・Scene 44-5・
剣を振る。月明かりの元、一心不乱に。
草木眠り、僅かなそよ風に木の葉の揺れるその静寂を、かき乱すが如く。ただ、我武者羅に。
剣が夏の夜風を割く音も、踏み込む靴が土を抉る音も、舞い散る汗すらも、全てが、無様なものと見えた。
―――声を掛けずに済ませられたのに、明らかな拒絶の色が見えていたのに、それでも声を掛けてしまったのは、結局、自分にも原因の一端があるからだと、アマギリ自身解っていたからかもしれない。
もしくは単純に、昼間に見舞いに来ていた少女が、その話題が出た瞬間沈んだ顔を更に深淵にまで沈めたような空気を纏い始めたからかもしれなかった。
兎角、慣れない事をする事になったなと、一つだけ息を吐いて、アマギリは音も無く渡り歩いていた巨木の枝の上から、前転宙返りと共に地面に落着した。
「こんな遅くに、せいが出るね」
ぱきりと、足元に転がっていた枝を踏み折る音がして、それで漸く、彼女は気付いた。
振り回していた―――振り回されていた、剣を止め、振り返る。
「や、キャイアさん。―――二週間ぶりらしいね?」
「アマギリ……王子?」
キャイアは荒い息と、ふら付く体を隠そうともせず、疲弊しねめつけるような形となった視線をアマギリに向けた。疲労が行き過ぎて、思考が脳の理解に追いついていない風に感じられたが、生憎とアマギリには、都合よく持っていたペットボトルを手渡してやれる、等という器用さは持ち合わせていない。そもそも彼自身、客間で用意された寝巻きのままで、手荷物など一つも持っていない。
結局、話しかけたは良いが特にどうする事も出来ず、黙って木に寄りかかりながら、キャイアが落ち着くのを待つしかなかった。
「―――お目覚め、だったんですね」
「ラシャラちゃんに聞いてなかった?」
剣を鞘に収め、居心地悪げにその場に立ち尽くしながら、視線も合わせずに呟いたキャイアに、アマギリはそう返した。キャイアは首を横に振った。
聞く聞かない以前に、最近話してすら居ないなと、アマギリは中りをつけた。
「朝方漸く、ね。流石に寝すぎたみたいなんで、少し体でも動かそうと思って、夜の散歩に出かけた次第」
「……そうですか。お目覚めになられたのでしたら、―――そう、ですか」
世辞の皮を被った皮肉を言う気力も、どうやら無いらしい。キャイアは一瞬だけとても嫌そうに眉根を寄せた後で、そんな自分が嫌になったとでもいう風に、無気力な顔で呟いてくれた。
アマギリは気付かれぬように嘆息した後で、軽く肩を竦めた。
「何だか知らないけど、随分酷い顔してるねぇ」
「―――知ら、ない?」
無神経極まりない風をあえて作って言ったアマギリに、キャイアが胡乱な目で睨みつけてきた。
「そりゃ、知らないさ。キミは僕を避けているし、僕もキミは避けたい人種だ。知れる暇も無いだろう。―――推測は、出来るけど」
キミと違って―――、薄ら笑いを浮かべながら。
「なら、何時もどおり避けてなさいよ。私だって、アンタに傍に近づいて欲しくないもの」
些か張りに欠ける声だったが、それでも怒声と確りとわかる、その程度の気力は戻ってきたかとアマギリは判断した。
「ハハ」
声に出して笑う。俯きがちだったキャイアの顎が、少し持ち上がった。
「何がおかしいのよ」
「いやね、漸く似合わない敬語が抜けてきたなって。キミみたいな直球勝負の人間に、慇懃無礼なんて似合わないって前から思ってたんだわ」
「あ……」
濁点でもつきそうな音を漏らしながら、キャイアが目を丸くした。
アマギリはニヤリと笑って手をひらひらと振った。端から見ていれば忌々しい事この上ない態度だろう。
「どのみち学生としてはキミのが学年上なんだし、良いよ別に、楽な話し方で。立場とか気にしないで……と言うか、キミ、アウラさんとかには割りと直線的な言葉遣いしてるよね、フツーに」
「そん、なこと……っ」
無いともいえないなと、むしろ、高圧的な態度を取ったこともある。アレは剣士の所有権で揉めていた時だったか。それを思い出して、キャイアは気まずそうな顔になった。
女王の護衛聖機師でありながら、あまりにも普段の態度がぞんざい過ぎるのではないかと、自分でも思わざるを得なかったからだ。
アマギリはそんなキャイアの内心を察してか、薄く笑った。
「良いって良いって、キャイアさんはそれで。ラシャラちゃんもキミのそういう不躾な部分はちゃんと理解してるんだから」
重要な場面ではどうせ喋らせてもらえないだけだろうし、と何気にキャイアの存在理由に関わる事を平然と言うアマギリに、キャイアの額に青筋が走った。
「―――アンタ、何。結局喧嘩を売りに来たのかしら?」
「僕と喧嘩して気晴らしになるなら良いけど―――」
重く響くキャイアの怒声に、フラリと木から背を離して手を広げながら、アマギリは軽い口調で続ける。
「ここでやったら、確実に僕が勝つよ?」
周囲一帯、大樹の生い茂る深い森を示して、アマギリはあっけらかんとそう言った。
「はぁ?」
何をふざけた事を言っているのだろうかコイツはと言う声で、キャイアは応じた。
馬鹿にされているのだろうか、それとも、新手の趣味の悪い冗談なのだろうか。キャイアは主がラシャラである関係上から、アマギリと幾度か手合わせをした事があるが、その全てに勝利していた。手合わせの都度、打ち合わせた剣からアマギリのやる気の無さは伝わってきていたが、それを差し引いても、自身が勝てるだろうと、少なくともキャイアはそう認識していた。
「いや、これだけ足場があれば勝てるよ、僕でも流石に。特に不正地での敵陣突破とか、相当仕込まれたてるから。―――ついでに今は裏業使ってるから、普段よりよっぽど良い動き出来るしね」
何なら試しても良いけどと、アマギリはやはり軽い口調でキャイアに問う。
―――安い挑発だ。
買う方の器が知れるような、そんな程度の低い誘い。
「良いわ」
それなら、今更自分の程度なんて気にする必要の無い自分なら、何も迷う事は無い。
「やってやろうじゃない」
元からこの男は気に入らなかったんだからと、負の想念をたっぷりと滾らせながら、キャイアはその誘いに乗った。
鞘に収めた剣を、抜き放つ。―――アマギリが無手である事すら、気にならなかった。
「訓練中の殺傷沙汰は事故で済む、か―――良いね、僕の好みだよ、そういうの」
アマギリは特に動じる事も無く、それを許諾した。自身、実際に得物を持っていないにもかかわらず、だ。
その言葉が、それこそ、”お前に俺は傷つけられない”とでも言われているようで、キャイアの思考を憤怒が満たした。
殺傷沙汰は事故。
事故―――ああ、そうか。そういう事か。
こいつは、この男はこうやって”事故”と言う言い訳を使って、姉さんたちを。
―――ならば、何を躊躇う必要がある?
これは訓練。そして―――ギラリと月明かりを反射して煌く、鈍い刃。キャイアのその手に、握られていた。
「随分やる気みたいだし、早速始めようか?」
足元に落ちていた、折れた枝を拾い上げながらアマギリが言う。
この枝が落ちたらスタートねと、それこそ、かくれんぼでも始めるのかと言うほどの気安さで。
剣を握り締めるキャイアの手に、力が入った。
「それじゃあ、始めっと」
ポンと、アマギリは枝を放り投げた。
ザッ、と強く地面を踏みつける音。
振り上げられる鈍い刃。狂想に歪んだ瞳。それはまるで今にも泣き出しそうな―――。
そして―――結果は、いうまでも無い。
「”地面"しか足場の無い平面的な動きだけじゃあ、さ。上下左右、無数の足場を自在に活用可能な状況を用意された樹雷の闘士には勝てないって」
月の位置がさほど動く間もなく、勝負はあっさりと決した。
開始と同時に、少しだけ開けていた、県を振り回すだけの余裕のあった広場から、アマギリはバックステップで後退。追撃を跳躍で避けて、それからは、深い森の木々全てを足場としてかく乱しながら、一瞬でキャイアの背後に回りこみ、あっさりと一撃を叩き込んだ。容赦なく、延髄に。
「剣士殿との戦闘経験があるって言うのに、ちょっと油断しすぎだったんじゃないの? あの方に比べれば僕の技なんて、児戯に等しいんだぞ」
吐き気と痛みで呻くキャイアの背に圧し掛かりながら、アマギリは飄々と嘯く。勿論、キャイアが手にしていた筈の、柄が血に黒ずんでいた剣は、既に彼の手の中にあった。
「だいたい、インドア派の僕が調子こいた挑発なんかしてきてる時点で、おかしい事に気づけよ。どう考えても何か手札があるって言ってるようなもんだろ? それを真正面から突っ込んできちゃって、まぁ」
「うるっ……」
―――さい、偉そうに。怒鳴りつけて背に掛かった重さを振り払って、ついでに斬り付けてやりたいくらいだったが、鈍痛で声を出すのも苦痛だった。
「そんな調子で大丈夫かキミ。―――もう暫く経たないうちに、剣士殿とガチンコでぶつからなきゃいけないんだぞ?」
「―――へ?」
剣士?
ぶつかる?
あっさりと語られた言葉の意味が、一瞬理解できなかった。
剣士と、ぶつかる。ババルン・メストの手に堕ちた、剣士と、ぶつかる。
それは、つまり―――。
意味する所を理解したキャイアは、歯を食いしばり押さえつけられた体を筋力だけで跳ね上げようとして―――ズガンと、容赦なく後頭部を掴まれて頭を地に叩き伏せられた。
「―――っ、ぐぅ!?」
「そうやって、自分以外の人間のやろうとする事は全部”悪い”みたいな発想止めような。そのうちダグマイア君みたいになるぞ?」
「は、なせ……、このっ!」
それでも、その細い体の何処にそんな力があるのか、キャイアは渾身の力を振り絞ってアマギリの束縛から逃れようともがく。力を、力を、自身の力で筋を痛めつけてしまいそうなほどに力を込めて。
「―――ったく、聖機師の女ってのはホント馬鹿力だな畜生」
アマギリは、ここで怪我をさせるのも馬鹿らしいと、キャイアの上から飛びのいた。無論、剣は奪ったまま。
飛びのこうとした刹那、振り上げられた足刀が頬を掠りそうになって肝を冷やしたが、表情を変えることは無かった。
少しの距離を置いて、低い体勢を取ったキャイアと向かい合う。無論、これ以上益体のない喧嘩など、彼には続ける気が無かった。
「考え付く限り、洗脳の手段ってのは幾つかパターンが想定できる」
故に、憎しみで人を殺せそうな目つきで睨みつけてくるキャイアに、淡々とした口調で一方的な説明を始める。
「精神を完全に破壊し上書きする。認識をずらし、行動を誘導する。そしてアストラルに干渉して、脳に対する優先的な命令系統の確率―――ポートをこじ開けて上流からのリンクを一方的に繋げちまうってトコだな」
「何、を言ってるの―――?」
突然始まった”難しい”話に、キャイアは意味が解らず身を起こし目を丸くする。しかし、アマギリの一方的な説明は続いた。
「教会の所蔵していた古いデータを参照とすると、人造人間に対する指揮系統って言うのは、二つ目と三つ目の複合的なものを用いて行っているというのがわかった。製造段階で予めポートを開いておき、そして認識をずらす―――つまり、無意識下に行動規範を設ける。先史文明次代に多くの人造人間が暴走した理由の多くは、この無意識下の行動規範の策定に失敗したからだ。アバウトだったのか、それともロジカル過ぎたのか、ともかく、入力したとおりの行動を取ってはくれなかった。―――だから最後に作成した三人の人造人間には、命令入力を行わずに、ただポートを開いておいてその都度必要になるたびに指示を出していくという形で育成を行っていたらしい」
「だからなんだってのよ! 何の話をしているのよ、一体……」
謂れの解らない事情に関する説明を滔々と語られた所で、苦痛なだけである。黙らせようと叫ぶキャイアに、しかしアマギリは、肩を竦めて言った。
「全部、キミが自分の世界に篭っちゃって―――ついでに、僕が倒れている間に、他の人たちが頑張って調べてくれた事だ」
「―――え?」
「ホント、二週間と経たずに頑張ってくれたもんだよ。こうして起き上がった瞬間に、次に動くために必要な下調べが全部終わってるんだから、ありがたいったら無いね」
言葉尻は軽く、しかし気持ちだけは真摯なもので、アマギリは、言いながら微笑を浮かべていた。
キャイアは、何を言われているのか理解出来なかった。
下調べ。必要な。次に、動く。人造人間の、行動規範。洗脳。
「剣士殿は最後に作られた人造人間の子孫だ。なら、当然そこに組み込まれた制御機構も、最後のアストラルに対する干渉以外には無い。それなら―――解除手段は、ある」
「―――うそ」
言われた意味が、言われた意味を、言われたくない、だって私だけ―――何もしてない。
キャイアは、我が身を省みる事すら恐ろしかった。
この二週間。失恋と、真実と、敗北とそして奪われた痛みから逃げるように、誰からの干渉をも避け、ただ闇雲に―――何を、していただろうか。
「ま、そう言う訳なんで、剣士殿をこっち側に引き戻すためにはキャイアさんの協力が必要な訳よ」
内心を確りと悟っているだろうに、アマギリはあえて何も知らぬふりを見せたままそんな風に言った。
キャイアが言われた言葉を理解するよりも早く、一方的に言葉を続ける。
「現状、どれだけ思考を塗りつぶされているかわからないから、とりあえずは一度叩きのめして意識を失わせて―――その後は、まぁ、その後でって事で。……つまりは、さ」
アマギリは手にしていた剣を地面につきたてながら、言う。
「剣士殿を”生きたまま武装解除する”なんて難行に挑むためには、キャイアさんみたいに優秀な聖機師の助けが必要になるんだ」
ウチの部下含めて、他の連中も軒並み居なくなっちゃったからねと、アマギリは苦笑交じりに言葉を結んだ。
「わた、しが……必要?」
「必要だね。猫の手もって言い方も正直否定できない部分はあるけど、キミ、例のスワンの襲撃の日に剣士殿と正面からぶつかって生き残ったんだろ? それだけやれれば上等さ。協力してくれるなら、願っても無い」
してくれないなら、それはそれで構わないけど。
アマギリの言葉は至極明快なものだ。
ラシャラの線から手を回せばわざわざ説明する必要も無くキャイアを巻き込む事も出来るというのに、突き放したような物言いをする。
「なんで、一々そんな……」
特別親しい訳でもないのにと、混乱する頭で尋ねるキャイアに、アマギリは微苦笑を浮かべた。
「何かダグマイア君がここに残るとか言い出しちゃったからさ。このままキャイアさんのテンション下げたままだと、また見たくも無いグダグダなやり取り見せられそうだから」
「そん、そんな言い方―――っ!」
「いや、人の好みにケチつけるつもりは無いけどさ、君ら本当に空気読まずに始めるじゃない。正直アレはね。剣士殿とのガチンコって展開を前にやられると萎えそうだから」
出来れば見えないところでやって欲しいと、冗談めかした物言いにキャイアの脳が先ほどまでとは別の意味で沸騰した。
「アンタ、いい加減にっ―――!!」
つかみ掛かって張り倒してやろうと踏み込んでみれば、アマギリは膝だけを使って高く跳躍して、木の枝の上に跳びずさった。
「元気が出たようで何より。―――僕が言えた義理じゃないけど、あんまり周りに心配かけるんじゃないよ」
「このっ―――待てっ!」
「それじゃ。動作プログラムの試運転に付き合ってくれてありがと~」
その言葉を残して、森の闇の中にアマギリは消えた。
キャイアは一人取り残されて、握りこぶしを震わせた。好き放題言われたまま、何も言い返せずに挙句組み伏せられるという屈辱まで浴びせられて。
―――その癖なんで、自分はこんなに前向きな気分になれているのやら。
あれほどに、何に思いつめていたのかを見失うほどに思いつめていたというのに、今はそれが、少しだけ冷静に捉えられるようになっていた。
「ああもう、腹立ってくるわね―――」
突き立てられた剣を睨みつけながら、そう毒づくしかない。
忌々しいばかりの男に好き放題言われて、気を持ち直しているんだから世話無い話だ。
一度落ち着いてしまうと、ここ暫くの自分の態度が周りにいかに迷惑をかけていたかも理解出来てしまい、益々頭が痛くなってくる。
目の前にアマギリが残っていてくれれば、怒りをそのままぶつける事が出来るというのに、それも不可能。―――と言うかあの男、避けるのが上手すぎだ。回避術だけ専門的に訓練されているとしか思えない。
この苛立ちを何処にぶつければいいのか―――そう考えて、そして気付く。
剣士を取り戻す。そのためにもまず―――。
「ガチンコで、ぶつかる」
アマギリは、そう言っていた。そのためにキャイアの力が必要だと。
つまりは、キャイアが剣士と正面から激突する事になるのだ。
なるほどと、キャイアはその事実に頷いた。
「私に心配をかけたこと、後悔させてあげないとね―――」
勿論、好き勝手言ってくれた男の鼻を明かしてやる事も、欠かせないだろう。
ぐっと、柄を握り締め、地面から剣を引き抜く。
一閃。それは、夜風と夜風の隙間を滑るように奔る、清々しい響きを有していた。
※ いい加減立ち直ってくれ的な話。
脳筋系は悩むよりも身体動かしてナンボだと思う。ダグマイア様との絡みをどうすっかなぁ……。