逃避
虎牢関を落とした翌日、連合軍はもう洛陽に向けて出発する。
曹操軍以外は虎牢関攻めの間、休んでいたようなものだから体力は充分なのだろうが、史実では相手の様子見に終始して攻撃を禄にしないという有様であったそうだから、それとは全く異なる。
この袁紹、燃えている。
宦官を殲滅させた時の袁紹の心意気なのだろうか?
虎牢関と洛陽は2~3日の行程なので、途中で野営をする。
その時の情景。
一刀は野営地の中を一人歩いている。
遠くに洛陽が見える場所があると聞いて、その高台まで行ってみようと思ったのだ。
だが、行軍の後に散歩を始めたので、出発すぐに日が傾き始めている。
そもそもそんな時に散歩をしようとしたのが間違いの元だった。
一刀は目的地に辿り着くことなく、野営地を少し離れたところで引き返すことにする。
まだ明るい内に野営地についたので、もう安心だろう。
暗くなっても袁紹軍の陣地は?と聞きながら行けば、辿り着けるに違いない。
巨大な軍勢だから、野営の場所も広い。
と、軽い足取りで自陣に戻っていると、一刀に後ろから声をかける者がいる。
「あなたが北郷一刀ね?」
一刀は、その声を聞いた瞬間、背筋にぞぞ~~っとするものを感じた。
だって、その声はどう考えても……
「そ、曹操さん……」
振り返ってその姿を確認した一刀は、曹操に声をかける。
袁紹と同じような金の髪に、トレードマークの髑髏の髪留め。
服は極めて普通。
比較的地味。
体形は……まだちょっと子供っぽいところが残っている。
曹操だといわれなければ、見過ごしてしまうくらい普通の少女だ。
威厳、というか覇気は…………怒りは感じるが威厳・覇気は不明。
同行しているのは曹操以外に3名。
荀彧は荀諶そっくりなので明らか、他は夏侯惇、夏侯淵だろう。
「あら、私のことを知っているの?光栄ね。
それはそうでしょうねえ。
麗羽にそれはそれは面白い紹介をしてくれたようですからねえ」
袁紹に対して口止めを進言するのは、一刀をもってしてもちょっと、という感じだったので何も言わないでおいたら、やっぱり曹操に一刀の言葉を伝えてしまったようだ。
「そ、そうですか?」
「ええ、それはもう麗羽は面白おかしく聞かせてくれたわ。
もう、頭に血が上って何といったか忘れてしまったくらい。
ねえ、もう一度この私にその言葉を聞かせてくれるかしら?」
言ったら最後、首を切られることは火を見るより明らかだ。
一刀は話題を変えることを試みる。
「ちょっと俺もよく覚えていないんですけど……
あ、後ろの体形がよく胸の豊かな美人が夏侯姉妹ですね。
…………………………あれ?」
夏侯姉妹の話題をしたのに、曹操がゴゴゴという異音を発するが如く怒りで燃え上がり始めた。
「ええ、ええ、そうでしょう。
どうせ私ははちんちくりんで髑髏の髪飾りをつけるような狂った服飾の感覚の持ち主で、華麗でも何でもなくて、体形が悪く、胸がない不細工な女ですわよ」
夏侯姉妹を誉めたということは、他2名はそうでないということを暗に示唆しているという事に、曹操の様子を見て初めて気付いた一刀であった。
「い、いえ、決してそんなことは……」
「この曹操、生まれてこの方、これほどの侮辱は受けたことがないわ!
桂花!」
「はい!」
「分かってるわね」
「はい!」
曹操、じりっじりっと一刀ににじり寄っていく。
「は、話せば……」
分かるような雰囲気は全くない。
「ごめんなさい!!」
一刀は脱兎の如く逃げ出していく。
「あ!逃げた」
「待ちなさい!!」
一刀+危ないお嬢さん2名が走り去っていってしまった。
「我々はどうすればよいのだ?」
夏侯惇が夏侯淵に尋ねている。
「ふ、何もしなくてよい」
「そうなのか?」
「華琳様はあれで楽しんでおられるのだ」
「そうなのか……」
小首を傾げながら、曹操の走り去っていったほうを眺めている夏侯惇であった。
「それにしても………体形がよく胸の豊かな美人、か。
いいことをいう男だな、あれは」
「フフ、そうだな、姉者」
ちょっと………かなりうれしそうな夏侯惇であった。
胸をゆすってご満悦である。
だが、楽しまれるほうはたまったものではない。
必死に危ないお嬢さん達から逃げ回っている。
「こっちよ!」
一刀が逃げ回っていると、天幕の中から手招きする者がいる。
天の助けとばかり、その天幕に飛び込む一刀。
危ないお嬢さん達は天幕の前を通り過ぎていったようだ。
「どうも危ないところを助けていただき………」
一刀が礼をしようと助けてくれた人を見たところ、それはいけないお姉さん達、即ち孫策と周瑜であった。
危ないお嬢さんからは逃げられたが、危機的状況はあまり変わっていないようだった。
「あ~ら、お礼なんていいのよ。
私達もあなたを探していたのだから」
二人がにやっと怪しく嗤っている。
「さすがに裸といわれると癪だから、あなたの言うとおり服を着ることにしたわ。
いい?あなたに言われて仕方なく服を着たのだからね。
まあ、そういうわけだから、あなたには感謝しようと思うのよ。
だからね、これから存分に私達に感謝されなさい」
感謝と言っても、どうみても雰囲気が怪しい。
全うな感謝とは思えない。
いけないお姉さんと、危ないお嬢さん。
どちらがましか?
「失礼しました!!」
一刀は天幕を飛び出していく。
どちらがましか?の答えは簡単だ。
どちらも危ない。
一刀は両方から逃げる決断をする
「あ!逃げたわ。追うわよ、冥琳」
「うむ!」
「華琳様!いました!」
「よくやったわ、桂花!」
漢の有力武将とその軍師、美女4人に追いかけられる幸せ者である……ようには見えない。
必死に逃げ惑う一刀である。
「こちらへ」
またしても一刀を天幕に誘う者がいる。
罠か?とも思うが、あの4人に捕まるよりはましだろうと思い、その天幕に飛び込む。
「孫権さん……」
「喋らないで。動かないで!」
孫権は一刀を床に寝かせると、その上に布を被せて一刀を隠すと、自分はその上に座ってソファーのように一刀を扱い、本を読み始める。
そこにやってくるいけないお姉さん達。
「ねえ、蓮華!ここに誰か来なかった?」
「いえ、誰も」
「そう、分かったわ。
一体あの子どこに消えたのかしら?」
いけないお姉さん達は去っていった。
「あの……」
「もう少し待って……」
孫権は動き出そうとする一刀を制して、外の様子を伺っている。
暫くして……
「もう、大丈夫でしょう」
「どうもありがとうございました」
布を取り去り、起き上がった一刀は早速に孫権に感謝の意を伝える。
「いえ、私こそ感謝しなくてはなりません」
「……別に感謝されるようなことは何もしていませんが」
「姉達は北に来て寒い寒いといいながらもあんな格好をしていました。
それが、あなたに裸だと言われた後、あなたに言われたから仕方なく服を着ると言って、服を着るようになりました。
余程勘に触ったのでしょう。
ですから、あなたがいなかったら未だに我を張って服を着なかったに違いありません。
あなたが姉達に服を着せてくれたようなものなのです。
私もあんな変な格好は早く止めてもらいたかったので、本当に感謝しているのです」
「はあ、……そうですか」
思わぬことで感謝され、どうにもピンとこない一刀である。
「ところで、あなたは北郷一刀、天の御使いと言われている人ですね」
「……ええ、そんな風にも呼ばれています。
よくご存知ですね」
「私達の許にまでその活躍は届いていました。
冀州の食料生産量が、驚異的に増えたとか。
そして、それを指示したのが天の御使いといわれる男だとか」
「そんなに立派なことはしていないつもりなんですけど……まあ結果として食料は潤沢になりましたね」
「……お願いがあるのですが」
「何でしょうか?
助けてくれたことだし、俺で出来ることでしたらやりますけど……」
「是非私達と同行して、その能力を私達のために使ってください」
「そ、それはちょっと……」
「…………そうでしょうね。
無理なお願いだとは思いました。
それでは、何か食料に困窮しないための助言か何かはありますか?」
「まあ、気持ちは分かりますが。
今、袁術さんに食料の殆どを頼っているので、それを何とかしたいのでしょ?」
「………そういうことです」
孫権は、一刀の能力を見極めようとするようにじっとながめ、それから自分の動揺を隠すように静かに答えた。
「でも、助言と言っても……基本的に農業生産量は労働力に比例しますから。
同じ耕作面積、同じ労働力で収量を増やそうと思ったら、それはよく実のつく種を選んだり、植え付けの時期を選んだり、と地道な活動をしないとなりませんが、それには実際に田んぼを見てみないと。
それでも収量増は大したことありませんから、やはり労働力と農地を増やすのが一番ですね。
例えば……例えばですよ、袁術の領地、領民をまるまる頂くとか……」
孫権の目がぎらりと一刀を睨む。
「あなた、何を知っているの?」
「いえ、何も。あくまで可能性の話をしたまでです」
「そう、可能性ね」
「ええ、可能性です」
「それでは、可能性のついでとして聞きたいのですが、私たちと袁紹軍が戦うことはあるのですか?」
「今のところ袁紹様は大陸の北の端、孫策、孫権さんは南の端で、途中にまだまだ諸侯がいますからね。
戦うことはないんじゃないですか?」
「………それは、我々がその諸侯に潰されるということ?」
「さあ、どうでしょうね?」
「また、可能性として考えられることとしたら?」
「可能性……ですか?
そうですねえ、例えば曹操さんとか」
助けてくれた手前、少しは知っている情報を流す一刀である。
この世界でそれが当たるかどうかは不明だが。
「そうですか。例えば曹操ですか」
「ええ、例えばです」
「先のことでまったくわかりませんが、何かのときに思い出すかもしれません」
「そうですね。まあ、変な男が変なことを言っていたとでも思っていてくだされば充分です」
「それでは、貴重なお話もできましたし、そろそろ戻られたらいいのではないでしょうか?
もう、姉たちはいないようですから」
「わかりました、ありがとうございます」
一刀は孫権の天幕を出る。
「姉たちはいませんが、他は気をつけてくださいね」
という孫権のつぶやきは一刀には届かない。
「華琳様!いました!」
「よくやったわ、桂花!」
………曹操軍の追撃は執拗であった。