「諸君、決戦である」
マリネラ王宮第十三番倉庫。荷物を除けられた一室に彼等は揃っていた。
揃う者達の耳目を集め、語るのは二人。
愛媛みかんと千葉県産落花生の空き箱の上に立つパタリロと、美しい拵えの鎧に身を包む女性――――――セイバーである。
その姿は、集る者達の目を捉えて離さない。小柄ながらその身体を最上級の品質が見ただけで解る様な鎧が纏い、どんな宝石もその前では曇る様な瞳には見る者を畏縮させる様な強烈な意思が宿っていた。
それでいて、彼女の慈悲を疑うような者は居ない。
女神と称するに躊躇わない美しさと、英雄と呼ぶに相応しい覇気が、重なったまま其処に在った。
「…………奴等が何者かは今だ解らん、が。少なくともぼくはあいつ等がこの国に居る事を許す心算は無い。
よって、全て追い出す事にした!」
パタリロに目で促され、セイバーが続いた。
その可憐な口元から、覇気に満ちた声が朗々と流れ出す。
「―――――――――――世界は、理不尽である―――――――――――」
そう、始まった。
衛生官であるタマネギは、王宮の客人であり名義上部隊の後輩である少年を看護していた。
生命は問題無いものの、間違いなく重症である彼が動こうとするのを止めていると、彼の同道人で有る女性が加勢した。彼女も傷こそ無いものの、不調を隠し切れないでいる。常に最前線で此処まで戦ってきたのだ、タマネギが理解出来る筈も無いが魔術的にでも消耗しているのであろう事は容易に想像出来た。
その彼女がいきなり苦しみ出す。タマネギでは魔術方面の治療は出来ない、どうしようかと慌てた時、彼女――――――セイバーは何事も無かった様に立ち上がる。
先程までの不調が嘘の様だった、いや先程までよりも、今まで見てきたどの彼女よりも、その身体には“何か”が満ち溢れていた。
彼女が負傷した同道人、士郎に近付く。タマネギには何が起きたか把握出来なかったが、一瞬の出来事の後、エミヤシロウの傷は一切残っていなかった。
体力の消耗は兎も角、傷など全く無かったかの様に士郎がベッドから立ち上がる。
「…………遠坂……か?」
「…………その様です、相変わらず彼女は…………」
その光景を見ながら、タマネギはこう漏らすだけだった。
「いやはや、魔術って便利なものですねぇ」
「天は、天の意思でのみ動き―――――――地は、我々の事など何ら気にする事無く、其処にただ在るだけだ―――――――――」
士郎とセイバーは直ぐ様、凛の所に向かった。何があったのか凛に食って掛かるセイバーを見ていたヴァン・フェムに、何処からとも無く声が掛かる。
「…………申し訳有りません、王宮内の進路が開放されるまで時間が掛かりました」
「おう、来たか。…………して、あれはどうした?」
「先日より準備しておりました。既に大西洋上に出ております故、ご命令通り自力でこちらに向かわせております」
「うむ」
満足してヴァン・フェムはパタリロに声を掛ける。
「パタリロ君、先日約束していた私の作品もまもなく届く。洋上の戦闘に使ってくれたまえ」
「では、我々はその中でただ、流されるだけなのだろうか――――――――否である!
我々はこの理不尽な世界で生きる為の力を持っている!」
コンピュータの解析が続く。それを操るのは天才的頭脳を持つパタリロである、蓋然性が高い結果は然程時間の掛かる事無くもたらされた。
「…………成る程、やはりあの石が起因なのだな」
この騒ぎの切欠になった宝石、アッシュールバニパルの焔、それを何とかする事で事態の収束する可能性が高い。しかし、それが有るオークション会場となった離宮は現在異形達の狂宴会場と化していた。
タマネギ達の持つ携行兵器では時間が掛かり過ぎる、だからといって先程の様なメレムの攻撃手段では大き過ぎる。当然ヴァン・フェムの作品でも同様である。
さて如何するか…………考えるパタリロの目端に、セイバー達が入った。
今更あえて言うほどの事ではないが、パタリロも好奇心の塊である。魔術についても折に触れ凛達から聞き出していた。彼女等も全てを教えてくれた訳ではないが、その断片的な情報から推察できる結果が有る。
「おい、お前等」
パタリロの頭脳は、一つの結論を出す。
「―――――――――今回の事態、誰も予測すら出来なかった。
この厄災が――――――何故起きたのか、それは解らない。今我々が解る事は、そう―――――――この厄災を我々が退けなければならないという事だ」
タマネギたちは動き続ける。
パタリロに命ぜられたというだけの理由ではない。此処は、彼等の国なのだ。彼等が生まれ、育ち、そして守るべき国なのだ。
「第8ライン、突破しました!」
「王宮奪還率70%を越えます!」
「弾もってこーい!」
「アパーム!」
だから、彼等は動き続ける。命を賭けて、戦い続ける。
「幸運な事に――――――――いや、皆の努力の結果だろう―――――――――我々にはそれを成す力が有る!
我々には武器を持つ手が有る! 我々には進む脚が有る! 我々には―――――――勝利を信じる心が、有る!」
反攻作戦は決定された。王宮の残存勢力を叩くと共に、起因の確保または破壊。市街地の掃討と市民の保護。そして洋上より来たる脅威の撃退である。
最も多くの人員が必要な市街地戦に凛と士郎、ルヴィアとタマネギ達兵力の大半を。
洋上迎撃には王宮の遠距離兵器とメレム、ヴァン・フェムの二人が。
そして原因の破壊にはパタリロとセイバー、随伴タマネギ一個小隊。
そして、作戦決行前に集った面々に対し、パタリロとセイバーが誓う。
「――――――――――――勝利を、約束しよう―――――――――――」
そう、宣誓したセイバーの手に、剣が現れた。
その剣に、その場の全てが見惚れた。それは“聖剣”だった。
人の生きる意志が、願いが具現化した、最強最後の幻想。
その奇蹟を掲げ、伝説の王は全てに告げた。
「――――――――この剣と、この国の王にかけて――――――――我々は、勝つ」
最終話:常春の国より愛を込めて
【Fate/stay night クロスオーバー パタリロ!】
“常春の国より愛を込めて”
マリネラ市街地は地獄の様相を呈していた。
幸いな事に、住民の避難は順調に進行している様だ。街角の方々に転がる肉塊に、人間だったものは見つからない。その殆どは同族殺しに遭った異形達のものだった。
しかし、その余波で建物は崩れ、道は砕け、木々は燃えている。
避難の途中で誰かが落としたものだろうか、テレビ番組で有名なヒーローの人形が道の端に転がっていた。
本能のままに暴れる腐臭を振りまく悪鬼がそれに気付く事も無く、人形を踏み潰した。
作品中では決して負けないそのヒーローを模した人形は、呆気無くプラスチックの破片と化した。
それを気にする事も無く、悍ましき異形が歩く。その異形が何かに気付く。視線の先に見付けたのはひとりの人間だった。
異形は途端に食欲に全てを支配され、その御馳走に飛び掛る。
その人間が、何かを呟く。
「――――――――――トレース・オン―――――――――」
人間が、変身した。
凛が見付け、パタリロに手渡された物を、衛宮士郎はその腕に付けていた。
子供の玩具の様にも見えるブレスレッド、それをパタリロは“神の悪戯”と呼んだ。
聞けば、その名に相応しい極めて出鱈目な奇跡だった。この世界のあらゆるヒエラルキーを組み替えて遊ぶ悪戯、冷静に考えれば背筋の凍る様なそれに使われた物騒な奇跡。
事態を把握した瞬間、士郎はその手に有る物を放り出したい衝動に駆られる。しかしそれを止めたのはパタリロだった。
「なあに、事態が収集すれば間違い無く消える。どうせあれの玩具だ、精々楽しめば良かろう」
パタリロがニンマリと笑った。
「最高のヒーローごっこだ。それでお前が破滅する様なら、それまでだよ」
使い方は容易だった。このブレスレッドを持った途端、使い方は頭に入る。
エミヤシロウは、人を救う事に関してならば躊躇いは無かった。
想像さえ出来ない様な力の奔流を、士郎は魔力として認識した。それ以外の何かなのだろうが、そう把握しても問題無い。この玩具は全てが力を発揮する為に創られているのだ。
それが彼のイメージをくみ取り、彼の身体を包む。
変身の光の中から、士郎の姿が現れる。テレビヒーローらしい装飾を誂えたスーツと仮面、特徴は赤い外套だった。
彼の育ての親が着ていたトレンチコートを模しているのだろうか、同時に聖杯戦争の時に見た赤い弓兵のそれにも似ていた。
そうして、魔術使いの少年は、世界最強のヒーローに変身した。
異形の牙は、そのスーツを一mmたりとも傷付ける事は無かった。
「カンショウブレード! バクヤブレード!」
振るわれた双剣に、異形が瞬く間に無に帰する。
そのまま彼は跳躍する。魔術強化のレベルを遥かに越えたそれは、彼を高い尖塔の上に運んだ。
「――――――――ソードバレルフルオープン!」
彼の行使する術は魔術ではない。ただ彼のイメージをスーツが再現しているだけだ。
しかし彼は魔術使い、イメージされたそれは常人には困難なレベルのそれ。
空一面、と表現しても間違いではあるまい。数え切れぬほどの無数の剣が彼の周りに浮かんだ。
「喰らえ異形ども! アンリミテッドブレードワークス…………シュート!」
スーツは彼の身体だけでなく、感覚も、脳さえも強化している。見渡せる場に蠢く異形達全てを把握し、それを一つも漏らす事無く同時に射抜いた。
防衛隊の歓声が上がる。その声を聞きながら尖塔の上のヒーローは、頭を抱えて暫し動かなかった。仮面で見える事は無いが、彼の顔はスーツに負けず劣らず赤かった。
「…………何で叫ばないと発動しないんだよ…………」
純粋にヒーローごっこを楽しむには、成長し過ぎた衛宮士郎くんでした。
それでも、赤い外套は戦い続ける。
それを見ているのは赤が誰より似合う少女、遠坂凛。彼女もただ観戦しているだけではない。
彼女がその手に持つのは大振りのサファイア。凛はこの石を持った時、宝石魔術師として最良の使い方を模索した。出した結論は宝石魔術師としては有るまじきものであり、同時に魔術師でしか出来ない事だった。
「―――――――Anfang――――――― Öffnung(解放)」
凛の魔術を切欠に、石の中から膨大な魔力が流れ出した。溢れる魔力をそのままに、その一部を使い、術式を構築する。
それは例えるなら大瀑布に雨樋を突き刺す様な術式、その雨樋さえ膨大な魔力の中から構築する。少しでもフィードバックがあれば凛の魔術回路が砕け散る、外側から少しずつ反動が無い様に極めて大味に、それは魔術師の一年生でも叱られる様な無駄が多く単純極まりない術式だった。
これ以外の方法は無い、フィードバックのリスクを限り無く抑える為に反動の最も少なく、魔力への影響も少ない稚拙な術式を使うしかないのだ。
だが魔力は膨大である。そんな安易な術式でも充分に効果は発揮された。
魔力の一部がラインを通じてセイバーに送り込まれる。ラインに触れた魔力の残滓だけで凛のそれも自宅の霊地に寝ている時以上の回復を見せる。
士郎に回す魔力は更にその一部で良い、彼が回復する方法は他にもあり、セイバーもそれを把握していた。
セイバーへのラインを段々と強化していくが、それまでに活用された魔力は流れ出る中のおよそ3割弱、他の全てはただ霧散していくばかりである。
…………ああ、お父様。貴方の娘はとんだ贅沢者になってしまいました…………。
魔術師にとっては財布から金をばら撒きながら歩いている様なものだ。回復している筈の心臓が痛い。一円が合わない為に真夜中まで家計簿に向かっていた父の背中を見ていた娘としては、草葉の陰に顔向けが出来ないやり方だった。
無駄遣いは何よりも律せられるべきである。彼女は市街地戦でその石の力を少しずつ解放していた。
「――――――Nach and Nach―――――― frei!」
ただ雨樋の先を向け、タイミング良く開くだけ。それだけでタマネギの銃弾で広所に集められた異形達を吹き飛ばす。
石から洩れ出る魔力は、異形達にも魅力的らしい。凛に向け異形の一部は集ってくる。市民を避難させるべき凛達には好都合だった。
囮役となった凛だったが、何の心配もしていない。彼女の前には常に赤い背中があった。
誰かを守る為にその力を振るうヒーロー、それが彼女を守っているのだ。
何故正義が形而上の概念なのか――――――――? 理由は簡単である。その概念が実現する為には実在上のあらゆる因子が邪魔をするのだ。
倒すべき対象の中に守るべき要因が内包される、行使した結果の先にそれを否定する事象が発生する―――――――――何より、完全なるそれを行使できる力なぞ、存在しない。
確かに異形達にも何かしらの事情はあろう。永劫とも呼べる時間が有れば、彼等と共存する道も有るかも知れない。しかし此の侭では異形達がこの国を、世界を飲み込んでしまう。今人が出来る事は彼等を排除する事だけ――――――――其れ程に奴等は異質なのだ。
そして彼は今、力を手に入れた。眼前の全てを決して漏らす事無く完全、完璧に救うだけの力を。全て次第漏らさず異形を、不幸を打ち払う力を。
衛宮士郎は狂っている。決して実現しない理想を追い求め、其の侭人として破滅する可能性を秘めている。何を目指すべきか、それを理解出来ないまま走り続ける盲目の馬車馬。
正義の味方とは何か―――――――それは全てが終わった時、皆が笑っている結果を導き出す奇跡の存在。
それに限り無く近いものが、凛の前に居る。
所詮これは神の気紛れ――――――――ただの奇跡だ。最後は全て露と消える幻想。
しかし衛宮士郎の魔術は、幻想を実現する。
衛宮士郎がこの後、どうなるかは分からない。もしかすると圧倒的なこの力に飲まれるのかもしれない。ひょっとするとこの回答に満足して生き方を変えるかもしれない。どうかすると―――――――本当の正義の味方になるかもしれない。
たとえどんな結果だろうとも、遠坂凛は彼の傍に居る。
それは彼女の誓い、それは彼女の矜持、それは――――――――彼女の愛。
ただ、今は、今だけは彼の姿を目に焼き付けよう。実在する“正義の味方”の姿を。
「―――――――――往け! 正義の味方――――――――――!」
その日、マリネラは正義の味方に救われた。
マリネラ港、その一番外側の桟橋に二人の人影が在った。
港湾部の住民は全て避難が完了している。何せ今から此処は戦場になるのだ。外洋をこの国に進む無数の影は今も着実に此方に向かっている。そいつ等の上陸地点は此処マリネラ港なのだ。
その迎撃の為に揃えられた戦力は既に集結している。年端もいかない少年と、老年も近い男、そのたった二人だった。
少年が夜明け前の港風に乱れる黒髪を小さな手で押さえながら、御機嫌に笑う。
「何だかとんだ事になったねぇ!」
壮年の紳士は強風を物ともせず、如何なる手妻か取り出したパイプに瞬く間に火を点けた。
「…………長生きはするものだな、真坂我々が共闘するとは…………あまつさえその理由が、何と人の国を守る為と来た」
少年が風に煽られながら踊る。
「いいんじゃない! 僕はあの国王気に入ったよ? 今まで見た事が無い人間だしね」
果たしてあれを本当に人間と呼んで良いのかどうか、誰にも分からない。
「違いない。いやはや人を捨てたのは早計だったか…………」
「何を心にも無い事を」
二人とも実に上機嫌だった。今より此処に文字通り地獄の釜が空き、地獄よりも深い場所から悪鬼達が湧き出てこようというのに。
暫くして、ヴァン・フェムが海の彼方を見つめた。
「来たか…………!」
「みたいだね…………この臭い、気が滅入る」
メレムが臭そうに鼻をつまみ、手を顔の前で振った。
来襲者の正体を、二人は知っていた。何せお互い別の場所だったが幾度か戦った事が有ったからだ。
「…………はるばるアメリカ東海岸から、ご苦労な事で」
「あの勤勉さは…………気狂いの域だな」
二人の常人離れした視界には、暗い海の彼方こちらに恐ろしい速さで向かってくる異形達の群を捉えていた。
「ひいふうみい…………あれって、動ける眷族全て引き連れてない?」
「長老クラスの巨体も見える…………あれは殆ど半神に近いかも知れん」
「あらら…………必死だね、奴等」
「今回の事件、原因は確とは分からんが…………確かに此処で奴等の神を召喚する儀式を行えば、確実に降臨するだろうな」
「御免被りたいねぇ」
地上に残る“邪神”の眷属としては最大勢力を誇るだろう。腐った魚を煮詰めた様な悪臭を放つ醜い魚人たちの群が、その異形にも拘らず解る程の熱狂的な勢いで、マリネラを目指していた。
彼等の目的は信奉する神の地上への降臨である。神代より遥か昔、神により古代の地球から追放され、魔界でもその奥底にまで追い立てられた彼等の神を、再びこの地上に降臨させる事を至上の命題とした狂信者たち。
彼等はその悍ましい信仰と共に身体さえ異形と転ずる。この世界で最も醜い魚に似た何か、冒涜的なその姿をした怪物たちが狂喜していた。
何度と無く神の意思に、それに操られた英雄や人間どもに邪魔をされた大いなる邪神様の復活を、今度こそ実現できるのだ。聞いただけで普通の人間なら狂気に犯されてしまいそうな喚声を上げながら、海を穢す異形の大群が進む。
それを阻まんとする者達が居る。
何の皮肉だろうか――――――彼等は神の加護を自ら捨て、神の名を汚し、神の徒に牙を剥く――――――――死徒と呼ばれる吸血鬼だった。
少々の諦観を含ませ、ヴァン・フェムがぽつりと呟く。人を超えた聴力を持つ同族には、聞こえていた様だが。
「…………間違いなく、我々も抑止力の影響を受けておるな」
「毒には毒を持って当たる…………僕らと奴等、どちらが斃れても星と人に都合が良い…………。
全く…………偉くなったものだね、僕らも」
彼等にとってこの国がどうなろうと、基本的に問題は無い。この時点で一目散に逃げ出した方が、彼等にとっては一番ダメージが少ないのだ。
しかし、それが出来ない。いや、出来ない事を知っているのだ。今までも逃げるタイミングは幾らでも有った、しかしパタリロの行動に巻き込まれたり、それを気にしてタイミングを失したり、彼等自信の好奇心なども邪魔して、結局脱出する事は敵わなかったのだ。
彼等は既に一個の生命体の持つべき格を逸脱している。それは即ち、上位の存在に影響を受けざるを得ない存在と化しているという事だ。
人の枠を脱した彼等も、新たな枠に囚われざるを得ない。全く皮肉な結果だった。
「まあ……良かろう。我々にも味方がおる、あれが抑止力の効果なのか私には自信が持てん」
そう言ったヴァン・フェムの遥か背後、マリネラの中心に建つ王宮から無数のミサイルとレーザー、重砲弾が放たれた。
その全てが、海面に叩きつけられる。盛大に異形どもの欠片が舞った。
奴等の悲鳴など、爆音の中にかき消されるばかりだ。正に国王の性格を体現した様な問答無用の一気呵成の蹂躙だった。
高らかにヴァン・フェム―――――――――死徒二十七祖最古参が一柱、魔城の吸血鬼が哂う。
「――――――――――見ておるか“朱い月”よ! 見るが良いアルトルージュ!
人は―――――我等が見限り、侮り、捨てた人類は――――是ほど迄に――――――強いぞ!!」
深遠の海面が朱い光に染まる――――――――その光を通して見た月さえも、朱く見えた。
「…………前半黙れ、後半同意。人というよりここの王様がとんでもないのは納得」
メレムの四肢が揺らめく。彼の周りに現れたのは、四つの影。
「さーて、僕はそろそろ働くとするよ。…………おじいちゃんはゆっくり観戦でもしているかい?」
「ほざけ、千年程度の若造が」
ヴァン・フェムの手には紳士用の杖が握られている。それで彼はコンクリートの地面を、一度叩く。
船の殆ども避難していた桟橋の一部、戦艦でも停泊できるサイズの場所に、何かが現れる。認識阻害の魔術を施してあったらしきそれは、まさに城といった迫力と大きさをしていた。
メレムがそれをまじまじと見つめる。
「へえ…………新作かい?」
「うむ! パタリロ君に自慢しようと此方に持ってこさせていた処だったのだ!」
「ヲイ」
メレムは力無く空に裏手を放つ。関西人ではない彼の突っ込みでは、威力が乏しいらしい。
「あー、魔術って秘匿されちゃったりしてなかったっけ?」
「…………恐らく、抑止力の効果であろう。全く恐るべし」
「おじいちゃん責任転嫁しちゃったよ! 良い年してみっともないよ!」
まさに地獄の釜と呼ぶべきに相応しい戦場だった。―――――――ただし、煮られるのは異形の妖魔どもだけである。
海上にて迎撃するのはヴァン・フェムの誇る魔城。特に物理攻撃に特化している城らしく、数十mを越す蛸とも魚とも呼べない異形を虫の様に叩き潰す。しかし奴等とてただの怪物ではない、その触手は城の表面装甲をがりがりと削る。
だが、それまでだ。分厚い装甲の中に届く攻撃は無い。その間に次々と眷属は千切れ飛ぶ。
城の巨体を越え、地上にたどり着いた奴等も無事では済まない。其処に待ち構えるのは城にも匹敵する巨体の悪魔、それを黒犬と呼ぶのは躊躇われた。
それが地虫の様に半人半魚の異形を踏み潰す、押し潰す。辛うじてそれから逃れた者達には、断罪の刃が振るわれた。
機巧の令嬢―――――――10mという体格ではあるが、その手により振るわれる刃物は、一切の例外を認めない。全ての悪鬼はその背後に欠片たりとも進む事は無かった。
二人が先程まで立っていた桟橋に、ひとりの老人が佇む。その老人に、声が掛かった。
「…………やっぱり司祭ですね! あの馬鹿餓鬼は何処に居ます!? 一体何が起きているんですか!? 私のカレーを返しなさい! …………あと、時間外手当を申請します」
青い髪のカソックを来た女性が、老人に詰め寄る。彼女も戦ってきたのだろう、身体を煤と血と、カレーっぽいもので汚していた。
因みにその後ろで、透けた少女が『わたし汚されちゃいました…………もうお嫁に行けません』としくしく泣いていた。
まあ、あんな奴等を相手にぶちかまされたのだ。彼女の本体は誰も触れたくない程汚れていた。
司祭と呼ばれた老人は、困ったような表情で、空を指差す。その先には巨大なエイに似た悪魔が飛んでいた。
此方に気付いたのかそれがゆっくりと降りてくる。その巨体の上にはメレムが寛いだ様子で転がっていた。
カソックの女性が怒鳴り散らす。
「メーレームー! 勝手に居なくなって! 一体何事ですか!? あの沖合いのは魔城ではないのですか!? 何故一緒に!? 大体街に現れた奴等は何者ですか!? 邪神の眷属ではないですか!?」
其処で一息入れた、最後に一喝。
「一体全体、何が起きているのですか!?」
メレムは片肘を付いたまま少し考えた。彼が此処に来たのは溢れる収集欲を満たす為だ、彼が此処に止まっているのは好奇心と、多分抑止力の効果である。今戦っているのも、その効果と、自分のちょっとした欲目からである。結果は眷属どもの撃退であろう。彼女にそれを伝えるのに良い言い回しは無いか、神の試練? 神の意思?
―――――――――其処まで考えて、メレムは一言で、このあらましを伝えた。
「これは――――――――神の愛さ」
「………… …………」
絶句する女性の後ろで、精霊が泣いている。
『有彦さ~ん』
まあ、愛だろう。
十三番倉庫内、通信司令室。
燻らせていた葉巻をもみ消し、上着を手に取ったバンコランは近くのタマネギに声を掛けた。
「私はホテルに帰る。武器を一丁寄越せ」
新人らしいタマネギは驚いてバンコランを止めた。
「待って下さい! まだ市街地には奴等が残っています! 第一、これで終わる保証は何も無いんですよ!?」
その言葉に、バンコランは僅かに眉を顰めた。そして、こう言い放つ。
「あのヘチャムクレがこれで終わらせると言ったのだろう?」
「しかし!」
彼の運んでいたコンテナから小銃を一つ取り出し、弾薬を確認する。そのまま出口に向かい背を向けた。
「…………あのパタリロが終わらせると言ったのだ。これでこの騒ぎは終いだ」
彼の背に、新人タマネギは信頼を見た気がした。
離宮は魔窟だった。
所狭しと異形どもに溢れ、奴等の不快な声と吐き気を催す臭いに溢れていた。
その中を進む者達が居る。
先頭を歩くのは息を飲む様な奇麗さを湛えた女騎士――――――――セイバー。
その後ろを国王パタリロが進む。更に二人の周りに配されるのは、彼の母が彼に授けた騎士達―――――――タマネギ部隊の精鋭が、彼の頭脳が生み出した半ば反則的な武器をその手に進んでいた。
彼等、彼女の進む道を阻むものは――――――――無い。
セイバーの剣戟に、一合すら耐える妖魔は存在しなかった。
タマネギ達の放つ銃弾に、数発も耐える眷属は皆無だった。
パタリロの指示と彼の使う忍術は、全てが適切で的確だった。
右へ左へ、彼等の動きも早いなどという表現では追いつかない。人の何倍もの視力を持つ眷族ですらその動きを暫し見失った。
「次の角を左だ! 約30m直線が続く! 窓は無い!」
「私が!」
セイバーが角の陰から躍り出る。それを待ち構えていた様に、床を埋め尽くした無数の塊が小さな触手を何本も弾丸の様な速さで伸ばしてきた。
「―――――――風よ!」
斬激がその場の全てを吹き飛ばす。余波が壁に皹を入れた。
「突き当りを右だ! その先に広間が有る!」
「吶喊ー!」
高い天井の広間には、何かが漂っていた。あえて例えるなら醜いポリプ状の生き物、と言った所か。それが此方を認識した途端、身体に開いた口から牙を剥き、襲い掛かってきた。
阻んだのはタマネギ達の銃弾の嵐だ。散々に奴等を打ち据える。止めはセイバーだった。
確保した広間で、少し乱れた呼吸を整える。額に滲む程度の汗は拭うまでも無い、セイバーは手にした剣を一振りする。それだけで不快な色の体液に塗れた剣身は元の憚る様な美しさを取り戻した。
その剣にパタリロは感嘆の声を漏らす。
「…………素晴らしい業物だな、その剣は」
「ええ…………私には勿体無い程の逸品です」
パタリロが意外そうな声を上げる。
「貴公ほどその剣の似合う人物はおるまい、その剣に選ばれたのだろう?」
その言葉にも、セイバーは何ら動じる事は無かった。苦笑と共に言葉を返す。
「…………そちらの剣は、私の不調法で折ってしまいました」
「そうか、折れてしまう程度の剣だったのか。意外と大した事は無いのだな」
「敵多数! 正面扉より来ます!」
装飾の施された立派な大扉が、外側から砕かれた。地虫にも似た巨大な妖魔が全てを押し潰そうとばかりの勢いで、広間に躍り出る。
阻むのは小柄な女性。しかしその女性は、ただの人でもなければ、尋常の力も持っていなかった。
「はあああああああああああああ!!」
裂帛の気合と共に放たれた聖剣の斬激は、文字通り蟲を消し飛ばした。だが異形もその数は文字通り無尽蔵に近い、消え去った前を幸いと次々に襲い掛かって来る。
セイバーが動く、その姿はまるで光。それは視覚出来る魔力だ、それが彼女の周りを取り巻く。聖剣が煌めく、金の髪が揺れる、白銀の鎧が鳴った。
それは伝説に謳われた英雄だった。見る者全てに惧れを、恐れを、そしてあらゆる羨望と信仰を抱かせる存在だった。
セイバーには現在、極めて高い質の魔力がほぼ無尽蔵に流れ込んでいる。
彼女の身体は聖杯によりこの世界に保たれている、しかしそれは同時に聖杯に縛られていると言い替える事が出来る。一流の魔術師である遠坂凛の魔力により、その支配が無くともある程度の行動は可能な状態であったが、彼女本来の状態と比べれば話にならないレベルの弱体化している。
しかしその状態が今は違う。流れ込む魔力は極めて膨大、奇怪なルールに縛られていた聖杯戦争中に経験した呪令によるブーストを遥かに越える。いや、それどころか生前の最も調子の良い時に匹敵する状態なのだ。
しかもスタミナはその時よりも心配が要らない。
誤解を恐れずに断言させて頂こう、この場に居るのは正しく伝説のアーサー王なのだ。
伝説の英雄の一撃を、冒涜的な生物の一片如きが耐え切れる筈も無い。そいつは文字通り跡形も無く、全てが消え朽ちた。
この国の王は、伝説の王の膂力に感嘆の意を隠す事無く讃える。
「…………成る程大したものだ、これが伝説に謳われる王の力か」
セイバーはその賞賛を苦笑と共に受け入れる。
「パタリロ殿下…………貴方の知るその伝説の王は…………如何な人物ですか?」
元々好奇心の強いパタリロである、折につれ凛達から魔術や聖杯戦争に関しての話を聞き出している。セイバー自身の言動、凛達から聞いた話、更には余りにも有名過ぎる“聖剣”の姿、パタリロはセイバーの正体をほぼ間違い無く察していた。
だからこそセイバーに申し入れたのだ、この事態の収拾の要を。
先の演説もその一つだろう、音に聞こえし英雄の言葉である、その効果は充分に期待できる。
「ふむ…………正に伝説だな。劇的な即位から輝かしい戦歴、終局も決して無様ではない…………が、一つだけ個人的に不満ではあるな」
「ほう…………それは是非聞かせて貰いたいものですね、何が不満なのか」
王達は話しながらも戦い続ける。その進みを阻む無礼者を一切の例外なく駆逐しながら。
「なあに、ちょっとした事だ。あれだけ大暴れしていた王様が、どうも本人が何か勘違いしていたみたいだからな」
タマネギが叫ぶ。
「6時より多数! 接敵まで時間がありません!」
パタリロも直ぐ様命じた。
「ミサイルだ!」
「了解!」
携帯用小型ミサイルランチャーを担いだ二名が構える。現れた残虐極まりない姿をした昆虫らしき異形達に向け、引き金を引いた。
パタリロの命により放たれたそれは、醜いそれを完全に焼き尽くす。
その光景を見ながら、少年王は話し続ける。
「…………王は所有者なのだ。その国の全ては王の物なのだ、国民も、その金も、幸せも不幸も、罪も偉業も…………何もかも全て一切の例外無く。
何を悩む? 自分のものなのだから何をしても良いではないか、精々好きにやれば良い、それが王なのではないか?」
セイバーはその言葉を無言で聞いていた。
「もし何か不幸でもあり、文句を言ってくる奴が居たら…………ぼくはこう言ってやるぞ。
“ぼくが国王なのだ、黙っていろ”
どうせ全ての責任はぼくが負うのだ、汗水たらして働くのはぼくなのだ。何の文句も言わせるものか」
今正に全力を持って事態の収拾に動いている国王は、一言に断じた。
「全く因果な商売だ! そう思わんかね? 騎士王」
話し掛けられた伝説の王は、鉄の威厳を保ちつつも、花の様に可憐な表情で破顔した。
「全くです! 誰か代わって貰いたいくらいですね!」
「諦めろ! 無能には出来ん仕事だ!」
王は全てを支配する者。知性も、信念も、この世の理さえ持たぬ異形の群がその道を阻むには、あまりにも役者不足過ぎた。
重く、硬く大きな壁が立ちはだかる。つい数時間前まで皆が居たオークション会場前に、パタリロ達は辿り着いていた。
「さて――――――この国に居るうちは、貴公も僕のものだ」
そう言ってパタリロが通信機に合図を送る。彼等の前の壁が轟音を上げながら開いた。
内部は異界の妖魔が腹の中――――――不快な刺激臭と腐臭が中から流れ出る。
「―――――――常春の国の王が、常春の国の王に願おう――――――これはぼくの国には要らないものだ、片付けてくれ」
かの伝説の王は―――――――傷を癒す為に、常春の国と呼ばれる楽園で眠りについているという。
「―――――――全く、貴方は――――――――度し難い王だ」
正面に立つのはセイバー。彼女の心臓が、彼女の信念を支える力を造り出す。彼女の身体が、彼女の覇道を紡ぎ出す。
彼女の剣が、人の願いを、星の意思を、形にする。
『――――――――――――――エクス(約束された、
彼女は思う。この国は奇妙な国だ、国王も変わっていれば国民も何かおかしい、そもそもこんな騒ぎが日常茶飯事という時点で奇天烈極まりない。
全てはこの国を自分の所有物と言いはばかるこの少年王のお陰だろう、彼は我侭で、いい加減で、吝嗇家で、おまけに容姿が不自由で性格も悪い。しかし彼は――――――――優しい。ほんの少しだけ、しかしながらとても大きな優しさを持っている。
この国が良い国なのは、やはり彼のお陰だろう。世界は人に厳しいのだ、だがそれを救う者が居る、それがこの国の王の、支配者の務めなのだろう。
それがこの国に対する、王の愛―――――――とは言い過ぎだろうか。
彼女は思う。ここも――――――――――やはり楽園なのではないか。
伝説の王は傷を癒す為に眠っているという、ならばこれは夢だろうか。彼女の横に立つ赤い少女と少年、彼等の輝かしい魂も夢の作り出した幻影なのだろうか。この地上の楽園も泡沫の夢なのだろうか――――――――。
否である。優しくない世界にもそれに逆らい戦う者が居る、それが作り出したものを何故否定しなければならないのか。それを守る事こそがこの聖剣の使命なのだ、それを振るう事を願い彼女はそれを手にしたのだ。
放て、使命を。
『――――――――――――カリバー(勝利の剣)!!!!』
闇に包まれたマリネラが、太陽の光に包まれる。
夜が―――――――――――明けた。
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本編完結。エピローグに続く。