・Scene 36-4・
「なるほど、のぅ。人間関係と言うのは、ままならぬものじゃな」
広大な庭園となった聖地学院の中庭を見下ろせるバルコニーに並べられたティーテーブルの一角。
ラシャラ・アースが腕を組んでさも難問にぶつかったと言うような顔で頷いた。
「ま、あの人に人間関係の機微を理解しろってのが無茶ですしねー」
その横で、同じくテーブルを囲んでいたワウアンリーが、たいした興味も無さそうにお茶請けのクッキーを咥えていた。
主を指してあの人呼ばわりと言うあまりの態度に、同期の聖機師でもあるキャイアが呆れたように言った。
「アナタ、良くあの王子に向かってそんな物言い出来るわね」
私には無理だと言うその言葉こそ、結構酷い発言だと言う事実には迂闊にも気付いていない。
ワウアンリーも気付いたていたが指摘する事は無かった。人間関係というものはままならないものだと思っている。
「親愛の情の表れってヤツだよね。ワウと話しているときのアマギリ様、楽しそうだし」
「素直にそういう表現されると、それはそれで照れるんだけどねー」
給仕とお茶会の参加者の間を行ったり来たりしているような立ち居地の剣士の言葉に、ワウアンリーが頭を掻きながら苦笑した。
「まぁ、ヤツと会話する時は遠慮をしないというのが基本ともいえるからな」
「暫く会わぬ間に、随分と口が悪くなったの、シュリフォンの王女よ」
然りと頷くアウラの言葉に、ラシャラが面白そうに反応する。
ラシャラとアウラは、お互い隣国の王女―――今はラシャラの身分は女王だが―――同士として交流があった。
その当時の語らいの時は、常に落ち着いた物腰で言葉も至極丁寧なものばかりだったから、友人を茶化すような物言いをする姿は意外とも言えた。
「口の悪い二人と二年も付き合いが続けばな。―――こうもなるさ」
それが悪い事とも思わないという口調で、アウラは肩を竦めて見せた。
「ふむ。ではその、二年間間近で見続けていたおぬしの意見としては、どうなのじゃ?」
「どう、と言われてもな。―――ラピスとたいして違わない感想にしかならないと思うが」
チラと、恐縮した畏まった態度で隣に腰掛けていたラピスに視線を送りつつ、アウラは続けた。
「こと、こういう問題は須らく男が悪いと相場が決まっている」
「……あの、アウラ様? 私、そんな事は一言も……」
名前を引き合いに出された後に続けられたバッサリとした物言いに、ラピスが頬を引き攣らせた。
「でも殿下が悪いのは事実だしねー」
「まぁ、そうよね……」
あっさりと言い切るワウアンリーに、キャイアも躊躇いがちに賛同を示した。
―――と、言うよりも。
このテーブルに集った五人の女子は皆一様に、初めから”とりあえずアマギリが悪い”と言う意見を前提として会話を進めていた。
同性として只一人同じテーブルにつく事になった剣士は、非常に肩身が狭かった。
そういえば、家で兄が居ない時にその煮え切らない態度に文句を並べ立てている姉達の間に巻き込まれた時と、そっくりな状況だった。
逃げ出したいけど、逃げ出したら後が酷いんだろうなと、とりあえず、こういう状況を作る遠因となった兄―――じゃなかった、アマギリ・ナナダンに胸のうちだけで恨み言を呟くしか出来ない。
事の起こりは単純な話である。
いきなり目の前でじゃれあい始めたリチアとアマギリの”お邪魔”にならないようにその場に居合わせたラピスと共に逃げ出してきたら、お茶会を開いていたラシャラ達に見つかってしまったのである。
剣士とラピスの二人だけ、と言う珍しい組み合わせに興味を惹かれたらしいラシャラの言うままに、そのお茶会に巻き込まれるが早い、二人はそのまま、こうなるに至った経緯を説明する事になっていた。
その中で上がった話題の一つがこれだ。
―――曰く、リチア・ポ・チーナが最近機嫌が悪いらしい。
理由は、語るまでも無いだろう。
先日の舞踏会。否、それ以前の諸々の経緯を把握していれば、正解は自ずと見えてくる。
そして、多感な年頃の乙女達にとって見れば、近い人たちのそういう話題は語り合うに楽しい素材には違いなく―――悲しいかな、彼女達に悪気は無いのだ―――こうしてテーブルを囲んで好き放題言いたい放題と言う現場が完成してしまうのだった。
「で、結局リチアはアマギリの事を好いておると言う事で良いのじゃな?」
「うわー、直球ですね」
流石に誤魔化しが効かな過ぎるラシャラの言葉に、ワウアンリーが棒読みで驚きを示した。止める気は更々無いらしい。
「なに、従兄殿に関する話題なのじゃから、それに習って率直にやるのが礼儀と言うものじゃろう」
「……アマギリ王子、結構歪曲で遠まわしな嫌がらせとか好きなタイプじゃないですか?」
主君の言葉に、キャイアが微妙な顔で言った。その言葉が、誰に対するどんな行為の事を指して言っているのかは、この場に居られるならば悟るのは容易かった。
「殿下、男には基本的に当たりキツイですしね。この間も派閥に移りたいとか言ってたロンゲの美形の人を、冷笑しながら甚振ってましたし」
「それで味方が増えない事を嘆いていると言うのも、どうなんだろうな……」
「所詮は日和見の蝙蝠。この程度も耐えられないヤツは端から当てにしないって涙目で強がってましたよ」
涙目と言うのはあくまでワウアンリーの主観であるが、誰も否定の言葉を口にしない辺りが、言われた当人の扱いを象徴しているとも言えた。
流石に哀れと思ったのか、やれやれと首を振って、アウラが苦笑しながら話題をずらした。
「アイツが攻撃的に応対するのは男だけと言うよりは、身内以外と言った方が早いんじゃないか?」
「身内と言うか、家族と言うか……」
「家族と言うか、姉妹と言うべきでは?」
「―――早い話が、最近はマリアが鬼門じゃな」
口々に続ける皆が直接的な表現を避ける中、遂にラシャラが言い切った。ユキネに関しては今更だがと、言外に付け加えるのも忘れない。
その言葉に、女子たちは色々と思うところがあるのか揃って口を噤む中、剣士だけが一人朗らかに反応した。
「あ、アマギリ様とマリア様、やっぱりちゃんと仲直り出来たんですね」
「仲直り―――と、言うか……悪化した?」
首を捻るワウアンリーに、アウラがやはり微妙な顔で言葉を捻り出す。
「いや、”悪”くはなってないんじゃないか?」
「しかし、壊れていた仲が修復したとも違うじゃろ、アレは」
「目に毒、ですよね……」
言葉に困るラシャラに、ラピスがそっと付け加えた。
その言葉に、やはり女子たちは揃ってため息を吐いた。
剣士だけが首をかしげている。雨降って地固まるとも言うし、仲良くなったのならば良いのではないかと思っていた。
やがて、意を決したようにラシャラが口を開いた。
「ワウよ、共に同じ屋敷に暮らすものとして、アヤツらどんな感じじゃ?」
「へ? あ~~~……そうです、ねぇ。いえ、別に暑苦しいとかそういう感じは無いんですけど……」
「けど?」
「これまでだったら、ホラ。視線が絡んだら微笑み合う、とかで済んでたところが、近づいて髪を撫でるとか胸に頭を預けちゃうとかに進化しましたと言いますか」
春ですねぇと、投げやりな気分で言うワウアンリーに、ラシャラは手に負えんと首を横に振った。
「うむ、悪化しとるで良いみたいじゃの」
「まぁ、別に良いのではないか? アレはアレで、微笑ましいで済む類のレベルだろう……まだ」
アウラが苦笑しつつ言い添える。しかし、目に毒だと思う気持ち自体は否定する事が出来ないらしい。
「最近、外で見かけても立ち居地が明らかに近くなってるからな……」
「頭一つ分は近くなってますね、確かに。後ろから見てると良く解りますよー」
通う場所が同じな事から、基本的に登校は同じ時間に行うアマギリとマリアだったから、その背後に付き従うワウアンリーには二人の距離の変遷が実に良く解る。
仲がこじれていた期間は、それこそ間に人が二人は入りそうな距離を開けて歩いていたのに、今はもう、肩関節を水平に三十度傾ければ手をつなげそうな距離である。
正直、今はワウアンリーが距離を開けて登校したい気分である。
「しかも、最近はアマギリ様、リチア様と一緒におられる時間が減っていますから……」
アマギリとマリアの関係には流石に何も口を挟めなかったラピスが、困ったように笑いながらそう言った。
「ああ、そういえば最近は部屋を出る時間が早くなったな」
アウラもそれに頷く。彼女もまた、放課後はアマギリとリチアと共に過すことが多かったので、その事に気付いていた。
「どれだけ妹が好きなんじゃアヤツは……」
「将来は子煩悩になりそうですよね、すっごい似合いませんけど」
早く帰宅すると言う理由を取り違える事無く眉根を寄せたラシャラに続いて、ワウアンリーも処置無しとばかりに首を振った。
「一番問題なのは、自分の行動に問題が無いと考えている事だろうな。―――そして実際の所、普通に考えて問題が何も無いのが困りものだ」
「確かにな。家族が傍におるのだから、そちらを優先する事になんら問題も無かろう。むしろ、問題があると言う方が言いがかりをつけているようなものじゃしの。―――その行為自体に含む気持ちを持たぬ限りは」
アウラの言葉に、ラシャラも然りと頷いた。
そしてその後で、半眼で笑った。
「―――アヤツはいつか、女に刺されて人生を終えるタイプじゃな」
「兄妹で仲良くしていらっしゃるだけですので、そこまで言う必要は……」
「だがなラピス。現に、リチアの機嫌はこのところ下落の一途を辿っているぞ」
自分が持ち込んだ問題ゆえに、一応迷惑が掛からないようにとアマギリを庇ってみるラピスだったが、アウラが冷静な言葉で否定した。
言外に、”リチアが何時かアマギリを刺す”と言われているような気がしないでもなかったが、何となく想像が出来てしまったので否定できなかった。
「まぁ、仮にも友人たちの事であるからの。少し建設的な意見を出し合ってみるのが良いかもしれん」
明らかに興味本位が半分以上といった風に、ラシャラが宣言する。
「だがリチアとアマギリが―――結局、どうなれば良いんだ? その、交際を始めるということだとしても、そうすると今度はマリア王女が……」
「いえ、アウラ様。別に殿下とマリア様って、愛は愛でも別に恋で愛な方向とは違いますから」
「なんじゃ、違うのか?」
苦笑いしながら言うワウアンリーに、ラシャラが目を丸くする。雨がやんだら筍と言うか既に竹林となっていたと言うような状況だったし、一線を余裕で踏み越えたものだと思っていたらしい。
「何ていうか……家族愛?いや、家族愛ですけどすでにそういう部分ブッチぎってるって言うか、早い話、兄妹って言うか微妙に夫婦入ってる気もしますが……」
「夫婦と言えば、従兄殿の場合、マリアを退けてもフローラ叔母の存在があったのじゃな」
「フロー……ラ、女王陛下のことか?」
「ナカヨシ家族なんですよ……ええ、ナカヨシなんです。本当に。詳しくは国家機密が絡むんで聞かないで欲しいんですけど」
アウラの疑問の言葉に、ワウアンリーが遠い目で何処かを見ながら言った。
アマギリの従者となってから二年。色々見なくて良いものも見てきてしまったらしい。
「まぁ、あの色ボケ叔母の事は考えるのは止そう。今はいかにしてマリアを排除するかに考えを集中させるべきじゃな」
「ラシャラ様、目的がズレてます……」
一応突っ込みを入れたキャイアだったが、どうせ本当に、リチアがどうのと言うよりも、最近上機嫌この上ないマリアの鼻を明かしてやりたいんだろうなぁという事実には気付いていた。
不幸になってほしい訳ではないのだろうが、何時も張り合っている手前、マリアだけが一人絶好調なのは面白くないらしい。
「と言うか、だからマリア様に何かしようとすると、怖いお兄ちゃんが本当に洒落にならないことするから止めた方が良いと思いますよ」
「ンム……。確かに、今の従兄殿ならやるじゃろうな。ええい、ならば話は早い、ようするに従兄殿にリチアの気持ちが伝わればよかろう?」
ワウアンリーの言葉が現実として容易に存在できてしまったので、ラシャラは頬を引き攣らせつつ話題をずらした。
「無理じゃないですか? ウチの殿下、恋愛方面の感性ゼロ以下ですから」
「確かに。普段口先三寸で他人の動きをコントロールしている男とは思えないくらい、その辺りの適応力には欠けて居るように思えるな」
「極端なんですよねー、能力の偏りとか、知識とかも。だからあんなシスコン状態に進化したとも言えるんですけど」
「では、いっそイベントでも企画してやるか? 奴等が二人きりになれるような」
ワウアンリーとアウラの明け透けな言い合いに首を捻って、ラシャラがそんな風に言った。
「それだと……アマギリ様ってマリア様と組みそうですよね」
「と言うか、お二人とも裏方に回ってイベントに参加しないんじゃないでしょうか」
しかし、ラシャラの意見は剣士とラピスが否定した。
「う~む。全員参加を無理やり義務付けるイベントを考案した従兄殿の無駄なセンスに感心するの、こうなると」
「ああいう無駄な方面には本気出しますからね、殿下。もっと簡単な解決法があったでしょうに……」
「簡単に解決できるのだったら、そも、今頃リチアと結ばれているだろう」
お互い気を張らずに会話が出来る同士だったアマギリとリチアは、アウラの目から見ても非常に相性が良く見えていた。実際、今年に入ってからのアマギリの変化を見るまで、そのうち二人は結ばれるものだとアウラは本気で思っていたのである。ハヴォニワ国内でのアレコレとしたものを知らないが故の意見とも言えるかもしれない。
「しかし、鈍感でシスコンが期待できないとなると、結局リチアに自力で頑張ってもらうしかないと言う見も蓋も無い結論になってしまうと思うのじゃが」
「他人の色事は結局当人同士の問題で、周りが口を挟める領分じゃないってヤツですよね」
「面白くないのう」
「……やっぱり興味本位だったんですね、ラシャラ様は」
「友人の恋話じゃぞ。興味本位以外の何を持って語れと言うのじゃ」
それこそ身も蓋も無いラシャラの言葉に、キャイアは嘆息混じりに言った。
そこは素直に応援してやれよと思いつつも、会話に参加している時点で自分も興味本位だったりするので何もいえなかった。
「ま、ウチの殿下もやる時はやるってマリア様の一件で解りましたし、男の甲斐性見せてくれる事に期待するしか無いんじゃないですかねー。―――案外、リチア様が弱いところとか見せてみたりすればコロッと言っちゃうかもしれないですし。ウチの殿下、過保護ですから」
「あのリチアが、あのアマギリに弱みを見せるという辺りが既に、難易度が高そうだがの」
「アマギリ相手だと、特に弱い部分を隠そうとするだろうからな、リチアも」
「それを察して上げられるのが、男の甲斐性ってヤツなんでしょうけど……殿下ですしねぇ」
「従兄殿だしの」
「まぁ、アマギリだからな」
「うわぁ―――、ウチの兄ちゃん並みの信頼感」
口々に、本人が聞いたら流石に凹まずには居られないであろう事実を告げる少女達に、剣士は只一人の男子としてアマギリに同情しないわけにはいかなかった。
そして、頬を引き攣らせて腰を引かせたところで、ラピスが口元に手を当てて考え込んでいる事に気付く。
「どうしたのラピス?」
「―――? あ、剣士さん。いえ、その、少しアイデアと言いますか」
「何か、思いついたのかラピス」
アウラもそれに気付いて問いかけると、ラピスは困ったように笑った。
「私の立場では、喜び勇んで言って良いことではないのですが、少し、その。―――アマギリ様に、リチア様の事を”見て”もらう機会と言うものが用意できそうな気がしまして」
「ほぉ、それは、どのような?」
興味津々という風に一斉に集中する視線の中で、ラピスは少し躊躇いがちに口を開いた。
「その、ですね。最近アマギリ様のお帰りが早いせいで、リチア様の担当する仕事量が増えてらっしゃるんです」
「―――ああ、そう言えばそうなるのか」
話し出したラピスに、アウラが確かにと頷いた。
基本的に何もせずに場に居るだけと言う状態が常のアウラと違って、リチアは常に生徒会の作業を行っている。
そして、一人勝手に古い資料を持ち出して、それを捲っているアマギリにあれやこれやと理由をつけて仕事を押し付けるようになった―――と言うのが、ここ一年以内で出来上がったパターンだった。
更に前までは誰かに自分の仕事を任せるような事は絶対しないリチアだったから、結構な変化と言えた。
知らないもの達に説明するアウラに、ラピスも同意を示した後で続ける。
「はい、ですので最近帰宅の早いアマギリ様に渡せる仕事が減っているので、リチア様の負担が増えています。―――正確には、戻ってきたというべきなのでしょうが、とりあえずそれは置いておきますね。それに加えて、最近はその、先ほどのお話にもあったとおり……」
「―――あ、解っちゃったかも。労働の疲れと共に、精神的な疲れも増えてるってことでしょう?」
ラピスの言葉を受け取って、ワウアンリーが楽しそうに笑いながら言った。ラピスも苦笑交じりに頷く。
「はい。アマギリ様にお仕事を回す時は何時もリチア様は、その、口調が、その……ですから、アマギリ様も本当にあまった仕事を慰謝料代わりみたいな気分でお引き受けになってるだけみたいで」
「まぁ、今更本気で手伝ってもらっているとは、リチアなら絶対言わないだろうからな」
所々躊躇いがちに続けるラピスに、アウラも苦笑交じりに頷いた。
―――いつの間にか、アマギリが手伝って丁度くらいの仕事量を基準にしていたなどと、口が裂けても言うとは思えない。
「最近は、ですので仕事の終わりが何時も遅い時間になってしまっていますから、少し、お休みを取っていただけたらと思っていたのですが……」
なるほど、とラピスの言葉で皆一斉に頷いた。
「些か、作りすぎな状況の気もするが……」
「平気で舞踏会とか演出する人には、丁度良いんじゃないですか?」
「どのみち、リチアに休息が必要な事も事実ならば、確かに」
「うむ、では隠しカメラの設置を……」
「止めてくださいラシャラ様」
こうして大同団結した乙女達により、アマギリは強制的に男の甲斐性を示して見せねばならない状況に叩き落される事が決定した。
―――盛り上がる少女たちについていけなかった剣士が、胸の前で誰かのために十字を切っていた。
※ 乙女会議、その二。
本人達が動かないなら、周りから動かしちゃえば良いじゃない、みたいな感じで。