私の目の前に突如として現れた女の子。
金色の綺麗な髪に、私より少し成長した少女くらいの外見。何より特徴的な…目玉のついた不思議帽子。
尻餅をついて唖然としてる私。そんな私を女の子は楽しげにニコニコと見つめてる。えっと…ど、どうすればええのコレ。
何と声をかけるべきか悩んでいると、私達へと近づく足音が。そして、不思議そうに首を傾げる足音の主…早苗の登場に、私はこれ幸いと言葉を紡ぐ。
「どうしたんですか、レミリアさん。先ほど、レミリアさんの悲鳴が聞こえてきたんですが」
「さ、早苗!きゅ、急に女の子が!空から女の子が!」
「いや、空からは降ってきてないけどね?」
「女の子、ですか?」
私の言葉の要領を得ていないのか、早苗は不思議そうに考える仕草を見せている…って、いやいやいやいや!何を考える必要が!?
いるじゃない!私の目の前に見知らぬ素性の女の子がいるじゃない!この娘のことを言ってるのよ!?
そうやって私が必死に早苗に訴えかけようと口を開こうとしたその刹那だった。女の子が肩を軽く竦めながら、その口を開いたのは。
「無駄だよ。早苗に『だけ』は私の姿が見えないもの」
「…え」
「早苗には私の姿が見えないし、私の声は聞こえない。
例え早苗にどれだけの力があろうと、それだけは変わらないし変えられない。早苗が私の存在を知ることは未来永劫有り得ない」
淡々と言い放つ女の子の言葉を、私は何も言葉を発さないまま受け入れる。
ただ、私の行ったことは何度も何度も早苗と女の子の間で視線を入れ替えただけ。
女の子の言葉の意味は分からなかった。だけど、それが凄く凄く重い言葉であることだけは分かったから。だから、何も言えなくて。
そんな私に、早苗は首を傾げつつも、言葉を紡ぐ。
「先ほど、神奈子様がフランドールさんに本日は泊っていかないかとお誘いしまして。
フランドールさんはレミリアさんが良ければ、という返答でしたので…よろしければレミリアさん、今日はお泊り頂けませんか?」
「あ、うん…えっと、お願いします」
「そうですか!それでは早速神奈子様にお伝えしてきますね!それとお風呂や御夕飯の準備も始めないと!」
そう言って、早苗は私に笑顔で一礼し、嬉しそうに廊下から去って行った。
その後ろ姿を眺めていると、女の子は楽しげに笑いながら私に話しかける。
「早苗、本当に良い娘でしょ?私達の自慢の娘よ。私のような性悪からどうしてあんな娘が生まれたのか不思議なくらい」
「そうね、早苗は本当に良い娘よね…」
…待て。今、この女の子は何て言った。『私のような性悪からどうしてあんな娘が生まれたのか』。今、確かにそう言ったわよね?
えっと…え?どういうこと?このまだ名前も知らない何故か早苗には見えない少女は、言葉通りに意味を取るなら早苗を産んだって
ことで…ちょちょちょちょちょちょちょっと待った!え、産んだの!?早苗を!?この娘が!?どう見ても私とそう歳の変わらなさそうなこの娘が!?
いや待て、落ち着け私。外見と年齢が比例しないのは萃香の件で痛い目にあった筈。この娘はこう見えて、凄い人生経験豊富なのかもしれない。
でも、いや…正直、どうなの?この娘がどれだけ歳を重ねてるとしても、この娘に子供を産ませるってどうなの?何この強烈な犯罪臭。何処の
誰かは知らないけれど、どんな覚悟でこの娘と結婚したのよ。相手の人が見てみたい…そう言えばさっきこの娘『私達の自慢の娘』って言ったわよね。
私達の『達』って誰だ。この神社に他に誰がいる。早苗と、この娘の他に誰が…そんなの一人しかいないじゃない!萃香クラスに男らしい素敵な人がいるじゃない!
…マジか。マジなの。つまり、この娘が早苗の『実の』お母さんだとするならば、早苗の『実の』お父さんは一人しか該当しない訳で。神奈子ェ…貴女はこの娘にとっての光なのね。
いや、人の恋愛にとやかく言うつもりはないけれど…色々と頑張ったのね、この娘。どうしてこの娘が早苗に見えないのか、その理由も
なんとなく分かる。多分、この娘はもうこの世には…若年出産が物凄く危険だってのは私だって知ってる。
でも、この娘は死した後でも早苗を優しく傍で見守ってるんだと思う…凄いと思う。もし、私が同じ立場なら、咲夜の傍ではたして笑ってられるだろうか。
一緒にいたいのに、いられない。一方通行な在り方でも、傍でこんな風に私は…
「…貴女、本当に頑張ったのね。同じ母の立場として心から尊敬するわ」
「え、何?なんで私こんな尊敬の目で見られてるの?」
「やっぱり愛よね…どんなにつらいことが待っていたとしても、神奈子のことを心から愛していたのよね。
許されぬ愛と分かっていながらも、二人は恋に落ち、そして早苗という子宝を…」
「いや、ないから。私が神奈子を愛してるとか絶対にあり得ないから。ていうか無理」
「…えっと、ツンデレ?」
「言ってる意味は良く分からないけど、どうして私が神奈子の子供を産まなきゃならないの。女同士だし、そっちの趣味はないんだけど」
「いや、そう言われると確かに…え、だってさっき早苗は私達の自慢の娘だって…」
「神奈子は早苗の育ての親。私は早苗の生みの親。まあ、厳密には違うけれど、そんな感じだよ。
しかし、お前も随分と面白い思考回路をしてるのね。私と神奈子が夫婦か、そんな風に思われたのは初めてだよ」
「…正直すみませんでした。そうよね!女同士で流石に子供は出来ないわよね!あはは、私ったら…」
「出来るよ?何?やって欲しいの?」
「全力で勘弁して下さいまし!!」
けたけた楽しそうに笑う女の子に全力でノーサンキュー。そういうのは本当に無理なんで絶対に無理なんでマジで無理なんで。
はあ…全部は私の早とちりの勘違いか。生みの親と育ての親、そうよね、普通に考えればそうなるわよね。私の思考回路は
一体どうなってるのか。あれよ、通知表に『もう少し物事を冷静に見る癖をつけましょう』って書かれるレベルよ。
とにかく、この娘に不快な思いをさせずに済んで良かったわ。胸を撫で下ろしてると、女の子の姿はいつの間にか消えていて。
あれ、何処に行ったの?周囲を見回してみると、ある一室の襖が開いていて。そこを覗いてみると、さっきの女の子が畳に座って私を手招いていた。
「廊下で立ち話っていうのも嫌じゃない?ほら、こっちにおいでよ」
「えっと、それじゃお邪魔します…と」
誘われるがままに、私は女の子の正面に腰を下ろす。
おお、畳の感覚が気持ちいい。ここの畳は良い畳ね。紫の家と同じだわ。霊夢のところは畳がときどき痛いのよね。
そんなどうでもいいことに感動していると、目の前の女の子は帽子を脱ぎながら言葉を紡ぐ。
「さて、それじゃ改めて自己紹介といきましょうか。私は諏訪子――洩矢諏訪子。
貴女の名前を教えてくれるかしら、興味の尽きない妖怪さん?」
「あ、これはご丁寧に。私はレミリア、レミリア・スカーレット。妖怪…というか、一応これでも吸血鬼。
妖怪の山の麓の湖…そこにある紅魔館って館の主を務めてるわ。ただ、勘違いをして欲しくないのは私の実力よ!
私は弱い!この幻想郷の誰よりも弱い!一国一城の主だからといって強者だと思われるのは心外だわ!そこだけはしっかり覚えて!」
「あはは、分かってるって。レミリア、レミリアね。うん、良い名前じゃない。
ところでレミリアに訊きたいんだけど――お前、一度死んでるね?」
「は?」
死んでる。はて、死んでるとはどういうことだろう。
死ぬような思いなら何度でも経験してるし、輝夜と一緒に引き籠った時には自分は死んだと勘違いしたけど…え、死んだことなんてないよね?
私は諏訪子の問いにふいふいと首を横に振る。だって私、死んでないもん。伊達にあの世は見てねえぜなんて言えないもん。
そんな私に、諏訪子は『言い直そうか』と言葉を改め、再び口を開く。
「死んだというよりも、リセットされたと言った方がいいね。
お前の身体には驚くほどに穢れが無い。それは私達神にとって非常に好ましく、そして恐ろしい程に厄介だ。ある意味最高の伴侶であり、天敵でもある。
だからこそ、私は興味が尽きないのよね。一体何をすればそれほどまでに『歪』になれる?貴女の身に一体何があったのよ?」
「えっと…いや、本当に何もないんだけど…そりゃ死にかけたことは何度もあるわよ?
フランの狂気を治す為に禁術に手を出したり、フランの狂気によって危うく殺されかけたり…って、おおい!?私フラン関係で
二回も死にかけてるじゃない!?なんというゴキブリ並みの生命力…我がことながら褒めてあげたい気分だわ」
「へえ、なかなかどうして面白い人生を歩んできたみたいじゃない。その話は後で詳しく聞かせて貰いたいわ」
「いいけど…あんまり面白い話じゃないわよ?しかも無駄に長いし…」
「いいのいいの。黄泉路への最期の手土産には丁度良いわ。長話の方が後で思いだして退屈しなさそうで良いしね」
「そう?それなら良いけど…いや、ちょっと待った」
私の制止の声に、諏訪子は何か?と首を傾げる。あ、可愛い…じゃなくて!
今、諏訪子の口から恐ろしく物騒な言葉が出たような気がするんだけど。黄泉路への最期の手土産…いやいやいやいやいやいやいや!
私は恐怖のあまり思わず頭を抱えて全身ガード。そして諏訪子に必死に懇願。
「命だけは許して!私はまだ死にたくないの!私にはまだ結婚とケーキ屋さんという二大巨頭の夢があるの!」
「へ?…ああ、ごめんごめん、説明が悪かったわね。黄泉路へ行くのはレミリアじゃなくて私ね」
「…諏訪子が?え…諏訪子、死んじゃうの?」
「うん、死ぬよ。正確にいうと消える、かな?」
そう笑って告げる諏訪子に、私は次にかける言葉が出てこなくて。
えっと、死ぬって…死ぬことよね。諏訪子がもうすぐ死ぬって…え、何で?出会ったばかりでサヨナラbyebye元気でいてね?
…幽霊なのは私の勘違いだった訳で。諏訪子、どう見ても元気よね。えっと、ジョーク?私そういうブラックな心臓に悪い
冗談はあんまり好きじゃないんだけど…一応、確認の意味を込めて訊ね返してみる。
「…冗談よね?諏訪子、死なないよね?」
「いや、死ぬよ?」
「…なんで?諏訪子はなんで死んでしまうん?」
「それが一番の方法だと神奈子と話し合って決めたからよ。私達の夢の為には、私が死ぬのが一番良いから」
笑顔で語る諏訪子の言葉に、私は段々上手く声を発せなくなってくる。
諏訪子の語る己の死、それが本当のことだとどうしようもなく実感し始めたから。諏訪子の目に一切の迷いが無い。自分の死に少しの疑問も抱いてない。
…いや、駄目でしょ?諏訪子、死んじゃうなんて駄目でしょ?理由は全然知らないけど、諏訪子が…誰かが死んでいいなんてこと、絶対に無い。
とにかく今の私は頭が混乱でいっぱいで。死ぬのを止めろと止めればいいの?何で死にたいなんて言うのと事情を聞けばいいの?何を優先すれば
この訳の分からない状況を抜け出せるのか…頭が思考でパンクしそうな状態の私に、諏訪子はまるでその反応を楽しみながら説明をする。
「私達がこの幻想郷に来た理由は神奈子にさっき聞いたよね?」
「うん…信仰集める為、だよね。そうしないと早苗の身体に良くないのよね」
「よくない…というか、早苗も死んじゃうんだけどね。まあ、そういうこと。
早苗が不幸にも先祖返りなんてモノを起こしちゃったせいで、あの娘は運命を縛られてしまったわ。
私達が消えるのは仕方のないことだとして…あの娘にまで私達の業を背負わせてしまうのはあんまりでしょう?
だから、私達はこの幻想郷へ転移する決断をしたわ。私と神奈子の持つ殆んどの力を消費して。
私達の転移は成功であり失敗だった。その理由は言わずとも分かると思うけれど」
「妖怪の山…よね。ここ、滅茶苦茶強い妖怪達の土地なんだよね」
「そういうことよ。連中は今すぐ出て行けと私達要求する。それは至極当たり前のことよ。
だけど、私達は『はい、分かりました』と頷けない。何故なら私達にはもう一度転移を行うだけの力が残っていないから。
私達に出来ることは、連中に粘り強く交渉する事だけ。ま、その苦労は神奈子が一身に受けてる訳だけど」
そう言って微笑む諏訪子に、死の空気なんて微塵も感じなくて。
疑問が未だ解消しない私に、諏訪子は再度説明を続けていく。
「結局、進展しないのよ。向こうもこちらも一切譲歩する気がないのだから。
話し合いで解決しないなら、あとは実力行使しかないでしょう?この山の連中に力づくでも私達の条件を呑ませないといけない」
「ま、まさか諏訪子、貴女は妖怪の山に喧嘩を…」
「…って、私は考えていたんだけどね。どうやらその方法は駄目みたいなのよね。
この幻想郷で私と神奈子が力を振るえば、それこそ世界の維持に問題が発生するレベルで余波が出ちゃう。
折角転移した地、それも幻想が生きる場所を壊してしまっては何の意味もないじゃない。
そして私達は土地は欲しいけれど、妖怪の山を統率したい訳じゃないわ。信者は欲しいけれど配下は要らないの。
そのことを向こうも知っているから、私達に対しても強気で交渉してくるのよ。ね、厄介でしょう?」
「そ、そうね…というか、諏訪子の口ぶりだと、神奈子と二人なら幻想郷を破壊出来るように聞こえるんだけど…」
「出来るよ?そんな無意味で面倒なことしないけど」
「で、出来るんだ…」
いや、諏訪子マジぱない。何この娘格好良過ぎるでしょ。
幻想郷破壊出来ますとか、そんなの紫でも言えないわよ。いや、言ったら問題発言なんだけど…しかし、諏訪子、貴女は神か何かなの?凄過ぎでしょ。
とりあえず、諏訪子と神奈子は絶対に怒らせては駄目だと心に誓う私に、諏訪子は肩を竦めながら口を開く。
「土地は貰えない。力づくも出来ない。だったらもう、こっちが折れるしかないじゃない。
このまま居座ったままで信仰を集めても、信仰集めがままならないのは分かってる。何より早苗の身が危ないわ。
だから、私達は話し合って決めたのよ。幻想郷内でもう一度だけ、この神社を湖ごと転移させることを」
「でも、さっき諏訪子は転移出来るほどの力が残ってないって…」
「うん、ないよ。無いなら頑張って絞り出すしかないじゃない?
腐っても土着神の頂点、消滅覚悟ならそれくらいは簡単なことよ」
「つ、つまり諏訪子は…」
「ええ――私の命と引き換えに、空間転移を行うわ。全てを神奈子に託して、私は消えるの」
そう言い放つ諏訪子は、どこまでも荘厳さに満ちていて。
さきほどまでと同じ笑いながら告げている。けれど、それはどこまでも神聖で。私如きが触れてはならない領域に思えて。
それはきっと覚悟。それはきっと決意。会って間もない私でも、それは痛い程に強く感じられて。
きっと、私なんかの言葉じゃ諏訪子は止まらない。『死んじゃ駄目だ』『命を大事にして』『死んでほしくない』
…そんな言葉じゃ、諏訪子は絶対に足を止めたりしない。だけど、それでも私は止めたかった。
誰かが誰かの為に死ぬなんて、間違いだと教えられたから。それが誰かを幸せにするだなんて、嘘っぱちだと知っているから。
自分を犠牲にして、悲しむ人がいることを、私は身を持って体験したから――だから私はそれでも口にする。無駄だと分かっていても、それでも。
「諏訪子…死んじゃ駄目よ。諏訪子が死ぬと、神奈子も早苗も悲しむじゃない…そんなの、絶対、駄目」
「神奈子とは話し合って決めたことさ。そして早苗は悲しまないよ」
「どうして!?貴女は早苗の――」
『早苗には私の姿が見えないし、私の声は聞こえない。
例え早苗にどれだけの力があろうと、それだけは変わらないし変えられない。早苗が私の存在を知ることは未来永劫有り得ない』
それは、諏訪子の早苗に対して言い放った言葉。
まるで日常の挨拶を交わすかのように、当然のように言った諏訪子の言葉…それが私の頭に甦る。
その言葉に、今更ながら私は疑問を感じる。何故、早苗に諏訪子の姿は見えないの。生みの親である諏訪子の姿や声を、どうして娘である早苗は感じ取れない。
否、それだけじゃない。早苗は諏訪子の存在すら認識していない。早苗の口から私は諏訪子のことを聞いたことがない。先ほどの会話中でも
早苗は神社には神奈子と自分の二人だけだと言った。それは何故――そんな疑問に、諏訪子は微笑みながら口を開く。
「けじめだよ。遠い遠い遥か昔、より強大な力に膝をついた無様な存在が自分に科した最後のけじめ。
…あの娘は、そういう存在なのよ。差し出さなければ、自分自身を許せなかったから。譲れなかった誇りのなれの果て、それがあの娘」
「…全然、意味が分からないわよ諏訪子」
「分からなくていいの。あの娘に私は必要ない。そもそも私にそんな資格なんてないしね。
あの娘は私なんかの為に悲しむ必要も苦しむ必要もない。あの娘には…早苗には神奈子が傍に居ればそれで十分なのよ」
そう言った諏訪子の顔は、今までの笑顔とは違い、どこまでも儚く見えて。
違うと反論したかった。そんな訳無いと言いたかった。でも、諏訪子と早苗の事情は私が簡単に踏み込んで良い話だとは思えずに。
触れて良いのか駄目なのか…その迷いが、私の行動を遅らせてしまった。
諏訪子は先ほどまでの笑顔に戻り、楽しげに笑いを『作り』ながら私に話しかけるのだ。
「さあさあ、つまらない話はこれで終わり!
それよりもレミリア、お前の話を聞かせてよ。お前がこれまでの生でどんな経験をし、どんなことを為し、どんなものを得たのかを教えて頂戴。
それはとてもとても興味深く、心躍る物語であると私は確信しているからね」
心に生まれた靄を振り払えぬまま、私は諏訪子に話を始める。
良かったのかな。本当に、諏訪子の選択は正解なのかな。
諏訪子が死んで、早苗は何も知らずに…それで、本当にみんなが幸せになれるのかな。そんなの、そんなものは…
~side フランドール~
「――そんなものが、本当の幸せだと言える訳がないでしょう。実に愚かね、八坂神奈子」
神奈子の話を聞き終え、私が口にした第一声がそれだった。
鼻で笑う私の反応を予想していたのか、神奈子は酒を口に運び笑みを零す。
「お前ならそういうだろうと思っていたよ、フランドール」
「神なら何でも知っているとでも?人の心を読み通すのは不作法者のすることよ」
「そうじゃないさ。ただ、お前なら私の話を聞いて憤るだろうと思っていただけだ。
何せフランドール、お前はどうしようもなく心が優し過ぎる」
「…呆れた。私を『優しい』だなんて言う馬鹿は初めて見たわ。優しいのはお姉様、私は家族以外の連中なんてどうでもいい」
「どうでも良いと思っているなら、先程の台詞は出てこないよ。
お前は私達の選択に苛立ち、不快に感じているからこそ怒ってくれたんだろう?」
「――ふん、下らない」
言葉に言葉を重ねてくる神奈子を一瞥し、私は用意された酒を喉に通す。
別に私が神奈子に『そう』言ったのは、別に優しさでも何でもない。ただ、その在り方がムカついたから。
神奈子の奴も、もう一人の神も、私は心からイラつかずにはいられない。
だって、連中は諦めてるから。勝手に諦めて、勝手に選択して、その選択が最上だと勝手に思い込んで。
ああ、心の底からイラつくじゃない。だってその姿は――どこまでも少し前の私そのものなんだもの。
私は酒枡を置き、神奈子を睨みながら、言葉を紡ぐ。こんなことまで言うつもりはなかったのだけど…お姉様のお節介が伝染したのかもね。
「所詮は他人事だもの、お前達がそれで良いと言うならそうすればいいさ。
けどね、神奈子。格好良く諦めること、利口を着飾ることは可能性を殺すわよ?
少なくとも私はそう教えられ、救われた。どんなに格好悪くても、どんなに無様でも未来を信じること…望むことが大切なんだって、私は知ったよ。
お前達がどれだけ凄い存在でどれだけ偉い存在かなんて知らないわ。だけど、手を伸ばすことを諦めたらそこで何もかも終わってしまうわよ」
「フランドール、お前…」
「…貴女に少しでも不格好さを許容する懐があるのなら、もう一度計画を再考する事をお勧めするわ。
雲の上で俯瞰するしか出来ない貴女達には考えにくいかもしれないけどね…泣かせていい娘じゃないでしょ、早苗は」
「…そうだな。私達の勝手な考えで、早苗の心を決めつけていい筈が無い。
まだ時間には幾分かの猶予がある。もう少し良い方法がないか考えてみるのも悪くはないか」
「まあ…お姉様はどうしようもなくお人好しだからね。お姉様に事情を説明すれば、力なんて幾らでも貸してくれるわよ。
私もお姉様がそう決めたのなら、お姉様の力になるだけだしね」
「そうかいそうかい、フランドールも私達に力を貸してくれるのか。これは有難いね」
「あくまでお姉様がそう望むならよ!お姉様がそうしたいって言うなら、私は仕方なく力を貸すだけ…それだけよ!」
そう言い放つ私に、楽しげに笑う神奈子。ああくそ、私らしくもないし、調子も上がらないわね。
紫や幽々子のように腹の奥底で会話をし合うような連中とは相性が良いけど、どうも萃香や神奈子みたいな連中には
自分のペースが崩されてしまう。本当に厄介なことこの上ないわ。
…まあ、私が変わったというのもあるんでしょうけどね。本当、昔の私ならこんなことに口出ししたりしなかったのに。
それもこれも全部お姉様のせいだ。お姉様がどうしようもなく優しいから…だから、私も目指したくなる。
あんな風に、力が無くても誰かの心を、在り方を救える姿に。誰かの為にどこまでも頑張れるお姉様の背中に、私は――まあ、今はお姉様が
無茶しないようにその背中を支えることだけでいっぱいいっぱいなんだけど。本当、お姉様は一度転がり出したら何処に行くか分かんないんだもん。
そんなことを考えながら、肩を竦める私に、神奈子は穏やかな瞳を向けながら口を開く。
「ねえ、フランドール。酒の肴代わりだ、私に話をしてくれないか?」
「話?別段面白い話なんて私は持ち合わせていなけれど。何の話が良いのよ」
「お前さんの歩いてきた道が知りたい。
フランドール・スカーレットが今この時までどのような過去を紡いできたのか…それが純粋に知りたいんだ。
どのような世界にお前が生まれ、何を感じ、何を護り、何を一として世界と向き合っていたのか…それを私に教えて欲しい」
「はあ…お前もよくよく物好きね、神奈子。
私の生涯なんて、所詮血生臭さに彩られた妖怪話に過ぎないというのに」
「だが、その殺生の果てに妖怪は手に入れているじゃないか。何物にも負けない、幸せという名の宝玉を」
「…後でつまらないなんて愚痴を零してみなさい、本気で殺すからね」
そう言葉を一度切り、私は神奈子に話を始める。
それは何処までも泣き虫で臆病な吸血鬼の物語。そして、そんな妹を何処までも優しく守り抜いてくれた世界で一番素敵な吸血鬼の英雄譚――
~side 神奈子~
「実に楽しい時間だったよ。またお前達が遊びに来てくれるのを楽しみにしているよ」
翌日。私と早苗はレミリア達を送り出す為に最後の挨拶を交わしていた。
そんな私の言葉に、フランドールは『お姉様が一緒ならね』と天の邪鬼に笑って返して。
そして、レミリアは…昨日から変わらず『この』表情か。全く…フランドールの言うように、レミリアは優し過ぎるね。
諏訪子の話だと、諏訪子がもうすぐ消えるかもしれないという話を聞いてから、ずっとこの状態か。昨日出会ったばかりの
私達にこんなにも心配してくれるのか。本当、諏訪子の言う通り、これが妖怪だなんて信じ難いねえ。
私はそっとレミリアの頭を撫でながら、言葉を紡ぐ。少しでもこの娘の不安を取り除くことが出来るように。
「神奈子…その、ね…やっぱり私…」
「安心しなよ、レミリア。お前の心配は当分…」
『――神奈子、外にお客さんだよ』
レミリアに言葉を告げようとした刹那、私の脳に諏訪子から連絡が入る。
何時もとは違う諏訪子の空気に、私は少しばかり目を細める。面倒事か…この別れの刹那に邪魔してくれる。
私は軽く息をつき、二人に言葉をかける。
「出発は少しばかり先送りしてくれないか?どうやら外に私への客が来てるらしい」
「客…ねえ。それにしては獣臭い殺気が感じ取れるけれど?」
「そのようだねえ。全く…面倒事は交渉事だけにしてほしいもんだがね」
どうやらフランドールは外の気配に気付いているらしく、笑って私に告げる。
ま、所詮私に向けられた感情だ。この娘達には関係ない。私は早苗に二人をもう少しだけ
世話するように告げ、神社の境内の方へと足を運ぶ。
…さて。進まぬ交渉に苛立ち、力づくでの退去を行使しに来たか。気配からして四匹か。随分と舐められたもんだ。
この程度なら諏訪子の力を借りるまでもない。私は面倒さを感じつつも、連中の前に姿を現す。
…へえ、兵隊だけじゃなくて大天狗まで出てきたか。私は愉悦を零しながら、大天狗に向けて口を開く。
「交渉の続きにしては随分と気分の悪い気配を醸し出してくれるじゃないか。まさかとは思うが、私相手に喧嘩を売りに来たのか?」
「それこそ真逆よ。力を失いつつあるとはいえ、我らが束になったところで、軍神に敵う筈もあるまいて」
「心にもないことを言う。それで、用件は何だ?交渉の続きなら後にして貰いたい。
今は大切な客人を見送りしている最中でね。非常に気分が良いところに水を注されたんだ、気分を害された私のことを慮って貰いたいものだが」
「何、我々は提案に来たのだよ。その内容を聞けば、軍神殿はさぞやお喜びになるような…そのような提案だ」
「へえ…聞こうじゃないか。お前達は私に何を差し出す?その見返りは何だ?」
「差し出すは軍神殿が求めてやまない妖怪の山の土地。
願いさえ聞き届けて貰えれば、お主が占領しているこの一帯の土地を全てを譲渡しよう」
大天狗の言葉に、私は表情に出さずも心で思考する。
あれほど拒んでいた土地を、大天狗は借用どころか譲渡と言った。これほどまでの好条件を提示してきたのは何故だ。
今まで少しも譲ろうとはしなかったのが、まるで人が変わったようにこちらへの好条件を持ってきている。
それはすなわち、こちらに対する要求が強大であるということに他ならない。一体連中は何を要求する。
力か、名声か、従属か。次の一手を思考しながら、私は視線を大天狗に『要求は何だ』と訊ねる。
そして、その視線を受けて、大天狗から紡がれた要求――それをポーカーフェイスで受け入れることは、私には出来なかった。
「その見返りとして我々が要求するのは――レミリア・スカーレット。
今この地に滞在しているスカーレット・デビルを我々に差し出して貰いたい。それが我々の要求だ」
何故なら、妖怪達が要求してきたのは、この件には何の関係もない筈のお姫様だったのだから。