昼前の人里。ここ二日同様、人間達の活気賑わうこの場所…の、外れに位置する人の気配の乏しい裏通り。
その中にある小さな友人が営んでいる小さな小さなパン屋さん。その場所に文は大量の新聞を持って悠然と舞い降りる。
そこには、最近できた文の友人であるリアが、文の登場に喜び手をぶんぶんと振って挨拶を行ってくれている。
そんな微笑ましい姿に、文は笑みを零しながら、彼女の方へと近づいていく。そして、声が届く距離に近づき互いに挨拶を済ませる。
「こんにちは、リア。今日も良い天気ね」
「こんにちは、文。新聞本当に持ってきてくれたのね!」
挨拶と同時に、文の手に持つ大量の新聞に目をつけ、瞳を輝かせるリア。
その反応を待ってましたとばかりに、文は自慢げに両手で持つ新聞の束をリアの隣に置き、胸を張って語り始める。
「貴女の注文通り、『文々。新聞』のバックナンバーを持ってきてあげたわよ。
一応、余ってる分を手当たり次第持ってきたから、どのくらい前の号かは分からないけれど…多分、ここ数年分はあるんじゃないかしら」
「本当に!?やった!ありがとう文、本当に大好き!」
「あはは、私は別にちんまい女の子に告白される趣味なんてないんだけどね。ま、感想はまた読み終わった後で聞かせてよ」
「?文、何処かに行くの?」
新聞を一部取り、広げつつも首を小動物さながら小さく傾けるリアに、文もまたリアが並べて販売している
余りのパンを二つ拾いながら言葉を返す。勿論、商品を拾う際に代金を置くのも忘れない。
「ん。今日は取材にちょっと人里を出る予定。だから今日は一緒にいられないかな」
「残念…今日は幽香も用があるってすぐ帰っちゃったし、つまんないわね」
「だから代わりに新聞沢山持ってきてあげたじゃない。…というか、アイツやっぱり来てたのね。
パンが残り二個しかない時点でなんとなく予想はついてたけど…」
「うん。ちょうど文と入れ替わりで帰ったわよ。一時間くらいお話してたんだけど」
「一時間って…アイツと一時間も会話するリアを心から尊敬するわ。一体どんな話題があるのよ、あんなのと」
「色々話すわよ。今日は怖いものに関してとか一緒にお話ししたし」
「怖いもの?アイツが?あの『世界の頂点は私。敵は全て下郎』なんて言いそうな風見幽香が?
…いや、ごめんけど全く想像が出来ないわ。アイツに怖いものなんてあるの?」
「うん。怖いもの知らずの巫女と魔法使いが怖いって笑ってた。
じゃあ私が巫女服着てみようかって言ったら、怖過ぎて笑い死にしちゃうかもって」
「…リア、貴女普通に遊ばれてるだけだと思う」
何を意図しての発言かは理解出来ないが、とりあえず風見幽香が微塵も怖がっていないことくらい、文には簡単に想像がついた。
どうせお人好しで疑うことをしらないリア相手に、適当な法螺を吹きこんで遊んでだだけに違いない。昨日接した彼女の
在り方を考えると、その結論に落ち着いてしまう。まあ、実際その通りなのだろうけれどと文は深く考えることを止める。
巫女が怖いなどと言っておきながら、あの妖怪のことだ。博麗の巫女が自分を退治しに来たら、嗜虐を遺憾なく発揮して返り討ちにするだろう。
勿論、それは実力勝負のときであって、ただの弾幕勝負だと適当にあしらって終わり…で、済ませるかもしれないが。そんなことを考えながら、
文は風見幽香の話題を投げ捨て、リアに再び言葉を紡ぐ。
「そういう訳で、私はもう行くから。私のいない間もしっかり商売に励むのよ」
「文が残りのパン二個買ってくれたから、商品は全部売り切れよ。私のお店も今日は店仕舞い」
「あやや、それは残念。取材が終わった後でまた来ようと思ってたんだけど」
「…ホント?本当に文は戻ってきてくれるの?嘘じゃない?」
「いや、そんな風に目を輝かされると、絶対嘘なんて言えない訳で。でも、今日は店仕舞いなんでしょ?」
「新しいパン作って持ってくる!お店で新聞読みながら文を待ってる!」
「…まあ、それでリアがいいならいいけど。それにしても、本当に小動物みたいな娘ね。ええい、愛い奴愛い奴」
「こ、こらっ!頭撫でないで!一人前のレディーになんてことすんのよ!?」
「はいはい、もう少し出るとこ出たらレディとして認めてあげる」
「せ、セクハラ反対っ!」
がーっと吠えるリアに、文はスキンシップを終えて、それではまた後でと人里から飛び去り後にする。
目指す地は二日前と同じく博麗神社、目指す人はアリス・マーガトロイド。博麗の巫女の不在を祈りながら、文は取材の為に
幻想郷の大空を一人翔けていった。黒き両翼を広げ、太陽の光を背に受けて。
冥界へと続く長き階段を霊夢は真っ直ぐに翔けていく。
無論、彼女はこの果てしなく続く階段を一段一段踏みしめて昇り詰めている訳ではない。
そんな手順を踏んでしまえば、彼女が目的とする人物達との接触前に体力が完全に底をついてしまう。
今の彼女にはそんな無駄な体力を一ミリたりとて消費させる訳にはいかないのだ。
霊夢の仮定の一つである、彼女達が――冥界に棲まう友人、魂魄妖夢とその主が今回の異変の元凶であるのならば。
そのときは間違いなくこの冥界が霊夢と彼女達の戦場と化すのは間違いない。妖夢の実力は当然のこと、春雪異変のときに
少しだけコトを構えた幽々子の実力も霊夢は嫌という程に理解している。だからこそ、霊夢は脇目も振らず真っ直ぐに彼女達の箱庭を目指して
ただ翔け続けているのだ。心を静して、心を制す。友人としての博麗霊夢ではなく、博麗の巫女としての博麗霊夢を楔つける。
そうすれば、この先何が起ころうと、決して己の芯だけはぶれないだろうから。それが彼女の、博麗霊夢の現在の心の在り方だった。
ただ静かに。一心を貫き、霊夢は翔け続ける速度を落して制止し、階段上空を睨みつける。
霊夢同様、その場に佇み霊夢をじっと見つめる友人――魂魄妖夢を。
「…二ヶ月ぶり、かな。霊夢と次に会うのは貴女の神社でだと思っていたけど」
「予想は何時だって裏切られるものよ。世の中には自分の思い通りになるものなんて数える程しかない。
本当にムカつく世の中だとは思わない?どいつもこいつも自分勝手、人を振り回してばかり。正直頭にきて仕方が無いの」
「その台詞、霊夢が人に言えるものじゃないと私は思うけど」
「私はいいの。私が他人を振り回すのは自由、でも他人が私を振り回すのだけは勘弁ならないわ」
「…本当、霊夢らしい。それじゃ今日の用件は」
「人の都合も考えず、勝手な行動をして幻想郷(わたし)を振り回すどこぞの馬鹿をぶん殴りに来たの」
少しも恥じることなく、胸を張って告げる霊夢に妖夢は呆れるように溜息一つ。
柔らかくなりそうな空気だが、妖夢の次なる行動に霊夢もまた身体を少しばかり強張らせることになる。妖夢が腰に納めていた
二刀を引き抜き、戦闘姿勢を霊夢に対して構えてみせた為だ。それに呼応するように、霊夢もまた体内の巫力を戦闘時のものへと循環させていく。
張り詰める空気の中で、沈黙だけが二人を包む。数秒の静寂の後、やがて妖夢がゆっくりと言葉を紡ぐ。
「今日の用件は魂魄妖夢の友人ではなく、博麗の巫女としてのモノ。
そして用件の内容は現在幻想郷内で生じている異変に関すること。そう考えても?」
「その通りよ。幻想郷中の花が咲き乱れてる異変…でも、今回の問題は『そこ』じゃない。重要なのはそんなものじゃない。
幻想郷には咲き乱れる花の他にも溢れてるものがあった。そして『それ』を管理するのはアンタ達の役目」
「…成程、納得したよ。確かに幽霊管理は我が主、幽々子様のお役目。霊夢が疑うのも理解出来る。
でも私が今の貴女を幽々子様のもとへ通すと思う?もし仮に幽々子様が異変の元凶ならば、私は何を賭しても貴女を止めるのは当然。
そして幽々子様が犯人で無いと私が口で言っても、霊夢は納得しないでしょ?」
「無理ね。西行寺幽々子が貴女に事情を話さず行動を為してる可能性だってあるもの。全ての判断は幽々子の奴に会ってから」
「今の霊夢が幽々子様に危害を為さないと断言出来ない以上…通さないわ、博麗霊夢」
「貴女の許可なんて最初から求めてないわよ…私はね、こんな異変に長々と時間を取られてる暇なんてないのよ。
早く異変を終わらせて、厄介事は全部紫に奴に押し付けて、そして『あの馬鹿』を私直々に見つけ出してやるの。
私の前に引っ張り出して、涙目のアイツにきっちり事情説明と謝罪を要求する。そして、一発思いっきりぶん殴って一応許してやる。
私は博麗の巫女としての自分も一人の人間としての自分も全部きっちり優先させる。…だから押し通すわよ、魂魄妖夢」
刀と術符を構え合い、互いに距離を取り合いながら一触即発の雰囲気を醸す二人。
近接では妖夢に、遠離では霊夢に分がある為、どちらが強者とは断言出来ないが、二人とも相応の実力者。ごっこ遊びにしろ
真っ向勝負にしろ、ぶつかれば長期戦は間違いないだろう。それだけの実力が、今の二人には備わっている。
互いの力量を理解し認め合っている二人だからこそ、簡単に勝負は終わらない。故に二人は最初の一手を重要視する。
如何にファーストコンタクトで相手より優位に立つか。ただそれだけを考え、二人は相対し続ける。
やがて、対峙して数秒が経ち、先に動いたのは妖夢だった。大業に両手の二刀を天に突き刺し、視線をそちらにむけて咆哮。
「あー!!あんなところにレミリアさんがー!」
「は!?え、ちょ、嘘!?…っおぷっ!!?」
実力伯仲していた二人ではあるが、予想に反して勝負は一瞬にして決まることになる。
妖夢の言葉に反応してしまい、顔を上に向けてしまった霊夢の顔に真っ白な柔らかい何かが物凄い速度で押し当てられたのだ。
まるで柔軟性に富む枕を押し当てられたような感覚に、一体何が起こったのか理解できず、慌てて顔から何かを引き剥がそうとした霊夢だが
時既に遅く。顔に張り付いた異物を取り除いだ刹那、霊夢の鼻先に何時の間に接近したのか、妖夢が笑顔で佇み、
その手に握られた刀の切っ先が向けられていた。そして妖夢は先ほどまでの張り詰めた空気が嘘だったかのように、柔らかな声で霊夢に告げる。
「はい、チェックメイト。お気の毒ですが、霊夢の冒険はここで終わり…だね」
「…ちょっと、妖夢」
「どう、驚いた?これが新しい私の技、『半霊飛ばし』。以前、魔理沙が提案してくれた意見を参考にしてみたんだけど」
「…アホね。アンタ、やっぱり完全にアホなのね。
確かに驚いたは驚いたけど…こんなの、ただ奇を衒っただけじゃない。しかも、こっち攻撃されたらどうすんのよ。こんな風にっ」
「ひゃんっ!?」
顔に張り付いていた白い物体――妖夢の半霊に、霊夢は容赦なくペシンと平手を打ちつける。
直接打たれた訳ではないが、感覚は共有しているのか、妖夢はびくんと身体をのけぞらせて反応し、その姿に霊夢は大きく溜息をつく。
そして、内心では別の意味で大きな息をついた。それは安堵の息で…友人が、今回の異変には『無関係』だと理解出来た為だ。
刀をしまう妖夢に、霊夢は呆れるような表情を浮かべながらも、ぶっきらぼうに声をかける。それは久々の再会の喜びを隠す為。
「ま、とにかく久しぶりね、妖夢。相変わらずで安心したわ。あと魔理沙に学ぶのは極力控えなさい、馬鹿が伝染るから」
「あはは…善処はするよ、うん。それは置いておいて…改めて久しぶりだね、霊夢。私は相変わらずなんて霊夢を表現出来ないけど」
「?どういう意味よ」
「言葉通りだよ。霊夢、私と最後に別れた二ヶ月前と比べて、凄く『霊夢らしさ』が戻ってる。
…本当に、安心した。あのときの霊夢は、レミリアさんのことでいっぱいで、こんな風に私の言葉に反応することすら覚束なかったんだから」
「…私、そんな状態だった?」
「そんな状態だったの!でもまあ…今はレミリアさんに対して文句も言えるようになってるから、大丈夫かな」
「…妖夢」
「何?」
ちょいちょいと近づくように指で指示する霊夢に、言われるがままに従う妖夢。
ムスッとしてる霊夢との距離を近づけていく妖夢だが、突如彼女の首周りに霊夢の腕が回され、何が起こったか悟る間も
与えられず極め技をかけられる。ギリギリと妖夢の首を腕で締め付け、ヘッドロックと表現出来そうな状態で霊夢は妖夢に口を開く。
「アンタ、さっきから何よその上から目線は!普通にムカつくわね!妖夢は妖夢らしくし続けときなさいよ!」
「い、意味が分かんないから!妖夢らしくって何!?」
「前からずっと思ってたんだけど、アンタ日増しに魔理沙の馬鹿に似てきてんのよマジで!仲良いからって何毒されてきてるのよ!」
「そ、そんなこと言われても…あ、でも霊夢も咲夜に似てあ痛たたたたたたた!!!!」
「言い忘れてた。レミリアぶん殴るのは一発で済ませてあげるけれど、咲夜の馬鹿は七割殺ししないと収まらないわ。あの馬鹿、絶対殺す」
「死ぬから!咲夜の前に私が死ぬから!残り半分まで幽霊になっちゃう!」
「って、だから私はアンタと遊んでる場合じゃないのよ!異変解決しないといけないんだから、何か知ってたらさっさと吐きなさい!」
「え!?そこで私が怒られるの!?私の首絞めて一人勝手に遊んでたの霊夢なのに!?」
けほっと小さく咽ながら、妖夢は友人の理不尽さを懐かしみながらも言葉を律儀に返していたりする。
霊夢の拘束から解き放たれ、少しばかり乱れた衣服を整え直して、妖夢は彼女に向き直る。先ほどまでのお遊びの空気をおいて、
西行寺幽々子の庭師としての姿で霊夢に言葉を紡ぐ。
「今回の幻想郷に生じている花の異変、それは先も言ったように私達も当然知ってるよ。
霊夢の言う通り、今回の異変に幽霊が絡んでることも理解してる。そのことを逸早く知ったのは、他ならぬ幽々子様だったから」
「幽々子が?…その言い草だと、まるで自分達も異変を解決しようとしてる側みたいじゃない」
「だから犯人じゃないってば…とにかく、幽々子様は幻想郷に生じた幽霊の存在に気付き、私を白玉楼に呼び戻した。それが二ヶ月前のこと」
「それは変じゃない?幽霊が溢れかえったのは、花が咲き乱れる異変が起こった後のことでしょう?
妖夢が博麗神社に来なくなったのは、まだ完全に真冬で、幽霊どころか花も咲いてなかったじゃない」
花が咲き、そして幽霊が溢れかえった。その霊夢の当然なる説に、妖夢が『それは』と説明を続けようとしたその時だった。
首を傾げる霊夢に対し、妖夢ではない第三者からその答えが授けられる。無論、この場に現れる人物など彼女をおいて他に存在しないのだが。
「――真逆。花が咲き、霊が戯れるに非ず。霊の迷いこそ、幻想郷の花々を狂い咲き乱れさせているのよ。
道を失いし魂魄達の逃げゆく先は、開花を待つ草木の蕾。今の彼等には、そこにしか自身の存在場所がないの」
「幽々子様!?いつからそこに」
「…でたわね、紫二号機。神出鬼没な登場と回りくどい説明したがるのは大妖怪の証なのかしらね」
「あら、私は妖怪ではないのだけれど」
「亡霊も妖怪も似たようなもんよ。それで、勿論説明を続けて貰えるんでしょうね」
「説明とは?」
「今回の異変で知ってること全部と『西行寺幽々子が異変の元凶ではない証明』よ」
妖夢達の前に現れた女性――西行寺幽々子は霊夢の毒にも気にすることもなく、たおやかに微笑むだけ。
そんな彼女の態度に霊夢は少しばかり苛立つものの、嘘のつけない妖夢の様子からみて、『白玉楼が異変の元凶』という
説は既に白紙に返してしまっている。なんだかんだ言いながら、霊夢の求める情報は唯一つ。人間である自分では
掴めなかった、亡霊である幽々子の知っている異変に関する情報なのだ。そんな霊夢の心を知ってか、幽々子は微笑んで説明を続ける。
「異変について知っていること、それ自体は貴女と然程変わらないわ。
今回の異変は花と霊の戯れ事。花が霊に使われているか、はたまた霊が花に利用されているのか…そこまでは分からないけれど」
「花と霊、この二つにはやっぱり関係があるのね?」
「然り。居場所を失った霊の拠り所は開花を待つ花にのみ存在するの。
彷徨う無縁の霊が花に逃げ、その結果が現在の幻想郷。咲き乱れる花々、その全てに霊が宿ってしまっている」
「害は?この異変を放置し続けるとどんな悪害が引き起こされる?」
「何もないわ。萃香の引き起こした異変、それに近いものと考えてくれていいわね。
この異変は恐らく祭りを起こしたいのよ。幻想郷中を花で飾り、整えたステージの上で喜劇を紡ぐ。言わば今は下地作りかしら」
「…その口ぶりだと、犯人を知ってるみたいじゃない」
「是であり非である。私は犯人を知っているし、けれど犯人を知らない。
前者だけなら私は妖夢を呼び戻すことはしなかった…だけど、後者は何が起こるか分からない。だから私は妖夢を呼び戻した。
異形の魂魄にも我らが対応する為に、その在り方を理解し、迷える彼等を使役出来るように」
「…アンタね、頼むから幻想郷共通言語で話してくれる?そういう話し方は紫だけで十分間に合ってるんだけど」
「あら、それは残念。率直に言うと、今回の異変の原因は二つ在る。そのうちの一つは博麗の巫女が関わるものではないの。
だけど残る一つ…これは貴女の仕事に入る。だから、頑張って異変を追い続けなさいというお話」
「だー!!散々引っ張るだけ引っ張ってそれだけなの!?誰が怪しいとか心当たりとかないの!?」
「それを探るのが貴女のお仕事でしょう?幻想郷内に散りばめられたヒントをつなぎ合わせ、謎を解き明かすことが」
「博麗の巫女の仕事は探偵じゃない!!」
言葉を激しく交わし合う(むしろ霊夢が一方的にだが)二人に、いつ間に入ろうかとオロオロする妖夢。
仲裁に入るのはいいが、この場合絶対とばっちりが自身に来てしまうこと、それが問題なのだ。不機嫌な霊夢に
言葉をぶつけられるのも、楽しそうに微笑んでる幽々子に遊ばれるのも、どっちにしろ妖夢は御免被りたい事態だ。
だから現在は静観に徹しているのだが、内心で妖夢は思う。幽々子様、お願いだから霊夢で遊ばないで下さい…と。
そんな妖夢の願いが通じたのか、幽々子は少しばかり考える仕草を見せた後、スッと手に持つ扇子を広げて言葉を紡ぐ。
「――彼岸。貴女が異変に終焉を打ちたいのなら、そこに向かいなさい。
きっとその先に、貴女の求める答えを懇切丁寧に語って下さる方がいる筈だから」
「彼岸?彼岸って、あの死んだら渡る三途の川の、あの彼岸?」
「そう。再思の道を往き、無縁の塚を越え、彼岸の果てに存在する者。その人物こそ、今回の異変に最も関与するお方」
「…その口ぶりだと、アンタより偉い奴なの?」
「偉い…フフッ、そうね、とても上の立場の方よ。紫なんて天敵扱いして、あの方から逃げ回ってるくらいだもの。
冥界はやがて来る分かれ道を待つだけの場所。私はその管理人。だから、裁きを終える前の幽霊に関しては、
本来は私ではなくあの方達の管轄なの。だから貴女が今日のように誰かを問い詰めたいのなら、迷わず彼岸を目指しなさいな」
「紫が天敵扱いして、アンタにそれだけのことを言わせる奴って…何、相手は龍神か何かな訳?」
「さあ?それは直接確かめてみないとね。鬼が出るか蛇が出るか、はたまた異変の元凶が飛び出してくれるかもしれないわよ?」
「…いいわ。アンタのその意見をとりあえず採用してあげる。もし、何も無かったら、アンタが異変の元凶って可能性を復活させるからね」
話は終わったとばかりに、霊夢は幽々子から顔を背け、視線を自分が先ほどまで辿ってきた階下の方へと向ける。
次なる目的地、それは魔法の森の先にある彼岸の地。幽々子がいうには、その場所に存在する誰かがこの異変の鍵を握るらしい。
彼女の話しぶりからして、霊夢に語った内容がただのデタラメなどではないことくらい、霊夢は理解している。何だかんだと言いながら、
霊夢は紫や幽々子の『そういう点』だけは信頼していた。語りたがりである彼女達格上の存在の話す情報、その言葉一句一句に誇りが賭されて
いることに対して。故に幽々子の語る通り、彼岸には何かがあるのだろう。ならば霊夢のとるべき行動は唯一つ、踏み込んでみるだけ。
覚悟を決めて、冥界から去ろうとする霊夢に、今まで言葉を閉ざしていた妖夢は意を決して最後に声をかける。
「霊夢。レミリアさんも咲夜も…きっと、きっと何か事情があるんだと思う。私達の前に出てこられないような、何か特別な事情が」
「…それで?」
「霊夢が辛いように、きっとレミリアさんも咲夜も辛い思いをしてるんだと思う。
レミリアさんも咲夜も霊夢のこと大好きだから…その二人が今なお会いに来られないのは、絶対に何か止むを得ぬ事情があるんだと思う」
…だから。そう一度言葉を切って、妖夢は霊夢に想いを告げる。
尊敬する英雄(レミリア)に、心を許す友人(咲夜)に対する自分の心を。消えた二人を想う霊夢に、自分の望みを。
「――この異変が解決したら、またみんなでレミリアさん達を探しに行こう。
絶対に見つけ出して、霊夢が怒って私達が宥めて…そしてまた、いつもの日常に戻ろう。騒がしくも温かい、いつもの博麗神社に…また」
妖夢の願い。妖夢の想い。彼女の紡ぐ言葉に、霊夢は背中を向けたまま反応しない。
時間にして数秒。少し間をおき、霊夢は大袈裟に肩を竦め、大きく息をついて妖夢に振り返る。そして徐に口を開いた。
「あったり前でしょう。最初に言ったけど、アイツ等は絶対連れ戻して一発ぶん殴ること決定なんだから。
妖夢、アンタもしっかり準備しときなさいよ。アイツ等を連れ戻したら、全額レミリア達負担で大きな飲み会開くんだからね!」
胸を張って、本心から笑って。そうキッパリ言い放つ霊夢に、妖夢もまた笑って力強く頷いてみせる。
博麗霊夢、その姿を取り戻した彼女に妖夢は心から安堵をする。もう大丈夫、霊夢はいつもの霊夢だと。彼女特有の、誰にも負けない
唯我独尊天衣無縫な強さを持つ自分達のリーダー、博麗霊夢なのだと。
彼女の姿を取り戻せたのは、きっとアリスと魔理沙が傍に居続けてくれたからなのだろう。そのことに、妖夢は言葉にせず心の中で
二人に感謝する。霊夢を陰ながら支えてくれた二人に、心からの感謝を。けれど、妖夢は知らない。霊夢が本来の姿を取り戻す為の
最後の強烈な一押しをしてくれたのは、他ならぬ自分自身だということに。だから、今はいないアリスと魔理沙がこの
姿を見れば、妖夢同様の行動を取るだろう。最後に霊夢を支えてくれた妖夢に、心からの感謝を。
冥界から去っていった霊夢の背中を見つめ続ける妖夢に、幽々子は楽しげに言葉を紡ぐ。
「良い友人を持ったわね、妖夢」
「ええ、本当に…霊夢は私の大切な友人ですから」
「フフッ、そういう意味で言ったのでは無いのだけれど…互いに支えあうことこそ、真なる友人なのかしらね。
本当、レミリアには感謝してもしきれないわ。あの娘が貴女の運命を変えていく。彼女との出会いが、貴女を劇的に成長させていく」
「…レミリアさん、本当に何処に消えたんでしょうか。レミリアさんだけではなく、咲夜も美鈴さんも…」
「彼女達が表舞台に現れるには時期尚早ということよ。誰が仕込んだのかは知らないけれど、見知らぬ誰かさんの
描く喜劇の台本に未だ彼女達の出番は描かれていない、ただそれだけのこと。けれど、舞台が揃い終えた後、そのときは…」
言葉を切り、幽々子は笑みを浮かべたままに小さく首を振る。
手に持つ扇子をそっと閉じ、幽々子は再びゆっくりと口を開いて妖夢に言葉をかける。
「…さあ、訓練に戻りましょうか。私も妖夢もまだ未熟、異なる霊を意のままに手繰るに到らないのだから」
「は、はいっ!…あの、幽々子様。幻想郷に溢れる霊に関して、異なる霊のことを霊夢に話しておられなかったのは…」
「あの娘に与える情報でもないわ。こちらは前にも言った通り、私達の管轄だもの。
紫の言っていた、『もしも』の事態に陥ったとき、彼等を制するのは霊夢ではなく我等の役目なのだから。
さ、頑張りましょうね妖夢。一に鍛錬二に鍛錬、日々研鑽を積むことの大切さは貴女の知る通りだわ」
泰然自若、どんなときでも動じぬ冥界の亡霊姫は、笑みを浮かべたままに歩みを白玉楼の方へと向けた。
妖夢は小さく首を傾げるものの、主の決定に従い彼女の後ろを歩いていく。一度だけ、もう姿の見えなくなった友人の
消えた方向に視線を送り、小声で一言『頑張れ、霊夢』とエールを送りながら。
「あら、また来たのね。今日は新聞記者として?私の友人として?」
「どうもこんにちは。今日は新聞記者としてお邪魔させて貰いました。あ、文々。新聞の定期購読について考え直して下さいました?」
「考え直したわ。やっぱり不要だって結論が出たけれど」
「あやや…うう、諦めませんよ。ジャーナリズム、人の知ろうとする欲望は無限大なんですから」
お昼を過ぎた博麗神社。その地にて文はアリスと再会を果たしたものの、軽いジャブを向こうから打たれてしまう。
そんな軽口のやり取りをしていた文だが、ふとアリスの他にもう一人存在していることに気づく。だが、その人物は
博麗の巫女では無かったので気にしないことにする。加えて言えば、むしろ取材対象の一人なので好都合であったりする。
そのアリス以外の人物に対し、文はニコニコと笑みを浮かべて言葉を投げかける。
「どうも、お久しぶりです魔理沙さん。なんとなく予想はついてましたが、やはりアリスさんとお知り合いでしたか」
「二日ぶりだな、新聞屋。お前がアリスと接触してたことは二日前に聞いてるぜ。なんとも足の速い天狗だ事で」
「新聞屋ではありません、私はブンヤです。そこを間違えられては困ります」
「いや、どっちも一緒…いや、なんでもない。それより取材に来たんだろ?また異変の話か?」
「それともレミリアに関する話かしら?話がどちらかで、私達の対応は異なってくるけれど」
「うーん、そう先に前置きされてしまうと大変言い難いのですが、後者に関してです。レミリア・スカーレットに関して、お話を伺えればなと」
文のお願いに、アリスと魔理沙も沈黙を貫く。予想通りの状況に、文は彼女たちの口を緩める為に言葉を並べ続ける。
彼女の行う行動、それは譲歩。文が求めるのはレミリアに関する情報、その中でも容姿容貌に関する内容だけに限定する。
それならばアリス達から何か引き出せるのではないかと、文は懸命に二人に頭を下げる。
「お二人がお話し出来ないという点は二日前に理解しています。けれど、私はどうしても彼女に関する情報が欲しいのです。
何もお二人にレミリアに関する全てをお聞きしようという訳ではないのです。容貌、彼女は一体どんな姿をしているのか、それだけでもいいんです」
「…容貌?何言ってんだ、お前。レミリアの容貌なんて誰だって知ってるだろ。その様子じゃ、人里でも聞き込みなりなんなりしたんだろ?」
「しましたよ、ええしましたとも。けれど、聞く人聞く人十人十色の答えしか返ってこないんですよ。
やれ赤髪だのやれ青髪だの、やれ目は黄金だのやれ緋色だの…レミリアどころか従者に関しても同様の始末。
情けない話、打つ手無しの状況なんです。だからこそ、こうしてお二人にお聞きしてるのですが…」
「そんな馬鹿な。レミリアの容貌に関する情報が人里内で割れる訳がないだろ。だって、レミリアはいつも私や美鈴や咲夜の奴と一緒に…」
「――待って魔理沙」
文の話が引っかかったのか、口を滑らせていた魔理沙を抑制し、アリスは文を見つめながら思考する。
それを見て、文は内心舌打ちをしつつもアリスを称賛する。情報提供、文が益する行為はこちらが完全優位に立ってから。交渉の基本を
忠実に守っているアリスの有能さに感心しつつも、文は文で得られた情報を分析する。
文の話に魔理沙が否定の言葉を零していたこと、そして人里内でレミリアに関する情報が割れる筈がないと断言したこと。そして言葉は
途中だったものの、魔理沙は今明らかにレミリアと一緒に人里に訪れていたという話をしようとしていた。その点から導かれるのは、やはり
第三者の存在。何者かが、レミリア・スカーレットに関する虚偽の情報を人里内に広めてしまっているということ。そうでなければ納得が出来ないのだ。
一体誰が何の為に?何を目的としてそのような行動を?レミリア・スカーレットを知らない文では、そこから先が何も想像出来ないが
アリス達は違う。文の見えないモノを、レミリアと交友のある彼女達なら別の視点でモノが見える筈。
それは一体何か。もしそれが分かったとして、彼女達は自分に情報をどうすればくれるか。その点を思考していた文だが、
アリスが思考し終えたのか、文の方を見て言葉を紡ぐ。
「文。貴女に尋ねるわ。貴女は何故レミリア・スカーレットを追うの?彼女に会ってどうするつもり?」
真っ直ぐに視線を送ってきたアリスに対し、文はどう答えるべきかを少しばかり考える。
策を弄して虚偽を行う…そんなことをしてアリス達の機嫌を損ねてどうする?今の彼女に対し、そのようなことを行うメリットなどない。
ならば真っ直ぐに真剣に答えた方がいい。きっと彼女の性格上、誠実な者には誠実な対応をしてくれる筈。そう考え、文もまた真っ直ぐに
アリスを見つめ返して返答を返す。
「取材するわ。私、射命丸文はレミリア・スカーレットに並々ならぬ興味を抱き続けてきた。
これはブンヤの射命丸文としてだけではなく、一人の鴉天狗である射命丸文としての本心でもあるの」
「どうしてレミリアに興味を持つ?アイツの一体何がお前を惹きつけるんだ?」
「全てよ。レミリア・スカーレットに関する情報の全てが私の心を惹きつけて止まないの。
紅霧異変、春雪異変、永夜異変、その全てに彼女は関与している。そして何より、彼女は我らが頂点たる伊吹萃香様すらも退けた。
あの天衣無縫、誰にも膝をつかなかった萃香様を退け、しかも萃香様は今も彼女と交友を結んだと八雲の管理者から報告を受けている。
博麗の巫女、八雲の管理人、西行寺の亡霊、永夜の首謀者、そして伊吹鬼を友とする吸血鬼…これで興味を持つなという方がおかしいわ。
誰が止めようと、私は必ず彼女と接触してみせる。そして取材をお願いして、許可を貰えれば新聞にする。ただそれだけよ」
「…つまり、貴女はレミリアと会い、『彼女が許可した情報だけ』を新聞に書き記したいと…そういうことね」
「そうよ。私はブンヤ、誇り高き幻想郷のブンヤなの。相手が嫌がる情報を記事にして一体何になるというの。
勿論、そういう記事を書かなきゃいけないときだってある。けれど、それは相手が相応の事件を引き起こして相応の行動を取った場合だけよ。
私が行うのは偏った色モノゴシップ記事の提供じゃない、客観的な視点を大事にしつつも読者を惹きつける純粋な情報媒体娯楽痛快新聞よ。
今回のレミリア・スカーレットに関して言えば、どうして私が彼女の嫌がる内容を記事にしないといけないの?彼女が何か引き起こした訳でもないのに」
「いや、引き起こしてるだろ。異変とか異変とか異変とか」
「あの程度の異変なんて私達妖怪にしてみれば娯楽と同類よ。まあ…上の連中はそう捉えてはないみたいだけど。
私が言うのは彼女が人の誇りを傷つけたとか、他人の存在を否定したとか妖怪として恥ずべき行為を為したかどうか。
何、貴女の知るレミリア・スカーレットは取材を受けるには値しない下種だとでも?」
「…いや、下種というか、むしろ百八十度反対に位置するリスみたいな天然小動物というか…」
「…話を戻すわよ、文。貴女の取材の全ては、まずはレミリアに会ってから全てを決める。それでいいのね?」
「ええ、構わないわ。取材対象に出会わないと何も始まらないし、始めるつもりもない。
勝手な想像、偽りに満ちたレミリア・スカーレットを記事にするなんて誇りが許さない。それだけよ」
言葉を切って、文は瞳を逸らすことなく、アリスに向かい合う。
二人の視線が宙で交錯しあい、沈黙が場を支配する。待つこと数瞬、やがてアリスは根負けしたように大きく溜息をつき、魔理沙に語りかける。
「…魔理沙、予定通りよ。彼女に協力してもらいましょう」
「…だよな。こいつなら、レミリアに対して勝手な風評やレミリアの嫌がる情報を書き殴って広めることもなさそうだし」
「何の話?レミリアの情報を教えて貰えるの?」
「ええ、構わないわ。貴女が求めるレミリア・スカーレットの情報、それを貴女に提供することを約束するわ」
アリスの言葉に、文は隠すこともなく右手を握りしめてガッツポーズをとる。
この二人から情報を手に入れること、これに失敗したら完全に立ち往生の状態になっていたことは想像に難くなく、文にしてみれば
心の底から喜びを表現したい状況だった。そんな喜び浮かれる文に対し、アリスは『でも』と前置きをして言葉を続ける。
「私達は貴女に情報を提供する。だけど、それが『無償』だなんて、思われても困るわ」
「…お金ならあまり持ち合わせてないわよ。私、必要最低限度のお金しか持ち歩かないタイプだし」
「お金なんて要らないわよ!私達が求めるのは、貴女との協力関係にある」
「協力関係?」
「そう。貴女にレミリアに関する情報をこれから貴女の望むままに提示してあげる。ただし…」
そこで一度言葉を区切って、アリスは顔を文に向けて言葉を続け直した。
そのときのアリスの表情は、先ほどと変わらないものであった。けれど、何故か文にはその表情が少しだけ違った雰囲気が宿ったような気がした。
まるで子供が何かに縋りつくような、そんなか弱い雰囲気…そんな空気を、今のアリスから感じてしまうのだ。
「…その見返りとして、これから貴女に一人の人物の捜索をお願いするわ」
「人の捜索…?それは一体誰の?」
「――レミリア・スカーレット。それが私達の探し続けている、大切な一人の女の子(ともだち)の名前よ」
文がアリス達と会話を交わしている同時刻。
冥界を離れ、魔法の森を抜け、再思の道を翔け続けていた霊夢だが、その彼女の足は一つの壁によって塞がれることになる。
無論、表現通りに霊夢の前に壁が存在する訳ではない。否、むしろ壁の方が楽だったかもしれない。
ただの積み上げられた壁であったならば、得意の力技でねじふせて穴の一つでも空けてしまえば簡単に突破出来るのだから。
しかし、その現実の壁はあまりに堅牢、あまりに分厚く。
ゆえに霊夢は突破出来ない。無視して道を行くには、その壁はあまりに強大過ぎた。
舌打ちをする霊夢の前に立ち塞がる巨大な壁――彼女は楽しそうに嗤い、霊夢に対して挨拶を紡ぐ。
「初めまして。…いいえ、この場合、久しぶりと表現した方が正しいのかしらね。博麗霊夢」
「…風見幽香。なんでアンタがこんな場所に」
身を構える霊夢に対し、悠然傲慢に微笑む女性…風見幽香。
霊夢が目指す場所、彼岸の地――その場所に無事たどり着くには、まだ遠く。