古代巨人文明──今からおよそ8万年前から4万年前までの間、ここゼンドリック大陸を中心に栄えたエベロンで最初の文明だ。その中心となったのは勿論巨人たちなのだが、彼らは今この大陸に残っている巨人種とは異なっているとする論説がある。太古の巨人たちは今の末裔たちよりもより元素に近く、魔法的で、呼吸するように信仰と秘術の呪文を操った──それを現在の"ジャイアント"と区別し、"タイタン"と呼ぶ。
勿論その学説が真実かどうかは解らない。だが過去の巨人種達が、現在この大陸に残っているジャイアント達よりも遥かに強力な力の持ち主であったことは疑うべくもない。その"タイタン"達を苦しめたのが『夢の領域ダル・クォール』からの侵略者だ。夢の領域の存在である彼らは、この物質界に依代たる肉体を有していなかった。そこで彼らが作成したのが今のウォーフォージドの前身とでもいうべき人造の肉体──エンシエント・ウォーフォージドだ。
最初は夢を媒介に支配していた原住民を操って製作されていたそれは、各地に"創造炉"という大規模な工廠を設けることでどんどんと大規模なものになっていった。初めは人間程度の大きさであったそれらは、やがて戦争の激化に伴って大きく、強力なモノが創り上げられるようになっていく。そしてついにこの地の支配者である巨人の王族らに対抗しうる兵器が創造された──それが"ウォーフォージド・タイタン"。戦争の終末期に投入され、『夢の領域』そのものがこのエベロンの次元軌道から弾き飛ばされるまでの間、大陸で猛威を振るった戦争兵器である。
ゼンドリック漂流記
6-4.タイタン・アウェイク
鋼の巨人がその巨大なハンマーを振り下ろした。超質量が衝突したことで床材がめくれ上がり、固体であるはずの表面を波立たせるように衝撃波が広がる。大地震が発生したかのような揺れが地下港全体を揺るがし、直立していたもの全てを転倒させる。
半ばまで崩れていたハザディルの執務室も完全に崩壊し、瓦礫の山と化した。さらに先ほどの鋼巨人の行動はこの洞窟自体に影響を与えたのか、天井から大小様々な石片が剥がれ落ちてきている。何度も繰り返されれば生き埋めにされることもあり得そうだ。だが頭上に気を取られている余裕はない。
巨人の動きはそれだけでは無かった。大きく足を踏み出すと一気に距離を詰め、同時に左腕を振り上げるとその肘から先に伸びている3本の鉤爪が開く。爪刃の内側に赤いエネルギー光が這い、根本にあった砲口へとエネルギーが収束していった。直後空間を焼く名状しがたい音が響き、砲門から高密度のエネルギーが放たれる! それはフィアを捕え、直射上の全てを焼き払っていった。
放たれたそのエネルギーの奔流は彼女を取り巻いていたオーガやバグベア達をも無差別に焼き払った。お互いの高低差から打ち下ろすように放たれたエネルギー弾は堅牢な構造の床材を綺麗に繰り抜き、直径3メートルほどの穴を穿っている。
だがそんな状況でもフィアは無傷で回避に成功していた。彼女の"信仰の恩寵"は反応速度にも加護を与えているのだ。どうやら威力は俺が全力で放つ《ファイアーボール》に匹敵するほどのもののようだが、速度がさほどではなかったのが幸いか。収束されているため効果範囲もさほど広くはなく、予備動作の大きさもあって十分に回避することができそうだ。だが、当たれば無事では済まない。"身かわし"によって完全に無効化しなければ、掠めただけで即死させられるだけの破壊力をそれは有している。
「気をつけろ、あれは尋常の炎ではない。生半可な護りでは備えの上から焼き殺されるぞ」
巨人の砲撃を回避したフィアが、隣にまで戻って来ると剣を構えたままそう呟いた。彼女の里を滅ぼしたのであろう戦争兵器を目の前にしても彼女はその冷静さを失ってはいない。それは大変心強いことだが、このまま彼女と一緒にウォーフォージド・タイタンの相手をするわけにはいかない。確かに強力な敵ではあるが、今この場で優先して打倒すべきはヴォイド・マインドなのだ。このタイタンがオーガを依り代に発動した先ほどのサイキック・パワーの産物であることは明らかだ。ならば超能力の行使者であるヴォイド・マインドを壊滅させなければ、このタイタンを破壊したとしても再度同じことが繰り返しになる可能性が高い。
「──悪いがあいつの相手は俺に任せてもらおう。フィアは周囲のヴォイド・マインドを頼む。
ただ、流れ弾には注意してくれ。どんな隠し玉があるか解ったもんじゃないからな」
安定してヴォイド・マインドを相手取ることが出来るのは《アンティマジック・フィールド》を展開した俺と、聖戦士として高い抵抗力を持つフィアのみ。他の仲間は《ディスペル・サイオニクス》により精神作用への防護を剥ぎ取られた瞬間、自我をすり潰されてしまうだろうことは間違いない。そしてさすがにタイタンを無視してフリーハンドを与えるわけにもいかず、注意を引き付ける必要がある。それは俺の役目だろう。魔法抑制下にあっても、防御に専念すれば俺の護りはフィアを上回る。
「承知した。だがあれには最強の矛と無敵の盾が備わっている。
無理はするな──そなたの星に宿った運命はここで墜ちる定めではない」
まるで姉のような口ぶりでフィアは言葉を残し、残ったオーガ達の群れへと突っ込んでいった。俺も彼女と背中合わせになるように巨兵に向き合う。勿論命と引き替えにしてまで倒そうなどとは思わないし、危なくなれば逃げ出すつもりだ。そのためにメイやエレミア達が今も退路を確保すべく、市街の地下方向へと伸びる通路の先で戦闘を繰り広げているのだから。
それに俺にはこの"ウォーフォージド・タイタン"の能力を見定める必要がある。ハザディルとの戦いを導入として始まるレイドクエスト、そのボスであるこの巨人にはいくつかの理不尽な能力が付与されていた。こいつが完全にその能力を再現しているのか、紛い物に過ぎないのか。出来れば後者であって欲しい、と叶わぬ願いを抱きながら俺は巨人の能力を図るべく行動を開始した。
接近戦の間合いに突入する前に大剣から片手を離し、その空いた手で手裏剣を引きぬいて投擲。だがその攻撃は巨人の直前で薄い青色の障壁に遮られて力を失い、落下する。ウォーフォージド・タイタンをレイド・ボスたらしめていた強力な固有能力、あらゆる攻撃を無効化する防御フィールドだ。どうやらこのタイタンにもその能力は再現されているようだ。
ゲーム中のクエストでは、ウォーフォージド・タイタンとの戦いの場に設置されていた仕掛けを操作することでこのフィールドを打ち破ることが出来た。だが勿論この地下港にはそんな仕組みなど存在しない。そもそもハザディルとの雌雄を決するこのクエスト自体が、ウォーフォージド・タイタンへと至る物語の導入部分に過ぎないのだ。そんなラスボスとこんな状況で戦うことになるという事自体、本来であれば無理難題である。だがストームクリーヴ・アウトポストで戦ったザンチラーという前例があったおかげで、俺は平静を保ったままこの巨人と相対し続けることが出来る。
俺の剣の間合い──すなわちアンティマジック・フィールドの範囲内にタイタンをとらえる。もしこれが超常能力で維持されている産物であればこの時点で溶け消えるはずだが、眼前の巨体は健在だ。また一つ敵の能力について想定を重ねながらも体を動かす。横薙ぎに一閃。巨体を支える脚部に世界最硬度を誇るアダマンティンの刃が衝突する──だがその斬撃はその直前に不可思議な減速を受け、勢いを殺された。反発や抵抗が増したとは感じられず、まるで引き伸ばされた空間に延々と切りつけているような感覚。少しずつ剣は進むが決して辿り着かない、そんな未知の感覚が腕に伝わってくる。命中を断念し剣を引くと、まるで何事もなかったかのように武器は俺の思ったように手元へと引き戻される。そのまま足を止めず、巨人の股の下を潜って背面へ駆け抜けた。どうやらこのフィールドはアンティマジック・フィールドでも無効化出来ないようだ。想定していた最悪の場合を状況はなぞらえている。
そんな思考を巡らせる俺を追って、その巨躯からは想像もできない俊敏さで巨人は振り返り、その左腕の先端に存在する三枚の刃が機械の動力を受け超高速で回転を始める──突き出されたその腕を斜め後方に跳躍して回避。だが俺は巨人の機械的な判断速度を甘く見ていたことを思い知らされる。最初は束ねられ、ドリルのように突き出されていたその腕は、俺を捉え切れないと見るや即座に先端が展開。回転を維持したままミキサーのように旋回した刃が俺に追いすがり、鋭い爪が肉を引き裂いた。
巨人の爪先は先端が物体を掴むためなのか、束ねた際に先端同士が接触するように内側に少し出っ張っている。大きく広げられた爪の、その出っ張りの部分が俺の体を削るように擦り上げていった。皮一枚、というよりもさらに深く。だが肉を断つとも骨には届かない程度の傷が、体を逃すために置き去りとなっていた足の膝下にばっくりと描かれた。久しぶりの痛みが脳に向かって走りだすが、その信号が届くよりも速くその足を酷使してさらに後方へ跳躍。飛び散る血を後に残したその空間を、鋭い回転刃が埋め尽くしていく。
僅かな時間の後にそのミキサーは回転を止め、鋼の筒が擦れあう音と共に巨人の肘から巨大な薬莢がこぼれ落ちた。それは床にあたって硬質な音を立てる。今の刃の回転はその左腕の肘部に篭められた火薬による一時的なものだったのだろう。幸い俺が引っ掛けられたのはその最期の一瞬だったために辛うじて重症には至らず、浅い傷で済んでいる。だがそれは幸運の賜物であることは今の一瞬で十分に理解できた。この巨人はまだまだ攻撃に余裕を残していることが明らかだったからだ。
おそらく俺ほどの回避能力を有する敵を想定していなかったのだろう、最初の攻撃は威力を重視した極端な大振りだった。だがこちらの回避に応じるように、即座にその攻撃ルーチンを変更してきている。最初から命中させることを前提とした攻撃をされていれば、今の一瞬で深手を負っていた可能性もある。生物ではありえない体の動きに加えて、カートリッジにより増幅された瞬間的なスピードも相当なものだ。さらにあらゆる攻撃をシャットするフィールド。こうして向きあってみれば厄介極まりないといえる敵だ。最強の矛と無敵の盾という喩えも決して大げさではないといえよう。
それでも《アンティマジック・フィールド》を解除してしまえば、俺はこの巨人の攻撃を封殺できるはずだ。しかしそれを見過ごすマインド・フレイヤーとも思えない。指輪による護りを頼りにするとしても、一撃防いでしまえば看破されると考えた方がいい。そうなったら《ディスペル》で効果を抑止されてしまい、続く《エゴ・ウィップ》を防ぐことは出来ない。しばらくは予備の指輪への入れ替えで対応できるかもしれないが、安全マージンという意味ではヴォイド・マインドの数をある程度減らすまでは《アンティマジック・フィールド》を長い間解除するわけにはいかないだろう。
こちらからの攻撃が通用しない以上、暫くは守勢に回ってフィアがヴォイド・マインドを減らしてくれるのを待つしか無い。だがただそれを待つだけではなく、タイタンの能力を丸裸にする必要がある。仮にこのあとメイやルーの呪文で港を破壊して脱出するにしても、ここで戦うこの一体が最後ということは無いはずだ。ならばその時に向け、少しでも情報を集めなければならない。
俺はヴォイド・マインドの注意がフィアに集中していることを確認し、継続していた《アンティマジック・フィールド》を一旦解除。再度同じ呪文を行使し魔法抑止場が再展開するまでの一瞬を縫って、もう一種の呪文を高速展開した。それによりウォーフォージド・タイタンを包み込むように突如力場の壁が出現する。物理的な攻撃に対して完全な耐性を有する《ウォール・オヴ・フォース》だ。特殊な力場で構築されたこの障壁はごく一部の呪文などによる干渉以外では破壊することは不可能で、物理的な攻撃手段しか持たない対象を封殺することの出来る使い勝手の良い呪文だ。
だが巨人がその力場の障壁にその右腕のハンマーを無造作に振り下ろすと、不可視であるはずの力場の障壁が莫大なエネルギーを叩きつけられたことで空間ごと撓み、破砕された。砕けた"力場"の破片が周囲に散らばり、俺は咄嗟に宙に身を翻して回避したが、周囲にいたオーガたちは巨人の戦鎚が地面を叩いた衝撃に再び転倒した上、砕けた力場の破片を浴び鮮血を撒き散らした。力場呪文の専門家が奥義として行う"力場解体"、それと同等の効果をあの巨人のハンマーは備えているようだ。
そうやって力場の檻から解き放たれた巨人に、今度は高粘度の霧を纏わり付かせる。粘りつくその気体は内部で動こうとするあらゆる動作を減衰させる。《ソリッド・フォッグ》と呼ばれるその呪文はそうやって動きを制限する他にも視界を奪う効果も持つ。あくまで気体であるため強風には吹き散らされてしまうなどの欠点はあるものの、この地下港はその構造上微風程度しか空気の流れがない。呪文の持続時間が終了するまで、自然に消滅することはないだろう。
しかしその呪文も巨人を拘束することは叶わなかった。俺の視界には、巨人を包む青いフィールドの境界でジリジリと消失していく粘霧が映っている。いや、正確には飲み込まれているとでも言えばいいのか。先ほどの剣の手応えとも合わせて考えると、あのフィールドは空間を幾重にも圧縮しているようなイメージだ。一方通行の無限遠。眠りから覚める覚醒のさなかに感じる『夢の領域』と現実との境界のように、不明瞭でありながらもそれはしっかりと存在していた。物理と魔法、その双方をシャットアウトする障壁。ギミックの謎が解かれるまでこのタイタンを不破のボスとして君臨せしめていたその存在が、現実の障害として俺の前に立ち塞がっている。
そして《ソリッド・フォッグ》は足止めだけでなく、どうやら視界すら奪うことすらも出来なかったようだ。レーダーか何かで周囲の様子を把握しているのか、巨人はその左腕をこちらに向けると先ほどフィアに放ったのと同様の砲撃を放った。悪寒を感じた俺は身を捻り、その射線上から身をかわす──するとその砲撃は《アンティマジック・フィールド》の効果範囲内を、その効果を減衰させることなく貫通していった。再び地面に巨大な穴が穿たれる。再び排出された薬莢が床と衝突して硬い音を立てており、さらにタイタンの腕からは次の薬莢を装填する機械的な音が聞こえてくる。その様子を窺うに薬莢の装填は即座には行われないようだが、それでも間隔は10秒程度。連射が出来ないとはいえ、規格外の能力であることに違いはない。
砲撃の威力や力場を破壊してのけた行動が純粋に物理的なものだとは信じがたい──だが魔法的なものであれば《アンティマジック・フィールド》に抑止されるはず。だが俺の脳裏にはその例外となる存在の影がよぎっていた。アーティファクト。身近なところでは俺のブレスレットもそうだ。この腕輪の能力はチラスクの邪眼の効果範囲内においてもその能力を発揮し続けていた。それと同じ、既存の理論体系を越えた超常の力。人と神との狭間を埋める、現代では再現不能な定命の限界を越えた創造物。
だが考えてみればこの結果も当然のことだと言える。嵐薙砦で戦ったザンチラーは確かに秘法を身に纏った強大なジャイアントだったが、古代にはさらに強力なタイタン達が王として君臨しており、秘法を編み出したのもそういった存在だ。いわばザンチラーの力は借り物に過ぎない。その古代巨人文明を滅ぼす一因となった『夢の領域』の戦争兵器が、今の俺が行使できる程度の呪文で封じ込められるはずがない。
思考を巡らせ続ける俺へと向かってウォーフォージド・タイタンが霧を振り払って近づき、フィアが相手どっているヴォイド・マインド達も俺が《アンティマジック・フィールド》を何度か中断していたのを目敏く観察し、何体かが次の機会に《エゴ・ウィップ》を打ち込もうとこちらを狙っている。魔法を抑止したままでは巨人の攻撃を凌ぎきれず、かといってフィールドを解けば精神汚染に曝される。まさに前門の虎、後門の狼と言ったところか。
体の痛みと精神の摩耗を天秤に掛け、俺は巨人の方へと踏み出した。本来であればどちらも遠慮したいところではあるが、もはや無傷で済ませることのできる段階を超えているのだ。粘霧と同時に発動した最下級の治癒呪文で表面を塞いだだけの足の傷が疼く。だが臆している時間はない。大振りのハンマーではこちらを捕らえきれないと判断した巨人が再びその左腕の鉤爪を大きく開け、回転を加速させる。薬莢が弾ける音と共に速度を増した無慈悲な刃が、巨人の踏み込みと共にこちらに迫る!
巨体が突進し、左肩から叩きつけるほどの勢いでこちらへと近づいてくる。それだけで充分な速度だが、そこにさらに左腕を突き出す勢いが加算される。腕の外装が円筒状に開いたかと思うと、薬莢から生み出されたエネルギーが刃を回転させるだけでなくその内側の骨格部分を押し出すように加速させた。魔法抑止下では空を飛んで逃げることは出来ず、その迫る速度は飛び退って距離を取ることを許さない。さらに広がった鉤爪の広さが左右に飛んだ俺を容易に捕まえるだろう──ゆえに、俺は前へと出た。
だが、むざむざと斬られに飛び込んだわけではない。ブレスレットを操って取り出したのは盾──それも、大人の姿を容易に覆い隠すほどの巨大な"タワーシールド"だ。空色に染められたそのミスラルを銀の縁取りが囲い、中央には炎に化身した翼持つ蛇"コアトル"が描かれている。シルヴァーフレイムの聖騎士・レヴィクが遺産。守護者の名を冠する最硬の盾だ。
旋回するアダマンティンの刃が、俺が構えたこの盾を食いちぎろうと襲いかかった。金属同士が擦れる大きな音が響き、火花が飛び散る。保持した盾を通じて、俺の腕には機械の生み出す暴威が伝わってくる。一瞬でも気を抜けば腕は盾ごと回転に持っていかれ、肩から先が引きちぎられるだろう。無論その直後には無防備になった体が引き裂かれるのは間違いない。
俺は正面から受け止めず、可能な限り刃の勢いを流すように盾を巧みに操作する。瞬間毎に変化する彼我の微妙な位置関係、不規則な回転速度で唸りを上げる刃の勢い。盾を装備したことでモンクとしての洞察は一時的に喪失したが、今はファイターとしての経験が俺に体の動かし方を教えてくれる。そうやって稼いだ刹那にも見たぬ虚空。そこを唯一の活路と定め、俺は体を滑りこませた。回転する3本の刃の只中へと飛び込んだ俺の体へと鋼が食い込んでくる。だがバーバリアンとしての能力が俺の体に強靭さを与えており、さらに"アクション・ブースト"によりそれが強化されたことで盾により勢いを減じていた回転刃は俺の肉を裂くに留まった。一瞬で走った多数の切り傷から血が溢れるも、いずれも骨や太い血管まで達したものはない。見た目は派手に負傷したように見えるかもしれないが、戦闘には支障はない。
紙一重でミキサーをくぐり抜けた俺は盾を消し、巨人の足の間を走り抜けた。そうやって走り抜けた巨体の反対側には回転刃を突き出した反動で掲げられた大ハンマーが待ち受けている。床面を抉りながら裏拳のように横方向へと薙ぎ払われたそれは大型トラックに相対したかのよう。だが、非魔法下といえども充分な助走を得た状態であれば俺は容易に数メートルの高さを舞うことが出来る。飛び上がることでハンマーを回避。本来であれば無防備を晒すはずの空中の俺を、だが巨人は追撃することが出来ない。それだけ回転刃を突き出すのに勢いをつけていたのだ。無骨な脚部が地面を蹴りつけて反転しようとするが、巨大な質量がそれを許さない。そして音も立てずに着地した俺は、巨人から十分な距離を取ることに成功していた。再び巨人をくぐり抜けるように移動したことで、フィアとヴォイド・マインド達との戦闘がすぐ間近で行われている場所へと俺は戻ってきていた。
モンクとして鍛えられた機動力は魔法的なものではなく、今でも有効だ。俺はそれを活かして再接近したヴォイド・マインド達へと突っ込んだ。寄生主に行動を制御されていたヴォイド・マインド達は、俺の展開する《アンティマジック・フィールド》の範囲内へと収められたことでその自意識を取り戻す。そうやってヴォイド・マインド達を正気に戻しては次へと向かっていく。勿論再び距離が離れたオーガ達は再び精神制御を受けることになり、実質支配が解除されたのはほんの一瞬にすぎない。しかし、一旦切れてしまった集中を再構築するためには時間が必要だ。無論こちらが《アンティマジック・フィールド》を解除するのを狙っていた者たちも例外ではない。その虚をフィアが突いた。剣閃が閃き、俺を注視していたオーガ達が崩れ落ちる。
「トーリ、今だ!」
彼女の合図に合わせ、《アンティマジック・フィールド》を解除。ブレスレットからロッドを取り出し、その先端を基点に魔術回路を構築する。本来であれば半径6メートルほどの範囲を焼き払う《ファイアーボール》の呪文が、ロッドに込められた特殊な意匠が魔術回路に干渉したことで分裂。半径こそ半分程度でありながらも、4つへと分裂し散らばった。フィアの巧みな誘導によって意図せぬまま小集団を作り上げていたオーガやバグベア達へと向かったそれらの小火球は、範囲以外は変わらぬ殺傷力を発揮し敵を焼き尽くした。
敵の集団をまるで一個体のように翻弄せしめたのは彼女が学んだ戦闘術によるものだ。2人の戦士に5人分の力を、5人の戦士には20人分の力を与えるという"白き鴉"の戦闘術が、呼吸を合わせて動く俺との連携を一層深いものとする。数的には圧倒的不利にも関わらず、戦場を支配しているのは紛れもなく俺たちなのだ。寄生箇所である脳を確実に破壊すべく頭上を中心に火球を炸裂させたために、体躯の大きなオーガによっては膝下のみが呪文の効果範囲外にあったことで取り残されているが上体は完全に消し炭となっている。生き残った者はいない。今やこの地下港に動くのは俺とフィア、そして体勢を立て直してこちらに向かってきているウォーフォージド・タイタンだけだ。
再び繰り返される巨体の突進。だが先ほどと異なり、《アンティマジック・フィールド》が解除されたことで俺の身には秘術による強化が為されている。増強された知覚には迫る回転刃がスローモーションのように見え、思い通りに動く体は容易にその隙間をすり抜けた。そして交差の瞬間に抜いていた両手のコペシュを閃かせ、鋼の巨人の全身を確かめるように斬りつけていく。だが脚部から胴体、左右の腕部に至るまで一通り刃を走らせるも、その全てが外装に辿り着くことはなかった。全身を覆う完全無欠の防護。《ソリッド・フォッグ》を纏わりつかせていた時に観察していたとはいえ、やはり隙などないらしい。だが俺達の勝利条件はこのタイタンを撃破することではないのだ。それであればやりようはある。
回避に専念しつつも様々に手を変え品を変え、巨人の防御フィールドを試していく。そうやっていると地下港から伸びる通路の一本、ストームリーチの地下へと続く方向から立て続けに爆音が響いた。念話が封じられた時のために決めておいた合図をメイが放ったようだ。それを受けてフィアが駈け出したのを確認し、俺もゆっくりとその動きに倣った。ただし、しっかりと置き土産をしていくことも忘れない。《呪文遅延》を組み合わせた火球を港の天井にばら撒き、さらに巨人との進路上には《ウォール・オヴ・フォース》を張り巡らせた。大した足止めにはならなくとも、破壊のために一手を要させるのであれば充分だ。
次々と砕かれる力場の障壁を背後に、30秒かけて十分な火球を仕掛け終わったと判断した俺は巨人へと背を向け、一気に駈け出した。一斉に起爆した火球が天井を砕き、家ほどもある巨大な岩盤が落下してくる。上を仰ぎ見ることもせずに腰に巻いたマジックアイテムであるベルトを起動。嵌めこまれた3つの宝石の一つが白く染まり、それと同時に俺の体感時間が引き伸ばされる。色彩の薄れた世界の中で全力で足を動かす。粘りつくような大気を切り裂きひたすらに前へ。地下港は天井を火球によって崩され、弱まった構造にさらにルーが《アースクエイク》で追い打ちをかけたことで完全に崩壊を始めている。それでも鋼の巨人は任務に忠実に俺を追いかけることを止めはしない。
掛ける通路の先にはかつては隔壁だったのであろうものが、メイの《ディスインテグレイト》で砕かれた様子が見え、仲間たちもそこに待機していた。押し寄せていたであろう増援の骸がその周囲には転がっているが、生きている敵の存在は見て取れない。メイが転移の呪文回路を構築しているのが解る。あそこまでたどり着けば瞬間移動による脱出が可能だということだ。だがまだ距離が足りない。俺の聴覚は崩落の轟音に紛れ、巨人が薬莢を装填する音を捕えている。このままだとコンマ数秒の差で背後の巨人が砲撃を打ち込んでくるだろう。俺の脱出に備えて待機している仲間たちにそれを避ける術はない。唯一の手段は俺がその砲弾よりも早く彼女たちのもとへ辿り着くことだ。
マジックアイテムで引き伸ばされた知覚をさらに呪文で活性化させる。《セレリティ》。メイが得意とする、思考を加速する呪文だ。だがより正確にはそれは神経の伝達をも加速させる要素を持つ。魔法という要素が、脳から発される信号を直接四肢へと叩き込んでいるかのような感覚。引き伸ばされた時間の中でさらに自分の体が倍速で動く。もはやほとんどの視界は漂白されたかのように映り、ただ一点目標となる地点だけが淡く滲んで見える。
過負荷に四肢が悲鳴を挙げ、脳が押し上げられるような圧迫感で意識が塗りつぶされていく。《豪胆のドラゴンマーク》を有さない俺に、《セレリティ》の反作用が襲いかかってこようとしているのだ。だがその最後の一歩が俺を境界線から押し出した。崩れそうな体を柔らかい感触が包み、次いでアストラル界へと溶けていく感覚が全身を浸していく。もう随分と馴染んだ転移の際の感覚だ。そうやって迫る砲撃の赤い光に照らされながら、俺達は地下からの脱出を果たしたのだった。
† † † † † † † † † † † † † †
「マインド・フレイヤーとその走狗か……どうやらこの件は私が思っていた以上に根の深い問題だったようだな」
屋敷の一階中央部、外壁と接しておらず陽の光の差し込まない部屋の一室で、ジェラルドはその眉の間に深い皺を刻みながらそう呟いた。彼の眼前には、石化呪文によって創り上げられたバグベアと人間の石像が立ち並んでいる。勿論バグベアはハザディル、人間は執務室にいたアーラムのエージェントだ。ハザディルはその頭部の穿孔をわかりやすく、また手枷を嵌められた状態で石化されている。
「港は破壊したし、こちらで把握できた拠点は全て潰しておいた。
だがそれぞれの組織に潜り込んでいる工作員や、鼻薬を効かされている連中までは手の出しようがない。
聞き出した名前は名簿にして纏めておいたが、その中にも"処置済み"な奴が混ざっている可能性はある。どうするかは任せるよ」
そう言って数枚の紙をテーブルの上に放り投げた。それを拾い上げたジェラルドは、より一層皺を深めながらも目を通す。紙をめくる音だけが部屋に響く時間が暫く過ぎ、最後まで目を通したジェラルドは大きくため息をついて椅子の背もたれに体を預けた。
「まさか、ここまでハザディルの──いや、その背後の存在の手が回っていようとは。
その上この中にヴォイド・マインドがいたとしたら、そいつはこの街を吹き飛ばしかねない破壊兵器に何時変わるか知れない、と。
しかも街から脱出しようにも、海路には古代の潜水艇が手ぐすねを引いて待ち構えているときた。
こんな噂が街中に広まろうものなら、この街は外からの力ではなく内側からの力で自らを砕いてしまうだろうよ!」
薄暗い天井を仰いで彼は掌で視界を覆った。俺には解らないが、あの名簿に載っていた人物のリストは彼にとってそれだけ衝撃だったのだろう。大部分は金を積まれて組織の動きを鈍くする程度の役割しか果たしていないとしても、巨大な組織であればそれが積み重なることで全体を麻痺させることが可能となるのだ。一枚岩どころか、5人の領主に12のドラゴンマーク氏族が複雑に絡み合ったこの都市であればそれも容易かっただろう。
「相手が暴力でこの街を潰すつもりだったならもうとっくに仕掛けてきているだろうさ。そうでない以上は何か別の目的があるんだろう。
聞いたところハザディルが脳を喰われたのは半年ほど前のことで、この街への仕掛けはそれよりも前から進められていたものばかりだ。
だからこの件についてはヴォイド・マインドの心配はそれほどしなくてもいいはずだ」
港での戦闘が終わった後俺達は生き埋めにしたタイタンを放置してハザディルから情報を聞き出し、地下だけでなく地上も含めた10箇所以上の拠点を襲撃。そこに置かれていた大量の金貨や宝石、魔法の品々を回収している。おそらくは市街で工作するエージェントの資金などとして用意されていたのだろう。そういった拠点は全て魔法の護りを無効化した上ですぐには再利用できないように処置してある。ハザディルの部下たちが再度集結しようにも拠点となる場所がなく、そもそも大半が地下港で俺たちに討たれている。エレメンタルサブマリンで出港した連中は確かに脅威だが、このストームリーチの近辺には上陸に適した土地がない。連絡役の術者やヴォイド・マインドを通じて既に地下港が崩壊した情報は把握しているだろうから、この街に戻ってくることはないはずだ。後は黒幕たるマインド・フレイヤーの目的次第だろう。
「ふむ、そうであってほしいものだな。
そういえばヴォイド・マインドの精神は寄生主の影響で干渉不可能な上、自律行動は制御されるということだが……
トーリ、君はこのハザディルからどうやってそれだけの情報を引き出したのかね? 差し支えなければ後学のために教えてもらえないだろうか」
体を背もたれから起こし、ジェラルドは質問を投げかけてきた。確かにそれは俺も苦慮したところだ。シャーンとコルソスをメイの《グレーター・テレポート》で飛び回ってもらって、ようやく満足の行く結果を得られたのだ。これからヴォイド・マインドと関わるかもしれないジェラルドには教えておいたほうが俺の負担も少なくなるだろう。そう判断して俺は一つのアイテムをテーブルの上に置くと口を開いた。
「大したことじゃない。気絶しているハザディルに効果が出るまでこの兜を被せたのさ。曰くつきの品だ、聞いたことくらいはあるだろう?
後は寄生主からの干渉をあの手枷で防いで、じっくりと交渉したのさ。言葉通り人が変わったかのように協力的になってくれたぜ」
俺が出したそのアイテムを見たジェラルドは一瞬顔をしかめたが、すぐに得心したとばかりに首肯した。それも仕方のない事だ。これは"ヘルム・オヴ・オポジット・アライメント/対立属性の兜"──呪いの品なのだ。この兜を被った存在は抵抗に失敗すると元の属性から最もかけ離れたものへと変化してしまうという凶悪なもの。その変化は精神性だけではなく倫理観にも及んでおり、効果を受けた対象は心の底から新たな人生観に満足してしまい元の属性へ戻ろうなどとは考えない。ヴォイド・マインドによる精神作用への抵抗力がこの兜の効果を弾くかもしれないと考えていたのだが、どうやらこの効果は文字通りの"呪い"であるようでしっかりと効果を発揮してくれた。この街に破壊をもたらす混沌と悪の化身は、今や秩序を信奉する善人へと転じたのだ。
とはいえ彼がヴォイド・マインドであるということが変わったわけではない。建物全体が《マインド・ブランク》を付与されたかのように占術・心術に対する防護を展開している俺の家の中で、身につけた者を《アンティマジック・フィールド》で包む手枷"メイジベイン・マナクル"を嵌めることで寄生主の干渉を防ぎ、さらに交渉が済んだ後は(同意の上で)再度意識を奪い、石化したうえで再び手枷を嵌めている。本来であれば限定的な異空間などに置いておくのが保安の点からも望ましいのだが、今はジェラルドに状況を検分させるためにこうやって外へ出しているというわけだ。
「──なるほど。それは随分な投資をさせてしまったようだな。随分と君に報いなければならないものが積み上がってしまったな」
兜は効果を一度発揮したらその力を失ってしまう使い捨てで金貨4千枚、そしてこの手枷は13万2千枚という恐ろしい値段の品だ。確かに一般の冒険者では逆立ちしても払える額ではない。ゲームの基準でいうのであれば、14レベルのプレイヤー・キャラクターの財産が金貨15万枚相当。その大半をつぎ込まなければ買うことが出来ない上、金額的にも性質的にも一般的な市場になど出回らない品だ。金貨に不自由していない俺にとってもシャーンで築いたコネクションがなければ、ここまでの短時間で用意することは出来なかっただろう。
「まあその分は回収させてもらってるさ。港は瓦礫に埋もれて大したものは持ち出せなかったが、拠点から差し押さえたもので充分に元は取れているよ。
それ以外にも今回はその紙束とこの石像にいい値段をつけてくれると思ってはいるがね」
「勿論だとも──だが、ハザディルの石像については暫く預かっておいて貰ったほうがいいだろうな。
これから暫く街は騒がしくなる。私も身辺には注意を払っているつもりだが、万全と言えるほどではない。
済まないがこちらの受け入れ準備が整うまでの間、よろしく頼むよ」
彼の言うことももっともだ。何かの拍子に石化が解除されてしまえば、"ウォーフォージド・タイタン"へと変化するかもしれない爆弾を引き取るには準備というものが必要だろう。あるいは遺恨を持つリランダー氏族達に引き渡すにしても、交渉が必要だ。これから大掃除を行わなければならないジェラルドにとって、余計な荷物を背負い込む余裕はないということだ。
それに彼の言うとおり、俺にとってハザディルはまだ利用価値がある──というよりも、聞いておかなければならないことが多い。双子の故郷を襲った件や彼を支配しているマインド・フレイヤーについてなど、引き出さなければならない情報はまだまだあるのだ。逆にジェラルドが言い出さなければ、こちらから何日か猶予を貰おうと思っていたほどだ。そのあたり、彼はこちらの要求に触れずに応える会話術に非常に長けている。
そう評価されていることを知ってか知らずか、ジェラルドは席を立った。彼が名簿が記された紙を丁寧に折りたたんでいる間に、俺はポータブル・ホールに3体の人間の石像を放り込んで彼へと渡す。この像は彼がアーラムと交渉する際に有効に活用してくれることだろう。唯一懸念があるとすれば、ジェラルドが"やりすぎる"のではないかということだが、彼はハーバー・ロードに仕えているように見えながらも都市全体のバランスに気を配っている。アマナトゥの1強状態である現状から、今回の事件を通じてロード間のパワー・バランスに変化が生まれるかもしれないがその辺りは上手く調整してくれるはずだと思っている。著しい不均衡によってロード間の争いが表面化すれば、彼の生まれ故郷であるこの街が戦火に見舞われることは間違いないからだ。普段からジェラルドが口にしている故郷愛について、俺は十分に信用しているし悪いようにはしないだろう。
そうやって来客を見送った後で、俺は再びハザディルの石像の安置された部屋へと戻った。表面上、先程までのやり取りで今回のクエストについては後処理を残して方がついたように見えるかもしれない。だが、俺にとってはここからが本番の始まりなのだ。ヴォイド・マインドにマインド・フレイヤー、そしてウォーフォージド・タイタン。ハザディルというこの街での手足を失った彼らが、これからどう動くかは解らない。だが、まず間違いなくもう一度戦う事にはなるはずだ。その時に向け、出来うることを一つ一つ片付けるべく俺は石像へと向き直った。