・Scene 37-3・
我が身の不幸を呪えば良いのか?
そうではない、機会が訪れたのだと思え。
欲しいもの、望むべき場所、全てを自分の力で手に入れる機会が訪れたのだと。
薄暗がりで密会を行っている男性聖機師と、そして恐らくは庶民の少女。
その姿を隠れて伺いながら、その者達の会話を聞きながら、ダグマイア・メストは不機嫌そうに眉を顰めてそんな事を考えていた。
男性聖機師は徹底的にその血を管理される。配偶者を選ぶ権利など存在しない。
聖機師の系譜に生れ落ちたダグマイアですらそれに苦いものを覚えざるを得ないのだから、あの少年―――恐らくは、聖地学院に在学している下級生だろう―――のように、庶民の一般家系から突然変異的に聖機師としての資格を有してしまったものであれば、その思いも尚更だろう。
環境を変えるのは容易い。だが、人と人とのつながりを断ち切るのは酷く難しいから。
だからこんな風に、他者から敬われるべき立場に”貶められて”いながら、後ろ暗い気分でかつてからの想い人と密会などせねばならない。
男性聖機師とは、結局はそうした、自由に好きな人と会う権利すら与えられない、束縛に満ちた地位なのだ。
風光明媚なハヴォニワの高級別荘地に向かう賓客専用の旅客船。
乗り込んだ人々は各国を代表する王侯貴族に聖機師たち。
しかして、他者から全貌の眼差しを集めるに違いないその場所へ居る権利を与えられたダグマイアにとっての現実は、この薄暗い倉庫室の冷たい空気に他ならなかった。
今も甲板上で微笑みあっている者達が、決して視界の冷めようとしない不の情念。
奢り高ぶった者達が天を見上げ、見ようともせずに踏みにじった者達の淀んだ意識の溜り場。
今の、ダグマイアの居場所だ。
だが、とダグマイアは思う。
確かに此処に貶められているのは事実。生まれた時から決まっていた自分の居場所である事は間違いない。
だけど―――だからこそ、此処から這い出してみせると、もうずっと前に決意していた。
父の大望、叔父の思惑。それらすらを利用して、自らの求めるべき、自らが望む場所に居る力を手に入れる。
手に入れてみせる。
「欲しい物があれば、力で手に入れれば良いだろう……」
そう決意していたから、ダグマイアは、同じくこの奈落に貶められている男性聖機師の少年を断絶した。
諦めが先に立ち、自らを慰めるように世を嘆くだけで動こうとしない。
決して、認められない生き方だった。
「軟弱な奴らめ……」
「そんな風に言うもんじゃないよ。誰にも立場ってモノがあるんだから」
殆ど吐息に混じったような呟きに、重ねられる言葉があった。
腕を組んで壁に背を預けていたダグマイアは、俯いていた顔を上げずに、横目でその存在を伺う。
「アマギリ殿下」
「出歯亀とは、案外変わった趣味があるねダグマイア君も」
気が合いそうだ、等と興味も無さそうに言いながら、ダグマイアの横に、同様に背を預けた。
両手をポケットに突っ込んで横目で―――見えないだろうに、角の奥にある倉庫の様子を伺うその態度を、まさかこの国の王子と信じる奴は居ないだろう。
何をしに来たのやら、相手をするのも面倒くさいとダグマイアは肩を竦めた。
「ご冗談を」
「説得力無いよ、その言葉」
「……」
状況が状況であるから、否定できなかった。
「さしずめ、密航者との密会現場ってトコか」
体を戻したアマギリが、納得したといった風に薄く笑った。安楽な態度に、ダグマイアは眉を顰めた。
「取り押さえなくて、宜しいので?」
ハヴォニワ国内で他国の男性聖機師が(恐らく)面会禁止措置が取られた人間との密会。
それ自体はハヴォニワの責任とはならないが、現場を目撃してしまったのであれば話しは別だ。
現場を目撃して、それを見過ごした等と判明した日には、いらない問題が発生する可能性もある。
だが、アマギリは興味も無さそうに鼻を鳴らすだけだった。親指を立てて甲板へ上がる通路を指し示して、場を離れる事をダグマイアに促してくる。
特にこれ以上この場に居る必要性も感じなかったダグマイアは、黙ってその仕草に従った。
振り返る事もしない。
―――それが無価値だと思っているのだから、当然だ。
「ま、折角の夏のバカンスに、面倒ごとにわざわざ首を突っ込むってのもね」
深い渓谷の間を進む旅客船の後部デッキに上がる階段の手前で、アマギリは唐突に立ち止まってそんな風に言った。ダグマイアも釣られて立ち止まる。
「面倒、ですか。見過ごした方が後になって面倒なのでは?」
「知らなければ意味無いだろう?」
黙認する気らしい。
そのまま壁に背を預けて話す体制になっていたアマギリにあわせるように、ダグマイアも向かいの壁に背を預けた。
船と言う限られたスペースを有効に使わなければならない構造物内の、しかも客の目にはつかない筈の船員用の狭い通路。必然、向かい合わせに視線をつき合わせば、存外近い位置となった。
一対一で向かい合うのは―――そういえば、随分と久しぶりか。
表面上の親しさは常に見せていたが、それだけとも言える関係だったから、滅多な事では二人だけとなる事は無い。そも、互いに従者が常に付き従っていたというのもある。
「僕としてはダグマイア君の態度こそ意外だね。ああいうの、見つけたら咎めるもんだと思ってたよ」
「殿下は存じ上げないかもしれませんが、案外ああいう手合いは珍しくも無いですからね。一々口を突っ込んでいては、身が持ちません」
「そりゃまた。―――んでも、弱みを握れば後で役に立ちそうじゃない?」
軽薄そうな笑みと言葉。何を考えているのか、相変わらずダグマイアには知る由も無い。
明確に敵と認識しているこの男の、しかしダグマイアは本性が読みきれなかった。
ダグマイアとアマギリは敵対している。立場からも、個人としての関係からもそれが明らかだ。
お互いの共通認識としてそうあるというのに―――時にこうやって、気軽な態度でアマギリは話しかけてくる。
何かの布石なのかと神経をとがらせてみても、それで肩透かしを食らう事も多かった。
今回とて、そう。
ハヴォニワ王室経由―――王子アマギリの個人名義ではなく、ナナダン家からの誘いとして、この夏季長期休暇を利用した避暑地への旅行へと招かれた。
王室から、宰相家公子への誘いとあっては理由も無く断る事も出来ない。他に他国尾の王族たちまで招かれているのだから、尚更だ。建前上、主君として崇めなければならないシトレイユ国王ラシャラ・アースも参加している事だし。
何の企みなのか。事前にこれでもかと調べてみたが、判明しなかった。
どうやら本当に気まぐれな避暑地旅行に招待されただけとも考えられるし―――そうであってくれたほうが良いかもしれないと、ダグマイア自身も気抜けた考えを持ってしまう。
聖地では最近、自身の目的のための行動に手詰まり感を覚えていたからだ。
人が、集まらないのだ。
即応するとは思わないが、威を持って理を説けば後は自ずと賛同者が増えるだろうと思えていた”計画”の、しかし誘う者の誰しもが、話を聞き終えた瞬間に、天秤を前にしたような顔を浮かべる。
そして、曖昧な言葉を述べてその場を辞し、そのまま二度とダグマイアの前に現れる事は無い。
そうした人間を、もう何人も見てきた。
本来であれば同士となってくれたであろう男性聖機師たちが、誰も彼も、踏み出す一歩を惑っている。
その理由は、当然理解している。
目の前の男の存在が、そのまま理由そのものだった。
アマギリ・ナナダン―――ダグマイアと並ぶ、シトレイユと並び立つハヴォニワの王子。
ダグマイアに協力するのであれば、アマギリとの対立は必須だ。
そして賛同しなかった男性性騎士達は、悪辣さについては右に出るものの居ないこの男と対立する事を恐ろしいと感じているのだろう。
―――次は無い。
今でも思い出せば背筋を震わすようなその言葉。
事が起これば容赦なく―――だが、ダグマイアは止まれない。計画は元々彼の思惑を外れた所で動いていたと言う理由もあるし、きっと止まってしまえば、二度と走り出せないだろうという思いが自分の中にもあったから。
だからこそ焦り、勧誘にも必死に―――それこそ、無様なほどに。必死さを見せれば、更に勝ち目無しと思い人は遠のいていく。
挙句、行動に粗が目立ち始めたと叔父如きに咎められるようになってしまえば―――こうして、場所を変え気分を変えたくなる気持ちも、ダグマイアの中に生まれてくる。
何もかも忘れて。しがらみも、情念も、沸き立つ怒りも何もかも。
今更出来る訳が無いのに。
「弱みを手綱に縛った所で、そんな人間は何の役にも立たないでしょう」
考える事すら煩わしいと、ダグマイアは頭を振り払って吐き捨てた。
アマギリが不思議な顔で見ている事すら気にならなかった。
「役立たずすら役に立てるのが、一流の策士の技ってもんだと思うけどねぇ」
「そうですね。そうでしょうとも。―――貴方ならばそうでしょう」
だが、俺は違う。ダグマイア・メストは、違う。
薄暗闇の中で罠を張り巡らし、只獲物が掛かるのを待つだけの―――そんな事は出来ない。
だからこそ、水面下でどれだけもがいても賛同者の数が一向に増えない。
気分転換にもならない。再びループした思考に、ダグマイアは頭を掻き毟りたい衝動に駆られた。
無論、敵の前でそんな無様は出来なかったが。
「あんまり怖い顔するものじゃないよ。折角の夏休みなんだからさ」
歯を食いしばるダグマイアに、しかしアマギリはへらへらと笑っている。同じ奈落に嵌った身でありながら、どうしてこうもこの男は軽いのか。
否。この男だけではない。
野生の獣を思わせる、あの異世界人の小僧も。彼らは自身等のいる場所を闇の中とも思わずに、軽快に動き回っている。
「どうしてそんな風に笑える。お前達は」
気付けば、そんな風に尋ねていた。
口調からして明らかな失言で―――しかし、アマギリは一瞬目を瞬かせただけで、肩を竦めるだけだった。
「どうして、ね。僕の場合はまぁ、笑うしかない状況っつーか―――どうでも良いか。剣士殿の場合は、そうだな。アレも言ってみれば、そういう血とか因果に縛られてるって事なんじゃない?」
「血に―――? それは、どういう」
「神木は嗾ける。柾木は飛び出す。竜木は苦笑い。そして天木は一人愚痴る。どの時代でも何処の誰でも、その辺の根本は変わらないって何か昔そんな事を言われたよ、僕は」
「―――何を?」
訳の解らない事をと、ダグマイアが尋ねようとしても、アマギリはそれこそ笑うだけで答える事は無かった。
「難しく考えたら負け、あるがままを受け入れるのが正道って事だよ、きっと。―――そう言う事なんで、そろそろ僕は諦めて上に行くよ。……ホント、どうしてこんな風になったかなぁ」
最後の呟きは誰に聞かせるでもなく、何処か遠くへぼやくように呟いて、アマギリはさっさと一人で階段を上がっていった。
話を始めたのはアマギリだろうに、最早ダグマイアには構おうともしない。
元から存在を認知していなかったかのような、―――外を伺いドアの傍で身を潜める姿は、そんな風に感じられた。
正直、ドアを少しだけ開いて外の様子を伺っているその姿は、滑稽というに相応しい。
―――笑うしか、無いほどに。
唇をゆがめて息を漏らした事に気付かれたのだろうか、ドアノブを手に握ったまま、アマギリが振り向いていた。
不思議なものを見た。そんな顔でダグマイアを見ていた。
その後で、何がおかしかったのか一瞬だけ微苦笑した後で、アマギリはそういえば、と口を開いた。
「この旅行の目的って言ったっけ?」
「―――? いえ」
目的。これほどのメンツを集めたのであれば、―――アマギリか、フローラか、どちらにせよ何かしらの思惑が無い筈が無い。
だが、その理由をまさか、聞かせてもらえるとでも言うのだろうか。
疑問の視線を受けてアマギリは、苦笑したまま続けた。
「何か邪推してバカンス楽しめないんじゃ申し訳ないし、先に伝えておこうと思って。―――最近ね、この界隈で別荘に止まる金持ち目当ての大規模な山賊団の動きが活発化しているんだ。強盗から誘拐、ついでに暗殺まで何でも御座れの―――もう山賊って括りすら温いような面倒な連中らしいから、ここらで母上が一計を案じた、って処さ」
理解できた? と尋ねてくるアマギリに、憮然とした態度でダグマイアは頷く。
「―――我々はエサだと言いたいのでしょう」
「ご賢察。まぁ、この船にもこれ見よがしに聖機人乗っけてるって段階で、バレバレか」
「―――そう、ですね」
迂闊にも気付いていなかったとは言えなかった。
「そう言う訳だから、ちょっとした騒ぎも起きるかもしれないけど、安心してバカンスを楽しんでくれれば良いよ―――っと、ヤベ、見つかった!」
ダグマイアが答える暇も無く、焦った顔をしたアマギリはドアから飛び出して姿を消した。
開ききったドアの向こうで、バタバタと数人の足音が聞こえたが―――何をやっているのやら。
あの間の抜けた只の少年のような態度が、最近良く敵が見せる姿なのである。
フリか。余裕を見せているつもりなのか。舐められているのか。
何せアマギリ・ナナダンである。どのような態度を示していても油断は出来ない。
休暇を楽しめ。理由は説明したのだから―――その上辺だけで納得するなど、愚の骨頂。
裏をかけ。そして利を手繰り寄せろ。
―――腑抜けている場合では無い。
明確な指針が一つでも見つかれば活力が沸くということだろう。
険のある顔を浮かべていたダグマイアの瞳に、力が戻り始めていた。
それは、一縷の望みに縋ろうとしている狂信的なものだったかもしれないが、確かめるものは此処に居なかった。
「……山賊、か」
一言、そう呟いたダグマイアは、予め先に別荘地へ侵入させておいた連絡員との繋ぎを取る手順を考え始めていた。
薄暗い、望めば直ぐに自分の足で光指す場所へ迎える所に居るというのに。
影の中に立ち止まったままで。
きっと、恐らく。
背後から注がれる視線の純真さに後ろめたさを覚えてしまったからと、聖地へ置いてきてしまった従者が傍に居てくれたのならば、絶対に止めてくれるであろう最悪の一手を、ダグマイアは思いついてしまっていた。
※ 一人だけシリアス。―――それが逆に滑稽、と言うのがやっぱ彼のポジションかと。