・Scene 39-2・
パチンと、恐らくは指を鳴らしたのだろう。
乾いた響きに従って牢獄の中に灯りが灯る。数時間ぶりの、突然の光量にめまいを覚えたが、それでふら付く事などこの男の前では出来る筈も無かった。矜持がある。きっと張りぼてに過ぎないけれど。
「やぁ、ダグマイア君。悪いね、忙しくって中々時間取れなくてさ。―――仮眠してたら、もう早朝だよ」
苦笑交じりに形だけの謝罪を告げる、軽薄そうな態度。
眠たげな眼が―――真実、眠たいのだろう。目の下に出来た隈がそれを示していた。
しかし、その締まりの無さも含めてアマギリ・ナナダンらしい態度とも言えた。何処であっても、どんな時でも揺るがぬ姿。良いか悪いかは別として。確固たる自身があるという事だろう。
「何の、用です?」
それを打ち砕かれたばかりの、ダグマイアには辛かった。
萎えそうになる、喚き、怒鳴り散らしたくて仕方が無い。そうあっても、冷笑すらも浴びせられないのだと理解していても。
「いやさ、どうせやる事無いんだろうし―――って、ああ。一応疑問には全てお答えするようにって部下に伝えておいた筈なんだけど、状況は了解してくれてるんだよね?」
喋り始めて、それから思い出したように、アマギリはそんな言葉を付け加えた。ダグマイアは忌々しげに頷く。
「ええ。―――我が父が、大願成就への一歩を遂に踏み出したのでしょう?」
「まぁ、そうさね。生い先短い―――文字通り、だな―――オッサンが、周りの不幸を考えずに夢へまい進中で、その迷惑を顧みない行動の犠牲として、僕等みたいな若いのが疲れた顔しなきゃなんないって状況だね」
君も僕も、などと茶化すような物言いが、癪だったから、ダグマイアは叫んだ。
「その戯言染みた態度を止めろ!! 父上は聖地を手にした! 貴様は出し抜かれたんだよ!! 我等の勝利だ! 大望の実現を止める手段は最早ない!!」
割れ鐘のような響きこそが、ダグマイアの焦りと怯えをまざまざと示していたのだろう。
アマギリピクリとも驚いた顔を見せずに、薄く笑って応じた。
「大望、大望。野望に理想に希望に未来に、何だか夢みたいな言葉ばっかり使うけどさ、キミのやってる事ってそんなにたいした物かね」
「―――権力に、胡坐を掻いて我等を見下している貴様等王族には解る訳も無いっ! 鬱屈した我等の心の置き処を理解せぬ者に、我等の理想を汚す資格は無い!」
見下すようなその発言に、地の底から吼え上げる言葉は、しかし崖の淵に引っかかった指を手折る程の容易さで、あしらわれる事となる。
「今度は我等、我等と、よくまぁ、そんなに形の見えない言葉に縋りついていられるもんだね。――― 一体、誰を指してるのさ、”我等”なんてさ」
「そんな物、決まっているだろう―――!?」
返す言葉は強気な物で、しかし何処か末尾に戸惑いの響きが混じって居たのは、相手の思惑を理解しきれぬが故かもしれなかった。
そんなダグマイアを冷たい目で見やり、アマギリは作って呆れ顔のまま肩を竦める。
「ひょっとしてアレ? キミがよく放課後に空き教室であってた”オトモダチ”の事?」
「―――っ! 気付いて!?」
「気付かない馬鹿は居ないでしょ。少なくとも目と耳があれば気付くさ。―――ただ、皆見てないフリをしているだけさ。男性聖機師”だけ”の集会なんて、首突っ込んでも百害あって一利無しだからね」
隠れて、同志を増やし、地下に潜みその日のために力を蓄えていた。
少なくとも、ダグマイアとしてはそのつもりだった。
同志が増えていくにつれ、その都度高揚感が湧き上がっていたものだ。
いずれ”何も知らぬ愚か者ども”に反旗を翻す日を思って。
だが―――気付かれていた? 全て? 誰も彼もが、目を合わせようともせず?
「アレだよね。前から思ってたけど、ダグマイア君って結構天然入ってるよね。―――ま、その辺の抜けてる所が、どっか頼りないからって周りから支えてくれる人達が集まる所以なのかもしれないけど」
その、自分の正しさを信じて疑わない所は尊敬に値する。
半ば以上本気で感心したようなその言葉こそが、正しくダグマイアに対する最大の侮辱に他ならなかった。
―――しかし。
思い返しても見れば、かつてよりこれまで、幾度なりと重ねられてきた人々からの賞賛、激励、賛辞の言葉の諸々全てが、その内に今のアマギリの如き呆れと嘲りを含んでいたのではないだろうか。
称えられるに相応しい自らであったつもりだった。それゆえに賞賛の言葉は当然の物として受け入れた。
自身こそが、諸人からの止まぬ羨望の的であるからと。その位に相応しい場所へ立つべきだと。
望み、語り、そして託され―――託された?
彼等の夢や希望を託された―――託されていた、筈だろう?
―――いいや、違う。
「アラン君にニール君、ついでにクリフ・クリーズ。同級生でも三人。上はコロネロ、クラフト、レイホウ、ロベルト、エルシド、ゼペッド、マジオンにアドネイ・ロッソか。下級生でもシトレ、フランク、エンリコとかドナ・カーツとか、あとグレアム君だっけ。聖地に居る男性聖機師の実に二割五分ってトコだから、まぁ頑張って集めたと言えばそうなんだろうけど……」
「きさ、ま。何故、全員の名前を……!?」
アマギリが指折り上げていった名前は全て、聖地においてダグマイアの思想に賛同した男性聖機師達だった。
本来の予定であればこの時期には今の倍以上の人間を集められていた筈だったのだが―――今まさに目の前に居る男の存在によって、二の足を踏む者が多かったのだ。
曰く、知られた時の報復が恐ろしい。
絶対に頷けないが、ダグマイアとしてもその言葉が理解出来てしまっていたので、無理に引き止めることが出来なかった。
だが、それ故に、今日までダグマイアの側に残ってくれていた者たちは、信用が出来る、決して裏切らない者たちであると確信できた。
少数精鋭であると考えれば易い物。元より、烏合の衆の目を覚まさすための戦いなのだから、いっそ相応しいと思えた。―――思い込めた。思い込まざるを得なかった、がきっと正解。
「クリフ・クリーズ」
「……?」
アマギリが再び名前を呟いた。
「エルシド、ゼペッド。アドネイ」
「何を」
言いたいのか、ダグマイアの疑問に応じることも無く、アマギリの呟きは続く。
「エンリコ、ドナ、そしてグレアム」
「我が同士達がどうしたと言うのだ!!」
能面のような裏側を見せない無表情に怖気を覚えたダグマイアは、ソレを振り払うように叫んだ。
「解らない?」
「だから何だと―――っ!!」
肩を竦めて問うアマギリに、ダグマイアはどうしようもなく寒気を感じながらも、それでも吼えた。
アマギリは、ため息をひとつ吐いた。
そして、言った。あっさりと、感慨の一つも見せずに。
「―――全部、僕に情報提供の見返りを要求してきた者達の名前さ」
空白。
放たれた言葉を耳が聞き入れ、脳がそれを解するまでの間に訪れた意識の空白は、無意識に言葉を理解したくなかったと言う気持ちの表われだったのだろうか。
理解してはいけない。
「繰り返すけど、ただの正義感から来る”密告”ではない。取引―――ビジネスだな」
易と気高き理想の元に集った同志たちが―――なんて。
「彼らは皆、自分たちの持ちえる情報を、僕に高値で売り付けようとしてくれていた」
思想の対立による裏切りですらなく―――小銭稼ぎの気安さで、ダグマイアの大望を踏みにじっていたなんて。
「馬鹿な……っ!?」
「そうかい? むしろ賢いと思うけど。成功見込みの薄いギャンブルにチップの全てを賭けるよりは、手堅く稼げる方法を選んだってのは、堅実だって言えるじゃないか。―――まぁ、クリフ君辺りは本気で蝙蝠やる気だったらしいけど。彼はアレだね。無駄な火遊びで身を滅ぼすタイプだね。部下としては一番使えないわ」
湧き上がる絶望感を押し殺すように吼えるダグマイアに対して、アマギリの言葉は何処までも冷酷で打算的だった。
「ふざけるな! たかが金銭目当てで強者に阿るなど、それでは飼い殺しにされている今のままの生き方と何も変わらないではないか!!」
「そう言うなよ、連中にだって立場って者があるし、現実ってものが見えているんだ。―――自分たちがどうして今の暮らしが出来るのか、その辺りに確りと理解が及んでるって事さ」
―――お前と違って。
言外に、そう言われているとしか思えない、そんな響きを込めたことばだった。
「彼らは所属する国家の庇護があってこそ今の暮らしがあると正しく理解している。そして、普通に生きていればそんな暮らしへと至るのにどれほどの苦労を重ねねばならないかも、そして勿論、現在の権力構造が失われた時に自分たちが被る被害も。それゆえに彼らは―――選ぶ」
「選ぶ?」
「夢のような―――正しく夢そのものとも言うべき、実現可能かどうかも解らない、しかも実現したが最後、今まで甘受してきた全ての利益が水泡と化す理想と、今ある恵まれた……多少、窮屈かもしれないが、それでも豊かな生活環境。保障された未来。天秤にかけて、そのどちらを選択するのか―――後者を選んだ彼らは、正しい。人は夢と理想のみにて生きるに非ず―――明日の食事の事を思えば、夢ばかり見ている訳にも行かないさ」
それが侵されそうであれば、外道と謗られようともあらゆる手段を講じる事は可笑しくない。
アマギリはそう理解を示し―――ダグマイアは当然、反発した。
「だから! 良い暮らしなどどうでも良いことだろう! そんな即物的なくだらない物を選び理想を汚すような事、許されるはずが無い!!」
「そういうのは、一度でも良いから山に篭って自ら獲物を狩って火をおこし暖をとるような生活を送ってから言うんだな、お坊ちゃん?」
結構大変なんだよ? そんな軽い口調で、アマギリはダグマイアの夢も希望も封殺した。
「貴様がっ……それを言えた口か!?」
「おいおい、困るな。僕は元々、辺境の田舎暮らしだよ? ウチの女王陛下の気まぐれでもない限り、こんな所に居なかったさ」
「そっ……」
そういえば、そうだった。
今の今までそれを―――知っていたのに、失念していた。アマギリ・ナナダンは何処とも知れぬ市井の出。
己の才覚のみで、この場所に立つ資格を得たのだ。
「金持ってて、栄達とかも考えなくて良い立場に長く居ると、そこに居られる幸運に気付きにくくなるんだよな。もっと上があるんじゃないかって贅沢な悩みもでてくる。安定した暮らしは停滞を生んで、ちょっとした刺激も欲しくなってくる。キミが提案したゲームは、中々彼ら男性聖機師諸兄の心をくすぐった事だろうが―――まぁ、僕が彼等の目を覚まさせてやれた存在で居られたなら、どうだろうね? 誇る部分かな、ここは?」
そんなアマギリが、ダグマイアを断罪する。
言葉の悉くが、一方的な蹂躙となってダグマイアを襲う。
許すべからずと思いながらも、抗いきれずに、ダグマイアは絶望の淵に突き落とされていく。
身の程を知れと。甘い事を抜かすなと。ダグマイアに現実を突きつける。
「大体さ。本気でキミの”大望”とやらについて来ている人間が何人居ると思う? キミの計画に積極的な支援を申し出ていたのはどんな人たちが最初だった? ―――皆、今の世の中では旨みを味わえない人々ばかりだったんじゃないか? おだてれば木に登ってくれる御輿があって、皆それを隠れ蓑に甘い汁を吸おうとしていたんじゃないかって、そんな事は無いって言い切れるか?」
「そんっ、そんな事は―――」
ありえない?
いいや、ダグマイア・メストは知恵がある。理解力だってそれなりに持っていた。
解釈の視点に新たな物を与えられ―――そしてその方向から思い起こしてしまえば、支援者たちの顔が、顔が。
「まぁ、そういう欲深い連中を上手く使いこなせてこそって言うし、その辺キミの親父さんは上手くやったと思うよ。忌々しいけど、さ。権勢欲に取り付かれた取り巻き連中に、夢見がちな息子まで利用して、秘めておいた自分の理想に一直線だ。男子たるもの、理想を抱いたならばかく在りたいとすら言いたくなるね」
「私を、侮辱―――いや、父上すらも、…・・・いや、待て。秘めた……? 貴様何を言って」
ダグマイアの理想とは即ち父の理想そのもの。それに共感したからこそ、これまでのダグマイアがあった。
だが、今アマギリは確かに言った。混乱して、追い詰められて、それゆえアマギリの放つ一言一句すら聞き逃せなかったが故に、ダグマイアは確かに聞いた。
―――父には、秘めた目的がある。
目を見開いたダグマイアに、アマギリは首をかしげた。
「―――あのさ、オッサンが今、聖地で何をやっているか知ってるよな?」
「当然、だ。―――いや、貴様こそ理解しているというのか!?」
「それこそ、”当然”だ。聖機神ガイア、だろ?」
「―――っ!」
喉の奥が引き攣りそうになった。
こうして捕らえたならば、後は尋問して父の―――ダグマイアの計画を聞きだすのみだろうと考えていたから、ダグマイアは己が矜持にかけて、絶対にそれだけは口にしないと固く誓っていた。
だがそれすらも、あっさりと破られる。何処から洩れたのか、初めから知っていたとでも言うのか、アマギリは当然のように核心を突いてきた。
「ガイアを復活させて、その圧倒的な戦闘力で他国を制圧する―――とでも言った所かな、ダグマイア君だと」
そのために聖地を押さえた。ガイアを独占するために。
父より賜っていた目的。
ガイア復活のため、その封印された地である聖地を占拠せよ。
父から下されていた命は正にそれだけであったが、ダグマイアはそれを元に更に拡大解釈を行っていた。
聖地を占拠、そしてその後の電撃作戦による他国への侵攻すら視野に入れてロードマップを引いた。
そのための人材確保であり、その程度言われなくても実践できてこその、大ババルンの後継となりうると自らに課した試練だった。
「けど、残念ながら違う。オッサン、欲しいのはガイアだけで、後の事なんて何も考えていないのさ」
「―――何、だと?」
今度こそ、言われた言葉の意味が理解できなかった。
聖機神ガイア。かつて文明を崩壊させたという巨大な力の復活。優秀な聖機工である父は、それを求めていた。
そして父の立場であるならば、その復活―――その力の活用法など一つしかない。
「それを、違うだと。―――では一体、何に使うというのだ!? 聖機神の圧倒的なパワーを!」
そのダグマイアの疑問に、尤もだと苦笑しながらも、しかして冷静に、アマギリは無常な言葉を放った。
「そりゃ、簡単さ。文明を崩壊させた聖機神を復活させてやる事なんて一つしかない。―――文明を崩壊させるのさ、”今度こそ”、”完璧に”ね」
「―――……正気か?」
誰を指しての言葉か。
父か、アマギリか―――それとも、今の言葉になるほどと頷きかけた、自分自身か。
とにかくダグマイアは、尋常ではありえないアマギリの言葉の意味を、理解する事を拒んでいた。
「馬鹿げている! ふざけているのか!? ―――縦しんば事実だったとして、そんな事をして何の意味があるんだ!」
ダグマイアの求めているのは改革の果ての栄光であり、消滅ではない。無くしてしまえば、変わりようが無い。当然の理屈だ。
そんな意味の無い行為の何処に意味があるというのか。
「意味なんて無いさ」
アマギリはあっさりとダグマイアの言葉に頷いた。そして、その淡々とした態度のまま続けた。
「意味は無い。でも―――元々そうするために作られたんだから、そう生きるしかないんだ、これは」
本能みたいな物だと、アマギリは言う。
「そうする、ため―――作られた? 何を言っている、何だそれは!?」
「人造人間」
「っ!?」
理解が及ばず言葉を荒げかけたダグマイアは、アマギリの言った只の一言に絶句する。
人造人間。
それは聖機工として家を成したメスト家が歳月を重ねて遂に見つけ出した、先史文明の遺産の一つである。
聖機神を動かすために作られたそれを発見した事により、ババルンは聖地にある”最強”の聖機神ガイアを奪取する事を思いついたのだと―――ダグマイアはそう理解していた。
聖機神を動かすための人形―――完全に、ババルンの制御下に於かれていた。完全に、だ。先史文明の時のような暴走は有り得ない―――有り得ないと、父は言った。
以前の時のような事は最早絶対に有り得ない。
―――父は、不安を覚え尋ねたダグマイアに対して、そう自信を持って言葉を返していたのだ。
「現に、ドールは我等に従っていた! ……確かに、無遠慮な個性は持ち合わせているが、命令には服従していたぞ!!」
「ドール? ―――って、そうか。まだ人造人間が居るのか……」
ダグマイアの言葉に、アマギリは何かに気付いたかのように呟いた。
「この期に及んで出し渋りか、あのクソ演出家め。―――まぁ、ダグマイア君が人造人間について理解してくれてるなら話が早い。単刀直入に言うけど―――」
面倒な話になってきたと嘆息した後で、アマギリは苦笑しながら言った。
「キミの親父、人造人間だ」
※ ネチネチとした空気で奈落トーク。
多分相当生徒会長とのひと時を邪魔されたのを根に持ってる。