・Scene 43-5・
体が重い。
―――この感覚は久しぶりだなと、彼は止まぬ鈍痛の底で思った。
徹夜も二日三日続けば、何故だか空元気のようなものが沸いてきて、その勢いで更に三日四日と―――そして、気付けば何時もこうだ。
でも仕方が無い。
選抜され磨き上げられたエリート達の端の端で、彼女等に迷惑をかけないようにするためには、凡俗の身とあっては無理を幾つか重ねてみせるしかないのだから。
資料室に篭りきりになり、机に突っ伏し気を失うなど、割と日常茶飯事だった。
その度に心配そうな顔で肩をゆすられて―――それが迷惑をかけているのだと理解していても、そうしなければ更なる迷惑をかけてしまうと、今思えばそれは、所詮子供の意地なのだろうが。
―――そして今日も、鈍痛と歪んだ思考の狭間に落ちている彼を現実に引き戻すためか、肩を揺すられて。
それにしても何故だろう、随分と机の上が泥臭い。空気は生ぬるく、資料室の古書の詰みあがった独特の饐えた空気とも違う―――ああ、そうか。
彼は理解した。
同時に、現実逃避をしていた自分が馬鹿らしくて笑ってしまう。
「夕咲殿……いくら闥亜様に敵わないからと言って、僕をいたぶって気を晴らすのはいい加減止めてくださいと……」
また例によって、寝不足でふら付いている所を、練兵場まで引きずり込まれたらしい。
両者同意ではない訓練なんて、ただの私的制裁にしかならないのだからと毎回毎度の抗議をしているというのに、一向に聞き入れてもらえない。樹雷と言うのは何処までも武闘派が強い所だった。
往々にして此処の連中は、人を殴り倒す時も乱暴極まりないが、起こすときもまた同様だ。
肩を揺するにしても、もうちょっと、丁寧に―――。
「―――殿下っ! いい加減にこっち戻ってきてください!!」
「―――……っ、ぁ?」
目を見開く。ぼやけた視界の向こうに、煤けた曇天の空が見えた。
何処だ?
瓦礫の山の向こうで朽ちた巨塔が火を吹き上げているような、この世の物とは思えぬ光景。
「―――地獄?」
「……つくったの、貴方ですけどね」
呟き洩れた言葉の隅に、呆れた響きが混じった。
それで、視界が一気に晴れた。
「―――また酷い顔してるな、きみ」
「させたの誰だと思ってるんですか……」
「僕か。―――そりゃ、光栄だね」
半身を起こした自身を支えるようにして、従者の少女が寄り添っていた。
何故だか悲しいんだか嬉しいんだか、死にそう何だか生きてるんだかよく解らない、表現しがたい顔をしていた。
―――美しい、と評してやるのが一番かとも思ったが、その少女以外の人間の気配も当然感じていたので、言ってやる事は無かった。
「軽口をきける程度の気力はあるようだが、体のほうは平気なのか?」
傍に膝立ちしたまま、瓦礫の山の向こう―――倒壊したバベルを眺めていたアウラが、目を細めながら尋ねてきた。
「お陰さまで、死にそうかな」
「―――そういう事が言えるヤツほど、案外長生きするものだ」
それこそ軽口に違いないアマギリの言葉に、アウラはその裏の裏を読んだのか、労わりを視線に込めながら、やはり軽口で返した。
それに苦笑で返しながら―――アマギリは気付く。
「いや待て、何処だ此処!! 何できみ等がこんなトコに居るんだ!?」
咄嗟に辺りを見渡す。思い切り首を振ったせいで、鈍痛が酷かったが、それどころではない。
崩れ落ちた校舎。倒壊し火を吹き上げるバベル。皹が入り劣化したコクーン。間違いなく、聖地の中庭である。
「と言うか、バベルの有様は何なんだ……」
何ともカタストロフとしか評しようの無い有様の黒煙を巻き上げるバベルの姿は、些かアマギリの想像を超越していた。
「お前の仕業ではないのか?」
「いや、広義で言えばそうなんだろうけど、ここまでやるつもりは無かったと言うか……」
おそらくは、モニターの向こうに映ったバベルの管制室の隅っこで、暗いくら~い瞳をしていたエメラが、頑張りすぎたのだろう。アマギリとして精々倒壊させてくれれば良かったのだが、どう考えてもその範疇を超えている。火薬庫に火を放ったのか、それとも結界炉を暴走でもさせたのだろうか。一途な女の情念に恐ろしさを覚えずには居られない光景だった。
「まぁ、予想を遥かに超えた光景だけど、あれはあれで、中に居たロンゲ辺りも一緒に死んでくれそうだから都合が良い。―――自分で手を下せなかったのは不満だけど。それよりも、だ」
「色々不穏な発言が聞こえるのだが……」
「気のせいだよ、気のせい。―――ホント、きみ等こんな所で何してるんだ!? スワンは? もう脱出したのか!?」
アウラのツッコミを軽くいなした後で、アマギリは顔をしかめて尋ねた。ワウアンリーが、何とも微妙な顔で応じた。
「スワンでしたら、多分まだ係留中……あ、出港準備は終わってますけど」
「終わってるんならとっとと出せよ! 上がこんなに騒がしくなってたら、下から横からおっつけ敵が来るぞ
!?」
「それをお前が言うか? むしろアマギリ、お前こそ何をこんな所で倒れていたんだ」
「何でって―――……あ」
心底怒りに満ちた低い声でアウラから言われ、気勢をそがれたアマギリは、漸く今の自分の状況を理解した。
空を見上げる。曇り空。
地面を見下ろす。土砂が盛り土のようになっていた―――花壇では、なかったらしい。
体を見下ろす。リチアが腹の辺りに手を添えて何かをしていた―――それは良いとして、何故か血まみれだった。
そして、殆ど全身に力が入らない。
「―――悪い、しくじった。もうちょっと持つと思ったんだけど……」
パカンと、言った瞬間頭を叩かれた。
「今のはお前が悪いだろう」
叩いた涙目の少女をにらみつけると、反対から声が飛んできた。横目に見ると、私が叩いてやっても良かったんだぞと言う目で睨まれた。
「こんな混沌とした状況になるなんて、私は聞いていなかったぞ?」
「いや、だから流石に此処まで派手にやるつもりは無かったんだけど……」
強いて言えば、ガイアもアマギリ―――皇家の樹も、些か力があり過ぎたというだけの話しである。そして、アマギリにはそれを受け止めきる力が無さ過ぎた。
そんな風に考えていると、アウラが更に視線を厳しくした。
「他人の秘密主義を責める前に、お前も少し、自分の秘密主義を何とかするべきだ」
「ホントですよ。あたし、テキトーにからかった後でこっちに合流する、としか聞いてませんでしたよ?」
「当初の予定だとそうだったんだけどね、ホント……」
まさか、此処まで命を削るような羽目に陥るとは、流石に予想できなかった。
他人事のように呟くアマギリに、アウラは大きくため息を吐いた。
「説教は持ち越しだな。―――とにかく、元々逃げる予定だったのだから、逃げるぞ。間違っても反対などしないだろうな?」
「と言うか、認めませんけどね、反論なんて。―――リチアさん、どうですか?」
ドスの聞いた声で言うアウラに続いて、ワウアンリーも然りと頷く。ついで彼女は、アマギリの腹に両手を当てて目をきつく閉じていたリチアに尋ねた。
リチアは暫くの間、先ほどからのように苦しそうに唇をかんだまま眦を寄せていたが、やがて、戸惑いを隠さずに首を横に振った。
「―――駄目。どうして回復亜法が効かないの? 外傷すらふさがらないなんて……」
それでアマギリは、リチアが今まで黙ったまま何をしていたのかと納得した。
回復亜法―――女神の洗礼を受けた聖機師が、聖衛師と呼ばれる特殊な亜法を納めた聖機師の亜法により、傷ついた身体を癒す技法。
聖機師の肉体の損傷の治癒どころか、聖機人の修復すら可能と言うのだから、中々ふざけた話だとアマギリは常々思っていた。一体どういう原理なのか、想像する事すら馬鹿らしいレベルである。
「アマギリ、あんたちゃんと、洗礼を受けてる筈よね……?」
リチアが泣きそうな顔で尋ねてくるから、アマギリは苦笑交じりに頷いた。
「そりゃね、王子様だもの。教会の偉いさん呼んで、寄付金たっぷり積んでやってもらったよ」
ハヴォニワの教会施設内の、女神のご神体の前で、そういう儀式を確かに受けた記憶がある。そう答えると、リチアは益々泣き出しそうになった。
「じゃあ、何で直らないのよ!? 私が未熟だから……?」
協会に所属しているが故に、リチアは回復亜法の手ほどきを受けていたから、傷つき臥せったアマギリを見た時、自分しか癒せないと思い、回復亜法を使い続けていた。
しかし、幾ら結界式を展開して亜法波を流し続けようとも、アマギリの体中についた擦り傷の一つすら、一向に回復しない。
「別に、リチアさんのせいじゃないですよ―――っと」
ぽんと、ふら付いた手で泣き出しそうなリチアの頭を撫でながら、アマギリは起き上がろうとする素振りを見せた。しかし、意思に反して体は全く動いてくれない、背中を支えていた従者が、主の意向を理解して体を持ち上げるようにしてくれたから、事なきを得たが。
従者に体重を押し付けたまま、地に足をつける。どう頑張っても体重を支えきれそうに無かったが、膝立ちで様子を伺っていた友人が、肩を貸してくれて何とか支えきれた。
その男としては些か情けない格好のまま、アマギリはへたり込むリチアに向けて手を差し出した。
「津名魅の眷属である僕が、訪希深の加護に縋ろうってのが、どだい無理な話なんだよ」
「―――は?」
「養殖モノでもそれなりに認められてるって事かな」
一斉に訳が解らないという顔をする少女達に、アマギリは肩を竦めて嘯く。
「ようするに、この期に及んでも秘密主義と言う訳か―――まぁ良い、とにかくそろそろ本当に逃げよう」
アウラが顔をしかめたまま、しかし状況を正しく理解して撤退を促す。
「そう……ね。階段の下に野生動物達も居る筈だし、回収しないと」
リチアも、何だか馬鹿らしくなったと言う風に溜め息を吐いた後、アマギリの手を取り―――体重もかけず、添えるだけに留めていたが―――立ち上がった。
「―――今何て言った?」
緩みかけた空気を凍りつかせるように、アマギリが低い声で問うた。
「―――殿下?」
背中を支えるワウアンリーの不思議そうな声に答えず、愕然とした瞳で辺りを見渡す。
聖地学院―――今は最早、瓦礫の山と廃墟と言った有様だが―――その、中庭。
ふら付く足で振り返ると、長い階段。―――その先には、王侯貴族用の一等艦船を係留している港湾に続く。
そして。
「まて、確か黒い聖機人は下に落ちた筈だな!?」
「へ? ええ。びっくりしましたよ、凄い音がして……」
「中央校舎が、一瞬でひしゃげたからな」
ガイアのコアユニットを所持していた黒い聖機人を、光鷹翼の強引な運用で撃破して―――しかし勢い余って、桟橋にまで落下させてしまった。
「剣士殿が出てきた、だと? どういう事だよ……」
「へ? えっと、その……どういう事なんでしょ、そういえば?」
ふら付く足取りで階段を目指すアマギリを慌てて支えながら、ワウアンリーが首を捻る。同様にアマギリに肩を貸していたアウラが、向かいから助け舟を出した。
「アレに乗っている聖機師と知り合いのような口ぶりだったな。―――よく考えればそれも当然かもしれん。剣士は元々、”連中に利用されて四月の頭の事件に襲撃者側として参加していた”のだから」
「―――ヤベ」
言われた言葉に愕然とした。
失念していた事実に驚愕を覚えた。
この世界での事情よりも先に、本来の自身の居場所での関係性を念頭に置いていたせいで、完璧に忘れていた事実。
黒い聖機人。四月の頭に遭遇した。
剣士。同様の夜に初めて出会った。
ならば両者には多少の関係があって当然で―――だからといって、それに何か問題が?
自分が何故、そんな当たり前の事実に怯えを抱いているのか。
今日のこの日が、日が昇り始まった瞬間からずっと感じていた不安が、急速に湧き上がっていく。
ふら付く足取りで進む。
階段が遠い。体が重い。
急がないとと気ばかりが急いていく。
「ちょっとアマギリ、あんたボロボロなんだから無理したら……ああもう、唇から血が!」
慌てて追いかけてくるリチアの言葉も、アマギリの耳には入らない。
早く行かないと。暗く沈む階段の下に。
急がなくては。
嫌な予感。絶望的なほどに感じる、絶対に避けねばならない最悪の事態が。
『あああああああああああアアアアアアアアアアアァァァァァぁぁぁぁぁぁああああっっっっ!!!!』
―――この奥で、待ち受けている。
※ オリ主一週間ぶりですか。ここまで長い間隔で出てこなかったのって初めてでしょうか。
彼の主観だと正味十分くらいしか経ってないんでしょうが。
まぁ、何はともあれ次回、次回って感じですかねー。