・Scene36-1・
『マリアちゃんとちゅうしたんですってね』
通信モニターの映像がクリアになった瞬間、フローラ・ナナダンから放たれた第一声がそれだった。
「誰から聞いたんだよ!!」
作り笑顔も優雅な態度も全部投げ飛ばして、アマギリは前のめりに叫んでいた。
そんな息子の焦る態度を意にも介せず、フローラは頬に手を当ててたおやかな声で続けた。
『でも、ちゅうって言うと、キスって言うよりえっちぃ感じがするのは何でかしらねぇ』
「知るか! つーか本当に誰に聞いたんだ! 姉さんか!? 家令長か!?」
何せアマギリにとっては昨日の今日の話題である。フローラの耳が非常に早い事は理解していたが、明けて翌日昼日中のこの時間に、既に事情を知りえているのはどうなんだろうと思わざるをえない。
『ね、美味しかった? レモンの味でもした?』
「あくまでこっちの質問には答えずにネタを振り続ける気な訳だな……」
『だって悔しいじゃない。娘に先を越されるなんて、しかも何か乙女な顔をしてたし』
扇子を広げて口元を隠して、笑みの形に見える目元だけを見せて語るフローラの言葉に、アマギリは脱力を覚えた。
「―――自己申告したのか、あの子は」
『先を越されちゃったわねぇ、お兄ちゃん?』
「何のことやら解りかねますね」
事こういう流れにいたっては、自分もその辺りを在る程度話すつもりで通信したなどとは口が裂けても言えなかった。
一つ大きな息を吐いた後で、気分を切り替えるように無理やり平時の態度を作る。
「で、母上的にはこういう展開はアリなんですか?」
『恋愛は自由よ? 結婚は義務だけど』
「本音と建前に気をつけろって処ですか。子供の浮気を公然と認める辺り、割り切ってますね」
『じゃなきゃ王族なんてやってられませんもの。―――ところで、聞きたい答えはそう言う物じゃないでしょう? 聞いても良いわよ? 私が貴方とマリアちゃんのちゅうに関してどう考えているかって』
ニコリと―――少なくとも目元だけは変わらず笑みのままで告げるフローラを前に、アマギリは返す言葉を見つけられなかった。
と言うか、例えアマギリでなくとも、こんな前フリをされてのこのこ言葉を返せる男は居ないだろうが。
「―――まぁ、それはさて置き」
『このヘタレ』
「何とでも―――いえ、スイマセン勘弁してください」
これ以上何か言われたら耐えられそうになかった。精神的重圧な意味で。
『別にそこまで怯えなくても良いじゃない。だいたい、こういう話題で女を不機嫌にさせる事が出来るなんて、名誉な事よ?』
「名誉に付随する義務が怖いんですよ……」
扇子を閉じて、口元にも笑みを浮かべて言うフローラに、アマギリはガクリと項垂れながら応じた。
やっぱり不機嫌になっているわけだなと、―――”やっぱり”なんて、偉そうな考え方が出来る自分が、一番怖かったりもする。
『それを難なく乗り越えてこそ男の甲斐性ってヤツよ。人をその気にさせておいて、今更甘ったれた事言ってるんじゃないの』
人と言うのが誰を指すのか、聞いたほうが良いのだろうか。聞いて答えが帰って来たときにどうすれば良いのかは解らないが。
これ以上藪を突付き続けるのは良く無さそうだとアマギリは判断して、手っ取り早く蛇を呼び出すことに決めた。
「とりあえず、結論だけ先にお願いします……」
『ほんっと、ヘタレね貴方。―――良い? 貴方とマリアちゃんの事は貴方とマリアちゃんの問題。私と貴方の事は私と貴方の問題。―――以上。お分かり?』
「いえ、さっぱり」
と言うよりも、解りたくありませんと答えたかったと、既に答えた後でアマギリは思っていた。
ようするに何ていうか泥沼に踏み込んだと言うか気付いたら溺れていたと言うか。
『ただ、貴方とマリアちゃんの組み合わせって、想像するに深みに嵌ってドロドロに溶けていく感じしか思い浮かばないから、その辺りの事は少し留意しておきなさいな。―――周りに居る他の子たちも若い子ばっかりなんだから、行き過ぎは目に毒よ』
「……とりあえず、親とこういう話題を語り合うのが拙いという事だけは良く理解できました」
『じゃあ、オトコとオンナとして語り合ってみる?』
「盗聴された時が怖そうなのでやめておきます」
此処数週の自分を思い返してみれば、最早今更な気もするが。
こう言う時に限って否定の言葉が言えない自分が辛いなとアマギリは思っていた。
理由はようするに、本気で言っていると思われるといやだからと言う、その意味を自分で理解してみると益々頭が痛くなるのである。
二年以上前の万事どうとでもなれば良い、と思えていた頃に戻れれば楽なのだろうが―――今やそれも拒否したい気分だったから、酷く面倒くさい。
―――人間関係と言うものは、面倒くさい。
今まで徹底的に表層的なやり取りで済ませてきてばかりだったから、そのツケが一気に回ってきたという事なのだろうか。アマギリはかつての―――覚えていない頃も含めた自分を、罵ってやりたい気分だった。
誰かの事を考えながら生きる事がこれほど大変な事だったなどと、今まで気付きもしなかったのだから。
「とりあえず、今後はより一層精進しますので今日は勘弁願えませんかね」
『そういう珍しく前向きな言葉を聞かせてもらえたんだから、まぁ、良いでしょう。―――次に帰って来たときは、少しは楽しませてくれるのを期待しているわ』
「知人にマッサージでも習っておきますよ」
最後は投げやりに言葉を返して、アマギリはもう一度気分を入れ替えた。
「もう聞いてると思いますけど」
『機工人ね』
「ええ。図面が盗まれました」
それまでの緩急に富んだ会話は何処へ行ったのか、それは淡々と、規定の事実を確認するかのように始まった。
「まぁ、私用のついでに釣り針垂らしたら本当に釣り上げられちゃった、程度のことですから、わざわざ報告する必要も無かったですかね」
私用、と言う部分で軽く目線を逸らしながら、アマギリは早口で言った。フローラも淑女のたしなみでそれを咎める事はしなかった。脳内手帳にメモする事は忘れなかったが。
『釣れた魚も外道だものねぇ。本命には動きなし―――と言うか、本命に報告した気配も無し』
「ありゃ、って事はスワン襲撃の件と合わせて、これも先走りですか。もう一度失敗したら切り捨てられるんじゃないですか、それだと」
『どうかしらね、機工人の図面は、あったらあったで有効でしょうし、今回はお咎め無しじゃないかしら』
「でも、倅君が持ってったのって、機体の図面だけで動力部は空ですよ? 結局それで、動力に当たりがつかなくて結界炉を使う事になったりしたら、意味無いと思うんですけど」
機工人。
ワウアンリー・シュメが開発している人が搭乗可能な機動兵器の最大の特徴は、その動力にある。
このジェミナーでは大変珍しい、エナを使用した亜法結界炉を用いずに、蒸気動力によって稼動するのだ。
つまり、エナに頼らないで済むが故に、エナの喫水線から上がったところでも使用可能なのである。
その利点は考える必要も無いほど明らかで、今までは不可能だった、喫水外に立てられた城砦などの拠点への大規模な攻撃すら可能となるのだ。
だがそれも、蒸気動力が搭載されて居ればこそ。
それがなければ、ちょっと小回りが効くだけのただの結界炉搭載の作業機械と何も変わらない。
『どうなのかしらね。あちらのお宅は昔から聖機工だったのだから、案外私たちの知らない結界炉を用いない動力にアテがあるのかもしれないわよ』
フローラの推測に、アマギリは首を捻った。
「もしそうだとしたら、それこそ機工人の図面なんて盗む必要も無さそうですけど―――まぁ、だからこそ倅君が一人で先走っているとも取れるんですが」
『倅君、貴方にかまって欲しかったんじゃないの? 元気に学院内で政治活動してるらしいじゃない』
「詳しいですねぇ。僕も、最近拾った蝙蝠に忠告されましたけど。―――と言っても、割とどうでも良い存在ですしね、彼。アイツが何しようが、ぶっちゃけ大勢には何の影響も無いじゃないですか。―――むしろ、派手に何かやらかしてくれた方が、公然と始末する口実にもなって楽ですし」
本人が聞いたら歯軋りするであろう事を平然と口にするアマギリに、フローラも同様の思いで頷いていた。
『本命経由で、聖地入りした人間が増えてることは当然知ってるわね?』
「ええ。あからさまにやってますしね。やっぱ中に身内が居ると得なんでしょうね」
やっぱりスワンで斬っておきたかったと呟く息子に、フローラは微苦笑を浮かべた。
『やっぱり、”弟さん”の動きが一番気になるかしら?』
「―――そうですね、ああ言う何処にでも足場を作ってる人間が一番対応に困ります。っていうか、ウチとも繋がってるんですよね一応」
『ええ、私の後輩でもあるし、少しだけ、ね。昔から本音を悟らせないのだけは上手い子だったわねぇ、そういえば。それは今も変わらないわ。たまに話す事あるけど、今でも何を考えてるのかさっぱり判らないもの』
「本命だけ片付けたと思ったら、横から全部掻っ攫われたなんてなったら、怖いですしねぇ。早めに排除出来ればよかったんですけど」
『排除はもう諦めなさい。時季を逸したわ。ここで弟君と言う駒を取り除くと、もうどんな流れになるのか想像もつかないもの』
一度身の危険を感じた事もあるし、何より生理的に受け付けない類の人間だったので、アマギリとしては可能ならば今からでも始末してしまいたかったのだが、止められたのなら”今は”我慢するしかない。
そんな気分が顔に出ていたのだろうか、フローラは苦笑して言った。
『困難は人生を楽しくするためのスパイスよ。予め避けるように手を打つよりも、受けてたって乗り越える術を見につけなさいな』
「楽しさよりも楽な生き方が好きなんですけどね、僕は」
『その挙句が、昨日のちゅうでしょうが』
「―――此処でそれをぶり返しますか……」
上手いこと言って避けたつもりだったが、いとも容易く撃墜された。
アマギリは降参とばかりに手をひらひらと振るっておどけた様に言った。
「今後はより一層精進します」
『宜しい♪』
モニターの向こうで、花が一つ綻んだ。
それは昨晩の月明かりの元で見たものと、酷く似ていたとか―――。
※ まぁ、素面に返ると超恥ずかしいぜってヤツですよね。甘んじて辱められれば良いと思います。
後は、舞台裏で彼が頑張ってますけど……どうでも良いかー。