・Scene 43-3・
「どう言う事ですか、見当たらないなんて……姉さん、私達が別荘に行く前には、学院にいましたよね!?」
「ええ、メザイア先生は此処での仕事がありましたので、聖地から外出した筈が無いのですが……」
「なのに、ババルン・メストが聖地に侵攻してきた辺りから、行方不明ですか」
ブリッジには、聖地学院学院長以下、聖地の職員の姿もあった。
焦りと恐れを滲ませたキャイアが、常ならば穏やかな面を崩す事の無い、しかし今は辛そうな顔をしている学院長を強い口調で問い詰めていた。
乗員名簿をチェックしていたリチアも、難しい顔で考え込んでいる。思考の片隅で聞き届いていた会話の流れを把握しつつも、アウラは確認のために尋ねた。
「学院長先生もいらしたのですか。―――リチア、どういう状況だ」
「アウラ。……その、どう判断したら良いのか」
心情的な部分により、判断に困る内容だとその目が語っていた。
「メザイア・フランか……見当たらないとなると」
なるほど、判断に困るなとアウラも頷く。
メザイア・フラン。
聖地学院の教師の一人であり、数多居る教師達の中でも、特に生徒達に人気の高い教師である。
主に男子生徒よりも女子生徒に人気が高い―――と言えば、どのような人間かは推察する事は容易いだろう。
見た目グラマラス、性格は若干享楽的な側面が強いが、締める所はきちっと締める。
人当たりも良く、生徒達との交流も多いとなれば、人気が出るのも当然と言える。
そしてフランの家名が示すとおり、学院生徒キャイア・フランの親族であり、同時に教師と言う役職が示すとおりに、聖地―――協会に籍を置く人間でもある。
つまり。
メザイア・フランがこの緊急時に見当たらないと言う話を聞いた場合。
キャイアは親族であるが故に心配し。
リチアは尊敬する教師の一人であるから、やはり心配の方が先に立つ。
それに対して、この危急の事態に居ないと言う事実に不審を覚えるのがワウアンリーと、そしてアウラもだった。
「学院長先生、メザイア・フランはその……聖地側の人間、と考えて宜しいのですよね?」
場の空気が冷えつく事が解っていても、アウラは多くの情報を確認しながら出ないと判断を下す事が出来なかった。剣士のような直観力も、アマギリのような論理飛躍も出来なかったし、自分の心情だけで判断を下せるほど、自分に自身が無かったから。
学院長はアウラの問いに、こわばった顔を更に困ったように歪ませた。
「まさか、アウラさんとこんなやり取りをしないといけない日が来るなんてねぇ……。実直な貴女と、腹の探り合いなんて」
「真意を読ませてくれない男が友人に居ましたから、必然、こういった行為の真似事も覚えてしまったのです」
溜め息混じりの学院長の言葉に、アウラは苦笑を浮かべて応じた。慣れない事をしているのは承知しているが、此処で退く気は無いと、その目は笑っていなかったが。
「あの子は良くも悪くも影響力が大きくて困りますね……。下で作業している生徒達も皆、何処かであの子の行動を気にしていますし」
「こういった状況には強い男です、当然と言えるでしょう」
困ったと言う気持ちを隠そうともしない教育者に、アウラはいっそ誇らしげに頷いた。
「それで学院長先生、メザイア先生はユライト・メストの協力者と言う判断で良いんですか?」
「ワウアンリーさん、貴女もですか」
「あたしが誰の従者か、理解していらっしゃいますよね? ―――出来れば、直ぐに質問にお答えください。今がどういう状況下は先生もお分かりでしょう?」
普段、陽気なだけの人間が冷徹の仮面をかぶって情け容赦なく追求を始めれば、受け手に立ったものは恐れ慄くだろう。ワウアンリーは、正しく自身の立ち居地を理解しながら、二人の会話に口を挟んだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいアウラ様。ワウも! 二人とも、何が言いたいのよ!」
突如として流れ始めた不穏当な空気に、キャイアが慌てるように頭を振った。
「メザイア姉さんの姿が見えないのよ!? 早く探しに行かないと―――」
「何故?」
冷徹に。声を低く。淡々と―――。
たまに主が演じる姿そのままをイメージして、ワウアンリーはなるべく無表情のまま、キャイアへ応じた。
「何故って、何で―――」
そんな返し方をするのか。キャイアの立場からすれば当然の理解だろう。
アマギリは自身の状況の解釈を、聞かれない限り人に話すと言う事はしない人間だ。そしてキャイアがアマギリに何かを尋ねると言う状況自体が在り得なかったから、キャイアの状況判断に、アマギリが持つ”教会、及びそこに所属する全ての人間に対する不信感”と言う物が存在しない。
姉メザイアの些かの行動の怪しさはキャイアも理解している所だったが、それでも家族であるが故に心配の情が先に立つ。
もし仮に、メザイアが何か不審な立場に実際立っていたとしても―――家族であるが故に会話により止められる筈だと思っていた。
それ以上に、キャイア自身が不審を覚えているが故に、ソレを払拭したいからこそ、メザイアを探し出したいと思っていた。
探し出し、不審を払拭して―――せめてその気持ちならば、理解してもらえる筈だとキャイアは思っていた。
当然、ワウアンリーも、そしてアウラもキャイアの気持ちは理解できている。
しかしワウアンリーが状況判断において何よりも優先するのは、まずは自身の主のものだったから、メザイア・フランの立ち居地の確定の如何によっては、此処で切り捨てる―――見捨てる。放置する―――つもりだった。
「殿下はこの場で間違いなく、ユライト・メストだけは仕留めるおつもりですから」
「ちょっ―――!?」
「どういう事よ、それ?」
ワウアンリーの淡々とした口調に驚くキャイアとリチアの横で、アウラはやはりかと目を細めた。
「お待ちなさいワウアンリーさん。アマギリ王子はユライト先生がどのような職務についているのかは―――当然、理解しているのでしょう?」
焦りながらも含んだような物言いで、学院長は口を開いた。この期に及んでどこか遠まわしな表現なのは、知らないのであれば知らせてはいけない事実を含んでいたからである。
そして、知らないからこそそんな事を言っているのではないかと、一縷の望みを抱いても居た。
「いえ、もう立場がどう、では無いんですこの場合。理由はどうあれ先に手を出したのはユライト・メストですから。誰が止めても殿下は止まりませんよ。縦しんば此処で失敗したとしても、何れかならず排除を実行します」
正しく逆鱗を踏んだと言う事なのだからと、ワウアンリーは冷めた口調で”年下の老婆”に応じた。
そして都合よく、公然と排除できる―――事故か何かで済ませられるようなタイミングが訪れたのだから、そうしない理由がない。
「……何と言うことを」
学院長は天に祈るような心地でそれだけを述べた。
彼女は自身の立場があったが故に、ユライトの真実、そしてその目的を理解していたから、彼の何処か手段の選ばない行動にも理解を示していた。それを一時の感傷で阻む事によって生まれるであろう、更なる大きな被害を許せなかったから。
しかし、手段を選ばなかったが故に生まれた軋轢の果てに報復を望むものが現れる事も、また当然だろうと、悟ってしまう。
「―――あの、馬鹿」
リチアが、苦悶の表情で呟いた。アマギリのはっきりと割り切った行動―――その発端が何処から来ているのかが理解できていたが故、彼女は口を挟むに挟めなくなっていた。
自身―――だけでは無いが、当然自分を含めた周りの者達の安寧を土足で踏み荒らした、リチアとしては謝ってもらえればおそらく許してしまえる事だったが、アマギリの気性から言えば許さないだろう。
いや、謝られれば許さざるを得ない、と理解しているがこそ、尚更積極的に排除行動を取る筈だ。
「ですから、ユライト・メストとメザイア先生が協力関係にあった場合、当然殿下の気分に従うままになりますから―――」
「排除もやむなし、か。私としては、視界に納まる部分でやってくれるのならば一応止めるがな」
ワウアンリーの言葉に、アウラも条件付賛同の立場を取る。
「私もそうね。幾らなんでもあの馬鹿にそんなくだらない理由で計画殺人なんてさせられないもの」
リチアもアウラの言葉に賛同した。アマギリの行動動機が基本的に、自分の領分で好き勝手された事から来る私怨であると解っていたからだ。単純であるが故に根が深い、されど、止めれば止めてくれるとも解っていた。
心配なのがメザイアと言うよりも、むしろアマギリの凶行と言う辺りが、彼女の立ち居地を解りやすくしていた。
「冗談じゃないわよ! 誰があんな男に姉さんを!」
そして、キャイアが怒りに震えるのも、そして条件反射的な行動を取ろうとするのも、当然の事と言える。
「っと、どーどー、キャイアさんストップ、すとーぉっぷ」
「離しなさいワウ! 私は直ぐに姉さんを保護しに行くわ! 邪魔をするなら……」
「邪魔はしますけど痛いのは勘弁だからっ! って言うか、ホントのところメザイア先生がこのタイミングで居ない時点でもう怪しいって考えてよ、お願いだから!」
最後若干、感情赴くままに走りっぱなしのキャイアへの苦言のようなものを交えながら、ワウアンリーは必死で押し止める。
「私の姉さんよ!? ユライト先生だって教会の人間だって散々話してたじゃない! どうしてわざわざ狙って殺してしまおうなんて考えられるのよ! 絶対あの王子おかしいわよ!?」
「少し落ち着けキャイア。アマギリがおかしいのは何時もの事だろう。―――それを除外しても、メザイア先生の思惑が解らん事は事実だろう?」
「それは……」
言い聞かせるように言葉を被せるアウラに、キャイアが気勢をそがれる。
「考えたくは無いが、初期段階の防衛作戦に参加して戦死してしまった可能性もあるし、予期せぬ怪我で身動きが取れぬ可能性もある。その場合はお前は辛いだろうが―――見捨てねば、ならないだろう。我々も自身の脱出に気を払わねばならない状況なのだから。またはユライト先生の協力者でありババルンの側の人間だったのなら」
「まさか! そんな訳が……っ!!」
「違うと言い切れるか? もしメザイア先生がアマギリの覚えた不審の通りにユライト先生の協力者だったのなら―――そして、彼女がユライト・メストが人造人間であるという事実を知らなかったのならば。……当然、彼女の協力対象はババルンの軍と言う形になるだろう」
「そん、それ、は……」
否定できない想像の一つだ。キャイアは拒むように頭を振った。
戸惑うキャイアに思考の暇を与えるかのように、アウラは視線を学院長の方へ送った。
「その辺りの真実を、私はいい加減に聞きたいのです。あなた方教会の秘密主義が今の状況を生み出したのだと、いい加減理解して欲しい。私は今すぐに、必要な情報を全て開示する事を―――シュリフォンの王女として、また、今まさに聖地の空の上でガイアと決戦を行っている男の友として要求する」
友のために。
結局はその言葉だけが詰問の理由の全てだと、アウラの目は語っていた。
人当たりの良くない男だったが、どうしても嫌いになれない個性があった。
話してみれば、何処かアンバランスで興味深いメンタリティの持ち主だった。
付き合いが深くなれば、それだけ心の中で占める割合が大きくなり―――要らないお節介を繰り返す、気の回しすぎな男だったから、たまにはアウラから、気を回してやりたくもなる。
今それが、必要な時なのではないかと、アウラはそう思っていた。
「アウラさん。―――いえ、そうですね。私達老人の負債を、明日を作るべき貴方達に背負わせてしまっているのですから……」
これまでの凄惨とも言える言葉からは突き放された理由を語られて、一瞬虚を疲れていた学院長は、短い瞠目の後で、そう述べた。
穏やかな顔で。
「話さねばならないでしょうね、メザイア―――あの子の事を。キャイアさんには辛いかもしれませんが、この状況では最早、知らないほうが害悪になってしまいます」
―――そんな顔をするには、何もかもが遅すぎるのに。
「アマギリ様が!!」
一人、室内での会話に口を挟まずに空―――聖地の上空で行われていた異形の聖機人同士の決戦の様子を眺めていた剣士が、明らかな焦りを含んだ叫びをあげた。
泰然自若を地で行くような少年が、それほどの焦りを見せるとは何事か―――その叫びに含まれていた響きが持つ意味は、何なのだ。
少女達の視線が一斉に空へと向かう。
それよりも一瞬先に響く、凄まじい轟音。
硬く、そして重過ぎるものと、人の手では創りえないほどの強度を有した壁が衝突した事によって起きた、地割れすら起こしそうな体が吹き飛びそうな衝撃波を伴う音。
事実スワンの船体は揺れ、港湾設備―――優美な装飾が施された柱には皹が走り、整然と並べられた床石は悉く吹き上がり、砕けて割れた。
音の発生源より距離の離れた位置であった港湾設備ですらその有様だから、よりその音を近い位置で受けた学院校舎群の被った被害は甚大だった。
まず少なくとも、直上から衝撃波を受けた中央校舎はひしゃげて、つぶれ、瓦礫の山へと姿を変えた。
ついで中庭を囲うように聳え立っていた古式ゆかしい建築技法で立てられた全ての後者の窓が割れ、柱が折れ、屋根が剥がれ落ちて上層階が悉く潰れていった。穏やかに整地されていた中庭もまた、重機で攪拌したかのごとく有様で、芝は禿げ上がり土が舞い上がり濁流の後の土砂のように堆積した。
「なん、だ―――!?」
今度は。
最後にそう付け加えながら、アウラは耳を押さえてテラスへ這い出す。
轟音の発生源。次はいかなる怪異が訪れたのか―――見上げてアウラは、絶句した。
空へ両腕を突き出し、女神の翼を広げる龍の化身。
そして、翼の輝きに浄化されていくが如く、腕を脚を、四散させながら天高くその身を跳ね飛ばされる黒い聖機人。
それはガイアが、女神の翼の力によって撃退された事の証左だった。
―――しかし。
「こっちへ落ちてくるぞ!!」
「ちょっと拙くないですか、アレぇ!?」
いかなる力か、空へ跳ね飛ばされた黒い聖機人は、弾道起動を描きながら聖地構造物―――港湾部から中庭へと続く、殊更スワンに近い位置にまで転げ落ちてきた。
「ドールっ!」
叫び、テラスの欄干を蹴って庭園部、森の中に飛ぶ剣士。それとまったく同タイミングで、黒い聖機人はその身を遂に、地面へと投げ出した。
中庭へと続く階段を砕きながら、桟橋にまで転げ落ちてくる。そこへと向かって走る剣士。
黒い聖機人に乗っている少女の事を知っていたが故の、咄嗟の反応だった。
「ちょっと、剣士!?」
「剣士、待て!!」
キャイアの、そしてアウラの止める声も、剣士には届かない。
「って、殿下まで来たー!?」
「止めを刺すつもりかっ!」
黒い聖機人を追いかけるように、空から鉛色の龍が降臨してくる。そのゆっくりとした動作が、断罪を告げる死神の姿に映った。
空から、振り上げられる聖機人の右腕。肘から伸びる、鈍い煌きを見せる刃。
森を突っ切り、木々を掻き分け黒い聖機人目指して走り拠る剣士。
行動の速度は、人が龍に敵うべくも無く―――しかし、龍はそこで、動きを止めた。
発条仕掛けが途切れた人形のように、ピタリと、手を振り上げたまま静止する龍機人。
「―――アマギリ?」
何を思っているのか。龍の胎の中に居るはずの少年の意思を図りかねて、リチアが呟く。
その言葉が何かの引き金になったのか、静止する龍機人に変化が訪れた。
腹の中から、空高くから、零れ落ちる、少年の姿を。
「殿下っ!!」
少女達は目撃した。悲鳴を上げたのは、従者の少女が一番先で、ダークエルフの少女が、真っ先に駆け出した。
焦りと不安、混乱と恐れが渾然一体となった、納まらぬ胸のうちを秘めて、少女達は走る。
今は卵へと還った龍の下、倒れ臥す少年の下へと急ぐ。
そして、爆音と閃光が、今や瓦礫となった校舎中央塔の向こうで、炸裂した―――。
※ やっとのこと時間軸合流。
そして仕事が忙しくなるとストックがえらい勢いで減っていく……。早く修羅場を抜けたいトコです、ほんと。