両目を閉じ、私は心を空虚(から)にして不要の全てを排除する。
身に纏う風も、闇を照らす蝋の光も。
必要なのは、身体の奥底から湧きあがる源泉の水(ちから)。
永きに渡る時間の中で、遥か地下深くで育まれ続けた雫の一滴。それだけを抽出する事が私の求める全て。
応えよ。我が身体に散らばる力の欠片達。
応じよ。我が身体に流れる誇り高き妖しの血脈。
一つ、また一つと己が身体に築き上げた力の構成を変貌させ、高みへと登り詰めて行く。
目指すべき高みまで、求める力が放たれるまで数多の時など不要。私の為すべきは遥か遠き地下水を汲み上げるだけに過ぎないのだから。
満たせ。我が身体の全てを。
満たせ。我が求める力の胎動で。
満たせ。満たせ。満たせ。満たせ。満たせ満たせ満たせ満たせ満たせ満たせ満たせ――!!
「――ククッ、待たせたわねパチェ。これが私の本当の姿、全力全開の妖気よ。
今の私は最早ただのレミリアではないわ。さしずめ、『スーパーレミリア』とでも名乗っておきま…」
「楽しそうに語ってるところ悪いんだけど、さっきまでと妖力の大きさは何も変わってないわよレミィ」
「…ですよねー」
分かり切っていたパチェの指摘に私は凹むことすらせずに笑って答えるだけ。
妖力の大きさが変わってないですって?そんなの当たり前じゃない。だって私、妖力を高める方法なんて知らないもん。
いや、昔は知ってたし出来たのよ?信じられないかもしれないけれど、まるで呼吸でもするかのように妖力を上下出来てたのよ?
でも今は無理。絶対無理。だって、私の今の力は昔と比べるのもおこがましいレベルでのヘッポコプーだもの。昔の方法なんて使えないし、そもそも忘れたし。
パチェ風に説明口調で言うなら、昔の私と今の私では同じ身体でも妖力の差が大き過ぎて同じ力の運用なんて絶対に不可能。昔の私が力を
行使する方法が自転車の運転と例えるなら、今の私が力を行使する方法はローラースケートを運転ってくらい違うのよ。
昔と同じ方法で力を行使しようとしても失敗に終わるだけだし負担も馬鹿にならないから使うなって強くパチェに言われてるわ。いや、使わないから。
だから、私がさっきまで心の中で言ってた偉そうな格好良い台詞は全部デタラメ。そもそも私が心を空っぽになんて
出来る訳ないじゃない。空っぽにしろとか言われたら逆に妄想したくなるのが私なのよ。駄目妖怪舐めんなって感じよ。
まあ、自分のヘッポコぶりの話は置いといて。
今、私は大図書館にいる。具体的に言うと、大図書館にいるのは私、パチェ、フランの三人。
最初はフランと二人で部屋でのんびりしてたんだけど、パチェが部屋に来て『調べたいことがあるから』って言われて
二つ返事で図書館に行った訳よ。で、図書館に着くなり『レミィの全妖力を解放してみせて』。何この無茶ぶり。
私の全妖力なんて砂糖小さじ一杯分も無いことくらい、親友のパチェなら嫌になるくらい知ってるでしょうに。鬼なの?鬼は萃香だけじゃなかったの?
唐突な振りに困り果てた若手芸人のように、必死にそのことをパチェに伝えるんだけど『問題無い、行け』とGOサイン。そもそも私
妖気の解放の仕方知らないって言ったら『幽香と戦ったときに出来ただろ。やれ』。あんな奇跡二度と起こせるかボケー!
ぶつぶつとパチェに文句を言うものの、味方だと思ってたフランまでパチェについて『お願いお姉様』なんて言うもんだから、
結局やるしかなくなっちゃって。そりゃ、心の友と書いて心友のパチェと最愛の妹であるフランにお願いされちゃね。
いいわ、見せてあげるわ!私の本当の姿(ちょーよわい)を!私の全力を見て笑うがいいわ!って感じで適当に集中した訳よ。その結果がこれ。
…まあ、少しばかり期待したのは事実よ。最近パチェや美鈴の指導も受けてるし、私もブラックリボン軍を一人で壊滅出来るくらいの戦闘力がなんて
妄想したのは事実よ。テロリストが教室に入ってきてそれを倒して学校のヒーローみたいな妄想してたのは事実よ。人の夢と書いて儚いわね、私妖怪だけどね。
ま、とりあえず求められたことはやったしパチェも満足してくれたでしょ。うん、私は頑張った。ただ、結果がついてこないだけ。ただ、それだけのこと。
「こんな結果で申し訳ないけど、これが私の全力全開よパチェ。満足してくれた?」
「ええ、ありがとうレミィ。協力感謝するわ」
「感謝されるほど何も出来てないけどね!自分の相変わらずのヘッポコぶりに泣きたくなっただけだもんね!
別にいいし!私強くなんてなりたくないし!私空飛べるだけで十分満足だし!泣いてない、泣いてないもんね!」
「ああ、そうそう。とりあえずその右手の槍も貰っていいかしら。こっちも調べる必要ありそうだし」
「へ?右手…って、うおおおい!?いつのまにか私の右手にグングニル(笑)が!?」
パチェの指摘の通り、私の右手に伸縮自在のヘタレ槍(バンジーランス)が。槍のくせにゴムのようにぐにょんぐにょんなっちゃう
私の自慢のヘッポコ槍。妖力を集めろなんて無茶ぶりされて集中してたけど、何時の間にか作ってたのね。
まあ、こんなのでいいんだったら幾らでもあげるんだけど。こんなの欲しいなんてパチェもモノ好きねえ。どんだけ力を込めても玩具みたいに
なっちゃうから、物干し竿代わりにも使えない役立たず槍なのに。この槍の用途なんて人里の子供のチャンバラごっこくらいでしょ。
…あ、それいいかも!子供達、特に男の子はこういうの好きだろうし、あの子達の前で『投影開始』とか言いながらコレ量産したら
喜ばれるかもしれないわ!おおお、燃えてきた!よし、慧音、私が目指すべきは正義の味方ではなく子供の味方よ。
今後の楽しみを妄想しつつ、私はパチェにグングニル(失笑)を渡す。グングニルというか、ぐにょんぐにるよね、これ。
「ゴミになったら私に言ってね。言ってくれたら私が消すから」
「ええ、お願いするわ。これは『レミィが望めば消せる』のね」
「?消せるし、作れるわよ?何なら証拠見せましょうか?ふふん、見るが良いわ私のヘッポコマジックを!」
胸を張って、私はパチンと右手で指を鳴らす。私の意志に世界が応えるように、私の周囲にぼとぼとと大量に落ちてくる
無数のグングニル(嘲笑)達。その数は十本、十五本、二十本と馬鹿みたいに増えていく。見なさい!私の槍がゴミの様よ!(実際にゴミです)
その光景をパチェとフランが目を見開いて眺めてる…あ、やば、調子に乗り過ぎて二人を思いっきり呆れさせちゃった。今自分が
物凄く恥ずかしいことしてるのにようやく気付き、私は慌ててもう一度指を鳴らす。するとあら不思議…でも何でも無く、私の発生させた
ゴミ山は一瞬にして霧散する。さっきまでの光景を無かったことにしてほしい。ああ恥ずかしい。こほんと咳払いをして、私はパチェに言葉を紡ぐ。
「そ、そういう訳でこれくらいは私だって出来るようになってるのよ?
本当にちょこっとだけど妖力戻ってるからね!いくら私が駄目駄目妖怪でも、自分で作ったものくらい後片付け出来るわよ!」
「成程ね…ありがとう、レミィ。重ねて感謝するわ」
「いいのいいの!むしろ感謝してるのは私だしね!こんな私でも、パチェは匙を投げないで面倒見てくれるし!
何の実験だかは知らないけれど、他に私に出来ることがあったら何でも言って頂戴。図書館の掃除とか夜食の用意とかそっちの面なら幾らでもむしろ望むところ…」
「――母様、お客様がお見えになっています」
「へうっ!?って、咲夜何時の間に私の後ろに!?ていうか、客って…あれ、紫?」
「こんにちは、レミリア」
図書館に現れたのは咲夜と紫。紫が図書館になんて珍しいわね、普段なら私の部屋に…ああ、そうか、私の部屋に誰もいないからこっちに来たんだ。
お客様ってことは遊びに来てくれたのかしら。だったらお茶の用意をしないとね。でも、パチェの用は済んでないかもしれないし。咲夜に
用意して貰ってもいいんだけど、折角私を訪ねて来てくれた友達には私自身が御持て成しをしたい訳で。そういう意味も込めて、パチェに
離れても大丈夫かをアイコンタクトで確認。こくりと頷くパチェ。うーん、私達って本当に以心伝心。持つべきものはやっぱり心友ね、パチェ。
ここ数年で沢山の大切なお友達が出来たけど、パチェはそういう友達のカテゴリーとはちょっと違うのよね。何て言うんだろう…私にとって
パチェは友達であり、姉妹みたいなものであり。うん、とりあえず一つ言えるのはこれから先どんなことがあっても私がパチェと離れることは
絶対に無いと言える。ときどき意地悪なときもあるけど、やっぱり私はそんなパチェが大好きだから。
「パチェ、私達ずっと友達よね」
「?いきなり何を言い出すかと思えば。貴女は私の永遠の親友よ、レミィ」
そうよ心から素敵な貴女私のことをよろしく。不思議そうに首を傾げるパチェの手を握り締める私。
とりあえず満足したので、私はパチェから離れて紫に向き直る。目の前で意味不明な行動に出ても、紫は当然のように
動じることも無く優しく微笑むだけ。本当、紫って理解力のある素敵な大人の女性よね。出会ったばかりの頃、ペドフィリア扱いしてごめんね。今も
同性に興味を持ってる疑惑を完全に晴らした訳では無かったりするけど、そういうのは私以外でやってね。
「今日は一人?藍はお仕事?」
「ええ、藍は八雲の後継者として頑張って働いてくれてるわ。
最近、藍の私に対する『早く力を回復させて仕事しろ』という怨嗟の言葉も軽く聞き流せるようになってきたわね」
「九尾の狐、本当に苦労してるわね…同情するわ」
「フランドールは藍の味方なの?悲しいわね」
「貴女と藍なら間違いなく後者に味方するわよ。幻想郷の怠惰な管理人さん」
「フフッ、そんな皮肉も言えるようになったのなら十分快方に向かってると言えるわね。
愛しのお姉様の前でモジモジしてる貴女もいいけれど、以前のように妖しの気品をその身に纏った貴女も素敵よ」
「ありがとう、他の誰でも無い貴女にそう言って貰えるのは光栄だわ。
その視線の位置を少しでも蹴り落とせるよう、今後もレディとして精進していくとしましょう」
互いに言葉を交わし合って笑いあう紫とフラン。な、何かこの二人から変な威圧感を感じるんだけど…ていうか、
こうして見ると紫とフランってちょっと似てるところがある気がするわね。私より紫に似てるフラン…いや、私の中身が
こんなポンコツなんだから、純然たる誇りある吸血鬼として生きざるを得なかったフランが紫により近いのは当たり前なんだけど。
それでも、やっぱりこの娘のお姉様である自分としては、そういうところはさびしかったりする訳で。うーん、私も紫やフランのように
ラスボスチックな空気を身に纏った方がいいのかしら。こう、威圧感というか、プレッシャーというか…
「ククッ――それでは紫、我が領域にお前を招待してやろうではないか。
この私の聖地に足を踏み入れることが出来る幸運を噛み締めて地上への階段を一段ずつ登るがいい」
「ええ、エスコートをお願いしますわ幻想郷最強の吸血鬼さん。
ところで、その貴女の聖地に『これで激モテ!今すぐ彼氏を作る為に必要な五つの必須アイテム』という表紙の本を見つけたのだけど…」
「んにゃあああああああ!!!!!?わ、私の大事なマル秘アイテムが何故ええええ!!?あんなに厳重にベッドの下に隠していたのに!?」
「さて、何故かしら?ああ、先人として忠告させて頂くけれど、貴女に黒のランジェリーはどうかと思うわよ?赤ペンで何重にも丸をつけて
あったけれど、今の貴女のスタイルであれはちょっと…」
「ばかっ!ばかっ!えっち!変態!ゆかりの覗き魔!忘れて!!紫だけじゃなくてみんなも今の話は忘れて!!
私全然そんなの欲しくないからね!?黒のランジェリーって何!?そんなの全然興味無いし!私欲しいなんて言ったこと無いし!」
「…欲しいのね、お姉様」
「…欲しいです。ねえ、パチェ…一日だけでいいからその、身体がぼんきゅっぼんになれる薬とか、その…」
「ないわよ」
即答されて肩を落とす私。そうよね、いくらパチェえもんでもそんな意味不明な薬なんてないわよね…
というか紫、どうして貴女私の秘密を…私が一緒に本屋に来た美鈴の目を必死に掻い潜って購入した一冊の存在をどうして…
萃香やフランをはじめ、多くの人で賑わう私の部屋。そんな部屋が私一人になったチャンスにだけこそこそ読んでいた私の神聖モテモテブックをどうして…
くうう…あの本の存在は絶対に誰にも知らせないつもりだったのに!こうなったら紫とゆっくり話し合う必要がありそうね!親しき仲にも礼儀あり、
紫にはその辺のはうつーわんつーを教え込まないといけないみたいだわ!その辺教えるんで男の人と仲良くなれる方法を私に教えて下さい!
「とりあえず紫は私の部屋!今から紫には説教だから!私ぷんぷんだからね!?」
「ええ、構いませんわ。私も出来る限り貴女に似合う素敵なコーディネートをレクチャーするとしましょう」
「ほ、本当!?ま、まさかあの最強のモテ女である紫直々の授業ですって…
なんということなの…言うなればこれは界王様からの直々の修行も同義。この一日で私の女子力が跳ね上がること間違いなし!
こうしちゃいられないわ。フラン、咲夜、パチェ、貴女達も紫の授業を受けないと!紅魔館の女子力を紫に上げて貰うわよ!」
「…私はいいわ。興味無いから」
「わ、私もパスするわ。この後、もう少しパチュリーに用事があるから」
「私は参加させて頂きます。幻想郷最強の妖怪の講義、為にならない訳がありませんから」
咲夜だけ参加か。ま、仕方ないわよね。パチェもフランもこういうの本当にあんまり興味無いみたいだし。
逆に言うと咲夜が参加したことにびっくり。しかも咲夜ノリノリじゃない。まさか咲夜が女子力に興味を持っていたなんて…いや、
でも咲夜も人間で言うとお年頃だもん。恋の一つや二つ始めても全然おかしくないわ。愛する殿方の為に己を磨く姿、多くを学ぼうとする姿勢、
その気高き姿が如何に美しいかを咲夜も知っているのね。咲夜が女の子としての成長を遂げている…うう、お母さん感激よ!
戦闘もいいけれど、やっぱり一人の母としては咲夜に女の子して欲しい気持ちもある訳で。いいわ咲夜、今日は二人で女子力をどんどん
あげちゃいましょう!そして幻想郷の誰と出会っても恥じないような、素敵な女の子になってみせるのよ!
「善は急げ、行くわよ紫、咲夜!目指せ幻想郷一の大和撫子!乙女よ大志を抱け!夢見て素敵になれ!」
「――ええ、行くとしましょうか」
後ろを振り返ると、紫はフランに小さく何かを耳打ちして私に向き直る。
あれ、何かフランが眉を顰めて難しそうな顔してる。何言われたのかな…あ、表情戻った。私の見間違えかな…
とにかく今は部屋に早く戻りましょう!私と咲夜の将来の為にも、今日は学びに学ばせて貰うわよ、紫!!
~side フランドール~
紫や咲夜と共に、お姉様は図書館を後にする。
その姿を見届け終え、私は大きく息をつく。私と同じ気分なんでしょうね、パチュリーもお姉様から受け取った槍を机の上に
置きながら難しい表情のままに私に言葉を紡ぐ。
「さて…どうするのフランドール。
風見幽香での一件(むちゃ)、その後の妖力の回復…経過を確かめようと、今日は検査を行うだけだったのに」
「…分かってるわよ、パチュリー。薄々とは気付いていたけれど…こう目の前で見せられると、ね」
「気付いていたの?」
「真に何も持ち得ぬならば、どんな奇跡を持ってしても風見幽香へのアレは有り得ないもの。
ただ…ただ、これほどまでに無茶苦茶だとは思ってなかったけれど。本当、お姉様は私の想像なんて相手にすらしてくれないのね」
「それは仕方ないわ。だって貴女のお姉様はそういう存在なんですもの」
「そうね、仕方ないわね。だって貴女の唯一無二の親友はそういう存在なんだものね」
私とパチュリーは先ほどのお姉様の見せてくれた光景を思い出し、呆れて笑うことしか出来なかった。
お姉様がやってみせた神槍(あれ)の大量構成…それは私達にとっては最早言葉にすることすら出来ない程の世界なのだから。
――例えこの身体が十全だとしても、私にはお姉様と同じことなど決して出来ない。
――いいえ、私だけじゃない。パチュリーも、美鈴も、咲夜も不可能よ。お姉様が見せてくれた世界は誰にも届かぬ幻想の一つ。
私の思考に気付いているのか、パチュリーが視線で『お前は出来るのか』と問いかけてくる。その問いかけに、私は無言のまま
お姉様と同じ神槍(もの)を右手に一本生み出す。そして、二本、三本と複製し…そこで終わり。精度のズレに耐えきれず、四本目の
槍は形を為さぬまま世界に散っていった。想像通りの光景に、私は力なく笑ってパチュリーに答えを返す。
「御覧の通りよ、パチュリー。これでも全力でギリギリの調整を試みたんだけど、ね」
「…当然の結果ね。同一の存在を許すほど世界は優しくは無い。風見幽香も根源が異なっているからこそ並んで存在出来る。
同一の存在は世界を排し、近しい存在を世界は別物とみなす。もし、同一と呼べるモノを世界に複数生み出そうとすれば――」
「――恐ろしい程の精度を必要とする調整能力が必須となる。それこそ、構成要素に一塵ほどの差しかない程の…ね」
それは奇跡と呼ぶに相応しい力。
世界が存在を認める程度に異なる、同一のモノを世界に同時に展開するということは、大袈裟でも何でも無くそれほどのこと。
数百年の鍛錬と研鑽を積んできた私ですら為し得ぬ能力。いいえ、例えこれから私が残る生をどれだけ注ぎ込もうとも辿り着けるか
分からぬ領域。その世界に、お姉様は身を置いている。その現実に、私は耐えようもない愉悦を零すしかない。
お姉様。お姉様。お姉様は本当に何処までも私の永遠の英雄(おねえさま)なのね。尊敬なんて言葉では表せない。敬愛なんて言葉では
言いつくせない。胸が焦がれる、どうしようもなく欲しくなる。独占したくなる。愛おしくなる。狂おしくなる。
純粋無垢なお姉様とは鏡映し、強欲な妖怪らしい感情に振り回され笑う私に、パチュリーもまた口元を緩めながら私に問いかける。
「この力、『以前』のレミィには?」
「私の知る限りは持っていなかったわ。お姉様が優れていたのは、その純然たる吸血鬼としての才。
昔のお姉様は他の妖怪を圧倒する程の力と魔力を持ち、その絶対的差を持って対峙する者を叩きのめす王者のみに許された戦い方だった。
だからこそ、アイツはお姉様を最良たる後継者として細心の教育を行っていたわ。
お姉様に吸血鬼として足りなかったのは…役立たずの私に対して、非常に徹しきれなかった優しさだけ。お姉様は妖怪として誰よりも優し過ぎた」
「そうね…だけど、その優しさに貴女は救われた。貴女も、私も…ね」
「ええ…そんなお姉様だったからこそ、私は今もここにいる。お姉様や貴女達と一緒に居ることが出来る」
「…きっとこの力は、そんなレミィの吸血鬼失格である優しさによる力でしょうね。
レミィは長年の間、禁術によって貴女に力を配給し続けた。それも自身には妖怪として生を為す最低限度の妖力だけを残し続けて。
言ってしまえば、レミィはこの数百年もの時間の中の全てを力の調整作業を繰り返し続けたのよ。それも自身の命を左右するギリギリの境界線の中で。
…恐ろしいわね、禁術と呼ばれるだけのことはあるわ。恐らく並大抵の者ならば、その調整に失敗して数年持たずに死を迎えたでしょう」
「だけど…お姉様にはその禁術すらを上回る程の才が許されていた。もしこの件がなければ、必ず歴史に名を残しているであろう程の
吸血鬼…いいえ、妖怪としての才がお姉様を生かした。その才が、お姉様をこの数百年間の見えない研鑽を積みきらせてしまった。
ええ、目の前でアレを見せられては最早否定のしようのない事実よ――お姉様は、妖気の操作能力、その精度が私達とは一線を画している」
自身の妖気限定だけど、お姉様は妖気を誰よりも上手く使いこなすことができるのだろう。
生み出した妖気の構成要素をそれこそ針の穴を通す程の精密な操作によって調整し、自身の武器と為す。それがお姉様の持つ異端の力だ。
でなければ、先ほど私とパチュリーの前で見せた奇跡に対する説明のつきようが無い。あれだけの同一の神槍を展開する為には、世界が
完全なる同一と認めない程の誤差しか構成要素の差が存在しないモノを作り出すしかない。本当に僅かに異なるモノを作ることは、同一のモノを
生み出すこととは比肩出来ない程に難しいことだ。それをお姉様は何の苦労もすることなく冗談半分で生み出してみせた。
そして、お姉様はそれらの槍を触れることも無く一瞬で全てを消した。生み出した槍を消す為には三つの手段がある。一つは外的要因により
破壊されること。もう一つは込められた己が力を霧散させること。通常、生み出した武器を消す時はこのどちらかだ。私が神剣や神槍を
使って戦闘を行ったときは、後者にて消している。けれど、お姉様はそのどちらでもない第三の方法を使っていた。
お姉様が使用した神槍の消し方、それは構成要素の操作だ。お姉様は五十をも超える数の槍の全ての構成要素を同時に操作し、
全ての槍がこの世界に『神槍として同時存在出来ない同一の構成』に変化させ、全ての槍を消してみせたのだ。
その方法、光景がどれだけ信じられないレベルのものであるかなど語るまでもない。零から生み出したものの構成を変えるのではなく、
今既に在るものの構成を変化させることは前者よりも遥かに難しいことだ。通常なら集中して時間をかけてゆっくり構成を変化させていく。
その方法は武器の消失させる方法としては頗る効率が悪い。そして行使を行う者には遥か高みのレベルを要求する。
だからこそ、普通はこのような方法で武器を消すことなどせず、私が普段取っている壊すか力を霧散させるかの方法を用いるのだけれど…本当に笑いしか出てこないじゃない。
「…一度美鈴にも見て貰った方がいいわね。この手のことなら、私達よりも美鈴が詳しいわ」
「そうね…でも本当、お姉様には驚かされてばかりだわ。
もし、お姉様の身体に妖力が満ちていれば…きっとお姉様は、幻想郷でも三本の指に入る存在になっていたでしょうね」
「ええ、そうね。レミィに妖力があれば…ね。この力、本当に惜しくて仕方ないけれど…」
「「…今の妖力の無いお姉様(レミィ)には何の意味もない力なのよね」」
私とパチュリーは互いに残念と息をつく。
そう。この力が本当に意味を為すのは、あくまで行使者に力があってこそ。
今のお姉様は空を飛ぶだけで精一杯の妖力しか身体に無い。故に、生み出した神槍も最低限度の力しか込めることが出来ず、
複数生産されたあれらは外殻だけの張りぼてに過ぎない。どれだけ力の構成要素を弄っても、大元となる力自体が零に近いのでは意味が無い。
勿論、この力が完全に意味を為さないという訳ではない。現にお姉様はこの力を利用し、一匹の大妖怪――風見幽香から勝利をもぎ取ってみせた。
神槍の構成を変化させ、他者に恐ろしく強大なモノに感じさせる程に存在だけを肥大化させ、見事に風見幽香を騙し切った。
そう――言ってしまえば、この力はお姉様にとって『ハッタリを活かす為の有効な武器』でも在る。お姉様が望むなら、零の力を何倍にも
強大に飾り立てることが可能なのだから。まあ…すぐにばれるけどね。そのハッタリを続けられる妖力がお姉様にはないから。
この力が真に生きるのは、お姉様が力を取り戻してから。数百年の未来を持って、この力は意味を為す。
歴史上の誰よりも優れた才を持つお姉様が、誰よりも効率よくその力を運用することで、初めて天蓋の能力となるのだから。
「…この力を今の時点で何とか活かせないか、一度考える必要があるわね。
将来のレミィの為だけにと捨てるにはあまりに惜しい力だわ」
「そうね…美鈴や萃香も交えて話し合いましょうか。後は紫も呼ばないとね」
「…そういえば貴女、先ほど八雲紫に何か耳打ちされてたけど」
「…別に大したことじゃないわ」
私はパチュリーの問いへの答えを返しながら、先ほど紫に耳打ちされた言葉の意味を考える。
『――藍はとても優秀な管理者。これまでの私ほどお姫様(レミリア)寄りの甘い裁定や贔屓、判断は下したりしないわよ?
もし、レミリアを下らぬ騒動に巻き込みたくはないと願うなら、出来る限りの手を今のうちに打っておくことをお勧めするわ』
あの紫は冗談は言うけれど、下らぬ虚言で他者を掻き回すようなことはしない。加えてお姉様の件なら猶更だ。
紫の忠告…それは何者かがお姉様との接触を望み、何かに利用しようとしているということ。
今のお姉様の立場、それを知っていれば軽はずみに近づこうとする者など存在しない筈。それなのにお姉様に近づこうと考える
輩がいるということは、そいつはスカーレット・デビルを恐れもしない余程の身の程知らずの馬鹿か、もしくは――お姉様を『下』にみる程の実力者か、だ。
その予想に私は自身の意志を決める。誰がお姉様に近づこうとしているのかは分からない。今の私達は昔とは違う。もしお姉様が
その者を歓迎し、友とするなら私達も心から迎え入れよう。だけど、もしそれがお姉様を利用し玩ぶだけの行為なのだとしたら――
「――相手が誰であろうと、私がこの手で必ず殺してあげるわよ?」
「…それが神であろうとも?」
「愚問だね、パチュリー。私達にとっての神は一人だけ在ればいい。
この世界を誰よりも優しく照らしてくれる、たった一人の女神さえ在れば…ね」
「八雲紫じゃないけれど、そういう以前のような妖しの血に彩られた貴女も十分に貴女らしいと思うわよ。フランドール」
「女はいつだって二面性を持つ生き物なのよ?知らなかった?」
「…そういう風に妖艶に笑う方法、レミィに教えてあげれば泣いて喜ぶと思うわよ」
パチュリーの冗談を笑い飛ばし、私は図書館を後にしてお姉様の居る部屋へと向かう。
…こんな笑い方、お姉様に必要無いわ。お姉様と共に幸せの道を歩むことが許された私だけど、原初の誓いは今もなおこの胸に在るのだから。
お姉様は何処までも綺麗なままで在り続けて。汚れる役割は全て私が請け負うから。
私達の希望を、何人たりとてその輝きを曇らせはしないわ。
もしお姉様を汚そうと企む、己が身を弁えない輩が存在するのなら――この私の全てを持って、お前をこの世から消し去るだけよ。
蝋の光に灯された暗き一室にて、その存在は息をつく。
その者は尊大にして唯一無二。もし、室内に人間が存在すれば、そのあまりに強大な力に圧倒され、気付けば平身低頭しているだろう。
それほどまでに人間…否、妖怪とも線を画する存在、それが彼女であった。
彼女の溜息が生み出されたとき、室内に声が響き渡る。しかし、それは室内に唯一存在する筈の彼女の声ではない。
姿は見えない。存在も感じ取れない。けれども確かにそこに在る。その声が彼女に語りかけるのだ。
「随分とお疲れみたいね。連中の相手はそんなに面倒?」
「ああ、実に面倒だ。頭も回れば舌も回る。こっちの痛手を知っているから、威圧的にせめることも出来ない。
全く…交渉事なんてのは私は苦手なのよ。明日からは貴女が連中のところに行ってくれない?」
「それは出来ない相談ね。だって、この神社の神はあくまで貴女だもの。
言ってしまえば、勝者の義務ってやつ?私が面白おかしく過ごす為にも、頑張って心をすり減らして来てね」
「言われなくともそうするさ。私達には目的が在る。折角張った大博打、こんなつまらんことで躓き続ける必要はないわ」
「ま、いざとなったら手を貸してあげるよ。私と貴女なら、鬼の居ない山一つなんて軽いでしょう?」
「…その手は本当にどうしようもなくなってから、ね。この狭い世界で不要な敵を作る程馬鹿らしいことはないでしょう?」
「馬鹿らしくはないけれど面白いじゃない。万事は全て神遊び、ってね」
「――諏訪子」
「――冗談よ、神奈子。それじゃ、私は戻るから」
諏訪子。そう呼ばれた人物の声が聞こえなくなり、室内には再び静寂が満ちる。
そして残された女性――神奈子と呼ばれた者は、軽く瞳を閉じ、言葉を紡ぐ。
「…そう言えば、早苗が面白い話をしていたわね。
あの娘に出来た初めての友達が他者に害を為さぬ妖怪…か。さて、こっちの見極めも大切な私の仕事ね。
出来れば連中との交渉が終わって落ち着いてから、そう考えていたのだけれど」
もし、何の裏も無く早苗と交友を結んでいるだけならばそれでいい。この世界に来て初めて私以外の異質な存在を知ったあの娘にとって
他種族との交友は何事にも代えがたい経験となるだろう。
けれど、もし何も知らぬ早苗を利用しようという下種な妖怪だったなら――
「――この私が一切の慈悲なく消し去ってあげるだけだわ。顕界にも冥界にも一毛の存在すら許さぬ程の罰を与えてね」
そう告げて笑う彼女の姿――それは例えるなら軍神。
僅かな光のみが存在を許された部屋にて、彼女は笑う。それは何処までも強き者がみせる猛き狩人の笑みだった。