・Scene 36-2・
「あれ、ラピスさん、そんなトコでどうしたの?」
その日の放課後、何時ものように生徒会長執務室に入室しようと思っていたアマギリは、その扉の前の長椅子に腰掛けている一人の少女の姿を見かけた。
生徒会長リチア・ポ・チーナの侍従の少女、ラピスである。
ラピスはアマギリの姿に気が付くと、姿勢正しく起立してから、深々と頭を下げてきた。
「申し訳ありませんアマギリ様。今、中で少し……」
「そういえば何か、人を呼ぶとか言ってたような……」
ラピスの言葉にアマギリは思い出したとばかりに呟いた。だから来るな、とか言われていた気がするが、むしろリチアがそういっている場合は逆に顔を出すべきであると言うのが彼の中での常識だった。
「あの人放っておくと一人で仕事しちゃうからねぇ。今度はどんな面倒ごと?」
アマギリの言は解ってしまうものだったので、彼女は首を横に振りつつも微苦笑を浮かべてしまった。
「いえ、今日は本当に―――」
お客様が、そう続けようとした所で、立ち話をする彼らの前で、執務室に続く扉が開いた。
「それじゃあ、失礼します」
扉を開ける動作と踵を返す動作を同時に行い、深々と室内に向かって頭を下げていたのはアマギリにも見覚えのある少年の姿だった。
「剣士殿?」
「はい? ……あれ、アマギリ様? こんにちわ」
呼びかけに答え振り向いた、聖地学院の制服姿の少年は、柾木剣士だった。
「こんにちわ。そういえば、授業受け始めたんだっけね」
制服姿と言うところでアマギリはその事実に気付いた。
「入学おめでとうって言うべきかな。ご愁傷様って言ったほうが良い?」
「あはは、ありがとう御座いますってだけお返しします」
誰に向けられたのか、アマギリの茶化すような物言いは、無難に返された。
柾木剣士は”特例”としてただの従者の身でありながら、その働きを考慮されて聖地学院への編入が認められたのだ。
これは、これまでに例を見ない極めて特別な事態である。特に、誰からも物言いがつかなかったと言う事実が尤も異質な事態だ。
王侯貴族の子弟が集う歴史と伝統に封ぜられた場所に、ただの使用人が生徒として通う。
反対意見が出ないの方がおかしい話である。
実際アマギリは、その辺りの流れに不審な物以外を覚えなかったので、母に連絡し学院側に圧力をかけてもらっていたのだ。聖地を囲む三国の一角であるハヴォニワの君主からの物言いともあれば、聖地としても無視できないはずだったからだ。
だが、剣士は事前に受けた編入試験の成績の良さもあってか、あっさりと編入が確定してしまった。
まるで、予め既定された事実をなぞるだけのように、反対意見は”無かった”事にされて。
―――その事実を通信越しに伝えてきた母は、酷く不機嫌だった事をアマギリは覚えている。
具体的に言うと、そろそろ機嫌を取りに実家に顔出し他方が良いんじゃないかと言うくらいの不機嫌さだった。
因みに、アマギリの見た横流しされてきた編入試験の成績は、本当に極めて高い水準を示していた。
ただし、あまりにもジェミナーの地理、歴史に関する点数ばかりが劣っていて、剣士の現実を知る人間としてはどうかと思う部分もあった。
自身が異世界人であることを真面目に隠す気が有るとは思えない知識の偏り方だったからだ。
幾らなんでも、脇が甘すぎる。
尤も、剣士の事はラシャラの判断を優先させるとアマギリは決めていたから、彼女が何も言わない以上は裏で動く以外のことはするつもりはなかったが。
そんなマギリの内心を、剣士は知る由もなく、何時ものように朗らかに、思い出したように言った。
「あ、マリア様には同じクラスで凄いお世話になってます」
「―――ああ。まぁ、何ていうか……いや、うん。迷惑な事があったら言ってくれれば良いよ」
「迷惑なんて、そんな……」
「いやいや、今は良くても、そのうち絶対大変だろうから」
恐らく、ラシャラの従者で且マリアと同級生と言う段階で、今後色々と避けえないトラブルと言うものが訪れるだろう。
それらに関しては、いかな兄と言えどもアマギリには止める術は無かった。
何せ、色々とすったもんだがあった挙句、良く出来た妹は手間の掛かる妹にクラスチェンジを果たしていたから。
「あの子、今無敵モードに入っちゃってるっぽいからねぇ」
しみじみと言うアマギリに、剣士は冷や汗を流した。
「どっちかと言えばアマギリ様が惚気モードに入ってるって、マリア様が言ってましたけど……嬉しそうに」
つまりは、周りにとっては迷惑な兄妹である。
もう少し周りのことも見てくれないかなと横で聞いていたラピスは思っていた。
家族に対しては優しく―――優しく”したい”という部分を見せられるようになったのだが、それ以外に対しては未だ一つ、と言うのが今のアマギリである。
ラピスが横でため息を吐いているのにも気付いていなかったりする。
「でも、本当に大丈夫ですよ。俺、女の人が”凄い”のはウチの姉ちゃんたちのお陰で良く知ってますから」
言葉の最後だけ微妙に頬を引き攣らせながら剣士は言った。
正直者は美徳だろうかとアマギリは思った。迷惑がかかる事は既に彼も承知していると解ったからだ。
何事も、避け様も無い現実と言うものは確りと存在しているものだ。故郷の人間関係など良い例だろう。
「普通、迷惑かけるのは柾木か神木で、竜木と天木がそれを被る側なんだけどなぁ。まぁ、僕も今は天木って訳じゃないから良いのか?」
「はい?」
首を傾げる剣士に、アマギリは浮かび上がった思考を一端”忘却”させて、苦笑した。
迂闊な事を言うと本当に酷い目に合うとアマギリは理解していたからだ。正直が時に美徳とは言えない良い例だった。
「ああ、いや、何でもない。ま、困った事があったなら同郷の誼で頼ってくれれば良いけど―――ところで、今日はどうしたの? ウチの生徒会長に何か仕事を押し付けられたとか?」
「いえ、そんなことは無いですけど……」
「いやいや、無理してあのSの人を庇わなくても良いよ? 大丈夫、怖いなら僕が断っておいて……」
因みに、剣士はドアを締め切る前にアマギリたちの存在に気付いていたから、当然ドアは半開きのままで、廊下からも室内の様子は見えている。
当然だが中に居る人間に会話が伝わっていた事も気付いていたから、これは剣士を通して誰か別の人をからかっているのと同じだった。
「アンタは何? 人の部屋の前で誹謗中傷を撒き散らす趣味でもあるわけ?」
「おやおや生徒会長閣下。盗み聞きとは感心しませんね」
くるりとその場で綺麗にターンを決めて、アマギリは話しかけてきた人物と向かい合った。
部屋の主であるリチア・ポ・チーナである。ドアの向こうから差し込む光のお陰で逆光となっていた。
―――当然だが、ドアの前に居る剣士の前にアマギリは居たのだから、ドアの奥から話しかけてきた人物と会話をするために回転する必要は全く無い。一回転する間に横に引いていた剣士の直観力だけを褒める場面だろう。
リチアはニヤリと笑いながら額に青筋を浮かべると言う器用な事をやってアマギリと向かい合った。
「つまり喧嘩売ってるわけね。受身に立って叩き潰すのが心情だったくせに、自分から安売りして歩くなんて、随分安い男になったじゃない」
「ははは、只の挨拶にそんな過剰に反応してらっしゃる会長閣下こそ、カルシウムが不足してるんじゃないですか?」
「色ぼけて昨日の会議の内容すら忘却しているシスコンには絶対に言われたくない言葉ねぇ」
唖然とする年少組みを放って、アマギリとリチアは何時ものノリで会話を進めていた。
「……ねぇ、ラピス。この人たちって……」
高速で回転する二人の会話においていかれた剣士は、隣に居るラピスに小声で尋ねた。ラピスは諦めたように首を横に振っていた。
「何時も何時も何時もアウラ様がいらっしゃる時も基本的に何時もこんな感じですけど……仲、宜しいんですよ?」
「仲が良いのは見れば解るけど……なんかリチア様だけ、少し怒ってたりしない?」
実際アマギリの顔は何処かのマッドサイエンティストを思わせる”好きな子ほど苛めたい”な苛めっ子の顔だったし、対するリチアも、眉根を寄せて居るが本気で嫌がっているわけでもない。
―――が、何処かリチアの方は、口調に棘が多い感じがすることに剣士は気付いた。
そんな剣士の感想に、ラピスは目を丸くした。
「さすが、剣士さんですね」
常に傍に居るラピスは、リチアがこのところ大分不機嫌な事に気付いていた。しかし、傍に居るからこそ気付けたという面もあったから、少しの会話からそれを読み取る事の出来た剣士に彼女は感心していた。
「と言うことは、本当に機嫌が悪いんだ……」
「はい、その事に気付いたのって、アウラ様以外では剣士さんが初めてですよ。アマギリ様は……」
「鈍感そうだもんね、アマギリ様」
あははと笑って告げる剣士に、ラピスは立場を弁えずに”貴方が言えることですか”と言いたい衝動に駆られた。善意だけで人として完成しているような剣士は、自身の行動が相手にどう思われているのか理解していない節が見受けられるから。―――当然、ラピスの淡い想いに気付いているなんて事はありえないだろう。
尤も、アマギリが鈍感なのは、それはそれで事実であろうが。ここ二年ほど、生徒会長執務室での彼女等の日常をお世話していたラピスだからこそ言い切れる現実だった。
ある程度の鈍感さは、人生を楽しく生きるために必要な素養だと、昔何かの本で読んだ事があったが、果たして本人はそれで楽しいだろうが、周りで見ている人の気持ちも少しは考えてもらいたいものである。
「アマギリ様、マリア様とは仲直りできたのに、今度はリチア様と喧嘩してるのかなぁ」
「いえ、どっちかと言うとそれが問題と言いますか……」
首を捻りながら言う剣士に、ラピスは引き攣った笑みを返す事しか出来なかった。
なにせ、アマギリもリチアも、”素直”と言う言葉を何処かに置き忘れてきてしまったような人である。
だからこそ、似たもの同士で遠慮も容赦の欠片も無い会話が出来る気軽な関係を気付いていた訳で―――恐らく、姉役だったユキネ・メアを除けば、去年までの聖地学院で、アマギリと一番親しかった人間はリチアになるだろう。
そして、リチアにとっても、アマギリは性別も立場も気にせずに好き勝手に自分を見せる事が出来る数少ない相手だったから―――ラピスとしては、主の手前これ以上思考を進めることは躊躇われた。
まさか、リチア・ポ・チーナが、新たに今年から現れた彼の妹姫に嫉妬しているなどとは。考えるに不遜な、しかしそれが事実だとしか、ラピスには思えなかった。
そして存外、アマギリ・ナナダンと言う人間が”家族”と言うものを大切にする人間だと、新学期が始まってから初めて気付いた事実も存在し―――然るに、目の前で仲睦まじい部分や、そうなるために必死になる姿を見せられれば、リチアが何処か置き去りにされた気分を覚えて不機嫌になるのも必定と言えよう。
そして何よりも問題なのは、リチア本人ですら、自身が不機嫌だと言う事実に気付いていないのだ。
「ラピス?」
ふと、物思いから戻ると、剣士が不思議そうに自身を見つめている事に気付いた。
薄く微笑んで、首を振る。
「いえ―――お二人ともああなると長いですから、剣士さん、宜しければ場所を変えませんか?」
仲良く言い争う主と―――恐らくはきっと、その想い人をチラリと見ながら、ラピスは言った。
剣士も二人の様子を確認した後、悪戯っ子のような楽しそうな笑みを作って頷いた。
「解った、二人にばれないように、こっそりとだね」
何はともあれ、今の主たちの間は、ラピスが積極的に介入するような場面ではない。
それに、今のラピスのおかれた状況からしてみれば、二人仲良く喧嘩している様は、何処か見せ付けられているような気分にもなるのだ。
そっちがその気なら―――そんな、悪戯めいた気分を、ラピスは初めて覚えてしまった。
出汁にしてしまって御免なさいと言う気分で、身をかがめて前を行く剣士に続いていたラピスは、一度だけ主たちのほうを振り返っていた。
アマギリと目が合った。
何故だか、目礼のようなものをされてしまった。健闘を祈るとか、そういう意味が込められているように見える。
きっと、ラピスの気持ち”には”気付いているのだろう。
周囲全ての人間関係を洞察しきるその能力は尊敬できるものではあるが、ラピス個人としては、頼むから自分の人間関係についても少しは考えていて欲しいと思う。
でないと不幸だろう、今も尚アマギリの目の前で頬を膨らませている女性が。
その事実に嘆息して、やっぱり何か考えた方が良いのだろうかと思いながらも、何はともあれ、今はお許しが出た幸運を感謝しようとラピスは思い直した。
何しろ前を行く少年こそがラピスの想い人であるのだから、話の流れでこの後も少しの間は傍に居られると言うのは僥倖と言うほかない。
だからラピスは、首を返してアマギリから見えない位置で、こっそりと舌を出して目元を指で押さえていた。
※ リチア様のターン開始、と言うことで。
にしてもラピスも聖機師だったとか、最終回にして割りとびっくりだったような。しかもデザインが汎用じゃなかったし。
わざわざデザインしたなら、もっと出番を……。
まぁ、他の人たちも割りと大概出番無しでしたが。剣士君一人で充分だもんね、基本。