・Scene 37-4・
目覚めは絹のカーテン越しに差し込む夏の日差しのせいではなく、隣にあったはずの温もりが失せていた事によるものだった。
瞼を開ける。
薄ぼんやりと視界の向こう、格子窓の傍に置かれたリクライニングチェアに腰掛けていた男の姿があった。
普段はまとめている長髪を降ろしたまま、シャツも半分肌蹴たような格好で、通信機片手にズボンをはいている姿は、何ともいえない現実感のありすぎる光景だった。
男の姿を確認できた事にわずかな安堵を覚えると同時に、僅かに心がささくれ立った様な気分をフローラは味わっていた。
居てほしい時に、居ない。
本人、空気を読めると嘯いている男であったが、女性の視点で見れば冗談も大概にしておけと言う外無い。
こうして目覚めた時に何時の間にやら腕の中から―――否、腕の中に居たのは自分の方だが―――居なくなっているとか、まどろみに落ちる刹那の間際に別の女性の名前を口にして見せたりとか、余りにも気の回し方がなっていない。
「ん―――じゃあ、A班とD班は拡張ラインの2まで後退。B、C班は即応体制でゲストの皆様の傍で待機―――そう待機だよ、待機。動くのは向こうに動かれた後で良いから。―――良い、良い。平気だって。向こうには剣士殿が居るんだから、脇役に出番は無いよ。え、こっち? ああ、じゃ一応警急待機。ある程度なら何とかできるから」
―――寝室で女性を放って仕事をしている姿も、減点だ。
結構、見ている側には態度で理解できるものなのだ。
気付いていないで通信機越しにやり取りをしているフリをして、とっくに気付いているであろう事は。
いっその事、ベッドから這い出して抱きついてやろうか―――そんな悪戯心が脳裏に掠めたが、今の自分がシャワーも浴びていない状況で、昨晩の”残滓”が染み付いている現状を踏まえると、余り女性のプライド的な意味でも望ましくない。そういったものも気分が乗っていれば盛り上がる要素の一助になるのだろうが、朝の新鮮な空気の中でわざわざそこまで気分を回復させる事も難しかった。
―――何より、眠りに着くのが”遅かった”手前、この朝の早い時間はフローラにとって辛く、体中から倦怠感を感じるほどだった。
ついでに言えば、日のある時間にまで男の時間を奪うのも―――男ではなく、男に視線を送っていた少女達に申し訳ない。日差しの元でくらい、少年として少女達に振り回されて居れば良い。次の夜は―――語るまでも無い。
それこそ、朝から考える内容ではなかった。
フローラは自身の浮ついた考えに失笑を浮かべつつも、男の会話から洩れ聞こえた内容から凡その事態を理解して、ベッドサイドに投げ出してあったナイトガウンを身に纏う。出来れば服を着込んでしまいたかったが、どうやらその暇も無さそうだったからだ。着替えている途中に、などとあったら面倒だったからだ。
「じゃ、そういう事なんで宜しく―――ああ、念のためコンテナのロック外しておいてね。うん、鍵明けておけばそれで良いから。―――あの従者その辺抜けてるからさ。解除コードは―――うん、じゃあ宜しく」
最後にそう告げて、男は卓上の通信機を切った。
会話をする度に何処かに誰か女の話題が上がる辺りが、この男の駄目な部分を象徴しているなと、フローラは口に出さずに思った。
男に背を向けたまま、背中が見えるように袖を肘に引っ掛けておいたガウンを肩まで引っ張りあげる。服のうちに溜まった髪を外へと払う仕草の間に、近づいてきて抱きしめるくらいはして欲しいものだが、その辺りの才能はどうやらないらしい事は、フローラも充分理解している。
男はフローラのちょっとした誘いに、当然気付く事も無く、どうやら肩を竦め―――癖らしい。余り似合わないのだが―――て、フローラに言葉をかけてくる。
「お目覚めですか」
「気付いていたでしょう?」
「―――まぁ、まだ早い時間ですし、二度寝してくれてもかまわなかったんで」
一瞬言葉に詰まった後で、微妙な早口で言う態度がおかしかった。わざとらしい最初の言葉は、許してやっても良いだろうとフローラは振り返って男と視線を合わせた。
「そうね、夜は遅かったし」
「……朝から何を言ってるんですか貴女は」
「”何”でしょう?」
男は頬を赤らめ、苦虫を噛み潰したかのような顔に変わった。からかいすぎたらしい。
少々品がなかったと自覚したフローラは、微笑を浮かべて男の望む会話の流れに乗ってやる事にした。
「それで、トラブルかしら?」
「ええ―――まぁ、僕が此処で一夜を明かした事がこの旅行の一番のトラブルである事は間違いないでしょうけど―――まぁ、トラブルです。たいした事じゃないですけど、賊が警戒網突破してダグマイア君を攫っていきました」
誘いに乗っておいてその言い草も―――言い訳がましいのがこの男らしいと思えなくも無いが―――どうだろうと思いつつも、突っ込み始めるとキリが無い事もあって、フローラは義務的な気分で後半の内容についてのみ頷いた。
尤も、凡そ予想通りの事態だったため、まるで感情が篭らなかったが。
「あら、まぁ大変。貴方の貴重な男のお友達が」
「警備の穴を突かれたらしいですよ」
「警備担当の子が疑問に思ってた、例の穴ね」
「ええ。密閉された容器に無理やり開けたようにすら見える、あの穴の事です」
開けたのはアナタだろと、男とフローラの視線が絡み合う。
それも一瞬の事で、やはりどちらにとってもそれほど興味が沸く話題ではなかったせいか、全くどうタイミングで溜め息を一つ吐いた後で、会話は再開された。
「―――ま、調べる気が無い限りは気付かない、ほんの小さな穴だったんですけどね。―――調べて見つけても、内側からの協力が無いと、使い道が無いという」
男の言葉はあからさまに過ぎた。その割りに面白く無さそうに言っているのだから、まんまと乗せられた彼にとっては悲しい話だろう。
「どうせ来る途中で嗾けていたんでしょう? 一人で考え込んじゃってるような態度で、キャイアちゃんも可哀相にねぇ」
「キャイアさんが可哀相なのは何時もどおりって言うか最早デフォだから仕方無いんじゃないですか?」
「可哀相ついでに言えば、目当てのあの子に逃げられちゃったマリアちゃんとリチアさんも可哀相―――でもないか、追っかけまわしてて楽しそうだったものね」
「僕に聞かないで下さいよ、それを」
「貴方に聞かないで誰に聞くのよ、色男さん? ―――まぁ、それに関しては今晩で良いわ。結局、予想通りにエサに釣られた倅君は、どうするのかしら」
”今晩は絶対何処かへ逃げよう”と言う顔を隠そうともしない男に向かって、フローラは尋ねる。男は無理やり真面目な顔を作って応じた。
「戦力不足のところに都合よく抱き込みやすそうな駒が手に入れば、倅君なら絶対手を出すと思ってましたから、まぁ、まずは話がつくまでは放置してあげて良いでしょう」
「あら、向こうの戦力強化を手助けしちゃって良いのかしら」
「”大望”なんてお題目を抱えている連中が、ああいう営利主義に寄った連中を内に引き込んじゃったら、後々絶対内部で面倒ごとが起きますから。長期的な視点で見れば、逆に戦力低下要素になりますよ」
「反乱の鎮圧は初手で潰すのが必須―――でも、私たちは向こうに初手を打ってもらえなければまず盤上にすら上がれない」
「だからこそ、ゲームが長引くにつれて効いて来る毒を仕込んでおかないと、ね」
夜にこそ相応しい悪い話を微笑みながら交わす男女。
少女達には見せられない光景―――でもないか、この男は基本、何時もこんな感じだった。
人好きするような性格の持ち主ではないし、何処が良いのやら。フローラとしては正直、娘の趣味を疑う気分だった。
教育を間違ったのだろうか?
「……何か失礼な事考えられている視線を感じるんですが」
眉根を寄せて尋ねてくる男を、フローラは笑って受け流した。
「それが解るだけ成長したって事かしらねぇ。―――それで、長期的な部分は理解できたけど、短期的に見てどうするべきなのかしら」
「どう、とは?」
「―――此処にも、賊はやってくるんじゃないかしら。貴方、警備には待機を命じていたんだから」
その言葉が終わった瞬間、格子窓を覆う絹のカーテンに、黒い影が被さる。
ガシャンと、窓の割れる音。飛び込んでくる、粗野な格好をした男―――賊だ。しかし。
室内に着地する寸前に、窓脇のリクライニングチェアに座っていた男が、賊の落下に完璧にタイミングを合わせるようにブーツを履いた爪先を振り上げていた。
狙い違わず、賊の喉元を抉る男のブーツ。華美な装飾よりも実用性を追い求めるのが男の趣味らしく、そのブーツは外皮の高級さからは解りづらいが、脚を覆うように針金と薄い鉄板が仕込んであった。
自身の落下速度と、振り上げられた鉄の爪先。
衝撃は半端無いものだっただろう。メキリと、碌でもない音がして賊の首が二百八十度近くねじれ曲がった。
床に叩きつけられ、泡を吹いて痙攣している。
「―――、む」
一瞬眉を顰める男。
殺害してしまった事に関してではなく、どうも、フローラの前で死体を用意してしまった事が趣味に合わなかったらしい。意味も無くフェミニストである。
男が賊の頭を念のために踏み砕いておくべきか悩んでいる間にも、更なる襲撃は続く。
今度はバルコニーに面した全面窓が盛大に割れる音が響き、やはり刃物を構えた賊の姿があった。今度は二人。
最初に入ってきた賊と合わせて、本来ならば二面の窓と入り口を押さえてフローラ達を囲い込むつもりだったのだろう。
男は悩む事無く足元に落ちていた今死んだばかりの賊の短刀を拾い上げて、サイドスローで、格子窓から踏み込んできた賊が床にうつ伏せで倒れ付しているのに気付いて動揺している賊の一人の眉間を狙い投げつけた。
「ナイスコントロール」
「昔は運動苦手だったから、この手のあんまり流行らない特技とか身に着けてお茶を濁してたんですよね」
「敵を近づけずに一方的にいたぶるってのは、いかにも貴方のやり方っぽいわねぇ」
「まぁ、近づかれたら一方的に負ける、ただのもやしっ子ですから、僕」
久しぶりの投げナイフだったが故か、少しばかり狙いが逸れて、”上半身の右側辺り”に短刀が直撃した賊の一人は、当然の如く心臓の鼓動を停止させられて前のめりに崩れ落ちた。
その様をつぶさに眺めながら、何処か呑気な会話を繰り広げているフローラと男は、やはり相性が抜群に良いと言うことなのだろう。
「てっ、てて、てめぇ等!?」
しかし、その仲の良い会話は、突然二人の味方が殺された最後に残った賊からすれば、恐怖以外の何物でも無い。
言葉は震え、握り締めた刃物も先端が揺れていた。
さて、どうしたものかと男は悩む。最後の一人くらいは生け捕りにしたいなと思い、それを考慮に入れなければあっさりと対処可能だという難しい判断に。
その悩みこそが賊の命を救った。
自身たちが侵入に用いた、広大な庭園に面したバルコニー。古代の巨木の根が地面からせりあがるようにのたうっている特長的な景観。バルコニーの手すりの向こう、手が届く位置にある根の上を滑るように、赤い金属の塊が突っ込んできた。
卵に車輪の生えた四本の脚、蟹とも蜘蛛ともつかないシルエット。
爆音を滾らせて根の上からバルコニーに飛び移り、そして、蟹の鋏のような前方に装備された二本のアームのうち片方を、室内の賊目掛けて振り下ろした。
ドカンと、金属の重量を加速と共に叩きつけられて、最後の賊は自身でも訳の解らぬうちに沈んだ。
「機工人? 良い動きするじゃない」
「ええ、ワウには頑張ってもらいましたから」
「でも事前に判子押した図面と見た目が違うわねぇ」
「ああ、動力変えたんでほぼゼロから作り直しましたし」
ぐしゃぐしゃに破壊された窓の向こう、バルコニーにその身をさらしていたのは、赤い塗装をされた最新型の機工人だった。
前面に設置されたむき出しの操縦席には、一人の少年の姿がある。
「フローラ様、ご無事です―――って、アレぇ? あ……あ、アマギリ様?」
「あら剣士ちゃん、お早う」
「やぁ剣士殿、ご苦労様」
とまどう少年―――剣士とは対照的に、室内から出てきたフローラとアマギリは、むしろ意味も無く朗らかな笑顔で語りかける。
拙いものを見られた―――などと言う気分はまるで存在していなかった。
尤も逸れはフローラだけで、アマギリにとっては遅かれ早かれどうしようもないと諦めの感情が立っていただけなのだが。
「えーっとぉ……なんで? あれ? う~~~ん……」
未だに”早朝のフローラの部屋にアマギリが居る”という状況に剣士は理解が追いつかない。
アマギリは、混乱させたままの方が良いかと思って、あえて何も答えらしき言葉を返さずに笑ったまま言った。
「状況はわかってるつもりだけど、他の子達は?」
「へ? あ、ハイ! ―――えっと、そうだった! ラシャラ様とマリア様はユキネさんとワウと一緒に警備室に逃げ込んでるんですけど、まだ、アウラ様とダグマイア様が―――」
「んじゃ、とりあえずアウラ王女を助けに行こうか。ダグマイア君は男だし、もうちょっと頑張ってくれるのを期待しよう。―――後ろ乗せてってくれる?」
返事を聞くよりも先に、地面に降ろしていた前腕部に足をかけていたアマギリは、フローラの方を振り返った。
「女王陛下はどうします?」
アマギリの問いに、フローラは微笑んだまま答えた。
「男の子の遊びに着いて行く気は無いわよ。まだ眠いし、寝直すことにするわ」
「そうですか。それじゃ、警備の連中回しておきますからごゆっくり」
軽く頷いて、アマギリは応じた。
気付かないうちに進んでいく状況に、思考が追いつかない剣士。
それを良い事に自分に都合よく状況を進めていこうとするアマギリ。
軽快な動作で剣士の背後の補助席に座り込むその態度は、男同士の遊びの方がまだまだ楽しいお年頃とでも言いたいのか、どこかフローラは蔑ろにされているような気分を味わっていた。
肌にこびりついた昨夜の残滓が、昇り始めた夏の朝日に焼かれて、フローラの肌に纏わりつく。
「じゃあ、剣士殿。急ごう」
「ああ―――えっと、ハイ」
急かすように行動を求めるアマギリの態度。
―――女をあっさりと置き去りにして、余りにも楽しそうなその態度は、少しばかり、面白くない。
「剣士ちゃん」
それ故に。
呼ばれて剣士は振り向いた。フローラはニコリと微笑んだ。
「ウチの”旦那”のこと、宜しくね~♪」
「ちょっ……!?」
「へ? 旦那?」
唖然とする少年達にもう一度だけ微笑みかけて、フローラは室内に引き返した。
床に転がる賊たちは視界にも居れずに鼻歌を歌いながらバスルームへと向かう。
果たして少年が、今晩の寝物語では何を聞かせてくれるのかと、楽しみに思いながら。
※ バカンス……っっっ!!!
夏はエロスでバイオレンスとか、多分そんな感じで。
因みに、年齢上がるごとに描写がエロ……もとい、えらい事になってるのは、割と偶然。