・Scene 48-5・
そもそも正気の人間は、自分の事を、わざわざ”正気だ”と宣言したりはしない。
―――それに付随するような内容が会話尻に混ざっていたら、要注意だ。
昨夜、凛音がついでとばかりに語っていた言葉を思い出して、アウラは内心苦い気分が覚えていた。
それぞれが同様に決意の眼差しを秘めて聖機人の中へと戻っていくのを横目にしながら、アウラだけがただ一人。
此処でメザイアと会話を出来るとまでは想定していなかったアウラにとっては、かなり最悪の事態に陥ったのではないかと言う感触がある。
「正気の人間は―――では”正気だ”などと語る人間は」
わざわざ言葉に乗せて、纏める必要すらない思考を纏める努力をする。纏め方次第で、最悪の予感を退けられるのではないかと思って。
だが、結論が変わるはずが無い。
この状況まで予め予測して居たのだろう凛音にとっては、対策すら思いついていたに違いない。
ただ、一つ彼の予測と違う事があるとすれば、彼自身がこの場に居なかった事―――そして、この事態を予測できなかったアウラは、最早止めようもなく進みだそうとしている状況に対する、最善の解決策を思いつく事が出来なかった。
「ただでさえ、剣士だけでも……」
至難と言う言葉だけで括りたくないほどの難事だというのに、それに、加えて。
ゆっくりと立ち上がり、決闘の合図のようにキャイアの聖機人とそれぞれの獲物を向け合う、黒い聖機人。
止めるべきかとも思うが、状況をまるで疑っていないキャイアからすれば―――メザイアもまた、”疑っていない”事はおなじなのだろうが―――そんな事をされても戸惑うだけだろうし、何より、此処で制止に入ってしまえば全ての段取りが崩れてしまう。
そして恐らく止めに入ったが最後、全てを理解したガイアに足をすくわれるのは確実で、剣士の奪還の機会は二度と失われる事になるだろう。
「どうすれば良い、どうすれば……。お前なら、どうする?」
どうする―――つもりだったのか。
アウラ自身の手で眠らせてしまったのだから、答えてくれる筈も無い。
きっと彼の中には解があったのだろうとは思うのだ。
ならば、その解を彼の立場にたって想像してみれば―――想像してみて、余りにもあっけなく解を導き出せてしまったお陰で、アウラは更に表情を苦いものに変えた。
元より敵ばかりが有利の無茶な状況で、無茶を成さねばならないのだから。
眠らせた自分の判断は何も間違っていないと、アウラは何の衒いもなくそう思うことが出来た。彼女の立場からすれば、彼のやり方は許容できない、それだけは例え状況が悪化した今でも変わっていないのだから。
優位な状況が一転、知らなかった事実に覆されようとしている。
―――ならば。
その事態を覆す事が出来る力もまた、自分以外の誰も知ることの無い力―――そうである、筈だ。
「見込みは、薄いかもな……」
アウラは自身の希望的観測を呟き、薄く哂う。
”何となくこのまま上手く行くんじゃないか”、そんな風に考えた次の瞬間に大惨事が発生したのが直ぐ前の聖地での一件だったというのに、自分は全然それを生かせていない事に気付かされたからだ。
聖地での敗因は、状況を完全にコントロールし切れなかった事。
―――戦略を勝手に指定され、戦術レベルで幾ら小細工を弄しても、やはり無理があった。
戦う前から、負けは決まっていたのかもしれない。
確かにそう聞いていた筈なのに。凛音の力を当てにしないという現状、自分から優位性を捨ててしまったのと同じではないか。
これでは、負けて当然。ただでさえ此処の力量ではこちらが圧倒的に劣っているのに、数の優位すら明け渡すなど愚かなことだ。
「―――数、か」
ふと、アウラは自身の思考の中から、その言葉を拾い上げた。
数。
敵は剣士とメザイア。二体の聖機人。
立ち向かうのは、アウラとキャイア。それからシュリフォンの近衛達。優秀な聖機師を揃えているが能力的にはアウラたちとそこまで差は無い。つまり、剣士達との単独での戦闘力は、相変わらず圧倒的に負けている。
そもそも三体の敵に対して十倍近くの戦力を投入して、漸く足止めが叶うなどと言う非常識この上ない状況なのだ。
ならば、せめて数だけでも。増やせるだけ増やしておきたい。
アウラしか知らぬ切り札も確かにあるが、それは剣士に向けねばならないから―――最悪の事態。
今まさに、示し合わせた結果に至る筈の戦いを始めそうな黒い聖機人に向けねばならない戦力が、やはり必要だ。
凛音のやり方は真似できない―――させられない。
ならば、凛音が絶対に取らない方法。やり方が―――そんな都合よく。
「あるんだが……これは、吉と出るか凶と出るか」
最早躊躇っている時間も無いと、手短に暗号通信文書を作成して、送信する。
せめて、凶と凶が重なり合って吉に転じれば良いのだがと祈りを託しながら。
「腕だけは信用できる―――だから、使う。そう、お前がキャイアの力を利用しようとしているのと、同じだ。同じ―――筈だと思うんだが……良いのか、なぁ?」
誰に言い訳するでもなくアウラは白々しい言葉を呟く。
後が怖いなと言う予感と、後を期待できる安心感とを、アウラが弄んでいる間に、遂に事態は動いた。
『はぁぁぁぁぁぁぁああっ!』
『―――っ、シィァッ!』
正しく示し合わせたと表するしかないタイミングで、姉妹が機体を踏み込ませる。
下段から振り上げるキャイアの剣が、”最適な”タイミングでメザイアが大上段から振り下ろした大鎌を弾き飛ばす。
回転しながら空を切り裂き飛んで行く大鎌の行方を見やっている暇もなく、戦闘―――らしきもの―――は続く。獲物を失ったメザイアが、それでも刃を重ね合わせたかのような禍々しい意匠を持つ腕を振り被り手刀の体勢を取ろうとするが、最早低い体勢で身体を懐に潜り込ませたキャイアの聖機人に届かせるには、”余りにも遅すぎた”。
『姉ぇ、さん!!』
『―――くぅっ!?』
気合一喝とともに、踏み込んだ両足に力を込めて、キャイアの聖機人がチャージを掛ける。街路に沿って建てられていた家屋を破壊しながら、一気に黒い聖機人を、一本ずれた街路へと押し出していく。
黒い聖機人は、その勢いに”抗いようもなく”背中で木造の家屋を倒壊させながら押し出されるままだ。
たたらを踏んで向かいの街路に踏み出した黒い聖機人。
酷い体勢から何とか打ち出した手刀の一撃を、キャイアの赤い聖機人は容易く掻い潜り、突き出されてきた腕を逆に切り落とし、返す刀で頭を刎ねる。遂に向かえた稼動限界による劣化によって片方の膝から下がひしゃげて崩れ、それでも、しかし赤い聖機人はドールに倒れることを許さず、コアに蹴りを叩き込み、機体を浮かす。
当然、次に放たれるのは止めとなるであろう一撃。
身体を弓のように引き絞り、番えられた矢のように、先端を黒い聖機人のコアに向けて構える。
回避は不可能。絶対必死の一撃が、今まさに放たれようとして。
そして、膨大な亜法波が少し離れた場所から発生したのは、その時だった。
猛然と湧き上がり、周囲のエナにその属性に相応しい黒い燐光を巻き上がらせていく、それは見間違いようも無い。
両腕、背中に供えた亜法結界炉を最大出力で起動している剣士の黒に染まった聖機人。
発生した凄まじい亜法振動によって周囲に居たシュリフォンの聖機人達を無力化していく。
獣のように背を曲げて、広く開いた両足を地につけ、腕をだらりと下げているその姿は、獲物に飛び掛るために力を蓄えている姿を思い起こさせる。
「―――空恐ろしいものだな」
何よりもまず、これからそれに向かって特攻しようと思っている自分の精神が。ついで、それについて来てくれるはずの臣下達の忠誠が。
「亜法酔いには気をつけろ。各々気を確りと持ち、勤めを―――果たせ」
応―――!
通信機越しに重なる声と、それが接近行動に移ったのはほぼ同時だった。
アウラが指示するよりもよほど早く、背後から彼女の機体を追い抜いて、接近してくる黒い獣に突貫していくシュリフォンの聖機人達。
振り上げる腕で、まず一機がやられた。
肘の位置に付いた刃上の突起を振るった、聖機人の鋼の腕を切り飛ばしたその衝撃で、黒い聖機人は自らの腕を消失した。
劣化だ。あふれ出す自らの膨大すぎる亜法波に、機体が耐え切れて居ない。
二機目は、下から掬い上げられる様に投げ飛ばされ、地面にもんどりうった。
聖機人の自重を支えるために力を使いきったのだろうか、メザイアの機体と同様に、踝の関節が割れて、潰れた。
当然だが、それで止まる筈も無い。身体をねじり、背後に投げ飛ばしたシュリフォンの聖機人の腹に、手にしていた長剣を突き立てる。
三機目は余りにもあっさりと味方がやられたことに動揺している間に、押し倒され残った足で高く跳躍した黒い聖機人に、思い切りコアを踏み潰された。透過結晶がひび割れ、循環液が血の様に吹き上がる。
黒い聖機人は止まらない。
膨大な亜法波を撒き散らすまま、聖機人をボロ雑巾のように引きちぎりながら、真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに、仲間である筈の黒い聖機人の元へと駆け続ける。
シュリフォンの勇者たちが与えたダメージは皆無に等しい。ただ、障害物に過ぎないそれらを排除した時に、自らの力を支えきれずに、徐々に自壊していくのみに過ぎなかった。
最早障害となるべきシュリフォンの聖機人は存在しない。
数秒の間も置かず、剣士はメザイアの下へとたどり着くだろう。
最後の砦となってしまったアウラにとっての、それが、正念場と言えた。
機会は、一瞬。
―――”一瞬でもいいから”。
『剣士ぃぃぃぃぃ―――っ!!』
怒号はむしろ、自らを奮い立たせるためのものだ。
剣士の接近は止まる気配は無い。近づくにつれ増大する亜法振動波によって、胃の奥から嫌な熱を持つものが沸きあがってきそうに思えた。堪える。集中する。
横凪に―――自らに向かって振り払われようとしているその腕に、全神経をアウラは集中した。
背後に居るキャイアも巻き込んでしまうと言う関係もあって、ただ生存本能の赴くままに”自己”の領域を拡大する負の領域は展開できない。
一撃を凌ぎ、剣士の足を止めるのは―――ただ、アウラ自身の聖機師としての能力に頼るしかない。
しかし超速で繰り出された手刀に自らの獲物を合わせるのは、如何なダークエルフの反応速度をもってしても不可能だろう。
タイミングを外され、容易く打ち払われてしまうのがオチだ。
それでは足止めにならない―――ならば。
死中に活。否、活など求める必要すらなく、全ての選択肢を消去して、武器を手放し両腕を広げて、アウラは剣士の機体にそのまま自らの機体で体当たりを仕掛けた。
繰り出された剣士の一撃が、体制を低くタックルを放ったアウラの機体の後頭部と背中の装甲を弾き飛ばすが―――しかし、アウラの目論見は成功した。
我が身を省みない突貫。速度と質量が齎す凄まじい衝撃。
踏みとどまり、堪える。ゼロ距離によってより一層激しくなった振動波からも。
ただ、剣士をこの場に止めると言う一点のみに集中して。
そしてアウラにとって幸運だったのは―――剣士の聖機人は、片足が既に破損していた事だろう。
連続跳躍によりそのハンデを凌いでいたのだが、一度でもそれが止まってしまえば、勢いが一気に殺されてしまう。次への行動のために、その場で力をためなければならない。
ましてや、全身で腰元にアウラの聖機人が組み付いているとあっては、それは避けようも無い事だろう。
『あ、あぁあ!? うあぁぁああぁぁぁああぁぁっ!!』
苦しんでいるとしか思いようの無い絶叫が響き渡る。
もがく様に、腕を振り上げて、背中を晒したアウラの聖機人に向かって突き立てようと、恐らくは最早正気ではないだろうに、無意識のままに。
剣士は止まらなければならない。最悪の事態を避けるために。
アウラは避けねばならない。自らの命を守るために。
だが両者ともに、それは不可能と言わざるを得なかった。アウラは動けず、剣士はもう、止まれない。
―――ならば。
「今だっ!!」
『了解―――っ!』
それを止める力を持つのは、その場に居ない天よりの一撃に他ならない。
轟。
聖機人の金属の外殻を打ち砕く音が、響き渡った。
※ だいじょうぶだ・・・おれはしょうきにもどった!