・Scene 35-2・
昔から合理的に物事を動かすのは得意だった。
一見その場その場では不合理に見えても、最終的に要求された結果に最短距離でたどり着くと言う能力に長けていた。
と、言うよりむしろ、かつては要求されたものが弱い十に満たぬ幼子に与えられた試練にしては手に余りすぎて、強引、外道と受け取られようと最大限合理性のみを追求していかなければ要求に届かなかったのだ。
なにせ、思い返すにどれもこれも、どう考えても行儀見習いの子供にやらせる作業の範疇を超えていた。微妙に軍事機密にまで片足を突っ込んでいたのではないかと言う気もするが、気のせいだと思いたい。
今にして思えばあれらの無理な要求は、失敗させたがっていたのだろうと言う事が解る。
間違いなく、失敗させる気で要求を押し付けていたのだ。
何故なら、必死で無難に作業をこなして見せた結果いただいた言葉が、”つまらない坊やねぇ”の一言だったのだから、そうとしか思えない。
そんな風に言われれば、子供の意地も働くだろう。
次も、その次も絶対に失敗なんかしてやらないと、そんな事を思って―――事実、失敗しないだけの器用さがあったのだ。
そんな事実もあって、アマギリは物事を合理的に判断して最短の答えを導き出す事は得意だった。
それは、上記の事情を全て忘却してしまっている今でも変わらない。
自身が主催した舞踏会の会場となっていた講堂の裏口から忍び出て、辺りを見渡す。
居る筈もない。
中庭にも居なかった。講堂の中の、何処にも。
流石に聖地から離れてしまったとは考えられないから、きっと学院内を探せば何処かに居るのだろうが―――生憎と、学院は広い。闇雲に探していれば、夜が明ける。
それに、闇雲に走り回っていたら、恐らくそこら中をうろついているだろう”存在しない”類の人々の視線が集まって余計な面倒を引き起こしそうだ。
自分が用意した状況だった筈なのに、今はかえってそれが足を引っ張っている。
どうしてこうなった。
言うまでもなく、考えるまでも無い。―――それも、合理的な面で言えばの話。
普通に考えて立場から言って、一曲も踊らずに人知れず姿を消すなんてアマギリは想像もしていなかったから、これはようするに彼の見込みの甘さである。
決して、あの子の責任ではない―――無いのだが。
せめて消えるなら一言くらい言ってくれれば良かったのにと、最近の曖昧な距離感を脇において、アマギリはそんな風に思ってしまった。
ここ二年はそれなりに上手く兄妹をやれてきた気がするんだけど、まだ、上手くいかない。
こういう肝心な時に限って、上手くいかない。
やはり、向いていないし慣れていないと言う事なのか。合理的に感情面を廃して―――と言うより、感情すらも数値的に行動の可否のスイッチとして解釈して、状況に立ち回ってきたツケが、この状況と言うことか。
こうして、薄暗い夜道をあてどなく歩く事しか出来ない。
ふと、ポケットに突っ込んでいた手に固い感触を覚える。
通信機。
鳴らせば直ぐに、部下に繋がる。
そこから洗い出せば、少女一人の―――ましてや、護衛対象の一人だ―――居場所をつかむ事くらい、簡単だろう。
簡単な話だ。鳴らして、見つけて、駆けつけて―――。
どうして此処が解ったのですか?
そんな風に聞かれたら、どうする?
調べてもらったなんて答えた時、相手はどんな顔をすると思う?
また、泣かせてしまったら、どうしようかと。
そんな不安ばかりが、頭を過ぎって行動を躊躇わせる。
二年間。それだけは嫌だと慣れないなりに頑張ってきたつもりなんだけれど。
「……?」
道すがら歩いてきたら、いつの間にか分岐路に差し掛かっていた。
右か、左か。後ろか、前か。―――そろそろ、諦めるべきなのか。それとも。
「どうするべき、なのかな……」
「貴方はどうしたいの?」
そんな声が、片方の道の奥から聞こえた。
「雪姉……、ユキネ?」
白い肌、白い髪。白を貴重とした装い。夜の深い闇の中でも、その姿はしっかりと見て取れた。
情けない話である。目安があればとりあえずと言った単純な思考で、アマギリはユキネが居る方の道へ歩みだしていた。
ユキネに近づくと、彼女も踵を返してアマギリと並び歩み始めた。
「姉さん、てっきり剣士殿のトコに居るんだと思ってた」
ああいう、素直で純真な少年こそ、この女性の好みだろうと思っていたから。何とはなしにそんな話を振ってみると、ユキネはそれを否定するでもなく、ゆったりとした調子で言葉を返してきた。
「剣士は良い子だから、皆が見ているから平気」
だから今は貴方を見るとき。言外にそう告げられているようで、アマギリは微苦笑していた。
「良い子、か。さしずめ僕は悪い子って処だろうね」
「アマギリ様は……どっちかって言うと、駄目な子かな」
「そこは違うって返して欲しかったなぁ」
おどけた様にそう応じると、ユキネは無理の一言共に首を横に振った。
「妹を泣かせる駄目なお兄ちゃん」
ピタリと。
その一言でアマギリは足を止めていた。
「―――泣かせた?」
ユキネが遅れて立ち止まったから、再び向かい合う形となった。
「僕は、あの子を泣かせていたのか―――? また?」
ユキネは恐ろしいほど透明感のある瞳でアマギリの瞳をしっかりと見つめたまま、続けた。
「不安そうだったの、解っていたでしょう? それなのにずっと、碌に話もせずに自分の遊びにばっかり感けていれば、寂しくもなると思う」
「自分の遊びって、だけどそれは―――」
あの子のために―――では、無い。僕自身のために。自分自身のきっかけを作るために。
「んぎっ!?」
正しく言われたとおりだったと愕然としたその瞬間、ユキネに頬を抓られていた。
「ちょ、にゃに、んにゃ、何するのさ!」
首を払ってそれから逃れてみると、ユキネは何処か呆れたような顔で嘆息していた。
「ほんと、駄目な子だね……」
「いや、それは否定できにゅ……って、だから何で抓るの!」
言われなくても駄目だ何てことくらい解っていると、投げやりな調子で言おうとしたら、何故か再び抓られてしまう。何ゆえ肯定したのに折檻されているのか。アマギリには理解できない状況だった。
「あのね、アマギリ様」
ス―――、と。混乱するアマギリを宥めるように、ユキネは抓っていた手を開いて、その掌をアマギリの頬に当てた。
「こう言う時は、妹のために頑張ってるんだってはっきり言いきって良いし、自分を駄目呼ばわりされても否定して大丈夫なの。―――行動だけで自己主張しようとして、言葉足らずなやり方をしているから、マリア様は泣いてるんだよ?」
「―――だけど、こんな一方的な。責任を押し付けたりなんかしたら迷惑だって思われるだろ?」
「うん」
「……あ、否定してくれないんだ」
不貞腐れたように言った言葉にあっさりと同意されてしまい、アマギリは一瞬素に戻ってしまった。
「迷惑は迷惑だから。実際、気付いている人は皆呆れてるでしょう? ―――でも、迷惑な行為だからって、それが全て嫌がられるとは限らないもの」
しかしユキネの表情には稚気の欠片もなく、優しく頬を撫でながら、そんな風に言った。
「―――でも、迷惑だって思われたら、僕は嫌だ」
「嫌でも、我慢するの。お兄ちゃんなんだから。正しい最善の結果よりも、目の前で情けなくても、頑張ってくれてる姿をちゃんと見せてくれた方が、嬉しい事もあるんだから」
それは、成果を示す事で立場を得てきた人間にとっては耐え難い事実で。
―――でも、あの子が一番喜んでくれていたのは。
例えば、情けなくも本音を告げなければいけない時だったりしたんじゃないだろうか。
「姉さんは、凄いねぇ」
アマギリは、ポツリとそんな言葉を呟いていた。
「そういう素直な態度で、マリア様にも接してあげてね。考えた末に出てくる優しさなんて、本物じゃないと思うし―――素直な貴方は、充分に優しい人だと思うから」
身内の買いかぶり以外の何物でも無いだろうが、今のアマギリにはその言葉はうれしかった。
「努力は、する。結果は―――」
「後で考えれば、良いから」
頬を撫でてて居た指で、最後まで言おうとしていた口をそっと抑えられた。
「―――ね?」
「……うん」
その返事に満足してくれたのか、ゆっくりとした動きで口下に置かれた指が離れ、ユキネはそっとアマギリの背後に回りこんでいた。
「じゃあ、頑張って―――優しくして、あげてね?」
耳元で囁かれる言葉に従って視線を前に向けてみれば、そこは帰り道だった事に、アマギリは今更気付いた。
―――そこに、居るのだろう。
疑いようも無い事実に身震いしながらも、アマギリは踏み出す一歩を躊躇う事はなかった。
最初の最初、何処が最初だったのかすら結局わからなかったけど、つまりその判断が出来なかった時点で既に目指すべき結果にありつけないのは確実。
それでも、お兄ちゃんなのだからと背中を押されたのだから、せめてそれに見合う格好つけくらいは許してもらいたいと思った。
踏み出す。止まる事無く、振り返らずに。優しい姉が見守ってくれているのも解っていたし。せめて、与えられた優しさを自分も誰かに伝えられたらと思う。
一つの目的のためだけに生きていられた頃が決して嫌になったわけでもないけど、今は、今しか触れ合えない人々との関係を大切にしたいから。
「今しか、か……」
”まだ、帰りたくないな”とそう思ってしまい、それがどういう意味での思いなのか、自分でも解らなかった。
少しだけ開かれた道と屋敷の敷地を遮る門の向こう、春の花が咲き誇る花壇の真ん中に、少女の姿があった。
俯くその顔が何を思っているのか、それが理解出来ていれば、こんな無様は起こさなかっただろう。
それを今から確かめる―――その前に、確かめたかったんだと、それを伝える事が先だ。
更に一歩踏み出す。
少女が足音に振り返った。
門を潜り、そして気付けば少女に手を伸ばしていた。
折角の月明かり、互い着飾った姿なのだからと、失敗した諸々に少しの未練を思い出して。
「まずは一曲、少しの間お付き合いを―――」
そんな言葉から、まずは始めることにした。
※ ひたすら姉さんに甘えるだけの回。
多分コイツ、子供の頃は忙しい親に代わって姉ちゃんに面倒見てもらってたとか言う裏設定のある、天性のシスコンだと思う。
因みに五人兄弟の末っ子とか言う設定が、出す気も無いのに初期プロットの段階から用意されていたりいなかったり。
二男三女だそうです。