・Scene 36-6・
「それではアマギリ様、リチア様のこと、よろしくお願いしますね」
「いや、お願いされても困ると言うか、出来れば是非とも僕も連れて行って欲しいんだけど」
「往生際が悪いですわよ、お兄様」
「まぁ、そうだな。別に何もやましい事が有るわけでもないのだから、覚悟を決めたらどうだ」
可動式の書棚で遮られた向こう側。普段ならたまに人の往来による時に目に入るくらいしか縁のないその場所に、アマギリは一人取り残されていた。
向かい合って彼と話している三人の少女は、既に本棚が走るレールを踏み越え、生徒会長執務室の方へと移動していた。
アマギリも是非ともそちら側の岸へと渡りたかったのだが、何故か、少女達が立ち塞がるようにして、彼の通行を妨げているのだった。
曰く、一人でそこへ残れ。
いいから黙って、寝ているリチアの見舞いをしろ。
「何で今日に限って、皆そんなに押しが強いのさ。特にラピスさんとウチの妹」
「それはつまり、私は常から押しの強い人間だと思われているという訳だな?」
「貴女が一番制御不能のマイペースに動きますしね」
ある意味他人の言う事を全く聞かないとも言える。
頬を引き攣らせて尋ねるアウラに、アマギリも苛められている側故の素直さで返していた。
「それ、お兄様が言えた義理ではないと思いますよ」
「僕はだから、割と他人に気を使って生きてるつもりだってば」
「積もり積もっても塵は塵。それに気付かれなければ意味が無いでしょう?」
「否定できないなぁ」
リズム良く切り返してくる妹の言葉に、アマギリは肩を落とした。
項垂れ疲れた態度の兄に、マリアは微笑みかける。
「ですから、お兄様。その気遣いがリチア様にも伝わるようにしてくださいな」
「そう、言われても、ねぇ?」
「そこで、私に振られても困るのですが……」
妹の美しい微笑みに圧倒されつつも、どうにか逃げ道が見つからないかとアマギリはラピスの方へと視線を逸らす。立場、性格共に正直に過ぎる言葉を言えるはずも無いラピスは、当然苦笑する程度しか出来なかった。
「いやホラ、ラピスさんなら何時もの僕と先輩のやり取りを良く知っているかなーと」
「何故私の名前を省く……?」
「嫌な予感しかしないから」
長い付き合いであるが故の正しい理解だった。
ラピスはそんなアウラとアマギリのやり取りを、微笑ましいなぁと思いつつも、やはりそこにもう一人、居るべき人が居ない状況なのは寂しい事だと思った。
「リチア様は、アマギリ様がいらっしゃると何時も楽しそうにしていらっしゃいますよ?」
「あれだけ額に青筋浮かべてる状況を指して、楽しそうと表現できるんだからラピスさんもさるものだよね……」
「素直に自分を出せている、と言うことになりますから」
「ものは言いようと言うヤツだな」
「アンタどっちの味方なんだよ!?」
ラピスの言葉に染み入ったと言う表情で頷くアウラに、思わずアマギリは突っ込んでしまった。
この真面目一辺倒に見えるダークエルフの友人が、実はかなりの茶目っ気を持った人物だと理解していたからだ。状況の一端を担っているくせに、他人顔をしているということは、ようするに状況を俯瞰して面白がっているからである。
「大体、仮にあの状況を楽しんでくれているのだとして……」
「あら、つまりお兄様はリチア様といらっしゃる時は楽しくないと仰るんですのね」
「いや、そりゃ……」
「昨晩はあんなに楽しそうに、此処でのやり取りの事をお話してくださいましたのに」
「ああ、だからマリア王女が此処に居る訳か」
朗々と澄み渡る声で兄のプライベートを暴露するマリアに、アウラがわざとらしい態度で頷く。両名共に実に楽しそうである。
アマギリは初めて本気で泣きたい気分になった。
「何で皆して今日は僕にキツイあたりをするかなぁ」
「お前のせいだろう」
「ご自分の胸に聞いてみなさい」
「アマギリ様……そういう、ところが、その」
一人ぐらい慰めてくれないものかと思ったら、皆して酷い言いようだった。厄日だろうか。
どれだけ粘ってみても、どうやら無駄だったらしい事を、アマギリは漸く事実として受け入れた。
ため息を一つ吐く。
気分を入れ替える。どちらかと言えば仕事用に近い感情表現の薄い顔を意図して作りながら、アマギリは尋ねた。取り繕うにしても、我ながら間抜けな事をしているなと思わなくも無い。
「で、結局僕にどうして欲しいのさ」
最近こんな事ばかり言ってるような気がするなと思いつつも、実際そんな疑問ばかりが浮かぶのだから仕方が無い。
全員一斉に溜め息を吐いているのが見えたとしても、仕方がないものは仕方が無いのだ。
代表して返答してくれたのは、愛しき妹だった。
「本当に解らなくて聞いていらっしゃるのですか? それとも、何時ものように解りたくないから聞いているのかしら」
後に言われた言葉に、アマギリはぐっと詰まる。
最近母に似て容赦がなくなってきたなと思いつつも、アマギリは苦い表情で口を開いた。
「僕に先輩の見舞いをさせたいんだろう?」
「そうですね」
「僕一人だけで」
「そうですとも」
「……なんで?」
「なんでだと、思いますか?」
ニコリと笑みを消さぬまま。マリアは兄に問いかけた。
解りません。
―――そう答えたら失望と言うか罵倒される事だけは解っていたので、アマギリとしても明確な答えを用意する他無かった。
なるほどこの男はこうやってコントロールすれば良いのかと、妹の隣で感心しているダークエルフが居たが、気にしない事にした。そういう冗談をしている場合でも無さそうだ。
状況があからさまに、人為的に作られたものだったから、そこに明確な意味がある事は始めから解っている。
そして、状況を用意したのがアウラどころかどうやらラピスでもあるらしい―――恐らく、他にも仕掛け人が何人か居るのだろう―――から、この行為がリチアを傷つけるような事には絶対にならない、と言うことも解る。
むしろリチアの従者であるラピスが率先して動いている節が見えるから、傷つけるどころか喜ばせる類の話なのだろう。
結論を言えば、アマギリが一人でリチアを見舞う事は、リチアを喜ばせる事になる。そう言う事になる。
何故、とアマギリは問いかけたかった。
しかし問いかけても自分で考えろと帰ってくる事は目に見えていたし、そして何より―――考えるまでも無いのだろう。きっとそれは。だからこそ、こんなに躊躇いが生まれるのだから。
「解らないなぁ」
「おにいさま?」
「ああ、いや、そうじゃなくて、さ」
呟くに対して物凄い平坦な声を返されてしまったアマギリは微苦笑と共に首を横に振った。
「その、こういう聞き方をするのって良くないと思うんだけど、その……僕の、何処が良いんだと思う?」
「……良くないと思っていても聞くんだな、お前は」
らしいともいえるがと、その弱気な口調にアウラは困った風に笑った。見ると、ラピスやマリアも同様だった。
「そういわれても、こういうの、苦手だって知ってるでしょう?」
「まぁ、そうだな。先日のアレを見ていれば、誰だって解るだろう」
「だったら、さ」
「ですからこうして、お兄様が一人で空回らないように皆様が知恵を絞って場を用意してくださったんではないですか」
「……なんか、微妙に他人事だね、マリアも」
僕が頑張ったの君のためだよと視線を送ってみても、妹はつんと澄ました態度で応じるのみだった。
「今回は完全に他人事ですし」
「いや、あながちそうでもないのではないか?」
リチアが不機嫌な事の遠因は、一応マリアにもあるのだと思うがと、あまりの堂々とした態度にアウラも思わず突っ込んでしまっていた。
しかしマリアは動揺一つしない強かな態度でアマギリに微笑みかけた。
「先ほどの質問ですが、是非リチア様ご本人に尋ねて差し上げてください。―――貴方の様な人であれば、そう言う事を聞いてくれたほうが、いっそ安心しますから」
「そうですね。ちゃんと見ていてくれているのだとお分かりいただければ、リチア様にとっても良いかも知れません」
マリアの言葉に、ラピスも頷く。
「ラピスさんまでそんな事言うのか」
「私はリチア様の味方ですもの」
「道理だな」
顔をしかめるアマギリにさらりと微笑んで返すラピスの堂々とした態度に、アウラも笑っていた。
「ですのでアマギリ様、どうぞ、リチア様の事をよろしくお願いします。―――出来れば、ほんの少しでも優しく―――いえ、無粋な言葉、お許しください」
「いや、君の立場ならそういう言い方は当然なんだけど、さ」
不安があるなら逃がしてくれれば良いのにと言おうとして、アマギリは口ごもった。妹の視線が怖かったのだ。
マリアは半眼でアマギリをねめつけた後、一度だけ大きなため息を吐いて、それからアウラに声を掛けた。
「そろそろ私たちは行きましょう。このままでは何時までたっても決心が定まりそうにありませんし」
「む―――確かに。危うく逃げ切り目的の時間稼ぎに引っかかる所だったな」
「いや、そんな事考えてませんから」
真実だったが、日頃の行いゆえか全く説得力はなかった。少女達は初めから聞く気もなかったらしく、各々踵を返していく。
「ではな、アマギリ」
「失礼します」
「―――どうぞごゆっくり、お兄様」
踏み出し追いかけようとしたアマギリの前で、可動式の本棚が自動で閉じた。
取り残される。
初めて入った部屋。親しいには違いない少女の、プライベートの空間に。
「親しさにだって、色々あるだろうに……」
少女達が望んだ―――寝ている少女も、だろうか―――親しさは、ひとつしか形が存在しないらしい。
それが理解できてしまうから、アマギリは喉の奥に何かが詰まるような、胸の奥を圧迫されるような、一つところに留まらない大きなうねりを感じていた。
鈍感だが、馬鹿ではないのだ。
幾らなんでも、こんな状況を用意させられれば嫌でも気付く。
単純に、それに反対をしない妹や友人たちの姿が不思議だっただけだ。
落ち着けと、自らに何度も言い聞かせる。
息を吸って、大きく吐いて。顔を上げて、周囲に何があるかを理解しようと勤め、落ち着いている自分を形作る。
可動式の本棚は、これまで見えなかった向かいの今アマギリが居る側も、本棚となっていたらしい。
並べられている本は、執務室にあるものとは違う、趣味性の強い小説などが並べられていた。
年頃の少女達が好むような作家の小説がシリーズ全て並べられていたりするのが、意外でもあったし、同時に納得する部分もあった。
気の強いだけの、普通の少女であると知っていたからだ。
振り返り、寝室に続く扉に視線を移す。その奥に少女が居るのだろう。
扉を開け、寝ている―――もう起きているかもしれない、少女との会話している自分。
何を話しているのかを想像してみても、さっぱり思い浮かばない。
仲が悪い訳ではない。むしろ、良いほうだろう。
互い気を使わずに話し合える関係と言うのは、此処では貴重だったから。
だが、互いの寝室に招き入れる程に良好な関係だったかと問われれば―――解らない。
大体展開が急過ぎるのだ。妹を初めとした家族に対してようやっと素直になろうと思い始めていたばかりだというのに、これは難易度が高すぎる。
友人。友人だとは思える少女ではあったが、だがその内面を理解しきれる筈も無い。
何をして欲しいのだろうか。何をすればいいのだろうか。どの道、此処を抜けたらもう前の位置には戻れないから、その後どうなるのだろうかさえ、解らない。不安だ。
先を不安に思えるほどに、これまでの関係が気に入っていたのだと今更ながらに気付く。
そしてきっとこれは、それが大切だったと気付かなかったツケが回ってきたという事なのだろう。
あって当たり前と、蔑ろにしすぎて、この様。
どう頑張っても、きっともう、同じ形には取り戻せない。
新しい形が、想像できない。
解らない事は怖い事で、理解できなければ理解できるように勤められていた頃の自分が、不意に滑稽に思えた。
怖いもの知らずの世間知らず。だからあんなにひとつの事に集中できたんだ。
今じゃこんなに、何かをしようとするたびに惑ってばかりだ。そしてそれが、今は正しいと思っている。
惑うことは、悪くない。
―――ただしそれも、惑った後に、行動が出来ればの話だ。
「―――結局、僕の何処が良いのかって、答えてもらえなかったな」
自分を励ますように、あえて戯れごとを口にしながら、アマギリは寝室へと続くドアのノブに手を駆けた。
重い。
当然だろう。背中を押されているのはあくまで少女の方であり、アマギリは全て自分で考え、自分で動かねばならないのだから。自分、一人で。
一人分の重さすら重圧に感じるというのに、この後はきっと、もっととてつもなく重いものを背負う必要に駆られるのだから、本当に逃げ出したくて仕方が無かった。
「そうして今度は、先輩を泣かせるってか?」
それこそ、重たい荷物が増えてしまう。
それに耐えられない我が身の可愛さ、それだけが重要だと、誰に聞かせるでもなく自分に言い聞かせて、アマギリはゆっくりとドアを押し開いた。
「……泣くのかなぁ」
泣くのだろうな、きっと。
それだけは何故か、唯一理解できていた。
※ こんな時にまで消去法で答えにたどり着いている辺り、割と根本から駄目な人の気がしてきた。
次回は……ようこそ墓場へ(人生的な意味で)・始動編とかそんな感じ。