第十一話【芳香】
「……夢を、見ていたんだ」
サイトは、ベッドから半身を起こすような体勢で語りだした。
ようやく目覚めた彼は、どうして急にルイズを呼び、暴れたりしたのかを聞かれ、そう言ったのだ。
「……夢?」
「ああ、何か……怖い夢だった」
「そうだろうね、君のあの怯え方、尋常じゃなかったよ。一体何が出てきたんだい? ドラゴン? それともオーク鬼?」
ギーシュはウンウンと頷きながら尋ねる。
「いやぁ、それが……ルイズなんだ」
「は?」
ギーシュは間の抜けたような声をだし、
「ルイズが……あれは乗馬用の鞭、だったかな? それで俺を叩くんだ、この馬鹿犬!! って言いながら、何度も何度も……痛いわ恐いわで嫌な夢だった……」
「あ、あははは……サイト、君もしかしてそっちのケがあるのかい?」
「あるわけないだろ!!」
サイトは大声で否定し、慌てて口元を抑える。
それをギーシュは苦笑して見ながら、
「まぁ、そうだよね。でもそんなことはありえないと思うんだけど」
「ん……そうだよなぁ」
二人はそう言ってから、今、
「すぅ……すぅ……」
泣きながらサイトに抱きついて離れないで、いつの間にか眠ってしまったルイズを見つめた。
サイトが大声をあげてすぐに口元を抑えたのもこの為だ。
先ほどまでルイズは散々泣きながら喚いていた。
『バカ!! もう起きないかと思ったんだから!!』
と言ってルイズは泣いて抱きつき、ポカポカと頭を軽く叩いてはサイトに甘えるように離れなかった。
サイトは大げさだなぁと思ったが、自分が二日にわたって眠っていたことを聞き、随分と心配をかけたんだと理解した。
「……にしても、君は随分ルイズに気に入られているようだね」
「……そうなのか?」
「君は知らないだろうけど、ルイズは結構とっつきにくい娘だって言われてたんだ、性格はキツイし魔法は使えない、美人で博学だけど誰も寄せ付けない、みたいなイメージだったよ」
「俺はルイズの使い魔だし、そのせいじゃないのか?使い魔は主人の為にいろいろやるんだろ?なんか傍にいるだけで良いって言われた気がするし、使い魔ってそういうもんじゃないのか?」
「まぁ、間違いじゃないんだけどね……確かに僕だって“ヴェルダンデ”が怪我をしたら悲しむし看病もするさ」
ギーシュはそう言い、納得した素振りを見せながらも、行き過ぎを感じてはいた。
だがそれは、きっと相手が人間であるが故のことだと思い、その思考を隅に追いやり、
「“ヴェルダンデ”?」
不思議そうなサイトの質問に答えることにした。
「ああ、僕の使い魔だよ、ほら、この前広場で僕が膝に乗せていただろう?」
サイトは「う~ん」と唸り、ポンと手を叩いて思い出した。
「ああ、あのモグラか」
「モグラって……確かにそうだけど正確にはモグラよりも高位な存在なんだよヴェルダンデは。“ジャイアントモール”なんだから」
「ふぅん」
「いや、ふぅんって……君、絶対理解してないだろう?」
ギーシュはサイトの気のない返事に呆れたように言う。
「だって俺は使い魔とか魔法とか無縁のところから来たんだぜ? そんなこと言われても知らないしリアクションの取り方もわからねぇよ」
「やれやれ……ヴェルダンデの良さがわからないなんて可哀想な男だね、まぁしょうがないんだろうけど……っと、もうこんな時間か、僕はそろそろ失礼するよ」
ギーシュは時計を見て、すくっと立ち上がった。
「え? もう行くのか?」
「僕はもともと君の様子を少し見に来ただけさ、それにこれから女の子との約束もあるんだ」
「あーあーそうですかそうですか、とっとと行けこの色男」
短い会話しか交わしていない二人だったが、決闘の際のこともあってか、既に遠慮のない物言いをするようになっていた。
別にギーシュもそれを咎める事はしない。
しないが、ヴェルダンデへの興味の対応にちょっぴりカチンとくるくらいの狭量ではあった。
「ああ、そうさせてもらうよ、それに君たちの邪魔をしちゃ悪い、それじゃあね」
「な!?」
ギーシュはそう言って部屋を出て行く。
サイトは慌てふためくが、そこには既にギーシュはいない。
ルイズはすぅすぅ寝息を立てながら、しかし決してサイトの腕を放そうとせずにくっついている。
途端に今の自分が恥ずかしくなってきた。
「……どうすんだよ、これ」
ギーシュに言われたせいか急に意識してしまい、サイトは気が気じゃなくなってきた。
「くそう……ギーシュめ」
ギーシュの思惑に気付き、またまんまと乗せられ意識してしまうサイトはそう呟くが、腕に抱きつくルイズは一向に目覚める気配が無い。
泣き疲れたのだろう。
二日間一睡もしないで看病していた疲れもあるのだろう。
だが、一番はやはり“安心”だろう。
目覚めたサイトがそこにいる、それが彼女の張りつめていた緊張の糸を断ち切ったのだ。
「二日も寝ないで看病していたっていうし、起こすのも可哀想だよなぁ」
ルイズの穏やかな顔を見て、流石にサイトも起こすのは憚られた。
だが、かといってこのままでは動くともままならない。
今できることと言えば、ルイズを横にして自分も横になることくらいだ。
「あんまり眠くないんだけど、仕方ないか」
サイトはそうぼやくと、ルイズを抱き上げ、
「って軽いなぁルイズ」
ルイズの軽さに若干驚き、
「すぅ……すぅ……」
小さな口元が開いては閉じるその様を眺めていた。
「……俺、そういやルイズとキス、したんだよなぁ」
初めて会った時のことを思い出して、視線がルイズの小さな唇に釘付けになり、頬が熱くなる。
定期的に開いては閉じるそのピンクの唇は、とても小さく神秘的で。
柔らかかったなぁ、とか考えている思考を、慌てて頭を振ってリセットした。
「やめやめ!! こんなこと考えてたらどうにかなっちまう」
ルイズをベッドに寝かせる。
相変わらずサイトの腕は掴んだまま離さず、しかしすやすやと穏やかだ。
その顔はまるでようやく安心できたというような、晴れ晴れとした表情だった。
「良い表情してんな、こいつ」
そうサイトは笑うと自身も横になる。
何故かルイズの表情を見ていたら眠れる気がしてきた。
「んん……サイト……」
耳元で自身の名を囁かれ、横から流れてくる知らない、しかしいい匂いを感じながらサイトは再び目を閉じた。
***
ムクリ。
影が起きあがる。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
気付けば自身は眠っていたようで、ハッとしてすぐ、安心する。
隣でサイトは眠っていた。
起きあがった影、ルイズはそのサイトを潤んだ瞳で見つめ、心から安堵した。
ようやく目覚めた彼。
今はまた眠っているが、それも明日の朝になれば問題無いだろう。
ありったけの秘薬を取り寄せた。
幸い学院からの援助も出た。
そのかいあってサイトはこうしてここにいる。
「……サイト」
ルイズは小さく名前を呼ぶとベッドから一旦降りた。
自分は未だマントを付け、シャツを着たままだ。
マントを取り外し、シャツを脱いでスカートも脱ぐ。
洗濯籠にそれらを放り込むと、自身のクローゼットから寝間着を取り出して着替えた。
ずいぶんと透けている薄いピンクのネグリジェだが、これはお気に入りなのだ。
着替えを終えたルイズは、テーブルに置いてあった杖を手に取り、部屋のランプに向かって振る。
途端、明かりが失われた。
部屋は、闇夜に浮かぶ双月からの光源のみによって照らされ、ルイズのその小柄な肢体を全ては映さない。
すっと白い肌色が闇に流れる。
「……サイト」
再びベッドに入って横になったルイズは、サイトの腕を引き、それを自身の頭を乗せることで固定する。
ルイズはそのままサイトの体に抱きつくようにして微笑み、すぅっと鼻で息を吸う。
「……サイトの匂い」
サイトの服越しから嗅ぐサイトの匂い。
今度は鼻をサイトの胸にこすりつけるようにして吸い込む。
「……本物の、サイトの匂い」
自然、ルイズの口端が緩む。
何度この匂いを嗅ぎたいと願っただろう。
何度この匂いを嗅ぎたいと泣いただろう。
もしも匂いに固定化をかけられるなら、サイトの匂いをこのベッドに固定化させたいと思う。
「……サイト」
口元の緩みが収まらない。
「……“私の”サイト……」
もっとこの匂いを嗅いでいたい。
「……“私だけの”サイト……」
この匂い嗅いでいるのが自分だけだと思うと胸が高鳴る。
ずっと冷え切っていた心という歯車が、再び稼働を開始する。
彼は眠っている。
だからこれはフライングであり、無効。
いずれ“その時”がくれば改めるつもりではいる。
それでも彼女は、“生前果たせなかった願い”を今、口にした。
「……愛しているわ、サイト」