~ side 魔理沙~
荒れ狂う桜の枝の鞭をなんとか避けながら、私は今日三発目のマスタースパークを放出する。
弾幕勝負と違ってスペルカード無制限なのは良いが、正直無駄弾を撃ってる感が否めない。なんせあの化物桜は、私の最大出力の
魔法を食らっても、怯むだけで終わりだ。美鈴が言ってたように、何らかの細工がしてあるのか、私の魔法じゃ枝の一本すら燃やせない。
くそ、今更になって美鈴が言ってた言葉がよく分かる。コイツは人の誇りをボロボロにしてくれている。私の自慢の魔法がそんなに『そよ風』に感じるってか。
「あんまり調子に乗るなよクソ桜っ!!魔理沙さんの魔法のバリエーションは108じゃ収まらないぜ!!」
「無駄よ、魔法使い。私も試してみたけど、魔力じゃあの桜はどうこう出来ないみたい。私達は美鈴の援護にまわるよ」
「諦めるなよ、魔法使い。魔法は私達の誇りだろ、魔力を持って奇跡を為すからこそ私達は胸を張って黒帽子と箒姿で居られるのさ」
「遥か昔に廃れ切ったクラシック・スタイルを恥ずかしげも無く貫くその姿勢には感服するわ。私は死んでも御免だけど」
「そういう言わずに一緒に踊ろうぜ。どうせ魔女なら踊らにゃ損損ってな――魔符『スターダストレヴァリエ』」
「踊る阿呆に見る阿呆、どっちも阿呆なら私は御免よ――火符『アグニレイディアンス』」
抵抗する異物を蹂躙せしめんと襲いくる切っ先を、私達はタイミングを合わせて魔法で迎撃する。
大きな爆発と共に、私達は再び四散。しかし、あの魔法使い、マジでやるな。高速詠唱に加えてあの威力。アイツ、相当優秀な魔法使いだ。
確かパチュリーとか言ったっけ。一段落したら、ゆっくり魔法談議するのも良いかもな。色々と盗めることも多いだろうし。
…しかし、私達の攻撃は本当に通らないな。レミリアを救出し初めてまだ数分と経ってないが、既にジリ貧状態だ。こっちは向こうの
攻撃を抑えるだけで手一杯だし、美鈴の奴がリスク承知で突っ込んで初めて組みつける状態だ。正直手数が足りなさ過ぎる。
ああもう、霊夢達がこっちに気づいてくれればどうにかなるんだが…向こうは向こうで幽々子と組み合ってるからな、そう上手くはいかないか。
さてはて、パチュリーの奴じゃないが、一体どうしたもんか。このまま持久戦じゃ、ちと分が悪過ぎる。魔力じゃ無理なら、今は美鈴の奴を援護するしか方法は…
「邪魔っ!!!!」
「うおっ!?」
刹那、私の真横を一陣の風が通り抜けていった。いや、風というかカマイタチだろあれ。距離が離れたことで、その正体を私はようやく目視することが出来た。
――十六夜咲夜。レミリアが最も信頼を置く従者。馬鹿か、アイツ、一人で何突っ込んでるんだ。あれじゃ枝に串刺しにして下さいと言わんばかりじゃないか。
ほら言わんこっちゃない。妖怪桜に近づくや、周囲を無数の触手に絡まれてるよ。本当、無謀も良いところだぜ。仕方無い、私の魔法で援護を…
「知能を持たぬ化生如きが――どけ!!私は邪魔をするなと言った!幻符『殺人ドール』!!」
何かの見間違いかと思った。目がおかしくなったのかと思った。あのメイド、私達がこれだけ苦戦している妖怪桜の猛攻を簡単に防いでやがる。
私が驚いたのは、そのメイドがやってのけた回避手段。あいつ、襲い来る妖怪桜の枝を全てナイフで叩き落してる。自分の身体から僅かに逸れるように力点をずらしてるんだ。
咲夜は迫りくる枝を回避し続け、何事も無いようにMAXスピードのままでレミリアのところに直行している。その光景に、私はもう笑うしかなかった。
本当、冗談じゃないぜ。まさか霊夢以上に化物な人間が居るなんて思わなかった。数少ない人間代表としては流石に自信を失いそうになるってもんだ。
けどまあ、私の自信喪失ぐらいでレミリアを無傷で助けられるなら安いもんだ。それで良いなら幾らでも凹み落ち込んでやるぜ。
なんせ私は自他共に認める負けず嫌いだからな。咲夜や霊夢が強ければ強いほど私も頑張り甲斐があるってもんだ。さあて、咲夜の奴を狙う木々は私が全部撃ち落としてやるとするか。
~side 咲夜~
――取り付いた!襲い来る木々を避け、私はやっとのことで母様を縛る枝先まで辿り着くことが出来た。
太い枝上に着地した私は、そのまま速度を落とすことなく母様の方へと迷わず駆け抜ける。蠢く枝鞭など今はどうでも良い。
とにかく今は母様の状態を確認すること。そして何があろうと救出すること。パチュリー様の結界が何処までも母様を護ってくれる保証などありはしないのだから。
「お嬢様!!咲夜です!!十六夜咲夜です!!聞こえますか、レミリアお嬢様っ!!」
パチュリー様の障壁内で身体を束縛されている母様に声をかけるが返事が来ない。気を失っているのか。
気を失っている程度ならまだいい。もしかしたら、頭でも強くぶつけてしまったのかもしれない。大きな外傷に母様の身体が耐えられる訳がない。
そうなれば、最悪の可能性だって有り得る。最悪の場合――母様が、死ぬ?母様が死んでしまう?馬鹿な。馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な!
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!!母様が死んじゃうなんて絶対に嫌!!!母様が!母様が死んでしまうなんて絶対に駄目だ!!
「っ!!母様!!咲夜です!!お願いですから返事をっ!!返事をして!!母様!!!」
「なっ!?咲夜さん、一体何をやってるんです!?完全に狙われてます、お嬢様の傍から離れて下さい!!」
誰かが私を呼ぶ声が聞こえたが、今はそれどころじゃない。下手をすれば母様が死んでしまうかもしれないんだ。
待ってて母様、今私が助けるから。手に持つ白銀のナイフを握り直し、私は母様を縛るこの邪魔な木に対し大きく振りかぶり――
「っ!!こんの馬鹿!!」
私のナイフは虚空を切ることになる。私が邪魔な枝にナイフを突き立てる刹那、美鈴が私を抱き抱え大きく跳躍したからだ。
そのコンマ数秒後、私の居た場所に無数の針が外敵を亡き者にせんと疾走してゆく。凶器となるまでに鋭利に尖った木枝が、今は無き私の身体を貫いてゆく。
もし、少しでも救出されるのが遅れていたら、私は体中を串刺しにされていただろう。けれど、今の私にそんな冷静な判断など下せる筈も無かった。
今の私に重要なことは、母様を助けられなかったこと。そして、母様との距離が再び離れてしまったということ。
早く助けないといけないのに。早く救わないといけないのに。早く、早くしないと母様が…
「離せっ!!離してっ!!母様が危険に晒されてるのよ!?早く助けないと手遅れになる!!!」
「大丈夫です!パチュリー様が幾重にも重ねて障壁を張ってくれてますから、お嬢様に危険はありません!
今は先に落ち着いて下さい!こんな馬鹿な真似してちゃ、咲夜さんが先に潰れちゃいますよ!!」
「っ!うるさいっ!うるさいうるさいうるさいっ!!今は母様を助け出すのが何より優先されることでしょう!!
大体お前は何をしてたのよ!母様の傍にいたんでしょう!?誰より傍に居たんでしょう!?ならどうして護らなかったのよ!?こんな状態になってるのよ!!」
「っ…それは」
我ながら酷い言い草だと思う。美鈴が反論出来ないことを知り、自分のことを完全に棚に上げた言い分だと思う。
だけど、感情の波が止まらない。母様の命の危機、その状況を目の当たりにして頭が冷徹に動いてくれない。
駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ。こんなんじゃ駄目だ。戻れ、いつもの冷静な私に戻れ。じゃないと本当に母様が…母様が!
誰でも良い、誰でも良いから私を止めて。このままじゃ本当に、本当に取り返しのつかない事に――
その刹那、美鈴に縋りついていた私の背中に強い衝撃が走る。ドンっという衝撃、それはまるで誰かに背中を思いっきり蹴られたような感じで。
痛みの正体を知る為に、その方向を振り返った私の視線の先に居たのは、実に不機嫌そうに眉を顰めている博麗の巫女。
「さっきから何をグダグダ泣き言ばかり言ってんのよ、このクソメイド!!」
「博麗、霊夢…」
「レミリアが捕まってるんでしょう!?それを助けるんでしょう!?行動に移すんでしょう!?それが肝要なんでしょう!?
分かってるなら何で行動しないのよ!?しなきゃいけないことを理解しているくせに、アンタがやってることは、さっきからネチネチネチネチと
そこの門番に愚痴を零すだけじゃない!!アンタ、一体何様のつもりな訳!?」
距離を縮め、霊夢は徐に私の襟元を掴み自分の顔に引き寄せる。
その距離は吐息のかかる距離、最早額と額は触れあってすらいる程で。距離を縮め、霊夢は私を睨みながら声を荒げる。
「ご主人様、助けるんでしょう!?だったら甘ったれた泣き言をメソメソ零してないでちったあ根性見せなさいよ!!
魔理沙もそこの門番も魔法使いもアリスも私も幽々子の奴でさえもレミリアを助けようと皆頑張ってんのよ!
ええ、アンタの事なんか嫌いだもの、勝手に死のうがどうでも良いわよ!けどね、そんな弱っちい情けない十六夜咲夜は見てるだけで吐き気を催すのよ!!
アンタは強いんでしょう!?誰よりもレミリアから信頼されてるんでしょう!?だったら、少しはご主人様に格好良いところみせなさいよ!!」
乱暴に私を投げ、霊夢は今にも殴りかかりそうな形相で私を睨みつけている。どうやら相当にご立腹のようだ。
ああ、確かに霊夢の気持ちもよく分かる。腹立たしい。ええ、実に腹立たしい。今の自分自身の無様さ情けなさ、それがナイフを突き立ててやりたいくらいに腹立たしい。
思い出せ、十六夜咲夜。お前はこの十と余りの年月をどうやって生きてきた。全ては母様を護る為、その為に私は生きてきた筈だ。
母様を護る、その誓いを絶対のモノとする為に、来る日も来る日もフラン様とパチュリー様、美鈴から血反吐を吐くまで扱かれてきた。その日々を水泡に帰す気か。
何の為に私はナイフをこの手に取った。何の為に私は戦う術を身につけてきた。全ては母様を護る為――母様と過ごす日々を護る為。
その私の絶対が今、ここに蹂躙されようとしているのを、私はただ力の無い子供のようにうろたえ泣き喚いているだけなのか。否、断じて否。
力はここに。誓いはここに。ならば、私は戦える。母様を護る為に、誰よりも疾く、誰よりも鋭く、そして誰よりも強く在り続けることが出来る筈だ。
「…何よ、ちったあマシな顔になったじゃない。次に無様な醜態晒したら、今度は本気で顔面蹴り倒すわよ」
「ふん、お前に言われるまでもないわ。完全で瀟洒な従者に二度の失態は存在しない。…礼は言わないわよ、博麗霊夢」
「誰がいるかそんなの。アンタに礼なんか言われるくらいなら泥水で口を濯ぐわ」
「あら、奇遇ね。私も貴女に礼を言うくらいなら自ら死を選ぶところ」
互いに言葉汚く罵り合いながら、私達は視線を再び妖怪桜の方へと向ける。
冷静に思考を落ち着かせ、私は母様の周囲の桜の状況を観察する。凝視すれば分かることだが、母様を捕えている枝は動きを見せることはなく、
周囲の桜の枝もまた、母様の身体を貫こうなどという素振りを見せてはいない。どうやら、母様のことを敵視している訳ではないようだ。
これが信頼出来る判断かどうかは分からないけれど、心に余裕が出来た私には十分過ぎる好機と考えることが出来た。
こちらの敗北条件は母様に手を出されること。しかし、相手にそのつもりがないのならば、私達は手探りで勝利条件を到達する手段を虱潰しに探すだけでいい。
魔理沙やアリス、パチュリー様の様子を見る限り、魔力に頼った魔法は通用しない。美鈴の気を利用した攻撃も魔力程ではないが、あまり有効ではない。
だったら、私達の攻撃ならどうか。私のナイフ、そして霊夢の霊力による力――この二つを前にして、同じように防ぐことが出来るかしら。
「行くわよヘタレメイド。私が大暴れするから、アンタは私の流れ玉が当たらないように精々必死で捌きなさい」
「良くてよ外道巫女。ただし、お嬢様のお身体に掠り傷一つでも付けた時は明日の命の保証はないと思いなさい。私直々に殺してあげる」
私達は頷き合い、妖怪桜の無数の枝が暴れ狂う暴風域へと二人並んで突入する。
巫女と協力し合うのは癪だけど、それ以上に妖怪桜は私の怒りの琴線に触れた。私の母様に手出ししたこと、消滅を持って償わせてあげるわ。
~side 美鈴~
「いきましたか…しかし、咲夜さんの不安定さにも困ったものです。まあ、そこが人間の魅力なのでしょうが」
戦場へと駆けて行った咲夜さんの背中を見つめながら、私は大きくため息をつく。今の咲夜さんの情けない姿を見たら、
きっとフランお嬢様は激怒しちゃうんだろうなあ。こんな無様な醜態を晒す為に私は鍛えた訳じゃないって。
でも、まあ、師匠の一人である私としては好ましくはある。人間は不安定、不安定だからこそ強い。感情の昂りが妖怪には辿り着けぬ奇跡に至ることだってある。
さっきの咲夜さんは私より弱い。だけど今の咲夜さんには微塵も勝てる気がしない。それがきっと咲夜さんの強さ。十六夜咲夜の本当の強さ。
「咲夜も良い友人を得たみたいね。あんな風に互いを向上させ合う人物なんてなかなか得られるものじゃないわ」
「友人、なんですかねえ…まあ、他に表現のしようもないし、それぐらいしか無いんでしょうけど」
「あるじゃない。好敵手、なんて素敵な言葉がね」
「咲夜さん、絶対認めませんよそれ」
私の背後まで滑空してきたパチュリー様に、私は苦笑交じりで言葉を返す。
パチュリー様の言う通り、今の咲夜さんは動きが尋常じゃない。博麗の巫女と背中合わせで妖怪桜の猛攻を鬼神のように軽くいなしている。
あれだけのレベルで戦えるのも素晴らしいけれど、それに充分ついていってる博麗の巫女も大したものだ。あれもまた天賦の才に愛された娘子なのだろう。
内部からの霊夢達の攻撃に加え、外からは魔法使いちゃんともう一人の魔法使いちゃんが二人の援護射撃を行ってくれている。
さて、普通ならこれで大抵の敵は問題なく沈黙してくれるんでしょうけれど、この妖怪桜は異端極まりない厄介モノ。ここで私達が打つべき一手は…
「勿論、考えてくれたんですよね?信頼してますよ、紅魔館のブレイン様」
「残念だけど、考えてくれたのは西行寺のお姫様よ。とにかく、私達のすべきことはレミィの救出。
あの妖怪桜からレミィを解き放つ為に、幽々子から一つの作戦実行を頼まれたわ」
「作戦ですか?私達のすることとは?」
「――『西行妖までの一本の道を作れ』だそうよ。そうすれば、後はあちらがどうにかしてくれるみたい」
「へえ…パチュリー様は信用出来ると思います?」
「するしかないでしょ。情けないけれど、今は藁にでも何でも縋っておきたいわ。私達の手持ちのカードを開くには、まだ状況が温過ぎる」
分かったらさっさと実行、そうやって目で支持をするパチュリー様に肩を竦めてみせ、私もまた咲夜さん同様に妖怪桜の方へと飛翔する。
幸い、桜の攻撃は中心で大暴れしている咲夜さんと博麗の巫女に集中している。お嬢様への道を作るには、薄くなった枝の鞭結界の起点で
私もまた大暴れすれば良い。咲夜さん達を魔法使いちゃん達がフォローしてくれるように、私の方はパチュリー様が援護してくれる。
さて、お手並み拝見といきましょうか、西行寺のお姫様。パチュリー様には申し訳ないですけど、お嬢が失敗したときには
私の持つカードはきらせて頂きますから。咲夜さんも言ったように、今回の件は完全に私の失態が招いたこと、それを取り戻すにはそれでも足りないくらいですからね。
~side 幽々子~
私は一体何をしているのだろう。暴れ狂う西行妖を眺めながら、空で一人私は大きく息をつく。
ただ、純粋な興味だった。この妖怪桜には一体どんな人物が封ぜられているのか、ただそれだけだった。
そして、か弱くもその在り方が誰よりも美しい友との約束を果たしたかった。桜舞う西行妖の下で、共に酒を酌み交わしたかった。
そんな欲望が今、私の友を苦しめる。そんな自分勝手さが今、私の願いを曇らせる。
この場所からは気高き月の輝きは見えない。何故なら私が隠してしまったから。この場所からは優しい風のさざめきも聞こえない。何故なら私が手放してしまったから。
本当、私は何がしたかったのか。私は一体どうすればよかったのか。この異変は何から何までが正しくて間違いだったというのか。
その答えは誰を問い詰めようと返ってはこない。その答えは全ての責がある私自身が導き出す他に術はない。否、そうしなければならないのだ。
――何を手にし、何を放棄する。私が考えるべきは結局、その一点に在る。今、私が選ぶべき道はその点に絞られている。
ならば私は何を選ぶ。ならば私は何を望む。馬鹿らしい、考えるまでも無い。私が手にすべきはたった一つ。見えない答えも要らない、霞んだ幻想も要らない。
私が必要なのは唯一つ、私と共に笑いあってくれる貴女だけ。私と共に雑談に興じてくれる貴女だけ。私が救い上げるべき答えは唯一つ――
「――レミリア・スカーレット。貴女無くして、新たな物語の創造はあり得ないのよ」
彼女の紡ぐ未来こそが私の見守り続ける未来。だから私は彼女を救う。
私は瞳を閉じ、己の持てる全ての力をここに解放する。我が放つは反魂蝶、死と生を司る亡霊に群がる冥府の華蝶。
蝶達は冥界の空を飛び、皆が作った道を打ち据える数多の楔と貸してゆく。
紅龍の開いた道を、紫魔の築いた道を、神魔の固めた道を、人魔の拓いた道を、神子の定めた道を、そして修羅の想いで成り立つ路を。
蝶が彼女の周囲を舞う時、そこに奇跡への架け橋は成る。あとはこの道を奔るだけ。力強く走り、彼女の未来を切り開くのみ。
ここから彼女までの道に最早邪魔する者は何も無い。皆の力が描いた奇跡、これを形にしてこそ私の自慢の従者。
「命令よ――我が友を縛る忌まわしき鎖を容赦無く斬り捨てなさい、妖夢」
返事は無い、けれど、この冥界に舞う風が答えを見ずとも結果を教えてくれる。
ふふっ、妖夢は小さい頃から私にいつも自慢気に話してくれたものね。貴女の剣、妖怪が鍛えた楼観剣に――
~side 妖夢~
「――斬れぬものなど、あんまり無い!!」
滑空一閃。数百メートルという長距離からの加速を加えた私の一刀で、レミリアさんを束縛していた西行妖の枝は一断の下に伏せられる。
西行妖から解放されたレミリアさんを救出に向かおうとして、私はその必要が無いことを悟る。桜から解放されたレミリアさんを、
先ほど私を弾幕勝負で圧倒してくれたメイドが抱き抱えていたからだ。何時の間にあそこまでの移動を。やっぱりあの人も唯者じゃない。
私とメイドは視線を交わして頷き合い、共に西行妖の懐部分から脱出する。その際に幾つもの触手のような枝が私達を襲おうとしたが、
遠くから魔理沙達が援護してくれて比較的容易に脱出出来た。危険区域外に脱出した私に、魔理沙は近づいてきて笑いながら背中を強く叩く。
「いや~、妖夢お手柄だぜ!!こんなグッドタイミングで大仕事をやってのけるとは大したもんだ!
さては美味しい場面を狙って隠れてたな!?このこの~!」
「あ、あはは…」
言えない。メイドの人に弾幕勝負でボロボロにされて目を回して気絶していたなんて口が裂けても言えない。
幽々子様の言霊の入った反魂蝶に起こして貰うまで眠りこけてましたなんて絶対言えない。この秘密はお墓まで持っていくことにする。
私が苦笑していると、レミリアさんを抱き抱えたメイドが傍まで飛翔し、私に深々と頭を下げる。
「貴女のおかげで我が主を無事に救出することが出来ました。そのことを心より感謝すると共に
先ほどの数々のご無礼を謝罪致します。あの、先ほどの傷の方は…」
「非礼?傷?妖夢、何のことだ?」
「わーっ!!!ななななんでもないっ!!そ、それよりもレミリアさんは無事ですか!?」
「はい。意識こそ失っていますが、ご無事です…本当に良かった」
レミリアさんを抱きしめるメイドさん。その表情は、私と戦っていたときからは想像も出来ないくらい優しくて。
…この人、こんな風に綺麗に微笑んだ。どうやら、魔理沙も同じ感想なのか、私同様に呆然とメイドの方を見つめていて。
私も魔理沙も固まってしまったものだから、結局私達が再度動き始めるのは、背後から誰かに声をかけられてからで。
「…で?アンタはいつまで感動シーンを垂れ流し続ける訳?」
「あらあら、この場面でそれは無粋というものよ。今代の博麗の巫女は雅というものを知らないわね」
突如聞こえた声に私達は背後を振り返ると、そこにはみんなが集まってきていて。
幽々子様に美鈴さん、パチュリーさん、そして博麗の巫女に人形遣い。その場の誰もがにやにやしながらメイドさんの方を見つめてる。
だけど、そんなからかう視線にメイドさんは微塵も気にした様子も無い。この人、本当に凄い人だ。私だったら視線に負ける。
「お嬢様を救出出来て何よりなんだけど、少し良い?
私達がどれだけ攻撃してもあの妖怪桜は微動だにしなかったのに、どうして妖夢の斬撃にはあっさりと切断されたの?」
「ああ、それはこの楼観剣のおかげです。妖怪の鍛えたこの楼観剣は、幽霊すらも斬り伏せる力が備わっているんです」
「…つまり、あの化物桜は幽霊ってこと?」
「どうかしら。実体はあるから、木自体は本物でしょうね。ただ、西行妖の周囲には信じられない霊呪が付与されているわ。
どうしてそうなったのかは知らないけれど、あれを破れるのは同じく霊を斬り伏せることの出来る方法だけ。
誰かさんがいれば実体と幽体の境界を入れ替えたり出来たんでしょうけれど、今打てる手段と言えばこの娘だけという訳よ」
私の説明を、幽々子様が引き継いで美鈴さんに説明してくれた。
そう、あの西行妖の下には何者かが眠っている。その者が封印の鍵となる程に、あの妖怪桜には何かがある。
今回、その封印を解く為に春を集めていたのだけれど、まさかこんな事態になるとは思わなかった。春を吸収すると、西行妖がこんな風になるなんて…
「さて…めでたしめでたし、では当然終われないわよね?私達も、貴女達も」
「当り前よ!!とりあえずまずは春を返しなさい!アンタの目的はもう達成不可能なのは誰が見ても明らかでしょう!?」
幽々子様に博麗の巫女が突き詰めるように問いかける。私も正直博麗の巫女に同意だ。最早、こんな危険な桜に春を与える意味は無いと思う。
確かに誰かがこの桜の木の下に眠っている事実は気になる。だけど、それ以上に、今回の件は一歩間違えば大惨事を引き起こしていた。
いくらレミリアさんが強いとはいえ、西行妖に不意打ちをされては今回のようなことになる。失神で済んだけれど、下手をすれば
レミリアさんは死んでいたかもしれないんだ。そうなっていたら、私はきっと二度と剣を握ることは無かっただろう。
そんな私と同じ考えか、幽々子様は『ええ』と小さく頷き、ゆっくりと顔をあげて言葉を続けてゆく。
「私はもう春を集めて西行妖を咲かせるつもりなんてないわ。この件は、私の完全な計画ミス。
私の判断の誤りが、もう少しで取り返しのつかない未来を紡ぐところだった。ごめんなさいね、私のせいで貴女達の大切なご主人様を死なせてしまうところだったわ」
「そんなこと今更謝っても…」
「待ちなさい咲夜。西行寺幽々子、今回の件は確かに貴女のミスだわ。だからこれを貸しにさせて頂戴。
このアドバンテージは何よりも優先される意味を持つ。私の言ってる言葉の意味が分かるわね?」
「ええ、勿論よ。その貸しは何事よりも優先されるべき…例え私が親友と対峙することになろうとも」
「分かってるじゃない。西行寺幽々子、その返答は承諾と見做して構わないわね?」
「構わないわ。正直、私としては僥倖な取引だわ。レミリアとの接触を禁じるくらいは言われると思っていたのだけれど」
「この狸。私達がそんなことを言う訳が無いと知っているくせに」
「あら、ばれましたか。フフフ、西行寺の娘という地位も利用出来るもの、そう感じたのは初めてですわ」
パチュリーさんと幽々子様が何事が良く分からない会話を交わしていたが、どうやら会話の流れを見る限り、私達は許して貰えるらしい。
…正直、ほっとしている自分が居る。これだけの事をしておいて図々しいとは思うけれど、やっぱりレミリアさんや美鈴さんとこれっきり
会えなくなるのは嫌だったから。折角憧れていたレミリアさん達と仲良くなれたんだもの、やっぱりこれからもお話したりしたいから。
「ちょっと~、長話はそれくらいにして本題に移らせなさいよ」
「はて、本題とは何のことだったかしら?」
「すっとぼけんなっ!!春よ春!幻想郷中の春をさっさと耳揃えて返せっつってんのよ!!
私は早く神社の桜を見ながら花見酒が飲みたいの!その時はアンタらも呼んでやるからさっさと寄こせ!」
「あら、それは実に嬉しいお誘いですわ。私も妖夢と共に参加させて頂くとしましょう。
それと、春のことなんだけれど…心配せずとも、後は勝手に返還されるみたいよ?あちらさんもどうやらそのつもりみたいですし」
幽々子様の言葉に、博麗の巫女を含めて私達全員が頭に疑問符を浮かべる。幽々子様、何を仰ってるんだろう。
そんな私達の様子に、あらあらと微笑みながら幽々子様はゆっくりと私達の背後下方を指さす。そこにあるのは確か西行妖。
幽々子様の指を追うように、私達はゆっくりとその方向に視線を向けると、そこには先ほどと同じ西行妖が。ただ、一つ違う点が…
「…ねえ、幽々子。一つ訊きたいんだけど、何であの妖怪桜は桃色に発光してる訳?」
「さて、私も初めてのこと故、推測の域を出ませんがそれでよろしければ。
あれは恐らく西行妖の桜の花ね。春度が目標に届かない状態で力を振るったせいか、中途半端に開花しようとしてるわ。
間違いなく満開になることはないでしょうけれど、八分咲きくらいまでは咲いてくれるのではないかしら?」
「ふ~ん…そうなんだ。それで、あの桜の花が咲くのと春度の返還、どう関係があるの?」
「花咲けばいずれ散るが運命、その散り際にこそ春は巡り世界を駆けるのです。
つまるところ、西行妖は今から咲いて散りゆくことになる。その時に春度が物理的な力と共に放出され一緒に世界に循環されるという訳です」
「…えっと、ということは?」
「ええ、今から始まるのは西行妖から皆様へ送る鎮魂歌(だんまくしょうぶ)という訳ですわ。
さあ、舞台は最終劇、今宵の桜は妖し桜、主役に恥をかかせぬ為にも、ラストは美しく舞い踊りましょう――」
幽々子様がそう言い終えるや否や、西行妖の輝きがどんどん上がっていって――暴発した。
西行妖から放たれるのは恐ろしいくらいの放出量を持った弾幕陣。ちょ、ちょっと待って、こんな展開予想外過ぎですよっ!!
「ちょ、ちょっとふざけんな幽々子!!貴女、こんなアホみたいなことしたら気絶したレミリアが危ないでしょうが!!」
「いや、お嬢様なら咲夜さんが安全な場所まで連れて避難しましたよ?時間止めて」
「はぁっ!?あのクソメイド、一人だけ安全な場所にっ!!こんなの付き合ってられるか!私も遠くまで逃げるわ!」
「馬鹿!やめろ霊夢!その台詞は完全な死亡フラ…」
「って、きゃあああ!!!!」
「れ、霊夢じゃなくて人形遣いぃぃぃぃぃ!!!!!!」
あああ、西行妖の弾幕に人形遣いが餌食になった。普通今の流れなら博麗の巫女が当たると思ったのに。
というか、私も人の心配してる場合じゃなくて…と、とにかく逃げ…じゃなくて幽々子様をお守しないと!!
「幽々子様!!危険ですから私の後ろに…って、人の半霊使って一体何してるんですか幽々子様っ!?」
「何って、盾?知ってる妖夢、紫に聞いたんだけど、外の世界の牛車ってこういう枕をカラクリとして仕込んでるんですって。
なんでもこれで衝撃が吸収されるらしいのよ。外の世界の人間って不思議なことをするのねえ」
「幽々子様、それ絶対紫様のただの冗だ…はぐぅっ!!!」
幽々子様が半霊を盾にすると、当然半霊に弾幕が当たる訳で。半霊に直撃すると私も痛い訳で。
ああ、これが死ですか…ですが、私の死も無駄ではない筈です。魔理沙、先に逝きます…待ってますよ…私は、敗者になりたい…
「妖夢ぅぅぅぅぅ!!!!!くそっ…今度は勝ち逃げかよ…!!」
「はぁ…ばかばっか」
「そうですか?私はこのノリは嫌いじゃないですよ?」
「アンタも含めてよ」
~side レミリア~
真っ暗。何処を見ても真っ暗。ああ、あれか。私、とうとう死んじゃったのかな。
あはは…まあ、あんな化物桜に捕まっちゃったら仕方無いわよね。うん、良い方向に考えよう、痛みを感じなくて良かったなって。
しかし、あの世って、随分とまあ、真っ暗なのね。もっとこう明るいところ想像してたわ。蛇の道とか虫とかサルとか。
ん~…しかし、あの世って気持ち良いわね。特に私の頭の部分。なんていうか、柔らかいっていうか、ふかふかっていうか。
あの世でも柔らかいって感覚あるんだ。しかも温かいまであるんだ。そりゃあの世で修業も出来るわよね。本当、世界は不思議発見だわ。
でも、ここまで揃ってて世界が真っ暗だっていうのはちょっと…ああ、なんだ、もしかして私、ただ目を開けてないだけかしら。
あ、何かそれっぽい。試しにゆっくりと瞳を開こうとすると眩しい光…まではいかないけど、ぼんやりと明るさが取り戻されてきて。
ふにゃふにゃ、ふにゃふにゃ。揺れる私の視界がゆっくりと焦点を取り戻してきて、そこに映し出されたのは、一人の女の子の顔。
「…さく、や?」
「お嬢様っ!!」
私を見下して…違うか、私が見上げてるのか。この頭の柔らかな感触は咲夜の膝枕ってことね。目覚めた私を見て笑顔を零す咲夜。
ああうん、咲夜はやっぱり可愛い。この娘、笑うととっても可愛いのよ。咲夜は昔から笑顔が良く似合うとっても可愛い女の子なんだ。
だから、咲夜はいつも笑ってなきゃ駄目だ。咲夜はいつも笑顔でないとお母さん、心配なのよ。だからいつも笑うように言ってたのに…
「…何を泣いてるのよ。馬鹿ね、咲夜は笑顔が可愛いんだから泣いちゃ駄目だって、お母さん言ったでしょ」
「――うんっ、うんっ」
何が悲しいのか、咲夜は笑ったまま涙を零していた。だから、私はゆっくりと重い腕を上げて、咲夜の目尻をそっと拭ってあげる。
最近は全然見ることが出来なかったけれど、やっぱり咲夜は咲夜なんだ。どんなに大きくなったって咲夜は泣き虫のまんま。
でも、私はそんな咲夜が愛おしい。最近はめっきり親離れしちゃって、やっぱり少し寂しかったから。何があったかは分からないけれど、
今日は沢山甘えさせてあげようと思う。本当、親馬鹿よね私って。咲夜が沢山笑ってくれるなら、私は何でもしちゃいそうだわ。
「ほら…お母さん、何処にもいかないから。咲夜が満足するまで傍に居るから。ね?」
咲夜の髪を優しく撫でながら、私は咲夜を安心させる為にやんわりと微笑んでみせる。
本当、咲夜は甘えん坊さんだ。けれど、私はそんな咲夜が良いと思う。ああ、こんなことばかり言ってるからパチェの奴に子離れ出来ないって怒られるんだろうな。
でも、仕方ないじゃない。咲夜はこの世でただ一人の、私の大事な大事な一人娘なのだから。
だから今は時間の許す限り、咲夜の満足するまで付き合おう。本当、何か大事なことを忘れてるような気がしないでもないんだけど…
追伸。咲夜と私のスキンシップの光景を霊夢達に余すことなくノーカットで見られてました。
魔理沙に至っては全然似ても似つかない私のモノマネまでしてからかって下さりやがりました。
霊夢の何とも言えない視線と幽々子のニヤニヤがそれはもうとても言葉に出来ませんでした。
もう殺せさあ殺せ早く殺せいっそ殺せ。ゆかりー!早く私を殺しにいらっしゃーい!!