・Scene 49-1・
人肌の温もりと言う物は、案外と特徴的なもので。
目を見開く前に、意識が深い闇の底から浮上する前に、凛音は自身が頭を乗せている柔らかい枕の存在に気付いていた。
懐かしい感触だなと、頬が緩んでしまう程に穏やかな気分になれる。
膝枕など、それこそ樹雷本星に訪れる以前の頃まで遡らねば記憶に無いことだったから、このまま瞳を開けてそれを終わらせてしまうと言うのも何処か寂しいと思えた。
「ん……」
吐息と共に漏れる、自分の声の幼さに失笑すら覚える。
額に掛かった前髪を、そっとたおやかな仕草で撫でられた感触が、酷く気恥ずかしかった。
この状況で何を、と言う話なのだろうが、このまま穏やかな気分に溺れていると、大抵決まって碌でもない目にあってしまうから、凛音は気を奮い立たせて口を開くしかない。
「初姉? ―――こういうの、鈴にからかわれるから止めてって、何時も……」
「リン?―――誰?」
前髪を緩く引っ張られた。柔い痛みに苦笑する。
「誰って……また鈴と喧嘩したの? 初姉の方が倍以上も年上なんだから、あの御転婆と同レベルの喧嘩なんて」
「―――ハツネ?」
「え?」
瞼の向こうで顔に被さった影の位置が少しだけ動いたことが解ったから、膝枕をしてくれている女性が首をかしげているのに気付けた。
―――自分が懐かしい夢の世界に居た事に、気付けた。
瞼を上げる。
少女の膝に頭を乗せていると言う現実は何も変わらずに、豊かな胸の上で、不思議そうに小首を傾げている少女の顔が、自身が思い描いていた人のものとはまるで違うその事実に、凛音は漸く気付いた。
「ユキネ―――、さん」
ぺし。
「―――痛いよ」
「さんは、要らないと思う」
ムスッと顔をしかめて、呟かれてしまった。腫れている訳も無い額を摩りながら、身を起こす。
そのついでに辺りを見渡してみると、此処二週間以上お世話になっていたシュリフォン王城の離宮の一室ではない事に気付いた。豪華な室内である事に変わりは無かったが、様式がシュリフォンのものとまるで違う。
窓の向こうの空が、存外近い位置にあった事で、どうやらシトレイユ皇家御用達の空中宮殿スワンの一室である事がわかった。
景色が動いている素振りも無く、喫水線辺りの高度まで浮かせたまま、シュリフォン王都郊外の森に停泊している形のようだ。
王都の様子は有体に言って、戦場跡と言うほか無いほど散々たる有様で―――主要道の一本から王宮の一角を削り取るように、抉られむき出しになった地面が、森を貫き海岸線まで続いているのが見えた。
「アレは一体―――……む」
ぱたん。
ベッドの上に座ったまま、窓の向こうに身を乗り出そうとしたら、さっと横合いから伸ばされた手に、開き戸を閉じられてしまった。
ガラス戸であるからして、そんな事をしても行使が邪魔になる程度で外の景色は当然見えたままなのだが―――不満そうな顔からして、見るなと言いたいらしい。
何となく、膝立ちとも胡坐とも付かない不自然な体勢のままで、不機嫌そうな少女と向き合う格好となってしまった。
頭を掻きつつ、状況を整理する。
目覚めたらスワンに居ました。
目覚める前は無理な戦闘を行う予定でした。
何故か妹と一緒にいるはずの年上の少女が、目の前に居ます。
高速で論理飛躍を繰り返しながら整理した結論として、まずまずそれなりの結果が得られたのだろうと凛音は判断した。
もし何か予定外の碌でもない事態が発生していたのであれば、目の前のこの少女が、あんな穏やかな顔をしていられる筈が無いからだ。
一つ大きな息を吐いて、凛音は改めてベッドの上に腰を下ろした。
正座を崩した楽な姿勢で同様にベッドに座っていた少女が、ぽんぽんと自分の腿を叩いている。
「……」
「……」
「―――……」
無言で向き合うこと暫し、折れたのは凛音の方だった。ごろりと、頭を少女の方へと向けて身体を投げ出す。
体勢を調整する必要も無いくらいぴったりと、少女の膝の上に頭が乗ってしまった。
自然な動作で髪を梳かれてしまうと、物凄い穏やかな気分になると同時に、こんなのんびりしている場合なのだろうかと言う焦燥感も同時に覚えてしまう。
―――と言うか、本当に実際どんな状況なのか。
まさか味方にノックアウトされるとは想像もしていなかった手前、目が覚めたら膝枕と言う状況は、正直理解に困る。
そも、何故この少女が此処に居るのか。距離的にどう考えても間に合わないだろうに、それを聞くべきなのか、聞いてはいけないのか。
酷く幼い顔になっているのだろうなと言う自覚はありつつも、改めて瞳を閉じたままで悶々としていると、少女が漸く口を開いた。
「ハツネって……?」
―――聞いてはいけないらしい。
得も居得ぬ脱力感が湧き上がってくるのに身を任せるままに、凛音は此処以外の全ての状況を一旦忘却する事に決めた。
助成に個人的な時間を望まれるというのは最高の贅沢だろうしな、等と愚にも付かない思いで無理やり自分を納得させながら、凛音は少女の言葉に応じる。
「初姉―――甘木初音。僕の一番上の姉だよ。雪姉―――ええと、二番目の姉さんだけど、その人と一緒に、僕の殆ど親代わりだった人かな」
「お姉さん、二人居たんだ」
「うん。他に、紫音って名前の兄さんが一人―――ああ、二人の間に挟まるんだけど。五人兄妹の甘ったれな末っ子だよ、僕は」
「そんな感じだよね」
茶化した言葉を穏やかな声で肯定されてしまうと、反論する気も起きなかった。
目を閉じたままクスリと微笑むと、少女も同様に微笑んでいるのだろう気配が伝わってきた。
「あれ、―――じゃあリンって子は?」
話に出てきたのは凛音を含めて四人である。そして、五人兄妹の末っ子と言うくせに、兄姉併せて三人しか居なかった。一人足りないという疑問も当然である。
凛音は膝の上に頭を置いたまま、軽く顎を引いて頷いた。
「鈴―――鈴音はね、僕の妹……と言うか、姉と言うか。双子なんだよ、早い話」
「……双子?」
流石に少し驚いたような声が伝わってきた。
「それに貴方と名前……」
「うん、字が違うんだけど、響きがね。何か、生まれてくるのが男か女かで、使う字を選んでおいたら、男女の双子だったから、両方使う事にしたって母さんが笑ってたかな」
気分だけ肩を竦めて、あっさりと応じる。単純すぎるよねと微苦笑を浮かべると、少女も困った風に笑った。
「少し……紛らわしいね?」
「家族皆でそれ言ってたよ。―――で、結局僕じゃない方を”鈴”ってだけ呼ぶようになって、僕の方をフルネームでって分けるようにいつの間にかなってたんだ。鈴は、”何か自分の方が扱いが悪い”って、時々不貞腐れてたかな」
「そうなんだ」
「うん、何か自分の方が省略されると後から生まれてきたみたいで、嫌なんだと」
「―――そう、なんだ」
若干疲れたような苦笑を浮かべている少女の想像の中の双子の妹だか姉だかが、どのような姿になっているのか、実に興味深い事だった。
「ま、見た目性格も全く似てないんだけどね」
「そうなの?」
本人が居ないのをいい事に、好き勝手に主観で評してしまうのも後々怖い様な気がして、凛音は付け加えるように言った。
「うん。生まれてくる時に、知性と体力のパラメーターの配分を間違ったって評判でね。病弱で引きこもりがちだった僕とは正反対で、開拓惑星の上を一日中駆け回って笑ってるような脳筋な娘っ子でさ。そんなだから全然趣味がかみ合わなかったな」
それにそもそも、当時は唯一つの事に我武者羅に生命を捧げているような部分が強かったので、親兄妹含めた全ての人間と、極端に係わり合いを持たないようにしていた気がする。一種の狂信的な信仰のあり方を実践していたともいえるかもしれない。
「―――結局、樹雷へ行くからって僕一人が家を出た時まで、殆ど仲良く遊んだような記憶も無いや」
今頃何をやっているのだろうか―――そもそも、最後に別れてから七百余年。
貧乏皇家と名高い実家の人々が、延命調整を重ねているかも疑わしい所である。とっくに死んでいてもおかしくないのだと、今更ながらに気付いた。
「会いたい、の?」
瞳を閉じたまま自分の言葉に考え込む風になってしまった凛音の頭上から、穏やかな少女の声が降り注いだ。
「会いたい、か……」
言われて考えてしまうような段階で、それほど執着心は無いのだろうなと、自分の情の薄さに愕然としなくも無かった。
「鈴よりもまず、マリアに会いたいかな―――って言えば、此処は正解なのかな」
冗談めかして、実際それが本音だった。
どう、と片目だけを開けて少女にお伺いを立ててみると、小さく小首を傾げられた。
「―――ギリギリ、及第点ってとこかな」
「……案外、厳しいね」
割と意外な答えだったので、本音の呟きを漏らしてしまうと、少女は解らないかなと薄く微笑む。
ああ、なるほどと、凛音は一つ頷いて見せた。
今の状況を整理してみれば、そんな答えが返ってくるのも一目瞭然といえるだろう。
穏やかな日差しが差し込む、柔らかいベッドの上。 少女の膝の温もりに頭を預けて。
「また会えて良かったよ、ユキネ」
合格、と。そんな言葉が返って来た。
※ 久しぶりにお姉ちゃんにひたすら甘える回。原作編に入ってから出番減ってたからね! 姉力補充せんと。
ところで、五人兄弟の第五子ってのは後付ではなく当初のプロット通りだったり。
おっとり、ツンデレ、クーデレと選り取りみどりである、多分。
因みに親父の名前は慈音(じおん)である。どうでも良い話ですが。