常春の国より愛を込めて
第八話:家の近所の歯医者は黒医師ギルドのメンバーに違いない
霧の都
ロンドン
「出張なの?」
「ああ」
キングサイズのベッドの上に開かれたアタッシュケース、その中にクローゼットから取り出した服が無造作に投げ込まれる。
ここはロンドンのとあるアパートメント。この部屋には三人の人間が住んでいる。家主は女王陛下に忠誠を誓う英国軍人、そのパートナーと二人の幼い愛の結晶。
因みに三人とも生物学的性別は男性である。
ここで疑問を抱いた読者の方には、世の中何が起きてもおかしくない、という言葉を送っておく。
「あっ、駄目だよバン。服はきちんとたたまないと」
そう言って長い亜麻色の巻き毛の少年がアタッシュケースの中身を詰め直す。
「ぼくがやっておくから、フィガロの相手をしていて」
「…………ああ」
長い黒髪を揺らしながら、男―――――英国情報部少佐ジャック・バンコランは苛立たしげにソファに身を沈める。
そのままシガレットケースを取り出し、開こうとした所でテレビを眺める我が子フィガロを間の端に捉え、ケースを仕舞った。
「どうしたのさ、バン。えらく不機嫌みたいだけど」
出張なんて珍しくないのに、と呟きながら亜麻色の髪の少年――――マライヒが戻ってくる。
「…………出張は構わん。が、行く場所の問題だ」
「何所なんだい?」
「あの変態甘納豆が国王なぞやっている国だ」
洗面所に携帯用の衛生品を取りに向かっていたマライヒが立ち止まる。
「マリネラか」
「どうもうちの連中、あの国の担当が私と勘違いしているらしい」
「…………まあ、なんだかんだ言っても仲が良いからね、バンとパタリロ」
「誰があのつぶれ甘食と!」
激昂したバンコランが立ち上がるのをケラケラと笑いながら退散するマライヒ。
フィガロは大人しいものだ、熱心にテレビにかじりついている。内容はILCプロジェクトについてのドキュメンタリーである。しかもかなり学術的な観点からの構成になっていた。
「マリネラか…………相変わらずいい気候なんだろうね」
「年中春だから変態ばかりなのだろう」
「出張は一週間だったね、その後は?」
「休暇だ…………着いて来る気か?」
しばらくかんがえていたバンコランだったが、仕方ないとばかりに肩を竦める。
「しばらく忙しかったからな、王宮に近付かなければ良い保養地だろう」
マライヒが微笑む。が、直ぐに顔を曇らせた。
「あ…………駄目だ。明後日フィガロの友達の誕生会に呼ばれているんだった」
「ならばその後合流すれば良かろう、どうせ一週間は仕事だ」
「そうだね」
マリネラなら、服は薄手で良いだろうとクローゼットをもう一度開くマライヒ。そうしながらバンコランに尋ねる。
「けど、またパタリロが何かやったの?」
バンコランの仕事は国の諜報に関わる。普通ならば家人に内容を明かすわけには行かないのだが、マライヒは彼の仕事上でのパートナーでもある。仕事内容の話はごく普通にこの家庭内で交わされていた。
「第5課(MI5)からの依頼だ。ある殺人事件の容疑者がマリネラに向かったという情報があってな、それを追う」
「殺人事件……?」
奇妙な話だ。MI5は英国国内の治安維持が仕事だが、警察権は持たない。ただの殺人事件ならば通常スコットランドヤードの出番の筈だ。
しかもバンコランの所属するMI6に依頼が回ってくるとはそれなりの大事件である。しかしそんな大事になる殺人事件など仕事柄耳聡いマライヒでも聞き覚えが無かった。
「当然普通の殺人事件ではないのだが……むしろ殺人など起きていないも同然なのだ」
ますます奇妙な話だ。
バンコランが読んだ資料を思い出しながら話を続けた。
「先月末、ウェールズのある小都市で十代の男女の自殺が相次いだ。一週間で15人、性別や出自、階層も特に共通点は無くその方法や場所もばらばら、唯一の共通点はその自殺前十日以内に有る人物との接触が有ったというだけだ」
「…………15人!」
マライヒが目を見開く。しかしまだ疑問は解けない。
「それで、その人物が容疑者な訳?」
「薬物などの反応は検出されなかった。大体動機さえ分からん。
しかし問題はその自殺者の中にさる上院議員の娘の姉妹が居たという事だ。この上院議員はMI5テロ対策の熱心な支持者だ。
そしてその男はIRAとの接触経歴がある」
「…………その男については?」
「地元名家の長男で歳は25、一年前までここロンドンに住んでいたが家を継ぐとの事で帰郷したらしい。IRAとの接触もロンドンでだ。最も、接触といってもIRAが運営していた麻薬取引業者と交流があったというだけだ、本人からは使用していた反応は無く所持もしていなかったので逮捕されたわけでは無い」
「バイヤーという訳でもなかったんだ」
「ああ、生理科学の研究員をやっていたらしく、たまに個人的な実験に使う合法の薬品の注文をしていたらしい」
「…………けど、良く分かったね。その男が自殺者に接触していたなんて」
自殺などの変死の場合、その前の行動を追うことは当然だが、小都市とはいえ15人もの人間、その十日前までの接触した人間など調査には膨大な時間が掛かる。如何にMI5とはいえ先月からそう時間が経ったわけではない。
「地元の名家と言ったろう。それなりに有名人らしい。
百年ほど続く家系で郊外の山奥の屋敷に住んでいるらしい。閉鎖的だが金は有るらしく、地元では敬遠されつつも一定の支持はあるらしい」
そこまで話し、バンコランは口を濁す。
「どうしたの?」
「…………地元のヤードも手を出しにくい家らしくてな。
下らん話だが、其処の住民には魔法使いの家系などと噂されている胡散臭い家らしい」
マライヒも眉を顰めた。
「まさか、魔法で皆を操って自殺させた…………?」
バンコランは皮肉な笑みでその言葉を断ち切った。
「魔法なぞ下らん。
…………しかしその所為で地元のヤード共が及び腰だそうだ。全く、その無能な連中のおかげで私の仕事が増える」
バンコランの不機嫌の原因が分かったところで、マライヒは優しげな笑みを浮かべながら彼の隣に座り、頭をバンコランの大きな肩に寄り掛けた。
「いいじゃないか、そのお陰でぼくはバンとフィガロを連れて旅行に行ける」
その言葉に少し機嫌を直したバンコランだったが、次のマライヒの呟きに流麗な眉が顰められた。
「けど…………あのパタリロのところに魔法使いなんて現われたらまた変な事になりそうだ」
マリネラは今日も快晴。
空港に降り立ったのは長く美しい黒髪に滅多に見られない天然のアイシャドウ、全身から匂い立つ雰囲気は抜き身の拳銃の様な危険な香りの男。しかしその雰囲気は近頃少し和らいだと評判だ。
その彫刻の様な完璧な容姿と危険な香りの中にも僅かに見え隠れする包容力の雰囲気も相まって道行く女性の殆どが彼を振り返る。
しかし、彼はその女性達に見向きもしない。彼がたまに目で追うのは危険人物の可能性が有る対象と、見目麗しい少年達だけだった。
「…………なんだあの機内ビデオと放送は」
近頃就航したマリネラ航空便を使いマリネラに降り立ったバンコランは、機内で目に入ってしまったフィクション極まるビデオと相変わらず悪さをしているパタリロの行状に注意を促す放送に早速嫌気が差していた。
仕事でも顔を見たくないあの顔面リケッチアである。
とりあえず今回の仕事にあれは関係無い、王宮に一度顔を出しあの頭に一発拳を入れ、後は英国大使館を中心にあれの居場所には一切近付かず仕事を済ましてしまう算段をつけながら空港内を歩いていた。
声を掛けられたのはそんな最中である。
「…………もしかして、バンコラン…………かい?」
バンコランが振り向くと、其処には十代前半の育ちの良さそうな少年が立っていた。
仕立ての良いシャツの胸元には十字架が光る。
その愛嬌のある笑顔に、バンコランは見覚えがあった。
「やっぱりバンコランだ! うれしいなぁ、こんな異国の地で貴方にまた会えるなんて…………これも神の導きって奴かな?」
そういって少年は戯けた様子で十字を切る。
その様子にバンコランはこの少年と会った時の事を思い出していた。
あれは数年前、イタリアに出張に行った際夕食をとりに行ったパブで一人本を読みながらも機嫌良さそうにしていたこの少年に声を掛けたのだ。
彼は自己紹介でちょっとした偉い坊主の息子と名乗っていた。
因みにバンコランは実際は兎も角、建前上プロテスタントである。
そして少年も立場上敬虔なカソリックなのだが、バンコランの眼力を意識して使うまでも無く、こういう事に抵抗は無いらしくすぐに“仲良く”なった。
幼いといって良い外見ながら、精神的には充分老成しているらしく、バンコランの相手には申し分なかった。
イタリア出張中しっぽりと付き合い続けた仲ながら、バンコランの帰国の際別れる時もにこやかに送り出してくれたものだ。
あっちの具合も実に良く、バンコランにとって“ちょっと”印象に残る相手の一人だった。
「ああ……久しぶりだなメレム。相変わらずお前は可愛い」
所変わってマリネラ王宮。
「いい? もう一度言うわよ。
1ネマリラは100ラリネマ。
1ラリネマは100マリネラ。
1マリネラは100マラネリ。
1マラネリは100マネラリ。
…………わかった?」
「…………すまん、もう一度言ってくれ」
凛が苛立たしげに頭を掻く。
「ああもう! 何でこんな簡単な事覚えられないの!」
「…………いいですかシロウ、お金は大切なのです。いくら日頃馴染みの無い通貨でも間違いは許されません。きっちりと覚えてください」
「全くだ、金勘定は人生で最も大切な技術だぞ、少年」
「えーと、1マリネラが100ラリネマ? 100マラネリが1ラマリネ? …………1ラマリネが100まななれ…………ぐあ! 噛んだ!」
「違―う!」
生まれゆえに幼い時からその道に血道を開けてきた大家とその道の開祖、国家運営のベテランと三人揃った金勘定の達人達に囲まれて、正義の道を志す少年は今日も現実と戦っていた。
王宮は彼以外平和である。
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朝6時に家を出たら夜8時まで帰れない生活、おうちに居る時間の方が少ない。
昔友人が飲み会の席で「今月3回しか家に帰ってない…………」と言っていたのを「ざまあwwwwwwww」と笑った罰が今頃効いてきております。
とりあえずパタリロ!のロンドン組登場。
メレムさんの容姿ってどこか資料ないですかね? 個人的には金髪碧眼のいつも笑っている少年といった印象なのですが。永遠のピーターパンって…………www
ちなみにバンコランの眼力はfate勢の誰でも抵抗できません。何せあの魔界の実力者が怯むくらいですから。
性別が男性ならギルやんでも宝石翁でも問答無用、ヘラクレスでも無理でしょう。最後の真祖が女性なのを神に感謝。
あと、士郎くんは個人的にガテン系ブルーカラー主人公と考えてますのでバンコランの食指は動かないでしょう。むしろ出てきませんが遠野家のご長男はやばい、後ろがやばい。
前回までの補足ですが、士郎くんの給料はちゃんと出てます。パタリロは無駄を嫌いますが必要な金は出します。タマネギが管理している人事で見習いが一人増えてその給料を出す事なら、実際仕事しているなら五月蠅くは言わないでしょう。タマネギが何人居て誰が居るのかまでは把握していない様ですし。
以上、また次回。