紅に染まる世界。それは例えるなら小さな紛れ無き水溜りに延々と流れ続けてゆく甘美な血液。
陰鬱とした紅蓮の霧が大地を包む。その浸食は留まるところを知らず、幻想郷の頭上に燦然と輝く傲慢な太陽でさえも遮ってしまった。
喜ぶがいい、陰に宵闇に這い回る妖人達よ。これは我ら闇夜の覇者の大いなる饗宴。
恐れ平伏すがいい、陽に日輪に縋る人間達よ。これらは我ら暗影の僕の高貴なる反攻。
窓の外に映る紅の世界に、私は笑みを零さずにはいられない。昂ぶる感情が抑えられない。
「お嬢様、随分と機嫌がよろしいご様子で」
「ククッ…機嫌がよろしいかどうか、か。そんなことは聞くまでもないだろう、咲夜。
私は今、この胸から湧き出る感情を表現する言葉すら思いつかないよ」
「それは重畳。結構なことでございますわ」
窓から館周辺の景色を眺めている私に、従者である咲夜がそんな愚問を口にする。
この紅魔館の主である私、レミリア・スカーレットは彼女の言葉を下らない質問だとばかりに一蹴し、視線を窓の外に向け直す。
この不可思議な紅霧が原因で、間違いなく幻想郷は大パニックに陥っていることだろう。
人々の生きていくためには不可欠となる太陽の光は遮られ、日夜問わず生きとし生ける全ての者に纏わりつく血のように赤い霧。
頭に思い浮かぶは不安に怯える弱き人間共の姿。彼らは体も心も脆弱過ぎる。このような異変が二日、三日と続けば精神が持つまい。
外の光景を見ては、そんな幻想郷の変わり果てた姿を頭に描かずにはいられない。
そんな私に、咲夜は今の気分を訊ねてくるのだ。本当、馬鹿らしいまでの愚問だ。
この紅に染まる今の世界を見て、機嫌がいいかどうかだと? 本当に下らない。そんなもの、答えは決まっているではないか。
(私の今の気分なんて最低以外の何ものでもないに決まってるじゃない!もしかして分かった上で言ってるの!?このお馬鹿!)
そう、私の気分は本当に最悪だった。
あまりに最低過ぎて、もう本当、虚勢で笑うしか出来ないくらいに。
私はレミリア。レミリア・スカーレット。
五百と幾許を生きた吸血鬼にして、妖怪や妖精といった人外のモノが棲む紅魔館の当主を務めている。
多くの従者を従え、この館の主として君臨し、スカーレット・デビルと人々に畏怖される永遠の紅い月。
そんなカリスマと皆に謳われる私だが、実は私には誰にも話せない一つの秘密がある。
それは決して誰にも聞かせることなど出来はしない。腹心である咲夜にも、信頼を置く部下である美鈴にも、親友であるパチェにも、
ましてや実の妹であるフランにだって話すことが出来ないたった一つの秘密。
それはいたって簡単なこと。だけど、私はその秘密を可能ならば墓まで持っていこうと思う。けれど、
今は誰も聞いていないので少しだけその秘密を語ろうと思う。
紅魔館の主として、畏怖の対象として恐れ敬われているこの私、レミリア・スカーレット。
――実は私、この館の誰よりも弱かったりする。
言葉だけを聞けば、さてはて、それは一体どういう意味だと思い悩む人もいるかもしれない。
しかし安心してほしい。私が語った言葉の意味は、そのままストレートに、愚直なまでに真っ直ぐに受け取って貰って構わない。
そう、私は弱いのだ。妖怪としての実力どころか、並の人間にだってケンカに勝てはしないだろう。
恐らくデコピン一発で泣いてしまう自信がある。妖精相手でも勝算を見出せはしない。それが私の大事な大事な秘密だ。
吸血鬼なのに何故、と考える人もいるかもしれない。しかし、そんなことは私が知りたいくらいだ。むしろ教えて下さいお願いしますと土下座しても良い。
父も母も純血の吸血鬼、それも父に至っては吸血鬼という種族を束ねる王というエリートもエリート、
吸血鬼の中の吸血鬼、いわゆる吸血鬼120パーセント。そんな血族のもとに私は生まれている。
今は亡き父は、たった一人で人妖の屍の山を築きあげ、その上で優雅に血のワインを嗜んでいた、なんて逸話の残るほど強い吸血鬼だったし、
今は亡き母も、彼女の命を奪わんと教会から派遣された聖騎士団を三部隊ほど壊滅させたとの噂である。
そんな素晴らし過ぎる両親の長女として生まれた私なのだが、出来ることと言ったら、まあ、精々空を飛べるくらい。終わり。
…本当に、冗談じゃなくて。しかも五分も飛んだら疲労で次の日は全身が筋肉痛になる有様。いや、本当に冗談じゃなくて。
鋼鉄をも布切れのように引き千切ると恐れられる吸血鬼の力。でも私は自分の部屋にある椅子より重い物なんて持てやしない。
一夜にして世界中を駆けると謳われる吸血鬼の翼。でも私は以前全速力で空を飛んでいたとき、スズメにも簡単に追い抜かれた。
ここまで言うと流石に理解してくれただろうとは思うが、一応念押しとしてもう一度だけ言っておく。
――私は弱い。吸血鬼なのに、本当に誰よりもよわっちいのだ。
そんな私が何故紅魔館の主などを務めているのか不思議な人もいるだろう。
それはまあ、話せば長くなるのだけれど、まず簡単に言うと理由は二つ。
一つは、この館の前の主であった父の長女が私だから。もう一つは、この私が誰よりも弱いという秘密を
当然皆が知らないから。…うん、ごめんなさい。全然長くもなんともなかったわね。
そういう訳で、母が死に、父が死んだと同時に、気づけば私がそのまま紅魔館の主に据えられてしまったという訳だ。
正直ふざけるなと思った。だって私には、紅魔館の主になどなるつもりは微塵もなかった。
紅魔館の主なんて物騒なものには血気盛んな妹のフランがなれば良いと思っていたし(今も思っているが)、
もうご存じの通り、自分でも哀れに思うくらい脆弱な私にそんなものは務まる訳がないからだ。
そして、何よりも大きな理由なのだけれど、このレミリア・スカーレットには夢がある。それは紅魔館なんて物騒な場所を離れ、小さなケーキ屋さんを開くことだ。
木陰の多い森の中に一軒家を建て、そこで私は自分のお店を開くことが夢だった。
毎日せっせとケーキを作り、お客さんに美味しいと言ってもらい、充実しつつも穏やかな時を過ごすのだ。
そして何時の日か素敵な人と巡り会い、恋に落ち、子を生し、幸せな家庭を作る。
そんな私の些細な夢を、こともあろうか実の父は見事にブレイクしてくれやがった。今から数十年くらい前だっただろうか、
お父様は突然帰らぬ人ならぬ帰らぬ吸血鬼となってしまった。何でも魔法研究の事故とかなんとかであぼーんしちゃったらしい。それだけなら、
私だって涙を流して別れを悲しんであげたというのに、あんのクソ親父、手際の良いことに遺言なんぞ残してくれやがっていたらしいのよ。
クソ親父が残した一切れの手紙にはたった一言、『次の主はレミリアに譲る』。その時は本当、死ねと思った。いや、死んでるんだけど。
そういう訳で、私はこんな脆弱な身でありながら紅魔館の主として過ごすことになったのだけれど、
運が良いのか悪いのか、この数十年間、私は命の危険というものに冒されたことはない。
紅魔館の主となった時点で、正直今世の命は諦めていたのだが、私は一度たりとも誰かと命のやり取りをすることはなかった。
私が主であることに不満を持つ部下が、いつか必ず私の命を狙ってくる…そんな事を主になったばかりの頃はよく考えていたのだが、期待を裏切り、一度たりとて無かった。
どうやら部下達は私=前主の娘=弱い訳がないと変に勘違いをしてくれているらしい。本当、部下が馬鹿かつ野心のない奴ばかりで助かった。
まあ、そんな連中も私が主になってというもの一人減り二人減り…結局残ったのは片手で数えられる人数だけ。これはもう、本当にラッキーだった。人数が
多ければ多いほど、私の弱バレする可能性はウナギ登りする訳で。そういう意味では人員整理を行ってくれたらしい親友に大感謝。
次に外から私の命を狙ってくる輩がいるのでは…そんな心配も、あっけなく裏切られることになる。
何故ならウチの門番を務めている妖怪がとても優秀で、彼女は一度もそんな不埒な輩を門の中に通したことがない。
まあ、そんなこんなで、何とが紅魔館の主としてえっさほいさと奇跡的に寿命を永らえてきた私だが、
そんな私の幸運の星、ラッキースターもとうとう終焉を迎える時がきたらしい。それが最初、冒頭の話に戻るという訳だ。
私達が居る世界、幻想郷を覆う紅の霧。これが私の命に終止符を打つ最低最悪の根源なのである。
先に言っておこう。この霧を生じさせたのは勿論私なんかではない。というか、こんな凄い事出来ない。
私に出来るのは、前述した通り空を飛ぶだけなのだ。魔法弾の一つも放てやしない私が、こんな幻想郷中を覆い尽くすような大魔術など行使出来る訳がない。
では一体誰がこんなことをしたのか。それは現在この館の地下室でぐっすりと気持ちよく眠りこけて下さっているであろう我が妹、フランドール・スカーレットである。
先に言っておくけれど、フランは私とは違い、純粋な紛うことなき吸血鬼だ。
力は大木を薙ぎ倒す程に強く、空を駆ける速度は天狗にも劣らない。体在する魔力は底を知ることなく、その魔術は万物をも焼きつくす。
私とフランは吸血鬼として比較するならスッポンと月、ヒヨコとプテラノドン、メダカとシロナガスクジラ。
自分で言ってて悲しくなるが、本当にそれくらいの差があるのだから仕方がない。
まあ、そんな吸血鬼として優秀な馬鹿妹が何をトチ狂ったのか、紅の霧を幻想郷中にこれでもかと発生させたのである。
その霧は紅魔館内部から周辺へ、湖を越えて人里へ、そして気付けば幻想郷の全ての大地を覆い尽くしたのである。
そう、これはフランの起こした異変。私は何も関係無い。無罪。無実。ノータッチなのだ。
それなのに何故か従者達は口を揃えて『お嬢様の仕業ですね。流石です、お嬢様』など言ってくるのだ。
私がそれを否定したところで誰も信じようとしない。あまりに頭にきたので、フランのところに直接出向いて問い質しても
馬鹿妹の口から出るのは『お姉さまそんなことしたんだ!すごーい!尊敬しちゃうなー』などという気持ちが微塵も籠ってない棒読み台詞。
それを見て私は確信したわ。こいつはこの紅霧を私のせいにしたがってる、ってね。
何を言ってもフランは私とまともに取り合わず、かといって霧を引っ込めることもないし。頑張って霧を止めるよう
言ったのだけど、聞く耳なんか持ちやしない。で、分かったのよ。コイツは私がどういう行動に出るか楽しんでるんだと。
そうなるとほら、私にはどうしようもないじゃない。だって私、メチャクチャ弱いし。フラン、メチャクチャ強いし。
口論から喧嘩に発展して、掴み合いなんかになったりしたら、私死ぬし。冗談無しに死ぬし。命終わっちゃうし。
仕方ないから地下から出てきて、どうしようもないから、部下達にふんぞり返ってやったわ。『この紅霧騒ぎは私がやった!』ってね。
まあ、その時は『妹のしでかした悪戯だもの、姉として少しくらいは庇ってあげないとね』と思ったのよ。思っちゃったのよ。
どうせフランの奴も数日くらいで飽きるだろうしって甘い考えも少なからずあったわ。あの娘飽きっぽいところあるしって。
もうね、その時の私を殴りたい。殴り殺したい。少しでも思っちゃった私を撲殺したい。これでもかって。これでもかって。
…そう、それはフランの馬鹿が紅霧を出して二日目の夜だったわ。
私が寝室でベッドにのんびりと横になって読書を楽しんでいたとき、いきなりベッドの横に変な空間の割れ目みたいなのが出来たのよ。
何事かと思ったら、そこから出てきたのよ。お化け?違う違う、もっとヤバいシロモノよ。それはもう銀河ギリギリぶっちぎりに危険な奴よ。
そこから出てきたのは金髪の綺麗な女でね。そいつ、ハッキリ言って常識外、規格外なくらいの妖力を有してたのよ。
美鈴?パチェ?咲夜?フラン?そんなレベルじゃないわ。あれは存在してるだけで化け物だって分かるレベルだったのよ。
それで、その空間の割れ目から出てきた女が私に向って笑いながらこう言うのよ。
『こんばんは、吸血鬼のお嬢さん。お休みの最中にごめんなさいね。
貴女に少しお話があるのだけれど…お時間のほうは良いかしら?』
もうね、何というか、ふざけるなと。お時間の方は良いかしら、とか言いながら有無を言わせるつもりないだろって。
そこで私が『だが断る』なんて言ったものなら、その瞬間、私の首は胴体とサヨナラしてたわね。グッバイマイボディ!みたいな。
もう本当、その女の笑顔が怖くて怖くて。もう怖いわ泣きたいわ逃げたいわ布団の中にもぐって現実逃避したいわ。
でもほら、一応私って紅魔館の主じゃない?本当に一応なんだけど、頭に(嘘)ってつけてもいいけど、最弱だけど主じゃない?
だから、一応形だけでも頑張ってみようと思って、その女を睨みながら言い返してやったのよ。身体は滅茶苦茶震えてたけど。
『こんな素敵な夜に無粋な女ね。レディの部屋に入るときの礼儀がまるでなっていない。
それではダンスパートナーを探す時にさぞや苦労するだろうな』
『あら?貴女は私のような女は嫌い?
たった一人の女…そうね、この紅霧というロマンチックな演出を幻想郷に描いて下さった貴女を探す為、
寝る間も惜しんで一心不乱にこの世界を探し回った一途な女は』
もうね、キモイ。人の軽口を三倍にして返すこの女がキモイ。キモイ以上に怖い。超怖い。金髪の女怖い。
でね、その女の口ぶりからして、どうも幻想郷を騒がしている紅霧を出してる奴を探していたと。そしてそれが私だと。
はっ!とんだ的外れだわ!味噌スープで顔洗って出直してこいや!…なーんて、そう言いたかったんだけど、
口にした瞬間絶対に私の首が胴体と(以下略)。だから私はビクビクしながらも必死に言葉を続けたのよ。
『嫌いだね。加えて気に食わない。
お前の存在は私の部屋の空気を澱ませる。愛しき紅月に群雲が掛っている内に疾く消えうせるがいい』
ちなみに今の言葉を翻訳すると『ごめんなさい。私はゴミです。クズです。私が悪かったので帰って下さると嬉しいです』よ。
素直に言葉に出来ないのはあれよ。私がツンデレだからよ。今はツンツンな部分が強いけど、根気強くアタックすれば…なんて下らないこと考えてた訳よ。そうしたら、
『フフッ、吸血鬼風情がよく吠える。
お前達がこの幻想郷に訪れたとき、二度と私に牙を立てられないよう、念入りに躾けたつもりだったのだけれど』
なんて、訳の分からないことを言い出した訳。本当、何のことか私はサッパリだったわね。
幻想郷を訪れたとき?それって一体何十年前の話よ。幻想郷に来たのは、お父様達が勝手にやったことだし、そんな昔の話をされても正直困る。
そもそも、その頃の私はずっと地下に閉じ込められてたもの。ああ、理由?ちょっとした悪性の流行病に罹っちゃってね。
まあ流行病っていうか、インフルエンザ。吸血鬼がインフルエンザて。冗談みたいだけど、勿論それは冗談じゃない。
私はそのとき軽く五回ほど三途の川を渡りかけたわ。相当な悪性だったのよ。
それで、私のインフルエンザが他の奴らに感染しないようにって隔離されてた訳。あのときは寂しかったわね。話し相手が最初はぬいぐるみだけだったもの。
その後、流行病が治って、外に出てみたら館がボロボロになってたり、部下達が随分減ってたり、
お父様が死にかけたりしてたけど…まあ、今この話は関係無いわね。そんな訳で目の前の女の言ってることがサッパリ理解出来なかった訳よ。
だから私考えた。必死に考えて、ようやく答えにたどり着いたの。この目の前の女は、妖力は強いけど頭がとても可哀そうな人なんだって。
多分妄想癖っていうのかしら。そういう持病を抱え込んでるのよ。そう思うと、何だか優しい気持ちになれてね。そうしたら、想像が少し膨らんじゃって。
きっと目の前の女は、休日とかは一人壁に向かって話しかけてるわねとか、
きっと深夜ラジオを聴くのが趣味で、リスナーのネタ募集みたいなコーナーの為に毎日葉書を投函してたりするのね、とか。
そんなことばかり考えてたら、思わず口元が緩んじゃったのよ。だって仕方ないじゃない?目の前の女、凄く可愛い可哀そう(新語)だったんだもん。
そうしたら、目の前の女が訝しげな表情を浮かべて『何が面白いのかしら?』って訊くのよ。
いや、面白いでしょ。目の前で強そうにしてる女が趣味は壁トークと深夜ラジオって。だからつい口を滑らせちゃって。
『愉快、実に愉快よ。こんな愉快なことは久しぶりだもの。
お前もなかなかどうして役者ね。その完全なまでの仮面が滑稽過ぎて笑いが抑えられない』
いや、だって本当、こんな完璧超人美女みたいな女が、休日壁に向かって『ねえ私のことどう思う?嫌い?好き?』とか
独り言話してるのを想像したらねえ?そんな強烈なギャップが可笑しくて、我慢出来る訳ないじゃない。
私がククッと笑みを零しているのを、その女はじっと眺めていたかと思うと、何故か急にその女も笑い出したのよ。
いや、本当にキモイ。一人勝手に笑ってた私が言うのもなんだけど、唐突に笑いだしたその女は本気でキモかったわ。
だって、笑い方が『フフ…フフフッ…アハハハハッ』だったのよ?何その悪の三段笑い。今時誰もそんな笑い方しないわよ。
そして笑い終えたかと思うと、私にむかって『今代の吸血鬼は随分と面白いわ』なんて言い出すのよ。
そりゃ面白いでしょうよ。一体この世界の何処に力は無い、魔法も使えない、人間に負ける吸血鬼が居るって言うのよ。
…って、ここに居るわね。ああど畜生、青い空なんか嫌いだわ。いや、吸血鬼なんだから当たり前なんだけど。
それで、ムスッとしてる私に、その女は笑みを零しながらまた訳の分からないことを言い出した訳よ。
『そうね、私も下らない仮面は脱ぎ棄てるとしましょうか。
今日来たのは先ほども言った通り、貴女が起こしている紅霧についてのお話』
『何だ?まさか紅霧を今すぐ止めろとでも言うつもりか?』
そんなこと私に言わないでよと言いたい。というか私じゃなくてフランに直接言えよ畜生と言いたい。
だって何度も言うけれど、紅霧の犯人は私じゃなくて、あのお馬鹿でチッチキチーな妹であって。私は何の関係も無いじゃない。
と、なると、今私がこうして目の前の恐ろしく(妖力が高い)可哀そう(頭が)な金髪女に絡まれてるのは全部アイツが原因じゃない。
シット!どうしてお姉様がアンタの気まぐれの代償を払わないといけないのよ。私の大切な読書の時間を返せコノヤロウ。
だからまあ、さりげなく、遠回しに迷惑なら迷惑と言ってくれって感じで訊いたのよ。もしコイツが『紅霧を止めなさい』って言えば
私は一秒でフランを突き出して『美しいブロンドお姉様、犯人はこの馬鹿です』って証言するつもりだったもの。
だって私、何も関係無いし。ほら、私まだ死にたくないし。まだ500年しか生きてない、好きな人の一人も作ってないのに死ねますかコノヤロウ。
え?何?さっきお前『妹のしでかした悪戯は姉が庇ってあげないと』って言ったじゃないかって?そんなコトはどうでもよかろうなのよ。
フランは私と違って強い娘だもの。きっとこのお姉さんと殺し合ってもしぶとく生き残れる筈よ。私は指先一つでダウンされるでしょうけど。
そういう訳で、この女を地下に案内する気満々だったんだけど、やっぱりこの女は頭が可哀そうな人らしく、
私の質問に対してネジが五、六本は平気で飛んでるんじゃないかって返事をくれやがったのよ。
『最初はそのつもりだったのだけれど…フフッ、少しばかり気が変わったわ。
ねえ、貴女。この幻想郷中を覆う紅霧、こんなことをしでかして下さった理由を教えて頂けるかしら?
この霧は人妖の気分こそ害させるものの、別段命を奪ったりするものではない。
確かに長期に渡れば、作物や気候に甚大なダメージを残すでしょうけれど…ね」
理由?紅霧を出した理由?だからそんなのは全部フランに訊けって言ってんでしょうが。私が知る訳ないじゃない。
そう口にしようと思ったんだけど、フランの奴、結局私に理由を教えてくれなかったのよね。
姉である私が教えてもらえないのに、初対面であるこの女をフランのところに連れていったところで、口を割るかと言えばNOだろう。
でもまあ、私なりにあの娘の考えを推測するならば…
『理由などありはしないだろうよ。敢えて理由をつけるなら、退屈だったから程度だろうね』
『あらあらまあまあ、それはそれは。
成程、この紅霧は貴女にとって唯の暇潰し以外の何モノでもないということね。フフッ』
いや私じゃなくてフランなんだけどね。一応あの娘の気持ち(おそらく当たってる)を代弁してあげただけなんだけどね。
というかさっきからこの人私の言動を見て笑い過ぎなんだけど。何かしら、もしかして本当に(頭が)ヤバい人なんじゃないかしら。
さっきから人を観察するようなねちっこい視線を投げかけてくるし…もしかしてこの女はレズビアンでペドフィリアなんて言うんじゃないでしょうね。
もしそうであったら私は有無を言わさずフランを差し出して自分の貞操を守る為に逃げる。紅魔館?そんなものは滅ぼされてしまえ。
身の危険を感じ始めた私に、ペド女(勝手に決定)は、言うに事欠いてトンデモナイことを言い始めたの。
『面白い、実に貴女は面白いわね。良いわ吸血鬼、私は貴女に興味を抱いた。
それに、そうね…折角貴女が用意してくれた舞台だもの。私も一枚ばかりその喜劇に噛ませて貰うとしましょう』
このペド女、言うに事欠いて私に興味を持ったなんて言い出しやがった。
ちょっと待て。いや本当に待って下さい。勘弁して下さい。何で私?どうして私?私が一体何をしたと言うの?
こんな化物女にターゲットロックオンされたりしたら、私の純潔なんて三秒持たずにグッデイグッバイマイフレンズじゃない。
いかん。いかんですよコレは。私は必死に頭をフル回転させながら、何とか可哀そう系ペド女の興味を逸らそうと画策する。
そうよ、大体コイツのターゲットは私じゃなくてフランじゃない。幸い(?)なことに、フランの容姿、外見は私とそっくり。
しかも私より小悪魔っぽいから、ペド女には垂涎ものだろう。さようならフラン、私の為にペド女の雌奴隷になりなさい。
貴女がいなくても大丈夫。私は一人、森の小さなケーキ屋さんとして第二の人生を歩み始めるから。
『興味を示す対象が違うだろう?私は所詮この物語の脇役に過ぎない。お前が真に興味を抱く少女の演じる、な』
『…驚いた。まさかそこまで見抜かれていたなんてね。
怖いわね…吸血鬼としての傲岸さも驕りも見えず、舞台の裏で絡み合う運命の糸を容易く見抜くその両眼』
怖いのはアンタの方よ。いきなり夜中にズカズカ人の部屋に入ってきて、いつの間にやら貞操のピンチってぶっちゃけ有得ない。
とにかくまあ、どうやら目の前の女の興味はフランの方に向けることが出来たらしい。あとはフランを梱包して
女に素敵な楽園の雌奴隷として差し出すだけだ。さようなら、フラン。聞こえていたら己の我儘さを呪うと良いわ。
よし、謝罪終わり。あとやるべきことは、フランの受け渡しの日付を聞いておかないとね。
大切な妹(生贄)にとって一生に一度の晴れ舞台だもの。姉として、妹の門出を祝ってあげないといけないわ。
『具体的な時は?どうせ近いうちにやってくるのだろう?』
『明日の夜には動くでしょうね。その時は適当に相手をしてあげて頂戴な』
嫌。絶対嫌。私が相手したくないからフランを差し出すんでしょうが。
それにしても明日の夜とは随分と性急ね。そんなにフランと早くベッドでにゃんにゃんしたいのかしら。おお、キモイキモイ。
まあ、別に私が犠牲になるわけじゃないし、別に良いんだけどね。それじゃ、フランを袋詰めにしたり色々明日は忙しそうね。
『ならば準備をしないとな。熱烈な歓迎の用意は必要かしら?』
『貴女達にとっては遊ぶ程度で構わないわ。ご存じの通り、まだ先代から代替わりしたばかりで経験が浅いのよ。
才能は過去の巫女の誰よりもあるのだけれど…ね。貴女の引き起こした紅霧事件が初めて臨む異変なのよ、あの娘は』
はて、何だか訳の分からない単語が飛び出してきた。巫女に異変とは何のことかしら。
あれかしら、フランに巫女服を着せてにゃんにゃんしたいって事かしら。…うわ、流石の私も正直引くわ。
まあでも、愛の形は千差万別。それで二人が幸せなら私は祝ってやるべきなんでしょうね。私は勘弁だけど。
『これは霊夢にとって最高の練習舞台。あの娘はいずれ、この幻想郷で様々な異変を解決してゆかねばならない身。
そういう意味では、貴女が紅霧を起こしてくれたのは本当に僥倖だったわ。
命さえ奪わなければ、貴女は霊夢を相手に思う存分暇潰しを楽しんで貰えば良い。霊夢が貴女に勝ったとき、その時に紅霧を止めて貰えれば、ね』
…あれかな。久しぶりに壁じゃない有機生命体と会話が出来たから、舞い上がって妄想話垂れ流ししてるのかしら。
正直、目の前の女が一体何を話しているのかサッパリ分からなかったけれど、まあ折角テンションが上がってるところに
水を差すのも悪いしね。私も水差し野郎って言われたくないし。どうやら私は完全にターゲットから外れてくれたみたいだし。
というかそろそろいい加減帰ってほしい。私は夜行性だから別に眠たい訳じゃないんだけど、かといっていつまでも
頭の不憫な女の妄想話に付き合うほどお人好しじゃない。本当、これだから無駄に強いキモイ奴って性質が悪いのよね。
私も幻想郷共通言語を飛び越えて何処か未開の星の言語でも使っているかのような妄想話を
耳にするより、さっきまで読んでた本、シルバーニアンファミリーの続きが読みたいのよ。一体何処まで読んだっけ?
コウ・ウサギ少尉がラビッタンローズに着いたところだったかしら。ああもう、続きが気になって気になって仕方ないじゃない。
そんな私の空気をやっっっっっっと(強調)読んでくれたのか、目の前のペド女は満足そうな表情を浮かべて別れを切り出したのよ。
『さて…名残惜しいのだけど、そろそろ私は失礼するわ。
本当なら、貴女と酒でも酌み交わしながら共に一晩語り明かしたいところだけどね』
断固拒否。そういうのはフランと好きなだけやって頂戴。フランを手に入れたというのに、
私にまだ食指を伸ばそうとするなんてどれだけお盛んなのよ。もしかしてあれ?姉妹丼に興味のあるお年頃?本当、これだから変態って嫌なのよ。
そんな気持ちを抑えていると、ペド女は来たときのように空間に亀裂を生じさせその中へ消えていったわ。
そして、その去り際に一言。『明日この館を訪れる博麗の巫女をよろしくね』とだけ言い残して。
それを聞いて私は理解したわ。来るのは他ならぬ貴女でしょうに、それをわざわざ巫女って言い直すとは…それはつまり、巫女服を着てペド女が来るってことだと。
フランを迎えに来るのに自分まで巫女服を着てくるとかどんだけーって。自分もコスプレってどんだけーって。
本当、変態って始末に負えないわと思いながら、私は読みかけだった本に手を伸ばした訳。あー、やっぱウサギ少尉は格好良いなー。