・Scene 49-3・
「―――テンチガン?」
「あ、知らないか。まぁ、僻地と言うかド田舎と言うか、ハヴォニワ西部の山の中だしなぁ」
「観光目的の人とかも、絶対来ないような場所だもんね」
聞き覚えの無い言葉に首を捻るラシャラ達とは対照的に、顔を見合わせたハヴォニワの主従は示し合わせたように頷いていた。
「天地岩って言うのは、私の故郷にある―――ええと、聖域の一種……かな」
ユキネにとってはあって当然のものらしい、説明に困ったように小首を傾げながら言った。凛音が微笑を浮かべて言葉を引き継ぐ。
「天を貫くと言う言葉に語弊なしと言うくらいの巨大な岩塊を中心に、周囲に侵入者を排除する結界が張り巡らされていてね。一度だけ視察に赴いた事があるけどあれはちょっと、見ものだよ。観光資源としては―――立地の問題で、イマイチかな」
山間部の間を走る喫水に近い高高度に位置する、大型船舶が交差する事は不可能な狭い空路しか存在しないからねと、凛音は肩を竦めた。
「ああ、ひょっとしたら聞き覚えがあるかもしれん。―――今は使われなくなった”女神との交信の地”と呼ばれている場所か?」
「そう、それ。女神に選ばれた巫女だけが入ることを許された神聖なる結界ってね」
思い出したように言い出したアウラに、凛音は頷く。それに、ユキネが困った風に微笑みながら言い添えた。
「―――因みに、今は使われていないって言うのは、単純に巫女として認められた人間が此処数十年の間居ないからなの」
私も無理だったと、若干自身への情けなさを示す珍しい態度だった。
「まぁ、神様の判断基準なんて、結構出鱈目だったりするからね。人の考えでは及びつかないゲテモノ好きだったんじゃない?」
何故か凛音が慰めるような態度だった事を、ラシャラは不思議に思った。
「―――お主、もしやその神聖なる結界とやらの内側に入ったのではあるまいな」
「え!?」
ラシャラの言葉に何より驚いていたのはキャイアだった。凛音が頬を引き攣らす。
「僕が聖域に踏み込めたら、何かおかしいかい?」
「いや、その……だってアンタ、神聖とか神子とか言う言葉とは、思いっきり程遠いじゃない」
「だから神様の基準なんだって。―――キャイアさんみたいに、人好きするような性格してなくても問題ないのさこの場合」
「……何か、引っ掛かりのある言い方するわね」
ジト目になるキャイアに、凛音は何の事やらと飄々とした態度でいなす。アウラが額に手を当てて難しい顔をしていた。
「……つまり、口ぶりから言うに、お前は本当に聖域に踏み入ったのだな?」
「―――あ」
アウラの言葉に、キャイアは目を丸くした。確かに、言い方からしてその空気はあったと凛音を改めて見ると、彼は笑って頷いた。
「神様の趣味って解らないよね」
「いや、ユキネが入れずお主が入れたとあらば、なにやら非常に良く解る話なのじゃが……」
人間性で言えばどう考えても―――逆立ちをしても凛音がユキネに勝つ事などあり得ないのだから、後は条件を考察するのは簡単すぎた。
「―――女神の翼か」
「丁度ホラ、ラシャラちゃんがウチのお城に忍びで遊びに来てた時があったろ? あの夏休みに、ちょっと確認がてら、ね」
「とすると、二年前か。―――ウム、確かに視察名目で留守にしていた事があったの」
懐かしいのう等と、当時平和だった頃を思い乱しているのか、妙に年季の入った仕草で頷きながらラシャラは言った。アウラがその横で考え込むように口元に手を当てていた。
「二年前の夏休みとなると、そうか。―――お前が、女神の翼を」
「そういうこと、だから、確認にね。自分が本当に特別な人間かどうかなんて―――まぁ、良い所自意識過剰なんだけどもさ」」
アウラの言葉に、凛音は苦笑を浮かべて頷いた。
「―――それ、ダグマイアが……」
キャイアが微妙な顔で呟いていたが、礼儀正しく誰もそれ以上のコメントは避けていた。
二年前の、夏休み。
―――その、少し前の事である。
諸々の事態の結果として、同級生による予告殺害にまで追い込まれた凛音は、自らの意思のあずかり知らぬ所で、自らの力を発露させて窮地を逸した。
その力こそが、女神の翼―――即ち、光鷹翼である。
「そういや、ダグマイア君居ないね」
ふと思い出したように回りを見渡して言う凛音に、ラシャラがああ、と頷いて応じた。
「エメラ共々、スワンの客間の一室で療養中じゃぞ」
「―――療養?」
「全身打撲―――ついでに亜法酔いと配線がショートした関係から来る火傷じゃな」
「何したのさ、一体」
「後でアウラにでも説明してもらうがよい。妾は知っての通り戦場には立っておらぬでな」
嫌そうな顔の凛音に、ラシャラは投げ出すような言葉を返す。
凛音は、つまりダグマイアが戦場に立つような碌でもない事態が起きたのかと、アウラに視線を送った。
アウラは気まずそうな顔で視線を逸らしながら、口を開く。
「まぁ、色々な。―――それより、話を戻すぞ。つまりお前は、二年前の夏にその聖域とやらに踏み込んで―――……踏み込んで、結局どうなったんだ?」
「うわ、酷い話の逸らし方だなオイ。―――いいけどさ、どうせ僕は、寝てただけだし。何で間に合わなかった筈のユキネが此処にいるかとかも、ホントのところ全然知らないし」
「……拗ねてる?」
「拗ねてません」
人差し指を頬に当てて尋ねるユキネに、凛音は口を尖らせて反論した。
アウラと凛音は即座に顔を見合わせて休戦の約定を取り付けた。二人して藪に蛇と言う状況もどうかと思ったのだ。室内の生暖かい空気が痛々しかった。
「ええと、なんだっけ。―――そう、天地岩ね。僕はその結果居の中に踏み込めた。踏み込めたからといって、別に神の声を聞いたとかは、特に無かったんだけど」
「なんじゃ、無いのか」
凛音の言葉に、ラシャラは詰まらなそうに鼻を鳴らせた。
「うん。でも、解った事が一つある」
「と言うと?」
「あの場所からは本当に神の気配が感じられた。聖地よりも濃厚な、超越存在の気配が。言っても解らないと思うけど、天樹の内奥の気配とよく似ていた。―――実際の所、聖地よりもよっぽど”聖地”って呼ぶに相応しいよ、あそこは」
「フム―――まぁ、実際の所あの聖地は、埋まっていた遺跡がシトレイユ一国の手に負えるものではなかったが故に、協会に委ねて国際共同管理地となったと言うだけの場所じゃしの。正味なところ、”聖地”などと言う名前は、各国の王侯貴族が集うための、箔付けに過ぎん」
「そんな、見も蓋も無い……」
主の言葉に、キャイアが冷や汗混じりに苦笑を浮かべる。
「しかも、奉ってあったのは邪神像じゃしのぅ」
「いや、アレは奉ってあったとは違うんじゃないか……?」
「一応、邪神を滅ぼした御神体も一緒に奉ってあったから、宗教的な神殿としての役割は果たしていない事も無いかなぁ」
言うまでも無く、ガイアと聖機神の事だった。
「っていうか、あんな直ぐに使える状態に保管しておくとか、やっぱり馬鹿なんじゃないかって思えるんだよな僕的には。喫水外の活火山の火口にでも投げ入れるか、海底に沈めるかとかすれば良かったのに」
「あわよくば後で平和利用したいとかの下心でもあったのではないか。もしくは、教会の権益を保障する最後の手段としておきたかったとか」
「近寄るな、危険ってか? 死ぬ死ぬって騒ぎ立てる詐欺じゃないんだから」
「そこまで露悪的に見ないでも……」
何か色々鬱屈としたものが溜まっているのだろうか、凛音もラシャラも、教会に対しての発言が全く容赦の欠片も無かった。
「まぁ、エセ聖地なんか良いさ。どうせ今はただの瓦礫の山だし」
「それやったの、アンタよね……?」
「不幸な事故だったよねぇ」
半眼になるキャイアの視線を軽くかわした後で、凛音は真面目な顔を作った。
「天地岩は、本物なんだ。さっきも言ったけど、正真の神の気配が存在する。あそこを守る結界は、所謂亜法に基づいた人の生み出した理論体系によって成る結界ではなく、神自身が降臨せしめる自らを下界の穢れから守護するために、自らの領域として場を改変した事によって成立した産物だ。―――まぁ、語弊があるかもしれないけど、光鷹翼―――ええと、女神の翼に守られている様な感じをイメージすれば良い」
「女神の翼か。―――同質の力を有しているが故に、お前は侵入できた、と言うことか?」
「天地岩の領域も女神の翼による防御も、領域の改変による外界情報の遮断を行っていると言う意味では、基本的には同じと言っても良いからね。ようは、この世界の常識で可能な何がしかの防御力場とかとは違うから、通り抜けるにはその領域限定のルールに則るか、もしくは、領域を更に改竄する力が無いとってね」
尋ねるアウラに、凛音は少し考えた後で答えた。そのまま、自分の考えに没頭するように何処か遠くに視線を置いたままブツブツと呟きだす。
「まぁ、二年前の当時は無意識だったんだけどね。―――でも、アレでよく考えたらこの世界の神に僕の存在が知られちゃったって事にもなるんだよなぁ。想定済みとして組み込まれたって事なのか、排除不可能と見て放置してるのか、それとも……」
「―――何を悩んでいる?」
「ん? ああ―――まぁ、何ていうか」
眉根を寄せて問いかけるアウラに、一瞬瞬きした後で、凛音は言葉に詰まった。
「剣士殿はこの世界の神様にとっても特別な存在なんだ。だから、天地岩へ連れて行って―――上手い事神様とアポイントメントを取れれば、確実に治療してもらえる。それは、間違い無い」
「フム。それは頼もしき事よな。―――して、ではお主の悩みは何じゃ?」
「ん……―――そうだな。例えばだけど、どうせ神様に直接頼みごとが出来るんだったら、剣士殿を直す以前に、”ガイアを滅ぼして欲しい”って直接頼めば早いとか、思わない?」
考えた末に出てきた言葉に、少女たちは絶句した。
ガイアを滅ぼす。
全知全能たる神々の力を用いて。
単純にして確実な方法だろう。ガイアを倒すべきは自分達だという思いが先行し過ぎて、思いつかなかった事が不思議に思えるほどの。
「―――可能なのか?」
半ば唖然とした口調で問いかけるアウラに、凛音は笑って首を横に振った。
「勿論、無理」
「やはりか。しかし、何故。―――神は崇高にして気まぐれな存在、とでも思っておけと?」
皮肉混じりのラシャラの言葉を、一面では正しいと凛音は頷いて見せた。
「神様にとっての重要度と、人間にとっての重要度ってのは違うって事だね。ガイアなんてさ、所詮は人間にとっての脅威でしかなくて、神様視点で見れば、ちょっとした害獣以下の存在にしかならないのさ。―――わざわざ、自分で払う必要も無いって思ってるんだろうな」
「野生の動物どころか、蝿蚊の類か。―――何とも、スケールの大きな事よな」
「何しろホラ、神様だしね。特に、この星で崇められている神様は、神様社会の中でもトップクラスに偉い人だし」
やってられないという口調で言うラシャラに、凛音も面倒くさそうに同意を示す。アウラの視線に促されながら、それで、と諦念交じりに続ける。
「だからさ、そういう意味でも剣士殿は特別なんだわ。彼は神様にとっても必要だからこそ此処に居る。意味を伴って此処に訪れた以上、その意味を成すまでは健常な状態で居なければならない―――健常な状態で居られる筈だったのに、本来存在しない筈のイレギュラーによって、それは破綻した」
「破綻……いや、それよりイレギュラーって」
呻くように呟くキャイアに、凛音は暗い瞳で応じる。
「先に言ったろ? 本来改竄不可能な神の作った領域は、同質の神の力によって改竄が成される。このジェミナーはこのジェミナーに奉られている”実在する本物の神”の庭だ。そして神と言う存在は、傲慢で奢り欲深く、末端の次元に位置するような僕らみたいな存在など、実験室のテーブルの上に置かれたシャーレの中で繁殖する微生物以上の価値など抱きはしない。―――そう、実験だな。神々にしてみれば、シャーレの中の我々は、彼等の望む通りの実験結果を生み出すからこそ存在価値が在る事になる。それなのに、シャーレの中に外から未知の―――神々ですら干渉不可能な存在が訪れて、実験を無茶苦茶にしてしまえば」
どうする?
問いかける瞳に、少女たちは釣られるようにそれぞれの言葉を返した。
「何とか実験を正しい方向へ修正しようと足掻くか……」
「何とか異物の排除を試みるとか……」
「―――シャーレを割り、実験を放棄するか」
「今の所、実験は継続中―――かな。ま、神様の尺度ってのは人間の理解を超越しているから、”上から見ると”悩んでいる間のほんの刹那の時間って事なのかもしれないけど」
「―――なんとも、大げさな話になってきたの」
困った風に笑う凛音に、圧倒されそうな自分を振り払うように、ラシャラはあえて呑気な口調で言った。
「まぁそんな訳で、必要なファクターとしてシャーレの中に放り込まれた剣士殿と違って、予期せぬ異物に過ぎない―――しかも意思を持って神々の思惑から外れていく―――存在である僕本人としては、ちょっとした不安を覚えている訳さ」
「不安……」
ユキネがかみ締めるように呟く。
「神様ってのはさ、ホント自分の都合で好き勝手に事象改変とかやっちゃうからね。此処でこうして皆して泥臭く頑張ってるのが、あっさり無かった事にされたりしたら、さ。―――無かった事になってしまえば、本当に無かった事になるから、誰も痛みを感じる事は無いんだ。差し引きゼロ。いや、失敗を糧に今度は上手くやるからって事もあるから、プラスといっても良いかも知れない。普通に生きられるのなら。―――そう、普通に生きられるのなら、何も気づく筈は無いのだから」
しかし、凛音は気付ける。気付いてしまう。
身の内に宿す―――今やそれこそが自分自身である皇家の樹としての力、頂神の系譜であるが故に、三次元世界の事象改変程度ならば用意に知覚することが可能だ。
「天地岩に行かずに済ますわけには、いかないの?」
「むしろ行かないで不安を放置しておく方が怖いかな。いっそ直接お伺いを立てて、居留権―――って言うのもどうかと思うけど、とにかく、存在を認めてもらった方が安心できる」
苦い口調で尋ねるユキネに、凛音は微苦笑交じりに肩を竦める。話しても混乱するだけの話題だったと解っていたのに口に出してしまった自分の弱さを、恥じていた。
曖昧な表情で会話を終わらせようとする凛音に、誰もがかける言葉を見つけられなかった。
それこそ、ものの尺度が違いすぎて、判断が追いついてこないのだ。
例え神々とやらにどんな思惑があろうとも、彼女たちにとってはガイアとは正しく脅威であり、その排除のためには命をかけなければならない事だった。
「―――例えこの世界の神とやらが、お前を不要だと言ったとしても、私にはお前は必要だよ」
言葉の重さと熱量に反して、アウラの顔は苦渋に染まっていた。言える言葉の陳腐さに、自分が情けないと思えていたのだ。
「それは、嬉しいね」
凛音はしかし、深みのある微笑で応じた。
その短い言葉に、ユキネは感じる事が在ったらしい。そっと、凛音の手を取りながら言い聞かせるように言った。
「私―――アウラ様、だけじゃないよ。皆にとって、貴方はもう、居なくてはならない人だと思う。私たちの言葉を嬉しいと思ってくれるなら、尚更。」
宥めるようなユキネの言葉に続いて、ラシャラが、一つ嘆息した後で言った。
「そうじゃの。それこそ此処まで好き勝手に場を荒らしておいて、何を今更といった所じゃ。いい加減、お主は事ある毎にグチグチと詮無き事に思いを馳せていないで、覚悟を決めるべきじゃ」
そこまで言って一旦凛音より視線を外し、ラシャラは剣士をいとおしげに見つめた。
そして、困った風に―――諦念の混じった笑みを浮かべた後で、再び凛音に向かい合う。
「お主は何時だか言った。これは剣士が主役の物語。異世界の聖機師の物語じゃと。だがもう、違う。今はお主の―――異世界の竜機師の物語じゃ。お主は主役として覚悟を決めて、この物語をハッピーエンドに導く責任がある。神々とやらがそれを認めないというのであれば、お主は主役たる自らと、その脇を固める演者たちのためにも、この物語の舞台を守らねばなるまい」
「―――また厳しいこと言うね。ガイアだけでさえ、厄介だってのに」
「おぬしが持ち込んだ話じゃろ。そのくらいの甲斐性みせんか」
苦笑を浮かべる凛音を、ラシャラは蹴り飛ばすような口調で切って捨てた。
凛音は勝ち気な少女の言葉に、やれやれと首を横に振る。
「大体、主役扱いする割には、それこそキミ等が皆して図って、人を脇に追いやってくれたんじゃないか」
お陰で因果論的な意味での修正力が働いたのかもとか、要らない心配を抱いたんだ―――などと、またぞろ、グチグチと呟きだす凛音に、少女たちは皆、困った風に顔を見合わせて笑った。
―――結局それから代表して、彼の手を取ったままだったユキネがたずねることになる。
「―――拗ねてる?」
「拗ねてません」
やることは一杯あるのだからと、付け加えて。
※ ちょっとメタっぽい話。
……と言うかぶっちゃけると、そろそろ出るものが出てくるので前フリ的な要素が強い感じでしょうか。