~side 咲夜~
「それじゃ、今夜にも決行するのね」
「ええ」
パチュリー様の確認に、フラン様は短く返答を返す。どうやらフラン様の翻意を得ることは難しいようだ。
そんな私の思考を読み取ったのか、フラン様はクスリと笑い、私の方に視線を向ける。
「お前は本当に駄目だね、咲夜。普段は十数年しか生きていない人間かと疑いたくなるくらい冷徹な顔を見せるくせに
お姉様のことが絡むとすぐコレだ。そんなに心配しなくても、私は失敗なんてしないわよ」
「…フラン様の計画に対して成功の合否を疑っている訳ではありませんわ。他の誰でもなく、フラン様の計画です。
そこに失敗など何が起ころうと絶対にありえない。ですが…」
「レミリアお嬢様の安全保障が十分ではない…よね、咲夜」
私の言葉を継いでくれた美鈴に、私はコクリと強く頷く。そう、フラン様の計画に何一つ抜かりがないのは理解している。
けれど、そのシナリオを渡る上において、私にとって何より大事な要素が幾許か心許無いように感じられて仕方がないのだ。
それはどうやら美鈴も同じだったようで、『どうなんですか』と確認するようにフラン様に尋ねかけている。
「確かにお姉様には何度か炎の輪を潜り抜けてもらうことになるけれど、それほど気にかけるレベルではないわ」
「そうですか?八雲の管理者や博麗の巫女と向かい合う…それだけで私は十分過ぎる程に危険だと思いますけれど」
「お前も咲夜と同じ病気かい、美鈴。少しは足りない頭で考えなさいよ。その為の私達でしょう?
言われなくとも、お姉様をあんな奴らと二人っきりになんてさせやしないわ。でしょう?パチュリー」
「咲夜の能力と私の魔法で最大限まで気配を消す。そしてレミィの傍に私達もつく。もしも、変な動きを相手が見せれば…」
「確認するまでもありませんわ。『母様』の命を脅かす輩は、この私が排除します」
「そう、それでいい。お前はお姉様の命を守ることだけを考えていればいいのよ。
その為の姦計や謀略は私の仕事だ。咲夜と美鈴はただお姉様の為だけに生き、お姉様の為だけに死ねばそれでいい」
「あら、私は仲間外れ?」
「パチュリーは本に埋もれて轢死かな。運命がそう言っているよ」
それはレミィの十八番でしょうと笑いあうパチュリー様とフラン様。
そうだ、フラン様の仰る通りだ。私が今すべきことはフラン様の計画に疑念を抱くことなどではない。
私のすべきことは私が物心つく以前から決まっている。母様の命をこの身をもってお守りすること。それこそが私の存在理由であり、
私が望むたった一つの誇らしい生き方ではないか。捨てられた私を拾って下さり、人間であることも気にすることなく、母様は私を
育てて下さったのだ。愛する母の為に私が出来ること、為すべきこと、そんなことは今更考える必要など無い。
「…さて、咲夜と美鈴も納得したようだし、舞台の幕を上げるとしましょうか。
我らが最愛のご主人様――レミリア・スカーレット、その名を幻想郷中に轟かせる為に」
愉悦に富んだ笑みを浮かべるフラン様の姿は、その幼い容貌には何故か酷く似つかわしくないものに見えた。
しかし、フラン様の仰る言葉は間違っていない。私達は、今回の計画を何としても成功させなければならない。失敗など無い。許されない。
母様…いえ、レミリア様のその名を幻想郷中に響かせること。それこそが幻想郷における紅魔館の立ち位置、ならびにレミリア様の
命を守ることにつながるのだから。ならば私は喜んでこの身を計画に委ねよう。紅の霧が世界を覆う、この我々の引き起こす紅霧異変に。
~side フランドール~
「ちょっとフラン!貴女一体どういうつもりなのよ!?」
自室で横になっていた私のもとに、突如として現れたお姉様。力強く部屋のドアが開かれ…てはないね。お姉様、力ないもんね。
ちょこっとだけ強いくらいの力でドアが開かれ、そこからお姉様が顔を真っ赤にしてカンカンに怒っていた。まあ、当然といえば当然か。
自分の知らない間に紅魔館から幻想郷中に紅の霧が散布されて、しかもそれが何故か自分がやったことにされてるんだもん。
誰だって普通驚くし怒るよね。ごめんね、お姉様。だけど、これはお姉様に必要なことだから。だから、心の中だけでも謝らせて。
「あら、レディの部屋にノックも無しに入るだなんて品性を疑われますわ。
礼儀に礼節、そしてマナーに関していつもいつも口煩く私に説いていたのは一体何処のどちら様だっけ?」
「ぐ…た、確かにそう言われると…って、違う!そんな品性やらマナーやらなんかどうでも良いのよ!」
「いいの?だったら私、明日から自由奔放に振舞わせて頂きますけど」
「いや待った今のは無し!品性もマナーも大事だけど、今はそれより大事な話があるの!」
「大事な話?」
「霧!外の紅霧!これは一体どういうことよ!?」
はぐらかそうとする私に少しばかり苛立ったのか、お姉様はドンドンと壁を叩きながら(力がないから『とんとん』って感じだけど)
私に外界の異変を報告し始める。やれ紅の霧が幻想郷を覆ってる、やれこれをやったのは私ということになっちゃってる…などなど。
感情に任せて話しつつも、私が聞き取りやすいようにゆっくりはっきり話してくれる辺り、本当にお姉様はなんというか。
全てをお姉様が説明し終えたとき、私は分かり易いくらい嫌味な笑みを浮かべ、お姉様に言葉を返す。
「へえ、やけに館内(うえ)が騒がしいと思ったら…くすくす、お姉様ったら、私に内緒でそんな楽しそうなことをやってたんだ。
紅霧で幻想郷中を覆って、あの忌々しい太陽を隠してしまうだなんて、流石はお姉様。やることが大きいなあ」
「…は?い、いや、ちょっとフラン、貴女何を言って…」
「幻想郷中を霧で覆い隠すだなんて、他の妖怪達に喧嘩を売っていると見做されてもおかしくはないというのに。
まあ、お姉様は凄く強いから、そこらの妖怪がかかってきたところで返り討ちなんだろうけれど。本当、お姉様ってば凄いなあ。憧れちゃうなあ」
「ぐっ…!た、確かに私は強いからその辺の妖怪なんて返り討ちだけど!邪魔する奴は指先一つでダウンだけど!
そうじゃなくて、この霧を起こしたのは私じゃなくて貴女でしょう!?それをどうして私のせいにしようとしてるのよ!?」
「?だからあ、さっきからお姉様は何を言ってるの?紅霧を出したのは他ならぬお姉様でしょう?
その霧は酸性の属性とか持ってて仙人の師匠を溶かしたりとかするんでしょう?」
「何その鬼畜宝具!?いやそんな凄い霧どころか普通の霧すら出せないし…じゃなくて!いや、本当は出せるのよ?出せるんだけど、私は
そういうチマチマしたのは嫌いっていうか、誇り高き吸血鬼としては己の拳で勝負みたいなところがあるっていうか…」
しどろもどろに後付けを始めるお姉様。本当、お姉様って演技は上手いけれど嘘は下手だなって思う。
初対面の人相手ならハッタリで通じるかもしれないけれど、結局のところ、お姉様の根っこは『善人』の『小心者』の『優柔不断』な訳で。
だけど、そんなお姉様だからこそ、私は…うん、このままからかうのも悪くないけれど、これ以上続けちゃうとこっちのボロが出てしまいそうだ。
だから、お姉様には申し訳ないけれど、さっさと話を打ち切らせてもらうことにしよう。数百年の付き合いだもの、お姉様がどうすれば
こちらの思うように動いてくれるかなんて、とうに理解しきっている。ごめんなさい、お姉様。ちょっとだけ怖い思いをさせるから。
「…もう、さっきから霧だの何だの。結局お姉さまは何が言いたいの?私はこれから眠るところだったんだけど」
「へ?あ、いや…だから、この霧を止めるように…」
「霧を出したのはお姉様でしょう!?もー、訳分かんない!イライラするなあ!何、もしかして喧嘩売ってるの?」
「う…」
苛立たしそうな素振りを見せつけられ、お姉様は何か言おうとした言葉を飲み込んだ。あと少し涙目になってる。
そりゃそうだよね、今のお姉様は戦う力を何一つ持っていないんだもん。それなのに、こんな化物を前にするなんて怖がって当然だもん。
むしろ、お姉様は凄いと思う。お姉様同様に、力のない人間や妖怪を私の前に立たせれば、本来はこのように意識を保つことすら困難なのだから。
お姉様の泣きそうな表情に、ズキズキと心が痛くなる。正直、こちらのほうが泣きたくなる。嫌だ。お姉様がこんな表情を浮かべるなんて嫌だ。
だけど、その気持ちはしっかり押さえなきゃいけない。お姉様の為に、お姉様がこの紅魔館でずっとずっと咲夜達と一緒に過ごす為に。
「いいよ、お姉様…私、久しぶりに頭にきちゃった。今からここで殺」
「ああああああ!!!!そ、そういえば私、パチェに急ぎの用事があるのをすっかり忘れてたわ!?もう時間に余裕がないわね!
しょ、しょうがないから今日はこの辺で終わらせておいてあげる!こ、この霧だって一応は私がしたってことで通してあげるから!
我が侭な妹のお願いをきくのもお姉様の仕事だものね!それじゃ、また会いましょう!おやすみ、フラン!」
あわあわと大慌てで室内から逃げ去って行ったお姉様。その姿を見届けて、私はふぅと小さく息をつく。
自分の本心を嘘で塗り固める度に、心が痛む。だけど、それは仕方のないことだと割り切る。割り切らなければ、きっと心が折れてしまうから。
全てはお姉様の為に。愛するお姉様の為ならば、私はどんなことでもやってみせる。お姉様の幸せの為ならば、誰だって利用し
躊躇わずに殺してみせるし、必要ならばこの命だって喜んで差し出してやる。お姉様に全てを貰った日から、私はその誓いを一時も忘れていない。
…今日は疲れたな。幻想郷中に紅霧をばら撒くには大量の魔力を必要とし、実際に私の全保有魔力の二割は持っていかれた。
少しばかり早いけれど、今日はもう眠ってしまおう。もしかしたら、夢の中でお姉様に会えるかもしれない。そうなると嬉しいな。
夢の中の私ならきっと、本当の素顔のままでお姉様に自分の本心を伝えられる筈だから。
~side 八雲紫~
私が出会った吸血鬼は、何とも不可思議で理解し難い存在だった。
幻想郷中を覆った紅霧、その原因があの紅魔館にあると藍から報告を受けた時、私は少しばかり呆れてしまった。
数十年前、紅魔館ごと幻想郷に転移して、好き勝手に暴れまわった吸血鬼達を私は完膚なきまで叩きのめした。それこそ、二度と
下らない企みなど出来なくなる程に。事実、館の主である吸血鬼には私(幻想郷)に二度と逆らわないと誓わせた。
それが今になって何を。この数十年間、あの館を放置していたのは幻想郷に害を為す力が一切無いと確信していたから。
主たる部下たちは軒並み惨殺し、あの館に残された戦力は紅魔館の主ただ一人。その主には最早突き立てる牙すらない状態だ。
紅魔館は最早、私にとって終わったモノだ。そんな朽ちた吸血鬼が一体今度は何を企んでいるのか、私には正直どうでもよかった。
幾分前に博麗の巫女が代替わりし、今の巫女はまだ異変解決を行ったことがない新米巫女だ。その代替わりを狙い、この異変を起こしたのかも
しれないが、正直その浅慮にも呆れるしかない。巫女が動けないという条件さえあれば、私は動く。幻想郷の害になるモノは私が潰す。
だからこそ、私は今回の件を正直軽んじていた。私が直接出向いて、吸血鬼の主を今度は容赦なく殺す。それで終わりだと。
けれど、私の読みは大きく外れることになる。
この館を支配する吸血鬼は、私が以前殺しあった相手ではなく、その娘に代替わりしていたのだ。
その事実を諜報していた藍に聞かされたとき、私は驚くと共に、不自然さにも気付いた。あの吸血鬼に娘がいたことも驚きだが、
それよりも気になるのは、何故娘に主の座を譲ったのかだ。あの吸血鬼は一度対峙しただけだが、そう簡単に娘に地位を譲り渡すような
輩ではなかった筈だ。実に吸血鬼らしく、傲慢で欲深く、何より自分以外の他者を見下すような存在だった筈。それがどうして。
藍の報告によると、娘に代替わりしたのはその吸血鬼が死んだから、という簡単な理由だが、それこそまさかだ。
あの吸血鬼は私にこそ手も足も出なかったが、それは決して弱いということではない。妖怪としてのランクならかなり上の部類に入る
実力を持っている。誰かに殺されるなど、そうそう起こるものではないけれど、起こりうる可能性としてはコレしかない。
報告では魔法実験の事故で死亡とあるけれど、それはフェイク。魔法実験で死亡など、そんなヘマをやらかす奴ではないのだから。
考える。あの吸血鬼の死亡で、一体誰が得をしたのか。一体誰がその吸血鬼の死を都合良く感じたか。そうなると導かれる答えは一つ。
――レミリア・スカーレット。報告に上がったあの吸血鬼の娘にして、現在の紅魔館の主。何でも運命を見通す能力があるのだとか。
藍の報告を耳に入れれば入れる程、私はレミリアに対して興味を抱くようになる。齢五百にして、あの老獪な吸血鬼を打倒しうる力を持つ存在。
妖怪としてはまだまだ幼い部類に入るものの、私は彼女の情報を更に求めるようになる。そのような存在がいるのならば、何故数十年前に私が
紅魔館を襲ったとき、その迎撃に出なかったのか。その事件による父親の死を望んでいた?そうなると、私はレミリアに利用された?
考えれば考える程に興味が湧く。だから私は一歩だけ踏み込むことにする。レミリア・スカーレットに直接会い、彼女の存在を己が眼で見抜く。
思い立ったが行動。私はスキマを使い、紅魔館の最上部に位置する室内へと転移する。そして、そこに居たのは私の想像を遥かに絶するモノで。
そこに居たのは、漫画を読み耽る幼い吸血鬼。
しかも、全身から妖力のよの字も感じ取れない、見ているだけで悲しくなるような、そんな存在だった。
私の登場に、あちらはポカンとした表情を浮かべている。どうやら混乱しているらしいが、それはこちらも同じこと。
何故、こんなにも妖力を感じないのか。それははっきり言えば、妖精なんかよりも儚い存在で。これも、こちらの混乱を誘う策略の一つか。
とにかく、気は抜けない。腹の探り合いは得手とする方だが、この吸血鬼だけは良く分からない。このような存在を相手とするのは初めてのことだったから。
気を入れ直し、私はレミリアと会話を進めていく。その上で分かったことが一つある。この吸血鬼は、実によく分からないということだ。
分からないということが分かったとは、不思議な言だと思われるかもしれないが、それは実に有益な情報だ。私が今、すべきことは
この吸血鬼、レミリア・スカーレットに対して理解を務めることこそが必要なことだと教えてくれるのだから。
前にも言ったかもしれないけれど、前にも増してこの吸血鬼は興味深い。身体から妖力を発しないのに、私の考えを次々と当ててみせる。
私が暴力に脅しをかけても、それが私の偽りの仮面を被った姿だと見抜いてみせた。
紅霧を私が新たな博麗の巫女の成長に利用しようと考えていることも、完全に悟りきっていた。
面白い。本当にこの娘は面白い。前吸血鬼のように全てを暴力や実力に訴えるような虚けではなく、理知的で思慮深い。
話をすればする程に興味が尽きない。これほどまでに興味を持った相手は何時以来だろうか。萃香か、幽々子か、はたまた博麗か。
結局のところ、彼女にとってこの異変はただの暇潰し以外の何モノでもないようで。だからこそ、私はこの異変に一枚ばかり噛ませて貰った。
そのことを吸血鬼は何の迷いもなく了承する。本当に気持ちの良い吸血鬼だと思う。もし、時間が許すのならば、共に酒を酌み交わしたい程に。
話がまとまり、私はレミリアの下を後にすることにした。今回の交渉で目的も達成でき、それ以上の結果を引き出すことが出来た。
ならば、これ以上私が異変に対して口を出す必要はない。後はレミリアと博麗の巫女が台本通りに踊ってくれる。私はその舞台を眺めているだけでいい。
あとはレミリアに関することだが、これは実に利用出来る。友として付き合いたいという気持ちもあるが、それ以上に幻想郷の管理者として
私は打算に思考を歪ませる。レミリアはこれから先、様々なことに利用出来るだろう。程良く頭が良いし、程良く立場もある。ならば、精々私の手駒として…
「――このままノコノコ帰れると思ったかい?考えが甘いよ、女狐が」
スキマから出た先は私の家ではなかった。それは血のように紅に塗られた四角い箱のような部屋。
入り口も出口もない、窓もない完全な密室。理屈は分からないが、私は空間を捻じ曲げられ、そのような場所に転移させられたらしい。
その部屋に現われた私の喉元に突きつけられるは炎の剣。全てを焼き尽くすような深紅の劫火、そんなイメージを駆り立てる恐ろしき凶器。
そんな禍々しい獲物を私に突き立てている者――それは、先ほどまで私が会話していた相手に瓜二つで。
「レミリア・スカーレット…?」
「あら、お姉様をご所望?残念ね、お姉様じゃなくて。
お姉様はお優しいから、お前のような腹黒い相手にも寛容になってしまう」
「…誰?」
「はじめまして、八雲紫。私はフランドール。フランドール・スカーレットよ。
レミリア・スカーレットの妹と言えば理解して頂けるかしら?」
彼女の言葉に、私は驚きを隠せずにいられなかった。確かに良く見れば、髪の色も背中の羽もレミリアとは異なる。
けれど、まさか妹がいたなんて…そして、何より私が驚いたのは、その妹の秘めたる力の強大さ。
先ほどのレミリアの霞のような妖力が嘘のように、禍々しいまでの圧倒的な妖力。それは前主である吸血鬼はおろか、
下手をすると私と比肩しうるかもしれない程の妖気。これが本当に吸血鬼一人分の力なのかと疑いたくなる程だ。
そして、この部屋に居るのが私達二人だけではないことに気づく。私たちから幾許か離れた距離に立つ三人の影。
その誰もが、数十年前には見なかった顔だが、その実力が並みのモノではないことくらい容易に分かる。その時になって、私は
自身の考えが甘かったことに気付いた。紅魔館が朽ちた館などとはとんでもない間違いだ。この館は化物の館、恐ろしき実力者達の住まう世界だったのだ。
「…参ったわね、完全に油断していたわ。数十年前とは比べ物にならない化物揃いじゃない」
「だからさっき言ったでしょう?考えが甘いって。狡猾なお前相手に、そう易々とカードをオープンする訳がないでしょう。
そういう意味では、昔お前が襲撃してくれた件は実に良い目くらましになってくれたよ。この幻想郷の誰もが紅魔館を終わった館だと誤認してくれた」
「そう…そういうこと。私はレミリア・スカーレットこそが、この館の主だと思っていたのだけれど」
「その通りだよ。お姉様こそが私達の唯一無二のご主人様。私達はお姉様の為ならば、喜んで命を投げ出す崇拝者」
「主?傀儡の間違いでしょう。危険を正面から受け止める主の立場を力無き姉に押し付け、自分は裏から支配する。
いわば姉は都合の良いときに切り捨てられるただの可哀そうなお人形。成程、実に妖怪らしい…」
私が紡ぐことが出来た言葉はそこまでだった。フランドールの神速の蹴りが、私の腹部に深くめり込んだのだから。
あまりの衝撃に、私の身体はサッカーボールのように吹き飛び、壁に激突し、数十センチ程壁を抉ったところで、ようやく停止する。
強烈な痛みに咽返る私に、フランドールは恐ろしいほどの冷めた視線で見下しながら、言葉を紡ぐ。
「…二度目はないよ、管理者。次は確実に殺すわ」
「そう…一度は許して頂けるなんて、なんとも心の広い妖怪ですこと」
「勘違いするなよ?私がお前を殺さないのは、お前にはまだ利用価値があるからさ。
お前がお姉様をそんな風に下衆びた視線で見ていたように…ね」
成程、どうやら私とレミリアの会話は連中から覗かれていたらしい。本当に迂闊、慢心が過ぎていたようだ。
この場でフランドールと殺し合っても、負けるとは思わないが、周囲の三人が余計だ。恐らく、藍を呼んでもかなりの消耗は免れないだろう。
スキマで逃げ出そうにも、先ほどのように空間に干渉される可能性がある。フランドールか、周囲の三人の誰かは分からないが、
この中の誰か一人は空間干渉などという馬鹿げた能力を有しているらしい。それこそ、私のスキマに干渉できる程の。
ならば私が取るべき手は何か。どうやら相手は私に交渉事がある様子だ。今すぐ殺し合い、ということにはならないだろう。
相手の考えはともあれ、今は対話に終始するのが正答だろう。無駄な争いをしたい訳でもなし。まあ、殺し合いになれば全力で殺してあげるけれど。
「いいわ、お話を聞いてあげましょう。客人相手に紅茶の一つも出さないなんて礼に欠けるとは思うけれど」
「無粋な侵入者相手に縄の一つもかけない事を感謝して欲しいくらいだわ。
まあ、そんな些事はどうでも良い。私がお前にしたい話はただ一つ――忠告よ」
「忠告?」
「お前は自分の望みの為に、これから紅魔館を度々利用しようとするでしょう。
それは構わないわ。代わりに私もお前を利用するのだから。ギブアンドテイクってことで素敵な関係だと思うわ」
だけど。そう前置きしたうえで、フランドールは恐ろしく表情を歪ませて私に嗤い掛ける。
それはまるで何か気を狂わせるような重厚なドラックを使用したかのように、あまりに歪な様相で。
「お前の欲望に『お姉様』を巻き込むなよ、管理者。
姑息な妖怪の皮算用に余加算分の収益を見込むのは構わないけれど、私のお姉様は酷く清廉で汚れ無き無垢なる存在でね。
そんな天女に貴様の下賤な混じりが入るなんて考えただけで吐きそうだ。私達の聖域に泥をぶちまける真似だけは絶対に許さない。
これは大事な大事な忠告だよ、八雲紫。お前は聡明で計算高い妖怪だと聞いている。だったら分かるよね?お前の取るべき航路がさ」
――壊れている。それが私のフランドール・スカーレットに対する素直な感想だった。
彼女は自身の姉に心酔しているとか心奪われているとか、そういうレベルの依存じゃない。レミリアはフランドールにとって全てなのだろう。
だからこそ、こんなにも歪になる。こんなにも壊れることが出来る。それは何て無様で、そして何よりも美しいことか。
私はフランドールの壊れた笑い声を聞きつつ、彼女の趣旨を把握する。つまり、レミリアにちょっかいを掛けるなということだ。
「了解したわ。けれど、お友達として付き合う分には構わないのでしょう?
私もレミリア・スカーレットが気に入っちゃってね。あの娘の在り様もだけれど、貴女達のような実力者の心を奪う彼女は実に興味深いわ」
「お友達?ははっ、お友達か。実に良いね、損得に絡めることのない、お姉様を護ってくれる都合の良い尖兵だ。
精々仲良くしてあげてよ、隙間妖怪さん。仲良くなって仲良くなって仲良くなって仲良くなってそしてお姉様の為に死んでよ!
そうだ!みんなみんなみんなみんなみんなお姉様の為に生きてお姉様の為に死ねばいい!!お姉様以外はみんなみんな死んじゃいなよ!!あははっ!!」
「…フランドール」
「っ」
ケタケタと嗤うフランドールの傍に、紫髪の少女が歩み寄り、そっと名前を呼ぶ。
やがて、フランドールは憑き物が落ちたかのように冷静さを取り戻し、こほんと小さく咳払いをして私に向い直す。
「…失礼したわね、八雲紫。お姉様のお友達になってくれるなら、私達は歓迎するわ。
貴女は幻想郷で一番強い妖怪だもの。そんなに強大な妖怪なら、お姉様のようなか弱い存在なんて『損得関係なしに』護ってくれるでしょうから」
「そうね、その程度なら構わないわ。それよりも良いの?先ほどまで気でも触れてしまったかのような状態だったけれど」
「ええ、問題ないわ。発作みたいなものでね、こればっかりは何年経っても治らない。私、こう見えても病弱な女の子なの」
「病弱にしてはとてもとても激しい蹴りを繰り出すのね」
「健康的な病弱少女ですから」
戯けたことを。フランドールの戯言を笑って聞き流しながら、私はスキマを発動させる。
どうやらこの紅魔館、私の考えていた以上に深く糸が絡み合っているらしい。まさかこれほどまでに強大な存在になっていたなんてね。
本当、最近情報収集を藍に押し付け過ぎたのかもしれない。一度幻想郷中を自分の目で確認する必要があるかもしれないわね。
他にもこんな馬鹿みたいな連中が居てはたまらないもの。まあ、それを面白いと感じている自分が居るのも確かなのだけれど。
「それでは私は失礼するけれど…この周囲の空間を元に戻して頂けるかしら?」
「心配せずとも、空間は元通りになっていますわ。どうぞ早々にお帰り下さいませ」
私の問いに返答したのは、メイド姿の銀髪少女。少々何か異物の混じりを感じるものの、あれはどうやら人間のようだ。
人間ながら強大な力を感じるところ、ある意味あの娘も人間を辞めているのかもね。空間干渉なんてモノを持っている時点で辞めているか。
「それでは失礼しますわ。今回の宴、しっかりと観客に努めさせて頂くとしましょう」
「そう、それで良い。心配せずとも、お前の傀儡はしっかりと役目を果たさせてあげるよ」
「傀儡ではありません。大切な可愛い可愛い私の巫女(むすめ)ですわ」
短く言葉を交わして、私は紅魔館を後にした。
少しの時間だったけれど、本当に沢山の有益な情報を得ることが出来た。本当、面白いことばかり起こる夜だこと。
レミリア・スカーレットにフランドール・スカーレットか…これから忙しくなりそうね。
藍に仕事を頼むとともに、あの娘が異変解決に乗り出すように動くとしましょうか。さてさて、どうなることやら。本当、楽しみだわ。
~side パチュリー~
「一刻ほど眠るわ。何かあったら起こして頂戴」
「分かったわ。それじゃ、おやすみなさい、レミィ」
レミィが部屋を出ていくと同時に、咲夜がジロリと私を睨みつける。
どうやら私が必要以上にレミィをからかったことが気に食わないらしい。本当にこの娘は母親想いだことね。
「悪かったわよ。確かに私がやり過ぎたわ。お願いだから、その目を止めて頂戴」
「…いつもいつも思うんですが、パチュリー様は母様に意地悪が過ぎます」
「惚れた弱みよ、仕方ないじゃない。レミィを見てると、どうしても意地悪したくなっちゃうの」
「最低最悪の悪癖ですわ。今すぐ改善することを要求します」
はいはい、と適当に咲夜の言葉を聞き流しながら、私は紅茶の入ったカップに口をつける。
しかし、博麗の巫女が来ることは予定通り。後は私達が如何に上手く成功させるか、か。
フランドールじゃないけれど、何としても失敗は許されないわ。これから先の、レミィの安全を買うために、ここで私達は頑張らなければならない。
「…永かったわ。本当に永い間、地中で泳いでいた地龍が顔を出す時が来たのね」
「パチュリー様やフランお嬢様は私が知るよりも永くこの計画を暖めていたんですよね」
「勿論よ。全てはレミィの為に…私達は本当に沢山のことをやってきたわ。それこそ反吐を吐きたくなることだってね」
そう、私達はレミィの為に全てを行動に移してきた。
レミィのことをゴミ扱いし、不要として殺そうとした屑な前主を殺した。
私達の偽装した前主の遺言、レミィを後継者にするという文章に不満があり、フランドールを後継者にする為に
レミィの暗殺を共謀していた屑達を殺した。前主に媚び諂っていたレミィにとって有害となる奴等を駆逐した。
たった一人の愛する親友が、この厳しく汚れに満ちた世界で生きる為に、私達は何だってやってきた。それを躊躇することなど一度も無かった。
そう、全てはレミィの為に。だからこそ、今回の件は必ず成功させる。レミィの名を、レミリア・スカーレットの名声を幻想郷中に知らしめる為に。
幻想郷で強者の一角として名を馳せれば、幻想郷における紅魔館の地位を向上させれば、いつかそう遠くない未来にやってくるであろう
『スペルカードルール』が破綻した抗争の際に、他の妖怪達が抱くレミィの幻想は何よりも強烈な武器になる筈だから。
今の平和な幻想郷には必要なくとも、やがてくる確実な未来の為に。私達はやれるだけのことをやる必要があるのだから。
「咲夜、貴女はたった一人のレミィの娘。血を分けてはいなくとも、それだけは変わらない事実だわ」
「…はい」
「だから、貴女は何時までも綺麗でいなさい。レミィを護る為に泥を被るのは私とフランドールだけでいい。
貴方と美鈴は他の誰でもない、レミリア・スカーレットに付き従う者として、どこまでも高潔で在ればいい」
「パチュリー様…」
少し、柄でもないことを言ってしまったかもしれない。こういうのはキャラじゃないというのに。
だけど、今のは心からの本音だ。私達がレミィを抱くには、少々手が汚れ過ぎている。レミィのような眩い程に綺麗な
存在を直視するには、私達には目に辛すぎるから。だから、咲夜と美鈴がレミィを護ってくれればいい。
私達は、二人が手を下せない汚れた部分を掃除する。そしてそれがレミィの幸せにつながればいい。
きっとレミィはこんなことは望んでなんかいないでしょうけれど。そのことは私達が死んだ後で謝ればいいことだ。
ふふっ、と気づけば小さく笑ってしまった。駄目ね、レミィが本気で怒る姿なんて想像出来ないわ。あの娘の真剣は何時だってコミカルだから。
「それよりも良いの?こんなところで長話をしてて。
レミィの性格からして、きっと今頃紅魔館から逃げ出す算段をしているんじゃない?」
「美鈴が居る限り、紅魔館の門を通ることは出来ませんわ」
「それもそうか。ふう…レミィも考えが甘いのよね。ただの一介の妖怪、それも力を持たない妖怪が一人で生きていける程
外の世界は優しくはない。レミィの望むことは出来る限り叶えてあげたいけれど…ね。もし下手にレミィが館の外に出てしまうと、他の妖怪に殺されちゃうわ」
「…母様のところへ行ってきます」
「この過保護。さっき美鈴が居る限り大丈夫だって言ったのは咲夜じゃないの」
「何とでも言って下さい」
そう言い残し、咲夜は室内を後にした。全く、レミィのことになると本当に眼の色が変わるんだから。
でも、そんな風だから、私もフランドールもレミィの傍に咲夜を当てているのだけれど。あの娘なら何があってもレミィを護ってくれるから。
ああ、私は実に魔女だと思う。咲夜の感情をレミィを護る為に利用している。親子の情を便利な忠誠心として利用している。
本当、私は汚い女だと思う。けれど、それでも構わない。レミィを護る為なら、レミィの為なら私はどんな人間にでもなってみせる。
嘲られようと罵られようと私はレミィの為に生きればいい。唯の人形だった私に生きる意味を教えてくれた少女――大好きな親友の為に、私は今を生きているのだから。