―――**―――
ヒダマリ=アキラの朝は、普通だ。
無理をしない程度の、少し早めに起床し、のそのそとベッドから這い出す。
そのまま頼りない足取りで洗面所に向かい、顔を洗う。
そして、部屋に戻って身支度を整えたところで、ベッドを惜しむように倒れ込む。
パキパキとなる身体中を伸ばすだけ伸ばし、ベッドへの熱い抱擁を終えたところで、身体を強引に立たせる。
そして、
「アキラ様、起きてますか? “奥さま”はもうお待ちですよ」
「う、うがぁぁああーーっ!!」
部屋の外からの声に、もう一度もんどりうつのだ。
――――――
おんりーらぶ!?
――――――
「あ……あああ……ああああああ…………」
孤児院の廊下をアキラは悲痛な声を出しながら歩いていた。
隣には、先日アキラの“従者”となった、サク。
切れ長の凛々しい眼をアキラとは対照的に覚醒させながらも、よたよた歩くアキラに一歩下がって付いてくる。
髪はちょんまげのように後頭部で縛り、服装も黒のアンダーの上に深い紅の着物。
今は腰に刀を差していないが、彼女の愛刀を装備すれば、立派な剣士となる。
彼女が刀に金曜属性の魔力を纏わせた攻撃は、竜族の爪にさえ傷を入れることができるほどの実力者だ。
歳は、聞いたところによればアキラより二つ下の16らしいが、長い背丈に鋭い雰囲気から、それより大人びて見える。
繰り返すが、彼女はアキラの従者なのだ。
信じられないことに。
「……着物、直ったんだ」
「ええ、エルラシアさんには感謝しています。ここまで正確に再現できるなんて」
新調したばかりの着物の懐に手を入れ、嬉しそうにブンブン振る仕草に、年相応の少女を垣間見て、しかし、アキラは小さくため息を吐いた。
サクは、美人だ。
和風の顔立ちも、しっかりした口調も、それでいてどこか恥ずかしがり屋な性格も、アキラの好みにフィットしている。
是非、自分の夢、ハーレムの一員になってもらいたい。
しかも、ご都合主義そのままに、サクはアキラに仕えてくれているのだ。
今も、子犬のように、アキラのあとについてくる。
それなのに、
「アキラ様。今日は昨日の復習から始めると、“奥さま”が、」
「う、それ、禁止だ! それ、言わないでくれぇ……」
「? は、はあ……」
自分は、今、とある少女と婚約中。
そのせいで、ハーレムなどと言い出すことはできない。
それ以前に、見た目そのままに、儀に適ったことを好むサクだ。
まかり通らない可能性大だ。というか、知られたくない。
ただでさえ、風邪の熱に浮かされ、婚約者には口を滑らせてしまったというのに。
できれば自分の婚約のことも知られたくなかったのだが、いつの間にか知っていたのだからどうしようもない。
「! ようやく来……!!……きゃっ!?」
「あ、ねーさん大丈夫っすか?」
庭に出ると、同じ顔の二人が出迎えた。
眠たげな眼で鋭い魔術を飛ばしたマリスと、それをしゃがみ込んで回避したエリー。
髪や瞳の色と、目つきが違うこと以外は、背丈も同じ双子の姉妹だ。
それも、美少女の。
眠たげな眼の少女は、妹のマリス。
若干薄い色彩の瞳も、その妙に落ち着いている様子も、どこか呑気そうに見えるが、彼女は数千年に一人の天才と言われている魔術師。
マリスの操る月輪属性の魔術の威力は、アキラが見たこの世界の誰よりも強い。
だぼだぼに見えるマントを肩からすっぽりと覆い、いつもの魔術師の格好をしている。
一方、もう一人は、姉のエリー。
妹との帳尻を合わせるように切れ長の眼付きは、サクほどではないが鋭く、活発そうな印象を受ける。
火曜属性の魔力を身体に纏って戦うのが彼女の戦闘スタイルであり、その威力は大岩を砕くほど強烈。
こちらは、活発そうに見えるTシャツとジャージズボンのトレーニングウェア。
性格もそれに近いものがあるが、最近、気苦労が絶えないのが現状だ。
何故なら彼女こそが、アキラの婚約者であったりするのだから。
「にーさん、おはようっす」
「ああ。てか、マリスもいるのかよ。珍しいな」
「たまたま目が覚めたんすよ。で、せっかくだから、参加してみようと思ったんす」
ほとんど寝ているようなマリスの眼を見ると、やはりどうしても覚醒しているようには見えないが、今となっては慣れたもの。
アキラは感心したように唸って、身体を伸ばしながら空を見上げた。
形のいい雲がいくつか浮かんでいるが、十分晴れているさわやかな朝だ。
「今日はマリーまで頑張ってるのに……、あんたは……」
マリスはいつも通りのほほんとしているが、エリーはその空の下、身につけているランニング用のTシャツを汗で濡らしている。
アキラが起きる前に走っているのだろう。
汗で艶やかに濡れた四肢。
悩ましげに聞こえる運動中特有の息遣い。
そして僅かに透けているシャツ。
それらが、思春期を抜け切れていないアキラのテンションを上げていく。
これでにっこりと笑われようものなら、眠気は完全に払われるだろう。
エリーと、マリス。そして、サク。
三人の魅力的な女性に囲まれているこの状況は、単純に言ってしまえば、嬉しい。
アキラの夢に合致したシュチュエーションだ。
だが、その夢の前には、自分がエリーと婚約を結んでいるという事実が立ち塞がる。
それでは他の女性に目移りすることは許されないのだと、アキラはこの光景の前でも、やはりため息が先行してしまうのだ。
「……ほら、時間ないわよ。昨日の、覚えてる?」
「うしっ、任せろおぅっ!!」
「返事だけはよくなったわね……」
今から始まるのは、アキラの魔術の鍛錬だ。
村を襲来した魔物、ゲイツとの戦いがあったのは、五日ほど前。
それ以来、サクに起こさせるという完全に人頼みの手段を使い、アキラは朝の運動を再開していた。
最初は懲りずに日の出と共に起床、と無茶なことを言い出したアキラだが、エリーに不可能だと断言され、しぶしぶ継続できそうな軽めのものに妥協。
それでさえ眠気が勝っているのだから、今となってはエリーの判断は正しかったとアキラは認めざるを得ない。
「まずは身体に、血が回っているのを感じるのよ」
「わ、分かってるって……!」
アキラは言われた通り、身体中に神経を張り巡らせる。
こんな血行を促進させるようなイメージ、したことない。せいぜい、イメージ療法というもので聞いたことがある程度か。
だが、“あの銃”を生み出すときのことを思い起こすと、自然と身体の中の“流れ”が掴めるようになった。
「…………」
そして、それが血管から溢れるような状態を想像する。
今行っているのは、魔力を薄く放出させ、身体に防御幕のようなものを張る方法だ。
勇者たるアキラの属性は、日輪属性。
だが、この防御幕は、属性に関係なく行えるらしい。
これができるできないでは、戦闘での生存率は格段に変わる。
というより、戦闘に参加するような魔術師にとっては、これが大前提の魔術だ。
「…………にーさん、身体中から一気に噴き出すのが無理なら、どこか一点だけから出して、そこから広めるようなイメージをするといいっすよ」
「あ……ああ」
いつまで経っても棒立ちのままだったアキラに、見かねたマリスの助言が届いた。
アキラはその通り、身体の一点、一番イメージしやすい右の手のひらに、力を集中していく。
手のひらが熱くなってきたことを確認すると、それを腕に、そして、身体まで伸ばし、熱を広げていく。
すると、身体が、何か温かなものに包まれたような気がした。
「にーさん、素質あるっすね」
「いや、すげぇ、マリス。お前すげぇよ」
マリスのアドバイスのお陰か、はたまた勇者の特権か、初めて“具現化”以外の力が使えたことにアキラの身体が震える。
「いや、マジでマリスすげぇ。どこかのガーッとやるとか言ってただけの奴とは全然、」
「……じゃあ、試すわよ」
「へ? どわっ!?」
目を開けた途端飛んできたエリーの拳を、アキラは寸でのところで回避した。
その拳が、僅かに火曜属性の色、スカーレットの魔力を宿していたのは気のせいではないかもしれない。
驚いて動いたアキラの身体からは、魔力は散ってしまっていた。
「なっ、危っ!? てめっ、何てことを……!!」
「役に立たなきゃ意味ないでしょ!? ほら、こっち来なさい!!」
「でっ、でも今のはっ、……わっ、分かったよ」
エリーはアキラの腕を掴み、マリスから引き剥がすように庭の中央に手を引いていった。
「……マリサスさん、あの二人はやはりいつも、“ああ”なのだろうか」
どこかむくれたように二人を眺めているマリスの横に、今まで一歩引いていたサクが隣に並び立った。
サクの身長で横から見ると、隣にいる少女の眠たげな眼は、閉じているようにしか見えない。
「……マリーでいいっすよ」
起きては、いるようだ。
アキラやエリーといるとき以外は無口なマリスの声は、いつでも初めて聞いたような錯覚を起こす。
サクが最も知っている彼女の声は、夜の闇に溶け込むように響く、聞き心地の良い歌声。
応答があったことに僅かな感動を覚え、サクは了承するように頷いた。
「では、マリーさん。あの二人は、いつも、」
「そうっすね……。ああいう風に、仲いいっすね」
マリスの視線を追えば、見えるのは怒鳴るように指示するエリーと、それにしぶしぶながらも従うアキラ。
だが、マリスやサクの眼から見ると、それはやはり仲のいい恋人のじゃれ合いのように見えるのだ。
先ほどマリスから引き剥がしたのも、どう考えても可愛らしい嫉妬のようにしか思えない。
「でも、にーさんもねーさんも婚約は破棄するつもりらしいんすよ」
「! そう、なのか?」
サクは先ほど、アキラに奥さまという単語を控えるように言われている。
余計な詮索はしまい、と、サクは視線を泳がせた。
「……」
「……、では、アキラ様の“力”について聞いてもいいだろうか」
黙り込んだマリスに、サクは会話をつなごうと話題を変える。
年齢で言えば、サクはエリーやマリスより一つ下だ。
だが、サクが敬語を使う対象は、主人たるアキラだけ。
それに違和感を覚えないのも、サクのまっすぐな性格やしっかりとした口調故だろう。
ただ、年齢が違っても喚き合っている目の前の二人にも、違和感は覚えない。
「アキラ様は、あのように、その、」
「魔術、全然使えないっすよ」
言い淀んだサクの代わりにマリスが言葉を紡ぐ。
通常魔術の攻撃は元より、あのように防御幕さえ張ることができない。
今も目の前で、今度は控えめに飛んでくるエリーの拳を、アキラは防御幕を放棄して回避しているくらいだ。
それ、なのに、
「“具現化”。それも、威力は常軌を逸している」
サクは今でも思い出せる。
あの、破壊の閃光を。
自分とエリーが二人がかりでも抑えきれなかったアシッドナーガを、断末魔さえ上げさせずに消滅させたオレンジ色の光線。
反動も酷く、対象のみを討ち滅ぼせるほど控えめではない巨大な光線は、使い勝手は悪いが、それを補って余りある力を秘めている。
しかも、チャージがない。
魔術的なペナルティがないあの銃は、現段階で間違いなく世界一だろう。
「天界や魔界にもあのレベルの具現化ができる魔道士は、まずいないだろう。それなのに、アキラ様は、」
「……異世界から現れた“勇者様”の特権らしいっすよ。秘めたる力が覚醒した。そういう展開、よく本で読んだことあるっす」
「……」
サクも確かにそういう展開を聞いたことはある。
だが、現実に見てしまえば、その認識は改めざるを得ない。
そもそも、ありえないのだ。
何もないところから、あんな力が出現するなどということは。
アキラが異世界から来た、というのはいい加減信じるべきなのだろうが、この世界にいる以上、その力はこの世界のルールに則らなければならないはずだ。
「自分が思うに、」
「……」
マリスの眼が、少しだけ大きくなった気がした。
向いている先は、またも魔力を散らしエリーの攻撃を回避した、アキラ。
「にーさんの身体の中に、膨大な魔力が眠っている。そう考えるしかないっす」
「……」
マリスは、アキラに秘めたる力がある、という点を肯定した上で、仮説を立てていた。
だが、確かにそう考えるしかない。
そもそも威力以前に、“武具の具現化”など相当程度魔力と技術を有していなければできはしないだろう。
防御幕も張れない人間が、それをできるなどあり得ないのだ。
考えられるとすれば、技術を魔力でカバーしている場合。
ただその仮説も、アキラが何故そのような魔力を有しているか、という疑問にぶつかる。
だがそれも、“勇者様”だからと言ってしまえばそれまでなのだけど。
「恐く、ないのだろうか。アキラ様は、自分の力が」
「恐いっすよ」
「……?」
マリスはゆっくりと、前へ足を踏み出した。
「分からない力は、恐い。そういうものっすよ」
「……!」
言われて、サクは気づいた。
目の前の少女の属性に。
月輪属性。
それも、日輪属性ほどではないが、希少種だ。
“一般に考えられる魔法”が使える属性。
空を飛び交い、魔力を飛ばし、敵を討つ。
身体を癒すこともできる。
予知能力を使えると聞いたこともあった。
だが、認知されているのはその程度だ。
未だ誰も、その“奥”を見ていないとされている。
もし、数千年に一人の天才と言われるマリスの力が増せば、一体何が起こるのか。
それを想像しようにも、眼前には闇が立ち塞がり、凡人の視界を遮る。
サクは目の前の少女に、自分では分かりもしない悩みを垣間見た気がした。
だから、月輪属性の者は、日輪属性の者を特に好むのかもしれない。
自分と同じ悩みを持ち、もしかしたら、眼前の闇を消し去ってくれるかもしれない、明るく照らす太陽を。
「まあ、でも、にーさんなら大丈夫っすよ」
マリスはだぼだぼのマントから腕を出し、半分閉じた瞳をそのままサクに振り向けた。
「自分と違って、にーさん、元気っすから」
「……言ってしまえば、それに尽きる。ということか」
サクも歩き出す。
朝の鍛錬はもう終わり。
いつの間にかエリーの拳を避けきれずにもんどりうっているアキラを治療して、朝食を取りに行こう。
―――**―――
「しんっ、じらんねぇ、この女。二連打だよ二連打。避けられるかぁっ!!」
「“次は当てる”って宣言して攻撃したでしょ? 防御幕を途切れさせたあんたが悪い!!」
食卓で対面に座るアキラの叫びに、エリーはフォークを動かしたまま怒気を飛ばす。
当初は“勇者様に無礼なことをするな”とたしなめていたエリーたちの育ての親、エルラシアも、今では仲睦まじいと傍観を決め込んでいた。
“勇者様”が現れて以来、すっかり早めにずれ込んでいた孤児院の朝食も、もしかしたらそろそろ子供たちと一緒に、と成り変わりそうだ。
「そうそう、エリー。結婚式だけど、花嫁衣装は入隊式のとき着てたあれでいい?」
「うっ、ごほっ!!」
「うわーんっ!!」
エルラシアがからかい半分で“例の話題”を出すと、アキラは喉を詰まらせ、エリーはわざとらしく泣き喚く。
その様子に、やはりエルラシアは頬が緩むのだ。
「サクさん、おかわりは?」
「いや、もう大丈夫だ」
「そう、遠慮しないでね。マリスは?」
「欲しいっす」
礼儀正しく食べているサクと、眠りながら食べているようなマリスに苦笑しながら、マリスの皿にパンを置く。
五日前から一人増えている食堂の朝は、穏やかに、時間が流れていた。
「って、そうよ!!」
否。
その穏やかさは、エリーが立ち上がらんばかりの勢いでテーブルを叩いたことによって壊された。
「エリー、静かに」
「ああ、ごめん……、って、そうじゃない!!」
エリーは顔をブンブン揺すり、食堂に揃った面々を眺める。
「ふっ、不自然!! なにこの孤児院!! 何でこんなに戦力集中してるの!?」
認めたくないが超絶的な力を出せる、目の前のアキラ。
そもそもチート的な強さを誇っている、妹のマリス。
そして、国の魔術師試験をパスした自分に、一人で旅を続けていただけはあって戦闘力が高いサク。
自分たちは一体、何をやっているのか。
アキラとマリスがいれば、現状でも魔王と戦えるほどかもしれないのに、こうやってのほほんと日々を田舎で過ごしている。
才能の無駄使いだ。
確かに故郷を離れ、旅をするのは辛い。
だが、とっとと魔王を撃破しに旅立ってもいいではないか。
ついでに言うなら、結婚の話をのらりくらりとかわすのもそろそろ限界だ。
「ちょ、ちょっと待てよ。俺、今日あいつらに最終話を聞かせるつもりなんだぜ?」
アキラの言う、あいつらとは、孤児院で預かっている子供たちのことだ。
元の世界でインターネット小説を読み漁っていたアキラの話のストックは多い。
その話で、子供たちの眼を輝かせるのは、完全にアキラの日課だ。
「再び異世界を訪れた“主人公”が、かつての宿敵と共に最後の戦いに挑む。いやぁ~、燃えてくるよなぁ~」
「そ、ん、な、こ、と、は、聞、い、て、な、い!!」
「おおっ、この前のゲイツみたい」
「ああ~っ、あんたはその点に関してだけは味方だと思ってたのに……!!」
何を孤児院の暮らしに順応しているのか。
エリーが悲痛な叫びを上げ、頭を抱えて食卓に突っ伏した。
マリスがタイミングよくソースの付いた皿を移動させたお陰で、エリーの長い髪は無事だ。
「お母さんには悪いと思うけど……、あたしたち、旅に出ないと。一応、“勇、者、様、の御一行”なんだし」
「苦々しげに勇者って言葉を使うなよ。それに、村の人たちも暖かに接してくれるじゃん。村長は、いい加減なんか言いたげだったけど」
「それはそうよ……」
エリーは村の人たちの気持ちが分かる。
村に、これだけの戦力が集中しているのだ。
今この村は、おそらく強固な城より安全な地帯。
自分たちの村が魔物におびえなくて済む現状は、望むべくことなのだ。
その上、アシッドナーガのゲイツを撃破したことで、“力”だけではなく、“勇者様”であるアキラへの評価はうなぎ登り。
勇者の実情を知らない村の女性たちが、アキラの噂を楽しげにしていたのを聞いたときは、心臓が止まるかと思った。
孤児院の子供たちの中にも、ちらほらと異性への興味が芽生えている女の子がいるとなっては、事は一刻を争う。
「……ねえ、あんた。よっ、よよっ、幼女趣味、ある?」
「お前は朝から何を言い出すんだ。耳年増」
顔だけ上げて見上げてきたエリーに、アキラは呆れた声を返した。
ここで真剣に思案しようものなら、再び防御幕の特訓が始まってしまうかもしれない。
「しかし、アキラ様。私は確かにこれ以上、ここに迷惑をかけるのは、避けたいと思っているのですが……」
「まあ、サクさん。気にしなくていいんですよ?」
エルラシアの寂しげな視線をサクは受けたが、そうも言ってられない。
大した働きもできない以上、長居するのは、道に反する。
「でも、実際頃合いっすよ」
「?」
パンを平らげ、満足げなマリスはマントの中から一通の手紙を取り出した。
その茶色の便箋は、金色のシールでピッチリと封がしてある。
若干破けているのは、マリスが開けて読んだのだろう。
「なに、そ……」
顔を横に倒していたエリーの眼が見開き、途端、ガバッと身を起こした。
その衝撃でフォークが床に落ちても、エリーの目はマリスの手元のみを捉えている。
「こっ、これっ、そのっ、えっ、」
エリーはその封筒、正確に言えばその金のシールのロゴを何度も目にしていた。
竜の牙を形作っている淵に、中央の見慣れたネイム。
それは、国家のロゴだ。
二か月ほど前、エリーに魔術師隊の合格通知を届けた、輝かしいエンブレム。
「朝届いたんすよ、これ」
「? 見ていいか?」
「いいっすよ」
アキラはマリスから封筒を受け取ると、何の気なしに、ビリッ、っと開けた。
「ああああっ!!」
「? 何だよ?」
「そっ、それっ、国の! 国のっ!!」
「ばっ、やっ、止めろ!! その振り上げたナイフをどうするつもりだ!?」
「あんたはっ、あんたはっ、何でっ!? 何でそんなに無神経なのよっ!?」
鬼気迫る表情のエリーから椅子を引いて距離を取り、アキラは中から上質なオレンジ色の手紙を取りだした。
「え~と、親愛なるマリサス=アーティ嬢……、」
そこまで読んだとき、エルラシアから、ああ、という声が漏れた。
それは、国からマリスへの“ラブレター”の常とう文句。
魔道士隊の参加を求めるその手紙は、未開封のままマリスの部屋物入れに投げ込まれているのをエルラシアは何度も見ていた。
だが、今回は、内容が違った。
「貴女の前線参加の報せを受け、アイルーク国王の名のもとに、リビリスアークを危険地帯と認識、指定し、魔道士及び魔術師数名を派遣……」
「え!?」
アキラの声を遮ったのは、エリー。
信じられないものを見るような眼を、自らの妹に向けているのが、異常事態を的確に表していた。
「まっ、魔道士!?」
「本当に、魔道士が来るのか!?」
「自分が頼んだんすよ」
エリーとサクの叫びにも負けず、マリスは相変わらずのんびりとした口調で言葉を紡いだ。
エリーが受けたのは、魔術師試験。
その後魔術師隊に配属され、実戦の経験を積み、魔術師試験より難易度の高い試験をパスし、ようやく到達できるのが魔道士だ。
もぐりでも魔術師は名乗れるが、魔道士にはなれない。
経験と功績を得ることで、ようやく到達できる存在が魔道士だ。
このアイルーク国にも数十名しかおらず、激戦区の地域にほとんど全てかり出されている。
ましてやこんな田舎では、魔道士が来るのは入隊の儀礼時くらいだろう。
エリーにとって、魔道士は憧れの存在であり、夢でもある。
そんな魔道士が、魔術師を引き連れてこの村を警護するというのだ。
この国の力加減は、どうかしている。
「え、てかマリス、国にそんなこと要求できんのかよ?」
エリーたちが何に驚いているのかは分からないが、雰囲気から慌ただしい空気に乗っておこうと、大げさにも立ち上がる。
だがその動きも、この事態の前には決して珍しいことではないらしい。
「前から自分には魔物と戦って欲しいっていう手紙は来てたんすよ……。それで、巨大マーチュとかアシッドナーガがいるって報告がてら、にーさんと……“勇者様”と旅に出るからこの村を守ってもらいたいって言ったら……、」
「あ、そういや確かに」
アキラはマリスに言われて、アシッドナーガのゲイツが発した言葉を思い出した。
魔王様直属のガバイド様直属のゲイツ。
魔王の組織がどれほどの大きさなのかは知らないが、そんなモンスターが襲来したということは、再びここにそんなモンスターが現れるかもしれない。
いずれにせよ、ここの守りは必要なのだろう。
マリスはそれを見越して、もしかしたら事情を聴いたその日に国に手紙を出したのかもしれない。
国の方が、村長宛てではなく、マリス宛てに手紙を出したのは、マリスに媚を売りたいという下心の現れかもしれないが。
「今日来るって書いてあったっす。だから、その人たちが来たら、自分たちはここを離れても大丈夫っすよ」
「ああ、この子ったら……」
国にそんな要求をしていたマリスに、エルラシアは頭を抑えた。
だが、あの村長、ファリッツが目を見開き驚愕する姿を見られると思うと、どこか気分がいい。
ただ、それは、“相殺されているのだけれど”。
「……じゃあ、あたしたち、出発の準備、しないとね」
エリーが軽く食器を片づけ、静かに、しかし、すっ、と鋭く立ち上がった。
「ごちそうさま」
そして小さくそれだけ漏らし、自室へ準備に向かう。
足取りは、少し早い。
「……じゃ、俺は、あいつらに聞かせる話の準備でもするかな。用意はすぐ終わるだろうし」
「それなら私も、準備を」
エリーを皮切りに、食卓の面々は順々に食堂を出ていく。
アキラは呑気な足取りで、サクはアキラの分の食器も軽く片付けて。
この面々での朝食は、これで魔王を倒すまでおあずけになるだろう。
「ねえ、マリー」
「?」
そんなことを思いながら、エルラシアはのんびり出ていこうとするマリスを呼び止めた。
振り返ったマリスの瞳は相変わらず半分閉じていて、奥が見えない。
「さっきの、マリーらしくないわよ」
「……何がっすか?」
食堂に取り残された二人は、食器を挟んで対面に座り、ただただ、互いの目を見ている。
しかし、そこで、マリスは僅かに視線を外した。
「……ああ、かーさんに言うの忘れてたことっすか。それは申し訳ないっす。急に旅立つっていうのは……、いきなり自分たちいなくなったら、ここ、大変っすよね」
「それは、いいの」
確かに孤児院は忙しくなるだろう。
それに、いきなり育てた我が子いなくなるのは、寂しいに決まっている。
だが、そんなもの、エリーが魔術師試験をパスしたときから覚悟はできていたのだ。
二人の双子が、ここを旅立つ日が近いということは分かっていた。
アキラが来てからの半月、その間だけでもいてくれただけで十分だ。
だからエルラシアが言いたいことは、それでは、ない。
「……ああ、魔王討伐は、確かに危険っすよ。でも、大丈夫っすよ。“勇者様”がいるっすから」
「それも、違う」
魔王討伐。
それは大げさでも何でもなく、“世界を救う”ということだ。
そんな危険な旅、親としては反対したい。
だが、“それ”をやりたいと、子供が望むなら、親の仕事はそれを快く送り出すこと。
それが意義のあることなら、なおさらだ。
エリーが魔術師になりたいと言い出したとき、それを反対したエルラシアだが、いつしかその考えに至っていた。
だから、それでも、ない。
「マリー、なんで、その手紙……、“エリーの前で”出したの?」
「…………」
マリスは答えない。
ただ、半分閉じていて奥の見えない瞳を、エルラシアに向けるだけだった。
「マリー、あなた、その、」
「…………」
エルラシアは知っている。
エリーが持つ、マリスへのコンプレックスを。
妹のマリスは、数千年に一人の天才と言われるほど。
二人を育てたエルラシアにも、マリスの尋常ならざる知識の成長に、目を丸くしたのを今でも思い出せる。
二人が十歳になった頃、エルラシアは二人を連れて、王国へ観光に行った。
そこで行っていた、魔術適性試験のイベント。
直前に魔道士を近くで見たエリーが憧れて、遊び半分に二人に受けさせた。
その結果、妙な騒ぎが起き、わざわざ国所属の魔道士が、半分閉じたような眼を持つ少女に、本格的な試験を受けさせたのを、エリーと並んで見ていたのがつい昨日のようだ。
それは遠い世界の光景。
マリスとエリーの間に、才能という非情なシェルターが下ろされたように思えた。
そして、その頃からか。
マリスの教育を国に任せてみないか、と孤児院に人が来るようになったのも、エリーが本格的に魔術の勉強を始めたのも。
「話の流れで、っすよ」
「……」
マリスは、国からの申し出を、断った。
ただ、エリーだけに懐き、他の者にはほとんど口も利かない。
エルラシアが彼女の心を開けたのも、かなりの時間が必要だったほどだ。
そんな、人見知りのマリス。
そんなわけの分からない環境に行きたくない、というのを珍しくはっきり言っていた。
だが、エルラシアは思うのだ。
エリーに懐く、マリス。
彼女は、エリーの気持ちを察していたのではないか、と。
認められるマリスを囲う大人たちは、エリーに背を向けることになる。
マリスが認められることを自分のことのように喜んでいても、エリーが、心の奥に、何を持ってしまうのか。
双子の姉の気持ちは、聡いマリスなら、きっと分かるだろう。
現に、国から来る勧誘の手紙を、朝一番に郵便受けに向かい、自分の部屋に隠している。
その黄金のエンブレムが、エリーの目に触れないように。
毎日、毎日。
ただ、今日を除いて。
「……分かんないっす」
「……マリー?」
言い訳を諦め、マリスは目を伏せた。
容易に伏せられるその瞳の奥の色を、エルラシアはついにこの日まで、見ることはできなかったのかもしれない。
だが、目の前の少女は、聡いのに、“分からない”と口にした。
その顔も、やはりもやもやとしている。
「にーさんとねーさん見てたら、ああしたくなって……」
「マリー、あなた……まさか、」
「……分かんないんす、よ」
マリスは、すっと立ち上がった。
その仕草も、先ほどのエリーと瓜二つだ。
「自分も準備しないと……。かーさん、あとでも言うと思うんすけど、今までありがとう」
僅かに大きく見えた瞳は、食堂からゆっくりと出て行った。
もしかしたら、その色も、エルラシアは初めて見たかもしれない。
でも少しだけ、安堵の息を漏らした。
マリスらしくはなかったが、あれが女の子らしい行動だったのだと気づけば、心が不思議とポカポカする。
十年以上も付き合って、ようやく見えた天才の奥は、自分たちと何も変わらない。
エルラシアは村長への連絡も後回しに、紅茶を淹れに立ち上がった。
―――**―――
着ていた服をベッドに投げ捨て、行儀悪くその上に座り込んでズボンも脱ぐ。
桃色の下着姿になったエリーは、僅かにずれたそれを直し、正面の鏡をぼんやりと眺めた。
引き締まっていても出るところは出ている健康色の四肢。
瞳もくりんと大きく、戦闘時の鋭さは自室では無く、愛らしい。
それらは背中に垂れる長い髪ごとカーテン越しに差し込める光に照らされ魅力的だが、その上についている顔はやはりどこか曇っている。
「えへ」
鏡を見ながら、強引に笑ってみせた。
しかし、口元だけ笑ったような顔は、エリー本人から見ても人形のような乾いた表情。
若干乱れた髪を手で撫でつけてみても、その人形は変わらず偽りの笑みを浮かべるだけだ。
朝練の後に浴びたシャワーで火照っていた身体は、すっかり冷めてしまっていた。
「なーにやってんだろ……、あたし」
自虐的な呟きを発し、両手を膝について強引に立ち上がる。
鏡の横のクローゼットの正面にのそのそと歩き、両手で開けば、年頃の女性にしてはあまりに少ない衣服が姿を現した。
もっとも、孤児院の手伝いやら勉強やらで、持っていたとしても見せる相手もいないのだけど。
ただ一着だけ、興味本位で買ってみた余所行きのおしゃれな服がクローゼットの奥にかけられている。
サクの着物とは違い、淡く明るい紅のワンピース。
服が泣いているという表現を使うなら、まさに今だろう。
防虫対策だけは施しているその服は、大きな町で買ったとき一回試着しただけで、ずっとクローゼットの隅にいる。
ついに、着る機会がなかった。
そんなことを呟いて、孤児院で着ている普段着で押し潰し、戦闘用の服を取り出す。
身体に吸いつくアンダーウェアに、その上に着る魔術の施された短いローブとハーフパンツ。
拳を守る小手や、急所を守る軽いプロテクターを取り出し装備すれば、いつもの戦闘服だ。
だがそれらは、先ほどまで来ていた服と同じようにベッドの上にポンッ、と投げられた。
「……分かってたこと、でしょう」
それらを見下ろしながら、エリーは呟いた。
自分の妹は、マリスは、天才。
対して、姉の自分は、凡才。
自分が数週間学んで身につけるようなことでも、マリスなら『ああ、そういうことっすか』と言って、瞬時に習得してしまう。
そんな妹が誇らしくある、というのは、エリーの偽らざる気持ちだ。
だけど、どうしても、それと同時に思うことはある。
「……」
静かに、アンダーウェアを纏い、旅の支度を進める。
しかし、一つ動作をするたびに、鏡を見てしまうのだ。
「……」
同じ顔の、妹。
その妹は、どれほど自分とかけ離れている存在なのだろう。
自分が魔術師試験の結果に一喜一憂しているとき、マリスは手紙一つで魔道士を動かせる。
こうなってくると、自分が魔術師試験を通れたのもマリスの影響が働いているのではないか、と勘ぐってしまう。
ただその辺りのフェアさは、一度試験に落ちているお陰で、悲しいことに立証されている。
幼いときから人見知りの激しい妹を、害悪から守るために奔走していたが、それすら凡人の思い上がりなのだろうか。
才能への挑戦を試みていても、やはりその差を見てしまうと、心は少し、軋んでいく。
「……、ふう」
旅用のバッグに、必要最小限の衣服を入れていく。
打倒魔王の旅だ。余計なものは持って行けない。
最後にちらりとワンピースを見て、バッグにはまだスペースがあるのにクローゼットを閉じた。
あとは、マリスの指示でやってくる、魔道士たちを待つだけ。
長年育った孤児院との別れが近づいてきているのに、エリーはむしろ、今すぐにでも旅立ちたかった。
「なんか、手伝おっか……。最後に」
バッグのジッパーをキュっと閉じ、エリーは立ち上がった。
身体を動かさないと、どうしても思考が妙な方向へ行ってしまう。
エリーはバッグをそのままにして、肩を軽く回しながら部屋のドアを開けた。
「…………うおっ!?」
「…………あんた、何やってんの?」
ドアを開けた途端、現状、マリスよりも問題視している男が立っていた。
腕を組んで目を瞑っていたアキラは、ドアの音に目を開け、飛びあがらんばかりの勢いで身を引く。
「もう一度言うわよ? あんた、あたしの部屋の前で、何やってんの?」
「……いやさ、聞いてくれよ、」
「?」
アキラは手をバタバタ振るように言い訳を始めた。
身体が常に離脱態勢なのは、朝の防御幕の鍛錬が尾を引いているからだろう。
「ほら、よくあるじゃん。落ち込んでいる女の子の部屋のドアをノックして、何かかっこいい言葉をかける、みたいな感じのシーン」
この男が言ったことを正確に理解したことは一度でもあっただろうか。
エリーは先ほどよりも増幅した疲労を、大きく吐き出した。
「でもさ、何て言ったら格好いいか考えてたら、そのドアが開いたんだ。台無しだよ、台無し」
「あたしのせいだっての!? てか、だっ、誰が落ち込んでんのよ!?」
「うおっ!? 違ったのか!? じゃあ俺何やってんだよ!!」
「知るかぁっ!!」
もう、悩んでいる自分が馬鹿らしい。
この意味の分からないことしか言わない男は、勇者じゃなければ村の外に放り出しているところだ。
ただ、推測は、間違っていなかったのだけど。
「それより、あんた。これ何?」
「え?」
自らの勘違いに身をよじっていたアキラの足元に、妙に大きいバッグが二つほど置いてあった。
よくよく見れば、そのバッグは孤児院の備品だ。
「いや、これは旅支度だって。エルラシアさんに言ったら、用意してくれて……」
「……旅行じゃないのよ? こんな多荷物、運べるわけないでしょ……」
「ああ。だから荷台とか……」
「はあ……、なんでここで半月しか暮らしていないあんたの方が荷物多いのよ……」
魔王討伐の旅、というものと、旅行、というものの区別は、アキラには付けることができない。
エリーは頭を抱えながら、二つの荷物を持ち上げてみた。
重い。
明らかに、必要な物以外が大量に入っている気がする。
どうやら、外まで出て身体を動かす必要はなさそうだ。
「これ、あなたの部屋に運びなさい」
「……え?」
「必要な物だけ、選び直すわよ」
「いや、俺が、」
「あんたがやった結果がこれだからでしょう!?」
エリーはアキラに荷物を持たせ、持ち上げさせる。
本人も重いようで、アキラは歯を食いしばっていた。
「ほら、さっさと部屋に行く!」
「半分持ってくれると、とても嬉しい」
「あたしはあんたが、とても哀しい」
「ひどっ」
アキラの背をぐいぐい押して、廊下をぐんぐん進んでいく。
だが半分ほど進んだところで、エリーはアキラに先に行くよう言って、部屋に駆け足で戻った。
打倒魔王の要の“勇者様”が、あんなに呑気で、気楽で、旅への緊張感がまるでない。
だったら自分も、一つくらいはいいではないか。
閉じ終わったバックを開け、エリーはクローゼットを開いた。
バッグにまだ、空きはある。
―――**―――
「な、ん、で、言わなかったのよ?」
「いや、俺は、その……、分かったごめん」
「ごめんで済むかぁっ!!」
勇者様御一行の四人は、壮大に広がる大草原を歩いていた。
この道は、アキラも知っている。
あの、巨大マーチュがいた山につながる道だ。
今ではすっかり険しい山は消え去り、見通しの良くなった景色だが、その遠くの向こうにも山脈が広がり、自然の大きさを感じさせる。
「まあ、自分が悪いんすよ……。どうも国の人に会うの、苦手なんす」
後続を、エリーと色違いの小さなバックを持ったマリスがとぼとぼ歩く。
ちらりと振り返れば、すでにリビリスアークは遠い。
今あそこには魔道士の一個小隊がおり、知らされていなかった村長が大層肩身の狭い思いをしていることだろう。
マリスは、幼いころから国の熱烈な勧誘を受け、どうもその存在を苦手にしていた。
国の人間もその事情を察して、勧誘を手紙に変えたりしたのだが、口実があればすぐにでもマリスの元へ押し寄せる。
それを避けるべく、四人は彼らの到着直後、弾けるように村を去り、ようやく息を吐き、今に至る。
ただ、エルラシアが、やりたい放題の村長への簡単な復讐がてらに、四人を急ぎで送り出したという理由もあるのだけど。
「おかしいとは思ったのよ……。あんたが多荷物抱えてあたしの部屋に来たってのが」
「いやまあ、魔道士たちが到着した、って言いに行ったの忘れてたのは、お前が荷物の整理するって言い出したからなんだし……」
「あ、ん、た、は……!!」
すっかり身軽なショルダーバッグ一つになったアキラが、そう言えばと切り出したのはほんの三十分ほど前。
マリスの事情やら、国の人間に会うのは無駄に時間を取るやらで、エルラシアの挨拶もそこそこに、孤児院を飛び出すことになってしまった。
“勇者様の御一行”の出発が、パレードのように晴れやかではなく、逃亡者のような小ぢんまりとしたものになったのは、アキラは少し、もったいないと思っていたりする。
「はあ……、お母さんに、あとで手紙書かないと……。子供たちにも……」
もろもろの事情を飲み込んだ上で、それでもなお、エリーの顔には憂鬱が浮かぶ。
別にパレードで盛大に送り出してもらいたいわけではないが、打倒魔王の門出は、しっかりと行いたかった。
どうやら自分は、儀礼だとか形式的なことに縁がないらしい。
「ところでアキラ様。これからどちらに?」
腰に下がった長刀と、肩にかけたナップザック。
旅慣れているサクの足取りに迷いはなかった。
手早く準備を終えていたサクは、ちゃっかりと、エルラシアにしっかり礼を言っていたようだ。
アキラの荷物を持とうとしたところをエリーに止められたのは、未だにどこか不満があるのだけれど。
「……ああ。あの山を登る」
「そこに山があるから、とか言い出したら、」
「……ノープランだ。てか、俺は他の村を知らないんだぞ?」
言われてみればそうだと、エリーは持ち上げた拳を下ろし、この辺りの地図を頭の中に浮かべた。
ダイアルがずれていた馬車は使用せずに、徒歩で飛び出したこの道。
この道は、どこに繋がっていただろう。
「あの山に向かうと、その、あの、小さな村が、その、あああ……」
「? どうしたのよ?」
エリーの思考を、サクの悲痛な呻きが遮った。珍しく、歯切れが悪い。
あの辺りには、サクが“手厚く”看病を受けた村があるのだ。
彼女の心の傷は、未だ癒えていないらしい。
「じゃあ、にーさんの言う通り、山を登った方がいいっす」
事情を知ってか知らずか、マリスはその村を避けるルートを探っていた。
「あの山、険しいっすけど、抜ければ大きな町に繋がってるっすから」
普段馬車は、あの山を大きく迂回する形で通り、直通のものはない。
乗り換える必要もあるくらいだ。
だが徒歩なら、流石に時間はかかるが、直進することが可能だ。
しかし、遠くに見える山々は、マリスの言葉通り、険しい。
「……マリス、あの山着いたら、俺たちを飛ばすことはできるか?」
「一応……まあ、多分できるっすよ」
「流石っ!!」
「っ、マリーに頼らないで! てか、少しは体鍛えなさい!!」
草原に響くのは、マリスの声を遮っての怒号。
それに返したアキラの声も大きくなり、喚く二人の後ろを静かな二人が付いていく光景に、自然と変化していった。
「…………やはり、婚約破棄をしようとしているとは思えないが」
「……、でも、そうするって言ってるっすよ」
横からの声に、マリスは眉を微妙に寄せたまま、静かに返した。
マリスは、エリーのことを、当然好きだ。
幼いころからずっと一緒にいる自分の双子の姉は、無口な自分を何度もかばってくれている。
そんな姉を、何年も傍で見て、自分は育った。
それなのに、前で言い合っていても自然体な二人を見ていると、やはり何故か、眉が寄っていってしまう。
「しかし、マリーさん」
「何っすか?」
喚く二人の後ろを歩き、会話がないことに寂しさを覚えたのか、サクは口を開く。
「国の魔道士隊を動かせるとは……、見る機会は今までなかったが、あなたは相当力があるようだ」
やはりサクも、そこが気になっていた。
こんな辺境の、小さな村の住人が、たった一人で国を動かす。
これはもう、異常事態という言葉さえも遠く霞む。
「失礼だが、ご両親は?」
「……、多分、名前を言っても分からないっすよ。一応自分も調べたんすけど、別に有名じゃないっす」
「……そう、か。では、先祖の方に……」
マリスの遠い先祖に、大魔道士がいたのかもしれない。
そして、その遺伝子が、マリスの代に覚醒した。
そう考えるのが、サクには最も自然に思える。
だが、それは、
「“自分が一代目”」
凡人の発想だ。
マリスの一言に、サクの身体が僅かに震えた。
「調べてもないっすけど、この力は、誰の遺伝でもない」
その、マリスの、天才の、発想に。
「自分が、天才なんすよ」
サクの目から見ても、才ある者の発言とはここまで凛々しく映るものなのか。
前の騒ぎを半分閉じた瞳で見ながら、マリスは強く、そう呟いた。
「……確かにそう思うべきなのだろう、な」
昇るべき山は、徐々に、しかし確実に近づいてきた。
―――**―――
てくてくてく。
足音三つ、聞こえてくるよ。
てくてくてく。
足音三つ、元気に登る。
てくてくてく。
足音三つ、だんだん早く。
てくてくてく。
足音三つ、駆け出した。
てくてくてく。
足音二つ、聞こえてくるよ。
てくてくてく。
足音二つ、急いで登る。
てくてくてく。
足音二つ、どんどん速く。
てくてくてく。
足音二つ、震え出す。
てくてくてく。
足音一つ、聞こえてくるよ。
てくてくてく。
足音一つ、怯えて登る。
てくてくてく。
足音一つ、だんだん遅く。
てくてくてく。
足音一つ、とうとう止まる。
疲れちゃった? はい、捕まえた。
も~う、おしまい。
足音一つも聞こえない。
「これが、私があの村で聞いた歌です。迷い込んだ旅人たちが、一人、また一人と消えていく様子を唄った、呪いの童歌」
「こえぇ~っ、恐えぇよっ、超恐ぇっ!! なんで童歌に呪いの要素が必要なんだよ!?」
山道を登りながら、アキラは身体を震わした。
この山の情報を求めてきたアキラに返したサクの答えは、どうやら満足してもらえなかったらしい。
「もともとは、遠くの地方のものの替え歌らしいですが、この山でも似たようなことが起こっているらしく……」
「マジで!? マジなのか!?」
「あんた、怯え過ぎ」
「だってよぉっ、もう何かが出現する感じになってんじゃん!! これで難なく山を超えたら、むしろ拍子抜けだろ!?」
「……あんた、何か起こって欲しいの? 起こって欲しくないの?」
もう頂点を過ぎ、傾きかけた太陽のもと、エリーは一応、辺りを警戒した。
山頂に向かう、うねった蛇のような道は、三人程度なら横に並んで歩ける程度。
一応用心のため縦一列になって歩いているが、先頭を行くエリーが振り返りながら歩ける通り、この高さでは緊張感に欠ける。
だがそろそろ、山道も中腹に差し掛かる。
いくらマリスがいるとはいえど、恐れを知らない種の魔物たちが出現する頃合いだろう。
「というか、二人は聞いたことあるのか? 今の唄」
「一応は、ね」
「あるっすよ。自分たちの村から大分離れているんすけど、元の唄は有名っすから」
アキラに対して、エリーとマリスは冷静そのもの。
エリーに先頭を譲って正解だったかもしれない。
最後尾を守るマリスに、自分のすぐ背後にいるサク。
守りは、万全だ。
「あれ?」
アキラが登ってきた高度を確認したとき、先頭のエリーが途端止まった。
その目は、自然なようにも不自然なようにもとれる、なんとも不思議な洞窟を捉えている。
日の光も差し込まないその洞窟は、山の中腹に位置し、大きさはマーチュのいたものと遜色ない。
「なんだろ? この洞窟」
「結構深いな、ここ」
さっそく洞窟の中を覗き込んだアキラとエリーが口々に漏らした感想は、洞窟内に小さく響く。
外にいる限りは、その洞窟の底が分からない。
「もしかしたら、山の反対側に続いているのかもしれません。以前、その、私が介抱を受けた村の者が、この山にはそういう穴が多いと言っていました」
「じゃあ、ショートカットできるんじゃね?」
アキラたちが目指しているのは山の反対側の町。
それを考えれば、山をまるまる登って下るより、反対側に繋がる洞窟に入った方が、かなり、合理的。
というより、楽だ。
「でも、なんかの巣とかだったら……」
「うおっ、結構中広いぞ」
「って、待てぃっ!!」
マーチュ戦の記憶まで失っているのか。
アキラはエリーとサクを追い越し、平気で洞窟内に入っていった。
アキラの見る限り、この洞窟は本当に反対側に続いているように思える。
「ちょっと、あんたさっき童歌に怯えてなかった?」
「勇気ある者、だから勇者。そう習わなかったか?」
「……もう」
駄目だ。この男は、旅というものを誤解している。
エリーは頭を抱えた。
確かにマリスがいるお陰でモンスターたちは現れず、村の外の世界というものが安全に見え、気が大きくなってしまうのも仕方ないかもしれない。
だが、マリスの存在が異常なのであって、本来ならモンスターとの戦闘は必至という位置に自分たちはいるのだ。
「私たちも、入ろう」
「……、っすね」
明るい場所に残された二人も、頷き合って歩を進める。
確かに中に入らずには、様子は分からない。
だが、
「? なんだ? なんか足元濡れてないか?」
「え? あれ? ほんとだ……」
「―――」
耳が仲の二人の会話と足で跳ねる水の音を捉えた瞬間、マリスの表情が変わった。
こんな岩だらけの荒れた山に、水など湧くはずもない。
ましてや登る形で入るような洞窟に、水は溜まらないはずだ。
そして、天気も、数日晴れが続いている。
「―――っ、にーさん、ねーさん!!」
濡れるわけがない。
液体状のモンスターでもいない限りは。
「? 何だよ?」
「マリー?」
「ここは―――」
マリスの声は、突如発生した山の振動に遮られた。
揺れが大きい。
これは、自然の地震ではなく、局地的にこの場だけを襲っている。
「っ、アキ―――」
サクが飛び出そうとするも、もう遅い。
洞窟の入り口が軋みを上げ、サクの眼前で崩れ落ちた。
中の二人の叫びも聞こえない。
今、アキラとエリーは、マリスとサクから完全に分断された。
「今の揺れは……!?」
「どくっす!!」
マリスがサクを押しのけ、壁に手を当て、目を瞑った。
岩に流し込むのは、魔力だ。
その反動で、岩の深さを測る。
「……、まずいっすよ。結構奥まで、岩が落ちてる……」
「っ、そう、か。どうする―――」
魔法で破壊しようにも、洞窟がさらに崩れるかもしれない。
二人が落石を避けるように駆けて行ったのが僅かに目で追えたが、これ以上の衝撃は避けるべきだろう。
「……こ、この洞窟は、反対側まで続いているかもしれないのだろう?」
緊急事態に湧き上がる激情を抑え、サクは冷静に考察を進める。
主人を危険から守り切れなかった悔恨も、とりあえず後回しだ。
「そうっすね……。自分たちは反対に回って、洞窟の出口を探すべきっす」
マリスはそう言って、腕を振るった。
「……!」
すると、マリスとサクの身体はシルバーの光に包まれ、宙に浮いた。
これは、月輪属性の飛翔魔術だ。
「とにかく、飛ばすっすよ」
「ああ、頼む、―――」
ぐんっ、と疾風のようなスピードで、二人は山頂へ向かう。
サクは、このスピードの飛翔魔術を初めて見た。しかも、二人同時にだ。
ただその魔術は。
サクが見たどの魔術より、荒れていた。
―――**―――
「調子に乗りすぎました。本当に、すみません」
「…………」
深々と頭を下げたアキラに、エリーが返したのは無言。
ただ手に魔力を集中し、スカーレットの炎で閉ざされた洞窟を照らすだけだ。
広さはある程度はあるが、背後で崩れた岩が圧迫感を与える。
正面は、照らした範囲では何があるのか分からない。
「なあ、悪かったって」
「……いいわよ、もう。あんたなんか」
刺々しい言葉をようやく返し、エリーは歩き出した。
アキラはとぼとぼ、それについていく。
「なあ、荷物、持とうか?」
「あたしより体力ないでしょ」
「……」
ついに無言になったアキラには、前を歩くエリーの背が、今まで以上に遠くに見えていきた。
まただ。
また自分はやらかした。
調子に乗って、危険かもしれない洞窟にずかずか入り、結果、閉じ込められた。
その上、エリーも巻き添えだ。
「……」
「……」
エリーは相当怒っている。
アキラは本能的に、エリーの感情を察した。
いつも怒鳴り散らしているエリーが、急に黙り込んでいる。
そして、諦めたような口調で、アキラと目を合わせようともしない。
正直、いつものように怒鳴られていた方が遥かにマシだった。
「……、なあ、そういえば、さっきさ、」
遠く離れて行ってしまうエリーを呼び止めるように、アキラは無理矢理口を開いた。
アキラの声に、今度は振り向いてくれたが、エリーの眼は、どこか冷めきっている。
「なによ?」
「いや、ほらさ、さっき閉じ込められる直前、マリスが叫んでたろ? 何かを」
「……、ええ」
エリーの顔が、若干曇った。
「あいつが何言おうとしたか分かるか? さっき洞窟が崩れたのも、何か察したのかもしれないし」
「……、分からないわよ。ごめんね、あたしとで」
ほら、また自虐的になった。
アキラは何故か、エリーの心の動きを察することができた。
付き合いの短い彼女が持つ、妹へのコンプレックスの深さを、アキラは知らない。
だけど、何故か、分かる。
エリーだけがいる今、アキラには、彼女に笑っていて欲しいと思う。
だから、察せる。
彼女の好むことや嫌いなことが。
自分はいったい、どうしてしまったのだろう。
「でも、お前なら分かるだろ?」
「……あのね、双子って別にテレパシー使えるわけじゃないからね」
「そうじゃなくて、」
アキラは言葉をそこで切って、ぬかるむ足場を確かめるように蹴った。
「マリスが叫んだのって、確か足元濡れるって俺らが言った直後だろ? だからさ、そのヒントで、分かるんじゃないか? ほら、お前、頭いいし」
別に、アキラにそう言われても嬉しくない。
旅の知識はおろか魔物の知識さえゼロ。
そんなアキラに、頭いいとか言われても、何の意味もない賛辞だ。
「…………」
だけど、仕方なく、エリーは頭を回転させた。
マリスが何故叫んだのか。
外に何かが出現した。
それは微妙だ。
少なくとも、それなら出て来いとは言わない。
だからアキラの言う通り、この洞窟内が濡れていたからマリスは叫んだと考えるべきだろう。
では何故、濡れているとまずいのか。
「……、そう、ね」
「! 何か分かったか?」
スカーレットの光を強くして、洞窟をさらに明るく照らす。
すると、地面だけでなく、壁も濡れていたことが分かった。天井にも、僅かだが滴っている。
それも、全体的に、というわけではなく、まるで何かが通ったように部分的に濡れていた。
「……、ここに雨って、最近降ってないわよね?」
「え? ああ、こことあの村の天気が同じなら」
「……、じゃあ、……えっと、」
アキラに出した最終確認も肯定された。
マリスが瞬時に辿り着いた答え。
それを、追う。
何かのモンスターのせいで濡れている。
そう考えるべきだろう。
問題は、どんなモンスターなのか。
最も重要なヒントは、足場の、液体。
「……! ま、まさか、」
「…………あんまりいい思いつきじゃないみたいだけど……、どした?」
「こ、ここって、」
二人が、洞窟内の開けた空間に到着した。
アキラとエリーは揃って足を止める。
そこは、この洞窟が全貌を現し始めるかのように、小さなドームのような形状の空洞に、今自分たちが出た道がいくつも開いていた。
そして、その中央。
エリーが予想した通りの存在が、数体、不気味に蠢いていた。
エリーの発するスカーレットの光に突如照らされたそれらは、テカテカと光を反射し、脂ぎったような濁った身体を縮こまらせる。
だが、形は存在しなかった。
地面にへばり付いたガムかおう吐物が命を持ったように姿を変化させ、あるものは地面にさらに広がり、あるものは湧き上がるように身体を上部へ伸ばしゆらゆらと身体を立たせる。
ゼリー状の、それらの物体。
それは、
「ス、スライム族……!!」
実物を見て、エリーは自信を持って、自分の推測を口にした。
名前を呼ばれて、それに応えるように、スライムたちは一体、また一体と身体を立たせていく。
顔もないもないスライムたちの“前”は、間違いなくアキラたちに向けている側だ。
カラーは、今はスカーレットを映しているが、目を凝らせば濁った水のように汚らしい泥の色だった。
「プロトスライム……!! ここ、プロトスライムの巣だ……!!」
「ス、スライム!? あれ、スライム!?」
澄んだ青の身体で、にやけ面で笑う小さな存在。
それを頭の中で直ちに抹消し、アキラは身を一歩引く。
とうとうアキラたちを外敵と判断したのか、表情のないスライムは、どろどろと足跡のように地面を濡らし、アキラたちの元へ這い始めてきた。
速さは、人が歩く程度。
しかし押し寄せる数体は、まるで逃げ場を奪うように、アキラたちを取り囲んでいく。
「にっ、逃げるわよ……!! 一体ならともかく、四、五、……七体もいたら、」
「こ、こっちだ……!」
エリーの慌てように、スライムへの認識を新たにしたアキラがすぐ脇の通路に走り出す。
スライムが、ああいう感じだとは思わなかった。
もっと初心者向けの存在であって欲しいと、再び例のにやけ面が頭に浮かび、それをかき消す。
ライトの役割を果たすエリーに先頭を譲り、暗い通路に二人分の水音が響いていった。
今は、走る。それだけだ。
「っ、なあっ、あいつら、強いのか!?」
通路に駆け込み、スライムたちから大分距離を取ったところで、アキラが前を行くエリーに叫ぶように聞いた。
あのスライムたちのスピードなら、到達するまで大分時間がかかるだろう。
今のうちに、相手の戦力を聞いておきたい。
「え、液体系は厄介なのよ。バラバラにしてもくっついちゃうし……。特にプロトスライムは水曜系。あたしじゃ相性が悪いのっ!!」
「じゃっ、じゃあ、何が効くんだよ!?」
徐々に足を緩め、歩くほどのスピードになった二人は、息を整え始めた。
アキラの叫び声を最後に、エリーは無言になってとぼとぼ歩く。
入り込んだ通路は、壁のいたるところに穴が開いており、当初入った道とは違い、ほとんど迷宮のようになっていた。
「……魔力で吹き飛ばすか、弱点の金曜系の攻撃」
“それ”ができる二人が思い浮かんだが、アキラは頭から追い払った。
しかし、エリーは、そうしなかった。
「ごめんね。よりによって、あたしで」
右手に輝くスカーレットが、若干弱くなった気がした。
この洞窟の迷宮のゴールは、見えない。
「あ~、えっと、気に、すんなよ」
「そういう言葉、かえって傷つくって知ってる?」
前を向いたままのエリーの表情も、見えなかった。
「正直、あんたもマリーがいれば良かったって思ってるでしょ?」
「……、まあ、多少は」
「そうよね……。あんたがあの銃使えないのも、ここじゃまずいからでしょ?」
「…………」
そう言われれば、アキラは全面的に肯定することしかできない。
膨大な破壊力を誇る攻撃は、この洞窟が崩れることさえ許さず、スライムごと総てを消し飛ばすだろう。
だが、その反動は酷い。
こんな狭い空間でそれを使えば、アキラの身体はすぐ背後にあるゴツゴツとした岩の壁に打ち付けられ、無事では済まないだろう。
その怪我をカバーできる回復魔術の術者は、マリス。
今この狭い空間では、アキラは戦うことができない。
「……あたしも、マリーにいて欲しいって思ってるくらいだもん」
僅かに登り坂になった通路を行きながら、静かな会話は続いていく。
「もう、正直に言うわ。あたし、マリーの才能に、嫉妬してる」
分かっていたことだ。
だけど、エリーの口からはっきりそう聞くのは、初めてだった。
「マリーのことは大好きだけど……、何度も思ったわよ。どうしてあたしじゃないんだろう、って」
これは、アキラの持つ日輪属性の力が働いているからだろうか。
エリーの口から、素直な気持ちが漏れていく。
「だけど、才能なんて欲しがってもどうしようもないから……、あたしはひたすらその差を埋めようとした。“先天的”に“後天的”が挑む。なんかそういうの、格好いいとか思って時期もあったし」
アキラはこれ以上、見たくなかった。
こんな、自虐的な心の闇を。
これは間違いなく、人を惹き付ける日輪属性の力が働いている。
太陽とは、こういうものも受け止めなければならないのだろうか。
「だけど、今日の差は応えたわ……。“国の魔道士隊を動かせるコネ”を持つ人物の姉は、魔術師試験に一回落ちてる。そう考えると、ね。思うのよ。あたしって何だろう、って」
「ストップ、だ」
もう駄目だ。
少なくとも今、アキラにこの闇を見続けることはできない。
それを明るく照らす力は、今のアキラにはないのだから。
「……あ、ごめん」
「いや、」
気まずさに振り返ったエリーの顔は、驚くほど表情がなかった。
ただつらつらと、言葉を続けていただけなのだろう。
「あのさ、お前、そういうの止めた方がいいって」
「……分かってるわよ。でもなんか、不思議と口に出したくなったのよね……。マリーには、言わないで」
「……言えねぇよ」
言えるわけもない。
そんな、エリーの心の傷を。
この姉妹の関係を壊しかねない想いは、表に出すべきではないのだろう。
今のアキラにそれを繋ぎ止める力は、ない。
だけど、
「ま、まあ、お前がダメなら、俺はもっと酷いけどな」
「……?」
心の闇を根こそぎ晴らすことはできなくても、今浮き出た闇だけは、消しておきたい。
「“あれ”を使えないんじゃ、俺、ぶっちゃけ一般人だし」
「……何よ? いつも、俺は勇者様だぁっ! とか言ってるくせに」
「いや、まあ、それは、ははっ、」
落ち込む人を立ち直させるには、三つ、方法がある。
一つ目は、その人物より高いところに立ち、聖者のように導くこと。
二つ目は、その人物と同じところに立ち、親族のように支え合うこと。
三つ目は、その人物より低いところに立ち、道化のように笑わせること。
高いところには行けない。同じところも、今は無理だ。
だから、低い所へ。
姑息でも何でもいい。
「だからさ、頼むぜ? 俺たちが生き残るには、お前に頼るしかないんだから」
「…………はあ、あんたと話してると、本当に、―――」
それで言葉を切って、エリーは歩く速度を上げた。
途端離れたスカーレットに光に、アキラは慌てて近づいていく。
こればかりは冗談ではなく、離されるわけにはいかない。
「なあ、今、何て、」
「“疲れる”って言ったのよ!」
ようやく賑やかになってきた道は、まだまだ続く。
―――**―――
「―――」
疾風のような光体が、目の前の液状物体の一つに飛んでいく。
色は、イエロー。
その人物が腕を振るえば、風切り音を残して、スライムが一刀両断となる。
金曜属性の力で分かれたそれらは、片方のみそのまま残り、もう片方は単なる泥水となって地面に吸い込まれていく。
「どくっす!!」
「……!!」
止めを刺さずして、サクはその場から離脱する。
するとその背後にいる少女の周りに浮かぶシルバーの矢が、一斉に弓を引かれたようにスライムに襲いかかっていった。
数は、四。
その場にいるスライムと同数だ。
「―――レイリス」
先のマーチュ戦で使った魔術の高位に位置するその呪文をマリスが呟けば、総てのスライムが串刺しにされ、所々で小さな破裂音を奏で、その命を終えた。
その範囲攻撃の威力の前では、自分が行った攻撃など霞んでいく。
サクは小さくため息を吐き、自らの愛刀を腰に仕舞った。
「流石に、強いな」
「足止めには助かってるっすよ」
二人は短く言葉を交わし、目の前の山肌を眺めた。
そこにはいくつも、反対側にあったような穴が開いており、マリスとサクが近づくたびにスライムたちが湧き出してくる。
結果、二人は中に侵入をできずに、この場で立ち往生していた。
「……、それにしても、妙だ」
「何がっすか?」
先陣タイプ、後陣タイプとバランスの取れている二人は、スライムそのものには危険を覚えない。
サクが先制してスライムの動きを止め、マリスがその隙に範囲攻撃で全滅させる。
サクが金曜属性であることも手伝い、数回目の戦闘を終えても、二人はダメージを全くと言っていいほど受けていなかった。
だが、気になることは、ある。
「私がこの山にいたときは……、スライムには遭わなかった」
「……確かに、スライムが昼からこんなに積極的なのは、妙っすね」
スライムはもともと、地下の濁った水に魔力を流し込まれた魔物だ。
確かに種類によっては太陽の下にいることもあるが、少なくともプロトスライムは日の光を嫌い、洞窟からは出てこない。
「あの唄の元になった魔物は、間違いなくスライムたちのはずだ」
「……」
マリスも、サクの推測には異論はない。
この辺りを飛んでみた限り、スライムより危険な魔物はいなかった。
実際、一般人にはスライムを倒す手段などなく、この辺りを夜に通れば、唄の通り足音は消えていくだろう。
だが、その、この辺りの主的な存在のスライムが、何故こんなにも、積極的なのだろう。
思えばアキラとエリーが閉じ込められた落石も、マリスの侵入を避けようとしていたと考えられる。
頂点に君臨する生物は、別に生活を変える必要はない。
変えなければならないのは、それより強い外敵が現れたときか、“統制者”が現れて、ルールが創られたとき。
いずれにせよ、この山で一番危険なものは、プロトスライムではないという結論に導かれる。
「アキラ様たちは……、まだ、出てこられていない……!」
穴に近づくたびにスライムたちに押し返されて、思うように探索できない。
サクが苦々しげに呟いたセリフに、マリスは眠たげな眼を、ゆっくり向けた。
「……サクさん」
「?」
再び穴に向かおうとしたサクを、マリスが呼び止めた。
「サクさんは、にーさんのこと、どう思ってるんすか?」
「……? 主君、ということか?」
サクの返答に、濁りはなかった。
しかし、どうしても、マリスにはそれが奇妙に見える。
自分がいなかった間、二人は決闘したと聞く。
決闘のしきたりは、敗者は勝者に絶対服従。
そんなことは分かっている。
だが、行動はとにかくとして、心までは動くわけではない。
それなのに、サクは嫌な顔一つせずに、アキラを主君と認めているのだ。
それが、微妙に、変だ。
マリスは、能天気にご都合主義と喜んでいるアキラとは違う。
自分は見定めなければならない。
共に旅する仲間には、合理的な信頼を置く必要がある。
「…………確かに……、あの男は、弱い」
マリスが自分の返答に満足していないことを察し、サクは胸の内を明かし始めた。
「あまりこの話をしたくないが……、私の家は、もともと誰かに仕えること生業としていた」
「……」
サクはどこか遠くを眺めるように、視線を空へ向けた。
その瞳に映る故郷の空は、もしかして、曇っているのだろうか。
そんな目をしている。
「それなのに、私は仕える対象から逃げ出した。どうしても、仕えることができなかった。“自分はここにいるべきではない”、とな」
「それで、“ここ”っすか?」
「……ああ」
サクは目を伏せ、顔を元に戻した。
「あの男は……アキラ様は、弱いが、強い。その力に、過程はどうあれ命を救われた」
絶対的なモノは、あらゆるものを惹き付ける。
その仮定に基づけば、日輪属性の惹き付ける力とは、そういうものなのかもしれない。
「天命だと悟ったよ……。それに私自身、アキラ様の力になりたいと思った。彼にはもっと、上がってもらいたいと。不思議と、な」
「……」
それは日輪に惹き付かれているだけ。
そう言おうとも思っても、マリスは何故か、言えなかった。
「そもそも……、是か、非か。強いか、弱いか。そんなことは関係ない。私は彼に仕えると決めた。それだけだ」
“しきたり”に縛られた世界。
そこでは、神話のようにオラクルを受け、それに染まる者が多い。
自分を確かに持っていても、それを受け入れる。
サクはそういう種類の人間なのだろう。
マリスには、サクの持つ、汚れ無き忠誠心というものは理解できない。
だけど彼女に、信頼は、置けた。
「満足してもらえただろうか」
「……!」
サクがアキラに向ける感情が、“そういうもの”ではないと分かった途端、マリスはそれが“どうでもよくなった”のを感じた。
なんてことはない。
微妙に変だったのは、自分だった。
「とにかく、二人を助けよう。行くぞ」
「……そうっすね」
今は、これでいい。
マリスは目をさらに細め、サクが飛び込んでいく穴を見据える。
今の問題は、二人の救出。
そして、この山の持つ、更なる危険への配慮。
気を抜いている場合では、ない。
―――**―――
「―――きゃぁぁああっ!?」
「!!?」
事態は途端、一変した。
二人で並んで歩いていたと思えば、隣のエリーの姿が消え、逆さになって宙に持ち上げられる。
勢いよくエリーからバッグが落ちたところで、アキラはようやくその事態に思考が追いついた。
「っ、なに、が―――」
アキラの顔が驚愕に歪んだ瞬間、視界の片隅に、スカーレットに照らされたゼリー状の物体が映った。
そのプロトスライムは、道の壁のいたるところにあった横道から伸び、エリーの足首を締め付け持ち上げている。
「っ、ああ、あうっ!!」
片足を持ち上げられたエリーは、逆さまのままうめき声を上げる。
その液体の姿からは想像もできない万力のような締め付けが、エリーの右足首に襲い続けていた。
「っ、おいっ!!」
目の前のエリーの手を掴み、アキラはスライムの全貌を見渡した。
先ほど見た群れのスライムより大きい。
そしてそのスライムは、エリーを掴んだまま、横の穴に引きずり込もうとしている。
「どっ、どうすっ、」
「ぐぅぅうう、ああっ!!」
エリーの足を襲う激痛は、足を持っていかれるほど。
ロープ状になったスライムの締め付けに、骨までもきしみを上げ、エリーはまともな思考ができない。
魔力で覆っていなければ、人間の体など、瞬時にねじ切られているだろう。
「っ、そだっ!!」
アキラは腰に下がったバックを引きちぎらんばかりの勢いで開けた。
数本バラバラと足元に落ちるも、アキラが掴んだのはそのうちの一本。
以前村長からもらった投げナイフを、逆手に持ち、エリーの足首に伸びている細いゼリーに振り下ろした。
「っあ!?」
「うおっ!?」
思った以上に手ごたえのない攻撃は、どうやら成功したようだ。
エリーの身体は中から落下し、その足首にまとっていたゼリーは力をなくし、ぶよぶよと蠢いて本体に近づいていく。
「にっ、逃げるぞ!!」
「っぅ、え、ええ!!」
顔をしかめるエリーの手を引き、アキラはスライムから距離を取った。
持っていたナイフをやみくもに投げ、空いた手で、エリーのバッグを掴む。
目の前のスライムは、アキラの投げたナイフを体内に取り込み、不要と判断したのか身体の外に無造作に吐き出した。
「まず……」
アキラが駆けだしながら手を引いたエリーが、力なく座り込んだ。
「どっ、どう……」
「たっ、立てない!!」
恐怖に歪んだエリーの表情を見た瞬間、アキラは迷わずエリーを腕に抱えた。
そして、もたつくこと数秒、アキラは後ろを確認もせずに走り出す。
「ちょっ、ちょっと、」
いわゆる、お姫様抱っこの状態で洞窟を進むエリーは、泳ぐ視線のまま目の前にあるアキラの顔を見上げる。
突然のスライム襲撃もさることながら、こんな機敏な動きをこの男がしたことに、動揺が隠せない。
「ぜぇ、ぜぇ、俺だって、ぜぇっ、ぜぇっ、やるときは、ぜぇっ、ぜぇっ、」
「息切れ早っ!?」
さっそく限界の見えるアキラの肩には二人分のバッグがぶら下がっていた。
「あんた、そんなもの、」
「はっ、はっ、何か、はっ、はっ、勿体なく、はっ、はっ、」
「分かった、分かったから!!」
もう何も言うまい。
自分が走れない以上、アキラを頼る他ないのだから。
揺れるアキラの腕の中、エリーはせめてもと、光る右腕を進行方向へ突き出した。
アキラは全力疾走で洞窟の迷宮をぐねぐね曲がるり、最後に大きな道へ飛び込んで、
「もうっ、げん、かいっ、」
「きゃあっ!?」
エリーを投げ出すようにそのままこける。
泥水の上にビチャッと投げ出され、エリーの身体は泥にまみれた。
「ぜぇっ、ぜぇっ、ごほっ、ごはっ、はっ、はっ、」
「…………、さいっ、てーっ!」
「む、む、ちゃ、言うな、って……!」
両手両膝ついて、息も絶え絶えなアキラと、泥を全身に被ったエリーは顔を見合わせた。
ほとんどスライムと同じ色になってしまったようなエリーは、ため息一つ吐き、ふらつきながらも何とか身体を起こした。
「でも、ありがと」
「ぜぇっ、ぜぇっ、ごほっ、ごはっ、」
「聞けって!!」
エリーに遅れること数秒、アキラは震える足で何とか立ち上がった。
顔は、頭まで血が回らなくなっているのか、蒼白。
吐き気をもよおしているような顔つきで、ふらつく身体を壁に預け、背後を確認した。
あの大きなスライムは、追ってきていないようだ。
「……俺っ、俺っ、は、決め、た。朝、走るっ」
「それならあたしが強引にでも起こしてあげるわよ。あんた、体力なさすぎ」
「結構頑張った方じゃね!?」
「うんうん、頑張った頑張った」
「そのコメント、もう少し感情込めろよ」
未だ顔色悪く、立っているのも限界のようなアキラが伸ばした手を、エリーは不自然さも感じず、取った。
単に八方美人なだけかもしれないが、アキラはそういう人間だ、と。
「肩、貸して」
「う、おぅ」
エリーは左腕をアキラの腰にまわし、二人は歩き出した。
身体が密着している自分に、隣のアキラが良からぬことを考えているのではないか、と僅かに懸念するも、エリーはただ前だけをスカーレットに照らす。
「なあ、足、まずいのか?」
「……そう、ね。少なくとも……っぅ、」
試しに右足を地面についてみると、鋭い痛みと尾を引く鈍い痛みが足首を襲い、エリーの動きが止まる。下手をすれば骨にひびが入っているかもしれない。
その痛みに耐えようと、アキラに回った腕がさらに強くなった。
「いっ、痛そうってことはっ、伝わって、きたっ」
ほとんど抱きつくようにもたれかかってくるエリーに、アキラは慌てて顔を背けた。
丁度鼻の下あたりに来るエリーの髪も、身体の触覚が確かに感じているエリーの胸も、その体温も、息遣いも、アキラには刺激が強すぎる。
マリスにもたれかかられた経験ならあるが、エリーがそうすると、意識が全く遮断できない。
「ちょっ、ちょっと、何か変なこと、」
「か、考えてない!」
ラブコメみたいだ。本当に、ご都合主義の。
そう思いながらも、アキラは口調も強く否定する。
「でも、あんた、」
「そ、それは、違う!」
「…………ふーん……」
エリーの瞳が、マリスのように半分閉じて、アキラを睨む。
同じ顔で同じ表情なのに、アキラは二人の区別がはっきりついた。
というよりも、エリーは、他とは違う。
「……」
だけど、駄目なのだ。
エリーだけは。
自分とエリーは、不本意にも婚約中。
今は、それを打ち消すための旅の途中だ。
もしこれでアキラがエリーにそういう意味の好意を持てば、自分がそれを認めたことになる。
結婚は、駄目だ。
ハーレムの主は、既婚者であってはならない。
だから、エリーだけは。
それなのに、何故こうも、気になるのだろう。
「と、とにかく、早くマリスに治療してもらおうぜ」
「……、そう、ね。マリスなら、ね」
「お……、おう」
ごまかすために出したその話題に、再び気まずい空気が流れた。
エリーの腕の力が若干弱まる。
何故こうも、自分の口からはろくなことが出てこないのだろうか。
エリーを励まして、笑ってもらえば、“駄目だ”と感じて話題を変える。
変えた話題は、再びエリーの表情に影を落とす。
どうどう巡りだ。
「で、でもさ、頼るところは頼っていいと思うぜ……。マリスにもできないことって、あるだろ」
「……あるにはあるだろうけど……、少なくとも“それ”は、あたしにもできないわよ」
頼むから、そういう顔をしないでくれ。
アキラは、何度もそう念じた。
「うそうそ、冗談。もう大丈夫よ」
「あのさ、」
わざとらしくカラカラ笑うエリーを遮って、アキラは強引に口を開いた。
何かを、言え。
そう、頭の中で声が響く。
何でもいい。
彼女を喜ばせるようなことを。
このままにしていたら、マリスの話題が出るたび、彼女の顔が曇る。
それは、駄目だ。
それは、スライムに出遭うことより、避けなければいけないこと。
アキラはそう、強く思う。
確かにマリスは天才だ。
天上は、遠く座す。
無情なほどに。
「……っ、」
“だけど、そこにある”。
たとえ自分が無理だとしても、彼女だけには、そこを見ていて、目を輝かせていて欲しい。
「とっ、とりあえず今、お前がいないと、スライムに殺される」
「……こんな足なのに?」
「そっ、そんな足でも、だ。それに、暗くなる」
「…………」
もう少しマシなセリフはなかったものか。
結局、さっきのように道化になるしかなかった。
小説の、多くの主人公たちは、こういうときにはビシッと決めていたではないか。
そんなセリフを数多く読んでいるのに、自分は、こんな大事なときに、突っかかりながらも無理矢理言葉を紡いだだけ。
アキラは思う。
自分は、何なんだ、と。
「……まあ、でも、スライムに遭ったら、あたしを抱えて逃げてくれる?」
「結構きついんだけど……、分かった。じゃあ役割分担しようぜ。お前は照らして、俺は運ぶ。ひたすら、逃げる」
「勇者様御一行の行動とは思えないわね……?……」
エリーがどこか笑いながら、ぴょん、と飛ぶと、今まで以上に水が跳ねた。
「何だ? ここ、めちゃくちゃ濡れてないか?」
エリーの照らした先に目を凝らすと、目の前の通路は、足場だけに限らず、天井、壁、と、まるで穴いっぱいに水が通過したようにぐっしょりと濡れていた。
天井から落ちる水滴が、足元の水たまりに跳ね、水音を響かせる。
今までせいぜい壁の腰辺りまでの高さしか濡れていなかったことを考えれば、ここの濡れ具合は異常だ。
「スライムが通った直後なんじゃ……」
「いや、それ以前に濡れすぎよ……。何体いるの……?」
エリーのスカーレットの光が、その先を照らす。
すると、細い通路は終わりを告げるのか、どこか開けた空間が見えた。
しかしそれも、暗闇の先。
どうなっているのかは分からない。
「……どうする?」
「ど、どうするもなにも、戻ったら……」
先ほどの大きなスライムと鉢合わせ、そう考えられるだろう。
アキラはちらりとエリーの右足を見下ろした。
力が入っていないそう足のひざ当ては、鉄製なのにロープ状の痕が付き、ひしゃげている。
防御幕もまともに張れないアキラであれば、一体何秒もつことか。
「……、これはスライムたちが結構前に通った跡。今はいない」
「ポジティブって言った方がいい? 能天気って言った方がいい?」
そういうエリーも、戻ってあの大きなスライムと出遭うことは避けたかった。
身をもって、あのスライムの万力のような力は学んだのだ。
思い出すだけでも右足がさらに痛む。
「……、行きましょう。戻るのもなんだし」
「…………、そう、だな」
二人は寄り添って、慎重に広間に近づいていく。
いつでもエリーを持ち上げられるように、肩に回した手を強くして。
エリーの意見に合意はした。
しかし、何となく嫌な予感がする。
こういうとき、話の流れから、“出る”のではないだろうか。
小説しかり、RPGしかり、ついでに言うなら以前の巨大マーチュしかり、出現するタイミングのような気がする。
このスライムの巣の、“ボス”が。
「…………、」
「…………ほら」
広間に入ると、巨大マーチュのときのように、二人はぴたりと止まった。
広さは、小学校の体育館ほどだろう。
見える限り、形は円形のドームだが、高さや、その全貌は暗すぎて分からない。
そして、その、中央。
「……思った通りだな……、こういう展開……」
「……また、なの?」
二人の顔は、その物体に引きつった。
巨大マーチュと違い、その物体は声を上げない。
ただ、ぶよよんっ、と身体を震わせ、蠢くだけ。
まるで、巨大なプリンがこの空間を埋めるように鎮座し、スカーレットに照らされている。
高さなど、アキラの身長のゆうに十倍はあるだろう。
あの巨大マーチュほどのサイズの液体生物の種族は、エリーに言われなくとも分かった。
これは、スライム族だ。
ただ、エリーに照らされたその色は、濁った泥のプロトスライムと違い、綺麗に透き通る、青。
そして大きさも、今まで見たスライムの比ではない。
この存在から見れば、先ほど遭った大きなスライムも、普通の小さなスライムも差はないだろう。
「……ブッ、ブルースライム!? でもっ、おっ、大きすぎ……!!」
「だから何で真ん中のサイズいないんだよ!?」
叫んだと同時、二人に最も近いスライムの身体の一部が光り始めた。
色は、スカイブルー。
これは、プロトスライムと違い、魔力を高めたブルースライムの、魔術。
「っ、」
「きゃ!?」
アキラは頭に鳴り響く警鐘に素直に従い、エリーを抱きかかえて走り出した。
その直後、アキラの踵を怒涛の水流がかすめ、入ってきた通路になだれ込んでいく。
「ど、わっ!!」
「わわっ!?」
最早そうすることが決まっていたかのように、アキラは転びながらエリーを投げ出した。
右足を庇って受け身を取ったエリーは、アキラの体力のなさの招いた事態だと諦め、代わりにスライムを転んだまま睨む。
「シュッ、シュロート!! 水曜属性の魔術……!!」
「っ、とりあえず、立てるか!?」
エリーをぐっと引いて立たせ、アキラは攻撃の跡を横目で見た。
その水流は、自分たちが歩いてきた穴を拡張させるほど巨大で、受ければ流される、というよりも押し潰されそうな威力を誇っていた。
何で旅の序盤からこんなモンスターに出遭うんだ、と嘆きながらブルースライムを見上げれば、全身たゆたう巨大スライムが、再びアキラたちに近い一部を光らせる。
「―――っ、」
再び、ドンッ、とミサイルのような水流がホールに穴を造る。
この洞窟はこういう風にできたのではないか、と意味のない推測を頭に浮かばせながら、アキラは再び投げていたエリーに手を伸ばした。
「あっ、あんたっ、たまにはっ、抱えてられないのっ!?」
「悪いとは思うが、これが俺の限界だ」
ぐしょ濡れになったエリーの肩に再び手を回し、アキラは退路を探った。
駄目だ。
どこかの通路に逃げ込もうものなら、ブルースライムの魔力を回避できなくなる。
先ほど天井まで濡れていた通路がそれを物語っていた。
あの魔術の太さは、通路の幅を超えている。
もう、止むを得ない。
「……、なあ、マリスは近くにいると思うか?」
「……? なによ、いきな……!……」
アキラの顔がこれから自己に降りかかる悲運を呪うように歪む。
そして、手のひらを輝かせ始めた。
「……ぁ」
暗闇で見ると、改めて分かる。
この、アキラの右手から漏れだす光は、自分のスカーレットや、スライムのスカイブルーとはケタが違う。
このオレンジは、暗い空洞総てを明るく照らす、日輪。
その、日輪属性の光が、アキラの手元で収束していく。
「……、いく、ぞ……!!」
もう駄目だ、これしかない。
アキラは震えた声のまま、現れたクリムゾンレッドの銃を構えた。
武具の“具現化”。
魔道の最高位に値するその行為の成果は、確かにアキラの手の中で息づく。
「ちょっ、ちょっと、それっ、」
「ぜっっったい、痛いと思うけど、まあ、この前のゲイツのとき耐えられたし……。マリスがすぐに治療してくれれば……」
エリーは後ろを振り返った。
ごつごつとした岩肌が、眼前にある。
ここでもしアキラが反動で吹き飛べば、身体をどう打ちつけるか分かったものではない。
「で、でもっ、っ!?」
もう、時間はなかった。
巨大なブルースライムは、またも身体の一部を輝かせている。
狙いは言うまでもなく、動きを止めたアキラとエリーだ。
「自分にグッドラック」
「っ、―――」
最後に妙な呟きを残し、アキラは引き金を引いた。
途端溢れ出す、膨大な魔力。
結果は総て決まっている。
その破壊の光線の前に訪れるのは、今包まれたブルースライムのように、等しく滅亡。
そして、アキラに襲いかかる、物理的な反動―――
「っ、ノヴァ!!」
「―――!?」
エリーはアキラが吹き飛ぶ直前、その背中に回っていた。
痛む右足で強引に地を蹴り、アキラの背中から身体を支える。
全身に噴き出したのは、インパクト時最大の威力を誇る、火曜属性の魔力。
「ぎっ、ぎっ、ぎっ、っ!!」
「っ、―――、」
この衝撃は、もしかしたらブルースライムの魔術より強いかもしれない。
痛みを総て放り投げ、身体総てを使ってアキラを止めても、地面を削るように足が下がって行く。
今すぐにでも、身体ごと吹き飛び、岩に叩きつけられそうだ。
でも、自分はこうしなければいけない。
マリスは、彼の傷を癒すことができる。
だけど、自分はそれができない。
できるのは、今、ここで、彼を支えること。
「っ、―――」
だけど、この、威力は―――
「……?」
そのとき、アキラの身体から、銃とは別にオレンジ色の光が漏れ出してきた。
その光は、スカーレットと混ざり、エリーの身体にも流れ込んでくる。
あの、マーチュ戦でも感じた、身体がポカポカと温まって行く感覚。
まだ、もう少し、行ける。
何故か身体が活性化していく。
これは、日輪属性の力だろうか。
「―――うっ、あっ!?」
「どわっ!!?」
ついに、エリーに限界が来た。
だがそれと同時に、銃の光線が弱まっていく。
すっかり威力が弱まったまま後ろに飛ばされた二人は、そのままの体勢で後ろの壁に突っ込んだ。
だが、その程度、身体に張った防御幕で耐えられる。
「―――……」
「…………」
ほとんど抱き合うようにずるずると壁の下に落ちた二人は、しばらく身体を震わせていた。
「っ、はあっ、はあっ、」
エリーは身体を起こし、壁に背を預けた。
立ち上がるのはもう無理だ。
足が完全に動かない。
だけど、
「またっ、肩っ、肩がぁぁぁああーーーっ!!」
無事だ。
隣にいる涙目の勇者様は、大事に至っていない。
「マリスッ、マリスゥゥゥウウーーーッ!!!」
「はあ……、まだまだ、か」
まだ自分は、支えきれていないみたいだ。
でも、今は、仕方ない。
マリスと同じことができなくても、自分のやり方で、“結果”には迫れる。
また明日からも、“先天的”に挑めそうだ。
アキラがブルースライムごと貫いた空は、まだまだ遠い。
だけど、やっぱり晴れていた。
「うがぁぁああっ、マリスゥゥゥウウウーーーッ!!」
「……あんたもう少し黙れないの?」
「……、呼んだっすか?」
「!! アキラ様、ご無事ですか!?」
その、天井に空いた穴から、マリスとサクの二人がシルバーの光に包まれて降りてきた。
どうやら今の光は、自分たちの居場所を知らせることにも役立ったようだ。
「マッ、マリス!!」
「……! また肩っすか……、にーさん」
「!! その前に、急いでここから出よう!!」
サクが瞬時にアキラの身体を抱え、立ち上がらせる。
だが眼は、たった今アキラの攻撃を受けたブルースライムに向いていた。
ああ、そういえばそうだった。
ブルースライムは身体を構成していた液体を地面に溶かせながら、バチバチと、スカイブルーの魔力を巨大な身体にほとばしらせている。
「っ、マリー、お願い!!」
「―――了解っす!!」
マリスが目を瞑り、腕を振ると、この場全員の身体がシルバーの光に包まれる。
そして、再び開けた半分だけの瞳は、虚空を睨んだ。
これは、マリスにしかできないこと。
だから、任せる。
「脱出するっすよ!! フリオール!!」
四人の身体全身が、浮く。
持ち上げられるのではない。
まるで、その空間を切り取っているかのように、空に向かって動き出す。
「っ、―――」
四人の身体が出たところで、山総てに鈍い衝撃音が響く。
そして、唯一の大穴からスカイブルーの閃光が空を突くように漏れたかと思えば、まるで柱を失った家屋のように、山が崩れていった。
「……」
「……はは」
「これ、は……すごいな……」
そんな現実感のない光景を、四人は浮かびながら眺めていた。
聞こえるのは、山の崩れる轟音と、アキラのうめき声だけ。
泥をかぶりながらも這い出た外は、思った以上に明るい。
「山を消しながら押し進んでるみたい……」
「肩っ、肩が……っぅ!!」
「お願い。今だけは黙ってて」
四人がゆらゆらと地面に近づいてく。
エリーは再三にわたるため息を突きながら、顔だけは、小さく笑みを浮かべていた。
―――**―――
マリスの話だと、この辺りにいるスライムでは、戦うとき最も気にしなければならないのは魔力ではなくその力だそうだ。
液体状の姿からは想像できないその物理的な締め付け。
その威力は、エリーの足首のダメージが物語っている。
そして、あのブルースライムも例外ではなく、魔力よりもむしろ注意しなければならないのは、その力。
だからブルースライムが魔術のみを使っているときに、とっとと勝負を決めたのは正解だったと言える。
「……ああ、イテェ……」
そんなことを後付けで聞き、アキラは倒れた木に座りながら腕を回した。
目の前のたき火がゆらゆらと揺れる。
マリスに治療してもらった腕は、鈍い痛みを未だ持っているが、もう大丈夫そうだ。
日はもうどっぷり沈み、今日はもうこの山の樹海で野宿らしい。
マリスとサクも外でスライムと何度も戦っていたらしく、下手に進んで何かのテリトリーに入るよりは安全、という決断は、洞窟内で動く気力を奪われたアキラにとってはありだと思える。
それに、あの山のスライムが異常だっただけで、そこまで危険はないそうだ。
町はまだまだ、歩くには遠いらしい。
「……あれ、サクさんは?」
「ん? ああ、見回り行ってくるって言って、さっき、」
聞き慣れた声に振り返れば、近くの川ですっかり汚れを落としたエリーが立っていた。
だが、その服装は、アキラの見たことのないものだ。
「何よ?」
「……、マ、マリスは?」
「あの子は、もう寝てるわよ。朝早く起きたから、疲れたってさ」
エリーが振り返って、タオルを吊るしただけの簡易なテントを見れば、誰かが横たわっている気配。
今日の連戦は、マリスの瞳の残り半分を閉じさせるに十分だったらしい。
「……、隣、いい?」
「……あ、ああ」
腰をずらして、エリーのスペースを開ける。
隣に座ったエリーは、小さく口を尖らせながら、たき火に手を当てた。
「……あのさ、」
「なに?」
「えっと、足、は?」
「……、もう治してもらったわよ……。てかあんた、その場にいたでしょ」
「ああ、いた、な」
淡白な意味のない会話が、たき火の前で続く。
そのある種の沈黙に、アキラはとうとうエリーの服を直視した。
「……なあ、それ、どした?」
「洗ったから乾いてないの。これはその代わり」
「……」
エリーの服は、いつもの普段着や、戦闘服と違った、淡く明るい紅のワンピース。
その服装はこのような外では不自然だったが、エリーの背中に垂らした長い赤毛や、引きしまった体つきによく映えている。
先ほどまで支えて密着していたのに、今はこんなにも、近くにいることに身体が震えて行く。
「お前さ、俺に無駄な物持ってくなって言ってなかった?」
「必要だったでしょ、今着てるもん」
「……そういうもん?」
「そういうもんよ」
ようやく顔をアキラに向けたエリーの瞳には、ゆらゆらとたき火の日が映っている。
顔も、たき火の色を映していた。
ああ、まずい。きっと自分もそうだ。
エリーは、やっぱり美人だ。
これは、まずい。
「で、感想は?」
「……、いや、まあ、その、えっと、」
「…………ま、いいわ」
エリーはすたっと立ち、身体を伸ばす。
その光景をぼんやり見ていたアキラは、エリーの手が下りたと同時に視線を外し、たき火を食い入るように見つめた。
「じゃ、あたしももう寝ようかな。見張り、お願いね」
「……あ、ああ。定期的に木を投げ込んできゃいいんだろ?」
「そうよ。じゃあ、おやすみ……」
エリーは簡易テントに歩いていく。
ああ、ここだ。
思惑とは別に、身体の感情が、ここで何か声をかけろと言っている。
「あのさ、」
「? なによ」
とりあえず、声をかけた。
あとは、なにか、思いつけ。
「えっと、あのとき……、そう、あのとき、支えてくれて、ありがとな」
「……」
たどたどしくも紡げた言葉は、果たして正解だったろうか。
エリーの採点を待つのが怖くて、アキラはたき火だけを再び見つめた。
「……役に立てたなら、光栄よ。“勇者様”」
「……」
それだけを呟いて、エリーの足音は遠ざかっていった。
声の調子からして、及第点は、取れたのかもしれない。
「…………って、俺は何やってんだぁ……」
アキラは集めてきた小枝で、地面をがりがりとかいた。
婚約者であるエリーを受け入れるわけにはいかない。
そのはずなのに、彼女に何か声をかけたくなる。
自分の行動が分からない。
エリーでなくても、マリス、サク、と魅力的な女性は自分の周りに入るではないか。
好意を持たれているか否かはさておき、せっかく夢のハーレムに近づいているというのに、自分何故か、エリーばかりを見ている気がする。
たった一つ、選ぶ。
それをしてしまえば、その他の物語は潰えてしまう。
そう、思うのに。
何故か、この目が追うのは一人だけ。
「はぁ~~……、アホか、俺は」
アキラはある種の真理に辿り着き、手に持った小枝をたき火に投げ入れた。
なんとか、考えなければ。