争う兵の姿を見た時、リーヴァは横を走るドロアの気が変質したのを感じ取った
思わず駆っていた馬が速度を落とす。無意識に止まろうとしている。リーヴァは現れたドロアの背を、横顔を見て、更に違うと、それだけを感じた
「…抑えるべし、抑えるべしと思おうと」
兵が向かってくるのが見える。敵の目前で足を止めてしまえば騎兵はお終いだ。敵はその騎兵を相手に上手く立ち回りつつ、各個に分断しようとしている
何時もなら緻密な射によって先手を討つ頃合だ。何時ものリーヴァなら
しかしそれをしなかった。リーヴァは何か、今まで見たことの無い怪物でも見たかのような表情で、ドロアと敵先手が交差する瞬間を見つめていた
ドロアの振り掲げていた紅い槍が、一瞬だけ動く。リーヴァは確かに見た。そして言い換えれば、それしか見る事が出来なかった
「かぁッ! 抑えが効かんわッ!!」
荒々しく突き出された槍が、一瞬で二人、纏めて串刺しにしている。何とも言い難い力技だったが、しかし鋭い。いや、見えなかったが、その様を見るだけで解る。鋭さが突き抜けていった余韻がある
そして何より速過ぎる。速さとは技にのみ宿るのではないのだと、リーヴァは今知った
何時、やった
並外れた膂力は知っていた。熟練熟達された技も知っていた。戦機を見切る目の事も知っていた
だがなんとまぁ、ここまで鋭い男だとは知らなんだ
(もしこの先この男の武を理屈で語る奴が居たら、私は指を指して笑ってやろう)
リーヴァは曲乗りしてドロアの後に続いた。鐙の上に立ち上がり、先程ドロアが言ったように何もしないでただその背に続く
まるで威風堂々たる王が如き尊大さで、リーヴァはドロアの背後に陣取った
……………………………………………………
「くが…ぁっぷ………げ、げぇ…」
「カモール…! か、カモール! カモ!!」
やられた、とカモールは前のめりになりながら思った。胸の鎧を貫いて、アイゲンの小剣が右の胸を抉っている。細槍に気を取られすぎた
感覚的に意識を向けた。浅いのか、深いのか、カモールには良く解らない。解らないが、解る事もある
倒れてはならない
カモールはくしゃくしゃに顔を歪めながら、叫び声を上げて地面に足を叩き付けた
口内が熱い、血がせり上がってきている
「立つな、カモール!!」
エウリが後ろから抱き着いてカモールを引き倒した。直後、今までカモールの頭があった場所をアイゲンの細槍が薙ぎ、カモールとエウリは転がるように逃げた。追撃するアイゲン
エウリは立ち上がった。本当なら、ずぅっと頭を抱え込んで、這い蹲って居たかった。立ちたくない、怖いんだ
でもその後ろには血を吐くカモールが居る。もうこれ以上奪われるのは、自分が死ぬ事よりも嫌だった
(畜生! 畜生! 決めた! 死のう! ここで死のう!)
そう覚悟しても、今自分の後ろにある物は、最後まで諦めないぞ
エウリが飛び掛るも、敵う訳が無い。容赦の無い蹴りがエウリの腹を貪り、しかしエウリは吹き飛ばない。アイゲンの足にしがみ付いていた。ふわ、と身体が持ち上がると、次の瞬間額に衝撃。頭突きだ
皮が破れて血が飛んだ。アイゲンは細槍を口に銜え、エウリの首根っこを引っ掴んで放り捨てると、同時にカモールを抱え上げて、今正にアイゲンの背後から襲いかかろうとしていたユイカ騎馬隊への盾にした
――覚悟は、正に何の役にも立たなかった
オリジナル逆行18
もう既に夕暮れの刻である
馬上で更に視線を高くして見ていたリーヴァは直ぐに異変に気付いた。争う兵の動きが極端に鈍くなり、収束していく
「おい」
リーヴァの目が鋭くなった。否が応にも怯えが走る、魔物のような目付きで、リーヴァは忌々しく言い捨てた
「何故あの将は、舌を噛まんのだ」
リーヴァの視線の先には捕らわれたカモール。ドロアは無理矢理馬を停止させる。ドロアだけではない、敵も味方も、両方とも動きを止めていた
人質? この乱戦の中で、よくもまぁ上手く事を運んだ物だとドロアは歯を食い縛る。だが、馬鹿め。そんな物が通用する状況か
――通用、していた。アイゲンが止めたのはユイカ軍団だけではない、己の配下もだ
一瞬でも場を膠着させられれば、状況を知らしめる事は出来る。そして混乱させ、時間を稼ぎ、……其処から先はドロアには無用の思考だった
ただあの乱戦の最中に、無謀とも言える戦闘停止を成功させたアイゲンの手口は、賞賛に値する
ゆっくり、互いが互いを警戒しながら、ユイカ軍と賊が二方に分かれる。自然睨みあう形になった
「リーヴァ、止まれ」
「……フン」
ドロアが槍を水平に持ち上げ、分かたれた二つの軍団の真中に馬を進める。疲れ果てた表情で漸くそれにに気付いたアイゲンは、忌々しげに舌打ちした
ユイカの軍団と、賊の集団。両方ともにドロアを見つけ、そしてそれが何者であるかに気付くと、そろって青褪めた緊張の表情になった。この状況下では何がどうなるのか、全く予想が付かなかった
ジッとドロアは、真正面の先にある、その生き様を睨む。カモールの傷は深くない。失血死にだけ気をつけておけば、全く命に別状は無い。尚の事大した力加減だった
「最後の最後まで、戯けた真似ばかりする。人質などが何の役に立つ。使って逃げられる状況だと思うのか」
「……何だ、いきなりしゃしゃり出てきやがったと思えば、手前は」
「俺の顔を忘れたと言う事も、俺が誰だか知らんと言う事もあるまい」
「其処で止まれ! 寄らば、この女の首を折る」
ガ、と制止。カモールの目が、力を失いながらドロアを見た
なんともまぁ、情けないや。カモールが唾を飲み込む。呼吸しようと胸が動く度に激痛が走った
本当に、情けない。自分なりに力を尽くしてみたが、結局はこの有様。一瞬の交錯の中で、自分だけがまるで下手を打っていた。一体自分は何をしにここまで来たのか
例え将を討とうが捕えようが、賊は降伏勧告などしない。兵だって賊の要求など聞くものか
だから、こういう場合、命は大体諦める。ユイカ軍団の誇りが、賊に傅くなどありえない。部隊は最後まで尽く戦い、私は死ぬだろう。そう思っていた
「何故……」
だからふと、そう問うた。何故戦わず、睨みあっているんだ
ドロアがその呟きを拾う。彼の中にはカモールの問う「何故」の意味が五個くらい思いついた。ドロアはアイゲンを無視し、その中で最もカモールが聞きたいのであろう一つを答える
「…ここに居る若年の兵達は、お前を死なせたくないんだそうだ。例えどんな未熟者だろうとな」
一拍置いてその意味を理解したカモールが、ぐわぁ、と啼いた。戦友達にその身を惜しまれる、それはとても誇らしい事だと思った
だが、もう良い。将が兵の足を引っ張るなど、あってはならない
「――もう…! 良い…!」
――もう良いから
そうか。と呟く。グ、とドロアが四肢に力を篭め、馬を駆る。アイゲンが慌てて怒鳴った。しかし聞かない。なまじ人質など取ってしまったから、アイゲン自身も躊躇する
結局アイゲン配下の部隊が動き、束になり嵩にかかってドロアを襲った
ドロアは、炎が爆ぜたように吼えた
「くどいわッ!! 退けぃ!」
馬上で曲乗りして三百六十度全方位を切り払い、ドン、と言うとても肉を斬ったとは思えない轟音を響かせる。追い縋る賊達を一撃で砕いた。大の男を何人も平気で吹き飛ばす様は圧巻だ。人の肉体が巻き起こす人外の嵐
「カモール!」
気炎高めて槍を掲げた。体の筋肉を引き絞り、硬直させ、ただ一本の武装を構える。今ドロアは弓になる。矢は、真紅の槍だ
「お前を俺にくれ!!」
放たれた紅の矢。それは、カモールの心臓に向かって真っ直ぐ飛んだ
そうだ! とカモールは理解した。これこそが、自分の思い描くままのドロアだ
この人が負ける所など見たくなかった。この人が膝を屈する所など見たくなかった。この人の足手纏いにだけは、なりたくなかった。例えここが己の墓場になろうと
構うもんか、紅い槍よ、私を貫け。カモールは笑った。こんな人に望まれる。これもまた、とても誇らしいことだと思った
夕暮れの中に刻まれる、鮮烈な笑顔
「――――――はいっ」
アイゲンが雄叫びを上げながら逃れようと身を翻す
……………………………………………………
天空から人が降って来る
武神は気まぐれだと言う。気まぐれに任せて、時折空から人を降らせる。それは人と人を競わせる為であったり、或いは武神の娯楽の為であったり、…人を救う為であったりすると言う
背の高い家屋の屋根から格好付けて飛び降りたのは、ギルバートだった。部下を置き一人だけで現れた彼は何を意図していた訳でもなかったが
確かに、武神が降らせるに足る男だろう
「ギルバァァート、スラァァァアアッッッッシュ!!!!」
巨剣に加速と体重と持てる力の全てを注いだ
狙いは賊将、アイゲン。手前の同僚を人質に取られて、黙っていられる性分ではない
地面とアイゲンが間近に迫ったところで、ギルバートは巨剣を振った。振った、と言うか、叩き付けた
「お、あぁっ?!」
目を剥いた。前から真紅の槍、上から巨剣。恐らく今まで生きてきた内、最も素早い動きで、賊将は身体を跳ねさせる。一度に両方をやり過ごさねば
必死の思いで避けるアイゲン。槍は標的を失って石の壁に減り込み、外れた巨剣は地面を抉るだけでは済まない。硬い土質のそれは四方八方に亀裂が走っている、ただ、ギルバートの放った一撃で。アイゲンは己の目か、若しくは頭がイカれたのだと思った
カモールが動いた。最早動いていい状態ではなかったが、そんな事は言っていられなかった
大きく息を吸い込んでアイゲンの腕を己の腹に引き寄せる。自身は足腰を沈ませて、アイゲンの懐に潜り込んだ。ここからだ、動揺から動けないアイゲンの腕を捻り上げる
そしてそのまま前のめりになり、投げ飛ばす。放り出しはしない。宙に浮かせたアイゲンの身体を渾身の力で引っ張って、そのまま亀裂の走る大地に叩き付けた。
カモールはそれを見届けると、続いて襲ってきた激痛に悲鳴を上げてのた打ち回った
その一撃で肩がイカレた。アイゲンは歯を食い縛る形相とは違う、何処か醒めた心で理解する。ズタボロの身体を無理矢理転がして距離を取り、立ち上がろうとして尻餅をつく
立ちあがる? ……とんでもない。良い投げが入ったもんだ、脳味噌がグラグラ言いやがる
ギルバートは巨剣を杖にし。ニヤリと獰猛な笑みを浮かべ、土を蹴った。正に瞬きの間に全てが決した
「…形勢逆転、だろ? なぁ、山賊野郎」
そして、その背後にも言う
「なぁ、小娘」
アイゲンの背後に何時の間にか、血が溢れる額を押さえたエウリが、毒剣をだらりと持って立っていた
……………………………………………………
「…………ここが」
「…………………」
「俺の、死に場所か……」
ぐい、ぐい、と無理矢理力を篭めて立ち上がろうとするアイゲンの首に、エウリはそっと毒剣を添えた
四肢から力を抜くアイゲン。夕暮れの中で毒の刃だけがぬらぬらと鈍く光る
アイゲン配下の兵は少しも動けなかった。ユイカ兵に牽制されていると言うのもあるが、瞬く間に起こった出来事に、ただただ唖然とするしかないと言うのが本当である
刃を首から引き離す。エウリはゆっくりとそれを掲げて、口を開く
「………ッ!」
開いたが
言葉は出なかった。顔が泣きそうに歪む
「あぁ…………」
アイゲンがぐらり、と揺れた
「………あぁ…………俺が、手前の親父を殺った」
振り下ろされる毒剣。倒れ伏すその胸元に向けて、一直線
過去よ、今よ、未来よ。俺はどうなりますか。強く生きて行けるでしょうか。独りでも、生きて行けるでしょうか
問いには勿論答えなど無かった。その代わり、振り下ろされたエウリの剣は、その軌道の途中でピタリと止められてしまう
振り返る先には、深い色の目でジロリと睨むリーヴァ。エウリは彼女の名など知らない。でも、彼女の強さは知れた
「黙れ」
声を放とうとするエウリの口を、リーヴァの手が塞ぐ
「お前の出る幕ではない」
その通りと言わんばかりに、下馬したドロアがエウリの頭を優しく撫で、其処を越えていった
「何か言い残す事はあるか」
ドロアは壁から引き抜いてきた槍を突きつける。アイゲンは最早動く気力も無い
下らん情をかけるじゃないか。そう言って嘲った。しかしドロアは、真剣な面持ちを崩さず、ジッとアイゲンを見つめていた
「何か言い残す事はあるか」
「方々流れて根も何もねぇ俺に、そんな情けは要らねぇんだよ馬鹿め」
「情けで言うのではない。情けでなくても当然の事」
アイゲンがドロアを恐ろしいまでの形相で睨む。ドロアはまるで気にしなかった
「何か言い残す事はあるか」
三度目。そこで、漸くアイゲンは観念したように目を閉じた
「………『天下無双』の海蛇に伝えてくれや」
――済まねぇとよ
ドロアが槍を胸に突き入れる。それだけでアイゲンは血を吐き、呆気なく絶命した。アイゲンの配下達が息を呑む。皆、身じろぎする事も出来なかった
「エウリ、済まん…いや、許せ………いや」
ドロアは背を向けたままそれだけを言った
「…………お前の仇は、俺が勝手に殺してしまった」
――ランク「血風ドロア」
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唐突ですが、出来の悪さは認めるので、一つだけ、我が事ながら言わせて欲しい
ちょ、おま、ギルバートスラッシュって何だよwwwwww