・Scene 48-6・
轟音は三度連続で鳴り響いた。
天空高くより下された鉄の雨。
亜法により文明を成すこのジェミナーにおいて、文明の手の届かぬ場所、エナの喫水を越えた遥か空高くより、砲弾は飛来した。
一撃が左腕を、二撃目が振り上げられていた右腕を穿つ。
最後の一撃は、バランスの崩れた黒い聖機人からアウラが離れた瞬間に、コアの真下の下腹部の中央、竜骨が通り下半身と亜法結界炉を繋いでいる部分を間違いなく直撃した。
コア頭部のみとなった剣士の操る黒い聖機人の上半身が、背骨をねじ切られた衝撃で回転しながら横殴りに街路に並ぶ民家に叩きつけられた。
急激にエネルギーの循環路を破壊された影響下、叩きつけられた背部の亜法結界炉からくぐもったような爆発音が連続して響き、煙がたなびく。
透過結晶で構成されたコアに幾筋もの皹が走り、濁った色へと変色していくのを見れば、それが聖機人としての機能を完全に消失したのだと見るのが当然だった。
最後の瞬きとばかりに、エナの燐光―――最早閃光ともいえる煌きと共に空気すら揺らす振動波が吹き上がった後には、倒壊した家屋に埋もれて腹を晒す、四肢をもがれた黒い聖機人の姿が残るのみだ。
柾木剣士は、これで完全に無力化された。
恐らくはきっと、中で気を失ってしまっている事だろう。
自身が放つ膨大な亜法振動波に脳生理を揺すられ、なけなし残っていた、僅かな正常な精神も、最早完全に打ち壊されて―――意識が残っていたとしても、意思が残っているとは思えない。
「―――剣士」
各座した自らの聖機人の中で、ドールは苦渋の声を漏らす。視界に剣士の居る筈の場所を納めながら。
そこから視線が外せない。その中に居る剣士が、今どのような状態か、察するに易い知識を彼女は有していたから。
一度壊してバラバラにしたパズルを、滅茶苦茶な形に繋ぎとめて、隙間に好き勝手に粘土を流し込んだ様なもの。
それが、今のババルンの支配下にあった剣士の精神の状態だ。
精密な、唯一つの完成形でのみ形作られるパズルを、無茶苦茶な形で完成させたのだからそれが破綻するのは当然だ。
しかも、無茶苦茶に繋ぎ合わせたのだから―――当然、本来合わさらないパズルのピース同士が、各々を傷つけ合い、歪め合う。それは、元の形を取り戻せないほどに。
そして更に、外側から押し付けた本来存在しないピースまでそれらの中に混じってしまっているのだから、今の剣士の心の内部は混沌と表するに余りある状態だろう。
それこそ、二度と修復不可能なほどに。
ギリ、と音を鳴らすほどに奥歯をかみ締める。
自分の選択が間違っていたとは思えない。ガイアの傍で、日々壊れていく剣士の姿は見るに耐えないものだったから。本来あるべき柔らかな温かみのある笑顔が、どんどんと虚ろなそれに変わっていく様は、ドールにとって心を凍りつかせるものだった。
ただでさえ、ネイザイがあんな状態なのだ。そこに剣士までが破綻へと突き進む姿を並べられてしまえば、ただ一人正常な神経を保っているドールには辛い。
だからこそ、である。彼女がアマギリ・ナナダンに協力しようと考えたのは。
ドールの個人的な趣味では好みとは全く程遠い人間ではあったが、その能力には一定の信用が置ける―――しかも、剣士の事を酷く大事にしている事が見て取れた。
何よりも、どうやら自分には―――それどころか、先史、現代ジェミナーの何処を探しても存在しないような技術と知識を持ち合わせているのが素晴らしい。
ドールにとっては最早剣士を救う―――もとの剣士に戻す手立てが思いつかなかったが、彼ならば、と期待を抱かずにはいられなかったのだ。先史文明末期に残されていたほぼ全ての知識を受け継いでいるドールにすら想像し得ない方法で、剣士を救ってくれるのではないかと。
「あの子にしてみれば、私が協力する事も織り込み済みだったって事かしらね……」
剣を構えた体勢のまま動きを止めたキャイアの聖機人から、片足だけでバネを作って身を離しながら、ドールは呟く。
念のためと言った調子で獲物を剣士の機体に向けたままのアウラに比べて、妹は如何にも突発的な事態の対処に弱いのが見て取れた。王族の警護の任についているものとして、些か問題があるように思えてならない。教師として鍛え方を間違っただろうか。
その辺りの柔軟性に欠けた部分も、剣士が居れば本来は補えたのだろうが―――生憎現在、妹の傍に居る男はアマギリとダグマイアのみ。
二人とも自信家で世に拗ねた部分を多分に持ち合わせている処があって、どうにもキャイアとは相性が悪い。
あの二人が進んでキャイアを支えてくれるとはとても思えない。
「そういう意味でも、剣士。期待しているんだから……」
早く悪い夢から覚めて、元の剣士に戻って欲しいと願わずに居られない。後は託す事しか出来ない自分を、惨めとすら思う。
「―――?」
その時、彼女等が居た通りの一角を、影が覆った。
見上げる。飛空艇だろうかと思ったが、それにしては影が小さすぎる。
「あれは……」
まず真っ先に認識できたのは、巨大な二等辺三角形。その頂点から底辺に走る部分に、人型が括りつけられている。随分高い位置に居るそれは、ゆっくりと旋回しながら高度を落としてこの場所へと着地しようとしているらしい。
飛空艇の静止している高度との差から考えても、明らかに喫水外を飛翔しているのだ。それも、自在に。
二等辺三角形の底部両端に備わった円柱状の物体から青白い筋を吹き上げて、角度を調節している。
そして中央にぶら下がっていた人型が、長大な狙撃銃を手にした聖機人であると解った段階で、ドールは戦慄に駆られた。
「―――聖機人の、喫水外運用ユニット……!?」
喫水外を飛行する手段と言う物は、少ないが確かに存在する。亜法文明が発達してしまったジェミナーにおいては、コストに見合わぬ手段として、余り用いられていないが、無い事は無いのだ。
しかし、亜法文明の成果である聖機人を喫水外の高高度で運用する方法は、未だ存在し得なかった筈である。
そう、喫水外においてもコクーンに戻らず、明らかに聖機人として顕現して武器を構えている以上、アレはその未知の成果を達成しているのだ。
「また碌でもないもの作るわね、あの子……」
唖然とした口調で、ドールは呟く。
有線形式ではない完全な喫水外運用に成功していると言うのであれば、それは聖機人用に用いる高出力の亜法結界炉を起動するに足るエネルギーの確保に成功した事に他ならない。それとも、亜法結界炉と代用可能な動力源を精製したのか。
どちらであれ、戦争どころか社会のルールすら一変させてしまうような恐ろしい発明だった。
停滞による安定を何よりとするネイザイが、彼を毛嫌いする理由も解ろうというものである。
「でも、今回はそれで助けられたのかしら」
聖機人の形状から見るに、アレにはユキネ・メアが乗っているらしい。そして、手にした狙撃銃で、アウラが一瞬足止めすることに成功させた、剣士の聖機人を狙撃したのだろう。
ユキネは確か、ハヴォニワ王都を襲撃した折、ナナダン親子と共に飛空艇で脱出して、ハヴォニワの東部辺境辺りに潜伏していた筈だったから、このシュリフォン王都まで来ようと思えば一昼夜ではとても足りないほどの時間が掛かる。
「とすると、背中の三角は高機動ユニットなのかしら。……って事は、アレを外せば本当に喫水外での全力運用が可能って事?」
元々、彼は喫水外でも限定的に運用可能な特殊な形状をした聖機人を操っていた手前もある、その辺りのノウハウから完全な喫水外運用―――そこから更に発展させた長距離高速飛行能力を聖機人に備える事すら可能なのかもしれない。
「ホント、こんな立場じゃなければ絶対に敵に回したく無いわ……」
妹と同様に、人間的には全く彼の事を好きになれなかったが、その気分のままで対立しようとは考えない辺りは、相応に歳を重ねているが故なのだろう。むしろ、苦手な部類の人間だからこそ敵に回さないようにしておくべき。今回の一件も、状況を整理してみれば彼に対して恩を売った形にもなることだし、剣士のためにもなり、更にガイアの行動を妨害したことを加えれば、良い事尽くめである。
一々行動に枷が付き纏い、迂闊な行動を取れずに悶々とする日々を送っている彼女にとっては、久しぶりに気が晴れる状況と言えた。
「―――それじゃ、後は最後の仕上げね」
薄く笑って、ドールは誰にともなく呟く。
剣士の事で、彼女に出来る事は既に全て終わっていたから。後のことは、あの男のやらかすであろう常識外の行動に期待するしかない。
故に、彼女は今は、自分がやるべき事をやるだけ。
丁度飛びのいて着地した場所に、キャイアの一撃で取り落とした大鎌が突き立って居たから、それを躊躇いなく引き抜く。
剣士からはもう、名残惜しいけど視線を外して、背中に背負っていた三角形をたたんで着地したユキネの聖機人と、それを迎えるように構えを解いたアウラの聖機人に意識を移す。
大鎌を支えに、残った片足を撓めて。
剣を降ろして四肢をもがれた剣士の機体へと駆け寄るキャイアの聖機人に苦笑しながらも、ドールは行動を止めなかった。
跳ねる。
石畳を踏み割りながら。直線機動で最速の接近が出来れば尚良かったのだが、片腕だけで鎌を振り回す関係上、遠心力を上手く活用するためにもある程度の高さまで跳躍することは必然だった。
突然背後で飛び上がった、ドールの機体の起こした石畳を割る音に、アウラとユキネの聖機人が反応を見せる。
―――遅い。皆、戦場では一時たりとも油断してはいけないと教えた筈なのに。
教え方が悪かったのだろうかと、今日は一々、教師としての自分の才覚を疑うような状況ばかりで、苦笑が止まらない。
慌てて反応して、漸くドールが空にいたことに、彼女たちは気付いたようだが、もう、遅すぎる。
今から動いても、もう避けられない。
振りぬく鎌の一撃は、容易く二体の聖機人を両断してみせるだろう。
これがだから、最後の仕上げ。
剣士を救いたいと言う自身の思いに、何ら矛盾していると言う気持ちを思うはずもなく、ドールはその名に相応しい機械的な正確さで、色の無い動作で、ただただ、己の成すべき役目を全うする。
『なるほどな』
哂うガイア。色の無い顔で、話してはいけない全てを語ってしまったネイザイ―――ユライトの言葉を聞いて。
『とは言え、ヤツも中々の打ち手であるから……念には念を入れるべきと私は考える』
赤い瞳を、無表情のまま聞いていたドールへと移す。
『”自分だけが正しい”そんな思い込みが通用しない事は、他ならぬこの賢しくも愚かな弟が証明してくれているが故に。それに何より―――遊びとは真剣に挑んでこそ、面白いのだ』
さもおかしげに語るガイアの言葉を、ドールは何一つ口を挟まずに聞いていた。
ガイアの言葉に逆らう必要など無い事を、ドールは何よりもよく理解していたから。
『裏の裏を斯いたつもりで―――更に裏をと言うつもりだろう。ならば、だ。その更に裏を突いて行けば、ヤツはどんな反応を見せてくれると思う?』
疑問系で語られたところで、ドールが口を開く事はありえない。
ドールは、ガイアの命令を聞く以外の事をする必要が無いと、正しい心で理解していたから。
故に。
彼女はガイアの予想通りに進んだこの展開に合わせて、前もって下されていた命令通りの行動に移る。
アマギリ・ナナダン本人の姿が見えないのが一抹の不安を抱かせる部分だったが、やむを得まい。
寝かせた、とアウラは言っていた。森の向こうから彼女等は来たことからも考えて、恐らくはそちらを探せば発見する事も容易いだろう。
発見できなくても―――それはそれで、彼女には何も問題ない。
命令どおりに動いて、そして失敗する。それは仕方が無いと受け入れられる”解釈の自由度”を、彼女は有していたから。これは、剣士にもネイザイにも与えられていない、彼女だけに残された―――それゆえ、彼女は自分を疑わない。
「最後まで、絶対に油断してはいけなかったのよ、あなた達は―――」
大鎌が振り下ろされる最後の一瞬に、ドールは呟いた。
彼女が育てた生徒たちと、今生の別れを告げる言葉を。自身の一撃が確実に少女たちの命を奪うと、解っていたから。
そして。
斬と、空すら切り裂く金切り音が響き。
―――彼女は自らの言葉そのままに、油断の不意を突かれて。
森の奥から飛び出してきた赤と青の聖機人の手により、地に叩きつけられた。
『所詮貴様も利用されるだけの人形と言う事か。―――無様じゃないか、ドール』
侮蔑そのままの少年の言葉こそが、強い衝撃を受けて意識を飛ばしかけている、ドールが最後に聞いた言葉だった。
※ 危うくフェードアウトさせる所でしたよ、彼。