮無い事であった。
「美人は好きなんだけど、―――縁が、無かったって事だよねぇ」
「私の事が嫌いですか? アマギリ・ナナダン」
顔を併せぬままに、言葉を交わす。
「そりゃあ、ね。決して手の届かない星が、目の前で瞬いていれば煩わしいとしか思えない」
「どうせ焦がれても届かないのであれば、嫌いになってしまった方が楽だから、ですか?」
「何しろ、ヘタレの格好付けだからね」
何となく、これが最後の会話になるのだろうなと二人とも了解していた。
「そうですか。―――ですが、私はあなたの事は嫌いになれませんでしたよ」
むしろ好きなほうですと、エメラはそんな風に言うのだった。
何故、と空気だけで問う凛音に、彼女は困った風に哂う。
「―――だって貴方は、ダグマイア様のお友達ですから」
・Scene 51:End・
※ こうして、ダグマイア・メストの冒険は終わった。
彼の行く手にはこの先も様々な困難が待ち受けているだろうが、しかし我々は信じている。
何時の日か、彼がその手に栄光を掴む事を。
―――とまぁ、そんな投げやりな感じで、ダグマイア様がクランクアップを迎えました。
最後の最後で、オリ主に最大の屈辱を与えると言う当初の目的を微妙に達成してたりもするんですけど、
生憎と本人はそれに気付かない。と言うか、気付いたら多分泣く。
原作のように落ちるべきところに落ちていくと言う形も美しいとは思うのですが、どうせなのでと言うことで。
良く考えたらモルガさんも出番これで終わりか。
まぁ、元々登場予定の無い人だったし、この終わり方にしようと思いついたが故の存在ですし、良いか。