・Scene 43-1・
天空の塔が崩れ落ち、聖なる大地に築かれた学園は廃墟へと姿を変え、炎が舞い散り、黒煙が空を汚す。
この世に地獄を再現したとしか思えぬその光景が誕生する―――その少し、前の事。
―――皆がきっと思っていた。
あっさりと、全てが上手く行きすぎだと。
でも、皆がそう思っていたけど、誰もそんな言葉を口にする事は無かった。
言霊、と言う物がある。
声に出してしまえば、本当に何か起こってしまうかもしれなかったから。
―――つまりは、そう言う事で。
誰もが、このままでは終わる筈が無いと思っていたのだ。
「―――確かに、承りました」
手にしていた便箋を隅々まで読み終えた老執事―――アマギリの暮らす聖地のハヴォニワ屋敷に於いて家令長を勤める老人は、それを彼に手渡してきたワウアンリーに対して、深々と一礼した。
「うわ、ちょっと止めてくださいよそんな」
ワウアンリーは大慌てで言い募る。
年長の人間―――いや、彼女の本来の年齢からしてみれば、年下なのだが―――から頭を下げられると言うのはワウアンリーにとっては慣れそうに無い経験だった。
「王族の護衛聖機師ともあらば、時に名代としてその立場を代行するもので御座いますれば」
しかし慌てる少女に対して、家令長は澄ました顔で応対する。
つまりは、アマギリ王子からの手紙を渡している間は、ワウアンリーがその代行とも言うべき立場と言うわけだ。
「あたし苦手なんだけどなぁ、そういうの」
「殿下ともども、まだお若いのですから、これから覚えていけば宜しい」
「お爺さんはそういう辺りよく解ってますよねー。ウチの殿下なんか、自分は地下に潜るから後は知らねーとか言って憚らないですし」
「私が言えることでは御座いませぬが、いい加減身の程を知れと言うところでしょうなぁ」
情報部統括と護衛聖機師と言う、表と裏で同じ主をサポートするものとして、彼等の言動にはまるで容赦の一つも無かった。
「……何とも穏やかなやり取りだが、一応、お前達はこの後何をするのか聞いても宜しいか?」
桟橋の向かいに係留されているシトレイユの空中宮殿スワンへと生徒達が乗船していく姿を見やりながら、アウラはハヴォニワの空中宮殿スワンの前で手紙のやり取りをしていたワウアンリーたちに尋ねた。
老人は主君の友人の一人であるシュリフォンの姫君に対して優雅な態度で礼をしてから言葉を返した。
「”聞かれると思った。流石アウラさん、目敏い”で、御座いますな」
「―――は?」
「追伸にそう記されておりました」
目を丸くしたアウラに対して、老人は微笑を貼り付けた顔で答える。ワウアンリーが苦笑した。
「殿下ですか」
「ええ、二通りほど、手紙の内容を聞かれた場合のパターンが用意されておりました。”どうせ聞くのはアウラさんかウチの従者くらいだ”とも」
ようするに、アマギリが状況も弁えずに遊び心を仕込んでおいたらしい。
敵地へ侵入、速やかに脱出せよ、みたいな状況だと言うのに、完全な遊び気分である。
「―――因みに、あたしが聞いた場合は何て答えてくれたんでしょうか」
「そうですなぁ」
老人はワウアンリーの言葉に一瞬悩んだ後で、瞠目したまま頷いて応じた。
「”聞かないほうが宜しいかと”」
「……あの、それ殿下に言えって言われたんですか? それとも、お爺さんの判断?」
「”それも、聞かないほうが宜しいかと”」
「殿下! それ絶対殿下の仕込みですよねそれ!?」
身を乗り出して突っ込むワウアンリーに、老人は、ほっほっほとわざとらしい笑みを浮かべるのみだった。
―――それすらも、仕込みの一つなのかもしれないなと、アウラは苦笑交じりにそんな事を思った。
穏やかな空気、そう表現するよりない状況だった。
ユライトからのリークに基づく最短経路を辿っての聖地上層施設への侵入。
結局本当に、一人の敵兵と出会うことも無く、剣士達一行は生徒、教職員達が立て篭もる港湾施設にまで到着した。
途中、中庭の一角を駈け抜けた際に、バベルを凄まじい轟音と爆裂が襲っているのが見えた。
今回は手加減なし―――事前にそんな風に嘯いていた男が居たが、実際その通りに行動しているらしい事が見て取れる光景だった。
兎角、装甲列車を用いた陽動は成功していると言う事らしい。
ならば聖地へ侵入した者達も自らの役目を果たすだけである。港湾施設に立て篭もっている人質達と合流し、そして聖地を脱出するのだ。
脱出経路は、シュリフォン側。
現在は恐らく国境防衛のためのババルン軍とシュリフォン軍が戦闘中のはずだったから、その後背を突いて一気にシュリフォンへと抜ける―――単純にして強引な部分が大きいが、それが計画である。
普通本来なら、他に囚われていた人質の確保と、ついでに港湾部、船の奪取などが必要なのだが、緊急避難の初動の成功と、そして敵の内部に居る工作員―――ユライトだが―――による工作により見張りの敵兵たちの数が最小限しか存在していなかった事から容易に成功した。
敵はどうやら、防衛は大地下深度の聖機神修復のために使用している遺跡にのみ防衛力を集中させているらしい。
上層部の敵は艦隊で包囲したまま放置、と言う扱いだった。
向こうは真面目に戦争やる気無いんだ、とは面倒くさそうに装甲列車の指揮官席に陣取っていた少年の言葉である。
「それにしてもラピス。まさか貴女が避難誘導の音頭取りをしているとは思わなかったわ」
「え? リチア様が私をご指名なさったって聞きましたよ」
「私が? ちょっと待ちなさい。私はそもそも、この学院に”テロリストが学院を占拠した場合の緊急避難マニュアル”なんてものが作成されていた事すら知らなかったわよ?」
スワンのブリッジが存在する宮殿部の二層構造となっているフロアの下階部分。広いホールになっているそこは、現在は聖地学院の生徒達の中でも中心人物たちが集い、防衛指揮所のような様相を呈している。
リチアとラピスはその場所で互いの無事を喜び合っていた。
リチアたち港湾に辿りついた当初は、バリケードを張り巡らせ起動状態の聖機人が並び立っているような物々しい状況だったが、今は、順次人員を係留されたスワンへの移動を開始させるに至っていた。
「……一応聞くけど、誰に聞いたのかしら?」
若干頬を引き攣らせながら知りえなかった事実を尋ねるリチアに、ラピスも苦笑交じりに応じた。
ラピス自身、恐らくリチアには無許可でやっている事なのだろうなと言う自覚があったらしい。
「それは勿論……」
「あの馬鹿よね、ええ、あの馬鹿に決まってるわ。あの馬鹿以外の馬鹿が私の名前でラピスを動かそう何て馬鹿な真似をする筈無いものね」
「それは、まぁ……あ、ですけど、避難マニュアルの決定稿を渡されたのは皆様がバカンスへと出かける前日でしたから、お伝えし忘れていただけと言う可能性も……」
「絶対無いわソレ」
一応、居ない人、ついでに先輩でも在るのでフォローしておこうかと思ってマイルドに語られた言葉は、リチアによって断罪された。
「伝える気があったら、バカンスの初日から逃げ回った挙句、あんな……」
「―――リチア様?」
プルプルと拳を震わせて何かを思い出しているらしいリチアに、ラピスは恐る恐る問いかける。
何でもないわ、との言葉が帰って来たが、明らかに何かがあったことは明白で―――ラピスは此処に居ない何処かの誰かの迂闊な行動について、また一つ溜め息を吐いた。
いや、主の感情表現をストレートなものにしてくれた事には感謝しているのだが、頼むから、怒らせてばかりいないで少しは喜ばせてあげてくれないものだろうかと。
「学院が復旧したらどうしてくれようかしらねぇ、ホント。ワウやアウラばかりに相談しているのも気に入らないし、フフッ、フッフフフ……」
本当に、どうにかしてくれないだろうかと思う程、それは―――穏やかな空気、そう表現するよりない状況だった。
「それじゃあ、本当にあの王子と連絡を取り合っていたんですか……」
「はい。お互いある程度は守るべきものが一致していましたから。協力できる場所では協力をするべきだと、勿論ラシャラ様からも御裁可を頂いています」
何とも言えない決まり悪げな態度で尋ねるキャイアに、ラシャラの侍従長を務めるマーヤが、澄ました顔で頷いた。
裏切られたような心地であろうキャイアの内心を確りと察しておきながらもそれを追求するような事はしない、老婆の気遣いである。
現在、この空中宮殿スワンのブリッジでは急ピッチで発進準備が進んでいる。
人員と物資の受け入れが完了次第、すぐさま聖地を離脱できるように専門のスタッフ達が慌しくも慣れた手つきで出港準備を整えていた。
マーヤとキャイア、そしてテラスまで出て外の様子―――外の戦闘の様子を伺っている剣士達は、此処で主を抜きに一先ずの再会と情報交換をする事になった。
そしてキャイアの第一声の前に、剣士からマーヤへ、ハヴォニワ王家を示す封蝋で封ぜられた封筒が手渡された。アマギリからの、何かしらの要望を記した手紙だったらしい。
気付かなかった自身への羞恥と、自分の領域を踏み荒らされたような悪い気分で、キャイアは顔をしかめる。
「聖地で好き放題にやってたのは知っていたけど、マーヤ様まで巻き込むなんて……」
「あの年齢で権力を振りかざす事の味を覚えてしまえば、容赦や遠慮、情けなどと言う言葉は何処かへ置き忘れてしまうでしょう。あの年代の権力者の子弟にはよくある、はしかのようなものです。長い目で見て、矯正するしか無いですよ」
「いえ、矯正以前に、出来れば一生係わり合いになりたくない類の人間なんですが……」
「でしたら尚更、今のうちにその行動を観察しておく事です。嫌な人間の行動パターンを理解し、そしてソレを避ける術を見につけねばなりません。”嫌だから見たくない”では、何時まで経っても何も変わりませんよ」
「それ、は……」
何も知らない筈なのに、余りにも今の自身の状況に当てはまるような言葉をズバリ放ってくるマーヤに、キャイアは絶句してしまった。
嫌だから見たくない。
結局その果てが、今の惨めの抜けきらない気分である。
あの顔、その目、言われた言葉。何もかもが鋭い刃のようにキャイアの胸を今尚えぐり続けている。
一生消えない傷なのだろうなと思う反面、これ以上傷が深くなる事がないのかと思うと、どうしようもない脱力感が湧き上がってくる。
「貴女はまだ若いのですから、どのような経験でもしておいて損にはならないでしょう」
俯き唇をかみ締めるキャイアに何を感じたのか、マーヤは穏やかな口調でキャイアに告げた。
え、と顔を上げるキャイアに何も答える事は無く、その後は少しの疑問を覚えつつも、キャイアは今ある目の前の状況への対処に心を割かねばならなかった。
―――キャイアは知らない。
マーヤが手にした手紙に書かれた内容を。
丁寧な文章でつづられた、謝罪から始まるハヴォニワの避暑地を発端に始まった、一連の事態の経過。
その間にキャイアが負う事となった心の傷に関しての詳細と、マーヤに対してそれを労わってやれないかと言う願い出。
マーヤにしてみれば、逆にキャイアの事を甘く見すぎだとすら思える憤然たる内容ともいえたが、一応はそれを書いた人間の気遣いを読み取る事は出来た。
「権勢を振りかざして遊んでいないで、こういった事にこそ表立って注力出来れば、もっと当たり障りも無く生きられるでしょうに」
「マーヤ様?」
「男というものは、何時の時代も無駄な事にばかり力を尽くして、大切な事を見失うと言う事でしょうか」
唐突に呟かれた言葉にキャイアが疑問顔を浮かべるも、マーヤは応じる事は無く一人、去来する何かを思う。
それは過去に経験した、出会った者達との交流の中にあったものか、それとも今目の前で必死に足掻き続けている若者達の事か。果ては、自分の見る事の叶わぬ未来に待ち受けるものなのか。
老婆が静かに思いに浸る。必要な作業のための手を止める事も無く。それは日常と何一つ変わらぬ情景とも言えた―――つまり、穏やかな空気、そう表現するよりない状況だった。
剣士は一人、テラスで空を見ていた。
何かの予感を感じたとか、超自然的な直観力を発揮した訳ではない。
単純に、つい先ほどまで年上のお姉さまたちに追い掛け回されて収集が付かない状況になっていたから、一時的に避難させられていたのだ。
剣士ちゃん、助けに来てくれたの?
え~あたし達も戦わなきゃ駄目?
あたし、剣士ちゃんが守ってくれると思ったのにぃ
ねぇねぇ剣士ちゃん、あたしの事守ってくれたらお礼にイイコトしてあげるからぁ
お願い剣士ちゃん
けんしちゃ~ん
エトセトラ、エトセトラ。
嬉し恥ずかしと言うより、大挙として迫り来る乙女達は、正直怖かった。
囲まれ、触られ、握られ、見つめられ、語られて―――剣士一人だったら、泣いて逃げるしかないだろう混沌とした状況を断ち切ったのは、アウラの何気ない一言だった。
一応、言っておくが―――この救出作戦を立案、主導しているのはアマギリだぞ?
凍りつく状況。冷める空気。改まる表情と、次々に吐き出される嘆息の音、音、音。
皆が皆、諦め顔で自分のやるべき作業に戻っていく様子は、それはそれで何か恐ろしいものを感じさせた。
主に、居ないのに状況を支配している誰かさんの無形のプレッシャーに、と言う意味で。
兎角、場の緩んだ空気はそれなりに引き締まり、学院の生徒達は自分達の脱出を万全にするための作業に戻り―――剣士は、何処かを手伝えば何処かが騒ぐ事になるだろうからと、脇へ脇へと追いやられて、こうして一人、空を見上げていた。
正確には空の向こう。テラスを艦尾側に回り、巨大な港湾施設の向こうに見える、聖地学院の校舎の、更に向こう。
雲を貫くとすら思える巨体を晒す、空中要塞バベルを仰ぎ見ている。
遠くに響く、砲雷弾雨。爆音と、衝撃波の残り香のような涼風が、頬をかすめる。
戦闘は未だ続いている。
少し前に、恐らくはアマギリが持ち込んだのだろう現代兵器―――ミサイルらしきものの直撃を受けてバベルはその塔の中ほどを大きく抉られるほどの大ダメージを受けていたが、それでも戦闘は止まらない。
何時まで続くのか、あの放火が交わされている渓谷の向こうは―――ラシャラたちは、無事なのか。
アマギリが向こうに入る。だからきっと、ラシャラは平気な筈だ。平気な筈だと信じているが、傍に居れない自分に歯がゆさを覚えているのも事実だった。
「―――?」
そして、テラスの柵を剣士が握り締めて歯を食いしばった丁度そのとき、バベルから放たれ続けていた、砲弾の雨が止まった。
静寂―――否、一方からの、つまり装甲列車からの砲撃は続いている。
そして砲撃の音に紛れるように、剣士の優れた聴覚は崖の向こうから空気を攪拌するかのような凄まじい銃弾の乱射を知らせる音を耳にした。電気モーターの駆動と、音速を超える弾丸の掃射の音。それは恐らく、アマギリの秘密兵器の一つが再び火を噴いたことを知らせる音だった。
―――秘密兵器をまた一枚切らねばならないほどの事態が訪れたのか。
剣士はそう理解した。
その、次の瞬間。
―――校舎の向こうの灰色の曇り空が、白い光に満たされた。
幻の如き刹那の平穏を打ち砕く、破滅の光が解き放たれたのだ。
※ 爺さんとかラピスとか、凄い久しぶりな感じ。劇中時間だと多分一週間と経ってない筈なんですが。
あと、最近また、目に見えて誤字が増えてるっぽいですね。気をつけよう……