・Scene 50-4・
「何してるのさ、こんな所で」
夜半過ぎ。草木も寝静まると言う言葉も相応しいほどに遅い時間。
雲ひとつ無い、大きな満月が照らす夜空を見上げて佇んでいた少女を、通りすがりのバルコニーで見かけた凛音は、わざわざ傍まで歩み寄って声を掛けていた。
夜着を纏った線の細い金糸の髪を持つ少女は、静かな空気に相応しいたおやかな動作で振り返って―――端正な顔立ちに相応しいとはいえない、下世話な笑顔を浮かべた。
「いと―――……凛音殿か。叔母上のお相手はもう終わったのかえ?」
「ラシャラちゃん、耳年増って言葉知ってる?」
「マリアのことじゃな」
やり返す言葉の衒いの無さに、凛音は苦笑交じりに肩を竦めた。
「―――此処で僕が、あの子はもうその辺飛び越えてるとか言ったら、どういう反応してくれるんだキミは」
「赤飯でも炊こうかの」
「何処で覚えて来るんだ、そういうネタ……」
即答してきた少女に、凛音は心身ともに疲れたように肩を落とした。尤も、体力的に消耗しているのは、此処に来る前からだったが。
「それはホレ、妾もお年頃と言うヤツじゃから」
「年頃と言うか、そりゃ井戸端会議の主婦の発言だよ。黙ってれば見たまんまお姫様なんだから、少しは気を使おうよ」
「フム。本来の妾の立場であれば深窓の―――奥に、黙って幽閉されている様な立場が正しいじゃろうから、一概には否定できぬな」
口元に手を当てて得意げに言う少女の姿に、凛音は、口の減らないと言う言葉はこういう時に使う言葉なのだろうなと、自分を省みずに考えていた。
凛音は嘆息を一つして、少女は薄く笑った後で再び視線を空へと戻した。
そのまま少し、無言の時間が過ぎる。
「てっきり―――」
ポツリと、月を眺めたままで少女が口を開いた。先ほどまでのからかう様な口調ではなく、ただ、静かな音で。
「てっきり、こんな時間ならば叔母上の身体に溺れておる頃だと思ったのじゃが」
「それはまぁ、出来るのならば魅力的なんだろうけどね」
明らかに風呂上りだとわかる、湿った髪を夜風に靡かせながら、凛音は苦笑した。
「お互いこれで、立場を弁えているのさ。―――明日は明日で、色々やる事があるから、夜遅くまで運動してる訳にもいかない」
「―――その割には、晩餐を欠席しておったようじゃが」
「アレ、公務じゃないから」
空を見上げたままの少女の視線が、微妙にジト目に変わっているような気配がしたが、それでも凛音は余裕の気分で返していた。
「少しは憚らんのか、お主。マリアが泣くぞ?」
「あの子は、呆れて溜め息吐くくらいだと思うけどねぇ」
容易に想像できると口の端を吊り上げていると、少女が大きく息を吐いた。諦めと言うか、諦念交じりのものである。
「む、―――いや、実際その通りじゃったが。例え現実そうだとしても少しは後ろめたい気分になってやるのが礼儀じゃろうて」
「そこはホラ、人間関係、特に男女仲なんてのは複雑怪奇って事で。僕が言う事じゃないけど、あの子は本当に必要な最後の一本の手綱だけを確り握るタイプなんだろうね」
「本当にお主が言う事ではないの。―――因みに、その言い方で言うと叔母上はどのようなタイプとなるんじゃ?」
もう何でも良いと言う口調で尋ねる少女に、凛音はそれこそどうでも良さ気な声で応じる。
「所謂放任主義じゃないかな」
「なるほど、あえて放置する事によって帰巣本能を植えつける、と」
「定期的に帰らないと後が怖そうだしねぇ」
自分のことなのに他人事のように、凛音は少女の言葉に頷いた。
「なんと言うべきやら―――如何にもな男性聖機師じゃな、お主の態度は」
刹那的で享楽的で、投げやりで退廃的な生き方。その様を誰憚る事無く振舞ってみせる。
少女の言葉が嗜めるような響きを伴っているように思えたから、凛音は少しだけ考えた後に答えた。
「まぁ、最近刹那的に生き過ぎてるかなぁって反省はしないでもないけど」
「そうじゃの。―――些か最近のお主は、半端に生き急いでいるように感じられる」
「そう見える?」
自分で言ったことなのに、頷き返された言葉に、目を瞬かせていた。
少女は空を見上げたまま、暫しの沈黙を保った後で頷いた。
「ウム。”終わりが見えてきたから、今のうちに”そのような気を纏っておるように見える」
「―――へぇ」
少女の言葉に、凛音は乾いた唇を舌で潤しながら呟いた。
「どうせ居なくなるから、好き勝手に食い散らかせて―――などと考えているなら……」
「居るなら?」
「―――まだ、マシじゃな」
「マシなのか」
緊張を交えて尋ねると、拍子抜けするような言葉が返された。
「最低か、ほぼ最低かの違いのようなものじゃが、マシはマシじゃよ。―――お主相変わらず、周りの人間に未練を持ってもらうように生きているのが気に食わぬ」
「……そりゃ、スイマセンね」
「いい加減、残れるなら残りたいではなく、此処に残るとはっきりと言えぬものなのか?」
ようやっと月から視線を外して、少女は凛音に視線を置いた。
澄んだ青い瞳に見据えられて、嘘誤魔化しは通用し無そうに思える。
「妾には疑問がある」
「―――どんな?」
聞き取れないような小さな声を、唇の動きだけで聞いた気になって、凛音は尋ねていた。
少女は力のある視線を朽ちさせぬまま続ける。
「天地岩―――神とやらの座する地。眉唾物の理屈で、そこで剣士の復活がなるとお主は告げた」
「眉唾って……そんな風に思ってたのか。割と可能性の高い話なんだけどな」
「それよ」
不貞腐れたように言った凛音の言葉に、少女は鋭く切り込んだ。
「”割と可能性は高い”とは、つまり失敗する可能性もゼロではないと、そういう事ではないか?」
「失敗しないように、鋭意努力するって言葉は……」
「聞けぬ」
凛音の言葉は、少女にあっさりと切り捨てられた。凛音は肩を竦めて微苦笑を浮かべる。
「聞けないか」
「他の事ならば仕方ないとため息でも吐いてやろうが、事が事じゃからの」
きっぱりと頷く少女に、凛音は少し面白くなって尋ねた。
「剣士殿はやっぱり、大切かい?」
「無論。―――今の妾にとっては、他の何よりも」
驚くよりもむしろ見事なものだなと、凛音は感心してしまう。
「少しも憚らないねぇ」
「おぬしと違って、誰憚る必要も無いでの」
「いや、ラシャラちゃんの場合は、別の意味で立場ってものを気にする必要があると思うけど」
「そんなもの、熨しをつけてお主にくれてやったろうが」
年長者としての顔で言った凛音に、少女は得意げに言い放った。その言葉に、凛音は真新しい複雑な意匠の施された指輪を嵌めた手を持ち上げる。
「さしずめ三行半ってとこだな」
「お主を夫としてこのジェミナーに戦乱の嵐を巻き起こすというのも、それはきっと面白い事なのじゃろうが、の」
「日向の縁側の暖かさを覚えてしまえば、嵐の中では笑えなくなりますか」
「―――そんなところじゃの」
残念だなと嘯く凛音に、少女は何の衒いも無く頷く。
「国も民も、お主の好きにするが良い。そのために力を貸せと言うのならば幾らでも貸そう。無くしてしまえば、今更そんなものには興味がもてない自分に気付く。―――のう、従兄殿よ。大切なものを見つけた、と言うのはこう言う時に使えば良いのか?」
大人びた笑みで尋ねる少女に、凛音は肯定の頷きで応じた。少女の笑顔が、些か眩しかった。
「―――そうか。それは、良き事よな」
歳相応とも、深みがあるとも、どのようにでも取れる微笑を浮かべた後で、少女は一つ頷いて表情を改めた。
だから、と前置いて。
「妾にとって剣士の復活の失敗は許されぬ事じゃ。それ故に、”もし、万が一”といったときの場合のお主がとり得る手段を知りたい」
「―――”無い”って言ったらどうなるのかな」
視線を逸らして嘯く凛音に、ラシャラはそれは有り得ないと断定的に切り替えした。
「お主が剣士の復活を、たかが一度失敗したからといって諦めるなど、妾には想像もつかんよ」
一度、自分の日頃の言動を振り返るべきだと、少女は鼻を鳴らす。
「そりゃ、道理か。―――と言うか、実はラシャラちゃん、想像がついてたりしない?」
自分でも説得力が無かったなと苦笑しながら、凛音は尋ね返した。少女はため息を吐いた後で、口を開いた。
「―――”帰る”」
「何処へ?」
面白そうな口調で尋ねる凛音に一瞥くれた後で、ラシャラは夜空を見上げた。
「無論、お主の故郷。天上の月より尚遠い、星海の果て。星々を又に掛ける超高度文明が所在するその場所へ。お主と、―――剣士の、本来の居場所へと」
「ご賢察って言った方がいいのか、僕が解り易すぎるのか……」
「無論、後者じゃよ。つまるところお主、帰るべき場所を今こそ近くに感じすぎて、それ故に、終わりの時を計り始めておるのじゃろ?」
「そうだねぇ……」
曖昧な顔で頷いて、凛音もまた空を見上げた。
「あそこには、結局僕の欲しい全てものが揃っていたからね。あそこに居られればそれだけで楽しくて、満たされていたから。曲がり間違ってこっちの事が道半ばで向こうに戻る事になったら、さ。―――何ていうか、こっちの事が”どうでも良い事”に思えちゃうんじゃないかなって、そんな風に考えてた」
「女々しいの」
「元からだよ」
ポツリと呟かれた言葉に、矢張り淡々と返す。
何とはなしにそのまま、二人で空を見上げる。
「―――では、剣士の復活はしくじれぬか」
「そうだね。失敗したら、後が怖そうだから」
「屁理屈捏ねられるよりも、いっそそんな言い方をしてくれた方が、お主の言葉であれば信用できるわ」
戯れごとのような言葉を、少女は喉を鳴らして笑って頷いた。
「星海の果て、か」
「うん。実はもう、正確な座標も特定済みだったり」
何時でも帰れるんだと、何気ない口調で凛音は応じる。
「どのような世界が広がっておるのか、想像もつかぬのう」
「望めばご招待しても良いけど、ね」
「妾はきっと、空の下で日差しを浴びるくらいが丁度良い」
だから、行けないと少女は笑った。
「そりゃ、残念。―――結構本気だったんだけどな」
指輪の嵌った手のひらを弄びながら、凛音は言った。
「一昨日着やがれと―――いや、縁が無かったとはきっと、こういう時に使う言葉なのじゃろうな」
「だろうね。―――精々僕は、一人で逃がした魚の大きさに、枕を濡らす事としよう」
それだけ言って歩み去ってゆく凛音の背中を追うこともせず、相も変わらず天上の月を見上げたまま、少女は笑った。
「では、妾はそれを、末代までの誉れとしして、日差しの差し込む縁側で、孫に語って聞かせようかの」
月明かりの元、二人は刹那交わって、そして別れた。
※ 別れ話。―――と言うほど、元々そこまで深い関係では無いですね。
まぁ、お互い一番になれなくて残念だったねぇと苦笑してる感じで。
後は原作のシチュをなぞってるってトコでしょうか。結果は、真逆ですけど。