・Scene 46-2・
「ところで結局、お前の悩みの種は何なんだ? 妻としては聞いておきたいのだが」
「ああ、それねぇ。いやさ、そっちは正直不確定な部分が多くって。―――それより、ちょっと頼みがあるんだけど」
「……珍しいな、お前が他人に何か頼むなど」
「それだけ切迫した状況と言えば、そうだからね。―――と言うか、そんなだから回りまわって、鉄拳制裁なんて喰らう嵌めになったんだけど」
「邪魔をするぞ、従兄殿……ぉお?」
「む? ラシャラ女王か」
「おや、ラシャラちゃん、いらっしゃい」
客間のリビングから寝室へと続くドアを堂々と踏み入ってきた少女に、二人の酔いどれは気軽に挨拶をした。
勿論、グラスを手放すなどというマナー知らずのことはしない。
「うむ、邪魔をする―――ではないわ。何を真昼間から酒盛りなどしておるのじゃ、若いの二人が、寝室で」
ラシャラは大きくため息を吐きながら、開いたドアを閉めないまま二人に近づいた。正直、室内が酒臭くて仕方なかった。
「いやさ、飲まなきゃやってられないような恥ずかしいトークをね」
「……また酒の力に頼っておるのか、お主は」
従妹姫が怒りそうだなと、少年の言葉にラシャラは呆れるほかなかった。
「最初にお酒持ち出したのはアウラさんだけど」
「いや凛音。私はこうでもしないと会話にならんと思って酒瓶を持参したのだが」
「それはお姫様がやる事じゃないと思うよ?」
至極当然の突込みを入れつつも、空のグラスを差し出す事を忘れないあたり、駄目な酔っ払いであった。
「―――私も、個人的に飲みたい気分だった」
「まぁ、うん。気持ちは解るけど―――ホラ、誰にも悪気はなかったと思うんだ、多分、きっと」
「お前だけは悪気たっぷりじゃなかったか?」
「え? そこでハシゴ外すの!?」
くだらない雑談を繰り返す年上の少年少女のやり取りを見ながら、ラシャラは何かがおかしい事に気付いた。
昼間から王族二人が酒を飲み明かしているという状況そのもののおかしさではなく、何処と言うか。
「―――……リンネ?」
聞き覚えの無い単語が混じっていたことに、ラシャラは気付く。アウラがリンネの酒椀に果実酒を注ぎながら応じる。
「甘木凛音。―――この男の名前だそうだ」
「呼びやすい呼び方してくれれば良いよ」
目を剥きかけたラシャラに、重要な事実らしき事をばらされた形の凛音は、いっそ気楽過ぎる態度で肩を竦めて見せた。
「……どうでもよさげじゃな、お主」
「呼び方変わったところで、人間関係が変わるわけじゃないらしいですから」
ねぇ、とアウラに視線を送る態度は、ラシャラにはそこに言葉どおりの気分が見て取れた。本人がどうでも良いと思っている問題に、一々気にするのも時間の無駄だろうと、ラシャラも言われたとおりに隙に呼ばせてもらう事に決める。
「秘したものが明らかになったとあっては、それなりのイベント性はあったろうに、何ともお主らしいと言えば、らしいか。―――まぁ、良い。せめて妾から祝いの品をくれてやるわ」
言いながら、ラシャラはどうやら最初から手に持っていたらしい小さな物を、凛音に向かって放り投げてきた。
苦もなく手元に収めた凛音は、それが何であるかを理解して―――そして、顔をしかめた。
「……指輪。―――いや」
「うむ。聖地から救出した職人に、作らせてみた。婚約祝い、といった所じゃな」
ブッ。
「―――どうした、アウラ」
おどけて言った言葉に、予想外の方向から大きな反応があったため、ラシャラは目を瞬かせた。
「いや、何でもない……」
喉に酒を詰まらせて咽帰りながら、アウラはブンブンと首を振った。
凛音は咽るアウラを横目に、手にした複雑な装飾に彩られた指輪に刻まれた意匠の意味を理解して、ため息を吐いた。
「あのさ、ラシャラちゃん」
「何じゃ、凛音殿」
「結局キミもそう呼ぶのか……まぁ、良いや。あのさ、コレ―――」
何故かぴったりのサイズだったそれを指に通しながら、手の甲側にある装飾をラシャラに向けて、凛音は尋ねた。
「―――”誰と誰”の婚約祝い?」
ラシャラはその問いに、ニヤリと哂って応じた。
「シトレイユの印璽の意匠を纏うことを許されるであろう相手など一人しかおるまいて」
「だよねぇ。―――はぁ、キミ等、何か狙ってるのか?」
「狙っておると言うか、妾の場合は流れに乗り遅れんようにとな。―――ハヴォニワ、教会ときて、シュリフォンにまで手を伸ばそうというのであれば、ついでに妾も流れに便乗させてもらって、お主をそのまま神輿に担いでしまった方が、方々と連携が取りやすかろう。文句が在るなら、まず自分の節操の無さを選ぶがよい」
「節操無くやってるつもりはないんだけどなぁ……」
シトレイユ皇家の印章が反転して掘り込まれている指輪を眺めながら、凛音はひとりごちた。そこまで聞いて、漸くアウラはラシャラの言った”婚約祝い”の言葉の意味を理解した。
「つまり―――それは」
「勿論、妾と凛音殿の、と言う事になるな」
得意げに笑うラシャラに唖然とするアウラ。男一人、凛音は額に手を当て息を吐いた。酒臭かった。
「国土を蹂躙された王子と国を掠め取られた女王の結婚か。―――コレを見せ金に、って言うのも良い感じに空手形じゃないの?」
「なんの。お主なら空手形でも上手く活用できるじゃろ? どのみち最終的には―――何処が一体最終になるのかは解らぬが、盗られた物は全て返ってくるという形にはなる。その後にまた奪われるんじゃろうが―――ともかく、形式上は空手形にはならんよ。精々ソレは上手く活用してたもれ。あの国に関しては、今更妾も何の権利を主張したいという気分も残っておらぬからの」
「―――それで、キミは一人で悠々自適って事か。採算合わない不良債権押し付けるだけじゃないか、それ」
「あ―――、スマンが、説明を求めたいのだが」
アウラはすっかり酔いも冷めたという気分で、愛の欠片も見えない言葉をぶつけ合う凛音とラシャラに質問した。
凛音は指輪を嵌めたまま手を握ったり閉じたりと具合を確かめながら、何てことの無い風に応じた。
「ようするにさ、文字通りの意味でアウラさんと同じ事しようとしてくれてるのさ、この子は」
「私と……」
同じ。
思えば同日に二人の女から婚約だなんだと話しをされる等と言うのも凄い話だが、勿論アウラの場合は―――そこまで考えて、彼女は気付いた。
「なるほど、な」
一つ頷く。苦笑混じりの視線をラシャラに送ると、彼女も決まり悪げな笑みを浮かべていた。
「ま、愛されてるよね剣士殿も。小切手代わりに丸ごと一つ国を差し出してくれる人が居るんだから」
一人凛音だけが、微妙な空気を気にせずに酒を口に運んでいた。
他人事ですと言って憚らないようなその態度は、流石にラシャラの癇に障った。口を尖らせて言う。
「元より剣士は妾の従者じゃぞ。それをお主とハヴォニワが身銭を切って助けようなどと言う話が異な事なのじゃよ」
「―――なるほど、其れゆえの、か。ハヴォニワの土地の替わりにシトレイユの国土を担保にすると。―――正直、父上の好むやり方ではないと思うが。凛音には先に言ったが、あの方はむしろ情だけに訴えかけたほうが実る芽があると思う」
お前等どっちも即物的すぎだと、アウラは苦笑交じりに言う。
「とは言え、シュリフォンもそれはそれで国難の折に、祖国に対して何の影響力も持たない女王の頼みなど、ただでは聞けんと思うしの。縦しんば王が認めても、周りが止めるじゃろう流石に。―――ならば妾としては、悪辣非道なるそこな男の手札を増やしてやるくらいしか出来る事は無い」
「汚れ役押し付けてるだけって言わない、それ?」
実際殴られたしと、顎を摩りながら言う凛音に、ラシャラはニヤリと笑みを浮かべた。
「その代わり美女が室入りしてくれるのだから、良いではないか」
「そりゃ美人は好きだけどさぁ。お金掛かる人は御免だよ?」
「の割には、女に惜しみなく金と手間を注ぐ類の男だろうお前」
「自分から使うぶんには良いのさ。くれって言われたら張り倒したくなるけど
そんな風に言ったら、駄目だこの男と言う顔を両方から向けられたが、凛音はあえて見なかった事にした。
ともかく、と無理やり話題を変える。
「手札が増えるのは実際ありがたい事だけどね。ま、精々ありがたく頂かせてもらうよ、ハニー」
手の甲を返して嵌めた指輪をラシャラに見せつけながら、凛音はおどけるように言った。
「―――普通、そこは必要ないから返すと言う部分じゃないのか? 男らしく自分の力だけで充分だとか言って」
「美人の誘いは、たとえ罠でも絶対に断るなって昔偉い人から言われてたんだ」
お陰で死に掛けた事多数だけどと、微妙な顔で突っ込むアウラに肩を竦めて返す。
「正直は美徳と言うが、行き過ぎは毒と言うヤツじゃな。お主の場合」
「そこは婚約が成立した事を喜ぼうよ、ハニー」
「事前に別の女と縁を結んだ男にそんな事言われたくないわ」
「そっちはそっちで負けず劣らずギブアンドテイクの関係みたいだしなぁ。―――僕の周りには愛が足りない」
癒しが欲しいとぼやく凛音の事を、ラシャラとアウラはコイツは一度死ぬ目に合うべきじゃないかと氷河期のような冷たい瞳で見ていた。尤も、本当に一度死に掛けているからこそ、二人ともこうやって遠回りなフォローをするようになっているのだが。そこはそれ、と言うヤツだろう。
「ま、何は無くとも、とりあえずは明後日のシュリフォン王の”説得”がまずは課題かなぁ」
与太話もそこそこに、と言う気分で、若干真面目な顔を作って凛音は言った。グラスを差し出し御代わりを要求している段階で台無しだったが。
「忠告しておくが、イカサマは絶対にばれないようにやれよ。父上の好みは正攻法だ」
五本目の酒瓶から凛音のグラスに果実酒を注ぐアウラに、ラシャラは首を傾げて尋ねる。
「ばれなければ良いのか?」
「よくは無い。―――が、どう考えてもコイツがイカサマをしないとは考えられない」
「―――それは、道理じゃのう」
「そこで納得されると僕としては立つ瀬が無いんだけど……」
杯を傾けながら、少女達の言いように凛音は苦笑交じりに呟く。それから、そのままの情けない態度で、続ける。
「でも、シュリフォン王のお気持ちを踏みにじる形になるのは仕方ないって思ってもらうしかないな」
「―――と、言うと?」
薄い笑みを顔に貼り付けたまま言った凛音の言葉に、アウラが目を細めた。ラシャラも、冗談交じりの空気を消していた。
「使えるものは何でも使わせてもらうのが僕のやり方だ。親が子を思う気持ちすら、悪いけど利用させてもらうよ。―――目的のために、ね」
「目的?」
眉を顰めたラシャラに、凛音は肩を竦めて応じた。
「一つしかないだろ。―――剣士殿さ」
いっそ馬鹿にしたような口調だった。アウラがグラスを弄びながら尋ねる。
「剣士―――を、取り戻す、か。……明後日の父上が用意した何がしかを、利用しようと言うことだな?」
「明後日と言うか―――まぁ、そうだね、うん。向こうがこっちの動きをある程度掴んでいるのは間違いないから―――罠を張らせてもらおうと思ってる。問題はどの辺りまでってトコで、無駄になるかもしれないけど、やらないで酷い目見るよりはマシだからさ」
「先ほど、協力して欲しいといっていたことはそれだな?」
確認に過ぎない言葉を口にするアウラに、凛音も頷くだけで応えた。ラシャラが一人、曖昧な顔をしていた。
「待て。”向こう”と言うのはどちらを指すのじゃ?」
「―――と言うと?」
ラシャラの問いに、さも面白いものを聞いたとばかりに凛音は笑って首を捻った。顔に似合わぬ重い響きの問い返しに、ラシャラは余計に難しい顔をする他なかった。
「ババルンか、それともユライトか。―――ユライトとは当然裏で通じ合っておるのじゃから、お互いの行動を辻褄合わせることも出来るじゃろう?」
「だが、そうであるのならば、無理に明後日に事を起こす必要も無い。父上を味方に引き込んだ後に万全に整えた方が良いだろうからな」
冗談のような掛け合いを続けながら、アウラはその意味について思いをめぐらせていたのだろう。些か性急過ぎると思われる行動開始の宣言の裏にある事情に、もう心当たりが生まれているのかもしれない。
凛音は、それでも余裕の態度を崩さずに、グラスを傾けながら―――重い口調で言った。
「起きてからこっち、色々と考えていたら一つ大きな危惧が生まれた。―――まぁ、一番大きかったのは本人と話した事なんだけど、さ」
「―――何時の間にユライト・メストと」
「昨晩来たよ? お陰であんまり寝てないし」
アウラの問いかけに、やはり気付いていたかと思いながら凛音は軽く応じた。ラシャラがその横で目を丸くする。
「待て、キャイアと一戦交えたとは本人から聞いておったが、ユライトが居たなどとは知らんぞ」
「あ、そっちは聞いたんだ。―――まぁ良いか。キャイアさんと別れて一人になったところを襲われてね。―――少し話したんだけど、何ていうか、ね」
「焦らすな?」
「いや、本当に推測な部分が強いんだわ。外れてたりすると、それこそ準備が全部無駄手間になる上、シュリフォン王とも完全に決裂になるかもしれないなーって思うと……どうしたものか」
眉根を寄せるアウラに、自信が無さそうな態度で肩を竦める。
煮え切らない態度に、ラシャラが焦れたように嘆息した。
「とにかく、言って見よ。お主が想定する最悪の状況を。―――恐らくそれが正しいだろうし、それに縦しんば間違っていたとしても別に妾は責めはせぬわ」
目を丸くして顔を見合わせてしまうのも、無理はないだろう。
その後で、二人して噴出してしまった。
「……だ、そうだが?」
「いやさ、周りの人に恵まれてるって実感するね、こういう時。愛が溢れてるよ」
多少照れ混じりの笑みで尋ねるアウラに、凛音もまいったねと、微苦笑を作る。
「な、なんじゃその微笑ましそうな笑みは?」
年長者二人の作る曖昧な笑みに、ラシャラとしては慄くしかない。
なんでもないなんでもないと、声をそろえて言われた所で不安な気分が拭えぬ筈も無いが、深く突っ込んでも碌でもないことだけは理解できたので、それ以上言う事は無いが。
戸惑うラシャラの態度に、凛音は実に楽しそうに笑った後で、遂にかねてよりの疑念を口にした。
「―――ユライト・メスト、なんだけど」
※ そろそろ真面目な方向へ行く……のかなぁ。
このサブタイの時点で、何かもう色々と。