・Scene 42-6・
「随分逸るではないかユライト。―――だが確かに、これ以上盤上に余計な駒を乗せておくのは好ましくないな」
無意識に漏れ出してしまった思考に、玉座で構えていたババルンが応じていた。
「―――兄上。ですが……如何なさるおつもりで?」
少しの焦りを覚えた思考を強引に押しつぶし、ユライトは探るような視線をババルンに送った。
女神の翼はガイアに対して一定の―――かなり一方的ともいえる戦果を発揮した。ガイア自身にとってみても、これは予想外の展開だろう。破壊されたドールの聖機人、投げ出されたガイアの盾、そしてこのバベルも轟沈間近である。
だがババルンは、何がおかしいのか不敵に笑うのみだ。
「どうするだと? どうするまでもあるまい。ガイアを相手に良く持ったほめてやっても良いが―――しかしどうやら、異世界の龍もアレで打ち止めのようだ。結論は何も変わらない。我が行く先を遮るものは何も在りはしない」
丁度、中庭の、元は花壇だった場所にうつ伏せに臥せった少年の―――袖口が、何故か血にまみれていた―――姿をモニター越しに見やりながら、ババルンは威風堂々と言い切った。
なるほど、確かにとユライトは頷いた。
異世界の龍は地に落ちた。―――否、羽根を休めて寝ているだけかもしれないが、とにかく身動きは取れないようだ。
とすれば、ガイア側の視点で考えれば、この後の行動は単純だ。
―――寝ている間に、殺してしまえば良い。
そしてそれは、これ以上の状況の混沌を嫌うユライトにしても願ったり叶ったりの状況だった。
何しろ、今はガイアの支配下にあるとは言え、ドールを―――ネイザイにとっては血を分けた実の姉妹をなんの躊躇いも無く殺そうとするような男だ。生かしておいて、一利あっても百害しか生まぬであろう。
ガイアと思惑が一致する事だけが、ユライトにとって屈辱とも言えるが、それは、耐えるしかない。
何時もどおりに、全ては一つの目的のために。あらゆる矛盾を踏みにじってでも。
故に、異世界の龍の命運は此処で絶つ。
このジェミナーの命運は、ジェミナーに住まう者達の力のみで決する。
異世界の曰くの知れぬ暴力など、この世界には不要。縦しんばその力だけで勝利を収めることが出来たとしても、それは、ガイアに変わる新たな災厄の種となるだろうから。
ジェミナーにはジェミナーを救うべき英雄が確りと存在している。
彼を助けるヒロイン達も。
モニターの向こう、港湾施設の入り口辺りで仰臥したドールの黒い聖機人。
その奥の、港に係留されているシトレイユの空中宮殿スワン。
学院の生徒達が脱出のために立て篭もっており―――そして、ユライトがわざと警備を緩くしておいた場所でもある。
そこから、稼動桟橋も用いずに、港に飛び降りてくる人影を確認した。
―――彼こそが、真の。
駆け出す剣士を追うように、続く姫君たちの姿も、また。
ユライトの胸に安堵が過ぎった。無論、顔に出せる筈も無いが。それでも、必要なファクターが全て無事であろう事は理解できた。
剣士は無事で、姫君たちもまた―――そして、あの様子では、上手くいけばドールすらも回収してもらえる。
事態を正しい方向に修正可能だと判断する。
ならばもう、舞台を混乱させる正体不明の暴力など―――要らない。
アマギリ・ナナダンは、この物語から退場するべきだ。
「では、陸兵の派遣を―――、っ!?」
ガン、と縦に揺れる衝撃。
ユライトが管制官達に宣言しようとしたその瞬間にあわせるように訪れた、一瞬の無重力状態。
落ちている。
ユライトはまずそれだけは認識できた。そして、その後で疑問に思う。
―――何が?
決まっている。”バベル”が、落ちている。
戦慄とともに理解する。この空中要塞バベルが、地表に向かって落下を始めたのだ。
「て、底部重力リングに異常発生! 出力低下―――いえ、これは!!」
「上層部、姿勢制御用リング、停止しました! 直立を維持できません!」
「各部制御機構応答停止! あ、亜法結界炉出力低下―――違います! 稼動停止状態へのプロセスをっ!?」
「停止プロセス、解除できません! 亜法結界炉、停止します!!」
亜法結界炉の停止―――それは即ち、バベルの屹立を維持し続けていた重力制御リングの稼動停止を意味する。
すると、どうなる?
轟音が鳴り響き、装甲列車からの砲撃により外壁を大きく抉られていたバベルの巨体が、その自重を支えきれずに軋み、悲鳴の如き唸りをあげる。
メキメキと不穏な響きを辺り中に鳴らしながら、壁に亀裂が走り粉塵が舞い、動力線が切れて火花を散らし、導管が割れて排煙を巻き上げる。
「これは、一体―――!?」
再び、これでもう何度目かも解らない予想外の事態に、ユライトは壁に体を押し付け姿勢を保たせながら呻く。
バベルが落ちようとしている。只でさえ崩壊間近の所を重力制御リングに姿勢制御を押し付けて無理やり保っていた状況だったから、それが無くなれば無残に崩れ落ちるのは必死だ。
慌てて対策を採ろうと管制官達が必死に作業を進めようとするが、しかし作業をするために端末に向かおうとも、端末を動かすための亜法結界炉がどうやら停止プロセスへ以降しているらしい。動力が回らず、キーに指を這わそうとも、云とも寸とも反応が無い。
―――拙い。
ユライトは轟音と振動、それに予期せぬ方向への傾斜のなかで、顔を歪めた。
ベースであるユライトの意思が大きく残っている人造人間ネイザイは、その能力は殆どただの人間と変わらない。無論、蓄積された先頭経験に基づく反射神経、運動能力に過不足は無いが、しかしこの高高度においてバベルの倒壊に巻き込まれれば、流石に命に関わる。
対策を、直ぐに―――しかし、どうすれば。
いやそもそも、何故バベルの亜法結界炉が停止したのだ?
砲撃? 誰が? アマギリ―――倒れているし、装甲列車も停止したままで、森の向こうに噴煙が見えたから恐らく乗員も逃亡したのだろう。
では―――まさか、内部に誰か。
空中に静止したバベルに、内部の人間に気付かれないように人員を送り込むなど、流石の異世界の龍とて―――いや、待て。そうか。
ユライトは気付いた。傾斜と崩れ落ちる機材の間で悲鳴を上げる管制官―――管制室に集った人々を見渡して、足りない人間が居た事に気付いた。
それは、此処に現れてからずっと一人、暗い眼をしたまま俯き立ち尽くしていた少女。
離れている間に主を敵に捕らえられると言う失策を犯してしまった少女だ。
何時の間に姿を消した?
―――それは、少なからず少女の事を理解していれば、容易に判断がつく。
一度だけ、予想外の手順でもって開かれた、敵装甲車との通信回線。
そこに映されていたのは、アマギリと、そしてシトレイユの女王ラシャラ―――そして、もう一人。
少女の唯一の主である、ダグマイア・メストの姿が。
ダグマイア・メストが拘束もされず向こう側に居たと在れば、少女もまた、自分が何処に居れば良いかと決断するのは早いだろう。
そして一度決断すれば、自身の行動の何を持って主に有利に働かせるか―――と言うか、主との合流を容易くするか、それを思いつく思考能力を存分に有している。
―――そして、それを気付かせたのは当然。
「あの、クソガキっ!」
歯を軋ませながら、崩壊の続くバベルの指揮所の中で呻く。つまりはこの状況を作り出すためのダグマイアの同道だったのだろう。親子の別れの会話を演出するようなセンチメンタリズムは有しているようには思えなかったから、疑問に思ってはいたのだ。
もとより、アマギリにとってはユライトも明確に排除対象なのだ。自身を囮に気を引いているうちに、あわよくば内部からバベルを倒壊させてババルンとユライトを抹消しようと図っていた。
ユライトがアマギリの存在を疎ましく思っているのとまったく同様に、アマギリもまたユライトの存在を疎ましく思っていたのだから、この行動も当然と言える。
「クッ、ハッハハハハハ。邪魔者は一気呵成にか。異世界の龍め、やってくれる」
轟音も、傾き揺れる室内の騒乱も知らぬとばかりに、揺るがぬ笑い声が室内を満たした。
ぞっと背筋を冷たいものが這いずり回る感触を、ユライトは覚えた。
ババルン・メストが嘲笑していた。自らを、この状況を、堂々と立ち上がったまま―――立ち上がった、まま?
最早床に張り付かなければ姿勢を維持できないような傾きが訪れたこの指揮所の中で―――直立を。
「兄上……」
呟きもれた言葉に、ババルンがゆっくりとユライトに視線を送る。
その瞳は―――不気味な、本能的な恐怖を沸きたてる赤色を宿していた。
ババルンは見下ろしたまま何も言わず、語らず、笑みすら形作らず―――そこにある全ての存在を無意味であるかのように視線に止めないまま、消えた。
「兄っ―――っ!!」
空間転位。
どのような方法を以ってか。考えるまでも無く、ガイアの聖機師としての異能の一つだろう。
エナを取り込み自己再生、進化を繰り返してきた聖機神ガイアとその人造人間は、最早それを作成した先史文明の聖機工たちですら把握できぬ超絶的な能力を有していた。
そして、ガイアの行動は全て、自身の目的を満たすためのみに存在しているのだから、このバベルすら彼にとっては不要なものとなれば、捨てる事も容易い。
付き従ってきた将兵達の命の一片すら、対岸成就のための捨石でしかない。未練も見せずにそこを後にする事など、ガイアからしてみれば当然の判断だ。
そしてそれは、ユライトにとってもまた同様だった。
―――拙いわよ。
「ええ、解っていますよ……っ!」
脳裏に響く自身のもう一つの意思―――ネイザイの言葉に、ユライトは吐き捨てるように応じる。
空間転位―――らしき能力が、本当にそうであった場合。自在に、好きな場所へといけるのであれば。
爆炎の中、明滅し機能を停止しかかっているモニターに映るその光景。
ドールを抱き上げた剣士。その姿を―――見られていれば。否、どの道、自在に動けるならば。
―――急ぎましょう。
メザイアの囁きに、ユライトは頷き瞳を閉じた。
バベルが沈む。哀れな将兵たちが、救いを求めて悲鳴を上げる。
―――知った事ではない。
「私には私の目的がある。此処で死ぬ訳には行かないのよ」
上背のある法衣姿のユライトが、赤い髪のしなやかな肢体を持つ女性の姿へと変化する。
ネイザイ・ワン。先史文明時代から生き残った人造人間の一人。
彼女はあっさりと沈み行くバベルと、そこに取り残された人々に見切りをつけて、脱出のための方策を取る。
聖機師としての優れた身体能力を発揮し、崩壊の続くバベルの通路を、駆け抜ける。
バベルは崩壊、ガイアは逃亡、ドールは意識不明、そして剣士たちは。
全てがネイザイの予定には無い、異世界の龍の演出がもたらした結末ばかり。
「滅茶苦茶よ、本当に―――っ!」
状況を意のままに動かせていた筈の人造人間は、状況に振り回される我が身を嘆き、悪態を付いた。
―――そして、聖地の北端部に、バベルはその巨体を沈め、折れて、爆ぜた。
舞い上がる爆炎と粉塵は、未だ終わりを見せない戦いを象徴するかのような号砲を響かせる。
・Scene 42:End・
※ あっちゃもこっちゃもてんやわんや。
エメラさんが一晩でやってくれました……と言うか、ブリタニア99代皇帝の高笑いが聞こえてきそうな。