・Scene 36-3・
「じゃあ、後は若い者に任せて、と……」
「何訳の解らない事言ってんのよ」
廊下の角からラピスと剣士の姿が見えなくなって数分と立たずに、良い笑顔で言い争っていた筈のアマギリとリチアの態度は、さばさばとした物に変わっていた。
やれやれと疲れたように首を捻りながら、各々半開きになった扉を潜る。
「いやぁ、ホラ。何か身内の見合いを仕込んだ心境だなぁって」
「解らなくは無いけど、ちょっと年寄り臭いわよ、その意見」
「人を年寄り呼ばわりする人こそ、年寄りの始まりって聞きますよ」
「アンタ、やっぱ本気で喧嘩売ってるでしょう?」
慣れた動きでソファ席に腰掛けるアマギリを、リチアは半眼で睨む。アマギリは肩を竦めて避けた。
「まぁ、ホラ。ラピスさんには何時もお世話になってますし、少しは恩返しって事で」
「アンタがそういう気遣いが出来る人間だなんて知らなかったわよ。あんなわざとらしく喧嘩売ってきて、本気かと思ったじゃない」
「気遣いって言うか、まぁ空気は読めるつもりですけど」
呆れ顔でお茶の準備をするリチアに、アマギリは苦笑しながら言った。
なんてことは無い。
ようするに先ほどまでの廊下でのやり取りは、半分以上がブラフである。
会話の初期段階からアイコンタクトでやり取りを初め、どうせだからと、ラピスへと気を回してやる事に決めていたのだった。
常の事であるが、この生徒会長執務室でアマギリとリチアが派手にやりあいを始めると、ラピスはいつの間にか―――本人曰く気を利かせて―――席を外す事が多かったから、そこを上手く利用してみたと言うだけである。
ラピスが剣士に熱の篭った視線を送っている事ぐらい、近くに居れば簡単に解るからだ。
「どうかしら? アンタの場合、ただ子供に甘いだけじゃないの?」
カップから立ち上る湯気を揺らす程度の息を吐きながら、リチアはつまらなそうに言った。
「子供って、ラピスさん―――そういえば、幾つでしたっけ?」
「十五よ」
アマギリにカップを手渡して、リチアはその隣に腰を降ろした。
「それ、微妙に子供って言ったら失礼な年齢じゃありません?」
「失礼でしょうね。―――つまり、アンタは失礼な人ってこと」
「言ってませんよ僕」
子供のように不貞腐れた声で返すアマギリを、リチアは鼻で笑った。
「でも、思ってるじゃない」
アマギリは憮然としたまま黙ってカップの中身を啜った。そして咽そうになって、しかし顔に出さずに喉に流し込んだ。
苦いと言うか渋かったが、言わないのが礼儀だろうなと思った。
―――たとえ、同様にして口元に運んだカップを睨みつけているリチアが横に居たとしても、だ。
冷静に考えればお茶を用意するのはラピスの役目であり、普段そんな事をしないリチアがいきなり美味しいお茶を入れられる筈も無いのだから。
何となく、視線を合わせていないというのに、リチアが恨めしそうな顔で見ている事にアマギリは気付いていたが、あえて気付いていない振りをした。
「そんなつもりも無いと思うんですけど、ねぇ」
何事も無かったかのように、先ほどの会話を再会する。
何しろ事実として、最近自分でも自分らしさと言うものが理解しかねる部分が増えてきていたから、リチアの言葉を否定する気分にもなれない。微苦笑のまま続ける。
「まぁ、先輩がそう言うならそうなんでしょうね」
「何よそれ、投げやりな態度で」
「信頼してるって事にして置いてください。―――で、結局剣士殿には何のようだったんですか?」
リチアの口調に不機嫌の色が見えてきたので、アマギリは話題を逸らす事にした。だが、横目で伺えたリチアの目線は、さらに細められているように見えた。
「別にたいした事情じゃないわよ。生徒会の雑務役に任命しただけ」
「雑務―――って、ああ。”弾除け”ってヤツですね」
アマギリは簡単な言葉だけで概ねの事情を察していた。学院に通って今年で三年目。奇妙な風習にも、いい加減慣れていたのだ。
「良いんですか? 勝手に決めちゃって。確か、役員会議で賛同取らないといけなかったんじゃ」
「アンタが自分の起こした不始末の後片付けをしている間に、役員全員から許可取ったわよ」
「不始末って……フツーに片づけしてただけなんですけどね」
待っててくれても良かったのにと呟くアマギリを、リチアは冷笑で迎えた。
「自分で企画した行事の最中に、勝手に帰宅なんかするんだから、不始末も良いトコでしょ? それとも何? アンタ、あの野生動物が弾除けだと不満?」
舞踏会の日、確かにアマギリは途中退場してマリアを追いかけていたから、予定されていたスケジュールがズレ気味になって―――ついでに中庭で起こったいざこざの後始末などもしなければいけなかったので、後日待っていたのは提出期限の短い始末書の山だった。
因みに、ダグマイア・メストはあくまで連名で企画を提出しただけで実行委員と言うわけではなかったから、始末書の一枚も書く事は無かった。
そんな事実があったし、何よりあの日に起こった諸々の事は話題にされすぎると精神的ダメージが大きい事もあって、アマギリは無難に頬を引き攣らせつつ、話を逸らすしか出来なかった。
「いえ、特に。―――実際、剣士殿なら適役でしょうしね。体力ありますし」
「ついでに、ラシャラ・アースの従者だもの。生徒達も、一線を踏み越える度胸があるとは思えないわ」
「最近の元気な女性徒の皆さんを見てると、それも怪しいですけどねー」
今後起こるであろう剣士の苦労を偲んで、アマギリは内心で黙祷を捧げる事にした。
弾除け。
読んで字の如くである。本命の存在を守るために、その身を犠牲に差し出すことの隠喩でもあった。
生徒会役員と言うの全聖地学院生徒の憧れの的であり、しかし彼らは憧れられる偶像に過ぎず、現実にこれといった仕事をする事は無かった。例外なのは趣味で雑務までこなしてしまう生徒会長くらいだろう。
では、役員達が仕事をしないのならば楽員の規模に比例して確かに存在している生徒会の雑務を誰が担当するか―――それがつまり、生徒会の雑務役とリチアが説明したものである。
生徒会役員はその手足となって作業を代行させる雑務役を学院生徒の中から複数名指名する事が出来るのだ。
選ばれた生徒にとっては名誉な事と言える。
憧れの生徒会役員達と共にする時間が増えるのだから、幸運ですらあった。
―――逆に言えば。
選ばれなかった生徒達にとって、選ばれた一部の生徒達の存在は妬ましい物だろう。
そして悲しいかな、この学院は聖機師と言う究極の肉体労働者を養成する学び舎であったりする訳で、思ったことを即肉体に反映してしまう多感な少女ばかりが在学していたりする訳だ。
後は簡単な話。
一部選ばれた幸運な者達が、選ばれなかった者達の恨みを買って、哀れ哀れな最後を―――遂げないための制度が、用意される運びとなった。
本物の雑務役を原則非公開として、毎年あの手この手で替え玉を用意してそれを弾除けに使うのである。
わざわざ高い賃金を支払ってその道のプロを偽装入学させる事までするのだから、やはりこの学院は何処か極端すぎるなとアマギリとしては思わずに居られない事だった。
「今年は新役員多いですしねぇ。―――僕の時は、全然騒ぎも起きませんでしたけど」
他ならぬ自分の妹や従妹が新役員として次回の生徒会から参加予定であるから、騒ぎが起こったら他人事では居られないのだろうなと苦笑しながら言うアマギリに、リチアは面倒そうに応じた。
「”急募・雑務役募集”なんて回覧回したせいでしょうが」
「いやホラ、指名されるのが名誉で妬ましいって言うんなら、逆に立候補にしちゃえば丸く収まるかなって思ったんですよ」
因みに結果としては、募集に対して応募はゼロだった。
「常識的に考えて、あんな風に募集したら、皆二の足踏むでしょうが」
「二の足踏んだんだから、その後でこっちから指名しても誰も文句を言えないかなって魂胆だったんですけどね」
「―――私も、雑務役に指名されて、辞退を申し出る現場って初めて見たわよ」
「良いんですけどね、姉さんが手伝ってくれましたから……」
結果は推して知るべしと言うヤツだった。当時のアマギリの立ち居地を考えれば、荒天高波の中で岩礁地帯を突き進むような船に自ら乗り込みたい生徒は居ないだろう。
当時は笑って済ませられた問題だったが、今思い出すと微妙に凹む話題である。
「―――まぁホラ、アンタの妹は人気あるみたいだし、ねぇ?」
何が、ねぇ? なのやら自分でも理解に苦しみつつも、リチアは沈みかけた空気を打ち払うように言った。
人を慰めるなど、リチアとしても殆ど無い経験だったが、アマギリは笑顔に戻ったようだ。
「大丈夫ですよ。マリアの仕事はついでに僕が片付けますから」
―――カップの残り、ぶっかけてやろうか、この野郎。無駄に笑顔の男を前に、リチアはそんな風に思った。
「どうかしましたか?」
「どうもしないわよ、シスコン」
やってられないという気分で、首を傾げるアマギリの言葉を切り捨てた。
先に話題を出したのは自分に違いないが、それにしてもデリカシーの無い男だと、リチアは理不尽な気分になった。
「シス……って、何か最近会う人会う人皆そんな風に言いますけど、そんなにおかしいですか?」
おかしいかといわれて、そうだと即答するのも容易いが、即答したとしても嫌な顔をしないんだという事実に気付いたリチアは、何も言う気になれなかった。
「アンタ最近笑う事増えたわよね……」
それに比例して、自分は額に青筋を浮かべる事が増えているような気がするなと思いつつ、リチアは疲れた声で漏らした。
「そうですか?」
しかしアマギリはそんなリチアの内心を知るはずも無く、惚けたような顔で応じる。
「そうよ。―――ま、昔から笑ってたといえば”哂って”たのは変わってないけど」
あの他者を見下した超然とした笑みとは違う、歳相応―――と言うよりも更に幾分幼い笑みを見せる事が増えている。だからどうと言うことも無い。生きていれば性格と言うものは変わっていくものだろう。そんな風に思おうと思えば思えるはずなのに、リチアにとっては余り面白い事実でもなかった。
「ははは、まぁ……色々、ありましたしね。気が抜けてるのかもしれません」
例えばホラ、今だって。
―――前だったらきっと困った風だった筈なのに、今は照れたように笑う。
そしてその笑顔は、自分に向けられたものではないのだと、リチアは気付いていた。
「先輩?」
「―――何でもないわよ。それより、話が終わったならもう帰ってくれない? 仕事が残ってるし」
気分のうつろいには敏い―――しかし、気分がどう変化しているかには疎いアマギリの呼びかけに、リチアは面倒くさそうに手を振った。
「うわ、何か初めてお茶入れてくれて妙に親切だなと思ったら、いきなりそれですか」
「出涸らし渡された段階で、歓迎されて無いって気付きなさいよ」
「出涸らしじゃあこんな濃くは……いえ、なんでもありません」
入れたリチアが最初の一口以外喉を通せなかった渋いお茶を、アマギリはきっちりと全部飲み干していた。
「それじゃ、今日はこれで―――ああ、この時期は忙しいですし仕方ないですけど、ちゃんと休んでくださいよ」
「―――アンタがこの間の面倒な企画なんて差し込まなければ、もうちょっと暇だったのよ」
「それ言われると、何も返せないなぁ。ま、貸りにしておきますので好きなときに取り立ててください。―――お茶、ご馳走様でした」
最後まで棘の抜けなかったリチアの態度に微苦笑を浮かべて、アマギリは生徒会長執務室を後にした。
一人、二人掛けのソファの上に取り残されたリチア。
無意識の動作で、手が、それまで男が座っていた場所を撫でていた。
「―――なにしてるのよ」
自分の行為に呆れ、リチアは脱力したようにソファに体を横倒しにした。―――勿論、頭の位置は。
不安定な視界。見慣れたはずの部屋が何時に無く広く感じる。
会話に気疲れ―――嫌だったという意味ではなく純粋に―――したリチアを、何時もならねぎらってくれる筈のラピスの姿も、無い。
ラピスは今頃、あの野生動物と楽しくやっているのだろうか。やっていれば良いとおもう。せっかく学生として聖地学院に入学したのだから、楽しんでもらいたい。
そう思う気持ちが確かにあるのに―――それを思うと、今、自分が一人なのだと実感してしまい、空虚な気分に、落ち込んでいく。
丁度テーブルの高さと水平の位置の視線で、横倒しになった視界に、置かれたカップが目に入った。
無理やり飲み干したのだろう、カップの縁に残った水滴は、いやに大きなものだった。
上手いとも不味いとも言わないで、茶を手ずから用意してくれた事実だけに感謝を述べるのが、アマギリなりの誠意だとリチアは理解していた。
嘘はつかない男だ。ただ本当のことを、言わないだけ。
けど、家族相手ならば、渋かったと笑いながら言ってくれるんでしょう?
―――良くない思考で頭が占められている。
前はもう少し、あの男と気の置けない会話をした後は、すっきりとした気分になれたはずなのに。
今は少しだけ煩わしいと思う。いや、いつもなら居る筈の時に居ないと解った時も、何処か今と似たような気分になるから、これは別の感情だろう。
その感情を、何と名指すか、聡明なリチアは当然―――。
※ 話の内容的には五巻辺りに突入してるんですよね。
原作だとフラグ立ててる時期ですけど、こっちだとフラグ回収時期になってる感じでしょうか。