・Scene 36-5・
「……何故、マリア王女まで居る?」
開かれた扉の向こうから生徒会長執務室に踏み込んできた人たちを見ての第一声がそれだった。
思っても口に出して言うべき事柄でも無かったのだが、余り隠し事が得意でないアウラにとって、咄嗟の事態に放たれてしまう自身の言葉にはまるで制御など効く筈が無かった。
「あらアウラ様。私も生徒会役員ですもの、こちらにお邪魔するのはいけない事かしら?」
「いや、それはそうなの、だがな……」
困った風に眦を寄せながら、マリアの横に立っている―――なるほど、距離が近い―――男に視線を移した。
男はちょっと困ったように笑いながら、頭一つ以上背の低いマリアの頭に手で撫で付けながら言った。
「いやさ、最近リチア先輩が疲れ気味、みたいな話を昨晩この子にしたんだけどね。そしたら私も手伝いますってさ。まぁ、人手はあって困る事でもないし、渡りに船かと思って」
お望みどおりに連れてきてみたとあっさりと告げる男の態度に、アウラは額を押さえて呻いた。
前から薄々感づいていたが、この男、駄目すぎる。
「お前……リチアへの気遣いの仕方としてそれは間違っているだろう……」
「へ?」
「いや、何でもない……ああ、何でもないとも。ただ、私には謀の類は向かないと言う事実だけが解っただけだ」
「何を企んでたのさ、アウラ王女ともあろう人が」
「気にするな。―――いや、気にして欲しいのだが、まぁ、言っても無駄だろうから気にするな」
「よく解らないけど明らかに罵倒されてますよね、僕」
込められた意味を理解せずとも、言われた内容だけを聞きとがめて、男が頬を引き攣らせる。
男の手が頭に載ったままだったマリアが、室内を見渡して面白く無さそうに鼻を鳴らした。
「―――ところで、リチア様はどちらへ?」
「ああ、何と言うか。その……」
言って御覧なさいなと半眼で見つめてくるマリアに、アウラは視線を明後日の方向に逸らした。
初っ端からの予想外の展開に、対処法が思いつかないらしい。
「そう言えば居ないね。……奥ですか?」
男も部屋の主の姿が無い事に気付き、可動式本棚の方を見ながら言った。
本棚は部屋の間仕切りとしての役目も持っており、奥にはリチアの私室があるのだった。
「いや、その……何と言うか、な?」
「何か、そうあからさまに不審な態度取られると、聞かないで回れ右したい気分になるんですが」
「いや、まて。とりあえず―――まぁ、少し落ち着け」
幸い出口は近いと嘯く男を、アウラは必死で推し留める。
「落ち着くべきはアウラ様なのでは……?」
男でなくても解るくらい、不審者そのものの不審な態度だった。
辺りを見渡す、助けは居ない。
当たり前だった。そもそもアウラに課せられた使命―――と言うレベルのものでは決して無い―――は、誰に頼る必要も無い単純なものだったからだ。
―――こういうときに限って、男が妹を連れてこなければ。
親友の恋―――と呼べるほどのものなのか、実際本人に確認した事は無いが、ようするにそれの成就のほんの手助けのつもりで仕組んだ謀。
いい加減、親友と男両名共にアウラにとっては長い付き合いとも言えたから、その状況がどう発展するのかと言う事実も個人的に興味があった。
アウラ自身は、未だ自身の恋愛と言うものには心引かれる事が無かったから、近しい人間の恋する様を見て、まぁ、少しの楽しみに出来れば良いなと思っていた。無論、親友を応援する気持ちに些かの偽りも無い。
それ故に、ラシャラたちとのちょっとしたお茶会で発展した謀に、アウラも加担する事を由としたのだ。
―――ようするに、雰囲気に押されて些か悪乗りしてしまったと言う訳である。
アウラに課せられたミッションは単純だ。
男に、アウラが疲れて寝ていると告げて、本棚で仕切られた隣室へ男を通す。
後はそちらに控えているラピスと共に、何か理由をつけて席を外せば、それでそう、若い二人でごゆっくり、といった所である。
その後の展開に関しては、実際二人の問題であるので深く介入する事も出来ないだろうが、上手くいったら祝福してやればよし、何か問題があったなら―――責められるのは、男の仕事だ。
ついでに言えば、某女王が希望した盗聴器その他も仕掛けられていないし、此処は二階だから窓から覗かれる危険性も無い。
簡単な仕事の筈だった。
リチアはラピスが用意した睡眠導入剤で眠りにつき、今はベッドで寝入っている。薬の効果時間から考えて、丁度そろそろ目が覚める頃だろう。
そして男も日常に洩れる事無くこの執務室へと訪れた。
人の行動を誘導するなど苦手な部類に入るアウラであっても、実に簡単にこなせる筈の単純な仕事だった。
「お疲れで、不在で、お休み……ですか」
「―――ああ。ってことは、ひょっとして手伝いってのも一足遅かったかな」
「それだけでしょうか?」
「と言うと? 何か罠でも仕掛けてるとか? まぁ、性格悪そうに見えるからそう思うのも無理ないけど、あれであの人そういうの苦手な人だし、心配する必要ないと思うけど」
「……ホント、何処まで言ってもお兄様はお兄様ですわね」
「……何がさ」
「何でも在りませんわよ」
何が楽しいのやら、薄く笑いながらそんな事を呟く少女がこの場に居ない限りは、ね―――?
アウラにとっては、このマリア・ナナダンと言うハヴォニワの王女は余り近い存在とは言えなかった。
数年来の友人である男の妹―――と言っても、男の背景事情を察しているアウラだったから、マリアが男の妹であると言う意識はそれほど持っていなかった。
それ故、アウラにとってのマリアは、あくまで隣国の姫、社交場で数度言葉を交わす程度の少ない関係性しか以って居なかった。
その認識が間違っていると気付いたのは、マリアが聖地学院に通いだしてからの此処数ヶ月以内での事だ。
対人関係を斜に構えすぎているきらいのある男にとって、この少女は大切に過ぎた、らしい。
それこそ目を疑うほどに。現実として、ただ”妹との関係を何とかしたい”と言う理由だけで各国諜報機関を大混乱に陥れるほどに。
去年までは男の従者だったユキネ・メアとの姉弟のような関係を思い出せば、納得できない事でもなかったのだが、やはりそばで実際に見るまでは理解しきれて居なかったようだ。
そしてアウラにとっては困った事に、マリアにとっても男はかけがえの無い類の人間らしい。
―――今もこうして、視線を逸らしているアウラの様子を伺って唇の端を吊り上げている所からも、解る。
十中八九、マリアが状況を理解している事が。
マリアが、リチアの気持ちを理解し―――そしてそれを。
「お兄様?」
「何?」
内心で何を思ったのかアウラには知る由も無かったが、マリアは一つ頷いた後で兄に視線を合わせた。
「リチア様はどうやらお休みのようですし―――」
「ああ、お邪魔する訳にも行かないし、引き上げる?」
当意即妙と言う具合に反応した兄に対して、しかしマリアは首を横に振った。
「いいえお兄様。お兄様はどうか、リチア様を見舞ってあげて下さいませ。―――私は、ご迷惑が掛からないように今日はこれでお暇しますから」
「はい?」
「なに?」
目を瞬かせる男と同様に、どうしようかと懊悩していたアウラもまた、目を丸くしてしまった。
「どうかなさいまして? アウラ様」
「ああ、いや……」
状況―――”用意された”状況が理解できるのならば、てっきり妨害されるとアウラは思っていたのだが、どうも違うらしい。むしろ応援するような行動を取られてしまった。
「……宜しいのか?」
意外な事態に戸惑うアウラに、マリアは苦笑いと共に言った。
「お気持ちはお察ししますけどね、アウラ様。私は別に―――そうですね、”共に在りたい”とは思いますけど、束縛したいと言うつもりは無いのですよ」
「……そう、なのか?」
惑うような顔で問うアウラに、マリアは確りと頷いた。
「はい。それを出来るほど―――それを受け止められるほど、お互い大人と言う訳ではありませんから」
それはいっそ、この場で最年長の筈のアウラよりもよほど大人びた笑みにみえた。
微笑のまま、ちらと視線を横の―――二人の会話の内容を把握しかねている男に向けて、続ける。
「特にこの方は、アウラ様もご存知の通り本当に他者の気持ちに鈍感な方ですから。―――少し、学ばせて差し上げてくださいな」
「……ひょっとしなくても僕の話題か、コレ」
「何を当たり前のことを仰ってるんですか。そんなだから、普段から鈍感だと言われるんですよ」
憮然とした顔の男に向かって、マリアは歳相応の背伸びをしたような笑みで返した。
先ほどまでの大人びた態度からの豹変に、アウラは思わず微笑んでしまった。
恋は少女を大人に変える―――そんな内容の本を昔、そういえば読んだか。
ではやはり、目の前で兄をやり込めているこの少女と同様に、隣の部屋で眠っている筈の親友も、一人の大人の女性へと姿を変える事になるのだろうか。
「―――それは、無いか」
アウラは自身の思いつきに苦笑して首を横に振った。
何しろ、その相手は目の前で罰の悪そうな顔をしている、この男―――、男女の仲などと言うものに、まるで頓着しないような幼子なのだから。
そも、もう少し男が気の回る男であるのなら、わざわざこのような状況を仕込む必要すらなかったのだから、リチアが大人になるには、きっと前途多難だろう。
「ではスマンな、マリア王女。そこの唐変木を少しお借りさせてもらうぞ。―――お返しできるかどうかは、正直私には保障できないが」
アウラの言い回しに、マリアも不敵に微笑んだ。
「ええ、どうぞ。一向に戻ってこないのであれば、私から迎えにいきますから、ご心配には及びません」
「そこまで言い切れる強さと言うのは、いっそ尊敬するな。どうだろう。私は恐らくこの後時間が空く予定だから、少し場所を変えてお茶でも如何かな?」
「宜しいですわよ。アウラ様以外のどなたがこの一件にお関わりあそばせたのか私も非常に興味がありましたもの」
二人の少女は、楽しそうに挑みあうように頷きあった。
その脇で、一人状況に置いていかれていた男がポツリと呟いた。
「……何か、最近皆、僕の扱いが酷くなって無いか?」
お前が悪いと、少女達の声が見事なまでに重なった。
※ あうら の きらーぱす !
まりあ は うけながし を つかった !
まりあ は ひらりとみをかわした !
あまぎり は よけきれない !
あまぎり は はしごをはずされた !