・Scene 45-1・
「一瞥以来ご無沙汰しておりました、シュリフォン王陛下」
シュリフォン王宮、玉座の間。採光窓から夏の日差しが降り注ぎ、石造りの大広間にはっきりとした光と影のコントラストを作り出している。
玉座には、守衛の屈強な兵達を除けば、三人の人物しかいない。そして、この場で口を開く事を許されている
のは、その三人だけだった。
アマギリはひな壇の上に設えられた玉座に座る男に対して、深々と頭を下げていた。
自身の娘である王女アウラを傍らに侍らせて鷹揚とそれを受け入れるのは、このダークエルフの国を納める、シュリフォン国王その人である。
長身、細身でありながら筋肉質な、明らかに戦うために鍛え上げられた肉体を持つ偉丈夫。顎鬚を摩りながら、ゆったりとした声で応じた。
「うむ。昏睡状態と聞いて心配していたが、お目覚めになられたのならなによりだ、アマギリ王子。かつて貴殿とお会いしたのは……そうか、シトレイユ前王陛下の葬儀の席だったか」
「ええ、晩餐の席で、ご挨拶を。―――もう、二年も前の事になります」
大シトレイユの王の崩御。その葬儀には各国有数の王侯貴族が挙って参加していた。当然、アマギリも、そしてシュリフォン王も参列者である。特に彼らは、聖地を囲む三王国の代表として、式典において送辞を読み上げる役目もあったから、その打ち合わせの席でも幾度か顔をつき合わせている。
とは言え、あくまでその時に話した内容は実務的なものに限られており、私的な何か友好関係を気付くようなアプローチの仕方は、お互い見せる事は無かった。
各国の権力者達が集うとあらば、必然そこは国際政治の勢力争いの一環とも言うべき様相を見せるのだが、元よりあまり外に目を向ける事をしないシュリフォンと言う国柄もあってか、シュリフォン王は葬儀の場においては徹底的に故人を偲ぶ姿勢だけを見せていた。
今、目の前に居る国際政治に携わる誰もが動向を注目しているであろうこのハヴォニワの新しい―――当時は、ともう頭につけねばなるまいが―――王子とも、二人だけで込み入った話をする環境もあったというのに、その選択肢を選ばなかった事からも、それが伺える。
―――それゆえ、実質的にいえば、シュリフォン王とアマギリ・ナナダンとの会合と言うのは、今回が始めてであるといえた。
「そうか、もう二年になるのだな。―――あの頃は、このような形での再会など想像も出来なかったが」
深く頷きながら、言葉を自身にしみ込ませる様にして言うシュリフォン王に、アマギリも同感ですと頷いた。
「僕としても、次に陛下と再会するのは、制圧したシトレイユの王城辺りだと思っていました」
「……む」
暴言としか思えぬ言葉に返事を詰まらせるシュリフォン王の横で、じっと黙ったまま父と友人の話を聞いていたアウラが、一つため息を吐いた。
こいつは何を言っているんだという表情を向けてくるシュリフォン王に構わず、アマギリは飄々とした態度で続ける。
「それがどうしてこうなったのか、ハヴォニワは国土を蹂躙され、シュリフォンは国境を挟んで睨みあい―――中々、予定通りとはいかないものですな。ここから挽回して、当初の筋書きに戻すには、中々……」
「すまない、少し待ちたまえ」
片手を上げて言葉を遮るシュリフォン王に、アマギリは何かおかしな事でも、とでも言いたそうな顔で首を傾げる。シュリフォン王は上げた片手をそのまま額にやって、一度大きく嘆息した。
そして、傍らに立つアウラに顔を向ける。
アウラは父の視線を受けて楚々とした顔で頷いた。
「―――つまりは、こういう男です。父上」
何時もこの調子ですからと、諦めが肝心でしょうと娘の顔は語っていた。
命からがら崩壊する聖地から脱出してきて、そしてこの王宮で再会してから二週間。表情に出さずとも何処か沈んだ空気を纏っていた娘の顔が、今日は随分と楽しげである。
嬉しいやら、悲しいやらと、父としては複雑な気分だったが、とりあえず解った事は、どうやら威厳を出すために態度を作る必要は無い、と言うか作っても無駄らしい。
「花押入りの手紙で脅迫を試みるような男であるから、それも当然かも知れぬな……」
「はて、脅迫などと、そのような恐ろしい事を試みるものがいらっしゃるのですか?」
片肘をついて顎を手で支えるだらしのない態度で、皮肉としか取れない言葉を口にするシュリフォン王に対して、アマギリは何のことやらと微笑んで見せた。
言いたいことも返されたい言葉も、きっと解っていてやっているのだろうから、シュリフォン王としてはもう苦笑するしかないだろう。
「他に選択肢の無い要望など、脅迫とさして変わらぬだろう?」
「さて? 何の話をしていらっしゃるか理解できませぬが―――ひょっとして私が認めた手紙の内容に関することでしたら、選択肢は一つではなかったでしょう」
「一つでは、無いと?」
疑問に首を傾げるシュリフォン王に、アマギリはあっさりと頷いて応じた。
「ええ、見捨てれば宜しい」
「―――できる訳が無かろう!」
「ですが、それは陛下の感情的な問題に過ぎませんが故、私が確りと選択肢を提示したという事実に代わりありません」
「むぅ……っ」
恥も恐れも何も無く言い切られてしまえば、シュリフォン王としては唸るしかない。
話題に出ている手紙と言うのは、当然、聖地襲撃前にアマギリがシュリフォン王宛てに出した、聖地の南の関所を封鎖しているシトレイユ軍に対する攻撃を要請する旨を記したものである。
直筆で書かれたその手紙の最後には、こう記されている。
襲撃参加予定者―――中略―――”アウラ・シュリフォン”―――中略―――尚、陽動支援が得られぬ場合、作戦の成功確率は極端に低下すると思われたし。
「”関所に攻撃を仕掛けない場合お宅の娘さんの生命の安全は保障しない”―――とか確かに出掛けに言っていた気がするが、本気で書いていたのか」
「必要ならば外道な手も使うさ。―――知ってるだろ?」
「そうだな。だが、知らない人間からしてみれば気分が悪いだけだろう。と言うか、知っていても余り宜しくない」
いい加減遊ぶのは止めろと、アウラが嗜めるように言うと、アマギリも表情を崩して苦笑を浮かべた。
シュリフォン王に向き直り、肩を竦めて言う。
「―――とまぁ、僕はこういう人間です。互いに探りあいをして日を傾かせるのも時間が勿体無いですし、どうでしょう、そろそろ本題に移りませんか?」
「―――何?」
「いえね、理由は存じませぬがこの広間に踏み入ってからこっち、陛下は延々探るような眼差しをこちらに向けていらっしゃいましたから、いっそ解りやすく自分というモノをみせてみたのです」
目を丸くするシュリフォン王に、アマギリは手で自らを示しながら語る。芝居っ気たっぷりの―――それが真実、何時もの彼である事は間違いなかった。
―――見ただけで、己を量ろうなどと、無意味な行為と知れ。
「なるほどアマギリ王子。君と言う人間が実に良く解った。―――大人をからかうのも大概にして欲しいものだが」
言外にそう言われている様で、シュリフォン王は眉間の皺を揉み解しながら疲れたように息を吐いた。
しかしアマギリは、シュリフォン王の言葉に、笑みも反省の色も浮かべず、むしろ心外と言う風な顔で応じた。
「だからこそです、シュリフォン王よ。女王陛下及び妹姫が公式に行方不明である以上、私は現在ハヴォニワの国主としてこの場に立っている。―――子ども扱いされては、たまらない」
口調も些か強いものに変化させ、アマギリは頑として自らの立場を言い切った。
目を見開くシュリフォン王。気を抜いて雑談感覚になった隙間を、完全に突かれた形だった。
「時間が無いと、私は確かに言ったつもりですが。―――子供の戯言と、まさか聞き流すおつもりだった訳では無いでしょうな?」
「いや、それは……」
無かった、とは否定できない。
アマギリ、目の前で堂々とした態度を見せる少年は、何処まで言っても娘であるアウラよりも尚年少の少年でしかないのだから。
意識不明の重体だった彼を、この城に留め置いて治療にあたっていた理由だって、隣国の王家の人間だからと言うよりは、娘の友人だったからと言う個人としての感情の方が大きかった。
―――それに、彼を王族と認識しきれない、もう一つの理由があった。
何しろ、報告で聞く限りアマギリ・ナナダンは。
「フム。確かに、些か礼に失した部分があった事は謝罪しよう―――」
姿勢をただし顎鬚を摩りながら、シュリフォン王はゆっくりと口を開いた。
微妙な問題が絡む部分だったので、実際に本人に聞いてみるのがいいかもしれない。
未だ感情を覗かせない顔を見せる少年を前に、シュリフォン王はそう判断した。
「ハヴォニワのフローラ女王、及びマリア王女が行方不明。王政府も壊滅、官邸機能は完全に麻痺状態―――中央政府は実質壊滅だ。これが、今のハヴォニワの現状で間違いないね?」
「ありませんね。―――それゆえに、僕如きが国家元首を名乗らねばならないのですから」
聞くに悲惨な状況にも、アマギリは落ち着いた言葉を返した。若干目が細くなっていることから、何を聞かれるのか勘案しているのかもしれない。
「うむ。地方貴族の小領を統合して一つの国家として形成しているハヴォニワにとって、中央政府の壊滅と言うのは、国内の所領の分割状態へ至る危険な事態だと言えるだろう。―――小さい幾つもの勢力が己こそがと主権を主張し、少なくない対立も始まっている。こうなる事態を予測してか、先手を打って諸侯軍の削減、国軍の拡張を行ってきていたフローラ女王の先見性をたたえるべき部分であるが……」
シュリフォン王はそこで一端言葉を切ってアマギリの様子を伺った。
アマギリは、能面のような顔で一つ頷いて先を促すのみだった。シュリフォン王は小さくため息を吐いた。
「その女王無き今、分裂し対立を続けるハヴォニワ国内で、キミを王子と認める人間がどれほど居るかね?」
「父上、それは……」
「国軍の掌握はある程度進んでいますが」
アウラが何かを言い出すより先に、アマギリは淡々と言葉を返した。その声には動揺の素振りの一片も見えない。
「ある程度、であろう? 事前にキミと親しかった西部方面の、しかも半壊状態のものだ。キミの保有する情報部は、外部に対する工作を行うための機関と言う側面が強いし、社会基盤や流通、経済方面に関しては全く掌握し切れていないと聞いているが?」
徐々に国土を制圧されつつある隣国の様子である。王として当然の責務で、シュリフォン王は事態を正確に把握していた。
軍事以外の殆どを把握し切れていないという事実こそが、アマギリがハヴォニワと言う国を纏めきれないであろう事の証左ではないかと、そう指摘している。
アマギリも、それが事実であるが故、全く否定しなかった。
「お耳が早くいらっしゃる。しかし、それも我が身の未熟さが招いた不徳。―――母の残した宿題ともいえるでしょうから、今後も全力で国内平定に邁進していく所存で……」
「それだ」
シュリフォン王は、アマギリの言葉を遮り、口を挟んだ。そして、少しの間瞠目した後で、ゆっくりと口を開いた。
「私はキミと言う存在を知っている―――キミと言う存在を、知っているのだ」
「と、言いますと?」
含むような物言いに、アマギリは呆れとも取れるような言葉と共に首を捻った。
シュリフォン王は眉根を寄せる。意味が理解できぬ筈が無いだろうに、全く変わらぬ態度。不気味と取るべきか、肝が据わっていると賞賛するべきか、判断に迷う所だった。
だが、一度口火を切ったのならば確認しきるしかないと、シュリフォン王は決意して言った。
「何処から現れたとも知れぬ異世界人―――そう、キミは異世界人だ。このジェミナーの人間ですらない。何処か別の星、別の国の何処かの誰かでしかない。ハヴォニワの王族などでは決して無い。あり得る筈が無い」
―――そんなキミが、一体どの口で ハヴォニワの王を僭称出来る?
シュリフォン王の言葉は、苛烈な響きを持ってアマギリに叩きつけられた。
言われた当人よりも、いっそ隣で聞いていた娘の方が眉を顰める形となった。何か言おうとして―――その前に、残酷な言葉を叩きつけられた当人に視線を送り、目を見開く結果となった。
言われた当人は―――アマギリ・ナナダンは、静かに、微苦笑を浮かべていた。
「何故私が、ハヴォニワの王を名乗れるか、ですか」
ゆっくりと頷きながら、淡々とした言葉を。
「単純な話です。認められたからですよ。王政国家の君主が認め、そしてそれを議会が承認した。それゆえです。それ以外に理由が必要ですか?」
「形式としては、な。だが現実問題として、それを認めた王も政府も最早無ければ」
重ねるように言い募るシュリフォン王に首を横に振って応じる。
「そうですね、陛下。貴方は正しい。この状況では、僕がハヴォニワを治める事を認めない人間の方が多いでしょう。―――実際の所僕だって、自分の事はハヴォニワの王子様と言うよりはただの樹雷人の甘木凛音だって言う認識の方が強い。正直、アマギリと言う名で呼ばれる度に違和感はあるんですよ。他人を演じている様な気分にさせられて―――でも」
『アマギリ・ナナダン。それが子のこの名前よ』
『はぁ……。アマギリさん、ですか』
もう何故か、長い事会っていないような気がする、妙齢の美女の姿を思い浮かべる。
閨で優しく抱きとめてくれた人の顔を、温もりを。笑顔を。
「それが始まりで―――」
『あたし達のためにカッコつけたんだったら、最後まで、あたし達のためにカッコつけきって下さいよぉ……っ! 貴方は、アマギリ・ナナダンなんですから、最後まで、ちゃんとっ……!』
涙交じりに、他のヒロイン達を差し置いて。
後々に説明が面倒になるとか解っているのか、居ないのか。
「まぁ、そうですね。約束したんですから、自分が。”もうしばらく”って―――だから」
手のひらを見つめる。
掴めるもの、乗せられる何かなど、殆ど無いだろう、小さく、弱い自分の手。
それでも、繋ぎとめておきたい人が居るなら―――。
握り締める。拳と言うほど、力強くは無いけれど。
それでも掴めるものが―――きっと握り返してくれるものがあると信じて。
「自分で決めたんです。アマギリ・ナナダンをちゃんと演じきってみようかって。他の誰が否定しようと、自分でそう決めた以上、そう振る舞い続けるだけです。例え中身がどうであれ、もしかしたら取り繕った無様な姿にしか見えなかったとしても―――最後まで、ちゃんと」
その”最後”が何時かは解らないけれども。
最後に一言そう付け加えて、アマギリは言葉を切って真っ直ぐにシュリフォン王を見た。
言い訳にも理由にも程遠い、感情論と言うにも強引な言葉に、シュリフォン王は瞠目したまま言葉に詰まっている。彼の傍に立つアウラもまた、何処か考え込むふうだった。
やがて幾許かの間を置いた後、シュリフォン王がおもむろに呟いた。
「君の気持ちは理解した。理解した、のだが……」
根本的な問題の解決にはまるで寄与していないではないか。
アマギリに対する文句と言うよりも、むしろ自分の考えを必死で整理しているようだった。
基本的には直情型に近い人間であるシュリフォン王は、理詰めで行くよりも情に訴える言葉の方が強く響いているという事だろう。アマギリの言葉に本気の意味を感じ取って、それは肯定したいと思ったが―――しかし、と難しい判断を迫られてるようだった。
「それでも後ろ盾が必要とおっしゃるのでしたら、シュリフォン王―――貴方がなれば宜しい」
アマギリが爆弾を投げ込んだのは、そんな時だった。
※ 幾つかパターンを考えたんですが、さらっと行く形で決めてみました。まぁ、大仰にするよりは返ってらしいかと。
一番最初に聞くのはアウラ様ってのは、最初期のプロットから変わらなかったなぁ。