・Scene 39-1・
此処が、終着点か。
夜の闇も届かない、されども真正なる無明の闇に閉ざされた、石造りの地下室。
牢獄だ。
壁は鉄板を鋏、更に漆喰で塗り固められており、鉄格子に挟まれた扉は、分厚い鉄板―――最早その厚みは鉄塊とすら言えそうだ。地下ゆえに、窓一つ無い。換気扇が天井の片隅に嵌っている鉄網の向こうで回っているのが、本来ならば天井に一つだけ備わっていた灯りを利用すれば見えるはずなのだろう。
だが、その灯りも付けられる気配は無い。
何時までたっても。
遠くに見える曲がりくねった階段の上、そこから僅かに差し込む光ともいえない上階の灯火の残滓が、それでも四、五時間前まではこの地下牢を薄ぼんやりと形作っていた。
きっと、忘れ去られているのだろう。
ダグマイアは誰かを嘲るようにそんな風に思った。
堅いベッドに身を横たえたまま。漠然と、そんな風に思っていた。
あの男、怨敵たるアマギリ・ナナダンは、遂にダグマイアがこの牢獄へ叩き込まれるまで只の一度も姿を見せる事は無かった。
完璧な油断だった。
成功体験を幻想し、詰めを誤った。
ほんの少しの、些細なミスさえなければ今頃―――なんて、自分を慰めるような言葉こそ、惨めだった。
ダグマイア殿、お休みの所失礼します。
ババルン・メスト卿により聖地が制圧下に於かれました。
つきましては、代王殿下の御下知に従い、貴殿の身柄を拘束させていただきます。
ヤツの使い。
アマギリ・ナナダンが山賊を一掃するために派遣した聖機師の代表は、ベッドの上であられもない姿のまま混乱するダグマイアの様子を歯牙にもかけず、一方的にそう宣言し、そしてその言葉どおりにダグマイアを拘束した。
歯牙にも、かけず。
ギリ、と暗闇の中でダグマイアは歯を軋ませた。
ヤツがダグマイアを拘束したのは偏にババルン・メストへの対処を優先するため。
ダグマイア自身が山賊と通じていたと言う事実は、ここへ至るまで、終ぞ一度も追究される事が無かったのだ。
あまつさえ、山賊の根城に居たダグマイアに向かっての第一声が、謝罪から入ったのだから、ダグマイアにとっては屈辱の極み。絶望すら覚えずには居られなかった。
当然の如く、罵声を浴びせた。
護送されている間中、窓の無い輸送車両に放り込まれて、そんなダグマイアを監視している兵に向かって、吼えて、吼えて、そして、答えはいずれも変わらなかった。
代王殿下より承った言葉は、”お楽しみの所、真に申し訳ない。しばらく、不自由を我慢して欲しい。事情は兵に―――小官でありますが―――聞いてくれて構わない”、それだけであります。
殿下はダグマイア殿と山賊集団との間に結ばれた業務契約に関する一切を妨害する意図はありません。
後日、此度の件に際してダグマイア殿が被った被害は全て弁償するとの事です。
状況が状況であるが故、殿下も余裕をなくしている部分があります。
ダグマイア殿には何卒寛大なお心で、ご容赦くださるよう、殿下の臣の一人として、願い申し上げます。
泣き叫ぶ事も、哂う気力すら欠けていた。
気付けば、ここで一人、漆黒に染まる天井を眺め続けていた。
何時ぞや叔父、ユライト・メストが言っていた事を、不意に思い出す。
アマギリ・ナナダンが敵と定めているのはあくまでババルンのみであり、ダグマイアでは決して無い。
何を馬鹿な。アレは自分こそが倒すべき敵だと―――叔父の前でこそそう思っていた筈なのに。
ダグマイアは、アマギリを見ていた。必ず排除するために。
しかし、アマギリはダグマイアを終ぞ見る事は無かった。今でも、そう。吼え寄る駄犬を遠ざけるが如き気安さで、ダグマイアをこうして檻に押し込んだ。
そして見向きもせず、きっとダグマイアがここに居ることすら忘れているのだろう。
そして、何よりダグマイアを懊悩に沈めている事実がある。
「―――父上」
呟きは何処か枯れた響きを漂わせている。
脳がその事について思考する事を望んでいない。だがこの暗闇の中、眠る事すら出来ぬ焦燥の極地に於いて、自然考えざるを得ない事実でもあった。
ババルン・メストが、ダグマイア・メストに報せぬまま―――始めてしまった、等という事実を。
父の大望。
革命とも言うべき思想。
現在の閉塞した権力構造を打ち壊し、力持つものが、持ち得る力を自在に振るえるべき世界へと変える。
それに共感し、協力し、強力に邁進していた。
大望の成就のために、人を集め、戦力を蓄え、ダグマイアは父から与えられた役目を精一杯果たしてきた。
その成果はあと少しで結実しそうな物だったのに。
―――父は、自らに何一つ報せる事無く、父のみの力で、始めてしまった。
何故、と繰り返し思っても足りないほど、疑問は尽きる筈が無い。
それこそ、アマギリ―――その配下が―――もたらした情報を疑ってしまうくらいに。
混乱させる罠に違いない、そうであって欲しい。事実、此処へ運び込まれるまでに何度も問い質した。
嘘をつくな、と。
しかし語られた言葉は、理路整然と、時系列順に矛盾の一つも見つける事が出来ず、父ババルンが聖地の占領を果たした事を伝えていた。
そう、父は独力のみで聖地を占領しきれたのだ。ダグマイアの人集めになど頼る必要も無く、独力のみで。
考えれば当然の話である。
国家中枢を握り、元より絶大な人望と財力、そして技術力を有していた父が、子供が学業の片手間で行う人集めになどわざわざ期待する必要も無い。
一気呵成と一人で全てを賄う事が出来て当然だ。
ただ、今までは時期を計っていただけと言うことだろう。
その隠れ蓑に―――そう、自身の真の戦力を隠すためだけに、ダグマイアを動かしていただけ。
「道化は、私か……」
気付かなかった。気付こうとしなかった。
自らこそが主役であり、故に降りかかる苦労の全てに抗いの気を吐く事が出来ていた。
中心に居れた、その事実に誇りがあったから。
父の目指す大望、それを継ぎ、そして発展させていくのが自身であると自負していたから。
―――しかしその前提は全て崩れ去った。
父は元よりダグマイアなど必要としておらず、そして敵と見定めていた男すら、同様に彼を見ては居ない。
対立し睨み合う主役たちの間を、五月蝿く吼えて回っていた道化こそがダグマイアの真実だった。
裸の王と笑うが良い―――しかし、笑ってくれるものすら居ない。初めから見ていなければ、笑うことも無いだろう。
これを道化と言わず、何というのか。
暗闇の中で、ダグマイアの思考は更なる絶望に沈んでいく。
此処が、終着点。
此処が、こんな場所が。
誰にも見られず、理解すらされず。
そんな無様な姿がダグマイア・メストの―――?
認めたくない。
「認められるはずが無い―――っ!」
暗闇の中で、叫ぶ。
それに答える者は誰も居ない。
彼が主役であったならば、きっと救いの主が訪れる筈なのに。敵がその様を嘲笑ってくれる筈なのに。
ダグマイアの言葉に応えるものは誰も居ない。
「―――じゃあさ」
それ故に。
「一つ提案があるんだけど」
彼にもたらされる言葉は全て、彼の思惑など一切関知しない物に違いない。
跳ね起きる。
暗闇。それでも鉄格子と解る場所を隔てた先に人の姿。待ち望んでいた声。
そこに、居た。待ち望んでいた存在が。ダグマイアと向かい合っていてくれた筈だった―――敵だった筈の少年の姿が。
「アマギリ・ナナダン……っ!」
※ ダグマイア さんが ログイン しました。
こんなサブタイだけど、一人称「俺」の人は殆ど出てこないんだよなこの章……。