―――**―――
ヒダマリ=アキラの朝は早い。
まず、日の出と共に起床。
そして、風邪で二、三日寝込んでしまった時間を取り戻すように、急いて宿舎を飛び出す。
だが、冷静さをも併せ持っていた。
そのまま駆け出す、となってしまうと身体に悪い。
まずは、寝起きの身体に合図を送るために簡単なストレッチ。
関節という関節を回し、最後に深呼吸をしたところで、まるでボクサーのように両手を振りながらジョグを始める。
コースはおおよそ、村を四分の一ほど回る程度。
だが、日ごとにコースを変え、村の地理を頭にたたき込む。
まだ開いていない店を見て、活気包まれる昼ごろにはどのような姿になるだろうと想像するのがお気に入りだ。
そして、宿舎に帰ってきてからも、トレーニングは終わらない。
体が温まったところで、腕立て、腹筋、背筋を二十回。それを、三セット。
さらに、実戦を意識して、ダッシュも行う。
前に、後ろに、そして、左右にも。
先のマーチュ戦で瞬発力が必要と判断したアキラは、広い庭を駆け回る。
そして、最後に素振り。
村長からもらった最初の剣は折れてしまったが、素振り程度なら、その辺りの木材で十分だ。
これから剣で戦うかどうかは分からないが、近距離戦の力はつけておきたい。
やらないよりはマシだろう。
簡単な朝の運動が終わったところで、朝食の匂いが食堂から流れてくる。
最後に整理体操を行なって、シャワーを浴び、ようやくエルラシアをはじめとする孤児院のメンバーに会う。
そして、クールな顔つきで、おはようと言い、朝食後に始まる、マリスの魔術の授業を受けるのだ。
――――――
おんりーらぶ!?
――――――
「…………一日、だったっすね」
「一日、だったわね……」
その、“時間にして”マリスの授業が終わる頃、双子は食堂で顔を見合わせていた。
長い赤毛に切れ長の瞳の少女は、エリーこと、エリサス=アーティ。
つい先日国仕えの魔術師になり損なった彼女に今ある憂鬱は、“別の大問題”。
それもこれも含めて、盛大にため息を吐く。
一方、そのため息を受け止めるのは、同じ顔つきのマリスこと、マリサス=アーティ。
髪の色は薄い銀で、瞳も色彩が薄く、のほほんと表現すべきか、眠そうに半分閉じているような状態だが、背丈も含め、エリーをまるまるコピーしたような姿だった。
とても、数千年に一人の天才と言われている人物とは、年齢もさることながら思えない。
二人とも同じように美少女と表現できるが、エリーの顔は、やつれたように歪んでいる。
七、八人いる子供たちは、今頃、孤児院の長、エルラシアに午前の授業を受けているだろう。
学校も兼ねているこの孤児院では、エルラシアや、住み込みの手伝いとも言えるエリーやマリスが教鞭を取ることになる。
さしずめここは、職員室といったところか。
だがその職員室は、どこか、どんよりとした空気に包まれていた。
当然、悩みの種は、一週間ほど前に現れた“勇者様”。
見事巨大マーチュを撃破した勇者ことアキラは、おそらく今頃、夢の中だろう。
「くわぁ……、おっ、二人とも、おはよう」
否。
どうやらアキラは、すでに起き出していたらしい。
どれほど修辞を重ねてもクールとは表現できない寝ぼけ眼での『おはよう』は、食堂内に小さく響いた。
一週間ほど共に生活していれば慣れたもの。
貸し与えたジャージの隙間から体をポリポリとかき、片手で髪を寝かしつけるように撫で下ろしていた。
「あ、マリス……。朝飯とかってもう残ってないか?」
「いや、あるっすよ……っ……」
晩年、眠気眼を浮かべているマリスが席を立とうとすると、その腕をエリーが強く掴んで座らせる。
そして、もう片方の手で、隣の空いている椅子を指差し、アキラを促す。
「? なんだよ?」
「……もう罪悪感もないの?」
朝から不機嫌な空気を真正面から浴び、アキラはしぶしぶ席に着く。
「今、何時だか分かる?」
「? 十一時過ぎ……いや、もう半か。ほら」
アキラが食堂の大きな時計を指すと、エリーは拳でテーブルをガンッ、と叩いた。
「あ、ん、た、ねぇっ!! トレーニングはどうしたのよ!?」
「え、いや、ほら、え、っと、」
「あんた、開始二日目に何て言ったっけ?」
「え、っと……明日は頑張る」
「そうよねぇ、確か、身体を休めるのもトレーニングとか言って、一日寝て過ごしたわよねぇ」
「……はい」
「あんたが続けているのって、“休む”っていうトレーニングだけじゃない!!」
ごわんごわん、と食堂に響き渡るエリーの声に、マリスは控えめに耳を塞ぎ、アキラは蛇に睨まれた蛙のように動かない。
風邪で寝込んでいる間に考えたというトレーニングの紙は、初日以来使われたことはなかった。
「ま、まあ、大丈夫だよ。勝てんだろ? 魔王なんて」
「っ……、あ、ん、た、は……!!」
アキラは座ったまま、光を手のひらに浮かべた。
すると、その光は収束し、筒の形状の武具を形作る。
その武具こそが、先日巨大マーチュを一撃のもとに葬り去った日輪属性魔力の具現。
山一つなど容易に消し飛ばせる、最強の銃だった。
「いやぁ~、マジでこれ、強いよなぁ……」
「ちょ、ちょっと、それ、こっちに向けないで……!!」
アキラは力を抜く。
するとその銃は、空気に溶けるように光となってアキラの身体に入り込んできた。
ピンチにならないと出ない、というわけでもなく、出し入れは自由自在だ。
「た、確かに、それ、途方もない威力だけど……」
「そうだろ? やっぱすごいよなぁ、勇者って……!」
「あんたそれ撃つと、肩外れるんじゃなかったっけ?」
エリーの言葉も聞き流し、アキラは調子に乗って出し入れを続ける。
そこで、いつの間にかこの場を離れていたマリスが朝食を運んできた。
「でも、不思議っすよね、それ。正直、激戦区の魔道士でも、その威力の半分も……下手をすれば、この世に存在する魔道士の誰も出せないっすよ」
「だよなぁ、ほら、魔王なんて一撃だって」
「……」
上機嫌でパンにバターを塗り始めるアキラを見ながら、エリーはこめかみに手を当てた。
“タチ”が、悪い。
魔術の知識どころか、この世界の知識もほとんどないアキラに、最強の武具。
これはほとんど、何も分からない子供に大砲の火種を持たせるようなものだ。
あるいはそれは、魔力だけに限らない。
一切努力をせずに富を得た者の末路は、普通、身の破滅。
この男は、どこかで痛い目に遭わないといけないような気がしてくる。
一方、アキラにはそんな危惧はなかった。
最強の力を手に入れている。それの、何が悪いのか。
そして、その力に頼ることの、何が悪いのか。
チートとも言えるその絶大な力への評価は、アキラとエリーでは違っていた。
「でも、気になるんすよね……」
「? どうした?」
アキラが一品食べ終わったとき、正面に座るマリスが眉を寄せる。
この少女は数千年に一人の存在。
先のマーチュ戦でも、尽力してくれ、その力を見せてくれている。
その人物の助言は、二人の耳をそばだてるのに十分だった。
「あんな超絶的な魔術……。なんのペナルティもなく放てるなんて」
「いや、肩外れるんだけど……」
「そうじゃないっすよ。肉体的な問題じゃなくて、魔力的な問題で」
マリスは眠たげな眼で、アキラの手のひらを見据える。
「にーさん、この前二発も連続で放ったのに、魔力による疲労はなかったんすよね?」
「え? あ、ああ。まあ、熱でぼうっとしてて、覚えてないっちゃあ覚えてないんだけど」
「う~ん……」
マリスは唸る。
どうしても、その力の出所が気になるのだ。
魔力の具現化。
それは、ある意味、魔道士の最終段階だ。
魔力を消費し、敵を討つのが魔道士だが、飛ばせる魔術を凝縮し、何かを形作る。
そのレベルは、遥かに高く、遥かに強い。
それなのに、アキラは何の経験もなく、あの武具を具現化した。
そして、乱発可能。
等価交換を前提とする魔術に、そのようなことは本来起こり得ない。
“勇者様の力”、と言ってしまえばそれまでだろうが、そのような表現で片付けられないほど、あの銃の威力は絶大だった。
なにせ、アキラはこの世界に来て、魔道を何も学んでいないのだから。
「じゃあ、“回数制限”とかあるんじゃないっすか?」
「回数制限?」
「例えば、具現化可能な回数とか」
「え?」
「あんた今、無駄に五、六回出し入れしてたわね……」
エリーに言われ、アキラは手を下ろす。
これからは、不用意に出さない方がいいかもしれない。
「ま、まあ、大丈夫だよ。ほら、俺、勇者だし」
「……あんた、途方もないほどダメ人間ね。それでハーレム? はっ、笑わせてくれるわ」
「…………」
エリーの皮肉に、アキラはぎゅんっ、と胸が痛くなる。
熱に浮かされ、自分の夢が口走ったのはつい先日。
それ以来、エリーはそれを種にして侮蔑交じりにアキラと言葉を交わすようになっていた。
アキラにとってある種自分の黒歴史のようなものを曝さると、やはり、どうしても、なるのだ。
ぎゅんっ、と。
「ひっ、人の夢を笑うのは、良くないんだぞ……!!」
「それは夢じゃないわ。呪いのアイテムよ。砕いて捨てなさい」
そこで、食堂のドアがばんっ、と開いた。
「あ、にーちゃんだ!」
「え、いるの?」
「うん、ほら!」
勉強道具が入った鞄を部屋に置いてくる間も惜しみ、子供たちが数人食堂に駆け込んでくる。
年齢は様々だが、どの子どもたちも、元の世界でいえば小学生程度だろう。
「おう、お前ら……」
「お、お話聞かせてください!」
「昨日の続きを!」
「い、今大丈夫ですか?」
先走ってアキラの手を引く低学年を、高学年組が抑える。
だが、アキラはにこやかに笑って子供たちについて行った。
最近の日課らしい日課。
子供たちの相手というイベントは、どうやら今から始まりそうだ。
「大人気っすね……」
「精神年齢が近いからでしょ」
子供たちと共に、わーっ、と駆けてくアキラの背中を双子が見送る。
ある意味アキラは、この孤児院に貢献していると言えなくもなかった。
エリーが聞いたところによると、アキラは色々な話を知っているらしい。
入手経路はおそらく異世界だろう。
その話が子供たちの心をつかむのに、そう時間はいらなかったようだ。
「微笑ましいっすよねぇ……。子供に好かれるっていうのは」
「マリー。何度も言うけど、あの男だけは止めなさい」
いくら子供に好かれるとはいえ、駄目人間の典型だ。
先のマーチュ戦も子供たちに話したそうだが、大分アキラの活躍が脚色されていたことだろう。
「大丈夫っすよ。にーさんは、ねーさんのっすからね」
「ち、が、う!!」
今、自分を悩ます最大の原因を口にされると、エリーはいきり立った。
忘れようとしても忘れられない、一週間前。
嘘の許されない儀式の間で、神への求婚をしたことは記憶に新しい。
そして、その誓いの口づけをしたエリーの唇に、アキラが真上から落下したことも、脳裏に焼き付いて離れなかった。
自分は、大切なファーストキスを、あのアキラに捧げてしまったのだ。
ついでに、入隊式が流れるというおまけ付き。
その上アキラは、ハーレムがいいとふざけたことをぬかし、婚姻を拒否。
そんなもの、こっちも同じ気持ちだ。
ハーレムを目指す人間と書いてサイテーヤローと読む存在と結婚など、考えたくもない。
「でも、にーさん、格好よかったじゃないっすか。マーチュも倒してくれたし……」
「それはそれ、これはこれ、よ」
分かっている。
あのアキラが、いや、あのアキラの力がなければ、自分たちはどうなっていたことか。
あのまま殺されていたか、山ごと吹き飛ばすような巨大マーチュの爆発に巻き込まれていたか、だ。
確かに、エリーもあの件は覚えている。
不覚にも、少し、格好いいと思ってしまった。
だけど、アキラの生活態度を見ていた一週間で、そちらの方は忘却の彼方へ飛び立ってしまったようだ。
「とにかくあたしたちの目的は、婚約破棄。それは、あのバカも同じでしょう?」
「とうとうバカ呼ばわりっすか……」
「そ、それなのに、あたしたち何やってんのよ?」
「……」
マリスは食堂を見渡す。
もう何年も見てきた光景だ。
そして、この一週間でも、それは変わらない。
「な、ん、で、旅立たないのよ!?」
「そ、それはにーさんにこの世界の常識教えないとっていうことで、」
「話聞いてる限り、あいつの世界とあんまり変わらないわよ!! 『ごゆっくりおくつろぎ下さい』っていう村長の視線も、段々不審になってるじゃない!!」
「ねーさん、自分に怒鳴らないで欲しいっす」
最近ボルテージが上がっている気がする自分の姉を見ながら、マリスは窓の外に視線を移す。
そこでは、木の下に座って子供たちに話を聞かせるアキラが笑っていた。
こうして見ていると、勇者様、というのは嘘で、子供好きで柔和な青年にしか見えない。
「ねーさん……、何気ににーさん、孤児院向けの性格っぽいんすけど……」
「それが、なによ!?」
「だから、ねーさんがにーさんと結婚すれば、ねーさんの夢……夫婦で孤児院やるっていうのが叶いそうな……」
「うなーっ!!」
エリーの奇声と共に、ドアが再び開かれた。
「あら、エリー、マリー。子供たちは?」
入ってきたのは、二人の育ての親、エルラシアだった。
教室の片づけをした彼女には、次に昼食の準備が待っている。
そのエルラシアに、エリーは苛立たしげに、窓の外に視線を向けた。
「あら……。アキラさん……、本当に助かるわね」
「お母さん!!」
「まあ、そうよね……。“勇者様”に子供たちの世話を任せるなんて失礼なこと……」
「そうじゃなくて!!」
駄目人間のアキラを、自らの母が微笑ましく見るのが、どうも我慢できない。
エルラシアに、マリス。
なんなら村長も加えていい。
何故自分の周りには、アキラを肯定的な目で見るものが多いのだろうか。
「最初はエリーを嫁に出すなんて考えられなかったけど……、はあ、良かった。アキラさんで」
「大声で泣いていい?」
もう絶望だ。
こうなれば本当に、魔王を倒し、その特権で婚約破棄をするしかないだろう。
「でも、アキラさん……」
「?」
そこで、少し。
エルラシアの瞳が憂いを帯びた。
「寂しくないのかしら……。元の世界には、ご両親もいたんでしょう?」
「軽い記憶喪失は継続中らしいっす……。移動の直前が、どうも思い出せないらしくて」
「……」
本人はケロッと笑って、子供たちに話を聞かせている。
そんな光景を見ながら、エリーは口を尖らせた。
異世界からの強制移動。
そんな事態が身に降りかかったら、エリーはどうなるか分からない。
エルラシアやマリスと永遠に離れることになる。
そう考えると、アキラを見る目が、少し複雑な意味を持つ。
「ああ、アキラさんのご両親にご挨拶したかったわ……。エリーの母として」
「うわーんっ!!」
「あ、そうそうマリー、ちょっと頼みたいことが……」
「?」
絶望の淵に沈むエリーから視線を外せば、眠た気だがどこか上機嫌な眼の同じ顔。
アキラが来てから対照的な双子に苦笑しながら、二言三言マリスに告げると厨房に歩き出した。
エリーとマリスが、下準備はしていたようだ。
―――**―――
「そこで俺は目覚めるわけだ。勇者の力に」
「うん、うん」
「でな、こう、現れた銃を構えて、絶大的な一撃を放った。それは、巨大なマーチュを派内の光で包み、一撃で倒した」
「わぁ~」
「だが、物語はそこで終わらない。ほら、モンスターは死ぬと爆発するだろう? そこで登場したのがまたも俺の力だ」
余程娯楽がないのか。
アキラの話に目を輝かせる子供の数は未だ減らない。
他にも元の世界のマンガや、インターネットで読み漁った話を聞かせていたりするが、最も人気なのは、今まで見えていた山が消し飛んだ、対巨大マーチュ戦の話。
話すたびにアキラの活躍場面が増えているが、子供の中にそれに気づくものは存在しない。
結果、主演アキラの大スペクタクル巨編に変貌を遂げつつあるマーチュ戦は、子供たちの中に確かに息づき始めていた。
「それで、」
「アッ、アキラ様~っ!!」
良いところで話を切られたアキラは、眉を寄せて顔を上げた。
すると、門から、見覚えのある男が走ってきている。
村長の側近の一人、サミエルだ。
「しっ、至急、そっ、村長のところまでお越しいただけますか!?」
「ぅ、は、はい……?」
勢いそのままに、叫んだサミエルに、アキラは立ち上がり、消極的な肯定の言葉を漏らす。
すると、パァとサミエルの顔が輝き、一礼して動向を促した。
「悪い、エルラシアさんに、出かけてくるって言っといてくれないか?」
「ええ~?」
不満げな子供たちの声を振り払い、アキラ歩き出した。
いくら巨大マーチュのときはめられたとは言え、武器の提供までしてくれた村長の言葉は無碍にはできない。
ついでに言うなら、アキラも、村長の、いつ旅立つのか、という視線には気づいていたりする。
“勇者”という面目を保つ意味でも、ここは従うべきだろう。
アキラは頭の中で旅立っていない言い訳を考えつつ、サミエルの背を追った。
―――**―――
「……?」
孤児院よりも広い、白塗りの建物。そして、それに倣っての整った広い庭。
そんな中で、アキラはポツンと立っていた。
急ぐことに精一杯で事情を話さなかったサミエルに、ここで待っているように伝えられて、十分ほど。
退屈にあかせて視線を泳がせていると、一人、見慣れない女性が立っていた。
足元に必需品最小限しか入っていなさそうなナップザック。
庭の壁に背を預け、目を閉じて沈黙を守っているが、なんと言っても目を引くのはその出で立ち。
腰には、細く長い黒塗りの剣。
種別でいえば日本刀なのだろうが、武器というより芸術品のように目に映るのは、長身の姿に映えるからだろうか。
服装も、下半身こそ長い足にフィットするような黒のスパッツだが、上半身は日本でいうところの着物。
深い紅色のその着物に肩を僅かに超えるほどの黒髪が垂れ、風に凪いでいる。
胸元は、残念ながら下に着た黒のアンダーウェアでガードが固いが、控えめに自己主張していた。
そして、顔立ち。
「……」
「……!」
あまりにもジロジロ見ていたアキラと、その女性の眼が一瞬合った。
精緻に形作られた日本人形のようなその顔は、エリーに似てどこか切れ長の眼で凛々しく、とても愛でる対象には見えない。
触れれば切れるようなその空気の主は、アキラの姿を認めると、軽く一礼し、なんてことのないように再び目を伏せた。
「えっと、こんにちは……」
「……え、あ、ああ。こんにちは」
思わず、アキラは声をかけていた。釣られて、その女性も声を返す。
その声は、姿に似て、自分をしっかり持ったような凛々しい声だった。
服装もさることながら、アキラには、その女性が武士のように見えてくる。
「え、っと、あなたは?」
「……私は、サク。ファミリーネームは、ない」
「? ……俺はヒダマリ=アキラ。アキラ、が名前」
「だろう、な」
サク、と名乗ったその女性は、背に預けていた身体を立たせ、アキラと向き合う。
そのあまりにまっすぐな視線は、アキラの方が視線を外すほど。
背丈も、アキラより若干低い程度で、高い。
だが、正面から見て、アキラは認識を強めた。
サクは、美人だ。
「? すまない。私はあまり人と話すのが慣れなくて……」
「……いや、やっぱりこうじゃなくちゃって思ってさ」
「?」
怪訝な顔をするサクに、見えない位置でのガッツポーズ。
アキラは、異世界の同年代の女性は、すべからく美形であるというお約束の展開に、震える身体を抑えきれなかった。
「変わった格好だよね?」
同年代のように思える余裕から、アキラは気楽に話を始めた。
サクが先ほどまでしていたように壁に背を預ける。
サクも、それを見て、再び背を預けた。
「ここは、あまり異国の者が来ないのか?」
「? そういう服を着ている人なら、見たことないけど……」
「そうか。他の国では見向きもされないほど、様々な人がいるぞ?」
様々な人の最たる例、異世界から来たアキラは、サクの言葉に他の町や村を想像する。
華やかな町並み。
様々な建物、店。
そして、複数の美少女との出会い。
ようやく、他の町へ旅立つモチベーションが芽生えてきていた。
「って、ことは、サクさんは異国から?」
「ああ。旅をしているんだ。色んなところを回ったよ」
「へ~、俺はここから出たことはないよ」
そうか、と小さく呟くサクを見て、アキラは徐々にテンションが上がっていった。
自分をしっかり持った者との会話とは、ここまで気持ちのいいものなのだろうか。
同年代との何気ない普通の会話が、嬉しい。
孤児院の同年代は、怒鳴り散らすエリーか、のほほんとしていてこちらまで眠気が襲ってくるようなマリスしかいないのだ。
「それにしても、君の主人は……、失礼だが、人を待たせるな。もうかれこれ半時ほどこうしているよ」
何か誤解しているようだ。
あえて訂正をしなかった。
村長の使用人と思われていて、実は勇者様。
そんなおいしい展開を思いついてしまっていた。
勇者なのに、それを誇示しない。
そんな展開は、クールで格好いいではないか。
「それで、サクさんは何でここに?」
気取られないように、努めてクールに振舞ったアキラへの返答は、サクの人差し指一本。
その指は、高い高い教会の塔を超え、見通しのいい青空へ向かっていた。
「この辺りの者なら分かるだろう。あそこには、一週間ほど前には山があった」
「……あ、ああ~」
そう言われて、アキラはサクが差している方向に何があったのかを思い出した。
あそこは一週間前、巨大マーチュとの戦いを繰り広げた場所だ。
アキラの銃の砲撃と、巨大マーチュの爆発で山はまるまる一つ消し飛んでいた。
「すごい爆発だった、よね」
実は自分がやった、と喉から出かかったが、まだ村長の使用人の役は継続中。
アキラはあくまで一般市民のような感想を口から引きずり出した。
「ああ、すごい爆発だった。たまたまその場にいた愚かな人物が、無様にも一週間ほど気絶するほどのな」
「……え?」
サクの声が震え出したと思えば、今度は拳を作ってプルプルと身体が震えていった。
だが今、やけに具体的な話をしなかっただろうか。
「たまたま通りかかった近隣の村の者が、“手厚く”看病してくれたが……、お陰で一文なしだ。まったく、愚かだよ、私は。…………はあああ~っ」
震えたまま出てきたため息は、妙にビブラートが効いていた。
その美声を受け、アキラの背筋は寒くなる。
「そ、その上……、あちこちと……か、身体を……見られたり……!! ううっ……!!」
途端歯切れの悪くなったサクは、真っ赤になった顔を両手で覆った。
“手厚く”看護され、自分の身体を見られた女性が顔を赤くする。
そんなシュチュエーション、アキラは『大好物です!』と言えるが、顔を覆った手の隙間から、ちらちらと殺気が混じっていては喜んではいられない。
その上、その原因の一端、いや、九割ほど担っているのだから、せいぜい薄っぺらな笑顔を浮かべられる程度だった。
「ま、まあ、何でも巨大なモンスターが爆発したそうだから……」
「マーチュ、だろう?」
「……?」
サクはため息交じりに、足元に転がっているナップザックから便箋サイズの封筒を取り出した。
「……、これだ。巨大マーチュの調査の仕事。倒すのは不可能と言われていたらしくて……。まあ、今となっては分からないが」
眉間にしわを寄せ、サクは手紙を握りつぶした。
身体を見られたことは、余程悪しき記憶らしい。
「まあ、一応引き受け、私は様子を見に行ったんだ」
「そ、それであの山に」
どうやらサクは、モンスターの駆除を引き受けながら旅をしているらしい。
モンスターは、人間にとって害ある存在。
ならば逆に、それが仕事になり得る、ということなのだろう。
握りつぶされて丸まったその手紙を横目で見ながら、アキラはこの世界のルールの一端を掴んだ気がした。
「だが、私が巻き込まれたのはマーチュの爆発ではない。マーチュは土曜属性。私が見たのは、グレーの閃光ではなかった」
「……ほ、ほぅ……」
自分が握り潰していたことに今気づいたように、サクは丁寧に紙を畳んで仕舞った。
「私が見たのは……オレンジの閃光。山そのものを吹き飛ばすような、巨大な破壊光線。幸か不幸かマーチュの爆発の前に気を失っていて……、そのあとは……あ、あああ……!!」
サクは再び、赤い顔を手で覆った。
そしてやはりちらほらと、指の隙間から殺気が漏れているのだ。
「で、でも、まあ、それは、」
「あれは、間違いなく日輪属性の光。初めて見たが……、まあ、それはいい。ともかく、目が覚めた私はこの村に現れたと聞いたんだ。“勇者”が」
「…………ほぅ」
何やら話がまずい方向に行っていないか、と先ほどから気づいているのだが、アキラは再三、軌道修正に失敗している。
「流石に一週間前となれば、この村にはいないだろう。行き先を尋ねにここの長を訪ねたんだ。そうだ、アキラ、だったか。君は、知らないか?」
「……………………」
「……? まあ、いい。知らないなら、すまなかったな」
「……、ちなみに、勇者様を見つけたらどうするおつもりで?」
「そ、それは、」
そこで、サクは一旦周囲を気にし始めた。
脂汗を流しながら硬直しているアキラの様子に気づかず、ぼそぼそと、小さく声を漏らす。
「僅かにとは言えど……し、しきたり違反になるから……、あまり声を大にして言えないんだが……、」
サクは周囲を警戒し、アキラの耳に口を近づける。
途端、今まではきはきと話していたサクが挙動不審になった。
これほどしっかりしているように見えて、“しきたり”というものには、無抵抗に従うようだ。
というよりも、この世界の住人総てが、と言った方が正確かもしれない。
「……決闘を申し込む」
「……けっ、」
「決闘だ。一応、勇者様に無礼なことは許されないが……、まあ、ぎりぎり許容範囲だろう。とにかく、私は勇者と戦わないと、収まりが付かない」
さて、どうしよう。
勇者と名乗らなかったのが、順調に裏目に出ている気がする。
だが、アキラの中に、すでに名乗り出るという選択肢はなかった。
というより、勇気がない。
異世界に行った主人公たちは、アキラの知る限り、『すまない。君がいたことを知らなかったんだ。責任は取る。何でも言ってくれ』みたいなことを平気で言っていた。
だが、無理だ。
胃がきりきりと痛む中、空におぼろげに浮かぶ多くの先駆者たちに、アキラは羨望の眼差しを向けた。
「しかし、君は不思議だな。すらすらと言葉が出てくるよ。何故か、親しみやすい」
「いや、話し上手聞き上手ってよく言われるんだ、はははっ」
アキラはそのカラクリを、初日だけ参加したマリスの授業で聞いていた。
日輪属性を有する者は、みなを惹きつける力がある、と。
その最たる例は、月輪属性のマリスだが、火曜属性を操るエリーも含まれるそうだ。
つまり、“勇者様”というのは、輪の中心にいる存在。
世俗にまみれた言葉を使えば、モテモテになれるそうだ。
だが、それも絶対ではない。
怒鳴り散らすエリーのように、敵意を向けようと思えばいくらでも向けられる。
ただ、少しコミュニケーションが取りやすくなる程度、といったところだ。
周囲の人とコミュニケーションが取りやすい、というのは、人との繋がりが希薄になっている元の世界の人間には重要なアビリティ。
ご都合主義万歳だ。
だが今、サクから向けられている好意が、かえってばれたときの反動になると思うと、胃は、きりきり痛む。
どうすればいいのか。
アキラが必死に頭を回転させていると、
「バカ者!! 勇者様を外で待たせるとは、」
「す、すみません、まさかあの者も外で待っているとは……」
聞こえてきた。
破滅への階段の足音が、村長の家の中から。
やっとか、と小さく呟きサクは壁から背を離す。
もう駄目だ。
こうなったら、どれほどいたたまれない気持ちになろうと、多くの先駆者に倣って、潔く謝るしかない。
大丈夫。
自分は勇者。
勇気ある者、だ。
アキラは強く強く、自分に暗示をかけた。
「おっ、お待たせして申し訳ありません、勇者様!! 客人も、長らく……?……」
ドアが壊れんばかりの勢いで走り込んできた村長が眼にしたのは、待たされて多少なりとも苛立っている、来訪者の剣士と、
「? おや?」
いや、それだけ。
アキラはこつ然と、村長の屋敷から去っていた。
―――**―――
「マリス!! マリス、どこだ!?」
「ちょっと!! うるさいわよ!!」
転がり込んできたアキラに、エリーは午後の授業の準備の手を止め、アキラに怒鳴り返した。
だがアキラの視線は、エリーを飛び越え資料室を泳ぐ。
本の匂いに包まれた小規模な図書館。
ここには、孤児院の授業で使われる教科書が収納されており、一つきりの窓から差し込める小さな光と、その光を受けるソファが備わっている。
そのソファが、よくマリスが本を読んでいる定位置だということを、アキラはこの一週間で認識していた。
だが、
「マリス? マリスやーいっ!」
「っ、無視?」
駄目人間と認定しているものの、無視されるのはやはり面白くない。
エリーは取り出した資料を、入り口近くの机に無造作に投げ捨てた。
「マリーなら、お母さんと一緒に隣の町でお買い物」
「うっ、嘘だろ!?」
自分がここにいるというのに、アキラの顔が更に蒼白になる。
やはり、面白くない。
「じゃっ、じゃあ、前の食堂のおばさんだっ!!」
「へぇ……。あたしの優先順位はそれより下なわけ?」
わさわさとしているアキラの肩をガッと掴み、強引に落ち着かせる。
「くっ、止むを得ない……!!」
「あ、の、ねぇっ!!」
この男は、人をイラつかせる天才なのだろうか。
やれやれ、とため息をつき、窓のソファに腰をどかっ、と落とした。
ただ決して、窓の外から見えない位置に。
「なあ、決闘って、なんだ?」
「……は? え、えっと……」
「ほらぁ……、やっぱり知らないんだろ?」
「まっ、待って。思い出すから!!」
まるで自分を頼りにせず、諦めモード全開のアキラに、エリーは頭の引き出しを片っ端から開けた。
アキラが知りたいのは、決闘という言葉の意味ではないだろう。
必要なのは、“この世界における決闘とはどういうものを指すのか”、という情報だ。
「えーと、まあ、戦いよ」
「戦い? やっぱり? てか、嫌な予感するんだけど……」
「まあ……戦いっていうより、殺し合いね……。それを受ければ、勇者様も“しきたり”も何もないわよ。ただ純粋に、人間として戦うの」
「ほぉらぁぁああ~~、思った通りじゃねーか……!! 止めろよぉっ、そういう後付け設定……!!」
「あっ、あたしに言わないでよ……!! てか、あんた決闘受けたの!?」
頭を抱え、ソファにうずくまるアキラは、子犬のようにプルプル震えている。
今更ながらに、なぜこの男が“勇者様”なのか理解に苦しむ。
「……受けてない。でも、勇者と決闘するって奴に会った。向こうは俺が勇者って気づいてなかった」
ボソボソ漏れた言葉を拾い、エリーは、ほっ、と息を吐く。
「なんだ。じゃあ、受けなきゃいいじゃない」
「……え? できんのか? それ」
「ええ」
顔を上げたアキラの眼が、自分を頼っていることを感じ、エリーは得意げに頷く。
ほらみなさい、あたしでも解決できるじゃない、と。
「相手が申し込んできても、『勇者様に無礼なことは慎め』とか言えばいいのよ。まあ、受けたら終わりだけど」
「お……おおっ!!」
アキラの顔が、ぱあっと明るくなる。
エリーは得意げになって続けた。
「だから、あんたは相手が何を言っても無視すればいいのよ。決闘に必要なのは、“本人から直接聞いた名前”。“自己紹介”が行われていないなら、決闘は成立しないわ」
「…………う……うわぁぁぁあああーーーーっ!!」
「なっ、何よ!?」
アキラの顔が反転したとき、孤児院のチャイムが鳴らされた。
―――**―――
「……?」
「マリー、どうしたの?」
「いや、」
隣町に向かう馬車に揺れ、マリスは眠たげな眼をリビリスアークに向けた。
隣に座ったエルラシアも、それに倣って自分の生まれた村を振り返る。
馬車の窓の向こうにかすむ村は、何一つ変わらず平和に見えた。
「なんか、変な感じがしたんす」
「え?」
「いや、気のせいかもしれないんすけど……」
「……ああ、大丈夫よ。エリーも、アキラさんもいるんだから」
「……そう、なんすけど、」
怪訝に眉を寄せるマリスを見て、エルラシアは小さく笑った。
おそらく、マリスは“勇者様”から離れることに、妙な抵抗があるのだろう。
自分の娘たちは、随分と彼にご執心のようだ。
マリスはもとより、エリーも。
試験のストレスで、口数が減っていたエリー。
その試験がようやく終わっても、本来の自分を忘れてしまったかのように、自分を作っていたような気がする。
その上、念願の入隊式が流れ、婚約が結ばれた。
本人の意思とは関係なく、だ。
エルラシアからしてみれば、エリーの心が今度こそ塞ぎ込んでしまうのではないか、という懸念が頭から離れなかった。
だが、今のエリーは、元の、魔術師隊を目指す前のエリーに戻っている気がする。
自分を作ることもせず、自然に、元気に。
勇者様に怒鳴りつけているのは、“しきたり”としては問題なのだが、やはり、それより優先される“親”の感情が、エルラシアに笑みを与える。
「じゃあ、買い物をさっさと済ませて、早めに帰りましょうか」
「……分かったっす」
ただ、マリスの懸念は、それとは別のものだった。
なにか、良くないモノが、あの村に近づいているような、そんな、悪寒。
―――**―――
相手の名を知り、相手に自分も名乗る。
そうすることで、これは“辻斬り”ではなく、“決闘”に昇華される。
互いを知る者なら、いかなるときも決闘が可能。
だが、そうする者は少ない。
何故なら、相手を知る以上、そうすることは通念上望むべくことではないのだから。
だから、決闘前に、名があることを伝えるそうだ。
相手は、自身と同じ人間。
それを認識し、認識させ、冷静さを取り戻す。
元来は、決闘阻止のために生まれた“しきたり”。
それが、決闘の大前提だそうだ。
「…………」
「…………」
広さは、なんとか野球に使えるほど。村一番の公園で、アキラとサクは向かい合っていた。
一人は殺気に似た怒気を飛ばし、もう一人は青白い顔で微妙にうつむいている。
公園には、その二人を囲うように村の人々が集結し、各々不安と興味が入り混じった表情を浮かべていた。
「……まさか未だ村に留まっているとは思わなかった……。だが、先ほどの非礼は、詫びない」
「……ごめんなさい」
よく通るサクの声に対して、アキラがか細く出した声は、先ほどのアキラの様子を知っている最前列のエリーにしか届かなかった。
「ただ、互いの名を交わしたのは私にとって幸運だった」
アキラにとっては、不運だった。
そう、幽霊のように生気のないアキラの顔を見ながらエリーは正しく結論付ける。
孤児院に、あのサクという少女を引き連れた村長たちが押し寄せたのは、つい先ほど。
“自己紹介”が済んでいる以上、村長たちも止められないと諦め、この公園を“場”として提供してきたくらいだ。
以来アキラはあの表情のまま、死刑執行を受ける囚人のようにとぼとぼこの場に誘われた。
「改めて、互いの名を交わそう。私は、サク」
「…………」
「…………私は、サクだ」
「…………」
「聞こえているのか? ヒダマリ=アキラ」
「……はぃ。ヒダマリ=アキラです……」
はあ、とエリーはアキラの小さな声より大きなため息をついた。
あの“勇者様”は、あまりに情けない。
ただ、ようやくアキラが何を恐れて身体を震わせているのかが分かってきた。
あの、サクという少女に、だ。
離れたこの場で見ていても、サクが先天的に持っているような空気が感じられる。
触れれば切れそうな鋭い雰囲気。
それでいて、熟練者を思わせる落ち着いた物腰。
そして、腰に下がった怪しげな長刀。
戦えば無事では済まないというのは、エリーにしてみれば一目瞭然だ。
対して、その空気に呑まれている、一般人にしか見えないアキラ。
蛇に睨まれた蛙が表情豊かなら、今のアキラのような顔になるのだろう。
「決闘のルールは知っているな? どちらかの戦闘不能、もしくは棄権によって終了する」
決闘前の式辞を述べ、サクは手を、すらりと長い日本刀に当てる。
だがその表情は、その剣よりも鋭くアキラを射抜いていた。
「決闘の理由は……その、……先に話したな……!」
「…………」
サクがどこか赤くなり、雑念を振り払うように小さく顔を揺すった。
その理由とやらをエリーは知らないが、やはりサクは本気らしい。
アキラは黙って、ただただサクの言葉を聞いている。
だが、いつでも動けるように腰を落としたことだけは分かった。
「……あのバカ」
エリーはそれを見て、小さく漏らす。
アキラの頭には、きっと、棄権という選択肢が浮かんでいないのだろう。
アキラは、小心者の癖に、いや、小心者ゆえか、妙に見えを張りたがる。
これほど村の人間が集結している前で、ギブアップはできないとでも考えているに違いない。
隣の村長など、“勇者様のお力”とやらを間近で見られると嬉々としている。
それに加えて、さきほどサクとの会話もあり、いたたまれない気持ちにアキラはなっているのだが、エリーの予想は大きく外れていなかった。
「……」
「……」
両者はただ向かい合い、お互いを図るように見る。
サクは怒気を向けているようだが、エリーには、アキラの表情が読み取れなかった。
静かに、サクを見つめるだけ。
何を考えているのか分からない。
ただ、びびって動きを止めているようにも見えるが、もしかしたら、何かを考えついているのかもしれない。
そう考えると、エリーの脳裏には、どうしても“あのとき”のことが浮かぶ。
巨大マーチュとの戦い。
『勇者の血が目覚めた』とかなんとか言い出したときには、呆れ顔を向けることしかできなかったが、その直後、アキラは確かに巨大マーチュを倒す力を生みだした。
本当に、“ピンチ”を“勝利”に変えられる、おとぎ話の勇者のように。
だから、今回も、もしかしたら。
「では、いくぞ……!!」
「っ、」
そんな思考をエリーが進めている中、決闘は始まった。
「―――」
「っ、―――」
サクが刀に手を当て、地を蹴った瞬間、エリーは悟った。
サクにした評価は、微塵にも間違っていなかったことを。
地を鋭く滑るように駆け出したサクは、一瞬でアキラとの間を詰め、居合いの要領でアキラに切りかかる。
アキラは、動かない―――
「きゃ……」
「…………」
「…………」
エリーからも、多くのギャラリーからも小さな悲鳴が漏れた。
沈黙を保っているのは、当事者の二人だけ。
サクの刀の切っ先は、アキラの喉元数ミリといったところでピタリと止まり、予想された惨劇は回避されていた。
「…………何故、止めると分かった?」
「…………ふ、」
切りかかったサクはそのままの体勢で、アキラを鋭く睨む。
するとアキラは、深く眼をつぶり、次に、どこか達観したような瞳をサクに向けた。
「何も分からないまま殺されそうになった。……それだけさ」
アキラは、何故か口調だけはクールに振舞い、ガタガタ震えながら一歩二歩と下がった。
怯え切った目は、サクではなく、自らの命を刈り取ろうとした長剣に向いている。
「……って、あんた何やってんのよ!?」
「しっ、知るかぁっ!! 死ぬっ、これっ、マジで!! てか速っ!?」
ほとんど涙目で、サクからさらに離れ続けるアキラの背は、後ろのギャラリーにどんどん近付いていく。
「……ふざけているのか?」
初激で相手の実力をはかろうとしたサクは、抜いた刀を鞘に戻し、再び居合いの構えを取る。
アキラはその光景が、先日の小さなマーチュの突撃ポーズのように思えた。
しかも今度は、ふんだんに死の香りがする。
「そっ、そだっ。きっ、君はそんなに悪い人じゃない!! 人を殺そうなんて思わないだろう!?」
「……何を言い出している?」
取ってつけたようなアキラのセリフは、サクの睨みに封殺される。
先ほどの場所から一歩も動かず、この決まり文句をクールに言えればあるいは効果があったかもしれないが、今となっては単なる命乞いにしか聞こえない。
アキラはご都合主義唯一の頼みの、『諭して戦闘を終える』という突破口をものの見事に潰していた。
「確かに私は人を殺さない……。だが、決闘となれば、勇者も人もない……!!」
「そっ、そうですか~っ、って違う!! 俺は、おっ、お前を、しんしる!!」
か、噛んだ……。
エリーは冷ややかにアキラを眺めるが、サクはかえってヒートアップしていった。
「……、おっ、お前が戦うつもりがないなら仕方ない。命だけは助けてやろう」
「ぉ、ぅ?」
サクがプルプル震えながら出した言葉に、アキラはそれだけを捉えて表情を緩める。だが、明らかに、アキラの説得が効いている顔ではなかった。
「なに。寝込むだけだ。一月ほどな……!!」
「ヘルプッ、ヘルプッ!!」
「アッ、アキラ様!!」
アキラが外聞を捨て、今まさにギブアップをしようとしたところで、村長、ファリッツが叫んだ。
「おっ、お力をお見せください!! その無礼な女に、なにとぞっ!!」
ファリッツからしてみれば、地元の希望の星がこんなところで破れることは許されない。
しかも、いきなり訪ねてきて勇者の所在を聞き出そうとした相手に。
ましてや“決闘”だ。
長年待ち望んだ異世界からの来訪者には、ここで敗北してもらうわけにいかない。
だが、それを隣で聞くエリーは、嫌悪に近い表情を浮かべた。
ファリッツは、アキラのことをまるで分かっていない。
アキラは、あの“勇者様”は、今やどう見ても孤児院の従業員。
そんな一般人が、サクほどの実力者相手に何をしろというのか。
希望の星が汚れるどころか、消えてしまうかもしれないというのに。
「勇者様!! 巨大マーチュを撃破したという、あのお力を……!!」
「……!!」
隣のファリッツの叫びを聞き、今度エリーに浮かんだのは悪寒。
そうだった。
あの、一般人は、
「っ、そうだ!! あるじゃん!!」
アキラの手のひらから、光が漏れる。
色は、オレンジ。
太陽に溶け込むその色は、しかし収束し、アキラの右手に確かなモノを形作っていく―――
「! ようやく来るか……、日輪属性……!!」
アキラの手に、クリムゾンレッドの銃が現れた。
竜の顔に似たそれからは、改めて見ると、絶大な魔力が溢れだしている。
「“具現化”……。見たところ魔道タイプのようだが……、まあ、見せてもらおうか……!!」
「はっ、でかいことはこいつを受けてから言うんだな……!!」
「だっ、だめ~~~っ!!」
途端態度のでかくなったアキラから出たのは、勇者というよりタチの悪いチンピラのような言葉。
だが、不敵に笑って銃を構えるアキラに届いたのは、聞き慣れた怒号。
ギャラリーに溶けていたエリーの静止の大声だった。
「あっ、あんた、そんなのここで使ったらどうなるか分かってんの!?」
「えっ、あっ、」
「てか、殺す気!?」
唯一の希望に全力で飛び付いたアキラは、冷静になってみると、自分がしでかそうとしていた行為の重大さに気がついた。
巨大マーチュを山ごと一撃で葬り去った絶大的な一撃。
それを放てば、サクはもちろん、この村ごと消し飛ぶことになろう。
それもその反動で、発射口ずれる可能性が多分にある。
地図からリビリスアークの名が消える日の足跡が、確かに聞こえてきた。
「なんであんた、0か100しかないのよ!?」
「0は言い過ぎだろっ!!」
「何を話している!?」
サクの声が二人のやり取りを鋭く切り、アキラを凍りつかせる。
体制は、今すぐにでも切りかかってきそうだ。
「その技の威力は知っている。だが、放つ前に勝負を決めればいいのだろう?」
サクの考え方は自然だ。
威力の高い魔術は、放つのに当然時間がかかる。
“魔力”、“時間”、そして“生命”。
その何かを差し出すことで、魔術は生まれ、対価が高ければ高いほどその威力は増す。
サクの見立てでは、あのオレンジ色の絶大な閃光の対価は、“魔力”、そして“時間”。
膨大な魔力はともかくとして、放つのに時間はかかるはずだ。
それなら、あの運動能力で劣るアキラを切り捨てることは可能のはず。
しかし、エリーはそのサクの思考を読んでなお、村の危機を感じずにはいられなかった。
あの技には、チャージがない。
先のマーチュ戦も、アキラが何の気なしに引き金を引いたら、閃光が飛び出したのだ。
いかにサクが素早いとは言え、“カチッ”で済むアキラの方が、遥かに早い。
それも、サクの突撃に下手に驚いて誤爆されでもしたら、関係のない方向に破壊の閃光が飛び出し、無差別テロが完成するだろう。
「じゃっ、じゃあっ、どうしろってんだよ!?」
「大人しく切られなさい!!」
「だからお前に相談したくなかったんだよ!!」
怒鳴り返したアキラは、しかし、構えた銃をゆっくり下ろす。
このまま撃てば、“人殺しどころかエリーが悲しむ”。
それが、なんとなく、嫌だ。
風邪はもう、治っているはずなのに。
「行くぞっ!!」
「っ、―――」
サクが再び地を蹴った。
アキラは銃を構えられない。
せめてサクが跳躍してくれれば威力を見せることができるのに。
サクは、もう、眼前に迫っている―――
ガキッ
「―――っ」
「……」
「……!?」
銃を下ろしたまま硬直していたアキラの耳に届いたのは、何かと何かがぶつかる衝撃音。
そして、目の前にいる、二人の人物だった。
一人は、サク。
居合いの勢いそのままに、アキラに襲いかかった対戦相手。
そして、もう一人は、
「何のつもりだ? 決闘中に」
「……エリサス=アーティ。それが、あたしの名前」
拳に付けたナックルガードで、サクの一撃を止めたエリーだった。
スカーレットの火花が散り、その長刀を、両手で防いでいる。
「……そうか、サク、だ」
サクは“察して”、“自己紹介”を済ますと、ふっと笑った。
そして、エリーに押し返され、定位置にバックステップで下がる。
アキラはその光景を、エリーの背中越しにぼんやりと眺めていた。
ギャラリーは、エリーの乱入に、騒ぎ出す。
「って、お前!!」
「決闘の途中参加はありよ。もっとも、相手が認めた場合だけどね」
エリーは、きっ、と表情を引き締め、長い髪をゴムで止める。
サクより長いポニーテールが目の前で揺れたかと思うと、エリーはくるっと振り返り、アキラを疲れたような目で見た。
「ナッ、ナイスだ!! その後付け設定!!」
「はあ……、あんたほっとくと、魔王より早くこの村を滅ぼしそうだからね……」
「勇者に従者は付き者か……」
「従者じゃないっ!!」
エリーは叫んで、身体を魔力で覆う。
どの属性でも、最低限は可能な身体能力向上と防御幕。
それすらできないアキラは、エリーからもう一歩下がった。
「てか、お前大丈夫なのか?」
「大丈夫よ!! 勝てばいいんでしょ、勝てば!!」
エリーの拳から、スカーレットの炎が漏れる。
足を守るプロテクターは持って来なかったが、万が一にとナックルガードだけは持て来てよかった。
「あの巨大マーチュ見たら、大体何も怖くなくなるわよ!!」
最後にそう言って、エリーはサクを睨む。
サクはその間に、長刀を再び鞘にしまっていた。
「火曜属性……か」
エリーにはじき返された自らの愛刀をちらりと見て、サクは意識を集中した。
すると、その長刀も、エリーの拳のように光を漏らし始める。
色は、オレンジより希薄な、イエロー。
だがそれは、スパークし、いかにも鋭そうな閃光を放つ。
「……、金曜属性、武具強化型……!」
それを見ながら、エリーは試験科目の実戦知識を頭の中から掘り返す。
金曜属性。
全属性中、最も硬いとされる魔力。
そして、戦闘スタイルは、武具強化型。
エリーと同じように、得意な武具に魔力を込めて攻撃するタイプだ。
「ふっ、」
「……!」
それだけ確認すると、エリーはサクに飛びかかって行った。
自分は遠距離攻撃が苦手だ。
どの道近づいていかなければならない。
「っ、」
サクも刀に魔力をほとばらせたまま、突撃してくる。
互いに視線を交差させたまま、一撃を、放つ―――
「―――!?」
「っ……」
かすっ、た。
回避、された。
サクの横なぎの一撃を、拳で受けるのは危険と判断したエリーは、とっさに身をかがめていた。
互いに身体が一瞬止まる。
自分の必殺の居合い切りが回避されたサクも、大分余裕を見て回避したのに髪を掠められたエリーも、相手のレベルに目付きを鋭くした。
「っ、てぃっ!!」
「くっ―――」
切りつけて広がっていたサクの腹部に、エリーは拳を突き上げる。
だがその拳は、身体をコマのように回したサクの着物の襟の一部を焼いただけだった。
回転し、再びエリーを襲うイエローの閃光を放つ日本刀。
それを確認するや否や、エリーは全筋力を使い、後方へ跳ぶ。
空を切った刀は、エリーの離脱を確認したサクによって再び鞘に戻された。
「はあ……はあ……」
「……ふう……」
互いに距離を取り、息を整える両者を、ほぼ完全にギャラリーと化したアキラは、茫然と眺めていた。
「って、お前強いじゃん!!」
「あんたが弱すぎんのよ!! あたしだって、これぐらいは……!!」
アキラの声に律儀に叫び返したエリーは、再び居合いの構えを見せるサクを睨んだ。
確かに、サクは強い。
だけど、あの巨大マーチュほど絶望的な力は持っていないのも確かだ。
一応、魔術師の試験には実戦という項目がある。
模擬戦闘だから実戦ではないとはいえ、エリーの実力は、一応国を守る及第点に達していた。
エリーが拳を繰り出し、サクがぎりぎりで避ける。
サクが居合いを繰り出し、エリーの髪を掠る。
武術と剣術。
対極のようで通じる物のある二つの戦法は、魔力を散らし、白熱していく。
ただその熱も、ときおり、アキラから漏れる『うりゃっ!!』だの『ていっ!!』だのの言葉に、いいタイミングで冷めていく。
あたしはあんたの操る格ゲーとやらのキャラじゃない。
そんな見当外れの方に向かう怒気を、足に込めて蹴りを見舞う。
その攻撃を、地をダンッ、と蹴って避けたサクは体勢を整えると、またも刀を鞘に入れ、構えたままふっと笑った。
「流石に勇者の仲間……。やるな……!!」
「あなたもね……」
「おお……、なんか本格バトル物っぽい」
「黙ってなさい」
やはり律儀にアキラに返すと、エリーは拳の光を強くした。
流石に金曜属性は硬度が高そうだ。
まともに受ければ、拳ごと真っ二つにされるだろう。
硬さだけなら、爆発的な威力を誇る火曜属性のインパクト時に相当する。
だから少しでも魔力を込め、いつでもインパクト時の力を出せるようにしておかなければならない。
「だが、あまり、戦闘を経験していなさそうだな……。なぜ最初の攻防、二激目を回避した直後、襲いかかってこなかった?」
「……!」
「センスはあるが……、まだ、荒削りだな」
「まずい、敗北フラグが立った!! どうする!?」
「サク、って言ったわよね? ちょっと待っててくれる? 後ろの奴の口を塞ぐまで」
大人しく黙って見ていられないのか。
エリーはそういう意味合いの睨みを後方に送ると、アキラは黙り込んだ。
それでいい、と頷いて、再びサクに向かい合おうとしたとき、何か異変を感じた。
アキラが、何故か、妙な顔つきをし、虚空を睨んでいるのだ。
ギャラリーは、ただただ、自分とサクの戦いを見ているが、アキラだけが、何故か、空を。
「……なあ、なあ、」
「……今度は何だ?」
アキラは上を見て、エリーはそのアキラを見ている。
今度は、決闘に色々と茶々を出されていい加減に苛立っているサクが、アキラに応じた。
だがアキラは、どれほど殺気を飛ばしても、茫然と空を見ているだけだ。
「あれ、何だ?」
「何って…………!?……」
アキラに指差され、ようやく、エリーもサクも、そして、ギャラリーも空を見上げる。
すると、晴天の空に、何か一つ、巨大な影のようなものが見えた。
その影は、弧を描くように旋回し、村を目指して降りてくる。
「―――!?」
ズゥンッ、と衝撃音が聞こえたときには遅かった。
その何かは、丁度エリーとサクの中央に降り立ち、身を震わせる。
太い身体に、太い腕。
背中に仕舞われた翼は、身体に倣って大きい。
濁った土の色の体肌には、毒々しい膿のような膨らみがいくつもあり、マーチュのように身体中に鋭い棘が付いている。
総てを切り裂くような長い爪と、総てを砕くような鋭い牙。
大きな口は、巨大な顔の中でも確かな存在感を示すように裂けている。
ただ、その姿は、太った竜のように見えなくもない。
「う……うそ、まっ、まさか、アシッドナーガ!? 正式名称は、」
「そっちはいい!! モンスターなんだろ!?」
「うっ、うわぁぁーーーっ!!!!」
そのモンスターを視認した途端、ギャラリーは蜘蛛の子を散らすように広場から駆けだしていった。
村長、ファリッツも、従者に囲まれ一目散に逃げ出す。
結果、広場に残ったのは、アキラとエリー、そして、その巨竜の反対側に立つサクだけとなった。
「なっ、なんでこんな所にっ!?」
「っ、」
サクは、回り込んでアキラたちに駆け寄る。
落ちたばかりで蠢くだけだが、こんなレベルのモンスターの出現時、一人でいるのは危険すぎる。
それにしても、アシッドナーガとは。
激戦区の最前列にいても、まず見ないモンスターだ。
魔王の牙城に侵入してようやく見かける程度か。
“魔王の種類”によっては、下手をすれば魔界に乗り込まないと出会えないかもしれない。
噂でしか聞いたことのない、一般人にしてみれば伝説のモンスター。
そして、その実力も、出現場所の期待を裏切らない高レベル。
下手にブレスでも吐かれようものなら、こんな村など瞬時に火の海と化すだろう。
「あっ、あのモンスター、やばいのか!?」
「やばいなんてもんじゃ……、ああっ、まずいっ!!」
「ふっ、二人ともっ、落ち着け!」
アキラはアシッドナーガの外見に、エリーは自ら持つその知識に震える。
そんな二人を嗜めようとするサクも、何の活路も思い浮かばなかった。
「グルルッ、あー、あー、」
「……!?」
三人が震えていると、降り立ったアシッドナーガから、野太い声が漏れた。
そしてその巨体をのそのそと回し、三人に向き合う。
「あー、あー、お、前、ら、魔、術、師、か?」
「しゃっ、喋った!?」
「「!!?」」
明らかに異形の存在が発した音声が言葉と認識でき、アキラは顔を歪める。
決闘の途中にモンスターが乱入してくるというのもお約束だが、眼前の光景は、そんなことを考える余裕をアキラに許さなかった。
そして、残る二人の顔は更に青ざめる。
隣の男はただ物珍しいということに驚いているのだろうが、“言葉を話すモンスター”の意味を、エリーもサクも知っていた。
知性がある、ということがまず一つ。
そして、最も恐ろしいのが、“魔術の詠唱が可能”ということ。
つまり、あの巨大マーチュのように魔力の量に任せて放出するのではなく、確かな技術を持って魔術を扱うことができるのだ。
目の前のアシッドナーガは、それほどまでに成長した存在。
「魔、術、師、か?」
「……そっ、そう、よ」
恐ろしいことに表情まであるアシッドナーガが、不満そうに顔を寄せたのを見て、エリーが返答する。
下手に刺激すれば、この村が危険だ。
「そ、う、か……。俺、は、魔、王、様、直、属、の、ガ、バ、イ、ド、様、直、属、の、ゲ、イ、ツ、だ」
魔王様直属のガバイド様直属のゲイツ。
それはもう魔王様から大分離れた身分だ、というつっこみを、アキラが飲み込むのは容易だった。
今は、そういう雰囲気じゃない。
「そっ、そんなあなたが、ここに、何の、用?」
声を絞り出すように、エリーは言葉を紡いだ。
もう背中は、汗に濡れている。
見た目もさることながら、話すだけで危険な魔力が荒れ出すゲイツに完全に呑まれていた。
一方サクは、一言も発せない。
長らく旅を続けてきたとはいえ、こんなモンスターに出遭ったこともない。
話に聞いた程度だが、アシッドナーガの実力は、今まで倒したモンスター全てを足しても、届くかどうか分からないほど。
その上、“言葉持ち”。
力を、想像することもできない。
「俺、は、探、し、て、る。キャ、リ、イ、を、殺、し、た、奴、を」
エリーは、太っているせいで潰れかかっているゲイツの瞳に、怒気が入り混じっているのを辛うじて察することができた。
だが、言葉の意味は分からない。
キャリイ。
おそらく誰かの名前なのだろうが、聞いたことはない。
「あなた……何を言って……」
「俺、は、知っ、て、い、る。こ、の、村、に、い、た、奴、が、キャ、リ、イ、を、山、ご、と、吹、き、飛、ば、し、た、こ、と、を」
たどたどしいゲイツの声を拾った二人は、後ろにいる残ったギャラリーに視線を向けた。
アキラは一瞬眉を寄せ、そのあと、顔を一気に青くさせる。
あの巨大マーチュがキャリイとイコールでつながった瞬間の当然ともいえる反応に、エリーとサクは顔をそむけ、諦めたようにゲイツに向き合った。
二人とも、呪いのような言葉を吐き捨てたのは、アキラの気のせいではないだろう。
「せっ、か、く、育、て、た、の、に、キャ、リ、イ……!!」
「あっ、あのっ、そいつを見つけてどうする気?」
悲哀に歪んだゲイツに危険な香りを嗅ぎ取り、エリーは会話を続けようと急いで声を出す。
下手に感情に任せたら、村をその勢いで消しかねない。
「殺、す」
どうぞ~、とサクが一歩退きかかったとき、
「こ、の、村、も、殺、す。み、ん、な、殺、す」
何の解決にもならないと悟ったエリーがその腕を抑えた。
サクは諦めたように刀に手を当てる。
エリーは、ちらりと広場を見渡した。
十分に、広い。
流石に決闘場に選ばれただけはあって、村で戦うとしたらここしかない、という場所だ。
「どうする? 外に連れ出すか?」
「……いえ、ここで」
移動させるとなると、自分たちは当然村の中を駆け回ることになる。
下手に陽動しようとして、村そのものを破壊されては元も子もない。
ならばむしろ、一応は広いこの場を選ぶべきだろう。
もしこの場で収まらないのなら、どこで戦っても村の存亡は変わらない。
「ガ、バ、イ、ド、様、も、悲、し、ん、で、い、る。俺、も、悲、し、い」
「相手に遠距離攻撃をさせるのは危険だ。村が危ない」
「ええ。波状攻撃で、近距離戦に持ち込むわよ」
先ほど実力を計った者同士、最小限の言葉で戦略を決め込む。
たとえ危険なモンスターといえども、“魔物”であって“魔族”ではない。
一匹だけなら、何とかなるかもしれないという勝機あっての作戦だ。
危険であることには変わらないが、何とかなるかもしれない。
ただ、問題なのは、足手まといがいるということ。
「アキラとか言ったな。戦えないのなら、邪魔にならないように……」
意識だけはゲイツに向けたまま、サクはちらりと振り返った。
しかし、
「……いない……だと……!?」
「いや、あっちにいるわ」
真後ろではなく後方。
広場の外に視線を移すと、アキラはちゃっかり物陰に身を潜めていた。
「…………ある意味利口だな……。だた、本当にあれがキャリイとかいうのを倒したのか?」
「信じられないけど、ね!!」
その言葉を皮切りに、エリーは跳んだ。
両拳どころか全身にまとうのは、スカーレットの閃光。
温存を考えずに、防御までにも手を回し、火達磨のようになってゲイツに襲いかかる。
「ギィィィアアアーーーッ!!」
「ノヴァ!!」
威嚇するよう雄叫びを上げたゲイツに、エリーは拳を叩き込んだ。
先のマーチュ戦と違い、詠唱しながらの爆裂拳。
狙うは短期戦だ。
早く終われば終わるだけ、村への被害は少なくなる。
「っ―――」
バンッ、という爆発音は、エリーの拳とゲイツの爪から響いた。
強烈な爆竹を鳴らしたようなその音を響かせても、ゲイツの爪はひび一つ入らない。
「グググッ!!」
「っ、きゃっ!?」
ゲイツがその腕を払った勢いで、エリーを蹴散らす。
知能や技能を優先させた“神族”の使い魔と違い、“魔族”の使い魔は筋力と魔力を優先させたものが多い。
その力は、エリーの火曜属性の魔術でも、押し返すことはできなかった。
しかし、
「―――!?」
エリーを振り払った直後、ゲイツの瞳に映ったのは無防備になった腹部に切りかかるサク。
必殺の居合いは、まさに神速。
鋭く切り込むその攻撃は、イエローの魔力をほとばしらせ、ゲイツに襲いかかる。
「!!?」
「ギィィッ!!」
サクの攻撃は、巨大な腕からは想像もできない素早さで動いたもう片方の爪に止められた。
流石に鋭い金曜属性の剣激に、ゲイツの爪に切りこみが入るが、それも僅か。
「ぐっ、わっ!?」
その腕の筋力に任せた振り払いは、サクの身体を数メートル飛ばして蹴散らした。
だが、その、振り払った側。
「ふっ、」
いつの間にか回り込んでいたエリーが拳を振り上げていた。
狙いは、たった今、傷の入った爪。
金曜属性の硬度で傷ついたその爪に、インパクト時の威力が高い火曜属性の攻撃が加われば、
「ノヴァッ!!」
「ギッ、ギィィィイイイアアアーーーッ!!」
一つの鋭くも太い爪に、ガラスが砕けるように何筋もひびが入った。
強固さを誇ったその爪の一本は、二人の攻撃で何とか封殺できそうだ。
「ギィッ!!」
「っ、」
「―――」
エリーは再び弾き飛ばされる。
だが、次いで、サクが切りかかった。
とにかく、誰かがゲイツの近くにいなければならない。
「ふっ、」
「っ、―――」
エリーとサクは、交互にゲイツを攻める。
爪は、左右の四本指合わせて八本あるが、その全てを破壊するのは、“駄目だ”。
物理攻撃を封殺してしまえば、ゲイツは魔術を使い始める。
こんな村の中で、そんなことをさせてはならない。
そして、倒すのも、もしかしたら危険かもしれない。
どれほど魔術を蓄えているかは知らないが、村の中で爆発させるのも本来望むべくことではない。
深手を負わせて追い払う。
それが、理想だ。
だから、砕けそうな爪は、突破口。
その一点だけを攻め続け、ゲイツにダメージを蓄積させていく。
「ギィィイッ!!?」
ついに、エリーの一撃が一つの爪を砕いた。
サクの表情も、若干緩んだ。
いける。
そう思いながらも、気だけは緩めず、二人は攻め続けていった。
―――**―――
強い。
いや、弱い?
アキラは二人とゲイツの戦いを安全地帯で眺めながら、先のマーチュ戦と比べていた。
あの、ゲイツと名乗ったモンスター。
確かに爪などに硬度があり、防御力は高そうだ。
そして、二人を腕のみで弾き飛ばしているところを見ると、筋力もある。
だが、あの、身体の大きさに任せて暴れ回っていたマーチュに比べると、もう一つ、という評価を下さざるを得なかった。
巨大な猛獣に首輪を付ける者が、必ずしも猛獣より強いというわけではない、ということだろう。
エリーとサクの二人がうまくゲイツの魔術を封じているからかもしれないが、それでも巨大マーチュの方が出会いたくない存在だ。
総合力はともかくとして、ゲイツは、巨大マーチュより、弱い。
そして、戦っている二人も。
「……」
エリーと、サク。
この二人も、あの巨大マーチュの“対戦相手となった少女”と比べると、弱い。
あの空を、身体にまとった閃光の勢いそのままに飛び交ったあのマリスは、攻撃力も速力も遥かに高かった。
あのゲイツの体など、マリスが放ったシルバーの光線に瞬時に貫かれそうではないか。
サクも確かに鋭いが、速くはない。
どうやら居合いの一撃のみ、辛うじて目で追える程度の速度になれるらしい。
“いずれにせよ、低レベルの戦いだ”。
「……」
その、“低レベルの戦い”。
そのはずなのに、自分はここにいる。
“伝説の勇者様”は、建物の陰に隠れ、その低レベルの戦いを見ているだけ。
参加もできずに。
「……」
分かっている。
このもどかしさは、丁度一週間前にも味わった。
あのときも、何かしたいとアキラは確かに思ったのだ。
それなのに、“一週間も時間があったのに”、自分はあのときと変わらない。
風邪で寝込んでいる間、もどかしかった。
完治したら村中走り回って、体を鍛え、魔術も習い、“勇者になりたい”と確かに思ったのだ。
それなのに、決めたはずのトレーニングは、三日坊主にすら及ばなかった。
アキラの視線は、スカーレットの魔力に包まれたエリーに向く。
たまたま目が覚めてしまったトレーニングの開始時間。
布団が恋しくて、動けなかった朝。
エリーは、自分がいるべき場所に立って、身体を伸ばしていた。
動こうにも、やはり身体は布団を求める。
エリーの視線がアキラの部屋の窓に向いたとき、アキラが取った行動は、窓から見えないように伏せること。
時間をおいて、恐る恐る窓から顔を出すと、すでにエリーはいなかった。
きっと、もう、走って行ってしまったのだろう。
エリーは、あのマーチュ戦で、自分を鍛えたいと思ったから、行ったのだ。
行っていれば、もしかしたらあの中に自分はいたかもしれない。
剣を振りかざし、二人と連携を決め、ゲイツを攻め続けていたかもしれない。
何故“このとき“にならないと自分はやろうと思えないのか。
何故“このとき”に必要な力を、持っていないのか。
今必要なのに、今の今まで。
自分は何をやっていた。
「っ、……」
人はいきなり変われない。
そんなことは分かっている。
“だけどそれは言い訳だ”。
“今ならいくらでも自分を責めることができる”。
明日からでも、あのトレーニングを再開しろ!!
そう、心の中は叫ぶ。
だけど同時に分かること。
きっとこの戦いが終わった日常でも、自分は変われない。
きっと“力”があると怠け、そして、次の戦いで後悔する。
その繰り返し。
この円は、同じところから動かせてくれない。
きっと、ずっと、そうだろう。
自分はずっと、レベル1。
「……」
ほら、また諦めた。
頭の中に、また声が生まれる。
そしてその声は、耳を塞いでも意味はなく、アキラを苦しめていく。
「……」
“この円じゃ、駄目だ”。
回りながらも、確かに上に進む円に自分は行かなければならない。
弧を描きながらも、昇り続ける螺旋階段のような、円に。
“きっかけ”は、もうあったはずだ。
異世界への来訪。
こんな奇跡的な“きっかけ”が、目の前にあった。
だけどそれは日常に埋もれ、霞んでしまっている。
打倒魔王、という“きっかけ”。
これも、霞んでしまっている。
結婚はごめんだが、いつまでも訪れない“それ”も、後回しで考えようとしていた。
もう、自分を変える“きっかけ”を、アキラ自身が見つけなければならない。
そうでなければ、今まで生きてきた意味を見つけることができない。
見つけなければ。
それを探そうとさえしなかった自分を、“救うために”。
「ノヴァッ!!」
「グッ、ガァッ!?」
エリーの一撃が、砕けた爪の隙間を縫い、ゲイツの腹部に突き刺さった。
土色の醜い顔を歪ませ、身もだえしたゲイツは、腕を振り払う。
エリーはうまくそれをくぐって避け、またも離脱する。
戦闘は、順調そうだ。
だが、
「グググッ、ガアッ!!」
「―――なっ、くっ!?」
これが知恵持ちの強さか、今までと同じようにエリーの反対側から切りこんだサクに、ゲイツは予期せぬ動きを見せた。
今まで身体に埋まり込んでいたのか、突如でん部から棘だらけの尾が飛び出し、鞭のようにしなってサクを打つ。
避けようもないサクが反射的に長刀で防いでも鞭のような尾は絡みつき、驚異的な筋力でサクの身体を刀ごと持ち上げると、そのまま強引に投げ飛ばした。
狙いは、跳びかかろうとした、エリー。
「きゃ、ぐ!?」
「あっ!?」
ゲイツから突如飛んできた人間砲弾を受けると、エリーとサクは抱き合うようになって広場を転がる。
「はっ、はっ、う……」
「っ、……―――!?」
悶えた二人が何と身体を起こすと、ゲイツは尾に残ったサクの剣を遠くに放り投げ、肉で埋もれた眼を閉じていた。
身体はグレーの光をほとばしらせ、震えている。
二人の位置はアキラとゲイツのほぼ中間。
今、二人が決して開けるわけにはいかなかったゲイツとの間が、ある。
「まず―――」
「ク、ウェ、イ、ク!!」
「っ、―――」
「―――」
ドンッ、と、ゲイツが野太い両腕を突き出すと、空気が震えた。
真空波とも表現できそうな空気の歪みが二人に届いたかと思えば、二人は巨大な鉄球に殴られたかのように宙を舞って吹き飛ぶ。
二人が瞬時に身体に発したスカーレットとイエローの魔力も、グレーの振動に吹き飛ばされるように散り、淡い光となって二人の軌跡を形作るのみとなった。
「ごはっ、ぐ、うう、がはっ!!」
「ぐっ、はっ、はっ、げはっ!!」
思わず一歩退いたアキラの眼前には、魔術の威力に、上半身の衣服を強引に引きちぎられたようなありさまの二人。
胸元から、エリーは淡いピンクのブラが、サクは胸に巻いた白い包帯のようなさらしが、引きしまった身体と共に覗いている。
おおっ、エロい! とはアキラには言えなかった。
もんどりうって苦しむ二人は、ただただ激痛に耐えるようにきつく目を閉じている。
振動を届ける魔術を直接身体に受け、二人の身体の中では、未だにその余波が暴れ回っていた。
「おっ、おい、大丈夫かよ!?」
「はっ、はっ、ごほっ!!」
「けはっ! あっ、あんた、がはっ! 何で、ここまでっ、ごほっ!!」
気づけばアキラの足は、広場の中に入っていた。
火に惹かれる夏の虫のように、戦闘に惹きつかれてしまったのかもしれない。
ただ、アキラの力は、実際虫のようなものであったが。
「……っ、あぅ、ああっ、みっ、見る、なぁ!」
「そ、そんなこと、言ってる、場合じゃ、ない、でしょ!」
自らのありさまに気づき、サクが破れた着物の前を閉じた。
それを嗜めるエリーも、口ではそう言っていても、同じように前を閉じている。
戦闘中でもやはり恥じらいはあるものなのか。
ただ、二人は、ゲイツの“詠唱魔術”の威力に、それくらいの行動しかできないのだけれど。
「くそっ、マリスはまだ、」
「そっ、それはダメ!!」
アキラの言葉に強く反発し、エリーは手のひらを地面に押しつけた。
暴れる身体を抑え込み、強引に立ち上がろうとしている。
何時しか流れ始めていた額の血も、未だメトロノームのように等間隔で身体を襲う激痛も無視し、“それ”だけ避けたいとでも言うように唇を強く噛んでいた。
「……お前……」
「……」
そこで、アキラは気づいた。
エリーは、“きっかけ”を、手に入れている。
あの巨大マーチュ戦、アキラはエリーのコンプレックスを垣間見た。
何でもできる妹。
それに恥じないように、姉であるエリーは、日々精進することができている。
その、“きっかけ”があるから。
だからエリーは、自分のために頑張れるのだ。
簡単なようで難しい、“自分のために頑張る”という行為。
それができているのだ。
認めたくないが、自分の、婚約者は。
じゃあ、アキラは、
「―――!! あれ、は!!」
顔を上げたときに飛び込んできた光景に、サクが叫んだ。
見れば、ゲイツは身体を震わせ、腕をブンッ、と振った。
すると、砕かれた爪の奥から新たな爪が生え出し、再び危険に鋭い両手の爪が生えそろう。
アシッドナーガの危険性。
それは、驚異的な竜族の筋力に、自己再生能力も備わっていること。
これでゲイツは、エリーとサクの攻撃を完全にリセットした。
二人に、甚大なダメージを与えて。
「グッ、グググッ、殺、す……!!」
いかに回復したと言えど、爪を砕かれたことへの怒りは収まらない。
ゲイツは身体を震わせ、身体中にグレーの閃光を纏う。
「まずいっ、あれっ、まさかっ!!」
「ギッ、ギガ、クウェイク!!」
「詠唱も、する気か!?」
忘れることもできない、あの、山を砕かんばかりの大魔術。
しかも、詠唱魔術。
空を飛べるマリスがいなければ、避けられもしない。
いや、それどころか村の中で使われでもしようものなら、
「どうす……ごほっ!!」
いくら立とうと思っても、身体がついてこないエリーは再び倒れ込んだ。
サクも立てない。
金曜属性の弱点の土曜属性の魔術を直接受け、ダメージは甚大だ。
「っ、―――」
自分たちが育った村が、壊滅する。
そう思っても、何もできない。
エリーは、いつしか衣服を抑える手も解いて、地面を強く叩き続ける。
その反発で起きようにも、身体はピクリとも動かず、バタバタと手足を暴れさせることしかできなかった。
顔だけ上げたうつ伏せの視線の先、ゲイツのチャージが完了している。
もう、これは、
「……?」
その、ゲイツに向けた視線の途中、誰かの足が現れた。
悩むまでもない。
そのスニーカーは、アキラのものだ。
“勇者様”は、あのときと同じように、自分を庇うように動いている。
「あっ、あん……た……」
「…………」
エリーの怪訝なうめき声が聞こえるが、向けられた主、アキラも、自分の行動がよく分からなかった。
手だてはない。それは、認める。
だけど、何故か自分は“こう”しなければならない、という欲求が、身体の中から沸き出てきていた。
アキラの視線の先には、醜い顔を邪悪に歪ませる、ゲイツ。
この村のどこにいても、死という結果を届けるであろう大魔術を放とうとしている。
だけど、自分はここにいたい。
自分は、エリーの前にいなければならない。
そんなことしか、考えられなかった。
熱はもう、ないはずなのに。
「おまっ、え……!!」
サクも、アキラの行動が分からない。
戦ってみても、何もできなかったアキラ。
そんな人間が、自分たちを庇うように立って何が変わるのか。
だがアキラは、背後からそんな視線を受けても、振り向きもせずただただゲイツを見ていた。
「…………」
もしかしたらこれは、“きっかけ”なのかもしれない。
アキラはおぼろげに、そう思う。
自分は、“自分のために頑張れない”。
絶対にどこか、妥協が出る。
言い訳が先に出て、自分を甘やかす。
だったら、いいじゃないか。
“他人のために頑張れば”。
こんな土壇場でそんなことを想っても遅いのは分かっている。
だけど少なくとも今、後ろにいる女の子が悲しむのは、耐えられない。
身体がそう叫ぶ。
きっかけは、手に入れた。
あとは、今、眼前に迫った“死”を、どう回避するか―――
「く、ら、え!!」
「―――!?」
ゲイツが魔力を纏い、虚空に急上昇した。
村全てが見渡せる教会の塔を超え、太陽と共にグレーの塊が青空に浮かぶ。
「!! まず、いっ!! あそこ、から、放つ気だ!!」
サクは苦痛に顔を歪めながらも避けんだ。
あの高度にゲイツがいては、どうあっても止められない。
遠くに墓標のように突き刺さっている長刀が手元にあろうが、自分の身体が全回復していようが、何も変わらないだろう。
確実な、死。
旅をしている以上その覚悟はあるつもりだったが、“そこ”にあるその香りに、身体は魔術と別に震える。
だが、
「「…………あ、」」
隣の二人は、途端呆けた。
表情から読み取るに、『え、いいの?』と言いたげだ。
「ギ、ガ、」
空に浮かぶ魔力の塊、ゲイツはそんな二人の様子に気づかない。
「ク、ウェ、イ、」
激昂に任せ、ゲイツが、その太い腕を村に振り下ろそうとした、その瞬間、
「バカめ飛んだなっ!!」
下から、そんなふざけた声が聞こえてきた。
そして周囲が瞬時に太陽色のオレンジに包まれる。
アキラは確かに、戦闘において虫だった。
だが、その虫は持っているのだ。
強力無比な、ロケットランチャーを。
「―――」
ゲイツは認識もできない内に、吹き飛ばされた。
そして、村の遥か上空で、大気を揺する爆発を起こす。
大きさは、広場ほど。
どうやら暴走させるほど魔力を蓄えていたマーチュと違い、ここで倒しても問題はなかったようだ。
「ぐっ、がぁぁぁあああーーーっ!!! いっでぇぇぇええええーーーっ!!!!」
「あんた……思ったより丈夫ね……」
その広場。
反動で小さなクレーターを作り、アキラはその中心でもんどりうっていた。
顔を苦痛に歪め、必死に肩を抑えている。
足元に転がる筒状の銃を八つ当たりのように蹴飛ばし、目には涙。
だが、サクは確かに見た。
この土だらけになって転がる男から、あの破壊の光線が出た光景を。
「はあ……、何であんたは、0か100しかないのよ?」
そのクレーターを覗きこんでいるエリーは、呆れ半分に笑っている。
「だからっ、0はっ、言い過ぎ……いっでぇぇえええーーーっ!! マッ、マリス!! マリスゥゥゥウウウウーーーッ!!」
苦痛いっぱいのアキラも、それが過ぎれば、『汚ねぇ花火だぜ』とか言いながら笑うのだろう。
何故かそんなことを、サクは思った。
“こんな人なら、仕方ないかもしれない”。
サクは、小さくため息をつき、胸元を止める手を強くした。
失礼はまずい。
そんなサクの口元も、どこか小さく、
―――**―――
「うっ、っ、がぁっ!!」
「応急処置は終わってるでしょ? 喚かないで」
「いやっ、死ぬっ、死ぬっ!」
「……状況を説明して欲しいっす」
マリスは眠たげな眼を、目の前の三人に向けた。
ベッドでもんどりうつアキラと、その脇で看病のようなあざけりのような行動をしているエリーは、いつもの通り。
だが問題なのは、その二人から一歩離れ、直立不動で立っている女性の剣士。
村に向かう途中の馬車で、エルラシアと共に見上げた空が太陽の色に染まったのは、マリスの半分しか開いていない目でも見えた。
近づきたがらない馬車の運転手を何とか説き伏せ、通常よりも早く馬を飛ばさせて来てみれば、孤児院の前にできた人だかり。
その人だかりをかき分け、特に執拗に入れてくれと喚いたファリッツの相手をエルラシアがしている間に飛び込んだこの医務室は、相変わらずの騒ぎ。
一体何が起こっているのかと聞こうにも、マリスの声はアキラのうめき声にかき消された。
「マッ、マリス!? やっと、あがっ!! たのっ、頼、むっ!!」
「察したっす」
マリスはエリーの対面のベッドの脇に近づき、手をかざす。
すると、アキラの身体はシルバーの光に包まれ、輝き出していった。
「う……うおぅ……」
やはり、あの光は、アキラの銃のものだった。
この外れた肩がいい証拠だ。
日輪属性のアキラに近づいて緩んだ頬のまま、マリスはため息を吐いた。
「前にも言ったっすけど、痛みは少し残るっすよ」
「……お、おおっ、ああ、でも、いや、まだ痛い」
そうは言いながらも、アキラの腕は動くようになっていた。
左腕だけで身体を起こすと、上半身だけ起こしてベッドの頭に背を預ける。
「じゃあ、何が起こったかを……」
「……って、うお!? お前!!」
マリスの声は、再びアキラの声にかき消される。
アキラの眼前には、エリーから借りた上着を羽織ったサクが立っていた。
「お前っ!! 居たのかっ!?」
「今気づいたの?」
慌てふためくアキラと違い、エリーはただため息を吐くだけ。
服の貸し借りをする間も大人しかったサクに対する警戒心は、薄れているようだ。
「!?」
「ちょっ、」
だが、アキラが起きたことを、正確に言えば話を聞ける状態になったことを確認すると、サクは腰から刀を抜いた。
しかしそれは、鞘ごと。
それを横に倒し、サクは跪きながらアキラに差し出すように両手で前に突き出した。
「“決闘のしきたり”により、私、サクは、勇者様に仕えさせていただきたく思います」
「…………は?」
自分が悶えている間用意していたのか、しっかりとした口調からスラスラと出てきた言葉に、アキラは耳を疑った。
「……にーさん、決闘したんすか?」
「はあっ!?」
今度はエリーに、マリスの声はかき消された。
「決闘の“しきたり”を……ご存じでしょう? 敗者は勝者に絶対服従」
だがサクは、そんなエリーの叫びも意に介さず、言葉を紡ぐ。
決闘のしきたり。
それは、最初に決闘を始めた両者、つまり、アキラとサクの間で主従関係が結ばれるというものだった。
「って、あれ、うやむやに、」
「うっ、うやむやになっても、私は決闘を始めてしまったんだ……!! だから、筋は通さないといけない……!!」
顔が赤いのは、恥ずかしいからだろう。
だが、筋は通す。それが、サクの考え方。
うやむやなままにしてしまっては、しこりが残ってしまう。
もともと旅を始めたのも、自分が仕えるべき相手を探すためのようなものだ。
ならば、目の前の“勇者様”。
眼前で見たあの光線の威力は、アシッドナーガを一撃で消し飛ばすほど絶大。
しかも、全くチャージの時間がないという即効性。
先の決闘で使われなかったのも、自分の身を案じて、と思い至ってしまえば、再戦を申し込む気にもなれない。
命も、救われている。
「先ほどまでの非礼は、“詫びない”。だけどこれからは、貴方に仕えよう。アキラ様」
最後に深く一礼し、サクは身を起こした。
「……」
それを正面から見据えたアキラは、状況に頭がやっと追い付き、口からかすれた笑い声を発する。
「……いいな。いいよ、この後付け設定……!!」
「よかったわ、ね!!」
「ぐ、がぁ!?」
顔だけ笑顔なエリーの平手が、アキラの右肩にバンッと張られた。
「てめぇっ!!」
「あんた調子に乗って、ふっ、不埒なことっ、しっ、したら……、わっ、分かってんでしょうね!?」
「なあ、サク、こいつを、何とか、」
「大丈夫ですか、アキラ様?」
サクは微笑んだまま動かなかった。
“そうすべきとき”は、自分で判断できる。
アキラもエリーも、予想通り、どこか笑っているのだから。
「あの~、」
そんな中、マリスがそろそろと手を挙げた。
本人たちは自覚がないだろうが、親密度が上がっている気がするアキラとエリー。
そして、そのアキラに仕えると言い出した見慣れない女性。
外の騒ぎ。
決闘という穏やかではない言葉。
いい加減、限界だ。
「状況を、説明して欲しいっす」