・Scene 46-4・
「お兄―――っ、やはり!」
アマキリ・ンネ―――違う。
甘木凛音。
アマギリ・ナナダンなる適当な単語を繋げた様な仮の名前を有していた、マリアの―――やはり、仮初の兄の、それが本当の名前。
如何にも異世界人らしく、家名が前に来ている事からも、信憑性が非常に高い。
遂に知ってしまったその名前に、驚愕の面持ちを―――浮かべているのは、ぶっちゃけマリアだけである。
「……よく考えたら、何であなた達はそんなに落ち着いて、さも当然のように話してらしたのですか」
母はニコニコしているだけだし、ユキネは何を考えているのやら、無言で茶を啜っている。ワウアンリーなどは、”え? 知らなかったの? ”みたいな実に忌々しい顔をしていた。
「やー、あたし四月の半ば辺りには聞いてましたんで、てっきり皆様も……」
「あらワウちゃんたら早いのね。私この間のバカンスの初日に初めて聞いたわよ」
「―――私は今日、初めて聞いた」
何て事の無いように自己申告を始める年長者達の態度に、マリアも驚愕している自分が、いっそ恥ずかしく思えてしまう。
「……ユキネが何も驚いていないのが不思議ですが」
「お姉さんが居るって聞いてたから、―――大体予想通り」
ジト目で、自身と同様に今初めて兄の名前を知った筈の従者を睨んでみると、楚々とした態度で返答された。
「お姉さん―――と言うと確か、アレですわよね、貴女と同じ名前の」
『あ、そういえば因みに、一人だけ名前が思い出せた人が居るんだ。僕には雪音と言う名前の姉が居た。これは絶対だ。間違いない』
雪音―――”ユキネ”。
本人が”アマキ”なる家名であるなら、姉であるその人の家名もアマキ―――繋げれば、アマキユキネ。
「先ほど聞いたお兄様のお名前が”アマキリンネ”で―――そっか、アマキリ……アマギリで、”ネ”ですね」
異世界人の名前は表意文字で記されているから、おそらく”ネ”と言う共通の意味を持つ単語を、姉弟で共通させているのだろう。
アマギリと言う名前も、何やら熱を出して朦朧としていたときに自身が口走っていた単語を組み合わせて名付けたとか言う由来だった筈だから、なるほど、改めて整理してみると直ぐに気付けそうなものですらある。
いや、でもそれと驚かないのとは違うと思う。
「と言うか、なんでワウアンリーは四月!? え? あの方その頃にはもう……!?」
一番驚く所なのはそこだと思う―――と思うのだが、思っているのはマリアだけらしい。一斉に何を今更と言うか緒をされた。
ワウアンリーが苦笑交じりに頭をかく。鎖がジャラジャラと五月蝿かった。
「あはは、あたしはホラ、お仕事柄他所に広げられない話も色々聞かされてますから。特にあの頃は、殿下も結構不安定な感じでしたからねー」
「不安、定……?」
さらりと深い絆を感じさせるワウアンリーの言葉に、首を捻る。
当時―――四月の半ば頃となると、マリア自身も聖地学院に通学し始めた頃で、色々と苦労していた記憶も―――あるだろうか。
正直、あの頃は何やら物思いに沈む事が多かったから、あまり記憶に無いというのが本当だ。兄とも殆ど顔を合わせていなかった気がする。同じ屋敷で暮らしていたというのに、片や聖地、片や城と言う遠距離で暮らしていた頃よりも薄い繋がりになりかけていた頃だった。
「マリア様も不安定だった頃だ」
「ええ。兄妹で二人して微妙な感じで、我々従者一同が非常に居心地が悪かった時期です」
ユキネの言葉に、ワウアンリーが大いに頷く。ユキネはそのあと少し考えるように天に視線を逸らして、言う。
「―――……”舞踏会”も、ひょっとしてその流れ?」
「ああ、ありましたねそんなの。いい感じにからまわってましたよね、あの辺」
「普段はもうちょっと余裕あるもんね」
納得と、ユキネは微苦笑交じりに頷いた。
「……そこで何故私を見るのですか、ユキネ」
「―――普段は、もうちょっと余裕があるもん……ね?」
「疑問系にするんじゃありません!!」
マリアは思いっきりテーブルを叩いて声を荒げた。どう考えても微塵も余裕が無い態度である。
舞踏会と言うと、一連のアレでソレな結末に至るあの辺の事態である。
思い返すに良い思い出になっているとは思うが、正直余り思い出すべきでもない嬉し恥ずかしな、つまりはそんな感じである。
「四月の頭辺りにホラ、剣士が現れたじゃないですか。あの辺りで何ていうか、”霧が晴れてきた”みたいなこと言ってましたから」
「きっかけは、―――剣士さんですか」
兄が柾木剣士なるラシャラの従者の少年にご執心だったのは知っている。その少年が、異世界人だということも。
「ジュライ―――でしたっけ? 凛音様の故郷の。剣士は何でも、その国の皇家の直系に位置する人なんじゃないかって」
凛音自身は木端分家に過ぎないらしいですけどと、ワウアンリーは腕を組んで一々思い出しながら言う。
「詳しい、ですわね?」
「あたしあの方の愚痴を聞くのが仕事の大部分ですし」
ほかの事は大抵一人で出来ますからねーと、笑いながら言ってのけるワウアンリーは、マリアには急に遠い存在に思えてきた。
「そういえば、あの頃から会話の端々に固有名詞が出てくることが増えてたね」
「貴女は貴女で、よく見てますわね……」
思い返しながら小首を捻るユキネが、何時も以上に大人に見えた。
自分ひとりでいっぱいいっぱいだったマリアに比べて、二人ともちゃんと周りの事が見えている。
「まぁまぁマリアちゃん。そこで”自分のために不安定になっていてくれたんだ”って思ってあげるのが女の甲斐性ってものよ?」
少しへこんでいた娘の内心を察してか、フローラが微笑を浮かべて口を挟む。
尤も、フォローしている当人の、その余裕の態度が余計にマリアを惨めな気分にさせるのだが。
「なんだか、私だけ何も気付かずに自分の事ではしゃいでいるだけで。―――情け無いですね」
「あー、そういうのとも違うと思いますけど」
余計な話をしちゃったかなぁと、沈んだ様子のマリアに、ワウアンリーは苦笑を浮かべる。
「どうせ私はまだ子供ですもの」
ワウアンリーの態度を余裕と見て取ったのか、マリアは拗ねた声で応じた。と言うか、完全に拗ねていた。
どうしたものかと、救いを求めるようにフローラに視線を送ってみると、フローラはニコリと笑って応じた。
嫌な予感がした。
止める暇がなかった。
「―――家族ごっこも、いよいよお終いって感じかしら」
ガタン、と椅子を揺らしたのは、やはりマリアだけだった。
驚愕の面。瞳はぶれて、言葉も無い。
一人だけストローでジュースを啜っていたワウアンリーが、少しだけ瞠目した後で、まず口を開いた。
「あたしの立場って―――」
「契約更新をしないのなら、後はご自由にって感じかしら」
「あ、そういえば複数年契約扱いでしたね。卒業まであと―――早くても、三年ってトコですか」
じゃあ良いやと、それだけ確認してワウアンリーはあっさりと言葉を納めた。身の振り方は既に決めており、その妨げになるものがあるのか、無いのか、それだけが確認したかったらしい。
先のフローラの言葉には、一片の感想すら述べなかった。
マリアは慌ててユキネに視線を滑らせる。その行為に何の意味があるのか、自分でもよく解っていない。
ユキネは主の切羽詰った視線を受けても、落ち着いた姿勢を崩さなかった。
一口紅茶を口に運んだあとで、ゆっくりと口を開く。
「男の子って、いずれ自立するものだと思う」
「そうねぇ、可愛い子には旅をさせろっていうものね」
然もありと頷く母の横で、マリアは視界が真っ黒になりそうな衝撃を受けていた。
「そん、そんな、でも……」
フラリとよろけるような足取りで体を母の方にに返してみても、母は穏やかな顔でカップを口に運ぶだけで何も言わない。
何故、何故、何故と、纏まらない思考が胸を焦がす。
家族”ごっこ”の終わり。当然だ。元より血のつながりなど何処にも無いし、アマギリ―――凛音もまた、この関係は”いずれ終わる”と言っていた。
そしてマリアもその事実に何処かで気付いていた。気付いていて、それでも引き止められると―――縦しんば、そうであっても。
時間があればどうにでも出来る筈だった。筈だったのに―――知らないうちに、自分ひとりだけが気付いていなかっただけで、とっくの昔に時間切れを迎えていたなんて。
じゃあ、今までの、少なくとも自身の気持ちをはっきりと認めていた、この数ヶ月の出来事は―――何故、何の意味が。
解らない。何も。混乱して、思考が纏まらず。
―――何よりも一番解らないのは。
「…………なんでお母様はそんなに落ち着いてらっしゃるのですか?」
その事実に気付いて、急に冷めた。
「あら、悲劇のヒロインはもうお終い?」
「だまらっしゃい! 一番執着心が強かったお母様がそんなに平然としてる段階でもう色々おかしいでしょう!?」
「マリア様、怒鳴ると図星っぽい」
「貴女も少し黙りなさいな!!」
台無しだった。
肩を怒らせて怒鳴る少女を、誰も彼もが微笑ましい顔で見てたりするものだから、見られている当人としては赤面しながら強がるしかないだろう。
ドカンと、姫君らしい優雅な仕草で椅子に座り込んで母たちを睨みつける。
「―――それで、どぉ言う事なんですか?」
「何が?」
「お・か・あ・さ・ま!?」
愛らしく―――忌々しくもある―――小首をかしげる母に、眉間に皺を寄せて言葉を震わせる。
勘定が面に出やすい娘の少女らしい態度にフローラは微苦笑を浮かべる。
「そんなにカッカしないの。―――それに何を思っているのか知らないけど、あの子の立ち居地がズレた事には何も変わらないわよ?」
「―――ズレた?」
軽く目を瞬かせたのはユキネだった。フローラはうなずきを返しながら続ける。
「あの子は今まで自分の内側、中心にあるものが解らなかった。だから、そこから少し離れた位置に自分の主観を置いていた。此処での人間関係も、全てその位置で作り上げてきたの。―――でも、もう違う。あの子は自分の中心を掴まえて、そこに戻った。つまり―――」
「―――距離感が変わる、って感じですかね」
「当面のライバルは、やっぱり剣士ちゃんかしらねぇ?」
引き継いだワウアンリーの言葉に、フローラは悪戯っぽい笑みを見せた。
「今も……剣士を取り戻すのに、命がけ?」
「ぶっちゃけガイアより優先度高いと思いますよ、アレ」
「私達の安否よりもねぇ」
「意地張らずに連絡すれば良いじゃないですか」
「こういう時に意地を張ってこそ、女の子ってものでしょ?」
「おんなのこ……?」
「ユキネちゃん、何か言ったかしら?」
「別、に……」
微妙に不穏な空気を撒き散らせながら雑談モードに突入した年長者三人を放って、マリアは再び思考の淵に沈んでいく。
”距離感が変わる”。
これまで数年間の付き合いで、それなりに縮まった距離があって、でもそこから片方だけが位置が変わる。
対岸に居たのが川の真ん中に来たのなら、それは近づいてきたとも言えるのだろうが、岸の上と川の中では見える景色も違うし、見方も変わるだろう。ついでに、川の中ではものを見る以上に他の何か、優先する事が出てくるかもしれない。それでは一概に近づいたとは言えない。
逆に対岸に立っていたのがさらに遠のいたとして、それはどうなるだろうか。今まで見えなかった、相手の全身が見えるようになるのか。
それとも―――相手が見えないほど、遠くへといってしまったのか。
雑談を続ける母達に視線を送る。
一様に、不安そうな面は見えない。淑女の嗜みとしてそういった部分は見せないようにしているのかもしれなかったし、真実何も心配していないだけかもしれない。いや恐らく、後者の考え方がきっと正しい。
”自信家”だと呆れてしまう反面、羨ましいとも思える。こういう時、マリアは大抵思考がネガティブな方向へと走ってしまうから、特に。
何だかあの人が絡むと、定期的にこんな気分になるなと、マリアは懊悩する自身に苦笑を浮かべた。
それにそう、こういう気分に陥った時の解決法も、決まっているのだ。
―――♪ ―――、―――♪ ―――♪♪
「え、嘘?」
突然鳴り響いた、機械的なハーモニー。その音の出所に据わっていたワウアンリーが、ぎょっと目を剥いた。
慌てて知りの辺りに手を回し、ポケットからコンパクトサイズの結晶体を取り出す。
多少見てくれは知っているものとは違ったが、それは双方向映像通信端末である事に間違いはなかった。
今日免状に磨き上げられた情報表示部分を覗き込んだワウアンリーは、そこに表示された文面―――記された名前を見て、益々目を丸くする。
「うわ、何これ? 天変地異の前触れか何か?」
恐れおののくように呻くワウアンリーが見つめる情報表示分には、こんな名前が記されていた。
”ヘタレーノ・カッコツケ”
「あらあら、まぁまぁ」
「……意外」
一緒に表示部分を覗き込んでいたフローラとユキネが、やはり目を丸くしていた。
「どうせ、仕事の話だけなんでしょうけどねー」
ワウアンリーが半眼で空笑いを浮かべながら、通話機能を開こうと指を伸ばす。
それを横から、マリアは掠め取った。
「あ」
「え?」
「あらあら」
驚いているんだか楽しんでいるんだかよく解らない声を漏らす年長者達を差し置いて、マリアは自分の手元に引き寄せた通信端末を起動させる。
『よう、何処に居るのか知らんけど、急ぎで用意してもらいたいものがあるから、ええっと、今からリスト送るから明日までに―――……ぉお?』
赤ら顔の男が、そこに居た。
『どうした凛音、うすら馬鹿の様に目を見開いて―――む』
その立体映像の背後、肩の辺りから、やはり頬を薄く朱に染めたダークエルフの女性が顔を覗かせた。
『何じゃ酔っ払いが二人して―――お? おぉ、マリアではないか。まだくたばっておらなんだか』
ダークエルフの女性とは反対側の肩口に、金糸の髪を持つ少女が、こちらを覗きこんで悪態を付き始める。
―――正直な話。
そのどちらも、マリアの視界には入っていなかった。
『あ―――……スマン、掛け間違えた』
「お待ちなさい」
体をのけぞらして端末から遠のこうとしていた男を、ドスの聞いた声で押し留める。逃がす気は欠片もなかった。
男は固まっている。その代わり、両隣に映っていた少女達は、いつの間にか姿を消していた。
「因みに、その通信解除ボタンに指を触れた場合、このオディールに搭載している反応兵器をシュリフォン王城に撃ち込みますのでそのつもりで」
『あー。そういえば城の工房に残しておいたもんなぁ』
物凄く据わった目が怖かったせいか、男はこっそりと伸ばしていた手を引っ込めた。相当怖かったらしい。
「―――さて」
『なんでせうか、お姫様』
コホン、とわざとらしい咳払いをして表情を正したマリアに、男は思いっきり腰が引けていた。
「とりあえずは、お久しぶり、でしょうか―――」
『ああ、まぁ二週間ぶりくらいかな。久しぶりといえば久しぶり―――じゃ、ないかな、多分。まぁなにわともあれ……」
目を泳がせながら早口でまくし立て―――多分、頭を高速で回転させて言い訳でも考えているのだろう。
呆れて溜め息を漏らしたい気分も合ったが、それはそれで癪だ。特に、興味深そうにこちらを伺っている女性達が―――恐らく、通信機の向こうも似たような状態だろう。と言うか、明らかに寝室らしき場所で、女性を連れ込んで昼間から酒宴とか、どういう状況なんだろうか。
言いたい事は幾らでもある。
此処暫くの沈んだ気分を、どうしてくれようかと。
一体なんで、私にばかり何も言おうとしないのかと。
まずはともかく―――何処から始めればいいのか。
唇の端を持ち上げて、マリアは一つ思いついた。意趣返し―――それとも、自分に対する運試しか。
通信機越しの距離は、果たして空想の中の川の幅よりも、広いのだろうか。
「本当にお久しぶりですね、お兄様。―――それとも、凛音さん、とお呼びした方が良いのかしら?」
※ 駄目亭主的なアレである。