・Scene 49-2・
「で、どんな状況?」
踏み入るなり第一声が、周りを見渡してのそんな言葉だったから、その室内に集った少女たちも目を丸くするしかない。
「おお、凛音殿」
「―――目覚めたのか」
「お陰さまでね」
勝手に部屋の隅においてあるティーセットから自分のお茶を用意しながら、凛音は肩を竦めて応じた。
背後にそっと付き従う形になっているユキネの存在が、随分と昔の平穏だった日々を思い起こさせるものだった。
「結局今って、何時頃なの?」
「ああ、お前が眠ってから……」
「”眠らせてから”だろ?」
「お前が原因不明の病で意識を失ってから、既にもう一昼夜過ぎた」
ジト目で突っ込みを入れる凛音の視線を避けながら、アウラは掛け時計を確認しながら言った。
「丸一日、か。―――なんか最近、寝すぎな気がするなぁ」
「と言うか、三日前まで寝っぱなしだったろうが」
「今回は不慮の事故ってヤツなんだけどねぇ―――さて、と」
アウラの言葉を軽くいなしながら、入れたての紅茶をユキネに手渡して、凛音は少女たちが集う室内の一角へと歩み寄る。
そこは。
先ほどまで彼が寝ていた場所と変わらぬ、スワンの客室内のベッドの置かれた空間。
採光窓からレースのカーテン越しに柔らかな光が差し込む、白いシーツを張られたベッド。
一人の少年の姿があった。
「―――お疲れさん、とか言った方が良いのかな」
「……それは、誰に対しての労いなのじゃ?」
「すくなくとも、人に麻酔薬打ち込んでまで苦労を背負い込もうとする女の子たちに対してじゃあ無いかなぁ」
瞳を閉じてベッドに横たわる少年の面を、何ともいえない微妙な表情で眺めながらも、向けられたラシャラの言葉に返す言葉は酷く皮肉気なものだった。
窓際に背を預けて腕を組んでいたアウラが、恐る恐るといった風に口を開いた。
「……怒ってたり、するのか?」
「まぁ、わりと」
あっさりと凛音は頷いた。ベッドサイドの椅子に腰掛けていたラシャラが、仲裁に入るように苦笑交じりに言う。
「愛しき妻の気遣いじゃろうて。粛々と受け入れるのが男の甲斐性じゃろ?」
「僕、三歩後ろから影を踏まないように付いてくる女が好みだから」
「今時流行らない古風な趣味じゃな、また」
「近場で強い女性ばかりが目に付くからね、夢くらい持とうかと」
どちらかと言えば、実家に居た頃に出会った女性陣を指しての言葉だったのだが、少女たちは自分たちのことだと受け取ったらしい。頬を引き攣らせている。
「あの、良いかしら?」
微妙な空気になりかかった所で、それまで黙っていたキャイアがポツリと声を漏らした。
凛音たちのように上っ面の軽さの全く感じられない、淡々とした言葉。それ故に逆に重みを感じるものだ。
「何かな?」
一口自身で入れた紅茶を口に含んだ後で、凛音は応じた。
キャイアは、視線をベッドで眠る少年に固定したままで、口を開く。
「―――剣士、今」
それ以上の言葉が続かなかった。何を言えば良いのか、キャイア本人も要領を得ないところが合ったらしい。
だが、室内の空気が一回り重くなったことからして、彼女が言いたかった事は全員が理解できた。
そして、視線は一斉に凛音に集中する。
凛音は微苦笑を浮かべて、ベッドで眠り続ける剣士の顔を覗き込んだ。
普段の剣士らしからぬ、まるで意思の欠片の一つも感じない面。
何時ぞやの夜とは違う。
あの時は、今と同様にベッドで眠り続ける形でありながらも、それでも、遙照と見紛う程の意志力を感じたものだが、今の剣士にはそれは無かった。
ただ、人型の入れ物がそこにあるだけ。そしてその中身は、酷く空虚なのだ。
「精神死ってヤツだね」
「ちょ―――っ!?」
「おい待て、凛音!」
一つ頷いた後であっさりと言い切った凛音に、少女たちは引き攣ったように声を上げる。一様に目を見開き、驚愕の面持ちである。見た目だけでも落ち着いているように見えるのは、凛音の背後に居るユキネくらいだろう。彼女の場合は単純に、他の少女たちに比べて主の突飛な発言に対する抵抗力が強いだけかもしれないが。
「どういう事じゃ従兄殿!? ”死”などと、そんな簡単に―――っ!」
「呼び方前に戻ってるよ」
「そんな事はどうでも良かろう! お主の計略に従った結果がこうなのじゃぞ! 何を呑気に―――」
どうでもいい突っ込みを入れる凛音に、ラシャラは斬りつけるように言葉を重ねる。
凛音は呑気に、愛だなぁなどと音を漏らさないように口の中で呟きながら、紅茶を一口啜った。
「とは言え、ホラ。僕は途中で眠らされちゃったからさ。責任能力なんか無いって」
「従兄殿―――!」
その余裕の姿は幼い姫君を激昂させるに当然の軽薄さだったろう、それに何より背後の視線が少し厳しいものに変わっていくのに気付いた手前、真面目に話を進めざるを得なかった。
「メザイア・フラン辺りから、何か聞いていない?」
ポンと、宥めすかすようにラシャラの頭の上に手を置きながら、凛音は尋ねた。
「姉さんから―――それって」
「”既に精神は破綻寸前”と言うヤツか?」
首を捻るキャイアの後を、アウラが引き継ぐ。凛音は一つ頷いた。
「もうちょっと何か無かった?」
「―――確か、後一押しでもしてしまえば、その……」
「限界を、迎えてしまう」
一度握った手のひらを持ち上げ、軽い仕草で開く。ポンと、何かが割れるように。
相も変わらず、重くなる一方の空気を物ともしないような、軽い仕草である。
流石にこの期に及んでも落ち着いた態度を示しているのだから、少女たちも疑念を覚えざるを得なかった。
「……やはり、剣士がこの状態に至るまでが、想定済みだったと言うことだな?」
代表するように問うアウラに、凛音は頷く。その表情は何故か、つらそうな微笑に変わっていた。
「うん。実際痛ましいとか申し訳ないとかは思うには思うんだけど、ね。他に完璧な形で剣士殿を取り戻すって方法が思いつかなかったから。―――対処療法的なやり方でこんな状態にまで落とし込めなくても済むやり方もあるにはあったんだけど、それだと、後遺症みたいなものが残っちゃうから」
認めたくは無いけど、仕方は無いと、凛音はそんな風に―――何よりも自分を納得させるように言った。
「とりあえず、一つだけ正確な答えをくれ。―――直るんだよな?」
何が、とは付け加えずにアウラは尋ねた。探るような視線、見渡せば、キャイアもラシャラも同様だった。
ラシャラの上に置いたままの手を撫で付けるように動かしながら、凛音は頷いた。
「直りますとも」
「―――直します、では無いな」
お前らしくも無いと、アウラは首を捻った。基本的に自分で始めたことは最後まで自分で始末をつける事を好む男だったから、何処か他人事のように言う態度は疑問に残るものだった。
凛音はその疑念に気付き、苦笑して応じる。
「まぁ、現実問題として僕にはお手上げの状態だから」
「おいっ!?」
ラシャラは、頭の上の凛音の手を振り払うように身を乗り出す。
剣士の今の状態が精神死だと言われて頭に血が上り、直ると言われて何とか落ち着いたところで、またこの物言いなのだから、穏やかな心で居られる筈もないだろう。
凛音はしかし激昂する彼女とは対照的に、払われた手をひらひらと動かしながら、笑った。
「いやいや、僕にはお手上げってだけでさ、ちゃんと方策は有るさ」
「―――それゆえ、”直ります”か」
「そう言う事」
「それで、結局具体的にはどうなるのよ。アンタ何時も何時も、話が回りくどすぎるわよ?」
何時もの調子に戻ってきたアウラと凛音の独特の空気に、遂に焦れたキャイアが口を挟んだ。
凛音は形だけの謝罪の言葉を言った後で、分の考えを整理するように天井へ視線をずらした。
それはシンプルに一言で纏める事が出来るような内容で―――しかし、恐らく誰もそれでは納得してくれないだろう事は解っていた。
どう言ったものか。結局、回りくどい言い回しになるしかないかと、凛音は微苦笑を浮かべて口を開いた。
「剣士殿が、神々の加護を受けているって話はしたっけ?」
「神? ―――それは、教会の奉る女神の祝福の事か?」
「まぁ、それもあってると言えばあってるかな」
突然出てきた単語に首を捻るアウラに、そんなのもあったねと凛音は頷いて先を続ける。
「教会とかの形式自体は別にどうでも良いんだけど、ようするに剣士殿はさ、とてもとても偉くて、本来なら人間一個人に干渉するような事はありえないような位の高い神様から、直接加護を授かっている訳なのさ」
「……はぁ」
断言するようにスピリチュアルな話を聞かされても、眉根を寄せるしかないのも当然だった。
だが、凛音は場の微妙な空気に気付きながらも言葉を続ける。
「でも、広い宇宙、進んだ文明ともなると”神”と言う概念の本質にもそれなりに触れて、偶像の崇拝なんて捨てて、果ては低階層次元の管理神なんかも一段も二段も飛び越して、直接”一番偉い神様”を崇め奉るようになったりするんだ」
「話の流れから察するに、もしやジェミナーの名も無き女神も」
「そう、”一番偉い”三柱の神様に属する。尺度が狂いそうになるほど古い時代には、神々は神々自身の思惑で、この三次元世界の様な低次元に直接干渉していたらしいから、その残滓が今も銀河中で発見されたりするんだ。偶像ではなく実在する超存在たる神々の痕跡―――我が故郷である樹雷も、そういった物が目に見えて存在するケースの一つだ」
「―――樹雷」
ユキネが背後でその言葉に反応した事に気付いたが、凛音は振り返ることはしなかった。
「ジェミナーも恐らく、先史文明期に神々との接触があったんだろうけど―――まぁ、その辺は割りとどうでも良いんだ」
「良いのか?」
核心に迫るような事を聞かされているつもりだったのに、アウラには気勢を制される気分だった。
しかし凛音は、あっさりとそれを肯定するように頷きながら、続ける。
「重要なのは、一つ。―――神々は”神々自身の思惑”で人界に干渉するという事だ」
「神々の思惑、か。何とも話が大きくなってきたの。―――しかし、そんな位階の高い存在の思惑など、妾達のような唯人に推し量れる訳もあるまい」
嘆息するように言うラシャラに、凛音は微笑を浮かべる。
「まぁ、ね。でも神々には神々なりの思惑があって―――むしろ、思惑が無ければ悪戯に人界に干渉しようなんて考えない筈なんだ。特に、このジェミナーで信仰されているような神とか、ウチの方で奉られている筈の神様とかは、幾らなんでも位階が高すぎるからね。猫を撫でるような気分で手を伸ばすだけで、次元を簡単に歪めてしまうほどの力を秘めているのだから、尚更だよ」
だから、必要に駆られない限りは、無闇にこの世界に干渉するはずが無いのだと、凛音は断言する。
「つまり―――そうか。剣士がその神々の加護を得ている事も、何か必ず意味があると言う事なのだな?」
「そう。見れば解る。剣士殿からは圧倒的といって良いほどの、神々の気配を感じる。―――普通在りえないよ、三柱全てだなんて。理由が無ければこんな事が起こる筈が無い」
真剣に過ぎる凛音の口調に若干押され気味になりながらも、アウラは首をひねった。黙考してみても理解が追いつかなかったのだ。
「それで結局―――それは、今の状況とどう繋がるんだ?」
「解らない? ―――まぁ、解らないよなぁ」
実物を知るものと知らないものの違いだろうと、凛音は苦笑しながら続ける。
「剣士殿の存在には神々の思惑が付き纏っている。僕たちのような低次元に存在するような者達には推し量れないような、思惑が。なら、さ。―――そんな思惑に縛られた人間が、こんな所で簡単にくたばる事を認められると思うかい?」
「それは―――」
ガイア。
この星で生きる人間にとって見れば恐るべき敵であろうが、凛音の視点で見れば”ちょっと危険な存在”でしかない。神々などと言う位階の存在からすれば、道端の蟻以下にもならないかもしれないだろう。
そんなちっぽけな存在に心を壊された程度で、剣士が科せられたその役目を終えるなどと言うことはどう考えたって在りえないというのが凛音の結論だった。
「神々は剣士殿がリタイアする事を認めないはずだ。恐らくこのまま放っておいてもいずれ何らかの手段で剣士殿は蘇るのだろうけど、生憎と、僕らは僕らの都合で、剣士殿には早めに立ち直ってもらわなければならない。―――さぁ、これで僕らは一箇所だけとは言え、神々と思惑が一致する所が出来た」
「……まさか」
得意げな口調で語る凛音の思惑に当たりをつけて、アウラが引き攣ったように声を漏らした。
「なら、簡単だ。僕らは剣士殿を自力で治す手段は無いけど―――僕らは都合よく、僕らと同様に剣士殿に直ってもらいたいと考えている、そして、剣士殿を直す手段を持っている存在に心当たりが出来た。―――餅は、餅屋」
軽い笑みを浮かべながら、凛音はくるりと身を反転させる。
視線が、静かに背後に佇んでいた従者と絡む。理知的な女性だったから、きっと次に凛音が言う言葉も察していたのだろう。
言う前に、頷いてくれた事が、たまらなく嬉しかった。
「一つ、神頼みに行こうじゃないか。―――名も無き女神との交信の地、”天地岩”へ」
※ 結界工房は(ワウの扱い的な意味でも)後回しっぽい。