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No.12144の一覧
[0] おんりーらぶ!?【第一部】 【完結】[コー](2010/03/01 00:00)
[1] 第一話『ルール通りの世界なら』[コー](2011/06/19 20:53)
[2] 第二話『今必要なのに、今の今まで』[コー](2010/01/26 23:05)
[3] 第三話『天上は、遠く座す』[コー](2010/01/26 23:06)
[4] 第四話『視界はかすみ、輝きは遠く』[コー](2010/03/13 02:34)
[5] 第五話『異物たちの共演』[コー](2010/01/26 23:09)
[6] 第六話『声が届く場所』[コー](2010/04/19 01:04)
[7] 第七話『二閃』[コー](2010/01/26 23:13)
[8] 第八話『描けていた世界』[コー](2010/03/13 02:39)
[9] 第九話『迷子が迷い込んだ迷路』[コー](2010/03/13 02:41)
[10] 第十話『踊る、世界(前編)』[コー](2018/09/17 21:23)
[11] 第十一話『踊る、世界(後編)』[コー](2018/09/17 21:22)
[12] 第十二話『儚い景色(前編)』[コー](2010/01/26 23:21)
[13] 第十三話『儚い景色(中編)』[コー](2010/01/26 23:22)
[14] 第十四話『儚い景色(後編)』[コー](2010/03/01 00:00)
[15] 第十五話『煉獄を視たことはあるか』[コー](2011/06/19 20:54)
[16] 第十六話『オンリーラブ(前編)』[コー](2011/06/19 20:54)
[17] 第十七話『オンリーラブ(後編)』[コー](2012/09/07 01:06)
[18] 後書き[コー](2010/01/26 23:43)
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[12144] 第一話『ルール通りの世界なら』
Name: コー◆34ebaf3a ID:f1d928fa 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/06/19 20:53
―――**―――

 物語は無数にある。

 ときに数多の人生が、ときに数多の作品が、この世界を物語で満たしていく。

 それが形をなすための媒体は様々だ。
 本で、テレビで、映画で、インターネットで。
 思考で、感情で、想いで、魂で。

 物語は紡がれていく。

 そしてそのどれもが、キラキラと輝いて、そこに在る。

 また、
 ときには、そのストーリーに惹きつけられ。
 ときには、その登場人物に惹きつけられ。

 人の眼も、キラキラと輝いていく。
 世界は、光で満ちているのだ。

 純粋無垢な子供に限らず、その、美しい物語たちは、ページをめくられるたび、人の心を躍らせ、人に、何かの意味を持たせる。

 そうやって、世界を輝かせ続けるのだ。

 だから世界は、優しくできている。

 ただ―――

「つ……つ……おおぉ……」

 幼少の頃より、物語を追い続けた人物が1人、ここにいる。
 歳は、つい10日ほど前、見事に大学入学を果たしたばかりの、18。
 入学の際に軽く整え、イメチェンでも図ってみるかと若干茶を入れた髪以外は、黒いシャツと、ジーンズ、そして適当に羽織った青い上着、と、少々ずぼらな性格が見え隠れしている。

「つ……く……う……」

 物語は世界を輝かせる。
 だが、仮に。
 仮に、目を輝かせるのに年齢制限があるとすれば、彼は、それを過ぎているかもしれない。
 インターネットにはまり込み、昼夜を問わずネット小説を読みふけっていた彼は、実のところ、大学に入学できたのは奇跡だったのではないかと周囲に囁かれていた。

 確かに物語は、世界を輝かせる。
 特にインターネットの小説は、手軽に読める分、はまり込む者も少なくはない。
 ただそのせいで、本来とは逆に目を曇らせる者―――自分の生活リズムを崩す者も同時に少なくないのだ。

「く……うぅ……やば……い……」

 残念ながらその一例である彼―――日溜明(ヒダマリ=アキラ)も不健康なリズムを繰り返していた。
 眼は、そのせいで、残念ながら濁っている。

 その、日常。

 昼夜が完全に反転した入学前の期間の名残が、徐々に薄まってきた頃。

 その、日常。

 そろそろ大学で、どの授業をとるのかを決定しなければならなくなってきた頃。

 その、日常。

 そこから、アキラは、

「落ち……落ちる……マジ……やば……いって……!!」

 何故か、高度100メートルはあろうかという塔に張り付いていた。

――――――

 おんりーらぶ!?

――――――

 青空の下。
 この村のシンボルでもある、高く高く天を突くような塔の元。

 そこでは、今、“結婚式”が行われていた。

 サラサラと風が流れ、若草の匂いが舞うその草原は、村の中にそのまま自然を残したような教会の庭であったりする。
 周囲は、それ自体が敷居のように背の高い木々で囲まれ、その中心の芝生には、正方形に整えられた大理石の白く大きな足場。
 そこには、純白で木製のベンチが2列。一糸乱れず整列している。
 その、青の下、白と緑の世界。
 そこに集まった者の一部は、正装、とでもいうべきスーツやドレスを着て、優雅に腰を下ろしている。

 ただ、残りの者は、頭から漆黒のフードをかぶり、塔の真下の一高い台座を取り囲んでいた。
 その光景は怪しげな雰囲気を醸し出しているが、その中央、台座の上に凛と佇む1人の女性の存在は、その陰りをかき消すように輝きに満ちている。

「天にまします、我らが主よ……お聞きください」
 花嫁の姿を模した白を基盤としたドレスに、彼女なりのアレンジか、橙色のラインが入り、かえって白を栄えさせていた。

 神聖な空間。
 そこで彼女は、指を胸の前で組み、祈りを捧げる。
 肩まで降りるストレートの赤毛も頭で纏め、若干切れ長の瞳も長いまつげと共に伏せ、言葉を紡いでいく。

 “必死に”。

「この身、エリサス=アーティを、おみっ……御身のそばに……こっ、この心を、御身のそばに」

 一瞬、少女、エリサスの血の気が引いた。
 彼女の眼の前に“引き渡し手”として立つ、彼女を育てた妙齢の女性の体も、冷や汗交じりにピクリと動く。

 噛み、かけた……。
 静かに閉じていた眼を身体の硬直にあわせてきつく閉じ、エリサスはすぐに雑念を振り払う。

 今、自分は“神に求婚”しているところだ。
 この求婚の儀が済めば、自分は国を守る騎士団の一員に入れる。
 子供の頃に見た、晴れやかな憧れの儀式の場に、自分は今立っているのだ。

 幼いとき、自分は両親を失った。
 残された自分と妹は、この村の孤児院で長く育ち、今ではその手伝いをしている。
 だけど、それじゃ駄目だ。稼ぎがない。
 騎士団になれば国仕え。
 現在貧しい生活を送っている自分たちの育ての親に、もっと楽をしてもらいたい。
 そして、自分の妹にも、もっといい思いがさせられる。

「たとえこの身体が砕かれようとも、たとえこの身体が枯れようとも、心は貴方に捧げ続けることを誓います」
 ようやく去年16になり、試験を受け、1回落ちて、今年ようやく資格が取れたのだ。

 この儀式は、人呼んで、真実の場。
 ここでの嘘は許されない。

 決められた文と、許される範囲でのアレンジ。
 昨日遅くまで丸暗記したその言葉を、慎重に紡いで、自分は結婚する。

 古臭いしきたりとはいえ、このあと配属されることになる国の魔道士たちも見ているのだから、正確に、この儀を完了させなければならない。

「では、誓いの口づけを」

 正面に立つ“引き渡し手”が、手を広げて決められた言葉を述べる。

 ようやく、エリサスの緊張の糸が解けて、表情も柔らかくなった。
 暗記した分はすべて言い終えたのだ。
 あとは、ツンと、空に向かって軽く口を突きだすだけ。

 これで神との婚姻は完了し、ゴールイン。
 そしてばっちり給料をゲット。

「……」
 心に浮かんだ雑念を振り払い、エリサスは口をツンと空に向けた。
 すでに儀式を終え、後ろで整列している同期たちの輪に自分も入っていくことができる。

 その光景を、正面から見ていた彼女の育ての親は微笑ましく見守った。
 微妙にエリサスの頬が紅潮しているのは彼女がそういった経験を全くしてこなかったからであろうことが浮かび、微妙に照れているのだと推測できると、場の神聖さも忘れて笑ってしまいそうになる。

 ともあれ、目の前の少女は自分の手元を離れるのだ。
 未だに彼女たちが自分の元を訪れたことを思い出す。
 幼い姉妹の2人で、人見知りを押し隠すように眉を寄せて並んでいたのがつい昨日のようだ。
 眼を伏せれば、脳裏に鮮明に浮かぶその光景は、目の前の少女と変わっていないようにも見え、それでいて、確かな月日の流れを感じとらせる。

 嬉しさと寂しさが入り混じった微妙な感情を胸の奥にしまい、もう1度、自分の娘の晴れ姿を正面から見据えた。

「……ぁ……」
「……?」

 後ろのギャラリーが、1人、2人と騒ぎ出す。
 その様子に、エリサスは気づいていない。ただ、自分の終了の言葉を待つように、空に唇をツンと上げているだけだ。

「危ない!! 2人とも!!」
 急速に、嫌な予感がしてきた直後、叫んだ誰かのその指を追って見上げてみれば、

「―――!! エリー!!」
「んえ?」
「っ―――」

 自分と、エリサス―――エリーの間に、人が“ふわふわ”と落ちてきた。
 青空より濃い青の上着が自分の目の前を通過したとき、正面にいるエリーと目が合った。
 いや、目が合ったのは気のせいだ。ただ、自分がエリーの眼を見ているだけ。向こうはこちらを見てはいない。

 エリーの目はまるまると開き、信じられないような顔を地面に倒れ込んだその落下してきた人物に向けている。

「う……そ」
 そんな呟きが漏れた唇に、遠慮がちにエリーは指先で触れ、身体をわなわなと振るわせる。

「何だ……!? 人か……!?」
「どこから……!?」
「上だ!! 空から……!!」
「飛んでいたぞ!!」

 気を失っているのか、倒れ込んで動かない少年を挟みながら、エリーと向かい合う。
 放心状態の彼女の指先は、未だ唇から離れない。

「それより、今……」
「あれって……」

 ギャラリーの声を拾い、ようやく事態が把握できた。
 あまりの出来事にそこまで目で追えたわけではなかったが、ふわふわと落下してきた少年とエリーの顔が、その、近かったような気がするのだ。

「うそ……、うそ……、うそ……、」
「エ、エリー、落ち着きなさい」

 なんとかなだめようとするも、エリーの震えは止まらない。

「はは……は……ははは……」
「エ、エリー?」

 最後に。
 エリーはその固まったまま不気味に笑うと。

「うーん……」
 パタリとその男の隣に倒れ込んだ。

―――**―――

 夢を、見ていた。
 自分が妙な塔の上に張り付いているという夢を。
 顔を横に倒して見えたのは、壮大な大自然。草原が広がり、遠くに見える山々。
 丁度、RPGのように、自分が今いる村だか町だか分からない場所は孤立しているようだ。

 そして、その、眼下。
 足元には、小さな町並みがあった。
 時代錯誤でもしているのか、はたまた日本ではないのか。
 木や土を主として使われた四角い建物たちは、チェス盤のように整理されて並び、その間の道には露店でもあるのか、赤や黄色の作物のようなものが見える。

 ここは、異世界だ。

 そしてそこから、大冒険が始まる。
 自分は“勇者”となり、この世界を滅ぼそうとしている“魔王”と戦うのだ。
 まるで、自分が好きなネット小説のように。

 末期だ。
 自分でそう思った。
 もしこれが自分の夢なら、自分の脳は終わっている。
 そして、最も信じたくないが、これが現実なら自分は落下して残念な結果になるだろう。

 だから、末期。

 ただ、体力の限界が来て、落下した自分に襲ったのはリアルな浮遊感。
 そして、近づいてくる、死。
 叫び声さえ上げられない。
 目をきつく閉じた顔に、暴風が叩きつけられる。

「……?」
 だが、何故か、自分は目を開けた。

 見えるのは、人の集まりと、白い世界。
 そして、自分の先にいる、1人の女の子。
 花嫁姿で、祈りを捧げている。

「―――、」

 目を開けてよかった、と思った。
 全身の体が震えるような、感動。
 自分が落下していることを忘れ、彼女が自分に近づいてきているかのような錯覚を起こした。
 理由は分からない。
 だけど、身体は震え続ける。

 その少女は目を閉じ、自分を待っているかのように顔を上に向けていた。

「!?」
 加速していた自分の体に、奇妙な光が付着した。
 その光は、まるで魔法のように身体の速さを止め、緩やかに地面に近づける。

 未知の体験に身体が泳ぎ、顔が前に出るように体が反転したところで、その少女は、目を、開けた―――

「……?」
 アキラはそこで目を覚ました。
 身体はうっすらと汗ばみ、頭はずしりと重い。

「っ、だぁ~~……」
 かけ布団を頭からかぶり、アキラは大きく息を吐き出した。

 なんという夢を見ていたのだ、自分は。恥ずかしすぎるにもほどがある。
 布団の中で頭をガシガシとかき、意味もなく布団を蹴りつけ、悶絶する。

「俺は……うわぁ~~……いてぇ~~よ……存在がぁ……!!」
 ベッドの上でもんどりうって、ゴロゴロと暴れ回る。
 これからは、インターネットを控えた方がいいかもしれない。
 そう、目を固く閉じながらアキラは誓いを立てた。
 ただ、過去何度もそう誓っても、破ってきたことなのだけど。

「……―――」
「……?」
 布団の外から、何かが聞こえてきた気がした。

 眉をひそめながら、音源を探ると、

「あれ……?」

 先に、布団の空気の違和感に気づいた。
 いや、匂いと言った方が正確か。

 まず、自分は普段布団で寝ている。
 それなのに、寝返りを打つたびギシギシとなるのは、間違いなくベッドのそれだ。
 そして最も重要な異変。

 自分の布団は、こんなに暖かな匂いをしていない。

「―――!?」
 布団をバッと開け、天井を見る。
 暗さに慣れた眼が暗闇でも捉えた天井は、自分の知っている黄ばんだ白ではなく、木造ペンションのような荒い茶色。
 ぶら下がっている電灯も、裸に近い豆電球のようなものに変わっていた。

「え……ちょ……っと?」
 体を起こせば、天井通りの木造の壁に囲まれていた。
 自室の六畳間と大きさは同じだが、木の匂いがするその部屋は、ベッドの脇に小さな机が付いているだけで殺風景だった。
 当然、起きればすぐに手元にあったパソコンも、ない。

「どこだ……?」
 小さな呟きに返ってくるのは当然何もなく、アキラはしばしベッドの上で硬直していた。

「……、」
 このまま止まっていてもらちが明かない。
 そう判断して、アキラはベッドから這い出す。
 サイズの小さいベッドに転びそうになりながらも、きちんと揃えられていた自分の靴を見つけ、そのままの動きでドアに向かう。

 とりあえずは、ここがどこかなのか把握しないと。

―――**―――

「素晴らしい!」
 恰幅の良い男が、大口を開けてツバキをまき散らした。
 広いテーブルを囲うこの会合に集まった者たちは、その様子に顔をしかめ、自らのカップを手で守る。
 この村の長であるこの男に、みな一応敬意を表し、咳払いをしてごまかすが、表情を変えようとする者は誰一人いなかった。

「聞けば、その男は奇妙な出で立ちをしていたそうではないか!!」
「はぁ……」
 エリーの育ての親、エルラシアも、表情を隠そうとしていない派だった。
 何度も響くその男の声に、隠そうともせずため息を漏らす。

「見た者は、その者が神々しい光を纏い、まるでその場に降臨するように舞い降りた、と。もう、間違いはない!!」
 男は、その様子に気づいているのかいないのか、相も変わらず声をホールに響かせ続けた。

「いやいや、とうとう我が村も輩出できるか……“勇者”を!!」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
 とうとう我慢できなくなり、エルラシアは声を荒げた。

「何かね?」
「また“繰り返す”おつもりですか!?」
「少し落ち着きたまえ」
 落ち着くのはお前だ。
 そこまで口を出かかったが何とか飲み込み、エルラシアは立ちかかった腰を下ろした。

「それに、“繰り返す”とは心外だ。今までの輩は、“勇者”ゆかりのこの地を欺き、私腹を肥やさんとする勇者を名乗る府届き者よっ!!」
 ついこの前町まで行って見てきた劇の影響か。
 芝居がかった村長のセリフを聞き、今度はエルラシア以外からもため息が漏れた。

「村長。お言葉ですが、“1つ前の勇者のときも”同じことをおっしゃられていませんでしたか?」
「あのときは、私の目が曇っていた」
 今度は全員から、ため息が漏れた。

 この村、リビリスアークは、かつて、この世界を滅ぼそうとする“魔王”を撃破した勇者の出身地である。
 当時は聖地として崇められ、多くの人がこの地を訪れたことでさらに発展していった。
 だが、時代と共に第2、第3の魔王が現れ、ぽつぽつと各地で新たな勇者が誕生し、今回の記念すべき“百代目の魔王”ともなってくると、初代の魔王を滅ぼしたという印象は薄れ、今では知る人ぞ知る、という程度になり下がってしまっている。

 ただ、それほどに、人と魔王一派との戦いは歴史があるのだ。

「だが、今回は違う!! そのような幻想的な現れ方をした者は今までいなかった。今度こそ、“勇者の地”がどこなのか、世界に知らしめられる!!」
「“魔王”を、倒すのが、目的でしょう? 決して、この村を、繁栄させるのが、目的ではありませんわ!!」

 何故、こんな男が村を治めているのか。
 かつて、初代の勇者を手厚く保護し、旅に出させて以来、ずっとこの、ファリッツ家がこの村を納めている。
 特に現在のこの当主、リゼル=ファリッツは酷い。
 村を繁栄させることしか頭にないのは、あるいは村長としてのあるべき姿なのかもしれない。
 だが、不審な人物を見つけるたびに、勇者と崇め、強引に旅立たせているのはいかがなものか。
 エルラシアが知っているだけでも、今まで8人はいた。
 年端もいかない者も、ファリッツは強引に危険な目にあわせ、その者たちは例外なく消息を絶っている。
 今頃魔物の餌か、どこか遠くの村で日々を送っているのだろう。

 ファリッツが強引に彼らに出した援助も、徐々に寂れてきているこの村にとっては小さくない。

 ファリッツ家先祖も、草葉の陰で泣いているのではないだろうか。

「だが……、ふむ。分かった」
「……?」

 ファリッツは、ようやく自分に不審の目が気づいているのに気づいてか、居住まいを正しながら、みなを見渡した。

「今、勇者様は?」
「……私の孤児院で、お休みになっています」

 エルラシアは、突如現れた少年を勇者と呼ぶことをわざわざ訂正しなかった。

 確かに彼は、今までにない現れ方をした。
 自分とエリーの間に“ふわふわ”と降りてきたとき、確かに感じた、“魔力”。
 自分は、“エリーの妹”ほど魔術には詳しくはないが、レベルは明らかに上級者だった。
 その場にいた国仕えの魔道士に聞いても、彼のことは知らないという。
 そして、この村にしては不自然な出で立ち。

 確かに、何か感じるものがある。

「では、こうしよう。彼にはテストを受けてもらう」
「テスト……ですか?」

 こくりと頷くファリッツに、エルラシアは、背筋に冷たいものが当たるような感覚を起こした。
 “自分が一番懸念している、エリーのこと”もあるのだ。
 これ以上妙なことを言ってもらっては困る。

「そのテストを受けてもらい、合格すれば、援助する。それでいいだろう?」
「……まず、テスト内容をお聞きしたいのですが」

 次にリゼル=ファリッツの視線が山に向いたとき、エルラシアは、カップを投げつけようとする手を止めるのに必死になった。

―――**―――

「こっち……か?」
 月夜が照らす廊下を、アキラは慎重に歩いていた。
 ギシギシとなる足場も、ただただ質素にドアが並ぶ壁も、アキラの背筋を寒くさせるが、現状、アキラの頭に元の部屋で眠り続けるという選択肢はない。

 ただ、外に出ようとしていたアキラだったが、その前に、どうしても気になることがあった。

「―――、……」

 まただ。
 また聞こえた、“あの歌声”。

 時間さえ分からないが、夜に響くあの歌の主を、アキラは探していた。
 何の言語かも分からないが、あの、どこかで聞いた唄―――その、主を。

「……!」
 階段を上り、三階に到着したアキラは、さらにその上にあるドアが小さく開いていることに気づいた。
 そして頬をくすぐる、外気。
 ここから、屋上につながっているのかもしれない。

 歌声は、どんどん近付いてくる。

「……、―――、」
 屋上に出ると、少女が、いた。

 小さく胸の前で手を合わせ、屋上の縁に登り、すっと広がる町並みを見下ろしながら。
 彼女は透き通るような声で歌っていた。
 髪ごと羽織った漆黒のマントをはためかせ、村の中央にある、天高くそびえる塔に正面から向き合い、月下で、祈るように。

 そこにいる彼女は、凛とし、それでいてどこか遠くに想いを馳せているように神聖な雰囲気を醸し出していた。

「…………、もう目、覚めたんすか?」
「……ぅ、えあ?」

 その光景に呑まれ、アキラは唄が終わっていたことに気づかなかった。
 目の前の少女は、半分だけ閉じたような顔をゆっくり向けてくる。
 先ほどの雰囲気は、気のせいだったのだろうか。

「! って、おまっ……え、は……」
「……」
 正面から見据えて、ようやく気づいた。
 目の前の少女は、自分の夢に出てきた、あの、花嫁だ。

「こんばんはっす」
「……あ、ああ、こんばんは」
 見惚れていた少女は、とん、と縁から飛び降り、アキラの元までとぼとぼ歩み寄ってきた。

「自分はマリサス=アーティ。マリーっす」
「マリス?」
「……マリーっす」
「ああ、俺はヒダマリ=アキラ。よろしく」

 アキラが差し出した手を、マリスはどこか不機嫌そうにとり、軽く揺すった。
 ただ、マリス。
 中立的な顔をしているが、どうやら日本人ではないみたいだ。

「……君、日本語上手だよね?」
「……」
 マリスは小さく首をかしげながら、眠そうに、半開きの眼をこする。
 胸の高さから覗いてくるその眼は、下手をすれば閉じているように見えた。

「悪いけど、ここがどこだか教えてくれないか? 俺、正直何も分からないんだけど……、」
 アキラは、ちらりと、村を見渡した。
 先ほど、夢で見た通りの姿をしたその村は、自分の知るどの場所も当てはまらない。
 ただ、ふつふつと身体の中で生まれ始めた“ある予想”を、ぬか喜びだけは避けるように抑え込む。

「リビリスアークっす」
「リビ……え? なんだって?」
「リビリスアークっす」
「リビリスアークス? え? 国は?」
「にーさん、その調子だと間違った情報がどんどん増えていくっすよ」

 気だるそうな声を出しながら、マリスは壁に背を押しあてて座り込んだ。
 アキラもそれに倣って隣に座る。
 どこかマイペースそうなマリスは、小さな欠伸を噛み殺しながら、置いてあった布の袋から、分厚い本を取り出した。

「にーさん、自分も聞きたいんすけど、昼間、あの塔に張り付いて何をやっていたんすか?」
「……、見てたのか?」
 その雰囲気も、一人称も、どこか妙なマリスは、小さくコクリと頷いた。

「……分からねぇ。気づいたらあそこにいたんだ」
「……」
 塔に張り付いて何をしていたのか。
 そう問われても、アキラに正確な答えを用意することはできない。
 本当に、気づいたらそこにいたのだ。

「記憶障害っすか?」
「……かも、しれない。マジで、意識が戻ったら……あれ?……」

 そう言って、アキラは頭をガシガシとかいた。
 記憶がない。

 自分が何者で、出身地はどこか、ということまでは分かる。
 だけど、直前。
 自分が気を失って塔に張り付いていた以前の記憶が、霞かかって呼び起こされないのだ。
 消えている、というわけでもないだろう。
 思い出せそうで思い出せない、といった、微妙な感覚。
 そんなむずかゆい頭をもう1度かいても、答えは出てこなかった。

「もし、それが本当なら、にーさん……」
「?」
 マリスは、ぱらぱらページをめくって、とあるページを開いた。

「本当に、“勇者様”かもしれないっすね」
「……?」
 聞き慣れない―――いや、聞き慣れ過ぎているその単語をマリスは発しながら、まるで童話のような挿絵のあるページをアキラに向ける。

 1人の青年が巨大な闇の塊に、大きな剣を振りかざし、勇敢に戦っているその挿絵は、月下でも、映えた。

「……!」
 マリスは、手を差し伸べる。
 その表情は、アキラの脳が芯から震えるような笑みだった。

「ようこそ“異世界”へ―――」

―――**―――

 遥か昔。
 この世界では、とある2つの種族が存在していた。

 空高く存在する輝かしい“神族”。
 そして、地中深く存在する禍々しい“魔族”。

 いや、禍々しいというのは語弊がある。
 それは、神族を基盤として考えた場合に、魔族の使役する魔物が異形なだけであって、魔族にも人の姿に近いものが多い。
 ただ、使い魔として自身に近い姿を使役した神族から見て、異形の使い魔を使役する魔族が禍々しいと表現されるのは自然の流れだったのだろう。

 いつからかは知られていない。
 だが、その両種族が存在しているという事実が、あっただけ。

 ただ、あっただけならば問題はなかった。
 乖離して存在していた両種族は、自分の領土を守ることに専念しているだけで事足りたのだから。
 問題があったのは、その先。

 神族の住む天界と、魔族の住む魔界の中間に、地上という場所が発見されたことから、その2つの種族の戦いの歴史は始まった。
 両種族は同時に地上を発見し、その流れから、地上を我がものとせんと戦うこととなる。
 以前から互いに存在を知っていたものの、あまり互いを友好的に思っていなかったこともあり、分け合うという発想はなかった。

 しかし、両者の戦いは拮抗し、硬直状態へ。
 これ以上の戦闘は、舞台となった地上そのものを破壊しかねないと思われ始めたとき、地上で新たな種族が発見された。

 “人間”という種である。
 魔族は非力な人間を戦場にいる動物程度にしか認識しなかったが、神族は違った。
 この互いにじり貧の硬直状態から抜け出すべく、新たに発見された事象を、“可能性”として認識し、味方につけることを思いついたのだ。

 人間側からしても地上で行われる戦闘に終止符を打つことは望むべくことであり、また、異形の魔物を使役する魔族に比べれば、まだ自身に近い姿をしている神族の方に親近感を覚え、その条件を呑む。

 神族は自らの力を人間に分け与え、また人間も神族に知恵を分け与え、神族の軍政は徐々に力を伸ばしていった。
 人間が“戦力”として認識されるほどに教育されると、魔族は多量の敵軍の猛攻を受け、地上を放棄、撤退することになる。

 これを受け、魔族は“神族に染まった人間”を今度こそ敵と判断。
 魔族は未だに地上侵略を目論み、“魔王”と呼ばれる実力者が乗り込んでくるが、そのたびに、人間によって防がれている。

 その、魔王を撃退する人間。

 それを、人は、“勇者”と呼ぶ―――

「ちょ~っ、中二」
「もう少しマシな感想はないんすか?」

 マリスの屋根の上での授業を聞き、アキラは大欠伸をかました。
 自分は確かにトリップ物の小説が好きだ。
 このシチュエーションというのも、あったらいいな、と思っていたくらいなのだから。

 だが、本当にその“異世界”に迷い込んだ今、アキラが浮かべたのは陳腐な感想だった。

 ここが異世界だというのは、納得せざるを得ない。
 初めて見る地。
 非現実的な町並み。
 現実からの強制移動。
 日本語しか話せない自分が異世界の者と会話できるという便利さ。
 そして、記憶が若干飛んでいるという、トリップ物定番の事態も起こっている。
 こんな立派な夢を見るほど、人生は楽しくできていないということを、アキラは嫌というほど知っていた。
 定番なら自分はこの物語の主人公で、“勇者”なのだろうが、何かもやもやする。

 というか、恥ずかしい。
 この後自分は“打倒魔王”決意し、旅立つのだろう。

 少しは燃えるものがある。

 だが、自分は何か?
 必殺技の名を叫んだりして戦っていくのか?
 もう一度言おう。

 恥ずかしい。

「その“勇者様”は、言い伝えによれば“異世界”からの来訪者の比率が高いらしいっす。半分は超えてるっすよ」
「……ちなみに、ま、“魔王”? とかいうのはどれくらいいたんだよ」
 長時間この世界の簡単な歴史を語ってくれたマリスに僅かな親近感を覚え、アキラは口調が軽くなる。
 マリスがどことなく、くつろいで座っているせいか、アキラの緊張も薄れてきていた。

「今回で“百代目”っすね……。まあ、魔族側からしてみたら、“人間すら突破できない”のは、屈辱っすからね」
「人間、すら……?」
「魔族が本当に恨んでいるのは、自分たちを“悪”に仕立て上げた神族。人間は、神族の防波堤っすよ。魔族を魔界に閉じ込めておくための」
「……」
「同時に発見した地上が神族の“洗脳”を受けた人間。それが面白くないんすよ」

 人間が神族の“洗脳”を受けた。
 何が善で何が悪か。
 その判断材料は、“自分がどこに立っているか”。
 人間の立ち位置を、遥か昔に天使側に付けたというのならば、なるほど確かに人間は神族に洗脳されていることになるだろう。

「さっきからやけに魔……相手側の肩持つな」
 一瞬、魔族と言いそうになった口を紡ぎ、アキラはマリスを呆れたように見た。
 魔王が限界。“魔族”という更なる中二ワードを口にするのは、まだまだ先になりそうだ。

「今のは“中立説”。よく考えるとこの歴史はこういうことなんじゃないか、って思う人もいるんすよ。まあ、自分は“神族説”も“魔族説”もどうでもいいから、“中立説”を1番知ってるだけっすけどね」
 そこで、マリスは小さく欠伸をした。

「眠いのか?」
「いや、なんか、にーさんといると和むんすよね」
「……って、え……」

 ちょこん、という擬音が似合うようにマリスは小さな頭をアキラの左肩に乗せた。
 甘い、シャンプーの匂いがする。

「? どうしたんすか?」
「……いや、なんか、RPG買ったら、それが実はギャルゲーだった、みたいな?」
「…………にーさん、無視していいっすか?」
「……ああ、頼む」

 口を突いて出た言葉は、できれば永久に封印していただきたい。
 夜風とは別の寒気をごまかすように、アキラは奥歯をかみしめた。
 だけど、男の性か、マリスに見えない位置でガッツポーズをしたりしている。

 ようやくアキラは思えてきた。
 異世界、万歳、と。

「それより、お前……」
「だからマリーっす。名前を知っててもらわないと、結構面倒なことになるんすよ」
「あ、ああ、マリス……」
「……」

 今日会った子、しかも美少女にいきなり好かれ、名前で呼ぶことを強要されるというギャルゲーにしても荒い展開に、それもいいものだと思いながらも、アキラは先ほどから気になっていることを口にした。

「なんで、お前は俺を“にーさん”って呼ぶんだよ?」
「ん~、“にーさん”だからっすよ」
「……そっか」
 和み続けるマリスにこれ以上の追従はつかれるだけと判断したアキラは、ため息交じりにマリスの本をぱらぱらめくる。
 所々にある挿絵はともかく、書いてある知らない文字も意味が分かる。

 ご都合主義、だ。
 アキラにとって万々歳なのだが。

「それで、俺は、ゆ、“勇者”とかいう存在なのか?」
 鼻をくすぐる甘い香りを極力意識しないように体を硬直させたアキラのガッツポーズは、まだ解けない。

「多分そうっすね……。ああ、やっぱ自分変っすね……。にーさん、もしかして……やっぱり……」
「ちょっと、ちょ……!?」
 妙に体が近くなってきたマリスを、身をよじって避ける。
 正直に言えば嬉しいのだが、攻略対象キャラクターのいなかった現実世界では、アキラの女性への免疫はゼロ。
 体を震わせ口籠ることしかできない。

「そ、そうだ! 魔法!! 魔法、あるんだろ? 見せてくれないか?」
「ん~、うぇ? もう見せたじゃないっすか」
「……え?」
 マリスは名残惜しそうに体を離すと、ゆっくり天を突く塔を指差した。

「にーさんが落ちてきたときに、ほら」
「……!」

 アキラは、再び”あの光”に出逢った。
 発光したのは自分の足に乗せている分厚い本。
 それをマリスが指差した途端、幻想的な銀の光。

 その光に包まれた本は、アキラの目の前でふわふわと浮かんだ。

「綺麗っすよねぇ……この色」
「わっ、分かった、分かった……!!」

 目の前で怪奇現象が起こったアキラは震えながら、本を凝視する。
 だが、マリスが力を抜くと、本は、ぼとりとアキラの膝の上に落ちた。
 燃えていたようにも見えたその本は、変わらずひんやりとしている。

「どうっすか、今の」
「あ、ああ、というか、ありがとう……」

 マリスは満足げに頬笑み、再び頭をちょこんと乗せた。

「にーさん、面白かったすよ……。白く発光しながらゆっくりと降りてくるの見てたら、笑いそうになったっす」
 なんと、自分はそんな天からミカエルが降臨するかのような登場をしていたとは。
 ほとんど気を失っていて自覚はなかったが、さぞかしギャラリーにはドラマティックに見えていただろう。

「はあ……、というか、マリス。お前ぜんっぜん印象違うよな……」
「?」
 のほほんとしたり、笑ったりしているマリスを見て、アキラは盛大に肺に溜めたものを吐き出した。

「ドレス着ているときは、なんか……まあ、違うよな」
「…………ああ、」
「?」
 マリスは不意に、ポン、と手を打った。

「にーさん、勘違いしてるっすよ……。あのとき、ドレスを着てたのは、自分じゃないっす」
「……は?」
 マリスは眠そうな目をそのままアキラに向けて、呟いた。

「あれは、“ねーさん”っすよ。自分の双子のねーさん。ほら、丁度……」
 ギッ、という音が響いた瞬間、振り返ったアキラの目に飛び込んできたのは、“マリス”だった。

 いや、そのはずはない。
 容姿、背丈ともマリスと同等だが、違うのは切れ長の眼。
 タンクトップのシャツとジャージにも似たズボンという簡易な服装だが、纏う雰囲気はマリスより鋭く、色白の肌が月下によく映える。

 屋上のドアの前、マリスよりも明るく長い髪を夜風になびかせ、その少女は、その目をすっと開いて自分たちを見下ろしていた。

「……」
「……」
 月を背に立つその姿に、アキラは再び体が震えた。
 マリスと出会ったときと同じような、いや、それ以上の、激情。
 それが体の中で暴れ回っている。
 不思議な感覚だった。

 同じ容姿の2人に挟まれていることもさることながら、夢で見た少女が、目の前に立っている。
 今度は、間違いなく本人だ。
 その事実が、身体を打ち砕く。
 こんな感覚は、生まれて初めてだ。

「……エリサス=アーティ。自分の双子のエリーねーさんっす」
「……あ、ああ……」
 どこか遠くに聞こえるマリスの声に何とか返事をしつつ、アキラの目は、エリーを捉えて離れない。

「? にーさん?」
「にっ……」
 マリスがアキラの身体を揺すったところで、初めてエリーから声が漏れた。
 その声は、一部しか聞いていないにもかかわらず、アキラの身体の中を揺らし続ける。

「に、”にーさん”ですって!?」
「なっ!?」
 身体の揺れは、一気に収まった。
 いや、エリーの怒声に吹き飛ばされた。

「あっ、あああんた……っ、あたしの妹に、どっどんな、プッ、ププププレイ強要してんのよ!?」
「は!?」

 ビシッ、とエリーに指差されたのはマリスの頭が乗ったアキラの肩。
 それと同時にアキラの脳裏に蘇ったのはトリップ物定番のイベント。

 すなわち、女性からの理不尽な暴力。

「っ、まっ、待て!!」
「っ―――」

 伸びてきた手は、マリスを掴み、ぐっとエリー側へ引かれていった。
 そのままの勢いでマリスを庇うように後ろに回したエリーは、アキラからマリスを守るように腕を広げた。
 どうやら、いきなり殴られるわけではないようだ。

「マ、マリス、大丈夫!?」
「大丈夫っすよ……。それよりねーさん、目が覚めたんすね」
 夜空に響くエリーの叫び声と、夜空に混ざるようなマリスの声。
 同じ顔をした二人を交互に見ながら、アキラは恐る恐る立ち上がった。

「こっ、ここは、夜間、男性立ち入り禁止よ!! あなた、何者!?」
 顔を真っ赤にして怒鳴るエリーに、先ほど見惚れていたことも忘れ、アキラは退避態勢に入った。

「お、俺は、ヒダマリ=アキラだ」
「誰が自己紹介しろって言ったのよ!?」
「おっ、お前だお前!!」
 暴力は何とか避けても理不尽さは避けられないのか。
 エリーの声に反発するように大きな声を返したアキラは、壁にじりじりと後ずさった。

「マリー、この男は!?」
「え、だから、にーさんっす」
「あの男の言うことなんか聞いちゃダメ!!」
 自分の妹の正気を取り戻そうとするように、エリーは何度もマリスを揺すった。
 されるがままに揺すられるマリスは、目を回し、どこか気持ちが悪そうだ。

「あっ、あたしの妹洗脳しといて……、何やってるのよあなた!!」
「洗脳って……。お前あれか!? 被害妄想女か!?」
「質問に答えなさい!!」

 寝起きで混乱しているのか、怒鳴るばかりで会話が成り立たないエリーから一旦視線を外し、アキラはマリスをすがるように見た。

「ね、ねーさん。にーさんは……」
「だから!!」
「とりあえず、揺するの、止めて、欲しい、っす……う……きゅぅ……」
 ダメだ。
 アキラは揺すられて意識がもうろうとしているマリスを見て、状況を正しく理解した。

「とにかく、ここからすぐに出て行って!! 今、すぐ!!」
 くらくらと頭を回すマリスをようやく解放し、エリーは肩で息をしながら外を指さす。

「あ……ああ、」
 その剣幕に押され、アキラはゆっくりと歩き出す。
 背中から煌々とした殺気に押され、屋上を1歩出たところでエリーの悲痛な叫びが聞こえた。
 きっと、“変わり果ててしまった”マリスを何とか正気に戻そうとしているのだろう。

「なんだってんだよ……マジで」
 苦々しげにつぶやき、元の部屋に戻ろうともせず、アキラは建物の外に向かう。

 異世界に来て、塔から落下し、気を失って、目がさめれば美少女に理由もなく好かれ、その姉に理不尽にも追い出される。
 単純に言ってしまえばこれだけの一日。
 そんな一日が、終わろうとしている。

 だが、建物を出るとき、アキラの身体にジンと熱いものが芽生えた。
 いや、その熱が芽生えたのは、今ではない。

 さっきだ。
 これは、あの被害妄想が激しい女、エリーに出会ったときからのものだ。
 どれだけ罵倒されても、アキラは何故かあの少女のことが気になった。

 Mへの目覚めである、

 わけはない。

 ただ、どうしても、気になる。
 そうとしか言えなかった。

 気取った言葉を使うなら、“運命”、なのだろうか。

「なんだってんだよ……、マジで」

 温度差の激しい姉妹との出会い。

 異世界での最初の夜に名前を付けるなら、そうなるのだろう。
 アキラはもう1度呟き、あてもなく建物の外に出た。

―――**―――

「へっ、くしっ!?」
 昨日の夜とは打って変わって光と活気が包まれる村の中、アキラは急激な寒気を覚え、目を覚ました。

 アキラが寄りかかって眠っていたのは昨日の建物の郵便受けの下。
 昨日当てもなく外に飛び出たアキラは、所持金も土地勘のないことも手伝って、街をうろうろ徘徊したあと、結局この場に腰を落ち着けることとなった。

「あ~、喉いてぇ……あ~、」
 ゴホゴホと咳をして、身体を伸ばす。
 無理な体勢をしていたせいで体中からパキパキという音が漏れるが、背中と尻の痛みはそれを超えていた。

「……?」
 何とか立ち上がったところで、アキラは、自分の隣に毛布が丸まっているのに気づいた。
 おそらく寝返りを打ったがためにそうなっているのだろうが、もともとは、アキラにかかっていたのかもしれない。

「……」
 僅かばかりの思考のあと、アキラは軽く土をはたき、毛布を畳んで周囲を見渡した。

「腹……へったな……」
 そう呟くも、時間が早いのか、元の世界の田舎の村並みをそのまま土と木で造り変えたような道に、人通りはない。
 表通りの喧騒が、僅かに聞こえる程度だ。
 正面に飲食店と思われる建物があるが、あいにくそちらも閉まっていた。

 さて、自分はどうしよう。

 異世界で、1人。
 ここがどういう文化を持った世界なのかという情報も、宿も、先立つものも、何もない。
 加えて言うなら空腹だ。

 異世界に漂流した主人公は、その世界で手厚く保護を受け、徐々に世界に慣れていくものではないのだろうか。
 だが、自分はどうだ。

 昨日そのガイドらしき少女に出逢ったというのに、同じ顔の少女に追い出され、現在野宿明け。
 途方もないとは、このことだろう。

「ひっでぇ~っ、この仕打ち」
「……、おはようっす」
「―――!?」

 突如話しかけられ振り返ったとき、一瞬、血の気が引いた。
 そこにいたのは、朝から気だるそうな声を出す、1人の少女。
 月の下で見ただけだが、この雰囲気の少女は、太陽の下で見てもどこかのほほんとしている。

「…………ガッ、ガイド!!」
「? マリーっす」
「あ、ああ、悪い、マ、マリス」
「……、」
 女性をファーストネームで呼ぶことは慣れない。
 戸惑いながらも、かすれた喉は何とか名前を紡いでくれた。

「この毛布、お前が?」
「? そうっすよ。本当は運んでもよかったんすけど、ねーさんに見つかったら大変だと思って」
「ああ、ありがとう。マジで」
「ねーさん、“妹”のことになると、いつもああなんすよ。大丈夫だったっすか?」
「あ、ああ、ありがとう」
 この少女にはお礼を言ってばかりだ。
 そんな気もしたが、この世界で唯一と言っていい協力者に、アキラは鼻のあたりがジンとするのを感じた。
 どこか気だるそうにマイペースを保っているのに、気を使ってくれる。

 明るいところで見ると、マリスの髪は、エリーの赤毛と違い、色の薄い銀の長髪だった。
 瞳も、エリーと比べると色彩が薄い。

「双子なのに、本当に違うな……。あの、なんだっけ、エリサス……?」
 方や、ほとんど理不尽に怒鳴り自分を追い出したエリー。
 方や、理由もなく好いてくれる親切なマリス。

 いくらエリーのことが気になるとは言え、選択問題にもならない2人の姉妹の善悪は、アキラの中で確かに構築されつつあった。

「ねーさんは、過保護っすからね……。自分はよく、守ってもらってるんすよ。昔から」
 マリスは小さな欠伸をしながら、表情を緩めた。
 過保護という言葉を使ってはいるものの、マリスが姉を好いているように感じるのは、アキラの気のせいだけではないだろう。
 ただ、追い出されたアキラ側からしてみれば、あの性格は、身体が震える思いだ。

「でもあれは、異常じゃないのか?」
 アキラは昨夜のことを鮮明に思い出せる。

 月夜に突如現れたマリスと同じ顔の、エリー。
 電撃が走ったかのように身体が芯から震え、頭をハンマーで殴られた。
 そんな感動を何故か覚えたその直後、それを与えた少女が叫び、妹に妙なことをしていると勘ぐり、自分を追い出したのだ。

 ただ男女が寄り添って座っているだけで、顔を真っ赤にして妙な単語を口走っていたのは、面白かったと言えばそうなのだが、実際容疑をかけられた側からすれば冗談でない。
 マリスに寄り添われて、アキラが鼻の下を伸ばしていたのは事実だとしても、沽券にかかわる。

「まあ、そういうこと言わない方がいいっすよ……」
「?」
 マリスは開きっぱなしの門にゆっくりと歩を進めながら一言漏らした。
 来い、ということらしい。

 今度こそ事情を説明してくれるのだろう。
 そんな安堵が身を包んだアキラは意気揚々とその後を追う。
 門の中は、外からも見えた小さな公園のような庭が広がっていた。

 その中を歩きながら、アキラは自然と頬が緩んだ。
 アキラの中でマリスの好感度がうなぎ登りしていく。
 エリーに出会ったときの衝撃も薄れ、自分を何故か好いてくれるこの少女になら、“メンバー”にいて欲しいと思える。

 しかし。
 宿の問題も解決しそうだと調子が上向きになりかけたアキラに、

「だって、」

 マリスから、爆弾が投下された。

―――**―――

「お、お母さん!! 今の、本当に!?」
「え、ええ……」
 エリーは野菜を洗いながら、隣でそれを切っている育ての親、エルラシアによく通る声を返した。
 コンロには大きな鍋が設置され、それらが投げ込まれるのを今か今かと待っている。
 孤児院の朝は早い。
 子供たちが起きてくる前に食事の用意を終えなければ、幼さゆえの不満で、この建物は大混乱するだろう。
 最も、この時間にしては大きな声を出したエリーをたしなめるほどの余裕は、エルラシアにはなかったりするのだけど。

「あのお方が今回の“勇者様”。昨日の会合でそう決まったわ」
 それで。
 と、エリーは辺りを見渡す。
 集められた食材は、野菜だけにとどまらず、この孤児院では珍しい牛肉まで並んでいる。
 朝からどうかとも思うが、村長にもてなすようにと渡されたのだろう。

 あのお方、とは、自分もよく知らない。
 ただ、入隊式のとき、空から降ってきた男のことを指すのであろうことは、容易に予想できた。

「まったく、ファリッツ氏も毎度毎度……」
 ぶつぶつと野菜に向かってつぶやくエルラシアを見ながら、エリーは頭の中がぐわんぐわんと回っていた。
 こんなことなら、エルラシアの好意に甘え、眠っていた方が良かったかもしれない。

「ちょっと待って、じゃあ、あたしの入隊式は?」
「それは……そうね、聞いてなかったわ。あなたが気を失ったあと、すごい騒ぎだったし……」
「そんなぁ……」
 せっかくの晴れ舞台が丸潰れ。
 その事実もさることながら、ようやく1年越しに叶った入隊が流れては、一体どうなるのか。
 こんな小さな村に、国の魔道士が来てくれるのは年に1度か2度あるかないか。
 次のチャンスはいつになるか分からない。
 聞けばすでに同期たちもこの村を離れ、国の首都に向かっているとのこと。
 配属も割り振られ、各々国を守る準備を進めているのであろう。
 それなのに、自分がやっていることは、ジャガイモの皮むきだ。

自分の妹にも変な虫がつき始めたというのに、姉である自分がこれでは。
 自分だけが取り残されている錯覚を起こす。

「でも、そんなことはどうでもいいのよ」
「ど、どうでもいいわけないでしょ!?」
 エリーの剣幕に、エルラシアは、はっ、と息を吐き、発火装置に火を点けた。

「お母さん、私が魔術師になるの反対だったからって、いくらなんでもそれは……」
「そういうことじゃないのよ」
「?」
 エルラシアの浮かべた表情には、かろうじてファリッツ氏への怒りで隠された憂いがあった。

「あなた、入隊式の“決まり”。覚えてる?」
「……決まり?」
「そう。『あの場での嘘は、絶対に許されない』」
「え、ええ。覚えてるわよ。この国の歴史とか“しきたり”って、試験科目の1つだもん」

 正直、習っていて、どうかと思った。
 心を読む術を持つ神族への嘘はすぐに暴かれる。
 だが、神族と人間の儀礼の際には互いに礼儀として、神族は心を読む術を、人間は嘘を吐くことをそれぞれ禁止した。
 それが、入隊の儀の“しきたり”の由縁だそうだ。

「でも流石にあれは、頭の固い人たちだけの風習よ? それが何か関係あるの?」
「大ありなのよ……」
 エルラシアは、もう1度大きなため息を吐いた。

「まさか、エリーを国に送り出す心の準備をしたばかりで、“こっち”の心の準備もしないといけないなんて……」
「?」
 よく見れば、エルラシアの眼にはクマができていた。
 昨夜、寝ていないのかもしれない。

「エリー。あなたはね、その頭の固い国仕えの前で、誓いの口づけをしたのよ。“勇者様”に」
「……―――」

 波紋は最初、小さく広がった。
 そしてその波紋は徐々に勢いを増し、エリーの中で霞がかっていた入隊式を呼び起こす。
 気を失う、その直前。
 なにか、起こらなかったか、と。

「…………え、」

 エリーが、野菜の匂いがする指をゆっくりと唇に持ち上げたとき、屋敷の外から叫び声が聞こえてきた。

―――**―――

「だから言ったんすよ……。“にーさん”だって」
「……」
「……」
 マリスは、隣に座ったエリーと、テーブルを挟んで正面に座ったアキラを交互に見やる。
 二人の顔は、蒼白に染まり、時折アキラから喉の調子を整えようとするかのようにゴホゴホと聞こえてくるだけで終始無言。
 エルラシアは、まずはお互い話をすべきと、アキラに軽く挨拶してすでに調理場に戻っているのだが、話し合いは始まりそうにない。

 洋造りのこの応接室には、開け放たれた窓から涼やかな風が吹き込んできていた。
 若干乾燥しているその空気と、外の青空を見るに、今日はいい天気になりそうだ。
 だが、この部屋の室内は、どんよりとした、じめじめとした、ずしりと重い空気が漂っていた。

「二人とも、なんか喋って欲しいっす」
 空気の重さに耐えかねたマリスが、ぼそりと一言漏らす。
 様子の奇妙な2人の目付け役としてマリスが抜擢されたのだが、マリスにしてみれば重苦しい空気に放り込まれただけのような気がしなくもない。

「ヒダマリ=アキラです……。よろしく……」
「エリサス=アーティ……。昨日はどうも……」
 昨晩したばかりの自己紹介も、覇気の全く感じられない口からボソボソと漏れただけ。
 二人とも、テーブルの上で視線を泳がせ、ほとんど放心状態だった。

「あたしさ……夢があったんだ……」
 そのままの状態でエリーからようやく漏れた声は、哀愁がまんべんなく漂っていた。

「国の魔道士になって……国を守るの……。その給料をここに入れて……孤児院のみんなにもっといい暮らしをしてもらって……。それでお母さんにもっと楽をしてもらうの……。素敵でしょう?」
「ねーさーん? 目が、乾いてるっすよーう?」
 前でマリスがひらひらと手を振っても、エリーの眼はそれを追わず未だに泳いでいる。

「それでいつか素敵な人と結婚して……。幸せな家庭を築くんだ。協力して、孤児院で子供たちの世話をするの、えへへ。ちなみにそれは、今じゃダメ」
 セリフの最後は妙に力がこもっていた。
 自分の夢、というよりも将来への願望を口にしたエリーは、再び自虐的にえへへと笑う。

「でもさ、それ、もう叶わないんだよね……。見知らぬ人の妻になって……。あたしは人生の墓場に早々と入るの……。どこで間違っちゃたんだろう?」
「ねーさん……。『“勇者様”へは最大限の敬意を払わなければならない』っていう“しきたり”ガン無視っすね……」
「えへへ~……あ~嬉しいなぁ~……幸せだなぁ~……」
 付け焼刃のように出てきたエリーの賛美は、重苦しい空気の中に溶けていった。

 エリーも、礼儀がなっていないということは十分に分かっている。
 だが、試験をパスしたときからまっすぐに引かれていた自分の輝かしいルートが粉々に砕かれ、敬意を払う余裕はない。
 加えて言うならば、目の前の“勇者様”は、昨夜の一件によりどうしても信用できなかった。

「……」
 マリスはエリーを横目で捉えつつ、正面に座しているアキラを見据えた。

 マリスがむしろ、姉のエリーより気にしている存在。
 姉の性格を知っている以上、突如婚約者ができてしまったことを聞けば、エリーはこの程度のショックは受けると思っていた。
 だが、アキラはどうだろう。
 マリスの見た限り、アキラはこの事実を知って、うろたえるだけに留まると思っていた。
 そして内面ではどこか喜ぶ。
 そんなリアクションをある種期待してこの事実を言ったというのに、アキラはエリー同様、乾ききった瞳を泳がすだけだ。

「俺さ……夢があったんだ……」
 次いで、アキラからエリーと同じ調子の声が漏れた。
 エリーも初めてまともに話をする相手のかすれ声に、ゆっくりと顔を上げる。

 アキラはふっと笑い、今度は宙に視線を泳がす。

「昔からさ……ハーレムに憧れてて……」
「ストップっす」
 話が二言目から妙な方向に吹っ飛んだ。

「何だよ……。もう少し語らせろよ」
「ストップ」
 今度の静止はエリーからかかった。
 初めて起こした動作らしい動作は、手の平をアキラにつき出すもの。

 今、この“勇者様”は、何を言った?

「もう1度やり直していいわよ?」
「結婚しちゃさ……ダメなんだ。ほら、不倫ってよくないだろ?」
 せっかくのチャンスを、アキラは話を進めることに使った。
 夢遊病者のうわごとのようにこぼれるその言葉を拾う気にもなれなくなったエリーだが、その発言にいろいろと問題があることだけはアキラに伝えたい。

「自分が何言ってるか分かってるの?」
「ハーレムがいい……。これは俺の偽らざる気持ちだ」
「マリー。あたし、幻聴が聞こえるわ……。何か妙な魔法使った?」
「ねーさんもっすか? ちなみに使ってないっす」

 エリーは黙って放心状態のアキラを見やる。
 これが、自分の婚約者。
 その事実が浮かんでくるだけで、卒倒しそうだ。

「にーさん、昨日から“面白い”人だと思ってたんすけど……真性っすね。それともよっぽどショックだったんすかね……」
「真性よ。真性の、変態……!」
「んえ?」

 口調の強くなったエリーの声を聞いて、アキラはようやくそこに人がいることに気づいたかのように顔を向けた。
 眉を寄せて汚らわしいものを見るような眼をしているエリーと、含み笑いしているように見えるマリスを見て、ようやくアキラは、あ、と一言漏らす。

「テイク2を」
「さっきチャンスはあげたでしょう?」
 やり直しの要求もあっさり却下され、エリーはマリスを腕で庇い、2人分のイスを1歩遠ざける。

 その光景を見て、アキラは、阿呆のようにしていた顔を、引き締めた。
 が、すでに手遅れと悟り、破れかぶれになって言葉を続けた。

「何で? いいじゃん、ハーレム。男の夢」
「じょ、女性の前でそういうこと言わないでくれる? この変態!!」
「へっ、変た……ゴホッ、ゴホッ……ああ~、ん~」
「にーさん、風邪っすか?」
「ああ……。どこかの誰かが外に追い出したからな……」

 春先で、夜はまだまだ十分に冷える。
 野宿の経験のないアキラは、よりによって地面に座り込んでいたがため、調子は最悪だ。

 だが、ぼうっとする頭に誘われ、うわ言のように呟いたこととはいえ、アキラの言葉は本心だったりする。

 アキラがトリップ物の小説にはまり込んだのは、極論を言えばそのほとんどがハーレムものだからだ。
 来訪者は、異世界の美女に好かれ、毎日楽しく暮らしていく。
 嬉しいイベントも盛りだくさんだ。
 “現実”というシュミレーションゲームには、そんなことは起こり得ない。
 少なくとも、アキラの経験上では。

「と、とにかく、」
 アキラを諭すのが無駄と分かった以上、この話題は広げたくない。
 エリーは、テーブルを砕かんばかりの勢いで手を置くと、震える肩をなんとかなだめ、アキラを見据えた。

「あたしたちは、お互いに納得してない!」
「ああ、同感だ」
 ようやく意見が合致した婚約者と視線を交わし、エリーは、マリスをすがるように見た。

「ねえ、マリー。婚約、破棄する方法ない? できれば、あたしが年内に国仕えになる方法も」
「ん~……」
 姉の熱い視線を受け、マリスはちらりとアキラを見た。
 一応、1つは方法を知っていたりする。

「ていうか、“しきたり”って無視しちゃいけないのかよ? 元はと言えば、こいつが誤爆したのが事の発端だろ?」
「“しきたり”は破ると酷い目にあうって聞いたわ。それより、あなたが落下してきたのが事の発端よっ!!」
「“魔王討伐”っす」
「「……は?」」
 ついに罪のなすりつけ合いを始めた二人を見ながら、マリスは、しぶしぶ自らが知る方法を1つ提案した。
 2つのぽかんとした口が、アリスに向く。

「本当にありえないって感じなんすけど、魔王を討伐した勇者には、特権が与えられるんす。神族が願いを叶えてくれる、っていう」

 魔王を地上で撃退した報酬。
 そう考えれば、神族という神秘的な種族が人間の願いを叶えるというのは当然とも言える。
 それをエサに人間たちを協力させていると言い換えることもできるが。

「って、待てよ? その特権を婚約破棄に使えってか?」
「自分に思い浮かぶのはとりあえずそれだけっすね……。あの場での言葉じゃ、離婚も許されないっす」
「う、うう~っ」

 眉を寄せるエリーだが、もしこの場に別の者がいれば、青ざめ、身体を震わすだろう。
 当然、“魔王討伐”の栄誉を婚約破棄などということに使った勇者はかつて1人もいない。
 ついでに言うなら、そんな理由で討伐される魔王も、冗談ではないところだろう。

「まあ、どの道今さらなかったことにはできないっすよ。村のみんなも見てたっすからね、2人の誓いの口づけ……」
「わっ、忘れようとしてるのに言うなーっ!!」

 悲痛な叫びが何度も響いた孤児院の朝、村長であるリゼル=ファリッツが訪ねてきたのは、朝食後のことだった。

―――**―――

「おおっ、神よ!! この出逢いに感謝いたします」
「……は、はあ……」
 アキラの目の前で跪き、ファリッツは仰々しく両手を広げて頭を垂れた。
 ファリッツの後ろに並ぶ2人の従者も、それに倣って同じく跪く。

「この日を今か今かと待ちわびて降りました。昨夜はお疲れであろうと挨拶をご遠慮させていただきましたが、不詳わたくし、今後はご協力を惜しみません!!」
 ファリッツの態度が、いい加減胡散臭くなってきたアキラは、困ったように隣のエリーに視線を送る。
 だが、エリーはファリッツの態度を呆れたように眺めるだけだった。

「自己紹介が遅れました。村長のリゼル=ファリッツと申します」
「あ、ああ、ヒダマリ=アキラです」
 立ってもアキラより背が低く、それでいて恰幅のいい村長は、未だににこやかに笑っている。
 この笑顔が、人に媚を売るための笑顔だと分かるのは、隣のエリーが微塵にも笑っていないお陰だろう。

「ファーストネームは、ヒダマリ、ですかな?」
「いや、アキラの方ですけど……」
「では、アキラ様!!」
 感極まった様子を“演技”しているファリッツは、アキラに握手を求めてくる。
 それに応じながらも、アキラは、ファリッツの従者が呆れながらメモ帳に何かを書いているのを横目で見た。
 名前でも書いているのだろうか。

「さて、ご機嫌はいかがですか? なにぶん小さな村でして……こちらの建物が勇者様のお身体にあったかどうか……」
「いや、ま……ゴホッ、ゴホッ」
「!? どこかお身体でも!? エルラシア、エルラシア!!」

 村長の声が響き、奥の部屋からエルラシアがうんざりしながら現れた。
 ドアの向こうに密集しているのはアキラたちと時間をずらして朝食をとっている子供たち。
 好奇心にあふれた多数の目を、エルラシアはマリスに任せ、ドアで封じた。

「いかがなさいました? 村長?」
「勇者様のご気分が悪いようだ。君の管理は一体どうなっている? 勇者様への不届きは重罪だぞ!?」
「さっきも、申しました!!」
 エルラシアはファリッツを怒鳴りつけ、アキラを申し訳なさそうに見た。

「今日の面会は遠慮して欲しいと申しましたのに……。アキラさん、具合大丈夫ですか?」
「いえ、大丈夫です。少なくとも2人が悪いわけじゃないんで……」
 先ほど朝食の際も気を使ってくれたエルラシアに、鼻の奥がジンとなるのを感じながらも、隣のエリーを小さく睨む。
 エリーは、無表情をアキラに向けていた。
 付き合いは短いが、何が言いたいのか不思議と分かる。
 わざとじゃない、だろう。

「大丈夫であるのなら……、アキラ様。1つ、お願いがあるのですが……」
「ちょ、村長! 日を改めてください!!」
 エルラシアの悲痛な叫びを尻目に、ファリッツはアキラを誘うように建物の外へと歩き出した。

「実は、最近困ったことがありましてな」
「? はあ……」
 そのまま歩を進めたアキラは、村長のわざとらしく寄せた眉をぼうっと眺めていた。

「この辺りに、とあるモンスターが多く出没するようになったという話は、お聞きになりましたか?」
「いや、聞いてないですけど……」
 そもそもこの世界に来て、アキラは村から1歩も外に出ていない。
 モンスターすらも、話を聞いただけで実在するかどうか分かっていないのだ。 

「それでしたら……いや、エリサス。説明してさし上げられるな?」
「できなくはないですけど……」
「そうか! やはり私などから聞くよりも、説明がてらに親睦を深めた方がよいでしょう?」
 いやらしく笑うファリッツは、エリーの顔が歪んでいるのに気づいているのかいないのか。
 ついさっき、互いの目的がはっきりしたばかりの2人は、相変わらず上機嫌のファリッツにとぼとぼとついていくことしかできない。

 建物の外に出たファリッツは、出てすぐの庭に停めてある台車に向かう。
 茶色い畳のようなカバーがかかった台車は、その重さを象徴するように、庭に深々と車輪の傷を残していた。
 荷物番なのか、そこにも従者がおり、ファリッツの指示通りにカバーを開ける。

「まあ、詳細はともかく、お願いしたいのは、そのモンスターの討伐なのです。ぜひ、“勇者様”のお力をお貸しいただければ幸いなのですが……」
「おおっ」

 カバーが取られ、アキラは瞳を輝かせた。
 これぞ、異世界の定番。

 武具だ。

 いささか荒く並ばされているが、鉄製の、剣、槍、兜、盾、そして鎧までも、メジャーな武具が勢ぞろいしている。
 他にも、ナイフと思われるものや、弓、と、アキラが名前を知らない奇形な武器まであった。

「村一番の職人に造らせました。どれでも好きな物を好きなだけお持ちください」
 これが勇者様への献上物というものか。
 昨日の今日でオーダーメイドなどできるはずもないのだから、すべて市販のものなのだろうが、目を輝かせるアキラには、そのことに気づきようもなかった。

「こ、これでモンスターを倒せばいいんですね?」
「ええ、ええ。勇者様のお気に召したようで幸いです」
「ちょ、ちょっと、」

 さっそく台車に手を伸ばしたアキラに駆け寄り、エリーはボソボソと囁く。

「あ、あんた、本当にやる気? 口車に乗せられてるのに?」
「前にRPGやったんだけど、そのときの勇者への献上物はこん棒とかだったんだ……。俺は今、猛烈に感動している」
「相手はモンスターよ? 異世界から来たとか言ってたけど、魔法、使えないんでしょ?」
「平気平気。どうせ、最初の村のモンスターだろ? スライムクラスは楽勝だって」
「え……、本当に……?」

 エリーの呟きも聞き流し、アキラは武器を物色する。
 やはり何と言っても、剣だ。
 槍も捨てがたいが、最も勇者らしい武器と言えば、これに限る。
 あとは、投げナイフか何かを選べば完璧だろう。

「本当にこれ、貰っていいんですか?」
「勇者様への献身は最大限に。これは、“しきたり”なのです」
 また、“しきたり”か。
 そんなことを僅かに思うが、こんな“しきたり”なら大歓迎だ。
 アキラは今、ようやくこの世界を楽しめる予感がしていた。
 “しきたり”とは便利な言葉だ。
 後付け設定、どんと来い。

 勇者、万歳だ。

 そんな様子を見ながら、エリーはため息を吐く。
 アキラの身体能力は知らないが、“あのスライム”を倒せると言い放った以上、何か特殊な力があるのだろう。
 だが、それを踏まえても、村長の思惑通りになるのが気に入らない。

「ところで、エリサス。勇者様との婚姻の儀は、いつにする? あの騒ぎだったのだから、もう1度改めてすべきだろう?」
「っ、」
「いつがいいか……。サミエル。私の予定の開いている日はいつだったかな?」
 さきほどメモを取っていた側近が1歩前へ出た瞬間、エリーはバッと手を広げ、静止をかけた。

 どうせ、村長の頭には、この村の者と勇者が結婚すれば、さらにこの村に“はく”が付くとでも思っているのだろう。

「まっ、魔王を倒してから、です! 今は、魔王を倒すことを優先しましょう!!」
「おおっ、エリサス、ではお前も討伐に向かってくれるのか!?」
 この村でぼさっとしていればいつ結婚させられるか分かったものではない。国の魔術師隊に入る儀式は、間違いなく結婚式のあとになってしまうだろう。

 どうやら自分も、村長の話に乗るしかないのだと悟り、エリーはため息を盛大に吐きながらアキラに並んで武器を物色し始めた。

 こうなったら、魔王でも何でも倒してやろうじゃないか。

―――**―――

「グランドマイアンドロスガーディックス~~(略)~~ギガミュータントマーチュ(笑)?」
「(笑)はいらないわよ。それが、討伐対象のモンスター」
 アキラ、エリー、マリスの三人は、村から出た大草原を歩いていた。
 正面に見える巨大な岩山に向かって、踏みならされて植物が生えなくなった1本道を、背に負った洋風の剣をガチャガチャと鳴らしながら進む。
 その途中、エリーから受けた説明に、アキラはうんざり、とでもいうように欠伸を漏らした。

「なっが(笑)」
「正式名称よ。やっと覚えたと持ったら、何よ、(笑)って。通称マーチュ」
「ねーさんも覚えるの苦労してたっすからね……」
 後ろをとぼとぼ付いてくるマリスの呟きに、エリーは分かりやすく咳払いをした。

「先に通称を教えろよ」
「あ、あたしだって覚えるの苦労したのよ? 同じ苦痛を味あわせてやりたいって思うのは自然なことでしょう!」
「かぁ~。それで、そのマーチュ(笑)ってのが、あの山に?」
「ええ。あそこが本拠地」

 エリーの話だと、そのマーチュなるモンスターが出没し出したのは、別に最近のことではないらしい。
 ときおり山を下りて悪さをするマーチュに困っていると言えば困っているが、別に今討伐する必要はないだろう。
 つまりこれは、ファリッツの勇者を試すテストというものなのであろうことは、実情を知っているエリーにしてみれば容易に想像がつく。

「てか、名前からして相当強そうなんだけど……。その正式名称(笑)」
「いちいち(笑)をつけるの止めてくれない?」

 アキラは先に見える山を壮大な景色と共に眺めた。
 太陽が真上から照り付け、それでいて、涼やかな風がかさかさと草むらを揺らす。
 ここが異世界なのはともかくとして、こういう景色は心洗われるものがあった。

「それにしても、モンスターって、こういう場所には出ないのか? てっきり村の外では普通に襲われるって思ってたんだけど……」
「普通ならエンカウントするわよ。ほら、いるでしょ?」
「?……!」
 エリーに指差されて背の高い草むらを見てみれば、何やら、がさがさと動いているモノがいた。
 自然生物だと思えばその程度のサイズなのだろうが、草の間からときおり見える姿は、とりあえずアキラの知っている生物ではないだろうことが分かる。

「……“勇者様”に恐れをなして出てこないってか?」
「はあ……。半分正解だけど……恐れられているのは、あなたじゃないわよ」
「?」

 困ったように振り返ったエリーに倣い、アキラも視線を後ろに向ける。
 だが、当然、そこには相変わらず眠そうに瞳を半分閉じているマリスがいるだけだった。

「ああ、自分、モンスターに怖がられるんすよ」
「え?」
「“数千年に一人の天才”。そんなこと言われたりして……。たまに家に、国からスカウト来るのよ……」
 なんと、そんな後付け設定もあったとは。
 言われてみれば、確かにアリスには神秘的な雰囲気がある。

 だが、それをカミングアウトしたエリーの顔は憂鬱なままだった。

「スカウト、受けないのか?」
「それはダメ!!」
 当然の疑問を口にしたアキラに返ってきたのは、エリーの怒号。
 昨夜から聞いているその声は、広い広い大草原に淡白に響いた。

「もしマリーが受けようものなら、激戦区の遠隔地に飛ばされちゃうわ……それは、ダメ」
「…………自分も、興味ないっすからね」
 眠気を抑えるのが限界のような気だるい声は、エリーのセリフを否定はしなかった。

「そ、れ、よ、り。あんた、そんな恰好で大丈夫なの?」
「え?」
 エリーはずんずん歩を進めながら、アキラの格好を横目で見定める。
 変わっていない。
 最初に見た通りのラフな服装に、ただ単に剣を背負っただけ。
 一応腰には、こちらも貰い物の投げナイフが数本ケースに入ってぶら下がっているが、防具は一切存在しなかった。

「そんな恰好じゃ、危なくないの?」
「お前だって、大して変わってないだろ」
 エリーは、身体に吸いつくような上下の連なったアンダーウェアに、腕やすねに簡単な防具が付いている機動的な姿だった。
 ハーフパンツのようなズボンも、羽織った半袖のローブも、動きを阻害しない程度で、ローブの方は腹部ほどまでの短い丈。
 長い髪をポニーテールに結び、そのまま背中に垂らしている。
 武器らしい武器もなく、せいぜい両拳に鉄で編んだような手袋をはめてはいるが、他には何も持っていなかった。

 そして、マリス。
 こちらは本当に変わっていない。
 長い髪の上から漆黒のローブを羽織っているだけで、単純によそ行きの服を着てきただけのようにも思えた。
 魔法使い、と言えばそう言えるだろうが、あくまでこの世界における一般服の範疇だ。

「あたしたちはいいの。魔力でカバーできるから。でも、あなたは……」
「いや、いいだろ、これで」
 アキラは軽く剣に手を当て、足を速めた。
 アキラが重視したのは、攻撃面でも機動面でもなくファッション性。
 重苦しい兜や鎧を纏うのは、微妙に似合わないと感じたからだ。
 ついでに言うなら、フル装備をすると、おそらくアキラは重さで動けなくなったりするのだろうが。

「まあ、自分がいればなんとかなるっすよ。マーチュはそこまで強いモンスターじゃないっすし」
 マリスもそう漏らし、足を速めてアキラの隣に並んだ。

 その様子を見ながら、エリーは小さく眉を寄せる。
 変だ。
 自分の知っている妹は、こんなに積極的じゃない。
 いつもどこか面倒そうに厄介事から遠ざかり、村を見下ろし歌っているだけだ。

 それなのに、今のマリスはどうだ。
 モンスター討伐の話を聞くが否や、参加を表明し、ここにいる。
 機嫌も良さそうだ。
 自分の育ての母も嫌っているファリッツの思惑通りになっていること重なり、エリーは何かもやもやする胸を軽く叩いた。

「マリー。この人だけは止めときなさい」
「大丈夫っすよ。にーさんは、ねーさんのっすからね」
「「それは違う」」

 2人が声をそろえたところで、一行は、山のふもとに到着した。

―――**―――

「レベルが1つも上がらないで最初のダンジョンに到着したか……」
「たまには意味の分かることを喋りなさいよ」

 山に開いた巨大な穴に入っても、様子の変わらないアキラに呆れながら、エリーは神経をそばだてた。
 外とは違う。
 ここは、マーチュの本拠地だ。
 いくらマリスがいると言っても、本拠地に入られた以上、向こうは撃退を考えるだろう。
 つまり、エンカウントしたら戦闘が始まるのだ。

「まずは、お手並み拝見ってとこね。ほら、行ってよ」
「てか、暗くないか?」
 必要最小限、と持ってきた松明に火を点け、アキラは奥を照らす。
 松明も定番のものと、僅かばかりに心躍るものがある。
 ごつごつとした岩肌の通路が、ずっと奥に続いているのだろうが、照らした範囲では当然ゴールが見えない。

「?」
 だが、照らした先、岩陰で、何かが動いた。
 それが何かは目で追えなかったが、ここがマーチュの巣である以上、その本人だろう。

「ほら、いたわよ。行って」
「ちょ、押すなって……!!」
 エリーにグイグイと背を押され、アキラはしぶしぶ松明をエリーに渡し、剣を抜く。
 ズシリと重い金属の感触を両手で受けとめ、じりじりと慎重に、今何かが蠢いた岩陰に近づいていく。
 足が重いのは、初めてモンスターに出遭うという感動より、未知の生物と戦闘するという恐怖が勝っているかだろう。

「……!? ……うぉ……?」
 だがそれは、アキラを待たずに、ぴょこっと出てきた。

 背丈は、小さな犬ほど。
 アキラの膝にも満たないサイズのそれは、狐色のリスのようなモンスターだった。
 くるっ、と丸い眼をしたその肩や額には、渦巻きの模様がついており、後ろに見える尻尾も細長くも、ふぁっさふぁさの毛で覆われている。
 その、愛らしい生物は、必死に2足で立ち、怖がっているかのようにプルプルと震えていた。
 身体の前にちょこんと飛び出した小さな前足に、ドングリでも持たせてやれば、愛玩動物の完成だ。

「マーチュよ。さあ、倒して」
「できるかぁっ!!」
 無情なエリーの言葉に、アキラは叫びを洞窟に反響させた。

「ぴょこ、で、ふぁっさふぁさ、で、ちょこん、だぞ!? お前に人間の心があるのかよ!?」
「って、来てる来てる!!」
 エリーの指を追ってみれば、マーチュがトコトコ歩いてきていた。
 まるで初めて歩みを覚えた赤子のように、その姿は懸命だ。
 ここで、『きゅう?』とでも鳴かれたら、アキラは防具を揃えなかったことよりも、おやつを持って来なかったことを悔やむだろう。

 しかし、

「キューッ!!」
「っ―――」
 予想以上に鋭い鳴き声が洞窟内に響いたあと、マーチュは跳んだ。
 鋭い狩猟動物の動きで、マーチュはアキラ目指して、渦巻き模様が付いた頭から突っ込んでくる。

「う、おっ!?」
 ほとんど転ぶように洞窟内で倒れ込んだアキラに聞こえたのは、ドゴンッ、という岩の砕かれる音。
 倒れ込んだまま恐る恐る顔を上げれば、砕けてひび割れた壁の元、ぱらぱらと落ちる小石の中、マーチュが再び懸命に立ち上がっていた。

「きゅう?」
 おやつを与える気には、なれなかった。

「こっ、こいつ、えっ、こいつっ!?」
「マッ、マーチュに背を向けちゃダメ!! また跳んでくるわよ!!」
 すぐに立ち上がって離脱を試みようとしたアキラは、エリーの教科書通りの言葉にピタッと止まる。
 相変わらず愛らしいマーチュの後ろには、無残にも砕かれた岩の埃が舞っていた。

「っ、やるか!!」
 回避の際、放り投げた剣を拾い、マーチュと対峙する。
 どこかウルウルとしているように見える丸い瞳の奥に、マーチュの本気を垣間見た。

「攻撃するときは速いけど、普段の動きは遅いわ!!」
「お……おうっ!!」
 エリー指導の元、戦闘のチャートリアルを受け、アキラは慎重に、マーチュににじり寄った。

 身体の前に突き出すように構えた剣先が、プルプルと震える。
 手のひらは汗に濡れ、緊張を解くように、握り離しを繰り返す。
 目の前のマーチュは相変わらず愛らしいが、下手をすれば冗談抜きで死ぬだろう。

 良心の呵責は未だにアキラを攻め立てるが、もうこうなったら、やるしかない。

「うっ……らぁっーっ―――」
 剣を大きく振り上げた瞬間、アキラの身体の奥の本能が、でかい声で『馬鹿野郎っ!!!』と叫んだ。
 それが、人間に備わっている第六感か、はたまた防衛本能かは定かではないが、一瞬遅れ、アキラも自分がいかに危険なことをしたかに気づく。

 目の前には、突撃で岩をも砕く、マーチュ。
 そんなマーチュの前で、両手で剣を振り上げ、無防備に腹部をさらしているのだ。

 マーチュがリスのような顔を、いたずらを思いついた子供のような笑みに変える。
 この体勢でできる最大限の回避を試みようにも、身体は動かない。

「キューッ!!」

 あ、これは、死んだ―――

「―――、」
「―――!?」

 マーチュの額の渦巻き模様がアキラの眼前に迫った瞬間、それは、急停止した。
 マーチュは全身、淡いシルバーの光に包まれ、ふわふわと、まるで水の中に沈んでいるかのように短い手足をばたつかせている。

 この事態に理解が遅れたが、アキラはこの光を、昨晩見ている―――

「にーさん、今っす」
「お、おう!」
 振り上げたままだった剣を、今度こそ勢いよく振りおろす。
 空中で動けずにいるマーチュを見ると、先ほど以上に罪悪感が沸くが、殺されそうになったアキラにはそれを気にしている余裕はない。

 ガギンッ

「……」
 きつく目を閉じて剣を振り下ろしたアキラに届いたのは、腕のしびれと、奇妙な音。
 確かに剣は振り下ろしたのに、どうしても嫌な予感が頭から離れない。

「……!?」
 恐る恐る開けたアキラの目に飛び込んできたのは、未だシルバーの光を保ったままふわふわと浮かぶマーチュ。
 涙目で、額の渦巻き模様をさすっている。
 そして、自分の両手が握る、先が折れて軽くなった剣だけだった。

「なん……だと……!?」
「『なんだと』じゃないでしょ!!」
「―――!?」

 自分が全力で攻撃した小動物が無傷だったことと、初めて使った剣が真っ二つになったことでのダブルのショックを受けたアキラ。
 その、アキラの眼前、横から何かが跳び込んでいったと思えば、目の前の涙目の愛らしいマーチュが、物理的な衝撃を受け、壁に向かって吹っ飛んで行った。

 インパクトの瞬間、闇を吹き飛ばすように爆ぜた色は―――スカーレット。
 それを受けて、マーチュは倒れ込んでピクリとも動かない。

「あああっ!! マーチューーーッ!!」
「ばっかじゃないの!?」
 跳び込んでいったのは、エリーだった。
 マーチュを殴った右の拳をわなわなとふるわせながら、アキラを睨みつけてくる。

「あんたマリーがあんなチャンスくれたのに……。なに武器壊してんのよ!?」
「こ、これは、剣が悪い!!」
「物のせいにしない!!」
 エリーにぴしゃりと言われ、アキラは押し黙る。

「いくらマーチュだって正面から切りかかられたら魔力で守るくらいするわよ!! それにいい加減な切り付け方して…………って、それ、もうくっつかないわよ」
「わっ、分かってるよ!」
 折れた剣先を拾い、壊れた個所をじっと見ているアキラはむくれながら返した。
 パキリ、という表現がそのまま使えるように、剣は折れている。
 最初の一刀で、アキラの武器は腰に下がった投げナイフだけになっていた。

 初めての戦闘は、自分の武具が壊れ、第三者の攻撃で幕を閉じたという結果。
 正直、ショックが大きい。

「ま、まあ、にーさん、その、反射神経は良かったすよ……。それに、綺麗に剣も折れるってことは、結構力あるじゃないっすか」
「ありがとうマリス。俺その優しさで泣く」
 せっかくのフォローも届かず、アキラはそろそろと、2つの剣の欠片を持ちながら、マーチュに近づいて行った。

「それにしてもお前……、よくこんな愛らしい生物いきなり殴れたな……」
 アキラの脳裏に浮かぶのは先ほどのインパクトの瞬間。
 エリーの拳がマーチュの頬にめり込み、その瞬間、スカーレットの炎が爆ぜていた。

「あなたは切りかかってたでしょ……って、何するつもりよ?」
「この剣は、こいつの墓にする。何も与えてやれなかった俺ができる、せめてもの弔いだ」
「……って、ちょっと!!」
「あ、あぶないっす!!」
「え……?」

 珍しくマリスの大声を聞いたと思った直後、不用意に近づいて行ったマーチュから、バチバチと、グレーカラーの電撃のようなものが走り始めた。

「―――っ」
 頭に危険信号が走った直後、マーチュが、小規模な爆発を起こした。

「がはっ!?」
 その衝撃をもろに受け、吹っ飛んだアキラは、背後の壁に強く背中を打ちつける。

「モンスターは、もともと魔力で創られた存在。戦闘不能になると、その魔力が体の中で暴走して爆発するの。分かった?」
「いだっ、いだっ、が~っ、痛いって!!」
 背中を抑えながらゴロゴロともんどりうつアキラに届いたのは、エリーの冷ややかな視線と、今の爆発の正体だった。

「なんか、なんか……!!」
「にーさん、じっとして欲しいっす……」
 体を土まみれにして転がっているアキラに、マリスが近づき手をかざす。
 すると今度はアキラの患部にシルバーの光が満ちた。

「おお……、おおお……!!」
 燃えるように扱った背中が、冷却シートを張ったように冷めていく。
 光が徐々に弱まり、洞窟内の光源が再び松明だけに戻る頃には、アキラの怪我は完治していた。

「どうっすか?」
「マリス。好きだ。大好きだ」
「ふざけてないで立ちなさい!!」
 エリーの怒号に十分に応えられるほどの健康体に、アキラは余裕を持って立ち上がる。
 この姉妹のギャップは酷い、という認識を強くしながら。

「てかさ、教えてくれよ。爆発するって。分かるわけないだろ、そんな後付け設定……」
「あたしたちはあなたがモンスターの墓を作ろうとするバカだってことを、教えて欲しかったわ」
「マリスはすごいよなぁ……。怪我まで治せんのかよ」
「こっ、のっ」
 よっぽど松明でも投げつけてやろうかと思ったエリーだが、その松明は跳び込むさいマリスに渡したことを思い出し、代わりに強く拳を握った。

「はあ……、とにかくあなたの実力は分かったわ。外に置いとくわけにもいかないし……、これから先は後ろに隠れてついてきなさい。武器もないでしょ?」
「いや、まだ投げナイフが……」
「……投げてみなさい」

 アキラは不満げに、慣れない手つきでナイフを腰から外し、近くの壁へ投げつける。
 だが投げた直後、マンガのように切っ先はまっすぐ飛ばず、くるくると回転し、結局柄の部分が壁に当たってカラカラと足元に転がった。

「……思ったよりも難しいな」
「もう1度言うわ。あなたは大人しく後ろからついてきなさい」
 付き合ってられない。
 そのままのセリフを顔で出し、エリーは、小さな光を手から放ちながらずんずん進んでいった。
 色は先ほどのスカーレット。
 あの光なら、十分に松明代わりになるだろう。

「ま、まあ、これからっすよ」
「うん、マリス。この辺で声出して泣ける場所知らないか?」
 最初のダンジョンは、レベル1のまま侵入し、どうやらこの先も、アキラの戦闘参加はなさそうだ。

―――**―――

「うぉぉぉおおーーっ!!」
 襲いかかってくるマーチュが、壁まで吹き飛ばされる。
 跳びかかってきた3体全てが一瞬で戦闘不能に陥った。

「はぁっ!!」
 今度は遠距離攻撃。
 突撃体制になったマーチュに鋭い光が飛び、その光に貫かれたマーチュは、その場で蠢き、こてっ、と倒れ込んだ。

「こいつで最後だ!!」
 群れをなして襲いかかってきたマーチュも残り1匹。
 最後の特攻さえも許さず、高速の攻撃がマーチュの体を寸分違わず捉えた。

「相手が悪かったな……」

 バンッ、バンッ、バンッ!!

 最後に手向けの言葉を呟けば、それが戦闘終了の合図のように、倒れていたマーチュが一斉に爆発する。
 先ほどまで、この一幅大きくなった洞窟の道を埋め尽くさんとしていたマーチュは全滅し、残っているのは自分たちだけになった。

「パララパッパッパーッ!!」
「うるさーいっ!!!」
 背後でガッツポーズをしながら奇妙な擬音を奏でたアキラに、エリーは怒鳴りつけた。

「あんたねぇっ!! 大人しくっていたでしょ!! なんで静かに見てられないのよ!?」
「悪いな……マーチュ。どれほどお前が愛おしくても……討伐の対象になった以上、俺は仕事と割り切って動くんだ」
「話を聞けーーーっ!!」
 未だアキラは戻って来ない。
 この洞窟の奥に進む途中、出会ったマーチュの群れはこれで7回目。
 その全ての戦闘をエリーとマリスの二人だけで終えていたが、3、4回目辺りから、黙って見ていただけのアキラは妙な叫び声を上げ始めていた。

「いや、そろそろ俺強くなったんじゃないか? 次の戦闘からでも参加を……」
「見てただけのあんたの何が変わったっていうのよ!?」
「いや、ほら、経験値って、馬車の中にも入るじゃん、な?」
「意思疎通できることを喋りなさい!!」
 エリーはまたごわんごわんと洞窟内に怒号を響かせ、そのまま背を向けすたすたと歩いていった。

「まあ、にーさん。今回はしょうがないっすよ。流石に死んだら魔術じゃ生き返らせられないんすから」
 ときおり入るマリスのフォローに涙ぐみながら、アキラは2人について行った。
 手には、もう剣はなく、代わりに預かった松明だけが握られている。

「……」
 同じ高さの2つの背中を松明の光の先に見ながら、アキラはちろちろと、自分の中で好奇心が恐怖に勝っていくのを感じていた。

 2人がこうもたやすく倒せるマーチュ。
 それを考えると、最初の戦闘は何かの間違いだったのではないか、と思う。
 ならばそろそろ、自分も戦闘に参加できないだろうか。

 だけど、マリスが言うならば、自分はそれができないのだろう。
 やはりなんとなく、もやもやする。

「! 来たっす」
「はあ、本当に数が多いわね……!」

 またも現れたマーチュの群れは、アキラの腰ほどの高さの身体、と、先ほどよりも少し体が大きかった。
 その群れに、エリーは迷わず跳び込んでいく。

 エリーは群れの中心にいたマーチュに、拳をそのままの勢いでたたき込んだ。
 その瞬間、拳にスカーレットの色が爆ぜ、その勢いでマーチュは吹き飛ぶ。

 これが、エリーの戦闘スタイルのようだ。
 武闘家のように拳や蹴りの応酬で相手を襲う。
 ただ、アキラよりも細いその腕の筋力はたかが知れている。
 攻撃力の大部分を占めているのは、魔力だ。
 インパクトの瞬間に魔力を流し込み、相手を撃破する。
 マーチュは肉体的な攻撃と魔力の威力をそのまま受けて、吹き飛んでいく。
 威力が高いのは、マーチュが一様に一撃で戦闘不能になっていることから容易に想像できる。

「―――、」
 次いで、マリス。
 マリスは、エリーの攻撃で分断したマーチュに小さな手のひらを向け、そこからシルバーの光を飛ばす。
 受けたマーチュは、焼かれるように光を纏い、そのまま倒れ込む。
 シンプルな、魔法だけでの攻撃。
 魔法使いのような攻撃を的確に受け、マーチュは次々と戦闘不能に陥っていった。

 バンッ、バンッ、バンッ!!

「パララパッパッパーッ!!」
「うるさーいっ!!」
 このやり取りも何度目か、肩で息をしながらエリーはアキラを睨みつける。

「にーさん、ねーさんを刺激するのはとりあえず止めた方がいいっすよ……」
「あ、ああ。ありがとう」
 マリスから伸ばされた手を取って、岩陰に座り込んでいたアキラは立ち上がる。
 一方エリーは、またも肩をいからせ歩いて行っていた。

 双子で、同じ背丈で、同じ顔。
 それなのに、この2人はこうも違う。
 戦闘スタイルはともかく、性格が違いすぎた。

「はあ……はあ……」
「……」
 再びアキラの前を、双子の姉妹は歩いていく。
 洞窟内で聞こえるのは、松明のメラメラとした音と、人数分の足音。
 そして、エリーの荒い息使いだけだった。

「なあ、お前、大丈夫なのか?」
「あ、ん、た、がっ!! 戦えないからでしょう!?」
「ね、ねーさん……」
 アキラが口を開けば、エリーの怒号とマリスのフォロー。
 異世界にいきなり来て、手厚く保護してくれるマリスには、本当に感謝している。
 流石に、アキラの夢の、ハーレムのメンバーにいて欲しいと思っただけの人物だ。

 だけど、どうしても。
 何故かエリーのことが気になっていた。
 昨夜の出会いでの、身体中が震える衝撃。
 思い出せば、未だ、容易に体を震わすことができる。

 アキラの人生で、かつて1度もなかった衝撃。
 それが、どうしても、身体の中で爆発を繰り返すのだ。

「っ―――」
 今度は、1匹だけだった。
 物陰から飛び出てきたマーチュに、エリーは迷わず攻撃を放つ。
 アキラの代わりに爆発してくれたマーチュに荒い息切れだけを残して、エリーは歩を緩めなかった。

「ねーさん、飛ばし過ぎっすよ」
「さっさと帰りたいの!! 奥まで行けば、それでいいでしょう?」

 ピリピリしているエリーは確かに刺激しない方がいい。
 たとえ、身体中が震えた少女相手でも、アキラは今度こそ声はかけなかった。

「マリスは……余裕そうだな?」
「その子は、存在そのものがチートなのよ。って、マリス。その男から離れなさい」
 未だ警戒が解けないエリーは、マリスをアキラから引き離す。
 デフォルトになりつつあったマリスの位置は、エリーの隣に移動した。

 あの二人が前列で並んでいれば、いかにマーチュが大群で押し寄せても、総て撃破されるだろう。

 いいとこなしだ。
 そんなことを、アキラは思う。
 異世界に来て、“勇者様”と言われて。
 それなのに、自分は黙って2人の女の子に守ってついて行くだけだ。

「勇者の隠された力とか……ないのか? そういう設定」
「だから、意味の分かる……!……」
 そう言いかけたエリーの眼前が、徐々に明るくなっていった。
 届くのは、暖かな日の光。
 そして、外気。

 この洞窟は、どうやら山を切り抜いて外につながっていたらしい。

「はあ、もう終わりかな?」
 エリーがようやく肩の力を抜き、最初に光満ちる外へ歩いて行った。

「そうみたいっすね」
 次いで、マリス。
 マリスは変わらず力を抜いたまま、のんびり歩いていく。

 そこから1歩後れ、アキラも光へゆっくりと歩を進めた。

「……」
 本当に、出番がなかった。
 自分は、愛らしい姿のマーチュ1匹倒せず、この依頼は終わるようだ。

 不甲斐ない、と言われれば正にそれだけだろう。

 もしかしたら、自分がエリーに怒鳴られても叫んでいたのは、その不甲斐なさを紛らわすためのものだったのかもしれない。

 そして、それ以上に。
 自分よりも小さな女の子に頼りっきりになっていた現状が、アキラは一番気にかかった。

 ただ、今さら言っても仕方ないことなのだけど。

「はあ……」
 大きくため息を洞窟内に響かせ、アキラは光に吸い込まれていった。

「―――、?」
「……」
「……」

 洞窟をようやく出て、新鮮な空気が肺を満たしたところで、アキラはすぐそばで棒立ちになっている2人に追いついた。

 出た場所は山の中にできた窪みのような場所らしい。
 野球場のような巨大な草原は山に囲まれ、真上から太陽が照りつける。
 そして、その中央には誰が置いたのかこの場を埋めるように巨大な岩が、ズンッ、と待ち構えていた。

「……」
「……」
 2人とも、茫然とその場に立ち、ただただ目の前の巨大な岩を見上げているだけだ。

「何やってんだよ? てか、ここ出口じゃないのか?」
「グ……、グルルルルッ!!」
「―――!?」

 気楽に二人に並んだアキラの耳に、この場総てを震わす地鳴りのような音が届いた。

「……な、なん―――」
 身を竦ませ眉を寄せ、アキラは凍える子犬のように辺りを見渡していた。
 しかし、その音源に気づいてしまえば、その震えがピタリと止まる。

 この、音源は、目の前の岩だった。

「あ……、う……え……!?」
 目の前のゴツゴツとした茶色の岩は、よくよく見れば生物だった。

 まるで岩そのもののように形作られた四足歩行の巨大生物。
 アキラの身長など、地面にめり込むように体を支える前足よりもはるかに小さい。せいぜい、小指の爪程度だ。
 肩や背には、岩盤だろうが鉄板だろうが容易に貫けるであろうドリルのような棘が装備されている。
 丸まった尾は、その全貌を現してはいないが、広げれば今まで歩いてきた洞窟の長い道なりにさえ相当しそうだ。
 今まで真横を向いていた顔をゆっくり向けたと思えば、まるで竜のように鼻が突き出た物々しい顔立ち。
 そして、その額には、最も太くたくましい螺旋模様の角が、天を突かんとするように備わっていた。

 だが、その、螺旋模様の角には、アキラは何故か見覚えがある。
 具体的に言うならば、ついさっき。
 マーチュとかいう愛らしい生物の額にも、渦巻き型の模様がついてはいなかっただろうか。

「グルルルッ」
 その生物は、その禍々しい瞳で、3人を捉えた。

「…………グランドマイアンドロスガーディックス~~(略)~~ギガミュータントマーチュ(笑)?」
「え……ええ、グランドマイアンドロスガーディックス~~(略)~~ギガミュータントマーチュ(大)……よ……?」
「グランドマイアンドロスガーディックス~~(略)~~ギガミュータントマーチューーーッ(焦)!!!?」

「グググ―――、ギィィィィァァァアアアア―――ッ!!!!!!」

 その叫びで、この山に存在する総ての動物が震え、飛べるものは飛び、その術を持たないものは持てる筋力全てを使ってこの場から離脱する。
 残った生物は、この場で棒立ち状態の、3人だけだ。

「っ―――、2人とも、下がるっす!!」
 言われるがまま、アキラは全力で元来た通路に駆け込んだ。
 ほとんど飛びように洞窟内に倒れ込んだアキラは、壁に頬ごと密着させ、必死に身を隠す。
 地響きに揺れる視界の先、マリスが両手を突き出し、巨大マーチュを広範囲の光で抑え込んでいる。
 だが、マーチュの角は、その防御壁をすでに突き破っており、そこからミシミシとシルバーカラーの盾にヒビが入っていっていた。

「なっ、何なんだよ、あれ!!?」
「しっ、知らないわよ!!」
 いつの間にか、同じように通路に駆け込んでいたエリーが、隣で息を弾ませていた。
 エリーもマリスの忠告通りに下がっていなければ、突撃を仕掛けてきたマーチュに踏み潰されていただろう。

「でっ、でも、確かマーチュは成長すると大きくなるって……。で、でも、あのサイズは……」
「真ん中のサイズの奴いなかったじゃねぇーかよ!!」
「だっ、だから知らないって!!」
 つい昨日まで、近くの村で平和な暮らしをしてきたエリーだ。
 まさかこんな近所に、村を軽く潰せるような生物がいるとは夢にも思わなかっただろう。

「っ―――」
 2人が洞窟内で喚き合っていても、戦闘状況は変化する。
 ついにその猛チャージで防御壁を突破したマーチュは、鋭い爪を小さな身体に振り下ろした。

「―――」
 マリスが小さく何かを呟いたかと思えば、今度はその身体が白く光り、つむじ風のように飛翔した。

 ズゥンッ!!

「わっ!?」
「きゃっ!?」
 マリスが難なく回避しても、マーチュの爪は大地を砕き、地鳴りを起こす。
 その地震で洞窟内も揺れ、アキラとエリーの背後に岩が崩れ落ちてきた。

「みっ、道が!!」
「うぉぉぉおおおーーーっ!? どうすんだよ!?」
 退路を断たれ、パニックに陥りながら、2人は洞窟から這い出す。
 この場総てが揺るがされ、安全場所などもう存在はしていなかった。

「―――っ、」
 2人が洞窟から這いだしてきたのを視界の隅で捉えたマリスは、身体を光で包んだまま、巨大なマーチュの周りを陽動しながら飛ぶ。

 このマーチュ。
 マリスが知っているどのモンスターよりも大きい。
 魔王の牙城の近くに行けばいることはいるだろうが、こんな片田舎に出てくるにしてはあまりに常識外れだ。
 周りを飛んでいる自分の身体など、マーチュから見ればハエとさえ大差がないだろう。

 そして、最も恐ろしいのは額に尖る、角。
 マーチュというモンスターは、成長すればするほど、つまり、力を高めれば高めるほど身体が大きくなる。
 その次は、毛が抜け落ち、岩肌の身体が現れる。
 そして、身体の成長を迎え切ったあと、ようやく額にある螺旋の中心から天を突くように角が発達するのだ。

 身体の成長もその種の限界を明らかに超えている上に、発達しきった角。
 こうなれば、おそらく目の前にいるマーチュは、先天的な才能にも恵まれ、成長しきっていることになる。

 つまり、目の前にいるマーチュは、世界最強のマーチュ。
 この山のマーチュの群れのボスだろうが、こんな場所にいるべきモンスターではない。

「―――っ、ディセル」
 マーチュの巨大な角の横なぎに、マリスは再びシルバーの盾を創り出した。
 今度は先ほど砕かれた略式ではなく、詠唱まで付した防御の呪文。
 ただその盾も、マーチュの攻撃を1度防いだとはいえ、攻撃に歪み、もう持ちそうにない。

「……」
 追及は後回しだ。
 今は、2人もいるのだから。

 飛んでみて分かったことは、この広場の出口は、自分たちが入ってきた道しかないということ。
 もしかしたらこのマーチュはここで成長し、外に出られなくなったのかもしれない。
 だから、子分のマーチュたちに食料を運ばせていたのだろう。

 ただそれが分かったところで、その唯一の道が潰された以上、自分たちに退路がないという絶望的な事実が姿を現しただけだった。
 辺りの山も高く険しく、空路さえも塞がれている。

「―――2人とも!! 伏せてて欲しいっす!!」

 落石に逃げ惑いながら、広場に隅にいる二人に珍しく張り上げるように声を荒げ、マリスは天に手をかざす。
 その手を煌々と銀色に輝かせ、全身を使って振り下ろした。

「レイディーッ!!」
 落雷のような閃光が、マリスからマーチュに落とされた。
 その鋭い一撃は、サイズの小さいマーチュに放っていた遠距離攻撃の強化版。

 詠唱呪文を付した、この辺りのモンスターならばすべからく消し炭になる、必殺の一撃。

「ギィィィイイイーーーッ!!?」
 これにはさしもの巨大マーチュも、苦痛で身体を暴れ回させる。
 だが、本来なるべき戦闘不能には程遠く、身体をいからせマリスを睨みつけた。

「―――!?」
 鋭い光に焼かれたマーチュは、身を震わせ、巨大な角を天に向ける。
 その角は、今までのマーチュが爆発する際のグレーカラーの波動を纏い、バチバチと帯電でもするかのように危険に光る。
 マリスはその角に、膨大な魔力が集中していることを瞬時に察知した。

 これは、まずい―――

 マリスの眼が足元の二人を捉えたとき、マーチュの角から閃光が走った。

―――**―――

 アキラがこの異世界に来て、最初にへばりついていたリビリスアークの高い塔。
 そこは、今、完全にキャパシティーオーバーの状態だった。

 もともと教会の象徴として建てられた巨大な鐘の塔だが、高台ゆえに、壮大な景色を見るためにも十分に使える。
 そして今は、主に後者の役割を果たしていた。

「どうだ、見えるか?」
「い、いえっ」
 村長、ファリッツの指示に、その側近、サミエルが望遠鏡を覗きながらおどおどと答えた。
 彼が様子を伺っているのは、先ほど“勇者様一行”が向かった村の近くの岩山。
 その“勇者様”の名前は、ヒダマリ=アキラ。
 今朝ほど会った少年の名を、ファリッツが忘れぬように自分にメモをとらせたのは記憶に新しい。

「ええいっ、貸すんだ」
「は、はいっ」
 ほとんどひったくるように望遠鏡を受け取り、ファリッツも山の様子を探る。
 だがサミエルは、その行為に何の意味もないことを十分に知っていた。

「くそっ、山が邪魔で見えんな……」
 そんな悪態を吐くファリッツの後ろでは、エルラシアをはじめ、村民の人間が恐る恐る同じ方向を見ていた。

「それにしてもなんだ? この地鳴りは……!! “勇者様”に何かあったら……くそっ、」
「だ、か、ら、危険だと申しましたでしょう!? それに、エリーたちもいるのですよ!?」
 先ほどからいら立つファリッツの後ろにいるエルラシアは、ファリッツが強調した“勇者様”の言葉にさらに苛立っていた。

 今回の件よりずっと前から育てていた、ファリッツは好きになれないという感情は、今度こそ確固としたものになる。

 だがファリッツなど、今襲っている純粋な危機感に比せば矮小なものにすぎない。

 さきほど、この村まで届いた巨大な響き。
 それは、エリーたちの安否を気に掛けながらも孤児院の子供たちの世話をしていたエルラシアにも当然届いた。
 子供たちに決して外に出ないように言いつけ、その世話を心許せる近所の者に頼み、飛ぶようにこの高台まで登ったのはつい先ほど。

 崩れることを懸念して塔の下で二の足を踏んでいたファリッツを追い越したのは痛快だったが、やはり不安は身体中を駆け巡る。

 ファリッツが地鳴りと表現した、あの音。
 それがどうも自分には、何か巨大な生物の叫び声にしか聞こえなかった。

 山に囲まれて様子が一切見えないあの地では、今一体何が起こっているのか。

「村長、今すぐ、衛兵に様子を見にいくようにと……、」
「わ、分かっている。だが、村の護衛も……。サミエル、サミエル!!」
「はっ、はい!!」
「今すぐ国に連絡を入れろっ!! 兵を回してもらうんだっ!! “勇者様”の危機だと伝えるんだ!! 動かざるを得なくなる!!」
 ファリッツの怒鳴り声に、サミエル集まった村の人たちの合間を抜け、塔を駆け足で降りていく。
 こういう場合の判断は流石に村長か。
 一瞬感心したエルラシアだが、ただただ無意味に望遠鏡を覗き続けるファリッツの背中を見ると、やはりどうしても、だ。

「ああ……。エリー、マリー……アキラさん、どうか、無事で……」
 ただ、結局自分も村長と同じように祈りを捧げるだけ。
 エルラシアが指を組んで固く眼を閉じたとき、岩山から、グレーの光がほとばしった。

―――**―――

「っ―――、え?」

 エリーは、何が起こったのか理解できなかった。
 マリスが宙を飛び交い攻撃を仕掛けていたことと、その直後、巨大マーチュの角に何かがほとばしったことまでは目で追えたが、何故今自分がシルバーの光に包まれ、ふわふわと宙を浮いているのかが、エリーには分からない。

「うぉぉおおっ!? う、浮いてる浮いてる!! 俺らっ!!」
 エリーの混乱は、隣からの声にかき消された。
 マリスの戦いを並んで見ていた男は、同じようにシルバーの光に身を包み、隣に浮いている。

「あ……、危なかったっす……ね」
 次いで、自分たちの足元に、自分の妹を見つけた。
 空と地面に境界線を創るかのように展開された巨大なシルバーカラーの光の盾に手を置き、頬に汗を一筋流している。
 だが、その境界線は、まるでガラスのようにひびが入り、すぐにパリンッと割れてしまった。

 ヒビだらけの地面と岩肌。
 まるで自分たちがいる場所をとり残して、世界そのものが変わったかのように総てが破壊されていた。

「今のは……?」
「ギガクウェイク……。あのマーチュ、“土曜”の魔術使えるみたいっす」

 エリーはつい先日あった試験を思い出す。
 マーチュは、“土曜属性”のモンスターだ。
 あのサイズまで成長すると、マーチュといえども魔術が使えるようだ。

 だが、ギガクウェイク。
 その呪文は、土曜属性の魔術の奥義とも言える大技だ。

 土曜属性の魔力を全体に放出し、それに触れた大地や壁にも伝達するように破壊の波動がほとばしる。
 避けるには、地面や壁から完全に自分を隔離し、その上で襲いかかる魔力をもガードしなければならない。

 たった今、マリスが自分たちにそうしたように。

「―――」
 マリスはエリーたちをちらりと見ると、再び巨大マーチュに襲いかかっていった。
 決してマーチュの攻撃範囲に自分たちが入らないようにうまくマーチュを陽動し、魔力を飛ばしていく。

「あいつ……本当に強いな……」
「……だから、存在そのものがチートなのよ……」
「?」
 マリスの戦いを部外者のように眺めながら漏らしたアキラの言葉を、エリーはどこか憂いを帯びた言葉で拾った。

「なんでもそう。あたしより、なんでもできるのよ、あの子は」
「……」
 エリーは自虐的に、シルバーの光を纏う手の平を顔の前で開いた。

「あたしもマリーが国仕えになるのは反対だし……、本人は興味ないって言うから受けてないけど……。マリーならあんな試験、簡単にパスできるわよ」

 あんな試験。
 それは、エリーが受けたという、国の魔術師の試験だろう。
 アキラにはその難易度がどの程度のものなのか知らないが、入隊の儀にわざわざ国の魔道士が集まったと聞いている以上、それ相応のものなのだろう。

 ふわふわと浮かぶ不安定な光の中、アキラは、眼下で戦っているマリスではなく、エリーだけを見つめていた。

「さっきも見たでしょう? マリーがマーチュと戦ってるのに……、あたしはあんたと一緒に落石を必死で避けてただけ」
「いや、あいつは天才なんだろ?」
「……“その双子のねーさん”は、そうじゃないのよ? 度胸もない。潰されるのが怖くて、近づくこともできないんだから」

 エリーは、最愛の妹マリスに、コンプレックスがあるようだ。
 悔しそうに、マーチュの周りを飛び交うマリスを眺めながら、エリーは小さく『あーあ……』と漏らした。

 コンプレックス。
 総てに恵まれている人間が存在しないと考えれば、それは誰でも持っているものだろう。
 ただ、それを受け止めて、起こす反応は人それぞれだ。

 そのコンプレックスを埋めようと奔走する人間もいれば、ただ単純に諦めるだけの人間もいる。
 自分がどちらの種類の人間なのかと問われれば、アキラはおそらく後者に分類されることになるのだろう。

 例えば、テストで悪い点を取ったとき。
 例えば、体力測定で一緒に受けた奴より劣っていたとき。

 元の世界でのプライドは、言い訳と共に埋もれていった。
 そんな自分が不甲斐ないと思いつつも、本気で悔しがったことは、多分、なかった。

 幼い頃からやっていれば、と思ったことは、何度もある。
 だが、今からやろうとは、どうしても思えなかった。

 だから、自分は仮想の世界に思いを馳せ、そんな自分をリセットしたいという願望に取りつかれていたのだろう。
 その仮想の世界での自分は、主人公で、英雄で、たくさんの美女たちに囲まれているのだ。
 そんな世界を夢見ない者は、多分存在しない。

 いかに現実主義者で、いかに後悔のない人生を送ったと言い切れる者でも、夢を見ることを拒絶する者はいないはずだ。
 どんな人生を送ったか、ということと、夢を見る、というのは、離れて存在するものなのだとアキラは思う。

 だけど、そんな諦めだけで満ちていた世界から、自分は離脱した。
 “主人公”になれるチャンスをもらったのだ。
 そのはずなのに、自分は今マリスが戦っているモンスターの、10分の1にも満たないマーチュすら倒せない。

 ようやく、自分の中で生まれていた“もやもや”に、“悔しさ”という名前がはっきりつけられそうだ。

 そして、

「なあ、俺たちなんかできないのか?」
「?」
 同じように悔しさを持っているエリーに、ようやくアキラはその声をかけられた。
 自分の悔しさもさることながら、アキラはどうしても、エリーがそうなっているのを見るが、辛い。

「なんか、その辺の岩砕いて、逃げ道作っとくとか……」
 アキラが見たのは、今や自分の目の高さにある山の肌。
 落石が懸念された下とは違う。
 今自分たちがいる高度がこの飛翔の魔術の限界のようで山を超えることはできそうにないが、ここなら攻撃して山を掘り進んでも危険ではないだろう。

「まあ、俺の使命は応援になるんだけど、さ」
「はあ……。山が砕けるなら、マーチュに攻撃してるわよ」
 アキラの提案を切り捨てたエリーは、今度は怒鳴らなかった。
 ただ、嘲笑とも違う呆れ顔を、アキラに向けるだけ。

「ま、まあ、そうだよな」
 そんな顔を見ると、どうしても、アキラの心拍数は上がる。
 熱に浮かされるように、頭がぼうっとするのだ。

 ああ、もしかしたら、自分は。

「―――、危ないっす!!」
「―――!?」

 アキラがその声に反応し、エリーの手を引き全力で身体を動かすと、たった今自分たちがいた場所をマーチュの巨大な尾が薙いだ。
 岩山を抉る一撃は、この山総てを震わす。
 もしも受ければ、痛いと感じる余裕さえないだろう。

「あっ、あんたよく空中で動けるわね……!?」
「あっ、ああ、俺もびっくりだ!!」
 何とか回避を成功させたアキラ自身も、奇跡的に最高の働きをした自分の反射神経と運動能力に目を丸くする。

「こっ、これは勇者の血が……!?」
「それはない!!」
 この銀の光を纏っていれば、マリスの力を借りずとも、本人の意思で動けるらしい。
 この魔術の性能は、アキラの頭に後付けされて入っていく。

 だが、それと同時に、エリーに大声で否定された“勇者の血”とやらが、身体の中でふつふつと現れ始めたのを感じた。

 自分は、“戦い方を知っている”。

「な、なあ、俺、マジで勇者かもしれないっ!」
「はあっ!? じゃ、じゃあ何とかしないさいよ!!」

 エリーが見据えるのは、未だ動きの鈍らない巨大マーチュ。
 マリスが攻撃を幾度となく打ち込んでも、その底なしの体力は尽きる気配がない。

「い、いや、まだあいつの相手は早いっ。もう少し、ソフトな相手なら……」
「あんた……って、また来たぁぁぁあああーーーっ!!」

 巨大な尾が、再び二人を襲った。
 マーチュは再警戒対象のマリスを追いながら、近くを飛び交う五月蠅い2人を払うように尾を蠢かせる。

「あっ、あんたっ、勇者でしょ!? ほっ、ほらっ!!」
「ぜっ、前言撤回の方向で!!」
 持てる筋力全てを使って、アキラとエリーは尾を避け続ける。

 先ほど思わず掴んでしまった手は、離さない。

「っ―――、レイディー!!」
 マリスも必死にマーチュの注意をアキラたちから逸らそうとするが、尾を動かすだけで事足りる相手な以上、その尾の動きは止めない。

「どっ、どうすんだよ!?」
「どうするも何も……!?……」
 突如、アキラに手を引かれるまま飛んでいたエリーの眼が、マリスを捉えて見開かれた。

「どっ、どうした!?」
「マッ、マリスが疲れてる!!」
「!?」
 そう言われてマリスを見たが、アキラには何がどう違うのか分からなかった。
 半分閉じたような瞳も、つむじ風のように空を飛び続ける動きも、何一つ変化はない。
 今まで通りだ。

「そっ、それマジなのか!?」
「あたしには分かるのよ!!」
 流石に双子、と言うべきか。
 マリスの微妙な変化を敏感に察したエリーは、握る手を強くした。

「攪乱するように飛んでるし……。さっきの防御もあんなに大きく……、ど、どうしよう!? あっ、あたしたちがいるせいだ……」
「おっ、おま―――、っ、うお!?」
 顔面蒼白になったエリーへの返答は、身体に起こった異変にかき消された。
 今まで空を自由に行けたシルバーカラーの光。
 それが、急激に収束しだし、徐々に高度も下がっていく。

「2人―――っ」
 再び飛翔の魔術を放とうとしマリスは、それを遮るかのようなマーチュの突撃に離脱以外の行動を取れなかった。

 2人はとうとう地面に降り立ち、再び落石との戦いが始まっている。

 まずい。
 もし、ここで、“あれ”をされたら―――

「ギィィィィイイアアーーーッ!!!!」
 マリスが危惧したと同時、再びマーチュが強大な雄叫びを上げた。
 そして、その角にほとばしる、グレーカラーの膨大な魔力。

「まっ、まずいっ!! あっ、あれっ!!」
「さっ、さっきのか!?」
 慌てふためく二人から、マリスは遥か遠くにいる。
 マーチュは魔力を溜めながらも、尾で威嚇し、マリスの動きを封じていた。

「どっ、どうすれば―――」
「……」
 必死に打開策を探ろうと視線を泳がすエリーの横、アキラはギュッと、手を強く握り返していた。

 汗に濡れた手の向こう、エリーの心音が聞こえる。
 絶体絶命という言葉は、まさに今こそ当てはまるだろう。

 現状、打開策がない。

 だから今こそ、アキラは強く念じた。

 異世界への来訪。
 双子の美少女との出会い。
 そして、村から勇者と崇められたという設定。

 細部は微妙にずれたが、ここまでベタづくしなのだ。
 だったら、残っているもう1つのベタな設定。

 “勇者の力”とやらが発動してもいいではないか。

 自分に隠された力。
 それが、今、絶対に必要だ。

 先ほど、空中での移動中、浮かんだ身体の中の奇妙な感覚。
 “勇者の力”と思えた、あの、“戦い方を知っている”という感覚。

 恐怖で埋めたその感覚を、必死に探る。
 “この世界に自分が来た意味”があるというのなら、絶対にこの状態を救える術があるはずだ。

 少なくとも。
 隣で震える女の子を、助ける術が。

 この子を、どうしても、助けたい。

 あるはずだ。

 ルール通りの世界なら―――

「―――」

 “来た”。

 身体の中からふつふつと、何かが沸き上がってくる。
 右手には、浮かんできた感覚を。
 左手には、エリーの手を。

 それぞれ強く強く掴む。

 ベタな展開と言われてもいい。
 後付け設定、万歳だ。

 その2つは、決して離したくはない。
 何故か、そんな想いが強まっていく―――

「っ―――」
「え……」

 アキラの右の手のひらが、煌々と光る。
 色は、オレンジ。
 その光は、未だ差し込める太陽と混ざり、キラキラと輝いていた。

「……」
「ぁ……ぇ……」
 アキラは、恐怖と絶望で冷え切っていた身体が、輝く右手から、ポカポカと温まっていくのを感じた。
 その熱は左手から、エリーにまでも伝わる。

 いける。

 アキラは確信した。
 この光には、絶大な信頼を寄せていい。

 そう、本能が訴えかける―――

「うぉぉぉおおーーーっ!!」
 アキラはその光を放つように、前に突き出した。

―――カラ、カランッ。

「…………え?」
「……は?……はぁっ!?」

 今まさに必殺の一撃を放とうとするマーチュに飛んでいったのは、アキラの放つ絶大な威力の光線、

 ではなかった。

 飛んでいったのは固形物。
 それはまるで、子供に投げられた玩具のように、数歩先の地面に転がる。

 その、オレンジとクリムゾンレッドの、筒状のボディ。
 普通の竹を切り取り、それに短剣でも突き刺したような形。
 その筒は、穴の空いている端と、空いていない端があり、空いている端には、竜の顔を模しているように装飾が付いていた。

 だが、結局のところ、その形状は、

「あっ、あんた、村長から玩具の銃でも貰ってたの!?」
「いっ、いやっ、あれっ!?」

 まさしく銃そのもの。
 ただ、銃というよりは、大砲をコンパクト化したような形状だった。

 だが、この世界には、このようなコンパクトな銃はない。
 エリーの目からは、竜の顔をモチーフに造られた玩具にしか見えなかった。

「え、えっと……?」
 しばし、茫然。
 たった今、究極の攻撃を繰り出したつもりでいたアキラは、投げ出された勢いでくるくる回っていた銃が止まるまで、その玩具をじっと見ていた。

「って、遊んでる暇は―――」
「あっ、ああ!!」
 マーチュが今まさに魔術を放とうとしていることをようやく思い出し、アキラは一縷の望みをかけて転がった銃に駆け寄った。

 持ち上げてみても、軽い。
 手触りは、造りがいいのか良くなじむが、近くで見ればますますチャチな玩具だ。
 竜の口に相当する先端の穴から覗いても、中に弾薬らしきものも見つからない。

 マーチュの魔力は放出寸前だというのに、自分は玩具で何をやっているのか。

「くっ、来るっす!!」
 マリスの叫びが聞こえる。

 そんな中。
 どこか諦めたように、もしくは、何の気なしに。

 アキラがカチッと引き金を引いてみた瞬間。

 それは、起こった。

「……―――」
 エリーは、見た。
 アキラが引き金を引いた瞬間、巨大なマーチュがオレンジの光に包まれたのを。

 放出先は、アキラが取り出した、銃。
 膨大な魔力が溢れ、その竜は、破壊の光線を吐き出した。
 小さな竹ほどの太さの穴から、あの巨大なマーチュをまるまる飲み込むほど巨大で、圧倒的な光。
 その光線は、マーチュすらも通り越し、山そのものさえ飲み込んでいく。
 そのまま天高く伸びていき、太陽と混ざっていった。

 このオレンジの光が持つ意味を、エリーは知っている。

 系統ごとにカラーの違う魔力の波動。

 自分の火曜属性は、スカーレット。
 マリスの月輪属性は、シルバー。
 マーチュの土曜属性は、グレー。

 そして、オレンジは、

「“日輪属性”」

 ふわり、と。エリーの元にマリスは答えを発して着地した。
 光に包まれた巨大マーチュに、完全に背を向けて。
 叫び声すら上げられず、光に飲み込まれたマーチュの生死は確認するまでもない。

「やっぱりにーさん、“勇者様”みたいっすね」
 ふう、と息を吐くマリスの顔は、どことなく緩んでいる。
 それはきっと、月輪属性の魔術師が好む日輪の光を近くで見たからだろう。

 この世界に存在する属性の中で、最も希少と言われるその光。
 マリスがアキラに惹かれる理由が、ようやくエリーも理解できた。

「はあ……。使うのが遅いのよ……」
 エリーがそう呟いたところで、ようやくマーチュが倒れ込み、最後の地鳴りを響かせた。

「……? あれ、にーさんは……?」
「え……あれ?」

 破壊の出所を探っても、そこには誰もいない。
 荒れただれた広場の中、立っているのはエリーとマリスだけ。

 巨大マーチュを一撃で倒した“勇者様”、アキラは、こつ然と姿を消していた。
 何一つ、別れも告げず。

「―――不思議な人……だったわね」
「ねーさん、違うっす……!! あっち、あっち!!」
「へ?」
 マリスが珍しく慌てて駆けていったのは、エリーの真後ろの岩の壁。

 何があるのかと振り向けば、そこには、1人の男が倒れ込んでいた。

 横に向いた顔は、額と鼻から血を流し、眉を苦痛で歪ませ、大地を抱きしめるようにうつ伏せで倒れているのは、間違いなく、“勇者様”だ。

「あ……が……が……う……っ……」
「―――グロッ!?」
「いっ、言ってる場合じゃないっす!!」
 マリスは慌てて手をかざす。

 自分の攻撃の反動で後ろに吹き飛んだアキラは、強く体を岩場に打ち付け、その激痛で嗚咽を漏らすことしかできない。
 吹き飛ぶ方向が少しでもずれていたら尖った岩に身体が突き刺さっていただろうが、幸か不幸か半死半生のアキラに何かを考える余裕はなかった。

「あ……あ……が……、」
 シルバーカラーの光が、アキラの患部に集中していく。
 処置が早いのが幸いか、アキラの傷は、順調に塞がっていった。

「どっ……どうっ……なっ……、」
「マーチュなら倒したわよ。あんたの攻撃が」
 途切れ途切れのアキラの声を拾い、エリーが澄んだ顔で見下ろしてきた。
 アキラは痛みでうずく顔で、笑みを返す。
 その攻撃を放った強力な銃は、アキラの足元に転がっていた。

「本当に、“勇者様”みたいね……」

 ああ、よかった。
 マーチュを倒したことよりも、エリーがそこで笑っていてくれることが、アキラは嬉しい。

 やはり、自分は、あのとき、

「……ふぅっ」
 マリスがかざした手を離し、銀の光が小さくなって消える頃には、アキラの傷もやわらぎ、身体を起こす程度はできるようになっていた。

「痛みはまだ残ると思うっすけど……とりあえず大丈夫っすね」
「あ……あ、ああ、大丈、夫だ。助か、った……」
 マリスの言う通り、未だズギッ、と痛みはあるが、とりあえず助かったらしい。

「マジで、ありが、とう」
「どっちかって言うと回復魔術は苦手なんすけどね……。でも、よかったっす」
「いや、お前が、いなかった、ら、さっき、も……さ、っき……?…………!!?……」
 呂律が回らないアキラの身体が、さらにプルプルと震えた。

「……!?」
「?」
 最初は痛みのせいだと思っていたマリスも、警戒心を新たにする。
 どうもアキラは、何かを見て、震えているようだ。

「ね、ねえ、どうしたのよ?」
「―――!! まずいっす!!」

 何が、とエリーが聞き返すまでもなかった。
 最後と思われた地鳴りが、再び発生。

 飛び退くように振り返ったエリーの瞳に、信じられない、いや、信じたくない光景が飛びこんできた。

 倒れ込んだマーチュが起き上った、わけではない。
 それならある意味遥かに幸せだったろう。

 問題なのは、倒れ込んだ巨大なマーチュが、この閉ざされた空間で、身体中に魔力をほとばしらせていることだった。

「まっ、まさか―――」
「戦闘不能の爆発っす!!」

 エリーの顔が一気に青ざめた。
 モンスターの爆発の威力は、その蓄え込んだ魔力に依存する。
 上位魔術を放てるほどのこの巨大な生物の爆発は、先の洞窟内での小動物の爆発とは比較にならない。
 下手をすれば、この山総てを消し飛ばしかねない。

「っ、ねーさん、自分の後ろに!!」
「マッ―――」
 マリスは二人を庇うように立ち、巨大なシールドを展開しようと両手を広げる。
 だが、マーチュの魔力の一端を使って放たれた攻撃にさえひび割れたシールドが、その源全ての爆発を耐えきれるだろうか。
 エリーの予想は、ノーだ。
 加えて言うなら、マリスはもう限界が近い。

「っ―――」
 今すぐこの場から離れなければならない。
 自分たちが考えなければならないのは、防御ではなく、回避だ。
 だが、飛べる高さに限界がある以上、この場所からの離脱は―――

「……!! そうだ! こっ、これ!!」
 エリーは、足元に転がったアキラの銃にしゃがみ込んだ。
 人一人吹き飛ばした噴射とマリスの魔術を併せて使えば、山を越えられるかもしれない。

「って、これ、な、によ……!?」
 だが、手を伸ばしたその銃は、地面に張り付いているかのように動かなかった。

 “重い”のではない。
 “持てない”のだ。

 理由は分からない。
 だが、不思議な感覚が、この銃を持つことを拒絶させる。

 とにかく、エリーには、この銃を装備することができなかった。

「ちょっ、ちょっと、ねぇっ!!」
「な……ん、だよ?」
 よろめきながらもようやく立ち上がれたアキラの手を取り、エリーは銃に近づける。
 すると、どういう原理か。落ちていた銃は、アキラの手に吸いつくように拾われた。

 あとは、

「マリー、逃げるわよ!!」
「……! 了解っす!!」
 展開しようとしていたシールドを瞬時にキャンセルし、マリスはアキラにしがみついた。
 そして二言三言呟き、3人の身体を宙に浮かせる。

「いい? 合図したら撃つのよ!!」
「いっ、いや、これ、肩外れそうになる……わっ、分かった!!」
 2人にしがみつかれ宙を浮くアキラの眼に、巨大な身体をさらに膨張させたマーチュがいやでも飛び込んできた。
 すでに臨界点。
 バチバチとほとばしるグレーカラーの魔力の量の前には、先の魔術の記憶さえ瞬時に塗り替えられる。

「っ、ここが限界っす!」
「おぅ―――ぎっ―――」
「っ―――」

 飛翔魔術の最高到達地点に達したマリスが叫んだと同時、アキラは再び禁断の引き金を引いた。
 その瞬間、オレンジ色の閃光が噴き出されたと思えば、その勢いで3人は上空へ吹き飛ぶ。
 ついでに言うならば、アキラの肩の骨は、今度こそ外れたようだ。

「いっで―――」
「!! 危ないっす!!」
 肩の激痛に滲む視界の先、アキラに、先ほどのトラウマが近づいてきた。

「っ―――」
 発射の向きが悪かったのか、3人が向かった先には、空への道の障害物、飛び出た岩。
 この勢いで飛び込めば間違いなく命はないというのに、頼みの綱のマリスは、3人を少しでも高く飛ばすことに精一杯だ。

「どっ、どうす―――」
「あっ、あたしが!!」
 アキラの顔が恐怖に引きつったとき、届いたのはエリーの叫び声。
 強引に自らの身体を2人の前へ動かし、拳を突き出した。

「―――」
 生きていたのだから、成功したのだろう。
 アキラは目を閉じていたが、いつまで経っても襲ってこない衝撃に、恐る恐る目を開く。
 衝突の瞬間、眼前いっぱいに広がったスカーレットの魔術は発動し、障害物を見事粉々に砕いていた。

 もう3人を遮るものは何もない。
 スカーレットとシルバーに輝く発行体が、オレンジをロケットブースターに青空を行く。

 その塊が太陽に混ざりゆく、その瞬間。
 無人となったマーチュの山が、グレーの光に飲み込まれた。

「―――終わったっすね……」
「たっ、助かった……!!」
「かっ、肩っ、肩っ、がっ……!!」

 3人の吹き飛ぶ先は、偶然にもリビリスアークの方角。
 アキラの銃が閃光を吐き出さなくなったところで、マリスはゆっくりと、不時着ポイントへ軌道を修正した。

―――**―――

「多分、これで大丈夫っすよ」
「あ、ああ……ありがとう……」
 アキラは恐る恐る、右手を上げる。
 ある一定以上の高さに上げると未だ痛むが、どうやら骨ははまったらしい。
 ただ、痛むのは肩だけではなく全身なのだが。

「ま、名誉の負傷ってやつね」
「そりゃどうも……。てかさ、手、痛いんだろ?」
「む」
 先ほどからずっと拳をさすっていることを見透かされ、エリーは喉で唸る。
 すぐにマリスが光で包んだエリーの拳では、岩を砕いた手袋が無残にも破れていた。

「山。砕けるじゃないかよ」
「砕いたのは、岩、よ。……ああ、マリス、もう大丈夫。ありがとう」
 エリーは拳を動かし、様子を確認する。
 そこでようやくマリスは、ほっと息を吐き、とろん、と眠そうな顔を作って草原に座り込んだ。

 3人が不時着したのは、リビリスアーク近くの草原。
 さしものマリスも疲れたようで、村まで飛ばすことはできなかった。

「まあ、村の人が迎えに来てくれるっすよ」
「そうね。今度こそ、村長に文句言わないと……!!」
「そう、だな……。流石に最初のボスで、あれはない」
「だ、か、ら、意味の分かる……あ、え……」
「!?」

 アキラの足元に転がっていた銃が、途端、輝いた。
 巨大マーチュを一撃で倒した神秘的な武具が、空に溶けるように透けていく。
 そしてその光の残照は、アキラの胸に吸い込まれていった。

「お、おおっ、なんか必殺の武器っぽい」
「“魔術による武具の具現”。立派に必殺の武器っすよ、それ」
 魔術で武器を創り出せるのか。
 何か燃えるものがあるその設定に、アキラは目を輝かせた。

「妙に身体が熱いのも、この銃の力、か……」
「いや、にーさん単純に風邪っす」
「え?」
 言われて、アキラは額に手を当てる。
 熱い。
 そして、自覚して初めて、景色がぐわんぐわんと揺れているような気がしてきた。

「…………ゴホッ、ゴホッ!!」
「何いきなりせき込んでんのよ!?」
「いや、なんか景色が歪む……。マジで……!」

 そう言えば、確かに朝から体調が悪かった。
 アキラはそれを思い起こし、さらにせき込む。
 今までもったのは、戦闘でのアドレナリンだったようだ。

 病は気から、を体現するように、自覚した今、アキラに急激な寒気が襲ってきた。

「だっ、だ……めだ……。もう、座っても……いられな……」
「ちょ、ちょっとっ」
「病気は治せないっすよ……」
 パタリと仰向けに倒れ込んだアキラの視界には、青空の中、同じ顔の2人が映った。
 2人とも、休んでいいと顔で言ってくれている。

「は……はは……」
 頼りなさ気に乾いた唇から声を漏らして、アキラは意識を手放すことを決めた。

―――もしかしたら、これは、風邪のせいだったのかもしれない。

「―――」
 天才的な魔術を発揮して、怪我を幾度となく治してくれたマリス。
 その上、親切に接してくれた。
 感謝しても、し足りない。

 それなのに、何故か。
 マリスより、エリーのことを目で追っていた。

 やっぱり、熱のせいなのだろう。
 今、急速に意識が遠ざかっていくのも。
 熱に浮かされ、よりによって女性の前で素直すぎる自分の夢を口走ったのも。

 そして。

 自分がこの異世界に来て、最初に出逢った、花嫁姿の女の子。
 そこで、自分が。

 エリーに一目惚れをしていた、なんてことを思ったのも。


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