・Scene 38-1・
窓の向こう。曇天の空。
今にも雨が降り出してきそうな、建物の中に居ても解る、湿気混じりの空気。
「だから何度も言ってるだろ! 調査じゃなくて接収だよ、接収! ああそう、内部の人間は全員拘束、資料及び設備は全て確保!」
窓の向こうを眺めて何とはなしに気持ちを沈めていたアウラの耳に、明らかな苛立ちを含んだ少年の声が聞こえた。
振り返る廊下の向こう、階段のある角を曲がった向こうから聞こえる、見知った少年の怒鳴り声。
「ですが、教会施設にそのような……」
「そんなもの後で幾らでも言い訳が出来る! とにかく今は一刻も早く国内の全教会施設を接収する事だけに集中しろ。抵抗されそうだって言うなら、公安騎士団に聖機人並べさせて追い立てろって言っておけ! なんだったら、一発だけなら撃っても構わん! 誤射で済ませる!!」
追い縋る女官を振り切るように、少年は脚の深いカーペットの上ですら音を立てる強い足取りで、足早に廊下を進む。言葉は辛らつそのもの。一分の批判すら許さないかのごとき苛烈な態度だった。
「それは余りに一方的過ぎます! まずは調査協力を求めて……」
「馬鹿かお前は! それとも無能か? 屑か!? そんな無駄手間かけてたらこっちが一方的に攻撃される恐れがあるんだぞ!? 連中には教会に所属している人間だって居るんだ、その辺りの事情で強請ってやればそれで幾らでも名分も立つだろう! 少しは頭を使え!」
怒鳴り声と共に、丁度少年の姿がアウラの見える位置にまで差し掛かった。
アウラは、親友がこうまで一方的な態度で他者を罵倒する様を見るのは初めてだった。
それだけ、切迫した事態と言うことか。
「しかし、殿下……」
「ああ、もう!」
これだけの明確な怒声に晒されながらも、尚も反論の言葉を紡ごうとする女官に、少年は苛立ったように頭を掻きながら立ち止まった。
「陛下が玉座にお戻りになられるまでは僕が全権を委任されている。もう一度言うぞ? 国内の全教会施設―――無論、主要都市近辺のものが最優先として―――全て強制的に接収だ! 施設内部において転位装置と思しき物を―――いや、時間が惜しいな。亜法機関を搭載している機材なら全てだ、発見次第速やかに停止、いや破壊しろ! 聖機人でも爆薬でも、必要ならば何を用いても構わん、後に活用する事など考える必要も無い、破壊だ!! どうせ後で必要になっても、僕がもっと使い易いヤツを作ってやる。―――良いか、これは勅命と心得ろ!!」
「―――っ!? か、畏まりました!」
「畏まらんでも良いからとっとと動け! 時間は有体に言って僕等の敵だぞ!」
勅命―――滅多ないであろう言葉に緊張気味に応じる女官を蹴り飛ばす勢いで少年は言葉を散らした。
女官は彼の言葉に従って、転げるように駆けながら、もと来た道を引き返していく。
「―――ったく、情報部名乗りながら平和ボケしてるんじゃないよ。……ああ、くそ。瀬戸様に仕事押し付けられてた頃はこんな愚図共のせいで手間取る事なんて有り得なかったのに……ったく、こうなってくると家令長達と連絡が取れなくなったのは痛いな。連中、流石に女王陛下の推薦だけあって優秀だったって事か。―――生きてれば良いけど」
呆れ混じりに、嘆息しながら振り返った少年と、廊下の窓際に体を預けていたアウラの視線が絡む。
アウラは身を少し起こし、苦笑交じりに少し離れた場所にいる少年に言葉をかけた。
「珍しく荒れているな、アマギリ」
「ぁあん? ―――……っと、失敬」
誰だか解らなかったらしい、凄い目で睨まれた。
何処と無く疲れた顔。目の下にうっすらと隈が出来ているようでもあった。
そういえば、朝方は―――なるほどつまり、昨晩は殆ど”寝て”なかったから睡眠不足と言うわけだと、アウラは気付きたくも無いのに気付いた。それなら気が立つのも仕方ないかもしれない
尤も、本当に親しい人間以外には割りときつめの当たり方をする少年だったから、普段もああいう感じなのかもしれないとアウラは内心思っていた。
アマギリ・ナナダン。
少し歳の離れた、非常に気難しい性格の異性の友人―――親友の一人。
アウラにとってはそれがほぼ全てと言う認識だったが、彼にはハヴォニワ王国の王子としての顔もあるのだ。
公的な場面での一面を見せられるのは、初めてのことかもしれない。
「アウラ王女。こんな所でどうしたん。ですか?」
一度頭を振って気分を切り替えたのか、アマギリはアウラの知る何時もどおりの親友としての表情に近いものを浮かべた。気を使わせてしまったかと、アウラは微苦笑を浮かべた。
「いや、―――と言うか今更かも知れんが、私を呼ぶ時に一々”王女”などと敬称をつけんでも構わんぞ?」
気遣う気分で、あえてどうでも良い話題を振ってみるのだが、アマギリはやはり疲れが隠せないのか、戸惑いもせずに、ああそう、と頷くだけだった。
「それじゃ、アウラさん。こんな薄暗いところでなにを黄昏て居たんですか? 皆とサロンでご歓談中だったのでは?」
「ああ―――いや何、ラシャラ女王たちはお前が連れて行ってしまったし、情報も全く入ってこないしで、こんな状況で寛いで居てくれと言われてもな。空気も悪くなってきたし一度解散と言ったところだ」
廊下の向こうにある風光明媚な景勝を満喫できるサロンを顎で示して、アウラは肩を竦めた。先ほどの会話は自分の中で無かった事にすると決めたらしい。
アマギリはそれを聞いて、苦い顔をした。
「ありゃ、つー事は部屋に戻ってるのか。―――やっぱ不便ですね、通信が使えないと」
「通信、か。―――これほど大規模な通信妨害など、可能なのか?」
アマギリの愚痴に、アウラは眦を寄せた。
通信妨害。
”聖地占拠”なる異常事態の最中に、一国の王女であるアウラが、未だに他国の観光地で燻っている理由がそれである。
シトレイユ皇国宰相ババルン・メストが、自身の直轄領から全軍を率いて聖地を占領。
その詳細な情報を得ようと各国がその目と耳をそばだて様としたその瞬間―――全ての亜法を用いた通信設備が使用不能になった。民事、軍事、短距離、長距離問わず、ほぼ全ての通信設備が、である。
例外としては特殊な亜法振動対策を施され地中に埋設された有線通信網くらいである。
設置費用も馬鹿にならず、費用対効果も薄いとして、どの国も導入に二の足を踏んでいたような技術だったから―――そもそも、高度に暗号化した高速、長距離無線通信技術が発達している関係上、どうしても有線通信網の整備は進まない―――この事態に有効に働くような場所には存在していない。
ハヴォニワに於いての事態の変遷を眺めてみると、女王が第一報を察知して、王女と共に高速艇で王宮へと帰還するためにこの別荘地を離れた瞬間に、通信妨害に巻き込まれた。
それ故に、半ば冗談のように”玉座へと辿りつく間”に全権を委任されてしまったアマギリは、女王と連絡がつかない―――女王も、船上の人であるが故に、身動きが効かない―――故に、職責も在ってか、本当に可能な限りの全権行使の必要に駆られていたのだ。
既に、第一報が入ってから半日ばかりが過ぎ、時刻もそろそろ夜に指しかかろうとする時間である。
客人たちを放置して、人を集め、掌握し、走らせて、と泥臭い真似を演じ続ける羽目になっていた。
「不可能じゃないと思いますよ? 現状有り触れた技術だけでも、使い方次第でこういった現象を起こす事は可能です。例えば、亜法波の通信はエナの共鳴振動を利用して行っている物ですから、海流に沿って特殊な振動波を発する結界炉でも一定間隔毎に設置していくとか。向こうさん、そもそも技術屋上がりらしいじゃないですか。こういうコスト度外視な方法も、立場と金に物を言わせれば幾らでも出来そうですしね」
僕ならもっと簡単な方法で出来ますけどと笑う、何処か自身の才覚を鼻にかけた態度が、最近見ない男性的な魅力を感じさせる物だった。
アウラとしては好ましい部分なのだが、彼に思いを寄せる親友―――同性の―――にとっては、余り好きではない部分なのだろうなと思うのだった。
「―――まぁ、それだと通信妨害と聖地占拠がズレた理由がいまいち解らないんで、教会本部か結界工房辺りで、それ様のシステムでも発見したのかもしれませんが。元々通信技術も教会が発祥ですしね」
「―――何?」
ついでアマギリから語られた言葉は、一瞬アウラに思考の空白を生み出してしまうような爆弾だった。
今、聞き捨てなら無い単語が連続で飛び出した。
アマギリは呆然としたアウラと言う貴重な物を見たが故か、薄く笑って言葉を続けた。
「教会本部施設―――早い話が教皇庁ですが、ババルン軍と思わしき聖機人部隊の襲撃を受けて壊滅。教皇聖下並びに枢機卿様方は行方不明―――多分、生き延びてるんでしょうけど。ついでに、同様に襲撃を受けた結界工房が上層施設を放棄して最下層部に隔離結界を展開して外部と物理的に遮断、引きこもり状態に入ったらしいです。まぁ、容赦ないと言うか遊び心に欠けるって言うか」
「教会を―――教皇庁を、襲撃だと!? 正気か、ババルン・メストは。それでは全世界を敵に回す様な物だぞ!?」
その常識から外れた行為に驚愕の声を上げるリチアに対して、アマギリの言葉は何処までも冷淡だった。
「でも、有効な手ですよ。何しろ現在のジェミナーの秩序を形作っているのは技術管理団体としての教会の存在があったからだ。それが、あっさりと打ち崩されたと言う事は―――早晩、世界はそれを理解するでしょう。一つの”枷”が外れてしまったと。―――それは、これまでは二の足を踏んでいた幾つかの行動を、拙速な思考の持ち主達に選択させる充分な動機になる」
「それは、いや―――しかし」
余り想像したくもないような未来を思い浮かべて、アウラは頭を振り被る。
しかし、否定する要素が見つからない。
只でさえ世界は全ての通信の断絶などと言う混乱状態にあるのだ。
そして現状、それを修復する目処は立っていない。
混乱する世界。秩序の象徴とも言うべき教会の崩壊。
そして、教会と両翼をなし世界に対して睨みを利かせていた大国も―――その、大国こそが今現在、世界に騒乱の芽を撒き散らしているのだ。
「スイマセンね、人手不足で国内の掌握すらままならなくって。シュリフォンと繋ぎを取るのはもう暫く掛かりそうです」
表情を歪めたのを、祖国に危機が及ぶ可能性について思考が及んだが故と捉えたらしい。アマギリが、本気の態度で謝罪の言葉を口にしていた。
それこそ本人の言の通り、優先するべき事柄ではないのだから謝る必要も無いというのに。
ついでに言えば、後に女王が国内掌握を目指す時に邪魔に成らないように、本気でアマギリ自身がそれをしてしまう訳にもいかないのだろう。何処か身動きの取れぬ歯がゆさが混じった言葉だった。
―――相変わらず、身内と定めた人間には、とことん甘い。
アウラは微苦笑を浮かべて頭を振った。
「構わんさ。こうして安全を確保してもらえるだけでも御の字と言える状況なのだから」
窓の向こう、視界の端に警備の人間達が屋敷の門前に居る姿を捉えながら、アウラは言った。彼が行動を起こすにあたり、真っ先に行った事が警備の強化であると知っていたからだ。
「それより、教皇庁が襲撃を受けたのであれば、リチアの方が心配だが……」
現教皇はリチアの祖父が勤めている。行方不明であるというならば、どれほど不安に思うか想像もつかない。
だから、アマギリは立場的にそちらを優先して心配してやるべきだろう、そんな風の意味を込めていってみたが、しかし彼の態度はむしろ何処か平坦で捉えどころのない物に変わった。照れの一つも無い。
「アマギリ?」
「ああ、いえ……教会に関しては個人的に色々思うところがあるんで、それを考えるとリチアさんもあんまり不安を覚えていない気がしちゃって」
「と言うと?」
「教会の秘匿技術と言うのは僕の目から見ても割りと洒落にならないレベルの物が揃ってますから、こういう状況ですし、それらの仕様を躊躇う理由も無いでしょう? そうすると、主要人物の安全確保なんて最優先で取り組んでいる課題だと思うんですよね。他の何よりも、真っ先に。―――それこそ、通信封鎖の解除技術の提供よりも先に」
こういう風に考えるのは心苦しいのだけれど、アマギリはそんな風に付け足しながらも、それを思考することを止めなかった。
底が見えないが故にまるっきり信用しないと決めているようだ。リチアに対してすら、そうなのだろう。
「そういえば、お前は前から教会側の人間に厳しい目を向けていたな。メザイア先生しかり、―――ユライト先生にも」
ユライト・メストは教会の人間であると同時に、その名が示すとおりにメスト家の人間である。
今回のババルンの蜂起に無関係であるとは考えられず、自然、アウラの言葉尻は鋭くなっていた。
「ユライト先生―――あの人なんですよね、ホントどうなんだか」
「アマギリ?」
ユライトの名を口元で転がしながら考え込むアマギリに、アウラは首を傾げる。そこに敵意らしき物は見えなかったからだ。
アウラの疑問の視線に、アマギリは微苦笑を浮かべた。
「敵が居て、それをやっつければ全部が解決だったら楽だな―――ってね?」
「敵―――それは、つまり?」
冗談めかした言葉に、アウラは戸惑ってしまった。
現状は―――混乱しているなりに、明確な敵対勢力もはっきりしており、それを敵と断ずるのも早い。
確かに最早それを打ち滅ぼせば全てが解決する問い状況では無くなってしまったが、それでも解決への一助となる事は間違いないだろう。
「まぁ、その辺りを判断するために、それを知っているヤツを捕まえる予定だったんですけどね」
最早もぬけの殻となったサロンの方へと視線をやりながら、アマギリは言った。
「知っている?」
リチアの事だろうか。だが、教皇の孫と言えば聞こえが良いが、所詮孫は孫でしかない。教会内で直接作用するような力を彼女自身が持っているわけではないのだ。
誰を思ったのか、アマギリは気付いたらしい。僅かに笑って首を横に振った。
「居るでしょう、一人。明確に組織に所属していて、しかもそれが教会と深い関係にある、技術関連の裏事情に詳しそうな組織だったりするヤツが、ね? こういう時のために捕獲―――じゃない、確保しておいたんだから、有効に使ってやらなくっちゃ」
※ 久しぶりに熱が38度オーバー出るとか。マジ地獄だぜ……・
まぁ、ともかく。この辺りから待ったなしで終局まで一直線だと思います、多分。
説明する事多すぎて中々進めないってのがアレなんですけど。