・Scene 43-4・
木々を掻き分け、崖を蹴り、稼動桟橋を用いずに、港へと飛び降りる。
行動の意味が理解できなかった筈が無く、それがもたらすであろう少なからぬトラブルに関しても、予想がついていた。
だが、剣士は止まらなかった。
交通事故にでもあったかのように、芝が捲りあがり抉れた地面がむき出しとなった中庭の上を転がり落ちてきた黒い聖機人―――ドールの元へと、走る。
ドールの操る黒い聖機人は、最早ヒトガタとしての原型を留めていない。四肢を両断され、頭部は割れ、腹の透過装甲すらひび割れ内側のコアユニットが覗けるような酷い有様を晒している。
大破―――どころではなく、撃墜されたと判断されて間違いない状況だったが、それでも、それを行った者はまだ満足していなかったらしい。
そうだろうなと、一直線にドールの元に脚を進めながら剣士は思う。
ドールは敵だ。
少なくとも、たった今、空から降臨してきた鉛色の龍にとっては。
そして龍は容赦をしないだろう。自分が叫び呼び止めれば、止まってくれるかも知れないと言う淡い期待も剣士にはあったが、それと同時に、叫ぼうとした瞬間に躊躇わず、鈍い光を放つ刃の生えた腕をドール目掛けて振り下ろすかもしれないと言う確信的な予感もあった。
龍を操っているのはアマギリで、だから、アマギリならばやるだろうと、剣士は確信していた。
だから、剣士は走る。
アマギリにとってドールは敵で、だから彼には容赦をする理由がなく―――しかし、剣士にとっては違った。
ほぼ決着がついたという形になったのであれば、命を助けたいと言う思いが沸いて来る。
剣士にとってのドールは、その程度の親しさは感じるような存在だったから。
かつて、判断材料の不足から、剣士が道を過ちそうになったとき、幾度かの会話を交わしただけ。
言ってみればその程度の関係である。
ラシャラ襲撃犯の一味―――ダグマイアの主導だったらしいが―――に組していた頃の剣士が、同僚としていた女性聖機師である。何処か人を寄せ付けない、露悪的かつ隠棲的な面が強かったが、何故か剣士は親しみを感じていた。懐かしい空気を覚えた、と表現しても良いかもしれない。
望郷への思い、行わなければならぬ事に対する罪の意識から心がささくれ立っていた頃の剣士は、彼女との会話で幾らか救われていた。
―――ゆえに、今度は自分が救う番なのではないかと、そう思った。
しかし、頑なに自分のルールを遵守し、危険と認めたならば迷わず排除を実行するアマギリを相手に、どう凌げば良いのか。
走りながら、振り上げられた龍の右腕を見上げながら、剣士には何も思い浮かばなかった。
とにかく、刃が振り下ろされる寸前までにドールの元までたどり着ければ、きっと何とかなる。アマギリが自分を傷つける事はしないだろうと、それぐらいは会話を交わしていれば理解できていたから。
相手の善意―――善意? ―――を利用した、ずるい手段だと言う思いは当然あったが、それでも今は、他に方法が無い。知っている人間が、知って居る人間に目の前で殺される所を見るのは、それを何もせずに見ているのは、剣士には出来なかった。
―――結論を先に言えば、刃が振り下ろされる事は無く、剣士はドールをその手に抱えあげる事に成功した。
龍機人は何故か空に静止したまま、内側から血に塗れた少年を排出し、自らは殻のうちに戻った。
その様子を見れば―――笑顔で別れた人間が、今にも瀕死の様相で天から地に落ちる姿を見せられれば、心に突き動かされるままに動いていた剣士も、流石に立ち止まる。
破砕され、坂のようになってしまった階段の上の盛り上がった土砂の向こうに崩れ落ちたらしい少年と、目の前の破壊された聖機人の中に取り残された少女。どちらも剣士にとっては親しい人間であり、どちらも守るべき存在だったから。
背後から追いついてくる女性達の姿が無ければ、剣士はずっと、呆然と立ち止まっていただろう。
少女達は追いつき―――殆どのものは、剣士をそのまま追い抜いていき、伏せて動かぬアマギリの元へと駆けて行ったから、剣士は、ドールの下へ行く決心がついた。
階段の上のアマギリの元を目指して走る少女達を見送った後、剣士は階下に転がっていたドールの聖機人に向けて再び駆け出した。
なぜならきっと、ドールの事を救いたいと望むのは剣士だけだったろうから。
液化機能の停止していたコアユニットからドールを引き上げるのは一苦労だったが、抱きかかえたドールが怪我一つ無い事に、剣士は安堵を覚えた。
黒いドレス、長い髪。浮世離れした、白い肌。閉じられた瞼を飾る長い睫も、鼻筋整った稜線も、剣士の知るドールそのままである。
脈はある。―――おそらくは強い衝撃を受けて、気を失っているだけ。
「その子……剣士の知り合い?」
「―――キャイア」
仰向けに転がった聖機人の腹の上から、ドールを抱えて地面に飛び降りた剣士に、傍まで駆け寄ってきていたキャイアが声を掛けてきた。表情は余り明るいとはいえない。出発前とはまた別の陰鬱な面だった。
「うん、ドールって言うんだけど……何ていうのかな」
「んっ……」
剣士がどう説明しようかと言葉を濁している矢先に、気を失っていたドールの眦が揺れた。
「ドー……」
―――ル。声を掛けて腕の中で気を失っている少女の意識を引き戻そうとしたその瞬間。
轟音と爆炎が、曇天の空を赤く染めた。
「何なのよもう、次から次へと!!」
再び起こる、人が生み出したとは思えぬ轟音と風圧に、キャイアが自棄になったような悲鳴を上げる。
予測も突かない事態が連続して起こりすぎて、最早心が保ちそうに無かったのだろう。
剣士も目を細めて舞い上がった土砂が降りかかるのを遮りながら、風圧の向こう、音の断続的な爆発音が響くその場所を見やった。
階段を上り、中庭を抜け、瓦礫と変わった校舎の向こう。
―――そこに在った筈の、屹立する空中要塞バベルが、骸のように崩れ落ち、炎を吹き上げていた。
「―――次から次に、本当に何がどうなってるの……」
火山が噴火したかのような、黒煙と灼熱の炎、を瓦礫の向こうに目撃し、まるでこの世の終わりの光景とすら思えてくる尋常ではない情景に、キャイアは震える声で呟いた。
「あれ、敵の……要塞だよね?」
剣士も、割と想像の及ばなかった事態だったので、呆然と目を丸くするしかなかった。
囮を用意して、こっそり忍び込んで、助けて、逃げる。
事前に聞いていた計画を大まかに理解すればそういう事だった。
―――敵の本拠地を、爆破解体するなどと言う話は、間違っても聞いていない。そもそも一人で敵の最大戦力―――ドールだったのだが―――と戦い始めてしまった段階で、色々と思うところがあったのだ。
その挙句、何も伝えずにこんな大それた行為を行ってしまわれれば、混乱するしかないだろう。案外、アマギリ本人にとっては”言わずとも解るだろう?”と言う状況に分類できてしまうのかもしれないが。
「……ひょっとして、脱出のタイミングを知らせる”解り易い合図”って、コレのこと……?」
キャイアが最早驚く気力も沸かないという平坦な口調で呟く。剣士も口を半開きにしたまま頷いてしまった。
敵をやっつけたから、さぁ、帰ろう。
―――なるほど解り易い。
「余りにも解り易すぎて、逆に誰にも解らないと思うんだけど……」
「同感ね。無茶苦茶すぎるわ、あの品の無い男」
「品が無いってのは、言いすぎだと思うけど」
返された言葉の棘の多さに、剣士は赤い空を見上げながら苦笑してしまった。
「人を人形呼ばわりした挙句、寝技だなんだってレディの前で口走るんだもの。それが下品でなくて何なのよ?」
「ああ……それはちょっとアマギリ様が悪いかなぁ……―――って、え?」
自分は今、誰と話していたのだ。
剣士は目を瞬かせて、辺りを見渡し―――キャイアは、まだ呆然として燃え盛るバベルの残骸を見ていた―――そして、その声が直ぐ自身の耳元から響いた事に気付いた。
「―――ドール」
「久しぶりね、剣士。きっと此処で会う事になると思っていたわ……あの男のせいで少し、予想外の展開だったけど」
いつの間にか。
抱き上げた腕の中で力なく臥せっていたドールの瞼が開いて、その透明感ある瞳が、剣士を見つめていた。
「起きたんだ。―――身体は平気?」
「―――まず一番初めにそう言う事を聞いてくれるのは、やっぱり剣士ね」
驚いたと口にする事も無く、ただ無事を案じてくれる剣士の態度に、ドールは微笑んだ。剣士は何故そんなに嬉しそうなのか理解できないと首を捻る。
「起きれる?」
「―――まだ無理よ。……無理みたい」
とりあえずと、勝手に抱きかかえたままと言うのも失礼かと思い尋ねる剣士に、ドールはしかし、ゆったりとした仕草で両腕を彼の首に回しながら、答えた。
耳元で囁かれた言葉に、甘いものよりもまず、諦念と疲れを感じ取ったのは、きっと気のせいではなかった。
なぜなら。
「―――何を戯れている、ドールよ」
重く響くその言葉が、突然現れた気配と共に、聞こえたから。
「何っ―――!?」
「キャイア、下がって!!」
傍に居たキャイアが驚き振りむく言葉に被せるように、剣士は咄嗟に叫んでいた。
自身まだ、そこにいるはずの何者かを把握していなかったと言うのに、何故か確信的に嫌な予感しかしなかったからだ。
ドールを確りと抱きかかえ、半身踏み出しキャイアの姿を隠すように、声の主と向かい合う。
「―――なんで、こんな、処に……貴方、が」
背後で、キャイアの震える声が聞こえた。
そこに居たのは、厳つい、人とは思えぬ恐ろしい気配を秘めた、幹質な瞳と、覇気に満ちた笑みを併せ持った、不気味な男。
「メスト卿」
混乱をそのまま示したようなキャイアの声に、剣士は眼前の存在が何者かを悟った。
敵の首魁、聖機神ガイアの人造人間ババルン・メストが、暗く、紅い瞳を滾らせながら、そこに在った。
その赤い瞳と視線が絡んだ瞬間、剣士は本能的な判断で、腰を落とし、脚に力をためていた。
―――危険だ。
そこに在るのに気配が薄い。在ると解っているのに、攻撃を中てる手段が、まるで思い浮かばない。
人外としか評しようが無い、未だに勝つ方法が思い浮かばない身内に親戚達と幾度と無く試合って来た剣士を持ってしても、目の前のこの相手に対してどう立ち向かえば―――どう、撤退すれば良いのか、想像が及ばなかった。
力は、きっと彼らには及ばぬであろう筈なのに―――目の前のこの男、人とは思えぬ虚ろな気配、戦うには危険だと、剣士の直感はそう告げていた。
退かねば。―――何処へ?
背後には混乱したままのキャイア、そして、腕の中には身動きできぬドール。
背にした階段を上った先には、きっと倒れ臥したアマギリと、その傍には彼の少女達が。
彼に守護の役目を託された、彼が守りたいと願っていた少女達が、居る。そして、ババルンの佇むその向こう、出港準備を終えたスワンには、剣士自身が守りたいと思う全ての人々が乗船していた。
位置取りが拙すぎる。退くも進むも、どうしようもない。
「―――人形の回収に来てみれば、これは思わぬ拾い物だ。まさか、このようなところで出会えるとは」
紅い瞳の大男は、ドールを、ついで剣士の姿をじっくりと眺め回した後に、楽しそうに言った。
後ずさりそうになった剣士は、背後に居るキャイアの存在を思い出し、何とか踏みとどまる。
怯えているとも取れるその様子を見て、ババルン・メストはさらに笑みの形を深めた。
「異世界の聖機師よ。我を封ぜんと望む愚かなる者達に操られるだけの人形よ。滅ぶ以外に価値の無い全ての存在のためだけに生きるその様は辛かろう」
「なに、を」
喉を鳴らして、力を込めて、しかし呻くように言葉を吐く。
音も無く一歩踏み出してくるその男が、剣士にはこの世の者には思えなかった。
「人柱に堕ちる、決められた運命から救済をしてやろうと言うのだ―――この、私が」
その在り様は無意味であると、意味は理解できずとも、含まれた意思だけは理解できたから―――剣士の取った行動は一つ。
”拒絶”。
「ふざけるな! 俺はお前なんか必要としていない!」
強い口調で、今度ははっきりとした言葉を叩きつける。
「クッハッハハハハハハ! 否定するか、私を。当然だ! それこそが貴様の決められた生き方なのだからな!」
その力強い言葉を前にしても、ババルンは哂う、哂う、哂い続ける。剣士の揺るがぬ在り様を、嘲笑する。
剣士は食いしばった歯を軋ませながら、叫び返す。
「黙れ! 誰かに決められたからこう生きるとか、俺はそんなんじゃない!」
「―――当然だ。そうと思わぬうちにそうあってしまうからこそ、決められた生よ。貴様と、私と、そして―――なぁ、ドール」
鼻を鳴らして応じるババルンの言葉に、剣士は戸惑いを覚える。
ドール。胸に抱いた少女を見下ろしてしまう。視線が絡む。透き通った―――悲しみを込めた瞳が、剣士の瞳に映る。
「目的を持って造られた生である私達は、誰かに目的を押し付けられるままに、生きるしか、無いの」
至近から、その整った唇より語られる言葉と共に、首に回されたドールの両腕が、剣士の背を撫ぜるように動く。
だ。
―――か。
――――――ら。
唇の形が順を追って変化していくのを、耳が音を拾うよりも早く、視界に納めた。
――――――――――――ごめんなさい。
「剣士!!」
ドールの言葉。
キャイアの叫び。
脳がその意味を理解するよりも先に、剣士は背中に発した熱の存在を理解した。
焼きつくような―――痛み。
じんわりと広がっていく、おぞましい寒気を覚える熱量は―――ああ、血だ。
俺の血が、俺の背中を、焼いている。
背骨の傍。さっきまで、服の上から細い指で撫で回されていた―――だけど今は、鋭い痛みしか感じない。
トンと、胸を押す、紅く染まった掌に押され、剣士は蹈鞴を踏んで後ずさった。
腕から力が抜けるよりも先に早く、ドールが、突き飛ばすように剣士から離れ、立ち上がった。
ふらりとおぼつかない脚で後ろに下がる―――その最中、紅く染まったドールの片手に、鋭く尖った、ガラス片が握られていたのが、剣士には見えた。その鋭さは持ち主の掌すらも切り裂き、―――ああ、俺の血と、雫に垂れるドールの血が、混ざってる。
「混血で強制力が弱まっていると言えど、傷ついたその身、保てぬ意識の狭間では―――抗えまい」
無機質に変わったドールの顔のその奥から、不気味な気配の主が、剣士に向かって手を翳す。
その奥にある瞳は愉悦に煌き、紅く、紅く、地獄の業火の如く、燃え滾るようだった。
「さあ―――我に、従え!!」
※ ドール、画面に出るの初めてですねそう言えば。
コレで原作のヒロイン格は全員出たのかな……って、そうか。山賊か……山賊なぁ。