・Scene 46-3・
「あの~、フローラ様?」
同型の二隻と違い、三つの小島を連結して一つの船体とした独特な形状をしている空中宮殿オディールの、上層部宮殿のテラス。
「なにかしら、ワウちゃん?」
カタリと、小さな音を立ててソーサーからティーカップを手に取りながら、ハヴォニワ王国女王フローラは小首をかしげた。
例え国土の半分近くが占領されていようと、国内の反抗勢力が一斉蜂起していようと、貴顕なる存在の日々の優雅な生活は何も変わらない。
今日も遠来の客を招いて、こうしてテラスで、一人娘のマリアと、その従者ユキネと共に優雅なティータイムを勤しんでいた。
「な~んであたしは、鎖で椅子に繋がれているんでせうか?」
無論、客人の素朴な疑問にだって、焦って返したりするなんて愚は冒さない。
楚々とした仕草でカップを傾けた後、喉を潤したハーブティーが胃に落ち、そしてそれから更に幾許かの間を置いた後で、漸く、応じるのだ。そのゆったりとしたリズムこそが、彼女の優美さを引き立てるのだろう。
「だってアナタ、手錠外したら逃げるでしょ?」
「いえ、あたしもコレで、割と急ぎの用事があるんですけど……」
ジャラリと、手首に掛かった手錠から繋がれた鎖を鳴らしながら言うワウアンリー。言葉の割には若干諦めが入っているのはまるで気のせいではないだろう。
窓の向こう、テラスの下に広がるオディールの庭園部に置き去りにされている自身の聖機人のコクーンに視線を落とす。
―――飛び出して逃げようとしたら、また撃たれるのかなぁ。
同型艦二隻とは対照的に、どちらかと言えば戦闘用途に優先した構造をしているこのオディールには、連結する三つの小島それぞれ独自に亜法機関を有するという出力上の余裕を利用して、かなり強力な対空砲火機構を有していた。
つい先ほど、見なかった事にして素通りしようとしたら思いっきり砲口を向けられた事を思い出して、ワウアンリーは額に汗を浮かべていた。
フローラ曰く、”お茶の誘い”だったらしい。
「まぁまぁ良いじゃない。折角久しぶりに会ったんだから、少しのんびりしていきましょうよ」
久しぶりに会った―――会わされた―――フローラは何時もどおり飄々としていて、ようするに反論なんて聞く気は無いという態度である。
”既に切れてる”蜘蛛の糸を掴む気分で周りに視線を送ってみても、マリアは我関せずの態度を貫いていたし、ユキネは小さく首を横に振っただけだった。
「久しぶりなのに、相変わらずこの家の人たちはあたしに対する愛が足りない……」
「痛みを伴う、愛もある」
「嬉しくないですから、それ」
「え?」
「何でそこで”驚いた”みたいな顔してるんですか!?」
無表情で相槌を打つユキネに、オーバーリアクションで突っ込みを入れる。鎖がジャラジャラと五月蝿かった。
「そんなにカッカしないの。いきたい所があるんならオディールで送ってあげるから」
「いえ、こんな目立つ上に足の遅いフネで送ってもらうよりも自分で聖機人飛ばした方が早いんですが」
「女の子がそんな強行軍なんてするもんじゃないわよ」
「だから急ぎの用事なんですってば。―――って言うかホント、凛音様と言いフローラ様と言いマリア様と言い、何でこの王家の人たちは無駄にマイペースなんでしょうか……」
言っても無駄なんだろうなと思いつつ、一応の気分で呟くワウアンリー。隣に座っていたユキネが、ポンと肩に手を乗せてきた。
「諦めが肝心」
「いや、そんな”私はもう慣れた”みたいな顔で得意げに言われても」
「生まれつきって言葉も在るから」
「そこで何故私の方を向くんですか、ユキネ?」
「え?」
マリアに尋ねられ、ユキネは物凄く純真な目を丸くした。演技だろうか。天然かもしれないが、案の定と言う調子で、マリアの額に青筋が走った。
「そこで不思議そうな声を出すんじゃありません! ―――大体、お母様とお兄様がゴーイングマイウェイなのは何時もの事ですが、そこに私まで加えないで下さい」
「え?」
「え?」
「え?」
ユキネどころか、ワウアンリーとフローラまで不思議そうな声を出していた。何故かマリアの手元から陶器に皹が入る様な音が響いた。ちなみに、その手にはティーカップを手にしていたが恐らく何の関係も無い筈。
「貴女方、私に何か言いたいことでもあるのかしら? ―――特にユキネ!」
「―――別に?」
「何で疑問系なんですか! と言うかそのあからさまに”もう諦めてますから”みたいな顔は何!?」
「―――……別、に……?」
「貴女とは、一度心行くまで決着をつけないといけないようですね……」
親指でクイとドアの向こうを指差すという凄まじく姫らしい仕草をしながら、マリアは言った。ユキネは欠片も見ていなかった。フォークでケーキを崩す作業に没頭している。
「あ―――、まぁ、とにかく。お三方とも元気そうで安心しましたよ」
場の空気が物理的な意味も含めて酷い事になりそうだったので、ワウアンリーが冷や汗混じりに言った。
「ご連絡なされば、凛音様もお喜びなさると思いますけど」
「え?」
「え?」
「え?」
「あ」
先ほどまでとは別のベクトルで危険な空気が完成したことにワウアンリーは気付いた。と言うか、早い話が地雷を踏んだらしい。テーブルを囲むそれぞれの目が暗い輝きを放っていた。
「凛音ちゃんたら本当に、何時になっても連絡してこないのよねぇ」
「そこはホラ、したくても出来……いえ、何でもないです」
フローラの何気ないと思えないことも無い呟きに、ワウアンリーは主従の義理立てで反論しようとして、あっさり撃沈した。
ぶっちゃけたところ、ワウアンリー自身もフローラと似たような事を思っていたので、頑張って反論する気がおきなかったとも言える。尤も、現在彼が彼の意図しない所で連絡不可能な状態であるのは事実なのだが、そこはそれ、日頃の行いと言うヤツなのだろう。
「まぁ、あの人”連絡シナイボク硬派、カッコイイ”とか思っちゃうタイプですしねー」
「相変わらず駄目な子よねぇ」
「ええ、全く。―――後ろついていく人の気持ちも考えて欲しいんですけどね、ほんと、ええ、本当に」
いつの間にかテーブルを囲む人間の中で、ワウアンリーが一番淀んだ空気を纏っていた。
常に一人で大暴れ―――その挙句ダウン、なんていう体たらくを何も出来ずに見てただけだったから、いい加減に鬱屈した気分だったのかもしれない。
「そこは……ホラ、お兄様ですから。そんな簡単に人に気を使えるようになったら、もうお兄様ではありませんよ」
「諦めなければ、何とかなる、多分。―――……多分」
マリアとユキネが、苦笑交じりにフォローにならないフォローを入れる。
「だと良いんですけどね。―――はぁ、今頃また、無茶してるんだろうなぁ、あの人。ラシャラ様とアウラ様じゃ、絶対止めてくれないだろうし」
ああもう嫌だと、だらしなくテーブルに突っ伏しながら、ワウアンリーは言った。”目覚めない”心配はまるでしていない辺りが、正しく信頼感が見える場面ではあった。
言ってみれば惚気ているのとたいして変わらないと言う事実に確りと気付いているのか、フローラが苦笑を浮かべた。
「むしろあの二人は、積極的に背中を押しちゃうタイプだものねぇ。ま、元気なのは良い事よね」
「元気すぎるから困るんですよ。基本、予想の斜め上の行動しかしませんから。―――せめてリチア様が意地張らずにシュリフォンに残っててくれたらなぁ」
自分の事は完全に棚に上げているワウアンリーに、マリアが苦笑交じりに小首をかしげた。
「リチア様は、確か教皇聖下の下に合流なされたんでしたっけ?」
「あい。聖地から救出した生徒達のコネを利用して、各国の調停と意思統一に乗り出してる筈ですよ」
だれた口調で応じたワウアンリーにフローラが興味深そうに頷いた。
「異世界の龍機師を中核に据えた対ガイア多国間同盟―――さしずめ、”甘木凛音同盟”にでもなるのかしら」
「同盟の中核となるべき大国が挙って身動き取れない現状で、その同盟は上手く機能するのですか?」
口元に指を当てながら言うフローラに、マリアは小首をかしげた。
彼女の疑問も尤もだろう。
シトレイユはそもそも敵国であり、ハヴォニワは侵略と内戦と言う最悪の状況。そしてシュリフォンも国境を挟んで睨みあい―――そもそも、彼の国は外征のための軍事力は殆ど有していないから、その意味では先の二国に些か劣る―――だから、身動きが取りづらい。
「そこは結局、凛音様のシュリフォンでの頑張り具合だと思いますけど。あそこはシュリフォン王陛下が強力なカリスマを発揮して国を回している様なところがありますから、王陛下さえ落とせば、後はそのまま上手くついてきてくれると思いますし―――あぁ、無茶してないと良いなぁ、してるというかするんだろうけど」
最後のほうは、もう殆ど天を仰いで聖印でも切りそうな勢いである。誰もそんなワウアンリーの態度を否定できない辺りが、凛音の日頃の行いというものなのだろう。
「シュリフォンと凛音ちゃんって、どう考えても相性悪そうだもの。今頃、王陛下の前でアウラちゃんとイチャイチャし始めて、ぶん殴られたりして」
「あー、ありそうですねソレ。凛音様といると、アウラ様もかなり悪乗りしちゃいますし。―――ああ、不安になってきた。大丈夫かな、ホント」
凛音が、ではなくシュリフォンの国体が。
なんだか碌でもない創造しかわかないと、テーブルに顎を乗せたままでワウアンリーは頭を抱えた。
そんな兄の従者のだらしない姿を見ながら、マリアは久しぶりに影の無い笑みを浮かべる事に成功した。
突然現れ、そして強大な力で持ってハヴォニワ王城を壊滅に追い込んだ、二体の黒い聖機人。
その恐ろしい力から辛くも脱出し、今日まで二週間以上、追手―――シトレイユ軍ではなく、忌々しい事にハヴォニワの諸侯軍であった―――の追撃を撃退しながらオディールであてどなく逃げ続ける日々。
身一つとなった母にすら完璧な忠誠を見せる手勢の聖機師たちは流石に優秀だったから、これまで大事無く敵を撃退し続けられていたが、それでも追われるだけと言う時間が長く続けば気が滅入りもする。
おまけに、何とかして調べ上げた聖地へと進軍した兄の近況を知ってみれば、謎の大爆発により聖地壊滅―――因みに、その情報を聞いたとき母がアルカイックな笑みを浮かべていた―――加えて、兄が意識不明と言う碌でもない事実が判明して余計に気が重くなる。
いい加減ノイローゼにでもかかりそうな状態だったから、こうして兄の従者を捕まえる事が出来たのは幸いだった。
兄がまた無茶を繰り返せる程度には無事だということも、母たちの口ぶりからして信用が置ける情報のようだし―――。
「……?」
母と兄の従者の会話を反芻して、何処か違和感を覚えた。何時もどおり、鬼の居ぬ間に好き放題、と言う感じで何処もおかしいところはなかった筈なのに―――何かが。
―――様。
―――ちゃん。
「―――っ!」
何度瞬きした所で、その答えに間違いなど無い。
息を呑み、唇に手を当て、額に汗が伝おうと、何も答えは変わらない。
顔を上げる。不思議そうにマリアを見ている母と、そして兄の従者の姿に気づいた所で、答えは動かない。
「少し、宜しいですか?」
ならば、聞いてみるしか、ないのだ。
「さきほどから、その―――。何度も出てくる、”リンネ”なるお名前は……その」
母が、目を細めて薄い笑みを浮かべて、ゆっくりと口を開いた。
「ええ、”甘木凛音”ちゃん。―――貴女のお兄様の名前よ」
※ ……え? 一ヵ月半ぶり?