・Scene 50-6・
「貴女は……」
ドアが開かれた事にさえ気付かなかった。
振り返ればそこには、既に一人掛けのソファに足を組んでしどけない姿勢で座っている一人の美女の姿があった。
「お久しぶりね、リチアさん」
余裕たっぷりの笑みで、艶かしく唇を動かす。
釣り目がちな瞳は自信に満ち溢れており、楽に崩された姿勢であっても、均整の取れたグラマラスな肢体が作る美は隠しようも無い。
その装いは、国家に属する上位聖機師が身に纏う礼服の範疇からは外れていない筈なのだが、有体に言ってしまえば、無意味矢鱈と周囲に色気を振りまいているようにも見えた。それも、女性からの憧憬を集めるような偶像的なものとは別の、異性の目から見て本能に訴えかけるような肉感的なそれである。
無論、今この教会に与えられた控えの間には女性しか居ないのだが。
先端でカールした豊かな長髪を弄りながら、その女性は驚くリチアたちに対して、さも楽しげな視線を送っていた。
「……モルガ先輩」
唖然、と言うよりもまず呆れを含んだ声が先に出たのは、つまり二人の関係性を象徴しているだろう。
「トリブル王国の外交官の御付として入らしているとのお話は伺っておりましたが……」
チラと背後の議場の様子を映すモニターへと振り返ると、トリブル王国の名札が置かれた机だけ、国ごとに三つ用意されていた席のうちの一つが、ぽっかりと空いていた。
「武人の戦場は会議場ではありません。あんなものは政治屋に任せておけば充分でしょう?」
「相変わらずですね、先輩」
三年前に聖地学院を卒業し、トリブル王国近衛騎士団へと所属するようになっても、まるで変わっていない先輩の姿に、リチアはどうしようもない脱力感を覚えていた。
やりたい事はやる。やりたくない事はやらない。堂々と言い切って見せて、取り繕う真似をしない。
かつて彼女がリチアの前任として聖地学院の生徒会長を勤めていた時から、一貫してその姿勢は変わっていないらしい。
むしろその事実を誇らしげに示している辺り、トリブル王国の諸氏歴々の気苦労が窺い知れるというものである。
「でも、お元気そうで安心しました」
複雑な表情で押し黙った主を取り繕うように、ラピスが引き攣った笑いを浮かべる。
「ええ、貴女もね、ラピス。わたくしが学院を卒業してから既に三年……貴女も女の顔をするようになったのねぇ」
「ふぇ?」
感嘆を込めたモルガの言葉に、ラピスは頬を赤くする。初々しい事だと満足げに頷いたモルガは、そのまま額に手をやっていたリチアに視線を戻した。
「―――貴女は、漸く少女の仲間入りって感じよねぇ」
「誰が少女ですか!」
「だってリチア、貴女さっきから見てるけど、”恋に恋する女の子”みたいな態度そのままじゃない」
顔を真っ赤にするリチアに、モルガはなんてことは無い風に笑って返す。
ねぇ、と彼女より視線を送られたラピスは、曖昧な笑顔で視線を逸らした。ラピスにも色々と、思うところはあるらしい。
「暫く見ない間にラピスは女に、リチアさんは乙女に生まれ変わっているのだから、驚いたわ。―――卒業を早めたの、少し、失敗だったかしら」
むくれた顔でねめつける主と、必死で視線を明後日の方向に逸らす従者の二人を楽しそうに見た後で、モルガは、ほぅ、と色気たっぷりのため息を吐きながら言った。
生徒会長と言う役職につけていた事からも解るとおり彼女は高貴な出自を持ち、生まれながらにその人生は約束されていた。何れはこのまま、所属するトリブル近衛騎士団の長となるのは確実視されている。
そう言った事情も在って、王侯貴族とそれに順ずるものに与えられる特例措置を用いて、モルガは最低限の単位を履修した段階で、本来の過程よりも二年ほど早く聖地学院を卒業している。
在学期間は四年。
生徒会長として在任していた期間もそれに等しく、つまり四年の長きに渡って彼女は彼女の気の向くままに学院を振り回し続けていたのである。
付き合わされる―――後始末をさせられる―――者達の気苦労も知れよう。
彼女が卒業する時、生徒会役員は誰もが万歳三唱で送り出した事実は、それを良く象徴していた。
あのダグマイア・メストですら、生徒会長退任の報を聞き、安堵に胸をなでおろす姿を目撃されていたと言うのだから、大概である。
「ダグ坊やも、随分とわんぱくをしてたみたいだし、本当に失敗したわ」
「いえ、それは……」
「流石に……」
残念無念と語るモルガに、リチアとラピスは揃って頬を引き攣らせた。
確かに、モルガが在学当時―――その最終年に入学してきたダグマイア・メストは、まだ右も左も解らぬ新入生と在って、余り目立たぬよう大人しくしているように見えた。
無論、陰でコソコソと忙しなく動いていたのだろうが、それでも今日の様に一目で解る―――”あからさまに誰かに対抗するかのように”政治的な行動を取る様な真似はしていない。
ダグマイアがそういう後ろ暗い真似を積極的に行うようになったのは、今は世界の敵へと成り果てた彼の父親からの指令が発端だろうが、もう一つ、一人の少年への対抗心が中心にあったことは疑いようも無い。
「アマギリ王子と学院生活。さぞ楽しかったでしょうねぇ」
壇上で弁舌を振るう少年の姿をモニター越しに眺めながら、モルガは言った。
「勘弁、して下さい先輩……」
行動の節々に、一々妙な色気を感じさせるものだったから、リチアとしてはそちらの意味でも気が気ではない。
「モルガ様と……アマギリ様、ですか」
ラピスも、主に習って乾いた笑みを浮かべてしまった。
傍若無人と慇懃無礼を煮詰めたような組み合わせ。
それが、”世の中多少の混乱が見えたほうが面白い”と言う意見で一致して、好き放題に聖地をかき回す。
「それは……本当に、これまでよりももっと、たの、―――楽しい学院生活となった事でしょうね」
「―――想像しただけで、胃が痛くなってきたわ」
何とか上辺の返事をすることに成功した従者の横で、主が思わず本音で呻いていた。彼女の友人たちがこの光景を目撃すれば、無理も無いと皆で頷いてくれた事だろう。
「尤も、今や聖地学院は瓦礫の山―――そういえば、あちらのお方が吹き飛ばしてしまわれたんですっけ?」
冷や汗を流す少女たちを気にする風でもなく、モルガは何気ない口調で言った。
「いえ、その、それに関しましては……」
「ああ、そっちはアマギリ・ナナダン王子の仕業でしたか。―――紛らわしいわねぇ、一々」
政治は面倒くさいと言う口調を隠そうともせず、モルガは言った。
「あの、先輩はつまり……」
その態度に思うところがあって、リチアは眉根を寄せて尋ねる。
「あら、リチア。どうしたのかしら、貴女らしくも無い。そんな、言葉に詰まるなんて」
まるでキャイア・フランみたい、と続けるモルガの言葉を侮辱と捉えて良いものかどうかと内心で迷いつつ、リチアは呻くように言った。
「ご存知、なんですよね?」
知らぬ存ぜぬのフリをして、後で揚げ足を取られるのもまずいと、リチアは端的な言葉で尋ねた。
「アマギリ王子と、あちらにいらっしゃる異世界人の殿方が同一人物だと言う事かしら? 勿論よ」
それに応じるモルガの態度は、如何にも武張った性質の強い彼女らしい割り切った態度だった。
やはりか、とリチアはため息を吐いた。
「一応、大っぴらにはされていない話なのですが……」
「ホントに? だって見た目背格好から言ってそっくりじゃない。―――服装だって」
モニターに映る少年は、あからさまにハヴォニワの王侯貴族が好む様式の正装を纏っていたから、それを見て真面目に隠す気があると思えと言うのは無理が在るだろう。
むしろ、政治的なアピールか何かであると疑うのが当然である。―――が、少女たちの意見は違っていた。
「アレは、単純にフローラ女王への嫌がらせよね」
「割と、凛音様って根に持つタイプですもんね……」
なんて事は無い。
相談無しに一方的に関係改善を強要されたことに、彼の少年は未だに根に持っているだけである。
精々後々、立ち回りに苦労すれば良いさと、中立公平であるべき場所に立ちながら、あからさまにハヴォニワ寄りに見える装いを纏っているのだ。
「あら、案外子供っぽいところがあるのね」
「―――と言うか、基本我侭な子供ですよ、アイツ」
「好きな子には意地悪して気を持たせてみせるくらい?」
「何ですかその含み笑いは!?」
学生時代と変わらない先輩の貫禄を見せるモルガに、リチアは頬を膨らませるしか出来なかった。
「ほんと、益々興味が沸いてきたわ」
肩を怒らせるリチアの奥で、楽しそうに笑っている少年を見やって、モルガは舌なめずりをした。
教会の言う所の世界を滅ぼす悪魔―――ガイアの復活。
復活したガイアは、かつて先史文明を滅ぼしたと言う伝承の通りの強大な力を有しており、かくなる上は世界が団結してこれに立ち向かうしかあるまいと、教会現教皇の名で持って各国へと布告された。
対ガイア国際連合軍に、参加せよ。
その命を受け取ったのは、トリブル王国とて例外ではない。
教会が選出した異世界人の指揮下に入り、聖地を侵す、世界を破壊する悪魔を打倒すべしと、このハヴォニワの旧城へと集合する事となったのだ。
凶悪な敵に対抗するために強力な軍隊を組織する―――聞くに好みの話だと目を輝かせてモルガが此処へと到着してみれば、しかし現実は何時もどおりの面白さの欠片も存在しない国家間の綱引きが見え隠れしている。
誰も彼もが、始まる前から”終わった後”の事を気にして、その結果得られる利益に関しての話し合いにのみ腐心していた。
それは、連合軍結成を打診した教会とて例外ではない。
ガイアの復活の責任が、明らかに教会の不手際に含まれる領分であった事を、教会自身がだれよりも良く理解していたと言う事情も合ったのだろう。
彼らは自身の用意した英雄たる異世界人と、そして悪魔を退治するための武器―――聖機人の提供を盾にとって、自らこそが変わらず世界を主導するに相応しいとの態度を示した。
戦後に於ける、各国の聖機人の保有数の比率の変更すら、内々に主要国に対して打診していると言うのだから、彼等の危機感と言うのも相当なものである。
面白くない。
有体に言って、モルガにはそんな俗な話は興味の欠片も沸かなかった。
世の中、楽しいことは他にある。
血沸き肉躍る戦場とか、素敵な殿方との一夜の逢瀬とか。勿論、お行儀の良すぎる後輩たちを振り回す事も。
決してそれらのなかには、しかめっ面しい顔をして老人たちが顔をつき合わせている現場は存在しなかった。
しかし退屈な国際会議の場とあっても、王命が下れば出席せざるを得ないのが今のモルガの立場である。
唯一の楽しみは、新たに召喚されたと吹聴されている異世界人の姿を拝める事だけだったのだが―――しかし一目見てみれば、その人物も詰まらない国際政治のパーツの一つに過ぎないことが見て取れた。
ハヴォニワ王国の王子アマギリ・ナナダンがそのままそこに居たのだから、そう思うのも当然である。
元々微妙に出自が怪しいところのある王子だったから、ちょっと死んだとの情報が流れた後に抜け抜けと異世界人を演じていれば、如何にも過ぎて笑えもしない。
一夜の逢瀬も期待できないとあらば、後は何れ来るであろう戦場を心待ちにするしかないと、トリブル王の目が無いのをいい事にサボタージュを決め込んでいたのだが―――会議の様子を何とはなしに眺めていたら、少し気分が変わってきた。
ハヴォニワの龍の異名で成る王子が、その名に相応しく議場を荒らしまわっているのだ。
明らかに当初伝えられていた会議の流れとは別物へと変貌していく。
龍。時代の変革を告げる獣の名そのままの態度で、彼は、教会主導の国際会議の場で、教会の権勢をこれでもかと言うくらい―――本当に何の恨みがあるのかと聞いてみたくなるくらい―――削ぎ落とそうとしているのだ。
教会の権威の低下とは即ち、現行の国際パワーバランスの崩壊に繋がる。
目の上のたんこぶとしてにらみを利かせていた組織の力が失せていけば、今までは抑え切れていたものも、抑えが効かなくなる部分も増えてくるだろう。
つまりは、これまでよりも幾分、戦場へと向かう機会が増える。
モルガにとってそれは、実に好ましい話だった。
派手で乱暴なやり方は彼女の好みそのままだったし、国際政治の場であれだけ我を貫き通している姿勢も実に評価できる。
そうとなれば、俄然、あの王子だか異世界人だか良く解らない少年にも興味が沸いてくるというもので、控え室を飛び出して昔馴染みの所に顔を出す事になった訳だ。
そして昔馴染みの堅物の極地である後輩と再会してみると、何故か後輩は愛らしい少女へと変貌している。
それも、彼の少年の仕業らしいから、モルガの興味が最高潮に達するのは当然だろう。
「政治に巻き込まれるのは御免だったから、お断りするつもりだったけど……これなら、一度直接お会いしてみた方が面白―――もとい、良さそうね」
上機嫌を微塵も隠さず、モルガは言った。
「直接?」
乙女の勘で嫌な予感を感じたのだろう、眉根を寄せるリチアに、モルガは余裕たっぷりに頷く。
「ええ。実は事前にこんな物をアマギリ王子―――じゃないか、甘木凛音様から頂いていたの」
言いながらモルガは、懐に手を突っ込み、一通の封書を取り出して、リチアに渡す。
「手紙……」
「これ、シトレイユ皇家の証印なのでは?」
既に開封済みだったが、その封筒は何故かシトレイユの国章が刻まれた封蝋が貼ってあった。
しかし何故か、そこに記された書名は、”樹雷皇国情報局情報本部資料科第三資料室所属研究員見習い・甘木凛音”と件の少年の名が記されていたから、リチアの眉間の皺が深くならないはずが無い。
怪しい、とか最早そういう問題を超越している。
「中、見てもいいわよ?」
言われる前に既に封筒の中身を取り出しているリチアに、モルガは楽しげに声を掛けた。
「モルガ様と凛音様って、御面識はおありなのですか?」
「流石に無いわよ。”アマギリ王子”は余り国際舞台にお出にならない人だったし、わたくしもまだ、いかな近衛の一員といえども、目立った役職にまでは至っておりませんから」
落ち着き無い主の態度に苦笑しつつ尋ねるラピスに、モルガは首を横に振って応じた。
「面白いお人だと聞いていたから、何れお会いするのを楽しみにしていたのだけど、ほら、先日死亡の報が流れたでしょう? ああ、残念と思いながらこの会議に出席したら―――」
「何時もお変わりなく、元気そうですよね、凛音様も」
「―――何考えてるのよ、アイツは」
二人でモニターを見ながらどうでも良い感じに頷きあっていると、リチアが便箋に記された文章を読み終えたようだ。
「リチア様?」
便箋をもつてを震わせながら呻く主に、ラピスは少し失礼かと思いつつも横からそれを覗き込んだ。
その手紙は、こういう書き出しで始まる。
『明日、庭園でご一緒にお茶でも如何でしょうか』
・Scene 50:End・
※ 新キャラだ―――――――――っ!!
あ、一応念のためですが、オリキャラではなく、ちゃんと原作に居る人です。