・Seane 5-1・
「―――斯様な如き事実を以って、ハヴォニワ国女王フローラ・ナナダンは、先王ローランの末子アマギリを、王位継承権第一位を持つ我が実子マリアと同等に遇し、王位継承権第二位の王子とする事を此処に宣言する!」
国内の全ての貴族、王政府閣僚、財界の重鎮、そして大使館を持つハヴォニワと関係の深い他国の賓客達、教会の高位の司祭、さらにはマスメディアまでを集めて、王城内の大広間でそんな宣言が達せられた。
その後は新たな王子のお披露目の舞踏会から無礼講の宴へと続き、アマギリ・ナナダンは正式に、ジェミナー全土に於いて、ハヴォニワ王国の王子であると認知される事となった。
彼が王城に住まうようになってから、実に一ヶ月目の話である。
「……楽しいですか? 自分の顔が大写しになっている新聞をテーブル中に広げるのは」
冬も間近、そろそろ外でお茶をたしなむには背筋が冷える処もあったため、兄妹の日常に変わりつつある昼下がりのティータイムは、室内、巨大な暖炉(型の亜法暖房機)が設置されたリビングで行われていた。
三人掛けというには些かオーバースケールなソファに腰掛けながら、これまた中央まで手を伸ばすのが面度そうな大きなテーブルの上に、国内外を問わずあらゆる新聞社から取り寄せたまったく同じ日付の新聞を無造作に並べて、取替え引き換え内容を読みふけっていたアマギリが声の方に振り向くと、彼の隣には優雅な仕草で腰掛けながら、今や名実ともに彼の妹になってしまった王女マリアが、呆れ眼で彼を見ていた。
「楽しいか楽しくないかって聞かれると、まぁ、興味深いと答えられますから――― 一応楽しいの範疇に入りますかね、コレ」
無造作に散らばせていた新聞を寄せ集めながら、アマギリは肩をすくめた。その返しに、マリアは首をかしげた。
「興味深い、ですか?」
「ええ、同じ事件を多角的に見る事ができますから。―――新聞が、客観的事実のみを書くなんて事はまず有り得ないのは、王女殿下もご理解していると思います。新聞に書かれた記事の内容と言うのは、書いた人間や出版社の編集方針に従った主観に従って書かれるわけですよね。そのくせ、コレは事実のみを正確に書いているんだと嘯いて見せる辺りも、実に興味深いですが―――これはどうでも良いですか。兎角、同じ記事でも右から左から、それぞれ複数の主観で捕らえた”感想”を読み解いて、新聞社の望む”真実”ではない本物の世論を探ってみるのは、まぁ暇つぶしには丁度良い興味深さですよ」
生産性は皆無ですが、と最後に付け加えて、アマギリは全ての新聞をたたみ終えた。
おどけた仕草のアマギリに、マリアは些か不機嫌そうに鼻を鳴らして答えて見せた。
「なるほど。それでは世論は貴方の王子擁立に関して、どのように判断してらっしゃるのですか? ―――アマギリ”王子殿下”?」
本物の王女殿下から殿下呼ばわりされた偽りの王子は、しまったとばかりに頭を書いた。
口を尖らせて不機嫌を表現する妹に、平謝りを行う。
「申し訳ありませんでした、マリア様」
「様付け、敬語ではあまり変わりはありませんよ」
「……そう言われましても、いきなりえらそうにする訳にはいかないじゃないですか」
心底困った風に苦笑する兄に、マリアはため息一つ吐く事で答えた。
「……気持ちは解りますけどね。ですが衆目のあるところで、兄が妹に敬語で話している姿など見せてみなさい。貴方の言う新聞社の決め付ける”真実”とやらが、如何様になるかお解りでしょう?」
「いやぁ、その辺りは市井の暮らしって言う設定だから平気……すいません、なんでもないです。鋭意努力します」
眼光一睨みで黙らされた。
どのみち、王家一門だろうが実の妹だろうが、アマギリがマリアに弱いのは変わらないらしかった。
それはこの一月と少しの間に培われた関係で、今後もそうそう簡単に変化する事は有り得なさそうな事であった。
「それで、世論は貴方の王子擁立になんと?」
居住まい正しく主人たちの背後に控えていた侍従たちにお茶の支度をさせながら、マリアは再度アマギリに尋ねた。軽く、テーブルの脇に置いてある新聞の見出しをなぞってみせる。
”ハヴォニワの新王子・アマギリ”
”先王の御落寵アマギリ殿下・王籍復帰”
多少の文面は違えど、どの新聞も一面を飾るのは礼装を纏ったアマギリの写真と、彼の王子擁立を記す文面だった。肯定的なもの、否定的なもの、内容は紙面によってさまざまだったが。
「まぁ、見てのとおり肯定的・否定的・中立な意見問わず、何れも僕の存在に関して懐疑的な部分が感じられますね。それから、事実の如何に問わず王位継承権を賜った女王陛下―――フローラ様の決断を危ぶむ物が多いと感じます」
「……予想通りと言えば予想通り。当然といえば、当然ですわね」
「まぁ、当たり前の話ですけど僕らも世論の一部ですからね。何処かで無理やり操作しない限り、日常生活に係わり合いの無い事例に対する大衆の意見なんてそうそう人によって変わったりはしませんよ。……と言うか、やっぱり王位継承権はやり過ぎってのは誰でも思う事なんですね」
自分がおかしいのかと思ってましたと空笑いするアマギリに、マリアは当然でしょうと頷いた。
「アマギリさんの事情を推察できる立場の私たちですら耳を疑っているんですから、それこそ伝聞しか知らぬ大衆が不思議がるのも当然と言えるでしょう」
「―――そりゃあ、異世界人だと思うような人は、居ないでしょうしね」
「異世界人の聖機師。しかも男性。それに相応しい適正。多少の無茶をしても、囲い込みたい人材ですもの」
我が事ながら実感のこもらぬアマギリの言葉に、マリアがいっそ簡潔に同意した。
そのあっさりした態度にむしろ感謝しつつも、ついでに聖機人を”変形”させる何ていう他に無い特性を持っているんだと知ったらこの少女はどう思うのだろうかと考えてしまう。
今のところ、アマギリがコクーンから聖機人ならぬフローラが名づけるところの半身が蛇の龍機人を構成出来るというのは、一部の人間を除いて秘密とされ、知っている人間には緘口令が敷かれていた。
これまでに無い血統の男性聖機師というだけでも十分すぎる希少性なのに、それ以上に異常な能力を秘めている事を公にしてしまえば、必要以上の関心を集めてしまうと言う不安があったからだ。
王女マリアに関しては特に隠す理由も無いのだが、単純に彼女が聖機人格納庫に訪れる事も無いため知る機会が無かったから黙っていると言うだけの事である。
あまりにも常識から破綻している光景のため、実際に目撃しなければ口にして伝えたところで信じる事が出来ないだろうから、こればかりは仕方ない。
「―――まぁ、良かったではありませんか。あのこまっしゃくれたラシャラ・アースよりも高い継承権を得られて」
「こまっしゃくれたって、また言いますね。二重王国の次期国王に相応しい、聡明そうな方だったじゃないですか」
鼻を鳴らして言うマリアに、アマギリは擁立披露宴で出会ったシュトレイユ王国の王女の姿を思い出した。
おお、御主が噂の新しい従兄殿だな。ウム、伯母上の玩具役、真にご苦労!
開口一番そんな事を言っていた、マリアとそう歳の変わらぬ少女姫。
その後でマリアと、どんぐりの背比べとか五十歩百歩とか頭につけるのが相応しい、どっちもどっちな罵り合いを始めていたのはご愛嬌である。宴会の後も三日ばかり滞在し、丁度一昨日に帰国の途に着いたばかりだった。
去り際に、今度はシュトレイユに来るが良い、ただしマリアは除く。と口にして見送りに参加していたマリアとまた口喧嘩を始めたのも、それはそれで微笑ましいところだった。他人の振りに失敗して、空港の人間に関係者だと思われていたのが最大の心残りだが。
思い出しても口が達者と言うか、間違った方向に頭の回転が速すぎるというか。マリアもラシャラ・アース王女も歳の割りに聡明でなる。二人と血の繋がりのあるフローラ女王も非常に切れの良い思考能力の持ち主だから、そういう血なのかもしれないと、愚にも付かない事をアマギリは考えた。
「何か、失礼な事を考えていませんかお兄様。……私とラシャラさんが似ているとか、そんなような事を」
「いやいや、まさか」
完璧に兄の思考を呼んでいる妹は、やはり間違った方向に頭の回転が速かった。
「……それで」
「はい?」
「それで、アマギリさん自身としては、どうお考えなんですか?」
心持固い口調で、主語のない問いかけをされて、アマギリは言葉に詰まった。あさっての方向を向いてティーカップに口付ける妹に、尋ね返す。
「どう、とは?」
「あなた自身は、継承権の取得に関して、どのようなお考えをお持ちなのかを尋ねているのです」
「―――ああ」
アマギリは納得した。
望まぬ栗を、火中から拾った―――拾わされた。今のアマギリは状況的には、そう評するに相応しいから。
「心配してくれましたか、マリア様?」
「はっ―――、誰が、ですか」
アマギリの言葉をマリアは何て事のないように笑い飛ばして―――その実、図星を突かれて頬が少し赤らんでいた。
それは失敬とアマギリはおどけて見せた後で、それこそなんて事のない風に、私見を述べた。
「面倒な事になったなぁとは、思います」
「―――案外はっきりとおっしゃるんですね」
意外だったという態度を隠さないマリアに、アマギリは微苦笑を浮かべる。
「なまじ状況が読めますからね。重たい荷物を押し付けられたと思いますよ、本当に。―――正直なところ、此処に連れて来られた当初は適当に女王陛下の駒を演じた後で、適当なタイミングで姿を消すつもりでしたから」
「今からでもそれをやっても問題ないのではないですか?」
「無理ですよ―――というか、マリア様も解ってて聞いてるでしょ? あそこまで大々的に、他国の人間を招いて教会の司祭による洗礼まで行ったうえでの継承権授与式なんてやっちゃったら、逃げ道どころか正面通路まで封鎖されたも同然です。どのタイミングで僕が消えても、ハヴォニワが拙い状況に追い込まれるのは必至ですし、それはようするに女王陛下の顔に泥を塗る事になりますから。……そんな恐ろしいこと、とても出来ませんよ」
「それは……ええ、そうでしょうね。逃げたところで、追いつかれて丸呑みと言った結末でしょうし」
どうしようもないと投げやりに言う兄の言葉に、マリアは乾いた口調で頷いてしまった。
彼女の母親、フローラ・ナナダンという女性は、敵にするには恐ろしすぎた。
「そんな訳だから、僕は死ぬまで王子様役から抜け出せそうにありませんね」
苦笑する兄に、ご愁傷様と思いながらも、マリアは同時にこんな風に思った。
あの母が、どんな状況であろうが一度懐に置いたものが逃げ出すのを見過ごすはずがない。
どの道、この城に来てしまった段階で、この朴訥な少年の未来は確定していたんじゃないか、と。
※ この辺から、割と景気良く日付が進むようになるような気がする。
原作開始まで、後、二年くらいかな……