―――**―――
「はぁ……はぁ……」
「……!」
荒くも甘い息遣いに、アキラはいつもの通り、目を覚ました。
「ねぇ、アキラくぅん……、起きてるでしょ?」
「ぅん……、うおっ!?」
目を開ければ当然のようにそこにいる女性は、高揚した悩ましげな顔をアキラに近づける。
ベッドの上、アキラに覆いかぶさるように乗ったその女性は、薄いアンダーウェアだけを纏い、感触の分かる豊満な胸をアキラに押し付け、甘ったるく笑う。
「エ、エレナさ~ん?」
「もぅ……。エ、レ、ナ、でしょ?」
長い指をアキラの口に当て、子供っぽく笑う女性は、エレナ。
亜麻色の髪に、甘い顔つき。
彼女のその扇情的仕草に、アキラの心拍数は、朝だというのに急上昇。
これ以上ないほど、目が覚めた。
「ねぇ、アキラ君……。アキラ君の……、忘れられないの……」
「ちょっ、ちょっと!?」
「ちょっと吸っただけで……、私……、あんなに……」
エレナはひんやりとした手を、アキラの顔に当てた。
加減は難しい。
ほんの少し吸い出しただけで、許容量を遥かに超えてしまう。
慎重に、行わなければ。
「いい? 動かないで……」
「っ……、お……っ」
エレナが長い瞼の瞳を閉じれば、まるで神話の絵画のよう。
その神々しさに、アキラは時間を忘れ、動きを完全に止めた。
やはり異世界はこうでなければ。
エレナのような女性が登場したあとは、寝起きを襲われる。
お決まりだ。
完璧なご都合主義。
だが、それでいい。むしろ、それがいい。
アキラの心の中で、歓喜の華吹雪が舞ったところで、
「はい、しゅ~りょ~~っ!!!」
「……ちっ、正妻か」
パターン通り、ドアが開け放たれ、息を弾ませたエリーが飛び込んできた。
――――――
おんりーらぶ!?
――――――
「今日は実戦形式ね。全力で殴りかかるから、うまく守って」
「お前最近そればっかだな!! 他に言うことないのかよ!?」
拳を合わせるように打ち付け、エリーは目つきも鋭くし、赤毛をきゅっとポニーテールに縛った。
身体にはばっちり、機能的な戦闘装束を纏っている。
いつものように抗議するアキラに、今日こそ実戦の恐さを教え込まなければ。
「……、今日は、何を?」
「あら? 別に、いつも通りよ」
アキラとエリーの対峙を遠巻きに見つつ、サクは隣で可愛らしく欠伸をするエレナを呆れた風に見やった。
羽織った紅い着物も、黒髪のトップに縛ったちょんまげのような髪形も、腰から下げた長刀も、異様と言えば異様だが、サクも十分美人に分類される。
だが、そのサクから見ても、隣の愛らしい容姿のエレナは美しい。
何よりも、男性に媚びる仕草が絶妙だ。
「アキラくぅ~ん、頑張って~っ!!」
声を出せば、甘ったるい猫撫で声。
その声に、サクの主君たるアキラは、声を弾ませこういうのだ。
「おうっ!!」
「……うん、じゃあ、行くわよ?」
「ごめんなさい、俺、嘘吐きました」
宿舎の庭を借りての朝の鍛錬は、順調に、賑やかのようだ。
サクも身体に魔力を巡らせ、精神を集中する。
エレナが現れてからというもの、すっかりアキラを起こす役の任を解かれたサクも、遊んではいられない。
「……、みんな、揃ってるっすね」
「……!」
そんな朝の鍛錬に、一人、眠たげな眼の少女がのそのそと現れた。
半分閉じた瞳はどこか色彩が薄く、髪もそれに倣っているが、その容姿は、背丈も含め、エリーと瓜二つ。
エリーの双子の妹、マリスだ。
彼女もアキラ率いる“勇者様御一行”だが、鍛錬の必要もない、数千年に一人の天才。
ただのほほんと大名出勤を決め込み、アキラとエリーの喧騒を眺め始めた。
「……、エレナさん、またなんかやったんすか?」
「もう、そればっかりね。……やったけど」
「……」
チロリと可愛げに舌を出したエレナの仕草に、マリスの瞳がさらに狭まる。
この困ったような仕草でも、彼女の神秘さは損なわれない。
同じ顔のエリーも、まごうこと無き美人だ。
そんな美少女に囲まれ、異世界来訪物の主人公の恩恵をまんべんなく受け取る“勇者様”はいつでも顔がにやけている。
その人物、アキラこそが、エリーにとっては最大の問題だった。
「はあ……、ほんっっっとうにいい加減にして下さいよ!! エレナさんも!!」
対峙するアキラが、魔力を纏い始めるのを待ちながら、エリーは離れたエレナに届く声を張り上げた。
「まだ防御幕も張れない“勇者様”に、遊んでる暇なんてないんですから!!」
「ちっ、流石にうるさいわね……、正妻は」
「ちっがぁぁぁあああーーーうっ!!」
幸か不幸か、アキラとエリーは不慮の事故で婚約中。
エレナの呟くような声も、エリーは正確に拾い、大声で否定する。
それは、違うのだ。
現に今も、それを否定すべく、という、信じられないような理由で、打倒魔王を掲げているくらいなのだから。
「おい、防御幕なら張れるって……あっ、」
「あっ、じゃないわよ!!」
アキラの身体からノッキングするように不規則なオレンジ色の光が帯びたかと思えば、それは急速に縮まって、朝の光に溶けていく。
朝の鍛錬とやらを初めて一週間を超す程度。アキラは未だ、魔力を使いこなせていなかった。
「ほらぁぁぁああ~~っ、」
「もぅ、」
嘆くエリーとやっきになって魔力の無駄なアイドリングを続けるアキラに、エレナが甘い吐息を吐き出しながら近づいて行った。
「ほらぁ、こうやって、」
「おっ、おおおっ、」
そしてアキラの腕を身体に挟むように取り、漏れ出す魔力の安定を図る。
だがその眼は、慎重に魔力を発動させるように鋭く変わっていく。
「ストォォォオオオーーーップッ!!!!」
「何よ?」
いつの間にやらほとんどアキラに抱き付く形になっていたエレナは、うんざりとした様子で顔をエリーに向ける。
今までの媚びるような空気は僅かに冷め、眉も怪訝に狭めた彼女に、甘さはない。
こちらの姿の方が、エレナの“素”であることは、この数日の付き合いでエリーにも分かっていた。
「いい加減にして下さいよ~~っ、邪魔しないでください!!」
「あら? 合意の上よ? ねぇ、アキラ君?」
「おうっ!!」
「ノヴァ!!」
「うおっ!?」
まさかの詠唱を附した一撃に、アキラはエレナに腕を引かれる形で回避に成功。
エレナの身体に抱かれるように顔をうずめた。
「よっしゃっ!!」
「うあんっ、いっ、今動かないでよ……!!」
「っ、」
魔力を吸おうとしたエレナは、アキラが僅かに動いただけで身悶えし、その反応に顔を緩ませたアキラにエリーが怒号を飛ばす。
その様子を、マリスとサクは静かに見守る。
いつの間にか決まって行くメンバー内での定位置は、今日も、やっぱり、賑やかだ。
―――**―――
「え? 俺は、ほら、最初北の町に行ったから、てっきり北を目指すもんだと……」
「自分は、にーさんが自信満々に進んで行ったからっす」
「私は、アキラ様について行くだけですから」
「あら、奇遇ね……。私も、アキラ君についてきただけよ?」
「答えが出たわね。満場一致で、あんたが悪い」
朝食をとり終え、宿舎のアキラの部屋に集まった四人は、ベッドの上で呆けたような顔を浮かべる“勇者様”にため息混じりの顔を向けた。
「いや、まあ、それは違うだろ」
「大差ないわよ」
身の潔白を訴えるアキラに、エリーは頭を覆いに抱えた。
ここはクロンクランのさらに北に位置する小さな村。
エリーやマリスの出身地、リビリスアークよりもさらに小さく、ほとんど集落のような場所だ。
クロンクランを離れた一行は、近くの村を転々と移動しつつ、北を目指していたのだった。
目的もなく。
「な、ん、で、今まで誰も気づかないのよ!?」
リビリスアークをいきなり飛び出して、止むを得ない状況でクロンクランに到着したことをこの男は覚えていなかったのだろうか。
エリーにしてみれば大きな町で情報を集めるつもりでもあったのだが、エレナの一件ですっかり町に居辛くなってしまったため、これまた止むを得ず町を飛び出すことになってしまった。
そのため、一行が何となく進んでいく方向についてきただけなのだが、まさか目的がなかったとは。
「もぅ、こんな話し合いしてても意味ないでしょ? ねぇ、アキラくぅん、私、村を見て回りたいんだけど……、一緒に、」
「そうやって、エレナさんが遊んでばかりいるからでしょう!? あんたも!!」
エレナの誘いに、普通に腰を浮かせたアキラを怒鳴って座らせる。
エレナにしてみればアキラと共にいられれば、目的は達成できるので、別に旅の行く先を気にする必要はない。
そんなエレナに振り回され、“一応”この一行のリーダーたる“勇者様”がこんな様子なため、エリーたちは舵を失った泥船に乗せられているようなものだ。
いずれ転覆するのも目に見えている。
「ヒステリックな女はモテないわよ?」
「うわーんっ!!」
完全に崩壊しているパーティの惨状に、許容量をオーバーしたエリーは声を出して泣いた。
「ま、まあ、ここで気づけただけでも収穫じゃん」
「あたし、今の結構イラッときたんだけど」
エリーがいい加減限界だ。
アキラは正しく判断し、メンバーに視線を泳がせる。
そして、この事態を収拾できそうな少女に視線を合わせ、半分閉じた眼を正面から覗きこんだ。
「なあ、マリス。俺たちこれからどこ行けばいいと思う?」
「……、そうっすね、」
「そうやって、マリスに頼らないのっ!!」
「いや、ここはいいだろ、別に」
同じ顔なのに、どうしてこうも音量が違うのか。
双子の姉妹の見分け方は、色彩の差よりも、声を聞けば分かりやすい、と、この場にいる誰もが自然に頭に思い浮かべた。
「えっと、地図とか見た方が、」
マリスがのほほんと動き、だぼだぼのマントの中を蠢かせた。
中には、身体に斜めにかかっている小さなバッグがあり、その中にはマリスが選んだ旅の出需品が入っている。
「これ、ちょっと広げるっすよ」
ベッドの脇の机を引きよせ、マリスは正方形の地図を置いた。
そこには一面に大陸が埋め尽くされており、様々な個所に地名が書き込まれている。
「えっと、自分たちが今いるのは……、ここっすね」
マリスの細い指が、地図の右の中部を指す。
その指の近くに、クロンクランというアキラも知っている地名を見つけた。
一応、初代勇者ゆかりの地、リビリスアークも豆粒のような字で書かれていたが、今いる村は名前すら載っていない。
「……え、てかこれ、世界地図? ちっちゃくね?」
「……、ああ、これはアイルーク大陸だけっすよ」
この世界に存在する大陸は五つ。
それぞれ、東西南北そして中央、と領土を広げ、それぞれ地上を分けている。
アキラたちが今いるアイルーク国は、その名を大陸と同じにするだけはあり、東に位置するアイルーク大陸の中でも最も主要な国だ。
その最東に、リビリスアークが位置する形となっていた。
よくよく見れば、その地図の上に、タイトルとしてアイルークの名が、竜の翼を象徴する絵の中央に書いてある。
以前、アキラも見た、マリスに届いた手紙のロゴだ。
「それで、この国の激戦区はここ。魔界への大きな“門”があるらしいんすよ」
マリスは指を地図の上でするすると動かし、中央に広大に構えるアイルーク王国より、南西に外れた位置で止めた。
戦場ゆえか、広大な平野がただただ広がっている。
アキラたちは、見事にそこから遠ざかっている形になっていた。
「魔界への門……か、」
「ちょっと、そんなのどうでもいいでしょ? 魔王は今、地上にいるんだから」
強いて言うなれば、魔王直属のガバイドも。
どこか胸躍るようなアキラを、エレナはたしなめた。
そこにいくのは、自分の目的にそぐわない。
「逆に、天界への門はどこに空いているんだ?」
サクが興味深気に身を乗り出した。
淡々とした同じ色の文字の羅列に、なかなかその名を探し出せない。
「? サクさん、知らないんすか?」
天界への門と魔界への門。
この二つの位置は、教養の範囲で教わるもののはずだ。
自分の故郷であれば。
「ああ。私はこの国の生まれではないからな……。西のタンガタンザ出身だ」
「へえ……、じゃあ、エレナは?」
「……私はシリスティア。南、ね」
エレナは、うんざりするような口調をアキラに返した。
生まれなんて、エレナにとってはどうでもいい。
「よし、このまま北に行こう」
「その理由を、そこだけ出身者がいないからっていう理由以外で説明できる?」
「……、まあ、えっと、うん、まあ、その、理由なんか今はいいだろ」
「はあ……、」
エリーもエレナと同じようにうんざりとした表情を浮かべる。
この男の頭の中は、変なところで几帳面だ。
「……、でも、そうっすね……、北の大陸を目指すと……、というより、西に行くと……、」
するすると地図の上を進んだマリスの指が、ある一点で止まった。
そこは、北の大陸との境目付近。
同じ色の文字だが、確かに、ヘヴンズゲートと書かれている。
「うおっ、見にくいっ」
「? そうっすかね?」
アキラの視線の先には、そのヘヴンズゲートを囲うように様々な地名がごちゃごちゃと密集していた。
マリスにとっては、これで十分見えるのだろう。
彼女の所有物は、凡人が考える分かりやすく頭に入る地図である必要はないようだ。
「まあ、今さら引き返すのもあれだし、見に行こうぜ、それ」
「……、うーん……」
アキラの提案に、エリーは唸る。
大方、神々しい姿をしているという神族に想いを馳せているのだろう。
確かに、マリスが苦手とする国に行くより、自分たちの婚約解消を行える“神族”に会った方がいいのかもしれない。
それに、魔王に今すぐダイレクトアタックするよりは、経験を積んだ方がいいだろう。
だが、しかし、
「まあ、いいじゃん、ほら、大きな町もあるみたいだし……、ここで色々情報集めようぜ」
「……、私は、アキラ君にさんせーいっ」
『きゃはっ』と言う声が聞こえるように、エレナはすらりと長い腕を持ち上げ、満面の笑みを作った。
このまま放浪していても、目的に近づけないようだ。
それならば、もう少しアクティブに動くべきだろう。
「私は、アキラ様について行くだけ……、賛成も反対もない、ですね」
サクは、当然のように頷く。
「……、決まったみたいっすね」
四人の視線が、唸り続けるエリーに向いた。
今エリーを止めているのは、結局アキラが最初に発した言葉通りになるのが腑に落ちないという小さなプライドだけ。
「わっ、分かったわよ! 行ってやろうじゃないっ、ヘヴンズゲートッ!!」
一行の目指す場所は、決まったようだ。
だがそれよりもまずは、やることがある。
―――**―――
冒険は続く。
その戦いの日々は、血と血で塗れ、勝者だけが生きながらえるという過酷なもの。
だが、何故人は旅立ち、挑戦するのか。
そう聞かれれば、一流の者は口を閉ざす。
自分のための答えは常にあるが、万物総てに共通することがないのを彼らは知っているからだ。
だが、一般的に言われていることはあった。
受けたいのだ。
勝利の誉れを。
激闘を通し、泥まみれ、汗まみれになって、それでもその後に頬を撫でる涼風のなんと爽やかなことか。
全力を出し切ったあとの爽快は、身体中を駆け巡り、その欲求を満たす。
それが、欲しいのだ。
では、何故、その快感に手を伸ばそうとしない者もいるのか。
こちらの通説は、おおよその人に当てはまる。
何かが、ないのだ。
旅立つ機会や、現状に留まるものの背をどんっ、と押す手が。
そして、その他には。
旅することの経済的負担。
先立つものがなければ、旅はできない。
「ぜっっったい、おかしい!! このチーム分け!!」
そんなこんなで、とうとう底を尽きた路銀を稼ぐべく、アキラたちは魔物討伐の依頼を受けていた。
うっそうと茂る森林の中、元気に声を弾ませているが、その内容は、現状への不満。
そのアキラの喚きに、エリーは苛立ち、サクはどこか申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「あんたさあ……、あたしたちのこと、弱いとか思ってない?」
「アキラ様……、至らないとは思いますが、全力でお守りを、」
「そっ、そういうことじゃないっ!!」
いい加減拳がプルプル震えてきたエリーに、奥歯をかみしめるように悔やむサク。
エリーはいつも通りだが、主君の信頼を勝ち取れていない現状に苦汁を舐めているサクは、子犬のように眉を下げた。
この依頼で、挽回しなければ。
「じゃあ、どういうことよ!?」
「いや、聞けよ。お前ら、俺の外れた肩を治せるのか?」
そう聞かれれば、サクは何も言えなかった。
エリーもサクも、治癒魔術は扱えず、アキラがもんどり打ったところで簡単な応急処置しかできない。
アキラたちは、路銀を確保すべく、村の酒場で依頼を受けた。
だが、依頼の中でも割のいいものは、ダブルブッキング。
夕方までにこなさなければいけない二つの依頼は、その結果、二班に分けて行動することとなっていた。
普通に戦えない我らが勇者様は、そのくせ意欲だけはあり、隙あらば魔物を倒したいと考えている。
それが封殺されている現状は、アキラにとって不満を溜めることにしかならないのだろう。
「っ、と、」
エリーは大きくせり出した大木の太い根につまずきながらも、ずんずん足を進めて行く。
そのチーム分けにも、一悶着あったのだから、急がなければならない。
まず、サクが主君のアキラと組むことを希望し、次に、エレナがアキラの腕を取った。
しかし、アキラは治癒魔術が唯一使えるマリスと組むことを熱望し、これではチーム分けにならないとエリーが猛抗議。
エレナをアキラから引き剥がせば、うるんだ瞳でアキラに迫り、話は一向に纏まらなかった。
そこで神任せ運任せ。
簡単なくじを作っての、文句なしの一発勝負のチーム分けの結果が、現状だ。
「てかなんだよ~っ、向こうのチーム……。何あのチートコンビ……」
「決まったことにぐずぐず言わない!! 一発勝負って言ったでしょ?」
そういうエリーも、戦力が大きく傾いていることは感じていた。
まず、妹のマリス。
下手をすれば彼女一人で二つの依頼を同時にこなせそうなほどの無敵っぷりを誇っている。
戦闘で、彼女が負傷したことさえ見たことがない。
数千年に一人の天才のマリスがいなければ、自分たちは間違いなく生きてはいないと言い切れるだろう。
そして、エレナ。
彼女も異様だ。
エリーとサクが二人がかりで殺されかけた巨体のオーガースを、彼女の細腕のどこにそんな力があったのか、軽々と持ち上げ、相手の生命力を奪い尽くし、瞬殺した。
一応彼女たちの組には、二人と言えど、負担の大きい仕事を任せたが、森に入って早一時間。
コミュニケーションに問題はあるだろうが、すでに依頼を終えている可能性もあるほどだ。
それに比べて、こちらのチーム。
この程度の依頼なら難なくこなせるはずだが、最大の問題、アキラを抱えている。
通常の戦闘というものがまるでできない“勇者様”を守りつつ、戦わなければならない。
「てかさ、いいじゃん……。エレナがいれば、路銀くらい……」
「それはダメだって言ったでしょっ!!」
最初は、エリーもそれを頼っていた。
そもそも所持していた資金が尽きかけた頃、エレナが『ア、キ、ラ、く、ん、の、たーめっ』とかなんとか言いながら、大量の資金を持ち出し、切羽詰まっていたエリーは渋々その好意に甘え、その恩恵を多分に受けたのは確かなこと。
だが、尽きることを知らないエレナの財源は、盗賊が現れたと騒ぐ村人たちによって一気に明るみに出ることになる。
エリーは村人たちに財を返すことができなかったが、今後アキラたちにエレナの差し出す資金に手を付けることを禁じた。
「なんなの? あたしたちは……。近くの小さな村を回りながら襲う盗賊団?」
「まあ、かなり近いことをしたな。村人にはこれからも、世話になりそうだ」
「『近い』じゃなくて『そのもの』よ!! とにかく、あの女にかどわかされちゃダメ!!」
エレナによって、すっかりその辺りの感覚が麻痺してきた“勇者様”にエリーは怒鳴り返す。
世界を救うための崇高な旅だというのに、恐ろしく徳に反する行動は、“しきたり”的にも最悪だ。
自分が“しきたり”によって苦悩しているのにもかかわらず、エレナはそれに従う素振りも見せない。
エリーは未だ、彼女の腹の中が見えなかった。
なにか、信用できない。
「そうだ、アキラ様。以前から気になっていたことがあるのですが、」
「?」
アキラやエリーと違い、足場の悪い森林をすいすいと進みながら、サクはアキラの格好を眺める。
服の中には簡単な防具を仕込んでいるとはいえ、相変わらずの一般服。
武器は、ない。
「アキラ様、一般の魔物相手にどのように戦うおつもりなのですか?」
“ボス”はともかくとして。
一瞬そう続けそうになったサクは、そのアキラのような表現に口元が僅かに緩む。
どうやら自分も、染められているようだ。
「まあ、確かに……、防御幕も張れないのに、とか思ってたけど……、あれ? ちょっと待って。むしろ、あんた何でここにいるの?」
「失礼だろっ、それっ、……、」
だが、エリーが流れのまま口に出した言葉は正しかったりする。
「え、だって、村で待ってれば……、え、」
アキラが森林に入る意味は、ない。
今回の依頼は、そもそもエリーとサクがいれば十二分に達成できるのだ。
そんな状況で、一撃必殺を誇るあの銃の必要性は、ゼロ。
その上、アキラには通常の攻撃手段がない。
防御幕も張れないそんな人間がこの森林を歩いているということは、自殺願望でもなければただの馬鹿だ。
「……」
「……」
「……」
三人はぴたりと待って、顔を見合わせる。
今回が初依頼のため、流れでアキラはついてきたが、下手をすれば死ぬここにいるより、よっぽど安全な村の中で防御幕の特訓でもしていた方が良かったはずだ。
「俺を……、守ってくれる?」
「うわぁぁぁあああーーっ、ほんっっとうにっ、何してんの!? あたしたち!!」
そもそもアキラを戦力と数えていたことが間違いだった。気づけば自分の首を絞めていたエリーは、森林によく通る声を出す。
「……、……、」
サクも頭を抱えた。
自分が守るつもりであったが、そもそも守る必要もない場所にいてもらえれば良かったのだ。
全員の心の中に、どこかあの銃の絶対的な光線がちらついたため、完全にアキラに対する評価を誤っていた。
「わっ、分かった、こうしよう!!」
二人の表情に、アキラは流石に自尊心を刺激された。
こうなったら、やってやる。
「俺に、戦い方教えてくれ!! 普通のやつを、」
「普通のって、」
エリーも改めてアキラの姿を見るが、やはり丸腰。
「何で、武器……、持ってないの、よ……、」
エリーの語尾は、小さく消えていった。
そうだ。
アキラの持っていたリビリスアークで貰った投げナイフは、自分を助けるためにスライム洞窟でばらまいていた。
自分の、ために。
「いや、お前を助けるためにばらまいたろ。ほら、あの洞窟で」
「口に出したら台無しでしょっ!!」
やはりどこか無神経な男の評価は、どうも上がって行きそうになかった。
「大体、あんた、どんな武器使いたいのよ?」
「えっと……、まあ、剣、かな……」
そう聞かれれば、アキラの答えは決まっている。
やはり異世界来訪物の勇者の武器は、剣と相場が決まっているのだ。
世に存在する多くの物語は、勇者が剣を振りかざし、敵に向かっていく挿絵が存在する。
「……、私は、この刀しか持っていませんし……、その、」
「いや、いいって、それは、」
ちらりと見た、サクの長い愛刀。
アキラに差し出そうと一瞬浮かせたが、アキラはそれを制した。
サクがその刀をいつも大切そうに手入れしていたことを知っていたし、なによりサクの武器がなくなる。
流石に、貸せとは言えない。
「ですが、そうですね……。刀の使い方なら、村に戻ったあと、お教えすることはできます」
「おっ、おお、じゃあ、頼む」
「はい」
剣と刀の使い方は異なるが、ある程度は通じるものがあるだろう。
アキラが剣と刀のどちらを選択するかは分からないが、役には立てそうだ。
「さしあたって、今、どうするか、ですが……、」
サクは、その顔を、アキラ同様ほとんど丸腰のエリーに向けた。
エリーは単純に、両手を覆うナックルガードや急所を守るプロテクターを着けているだけだ。
「そうだな、よし、頼む。とりあえず今は、殴り殺し方教えてくれ」
「……教えてあげましょうか?」
「……!」
エリーがアキラに向けて拳を握り締めた瞬間、サクは不穏な空気を感じた。
「……、着いてみたいね……、」
「ああ。……アキラ様、私たちから離れないように」
エリーとサクは身構える。
ようやく、討伐対象の魔物がいる空間に到着したようだ。
「……!」
アキラは二人に挟まれながら、身を強張らせた。
今、自分が見ている木の後ろの影が、僅かに動いた気がする。
「来た……。ライドエイプ」
エリーが呟くと同時、木の陰から、アキラの胸ほどの高さの魔物が現れた。
緑の瞳に猿のような顔つきは、全身、瞳と同じ緑色の体毛で覆われている。
背丈のわりには小柄な体つきだが、その手は長く、直立しているのに足元についている。
尾は短く、尾てい骨の辺りでくるりと丸まっているが、顔つきはどこか禍々しく、野生動物の攻撃本能を全体から出していた。
この魔物が、村の食糧を漁っている故の討伐対象だが、見た目からそれ以上の被害が出ていないのは、アキラにとって信じられない。
「顔つきはあれですが……、私たちのことを、恐がっています」
「……あれで、か?」
「いきなりテリトリーに侵入されて、ってとこね……」
エリーもサクも、身体に魔術の防御幕を張る。
アキラは気づかなかったが、今になってようやく、そのライドエイプが一体だけではないことが見えてきた。
木の陰から一体、また一体とわらわら姿を現し、木の上にも緑色の瞳が光っている。
「おいっ、多くね?」
「大丈夫よ……、マーチュほどじゃないけど、弱いから」
「ええ。エリーさんは、アキラ様をっ!!」
サクはそう叫んで、ランドエイプの群れに飛び込んで行った。
―――**―――
「ギッ……キ……、キ……」
「……、あら、もうおしまい?」
足元にぼとぼとと、ライトグリーンに発光していたランドエイプが数体落ちる。
そして、その直後に、爆竹程度の小さな破裂音。
二人を取り囲んでいた大量のランドエイプは、その爆発の上で妖艶に笑う一人の女性に身体を震わせた。
「ぺっ、まっず……。次は……、誰?」
その女性、エレナは唾を足元に吐き捨てると、冷ややかな瞳を魔物に向ける。
「キッ、キキーッ!!」
最早すべてを悟ったのか。
ランドエイプの群れは巣を放棄し、生への一縷の望みを託し、逃亡を図る。
だが、
「……」
エレナの後ろから、無数のシルバーの光線が飛び、数十体の群れは各所で爆発を起こす。
それは、この巣にいたランドエイプの全てが、終局を迎えた証でもあった。
「え……、えげつないわね……」
「……」
エレナに言われたくはなかったであろうが、ランドエイプを全滅させたマリスは表情にも出さず、ただ、半分の眼を先に道に向けただけだった。
「てゆーかぁ、ランドエイプはあっちの担当でしょ? なんでこっちにもこんなにいんのよ」
マリスとエレナの二人は、自らの討伐対象への道を歩き出す。
通行ルートだけ、ランドエイプの巣を駆除しているが、これでもう三度目。
下手をすれば、ランドエイプの巣の駆除がメインの向こうより遭遇している可能性すらある。
「……」
「……」
エレナは無口な少女と、討伐対象への道を急ぐ。
こんな、木々のせいで薄暗い空間に長居はしたくない。
労力がかかる上に稼ぎも少ない依頼が嫌で、自己流の路銀の稼ぎ方をしていたのだが、あの正妻に止められたせいで、カタギの仕事をする羽目になってしまった。
アキラが行くと言い出していなければ、自分はきっと、村の宿舎でのんびりくつろいでいただろう。
「……、てかさ、あんた、ほんっとにあの夫婦がいないと無口なのね」
「……」
普段、挨拶程度しか交わさないマリスとまともな会話をした覚えはない。
その無音ぶりは、足音まで聞こえないというほど徹底している。
それは、薄暗い森林をまるで一人で歩いているような錯覚さえしてくるほど。
常にアキラの近くにいるせいで会話をよくするサクに聞いたところ、サクもマリスと会話できるようになったのは、しばらく付き合ったあとだったそうだ。
「その魔術……、木曜属性の魔物相手でも有効なんすね」
ようやく、マリスが口を開いた。
半分の眼が向いたのは、エレナがパンパンとはたいている手。
木曜属性のキュトリムを放つその両手に掴まれたものは、魔力どころか生命力さえも奪い尽くされ、同じく木曜属性のライドエイプさえも絶命する。
その上、魔物を片腕で数体持ち上げる、細腕からは想像もできない腕力。
マリス同様、明らかに、このメンバーの中でも格別の強さを誇っている。
「あんたも流石に月輪属性ってとこね……。こんな片田舎でよくまあ満足していられるわ」
賛辞のような言葉も、エレナの興味の薄そうな顔では半減する。
日輪、月輪以外の五属性には、相性というものが付きまとう。
謎に包まれているとはいえ、月輪属性には明確な弱点が存在しない。
強いて言うなれば、同じく謎に包まれている日輪属性程度だが、それでもその希少さゆえ、月輪属性は無類の強さを誇る。
「あんたさぁ……、戦闘が楽になる補助魔術とか、使えないの?」
「使えるっすよ。速度上昇、とか」
適当な質問に、返ってきたのは肯定の言葉。
エレナは半ば呆れながら、かつてどこかで聞いた話を思い出した。
月輪属性の者に、できるかできないかで聞けば、当然のようにできると返ってくる。
“一般に考えられる魔法”。
それが、月輪属性が操る力だ。
“魔術”と“魔法”という言葉は、ほとんど混合して使われている。
だがその実、学問として習えるのは魔術だけ。
魔法とは、空想の世界の存在と考えられているからだ。
魔法の域にある能力を、解明し、誰しもが習得できる魔術に変えていく。
それが、五属性には当てはまる。
だが、全く解明されていない日輪属性は元より、月輪属性は、“魔法”を使えるのだ。
相応の魔力が必要だとしても、それでは、“不可能”という概念すらない。
それが、月輪属性。
「じゃあ、私にその速度上昇かけられる?」
「かけられるっすけど……、身体に負荷はかかるっすよ」
「……じゃ、いらないわ」
だが、そんな月輪属性でも、自分に関係がないのならばエレナの興味は薄れていった。
「……」
欠伸を噛み殺しながらいい加減に歩くエレナを見ながら、マリスは、サクのときのような疑問を持ち始めていた。
アキラについてきたこの女性の、“中”が見えない。
あのとき、サクがアキラ抱く感情が“そういうもの”ではないと知って、興味は薄れた。
だが、今、目の前にいる女性はどうなのか。
「エレナさん」
「? なによ」
エレナの猫撫で声の対象に、女性は含まれていないらしい。
せり出した木の根を苛立たしげに避けて歩くエレナの口調には、配慮というものがまるでなかった。
「エレナさんは、にーさんのことどう思ってるんすか?」
「?」
気づけば、マリスはサクのときと同じ問いを口に出していた。
アキラに近づく女性全てに聞いている気がする。
何故自分は、こんな審判のようなことをしているのだろう。
アキラは、自分の姉、エリーと婚約しているというのに。
「アキラのこと?」
亜麻色の髪を手の甲で撫で上げ、エレナは僅かに眉を寄せて聞き返した。
口調はやはり、アキラに対するものとは違う。
「好きよ」
だが、あっさりと、それが何でもないことかのように、エレナは言い放った。
「っ、それは、」
マリスはまた、口を噤んだ。
どうしても、日輪属性に惹かれているだけ、という言葉が吐き出せない。
「ええ、分かってる。アキラが日輪属性だから。でも、それでよくない?」
「……?」
エレナは僅かに歩幅を緩め、マリスに並んだ。
隣に来ると、エレナのスタイルの良さが木陰でも良く分かる。
「人を好きになる理由なんてさ……、何でもいいのよ。その人がお金持ってる、とかでも」
「……、なんか、違うっすよ……、それ。その人が好きなのは、お金ってことじゃないっすか」
マリスの脳裏に、エリーの部屋にあった本が思い浮かぶ。
あれでなかなかファンタジーな話が好きな姉は、漫画をはじめ、色々な物語を読んでいる。
その話の中には、流石に年頃の少女ということもあり、若干過激な内容のものも含まれていた。
そのせいで、妙に歪んだ知識が頭に入っているようだが、その物語は一様に、人を好きになるべくしてなっている。
彼女たちは、好きな相手を好きになる、確かな理由があった。
便利だから、好きなのではない。
好きだから、好きだったのだ。
「大差ないわよ。例えばよく聞く、『優しいから好き』、なんて言葉、あるじゃない」
「……?」
「じゃあ、その人よりもっと優しい人が現れたら、その人は乗り換える?」
「……」
そう言われると、好きになる理由とは、どこまでも、漠然としていると感じる。
「そんなもんよ……。お金を持っているから好きってのも、優しいから好きってのも、スタートに過ぎない。そうなんじゃないの?」
エレナは僅かに眉を寄せ、どこか興味の薄そうな表情を浮かべた。
その辺りのことは、エレナも漠然と思い描いているだけのようだ。
だが、分からない。
マリスの頭でも、その話が分からない。
だけど、何故、自分が、みなに理由を聞いていたのかは分かった気がする。
自分は参考にしようとしていたのだ。
彼女たちの、理由を。
「だから私は、アキラが“日輪属性”だから好き。一発芸だけど強いから好き。利用価値があるから好き。シンプルで、いいじゃない?」
「……」
エレナの言う“好き”が、なんとも軽く耳に響く。
やはりこの人は信用できない。
マリスは、眉を下ろした。
「だから、」
「?」
エレナは足を止め、妖艶な笑みをマリスに向けた。
「日輪属性に惹かれるってのは、十分人を好きになる理由になるんじゃないの?」
「……、」
マリスは言葉を、返さなかった。
だが少し、胸のつかえは取れた気がする。
「あなたも結構……、おいしそうね……」
「……!!」
ようやくエレナとの距離が近すぎていたことに気づき、マリスが身の危険を感じたとき、
二人は、森の開けた草原に到着した。
―――**―――
「っ、」
イエローの閃光が、ライドエイプを両断した。
相変わらず、サクの初激は速い。
「―――」
そのままの勢いで、サクは長刀を流し、跳びかかろうとしたランドエイプを横切りに薙いだ。
速度は、やはり鋭いが、初激よりは僅かに遅い。
アキラには、ようやくサクの初激の居合い切りが、足に魔力を溜めての跳躍だということに気づけた。
長い刀を手足のように扱い、ランドエイプは次々に戦闘不能の爆発を起こす。
ランドエイプは、その風切り音が、自分の命を絶っていることにすら気づいていないだろう。
凛々しく表情を引き締めているサクは、魔術とは別に、木陰の中でも輝いて見える。
動いてはだけた胸元は、アンダーウェアの上からでも、サクの身体のラインを浮き出たせていた。
いい。
いや、その、刀での戦いが、だ。
「ふっ、」
「!?」
サクに見惚れているアキラの眼前で、スカーレットが爆ぜた。
いつの間にか正面から襲いかかってきたランドエイプは、エリーの一撃の前に吹き飛ばされ、即座に爆発を起こす。
こちらも、一撃だ。
「っ、ちょっとっ、ぼうっとしてないで!!」
戦場において呆けている“勇者様”の護衛を務めるのはエリー。
木曜属性に相性で勝っている火曜属性の彼女の一撃は、例えその人物が呆けていても、守り切る力があった。
わざとやっているのか、ときおりアキラの直前まで魔物を攻め入らせると、十分に引き付けてからのエリーの一撃がカーレットに爆ぜる。
近くで見ていると、格闘スタイルもいいものだと思うのは、何故だろう。
そんなこんなで、森林各所で爆発を起こし、ランドエイプの群れは姿を消した。
「終わった……な」
「はあ……、まだ、はあ……、終わりじゃ、はあ……、ないわよ」
荒い息遣いを整えると、エリーはアキラの腕を引き、離れたサクに近づいた。
「そうです。ランドエイプの巣は、恐らくまだ森の中にいくつか……、」
依頼内容は、ランドエイプの全滅ではなく、単純に村の近くから追い払ってくれればいいそうだが、この分だとまだまだ巣は大量にありそうだ。
「見ているだけでも参考になったかどうか……、アキラ様、どうですか?」
「すごく……、いいと思いました」
「へ? わぁぁああっ!?」
アキラはサクの衣服の乱れを直視し、久々に顔を赤くさせ、慌てて直す様子に顔を緩ませ、スカーレットの光が視界の隅に入って跳び退いた。
「お前さ、何? それって人を殺す予備動作だぞ?」
「違うわよ。来てるの……!!」
「……!」
気づけば、いつの間にかランドエイプが現れていた。
他の群れの魔物だろうが、空きが出た巣に現れるのが随分と早い。
「……? こいつら……?」
サクは表情を引き締め、ランドエイプたちを怪訝に睨む。
魔物の顔は相変わらず禍々しいが、その表情は、先ほどの群れより遥かにいきり立っていた。
「なんだよ、こいつら……!?」
アキラもようやく表情の差というものが分かったのか、身体をこわばらせる。
完全に、自分たちを敵視していた。
「まさか、ボスが近いのか……!?」
「悪いけど、ボスはいないわよ……。それを任せたのは、あっちの組」
「恐らく……、あちらの組から離れた魔物……だろうな」
サクの推測は当たっていた。
この森の魔物のレベルからしては、まるで災害に遭っているように無抵抗に殺される、あの二人の組との遭遇。
その二人の進路に巣を構えていたランドエイプは、当然のようにその巣を放棄し、空いた巣を探してうろついていたのだった。
「はっ、俺たちも舐められたもんだぜ」
「……、気が済んだら下がってて」
「―――」
エリーが構え、サクが突撃していく。
どうやら今回は、アキラの出番はなさそうだ。
―――**―――
「てかさ、多くない?」
「……」
マリスはエレナの言葉通りの大群を前に、眉を少しだけ下ろした。
森林の中の開けた草原。
そこには、長身のエレナの背丈も越える、緑色の魔物が密集していた。
身体は野生の筋肉を纏い、威嚇するように分厚い胸板を叩いている。
この、ゴリラのような魔物はクンガコング。
マリスたちの組の討伐対象だ。
「一体だけって、聞いたわよね?」
「……、自分も、そう聞いたっす」
ランドエイプのボスのような姿のクンガコング。
それが今回、森の中で目撃され、怯えた村の者が依頼を出したそうだが、その数は、たったの一体。
そのはずだったのに、目の前にいる数は、群れとして数えるのが相応しい。
「ったく……。これだから依頼って嫌いなのよ……。いい加減な感じが」
エレナは気だるそうな声を吐き出し、冷徹な瞳を浮かべたまま、群れに近づいて行った。
通常の者なら、この依頼の訂正を求めて村に戻るだろうが、そうすることも億劫だ。
「ま、始めましょ」
「……っすね」
マリスがエレナの背中に声を返したところで、エレナに近かったクンガコングが飛びかかって行きた。
しかし、それを避けるそぶりも見せず、エレナは右腕を突き出す。
その手は、クンガコングの首を正確に捉え、絞め上げるようにその巨体を持ち上げた。
「グゴォォオオッ!!?」
「……!」
クンガコングが悶え苦しむ。
だが、マリスの目には、エレナが魔術を使っているようには見えなかった。
ただ単純に、握力だけで、クンガコングの首を絞めている。
「最初に……、教えとかないとね……。どっちが上か」
「ガフゥッ!!」
宙で悶えていたクンガコングから奇妙な音が漏れたかと思えば、その手足をだらりと下げた。
そして、エレナは、力ずくで群れの中央に、絶命したクンガコングを投げ込む。
「ふぅ……、次は……、誰?」
群れは、仲間の爆発を見届けなかった。
最警戒対象となった目の前の危険人物に、全神経を張り巡らせる。
「あら? 逃げないの? 面倒ね……」
流石に、一応は魔族の使い魔というだけはある。
ライドエイプより力の高いクンガコングは、自己生命よりも、敵を滅することに集中するらしい。
「なら―――」
エレナが次の獲物に襲いかかろうとした瞬間、目の前の数体が、上空からの光に貫かれた。
「……、」
一瞬呆気にとられ、無防備に見上げてみればシルバーに輝く飛行物体。
マリスはマントをはためかせ、ふわふわと浮かび、草原全土を見渡しているようだった。
「流石に……、あれはチートね……」
あの高さでは、クンガコングは成す術なく殺されるだろう。
エレナは妖艶な笑みを崩さないまま、魔物群れに突撃して行った。
「―――レイディー」
マリスは適度に魔術を討ち下ろしつつ、エレナの戦いを観察した。
エレナはゆっくり歩くように魔物に近寄り、その腕でクンガコングを絞め上げている。
あのような緩慢な動きでは、集団戦に向かないと思ったのも束の間。
エレナを囲んで跳びかかったクンガコングは、途端、対象を見失う。
エレナは襲われる瞬間、俊敏な動きを見せ、窮地から離脱。
襲いかかったクンガコングの背後を取り、再び絞め上げる。
どうやら、面倒臭そうな顔そのままに、全力で動いていないだけのようだ。
もしエレナの速度が不足しているようであれば、動きを上げる補助魔術でも使おうと思っていたのだが、その必要は全くない。
“自分同様”、次元が違う。
「……キュトリム」
今度は二体を同時に絞め上げ、エレナはライトグリーンの魔力で“味見”を行う。
ランドエイプよりは、木曜属性の濃い魔力を感じるが、やはりクンガコング程度ではエレナは満足できない。
小規模な爆発を背に、エレナは単純にクンガコングを絞め殺し続ける。
その自分の姿には、いくら使い魔とはいえ、恐怖を感じていることだろう。
恐怖は必要な感情なのだろうが、時として動きを鈍らせる。
そのことをよく知っているエレナは、徹底的にクンガコングに恐怖を刷り込んでいく。
だが。
あるいはクンガコングは、自分に恐怖を感じていないのかもしれない。
確かに、エレナをある程度は恐れているが、さらに危険な対象が頭の上に浮かんでいては、それも薄れるのだろう。
空を行く、マリス。
全てのクンガコングは、どう足掻いても抵抗できない存在から降る、落雷のような閃光に身体を震わせ、それを紛らわすようにエレナに跳びかかっていた。
しかも、マリスが自分のように全力を出していないことは容易に見てとれる。
「……」
エレナは、思う。
マリス“も”完成され過ぎている、と。
一発芸とは言え、チーム内で最強の力を誇る、アキラ。
数千年に一人の天才と言われ、その実力も折り紙つきの、マリス。
そして、エレナ。
この“勇者様の御一行”には、チートレベルの存在が溢れている。
最終局面というのなら、このくらいの力を持っていなければ、とても魔王一派とは戦えないだろう。
だが、今は何だ。
話を聞く限り、旅を始めた直後だそうではないか。
残るエリーとサクも十分に強いが、自分たちと比べると天と地ほどの差がある。
だが、エレナは思う。
あれ位が、妥当ではないか、と。
仮にこれが何かの物語を形作っているとすれば、自分たちは異物だ。
敵が、敵ではなくなってしまう。
「……っ、」
跳びかかってきたクンガコングを掴むのも億劫で、その禍々しい顔を殴りつけてやった。
それだけで、クンガコングは起き上がれずに、爆発を起こす。
やはり、弱すぎる。
「……」
気にしていても仕方がない。
自分たちは集うべくして集った、などという運命は信じないつもりだが、エレナは何故か、運命のようなものを感じていた。
自分の思考が、信じられない。
だが同時に、その運命に不自然さも感じてしまう。
そして、その運命の導き手。
それは、アキラ。
いや、あのアキラの持つ、絶大な力、だ。
「“別の興味”も出てきたわね……。あの力の出所……、とか」
エレナは目の前のクンガコングを、全力で蹴り飛ばした。
―――**―――
「うおっ、できた……!! 見てっ、見てくれってっ、これっ!!」
ライドエイプの巣もこれで、ようやく二桁。
そんな戦闘が終えた頃、エリーの隣の男が、途端動きを止めたと思えば、子供のように喚き出した。
「……、って、え、」
エリーがまた妙なことを始めたかとアキラを見れば、その身体の表面に、確かな魔力の波動を感じた。
「これっ、防御幕だろっ、なあっ、なあっ、」
「え……、ええ、え、何で?」
まだまだ微弱という評価をせざるを得ないが、アキラの身体は確かに防御幕を纏っている。
「アキラ様……、それは確かに……、え、」
戻ってきたサクも、アキラの歓喜の声に、戸惑ったような言葉を返す。
「いや、なんかさ、こいつの近くで見てたら、なんか分かって……、」
「そっ……、それで、」
確かに今の戦闘中、今までサクに向いていたアキラの視線が妙にくすぐったかったが、まさか防御幕を学ぼうとしていたとは。
思わぬ殊勲な心がけに、エリーは目を丸くせずにはいられない。
「ほらぁ、言ったろ? 経験値は馬車の中にも入るんだって」
「ま、まあ、良かったわね」
アキラの防御幕の指導を行っていたエリーは、素直に生徒の成長に賛辞を投げかける。
間近で何度も自分を見て学んだ、というのも、悪い気はしない。
本当に、良かった。
「確かに……、見学、という意味では、アキラ様はいて良かったですね」
「いやほらさ、身体の一点に魔力を集めて……広げる、だっけ? そしたら、さ、」
「……、」
そんなこと、あたしは教えてない。教えられていない。
変わらず子供のようにはしゃぐアキラと、その成長に微笑むサクを、近くにいるのに遠く見ながら、エリーは小さく呟いた。
「……って、違う」
「? どしたよ?」
「何でも、ないっ」
気にし過ぎだ。
そうだ、“そもそも何でもない”。
エリーは、今度は心で呟いた。
「それより、あんた。それで動けるんでしょうね?」
「え、ああ、多分……、」
「……、」
エリーのようにパンチを繰り出すアキラ。
だが、防御幕は珍しく、その身体に留まったままだ。
「……よし。じゃあ、次は殴り殺し方教えてくれ」
「だから言葉を選びなさいっ!!」
何故この男は、自分の気持ちを持ち上げてみたり、落としてみたり、落としてみたり、するのだろう。
いや、今それはどうでもいい。いや、でも。
エリーの頭の中は、もやもやとしたままだ。
「ようやくレベルが上がった気がするぜ……」
「パララパッパッパーって言って欲しい?」
「ああ」
「言うかぁーっ!!」
だが事実、アキラの力は上がっている。
超絶的な、あの銃やマリスやエレナ。
その三つからアキラを隔離すれば、学習できるようだ。
身の丈に合った相手との戦い。
もしかしたらそれが、アキラにとって一番の経験になるのかもしれない。
逆の言い方をすれば。
その三つが、アキラの成長を阻害しているとも考えられるが。
マリスやエレナはともかくとして、あの銃は、何故ここにあるのだろう。
無ければ、少なくとも自分は死んでいた。
それは、何度も思っていること。
だが、どうしても。
やはりあの銃は、アキラの身の丈に合ってはいない。
「パラララ?」
「違う。パララパッパッパーッ、だって」
「パララッ、……、うぅ、もう許して下さい」
「サクさん。こいつの言うこと、もう聞かなくていいから」
アキラの奇行を阻止し、エリーは歩き出した。
次の、身の丈に合った魔物、ランドエイプを探し出すために。
アキラ、サク、そして自分。
この三人が、アキラにとって、最もよく合っているメンバーのような気がする。
あの銃もなければ、アキラはきっと、自分に合った武器をここに持ち込んでいたはずだ。
そして、もしマリスがいなければ、自分たちは強行突破的にクロンクランを目指さなかったかもしれない。
もっと慎重なルートを採ったのではないだろうか。
そして、今の成長。
やはり、妙だ。
あの銃の送り主。
勇者の力で済ましてきたが、そろそろ本格的に考える必要はないのだろうか。
「これも……、気にし過ぎ、か」
「? 何が―――」
謎解きはおしまいだ。もやもやも、置いておこう。
今は、ピースが少なすぎる。
同じ言葉を今度は呟き、エリーが何気なく森林を見上げた瞬間、森の鳥たちが、一斉に羽ばたいた。
「―――!? って、何だ!? ボスか!?」
「っ―――」
サクは警戒を強め、アキラを庇うように背後に立つ。
「……、違うみたい。ほら」
だが、エリーは視線を上げたまま、冷静に返した。
エリーの視線の先には、背の低い木々。
その向こうに、見慣れたシルバーの飛行物体がちらちらと見える。
「マリス? あれ、マリスだよな?」
「ええ、そのようです」
サクも警戒を解き、ただその存在を見上げる。
「どうやら……、向こうの組も近くにいるらしい」
「そうね」
「よし、じゃあ見に行こうぜ!」
「ちょっ、」
防御幕に成功し、気が大きくなったアキラはずんずん進んで行ってしまう。
“そこ”は、今行くべきではない。
そう、エリーは感じているのに。
だが、駆け出すアキラを止めることもできず、ただその背を追うことしかできなかった。
―――**―――
「……! 何よ……、ボス猿?」
「……、みたいっすね」
マリスもエレナの横に一端降り立って、のんびりとした半分の眼で現れたそれを見上げた。
未だ数の減らない魔物の群れの向こう、その倍ほどの姿のクンガコングが現れた。
仲間の度重なる死を受け、いきり立って胸を強く叩いて威嚇している。
だが、その程度だ。
マリスもエレナも、現れたその魔物に、そんな程度の感想しか出なかった。
現に空からその魔物の接近が見えていたマリスも、エレナに伝えようともしなかったのだから。
大きいと言っても、あの巨大マーチュやマザースフィアほどの威圧感はない。
単純に、身体が大きいだけの魔物。
その魔物に従うように、今まで暴れていただけのクンガコングたちは、隊列を作り始める。
「ふぅん……。少しは知恵があるんだ」
「……」
エレナの小馬鹿にするような言葉を聞きながら、マリスは再び宙に上がった。
どの道、あのボスのサイズでも、マリスに攻撃は届かない。
「―――ふぅ、楽そうね……、上は」
そう呟くエレナも、すでにクンガコングを新たに数体倒していた。
「レイディーッ!!」
「……キュトリム」
そして、始まる。
二人の存在の、狩りが。
「キィィィイイーッ!!?」
マリスが遠距離から光を飛ばし、エレナが近接的にクンガコングを潰す。
この森総てのクンガコングがこの草原に密集し、二人の外敵に抗う。
ボスの指令か、ライドエイプも駆り出され、全戦力を持って自分たちを守ろうとする。
だが、それらは総て、魔力に焼かれ、魔力を吸われ、一様に破壊されていく。
「行くっすよ―――」
「!!」
上空から聞こえたマリスの声は、エレナに警戒を促していた。
一体何をと見上げたエレナは、即座に、その危険性を理解する。
「―――レディクロス!!」
「っ―――!!?」
これには流石にエレナも驚いた。
マリスが両手を交差するように薙いだ瞬間、時空が歪み、宙に十字の“爪痕”が残った。
そして、そこから無数の矢が現れ、草原に降り注ぐ。
全てがシルバーの魔力に包まれた。
「っ、う……くっ、」
土曜属性のギガクウェイクに匹敵する、月輪属性の上位魔術。
エレナが自らも攻撃対象に含まれていることに気づくのに、時間は要らなかった。
「んっ、……う……あんっ!!」
自分に降りかかる魔力を、両手を掲げて吸い尽くし、エレナは身体を震わせた。
危なく、許容量をオーバーするところだった。
「……、……、……、ちょっ、ちょっと……!! あんた私も殺す気!?」
「結構手加減はしたっす……、それに、エレナさんなら耐えられると思ったんすよ」
隣に降り立ったマリスは、しれっとした表情でエレナの怒気を返す。
確かに、この魔術は危険すぎる。
広範囲攻撃の上、威力も絶大。
自分以外であったら、間違いなく耐えられなかった。
目の前の、群れのように。
「……、むごっ」
「嬲り殺すエレナさんに比べれば、マシだと思うんすけど」
草原も焼かれ、焦土と化している。
目の前のランドエイプやクンガコングは、総て身体を焼かれ、所々で爆発を起こしていった。
ただ一頭、倒れ込んで身体を震わすボスを除けば。
「あれに止めを刺せば、しゅ~りょ~~ってとこね」
「……! いや、」
「……はぁ……、何匹いんのよ」
またも森林からわらわらと現れたクンガコングの群れに、エレナはうんざりとした表情を浮かべ、しかし、足を前へ進める。
だが、その手を、マリスが止めた。
「何か……、おかしいっす」
「?」
マリスの視線の先には、クンガコングの群れ。
しかし、そのクンガコングたちは、今までのように二人に襲いかからず、守るような陣を取った。
戦闘不能の爆発を待つばかりであるような、ボス猿の周りに。
「あれ……、」
「ああ。どうせ庇ってんでしょ」
エレナは何てことのないように、その群れに冷たい視線を向け続ける。
だが、歩き出すように進めた足を、ぴたりと止めた。
「あれ。何で庇ってんのか分かる?」
「?」
「あんな死にかけのボス猿を……。ボスってのは、群れの一番強い奴ってことでしょ」
「……」
エレナの言葉は分からない。
だけど、マリスは、その言葉を聞き洩らさないように顔を向けた。
「ぶっちゃけ好きだから、でしょ。最初はみんなあの猿に負けて、群れの下っ端になった。それが、スタート。だけど今は、それはもう関係なく、あのでかい猿が好き。それって、何かに似てない?」
「……」
マリスは言葉を、返さなかった。
「ま、そんなもんなんじゃないの? さ、終わらせましょ」
「……っすね」
マリスはもう、飛ばなかった。
そんな必要はない。
無情な戦いだが、決着は、もう着いている。
―――**―――
「っ……」
エリーは見た。
木々に隠れながらも、にわかには信じられない光景を。
異物たちの共演。
それは、依頼内容からかけ離れた数のクンガコングを総て滅し、現れたボスも特別な存在としてすら扱わず、もう終わらせようとしている。
こんな光景を見せつけられては、自分たちは“そこ”にどう足掻いてもいけなさそうだ。
巨大マーチュ戦のときも、マリスが自分たちを気遣って力をセーブしていたとしか思えない。
目の前の草原に、結界でも張ってあるかのような壁が、確かに見えた。
「これ、は……」
サクも、目の前の蹂躙に言葉を出せなかった。
魔物たちは、自分たちにとって害ある存在、
そんなことは分かっている。
だが、目の前の光景を見せつけられては、ボスを庇うクンガコングたちが、あまりにも哀れだ。
身近な人間の所業とは思えない。
今までの常識総てが、消し飛んだ。
「…………、おお……、す……げ……、」
一人、目の前の光景に、かえって士気を上げている者がいた。
勇者様こと、アキラだ。
確かにこの人物は、今マリスが放った上位魔術よりも遥かに威力の高い一撃を繰り出すことができる。
「だが……、はっ、とろとろやってやがんな……、よし、ここは、」
いてもたってもいられなくなったのか、アキラは手のひらに光を集め始めた。
「ダメッ!!」
だが、その光はエリーに手をグンと引かれ、四散する。
「なん、だ、よ……?」
アキラは突然の妨害に顔を歪めたが、エリーの顔つきに、身体全ての動きを止める。
エリーの顔は青ざめ、震えながらもアキラを見上げていた。
「お願い……、それは、止めて……」
懸命に。
祈るように。
エリーはアキラを見上げ続ける。
「お願いだから……、あんたはあっち側に行かないで……!!」
泣きそうな顔で腕にしがみつかれて、アキラは動けなくなった。
「あ……、ああ、」
アキラがなだめるように声を返したとき、広場からボスの爆発音が聞こえてきた。
―――**―――
『いやぁぁぁああんっ、アキラくぅんっ、恐かったよぉっ』
そんな甘い声が、別の意味で脳裏に刻まれ、今なお鳴り続ける。
だがアキラはそれを振り払い、身体を伸ばし続けていた。
昨日の依頼が終わり、今日は出発の朝。
普段の時間に比べれば、遥かに早く。
アキラは宿舎の庭で、入念に身体を伸ばしていた。
すでに、軽く走ってきている。
身体は、熱い。
「……」
だが、エレナの声を吹き飛ばしても、脳裏に残るのは昨日の惨劇、そして、儚げなエリーの表情だけは付き纏う。
別次元の戦い。
それが眼前で繰り広げられ、虚勢は張ってみたものの、やはり身体は震える。
だが、これで任せっきりにしていては、また、彼女はあの表情を浮かべるのだろう。
それが脳裏にちらつき、アキラは自動的に目が覚めていた。
「……、って、違うっ、」
「? あんた。何一人で騒いでんの?」
「……!」
十分に身体を伸ばし終えたところで、エリーが庭に入ってきた。
姿はいつも通りの運動用のもの。
アキラとコースは違ったようだが、どうやら彼女も走っていたようだ。
「珍しいわね……、あんたがこんな時間に」
「……、お前はいつもこんな時間から始めてんのか?」
「ううん。今日は早め」
エリーは小さく欠伸をし、アキラの隣で身体を伸ばす。
表情は少し優れないが、どうやら昨日の光景に、塞ぎこんではいないらしい。
良かった。
アキラは何故か、そう思った。
「ちょっと、背中押してくれない?」
「……あ、ああ」
アキラは座り込んだエリーの背を優しく押した。
背中の体温が手のひらに伝わると、何故か安心し、しかし、鼓動は早まる。
エリーの鼓動も、伝わってきた。
「変なこと……、考えてる?」
「いっ、いやっ、」
「……そう」
静かに、互いの身体を伸ばす。
二人とも、何故早いのかは聞かない。
ただ淡白に、準備を進める。
「今日は忙しいかもね……。ほら、あんたの、」
「あ、ああ……、武器、だろ」
「うん」
静かな会話だ。
思えば、エリーとこういう時間を過ごした覚えはあまりない。
記憶の最後の静かな会話は、スライムの洞窟辺りだったろうか。
「……! あ、」
「……!」
エリーが立ち上がりながら、静かに宿舎を見た。
「……、邪魔するのも……、どうかと思ったのですが、」
「ぜんっっっ、ぜんっ」
ザッ、とアキラから距離を取って、エリーはサクを招き入れた。
「何だ……、みんな考えることは同じか」
「あんたがここにいるのは驚きだけどね」
「そう、かな……」
アキラは目を瞑って、魔力を身体に流し始める。
まだまだ頼りなくて情けない勇者様。
それが、少しずつ、変わっているような。
「ふぅ……」
エリーも息を吐き出して、魔力を込める。
昨日の光景は、幸いにも、プラス方向に働いたようだ。
自分も、アキラも、サクも。
今は眠っている超人たちには届かない。
だけど、いつかは。
「さ、始めましょうか」