牧畜
大方針は南匈、烏丸が漢に下るということで決まったが、仔細は色々詰める必要がある。
なので、田豊や一部文官は劉虞のところに残って、南匈、烏丸とそういう打ち合わせをし続ける。
麹義は、もう戦いがないので、兵を連れて帰っていく。
一刀は田豊と一緒に居残り組。
といっても政治的な交渉を行うわけではない。
南匈、烏丸への農業指導をおこなうのだ。
だが、相手は遊牧民。
遊牧民といえば馬や羊をつれて、草のあるところを遊牧し続けるというのが生活スタイルだ。
それに対し、近代畜産は、謂わば集約化。
牧草地を限定し、家畜頭数を増やし、牧草の手入れをし……ということをするのだが、そもそもそんな生活スタイルが遊牧民に受け入れられるのだろうか?
遊牧スタイルと真逆の生活だから。
それに、牧草の手入れと言っても、それ相応に降雨量があるのだろうか?
……この時代、モンゴルは現代ほど乾燥化が進んでいなかったような気もしたから、それは平気かも。
「なるほど、話はわかった。
つまり、家畜の数を増やそうと思ったら、遊牧するよりは定住したほうがよいというのだな?」
一刀の説明を真剣に聞いてくれた卑弥呼が答える。
「ええ、そうです。
ですが、遊牧とは生活様式が全く異なります。
ですから、家畜の量を増やす生活を希望するか、それとも今の遊牧がいいのか、それは卑弥呼さんや貂蝉さん自身で決めていただかなくてはなりません。
定住すれば楽になるかといえば、楽になる部分もありますが、逆に遊牧よりも面倒になることもあります。
俺は定住がいいと思いますけど、それを押し付けることはできません。
それに、定住したら、漢民族との交流が増えるでしょうから、そのうちには漢民族と血が混ざってしまって、民族そのものの意味のないものになってしまわないとも限りません。
今すぐに結論は出さなくて構いませんから、俺の意見が必要になったときに呼んで下さい。
出来るだけ早く対応しようと思います」
「あら、うれしいこと言ってくれるじゃない?
もう、ちゅ~してあげちゃうんだから」
「いりません!」
全員にキスを拒否される貂蝉。
「まあ、冗談はさておき――」
……冗談なのか?
「――そうね、すぐには決められないわね。
まずは遊牧し続ける生活を送ることになるでしょうね」
まじめなことも言う貂蝉である。
一応、単于だし。
「そう仰ると思ってました。
その代わりと言ってはなんですが、冬、干草の供給はしましょう。
供給と言っても買い取っていただくことになるのですが。
冬場の草に困らないだけでも、家畜頭数が増やせると思いますが、どうですか?」
冀州には凄まじい面積の麦畑があるから、麦わらの量も半端ではない。
それを干草として支給しようというのだ。
本当は馬や羊や牛に食わせる草は栄養学的には専用の牧草が良いのだが、ないよりはましだろう。
まあ、馬や羊や牛はセルロースを分解して栄養とすることができるから―――正確には消化管内の常在菌がそれを分解して、草食動物の栄養に変えることが出来るから、(毒のない)草であれば何でも大丈夫だ。
そこが、豚や鶏と異なるところだ。
豚や鶏は人間が食べるものを餌とするから、人間と食料の取り合いになってしまうが、馬、羊、牛は人間が食べられない草を食料とするので、人間の食料が減ることがない。
麦わらでも何でも草があれば食料とすることができる。
牧草は彼等が定住するときに考えればいいだろう。
麦に加えて、最近余り気味の英美皇素錠でも支給すればいいだろう。
ビールはうまいうまいといって飲む人はいくらでもいるが、英美皇素錠をうまいうまいといって食べ続ける人を見かけたことがないから、栄養は豊富でも英美皇素錠あまってしまっている。
昔はビール酵母(ビールモルト=ビールの絞りかす)といえば、家畜の飼料にするくらいしか用途がなかったくらいだから、遊牧民の家畜の餌に売っぱらって、代わりに漢が家畜を買い取るようにすれば結果として家畜数の増加を図ることができるだろう。
「それはうれしいわん。
冬の草探しは大変だったのよう」
「確かにそうだな。
貂蝉と取り合いになったこともあった。
漢の土地から草をもらえれば、秋口にまとめて家畜を潰す必要もなくなる」
「数が増えた家畜は漢で引き取ります。
そのお金で穀類や飼料を買い付ければいいと思います。
需要はありますから、家畜は飼料の許す範囲でいくらでも増やしていただいて大丈夫です」
「あ~ら、そうやってわたしたちが豊かになる代わりに、鮮卑の侵攻を食い止めたり漢に下ったりしなくてはならなくなるっていうことね」
「まあ、そう言われると否定できませんが……」
「だが、貂蝉、戦に労力を使うよりも豊かになることに労力を使ったほうがやりがいがあるというものだろう」
卑弥呼がフォローしてくれる。
「そうね。その通りだわ。
漢が裏切らない限り、ずっとあなたたちに従うわよ」
「ありがとうございます。
俺たちも、貂蝉さんや卑弥呼さんの期待を裏切らないよう努力します」
話はそれで一段落したのだが、一刀にはまだすべき仕事がある。
サイロ作りだ。
サイロといえば塔型のサイロを思い描くだろうが、それは昔の話。
塔型のサイロは維持に労力も経費もかかるので、現在のトレンドは簡易サイロ。
草をビニールで包んだだけのラップサイロと言うものまである。
牧場にときどきごろんごろんと転がっている真っ白な巨大な玉がラップサイロだ。
そもそもサイロと言うのは貯蔵だけでなく、草を貯蔵して乳酸発酵させ、サイレージを作るのが目的だから、ある程度嫌気性が要求される。
カラスがラップサイロに穴を開けて、中の草が腐ってしまうと言うのはよく聞く話だ。
それに対し、干草は草を干すだけ。
手間は簡単だが、栄養価はサイレージのほうが高い。
麦は、その収穫のスタイルから干草になるしかなく、最初のうちは干草で我慢してもらうとして、そのうち南匈・烏丸にもサイレージを送りたいと思ったのだが、ビニールがないのが問題だ。
畑のマルチングは藁でもできるけど、ラップサイロはそれでは無理。
ラップサイロなら、業に戻ってからでも実験できるが、塔型のサイロを作ろうと思ったらこの地に留まる必要がある。
労力も考えて、どうにか簡易サイロにしたいのだが……
「気密性の高い紙か何かが欲しいのね」
相談した先は田豊。
ビニールあるか?と聞くわけには行かないから、それ相応の材料を入手しようとしたのだ。
「うん。しかもある程度安価で」
「そうねえ……気密性があるだけなら甕でいいのだけど。
そもそも何に使うの?」
「ああ、草を発酵させるのに使うんだ。
それが家畜の冬の飼料になる」
「ふ~ん。色々知っているのね」
「まあね」
「それで、気密性の高い紙のようなものだけど、布に蝋を塗ったらどうかしら?
安くは無いけど何度か使えると思うわ」
「なるほどね。試してみる価値はあるね」
サイロは業に戻ってから実験することとなった。
月日は流れ……
色々試行錯誤をしたのだが、結論としてうまくいった。
ラップサイロはさすがにビニールなしでは無理だったので、半地下式のサイロとした。
サイロの作り方も農協職員に頼んで伝えてもらおう。
早速干草と併せてサイレージも貂蝉や卑弥呼に送ってみる。
しばらくして貂蝉や卑弥呼から感謝の手紙が届いた。
羊や馬に好評だと書いてあった。
それと同時になにやら穀類のようなものも送られてきた。
「なんですか?それは」
沮授が早速目をつけてやってきた。
「なんだろうな、これは……」
袋をあけて中身を確認する一刀。
「蕎麦だ!」
茶色くて紡錘形の実は、どうみても蕎麦。
蕎麦の原産地は以前は中央アジア原産といわれていたが、昨今の研究では雲南省、四川省あたりのほうが有力だ。
恋姫の世界では中央アジア原産だったのだろう。
普通の蕎麦より色が薄めなところをみると、韃靼蕎麦か?
「蕎麦?」
「ああ。俺の世界じゃメジャーな食べ物だった」
「めじゃあ?」
「あ、いや、一般的な食べ物だった」
「食べてみたい」
「わかった!」
早速蕎麦作りを始める一刀。
というより、蕎麦作りを指示する一刀。
石臼で粉にするのも小麦粉を少し混ぜるのも伸ばすのも全部指示だけ。
確かに、一刀がやってもうまく出来なさそうだし。
恋姫漢にも麺類は普通にあるから、蕎麦を切ってもらうのも簡単。
今は醤油も普通に入手できるようになっているから、麺つゆも何とかなる。
鰹節はないから干ししいたけで代用と言うのは進歩がないが、それでもあればおいしい。
で、試食大会。
もちろん、こういう楽しいことが大好きな袁紹は率先して参加する。
今回は劉協も同席するのがちょっと緊張を強いられる。
皇帝が蕎麦を召し上がるというのは、どうも絵にならない。
だいたい、蕎麦って荒地でも寒冷地でも育つような植物で、飢饉対策だったり、家畜の餌にするくらいの代物で、皇帝が食するのは初めてではないだろうか?
「えーと、これが俺の世界で食されていた蕎麦と言う食べ物です。
少しとって汁につけて召し上がってください」
できたものはざる蕎麦。
蒸篭でなく、まさにざる蕎麦。
「それでは、早速頂きますわ」
「朕も頂きます」
袁紹と劉協が早速蕎麦を口に運ぶ。
「……まあ、悪くはないですわね」
「おいしい……」
少しひねくれた袁紹と、素直な劉協であった。
劉協、一刀が帰ってきた直後の困った状態からは脱したようだ。
時が解決してくれたのだろう。
劉協に何が起こったかは、次回明らかになる。
「それは、よかったです。
皆さんもどうぞ!」
その声に、その他のものも一斉に食べ始める。
「珍しい味ね」
「素朴な味」
「懐かしい味でありんす。海の風味が欲しいでありんす」
「あっさりしているところがいいのね」
概ね好評だった。
逢紀さん、懐かしいって、あなた江戸の人ですか?
海の風味って鰹節ですか?
本当に漢の人なんですか?
とまあ、逢紀には多くの疑問があるが、それはそれとして、雍州に蕎麦畑を作ろうか、そんなことを考える一刀であった。
あとがき
脱穀したあとの麦わらが干草として利用できるか不明ですが、まあ利用できることにしました。
冬、食べ物がなかったら木の皮でも食べるようなので、きっと大丈夫でしょう。
それから、リクエストに応えて蕎麦を登場させました。